過去ログ雑感

2018年04月25日 08:35

過去記事にリルケの詩のことを書いていたのだが、そこでリンクしていたある人のブログが2016年で更新が止まっていた。最後に掲載された記事に心動かされた。

「残り時間を考える: 空音な日々のつれづれ」

検査してもなんでもない、あるいは更年期と診断されるって、自分のこの年になると似たような感じで不調は出てくることもあり、ひとごとじゃないよなあと思ってみたり。なんてことを思った。ブログ主さんはお元気かなあ。

意味なんかない

2015年05月11日 09:31

『年を取ると言うことは平凡で何の取り柄も無い自分を受け入れる作業です。』


↑の言葉は「一人前の消費者になるにはまだ早すぎる : web-g.org」に書かれていたことですけど、あーそーだよなーともうすぐ52歳になろうとしている今の自分はひしひしと思うようになった。まあ、結婚した26歳あたりからもうすでにそういう思いは持ち始めていたわけですけど。

わたしは自分で言うのもなんですけど、子供の頃は周りから高い評価を受けてたのね。美人だとか頭いいとか、とにかく将来が楽しみとか、高校の時なんか先輩から「いつか何かでっかいことするんじゃないか」とか言われたこともあったわけで。そういうことを言われ続ければ、自分もまた絶対将来は有名な人になったりするかもねーなんて思い込んだりするのはしかたないよね。でも、努力するのが大嫌いな自分が、将来成功するわけがないというのは今の自分はよくわかってるんだけど、当時の自分は努力なんてしなくても、好きなこと好きなようにやってればそれが成功につながるんだ、きっとそうだ、うん、そうに違いない、やっほー、となる。まあそれくらいお気楽でおバカな人間だったわけ。それは今でも変わらないんだけどさ。そりゃ、努力なんてしなくても、どんどん運とか何とかそういう何かで成功する人もいるだろうけれど、それはほんと一握りの人だけで、それに自分が入ってなかったら、そらー努力もしない自分が成功なんてするわきゃない。でまあ、だんだん、これは自分はごく一般のふつうーの人間らしいぞと気づいていくわけで。でまあ、今はそれなりに、そういった自分を受けて入れていくのが今の自分の幸せにつながるんだろーなーと思い始めているわけ。今のわたしはもういかに最期まで幸せに生きられるか、いかに楽に死ねるか、それだけを念頭に生きているって感じです。

いつの頃からか、生きることは何の意味のないことなんだと気づくようになった。意味を持たせることが悪いことじゃない。ただ、自分の幸せにとって、そういう何かの為に何かの意味を持たせることはイコール幸せには繋がらないなあと思うようになった。それより、漫然と生きて漫然と幸せを感じる。そんなゆるゆるな生き方だって別にいいじゃんって。それを他人にはとやかく言われたくない。でも、それでも、心の中の不安感はなくならないみたい。この間テレビでやってた、歯ぎしりする人はストレスがあるからだって。いまだに歯ぎしりがなくならないわたしは、どうしたってストレスからは解放されないんだなあと気づかされる。まったくストレスがないのもよくないとは言うけれど、そのストレスで歯ぎしりがなくならないとしたら、せめて歯ぎしりしなくなるくらいのストレス軽減を願うけれど、そのストレスはやっぱ努力の末でないと手に入らないものだと思う。もうこうなるとどうしようもないよね。

ブログとは、かー

2014年12月20日 09:11

「そもそもブログとは一体全体なんですかという話 - 無要の葉」という記事に、まなめっちがこんなコメントを書いていた。

『ブログとはコメントがあって、トラックバックができて、RSSをはくものです。システムです。この三条件を持たないのはブログではないと未だに思ってる。』


前に、ゆうさんが書いていた日記を「日記を更新してくださり…」ではなく「ブログを書いてくださり…」というようなことを 掲示板に書いている人がいた。それを見た時にわたしは、あれはブログじゃなくてただの日記じゃんと思ったんだけど、思うに、コメントやトラックバックはできなかったけど、たぶんRSSは吐いてたんじゃないかなあ。あと、今わたしが編集画面でテキストを書いてる方法で日記を書いていたと思うんで、間違いなく、あれもブログというものなんだろうな、と。それはガクトさんのブログもそう。ガクトさんのはトラックバックはできなかったけど記事毎にコメントを書きこむことはできたしね。そう考えると、今までのわたしは書く内容でブログかそうでないかと分けてたみたいだけど、そうじゃなくて、書かれている内容じゃないんだなあ、コメントを記事毎に書けるか、トラックバックができるか、RSSを吐いてるかで考えるべきだった。まなめっちのコメントで目からうろこ。

うーん

2014年11月16日 09:07

これ読んで思ったこと。

「一点の曇りもないブログ」ってどんなブログだろうって。まあたぶん人によって違うんだろうな。あたりまえか。(笑)

迷惑かける勇気を持とうよ

2014年08月30日 16:25

「鬱病の人って自分のことしか考えないね」

もちろん病気だから休んだりするのは、別に会社が許せばいいと思うんです
ただなるべく迷惑かけないようにするのは社会人として当たり前ですよね
鬱病以外のケガだったり病気の人はこの辺しっかりやって休んだりしてます

鬱病の人って医者に止められてるのでー、とか全く悪びれなく言うよね
診断書を持ってきてそれを印籠のように使って、休んだりリハビリとか言って特に仕事もせずに帰られると誰だって感情的になります
ネットの書き込みを見ても仕事休んで迷惑をかけてる意識が全くないように見えます
鬱病を理解してないだの、自分が鬱病になったらどうなんですかねー?とか言うひとりよがりの意見

そういう自分のことしか考えないのも鬱病の特徴だったりするんでしょうか
鬱病のこと理解してなくてすいません


またしても転載。(笑)

まあ、わたしもうつ病のことに詳しいわけじゃないんだけどね。だから、身近にいる患者さんのことでしか語れないんだけど。わたしの仕事場にもいるよ、うつ病の人。確かにいったん休みだすと何ヶ月も仕事に出てこなくなることがある。でも、ふだんはまったく休まない。他の人で親族間の都合や旅行、法事などでちょちょく休む人もいるけど、そのうつ病の人は自分の病気以外のことではまったく休まない。そして、わたしが今の職場に勤めて何年もその人がそういった病気であることは知らなかったし、上司や同僚たちもまったく知らなかった。初めての長期の休みで知ったくらいで。どうやらその人は病気のことは知られたくなかったみたいだよ。それを知った時、本当のうつ病の人っていうのは、おそらく他人に自分の病気のことは知られたくないって思うんじゃないかなあと思った。だから、この増田が書いてるようなうつ病の人は真性のうつ病じゃないんじゃないかな。で、そういった偽うつ病の人のせいで、本当にうつ病で苦しんでいる人たちが偏見の目で見られてしまうんじゃないかなあって。

うつ病のことをうつ病の人は他人に知られたくないのであれば、本当のうつ病の人が実際にはどういった人なのかはなかなか知りようがない。だから、どうしたってこの増田みたいに「うつ病の人は自分のことしか考えてない」と間違った考えを持つことにもなってしまうわけだ。自分の事しか考えてない、かー。わたしたち病気じゃない人たちだって同じだよなあ。自分のことしか考えてないっていうのは。てか、自分のことしか考えてないっていうののどこが悪いんだろうか。他人に迷惑かけないっていうのがどれほどのもんだよってわたしは思う。人はどうしたって迷惑かけなくちゃならない時もあるのだから、もっと迷惑かけることに寛容にみんながなれば、もうちょっと暮らしやすい世の中になるのにねえ。多少の迷惑ならいいじゃないかって思えるようになりたいよね。そうすれば、うつ病の人もいなくなると個人的には思ってたりする。

どんなことでも書いていいよと言われたい

2014年08月29日 11:12

「人生を切り売りするってのは周囲の人を切り売りしていることに等しい - novtanの日常」

あんまりこういう界隈にいる人達に会いたくないなって思うのはそういうところもあって、会うとなんだか「隣人」になってしまう気がするんだよね。オフレコ感がないというか。

例えば所属が割れている人がさ、「最近面白かった同僚の行動」みたいなのを書いちゃうわけじゃん。いやそれ誰のことだかバレバレですからみたいになるじゃん。

だから人生切り売り芸の人が周りの人たちに大きな影響のあるようなネタを書き始めるとイライラする。お前がお前の人生を切り売りするだけなら良いんだがそれは他人の人生の一部だ。みたいなね。

もっとも、日本の伝統的な売文業においては他人の人生を切り売りすることがよく行われていたわけで、伝統芸能とも言える。ただ、歴史に残る芸術としてではなく、ネットの片隅でゴミのように漂着してしまうような売られ方は売られる相手が可哀想だ。


久々に引用というより転載的な感じになってしまったんだけども。つか、出勤前のわずかな時間に書いちまう暴挙なわけで、脊髄反射的な書き方になってしまいそうなんだけども。と、言い訳しておいて。(笑)

まあ、わたしも似たようなもんだよね。日記なんて自分だけのことじゃなくて自分の見知った人たち、あるいは知らない通りがかりの人たちのことを書いてしまうこともある。こともある、どころか、そういう何かしらネタになりそうなことをやったり言ったりしてる人たちがいるからこそ書いちゃうわけで、なーんもなけりゃ書かないわけだ。今、わたしが↑の人が書いたものでこんなふうに「こんなこと書いてる人がいてさー」って感じで、ね。それはもうしかたない。書かれたくないのならまったく人と接触しないという生活しかできないわけだ。まあ、だから書かれることを受け入れろっていうつもりはもちろん毛頭ない。ほんとは書く側が配慮しなくちゃならんのだろう。でも、書いてしまう、それがわたしのようなタイプの人間だ。

わたしの本当の願いは「どんなこと書いてもいいよ」と言ってくれる人ばかりになってくれること。でもそれは無理なこともわかっている。書かれたくない人だっているだろうし、いることが正しい。わたしのことも否定されたくないというのなら、書かれたくない人のことも否定しちゃダメだろうから。だから、わたしは「書いてもいいよ、どんなことでも」と言ってくれる人としか付き合えない。それもしかたない。

わたしの母が「どんなことでも書いていいよ」と言ってくれたことが、だから本当に嬉しかったし、自分の母を誇りにも思った。本家ブログで母の病気のことをチラッと書いてはいるけど、これが昔だったら、もっともっと詳しく書いていただろうなあと思う。今はその時間が取れないので書かないけれど、それでも、普通なら書かずに伏せておく母の病気のこと、公開された場所にわたしは書いた。母は書かれても平気な人だから。なんというか、ああいった人もいないよなあ。それが自分の母であることに不思議な縁を感じる。ああ、やはり、わたしはこの人の娘なんだな、って。

「人生を切り売り」か。切り売りするっていう言い方は、確かにあまりいい意味には取れない。切り売りした先には、いつか切り売りするものがなくなるという未来しかないようにも思えるから、なのかな。まあ、実際は生き続けていくうえでさらに切り売りするものが増えていくという人もいるだろうから、あとからあとから温泉の湯のように尽きないという場合もあるだろう。うちの母みたいに、まるでネタがつきないという人生を歩んでいる人もいるからねえ。とはいえ、わたしの力のなさでなかなか彼女の自伝を代わりに執筆するということもできない。だって、わたしはああいったものを読みたいって思わないんだもの。それを書くことは、だからない。

……あああ、時間切れ。なんかもっと書きたかったんだけど、もう出勤準備に取り掛からねば。

ブログと日記は違うんじゃないかな

2014年07月09日 12:23

まなめっちの紹介していた記事に「ブログってなんですか?ネタとか、作り話とか、私はめちゃくちゃ腹が立った。 - 暇なアラサー主婦のひまな話」というのがあった。

基本的にわたしはこういった自分の感じた素直な気持ちをかく人って好きなんで、この記事書いた人のような日記は好きで読みたいなーと思うほう。でまあ、わたしも思ったことをさらっと書くんだけど。
わたしはブログは日記とは違うものだと思ってる。もともとブログっていうものは自分の意見のようなものを書いて、それを誰かとトラバで議論していく場という捉え方をしていたんだけど。(もちろん、これがもともとのブログの定義とは言わないけど。わたしは詳しいわけじゃないから)
ただ、いつの頃からかはブログはイコール日記となっていったよね。
そりゃまあ、毎日、何かしらその日に見聞きしたことなどを書いて自分の感じた思いや考えを書くっていうのも日記と言えなくもないんだけどねえ。でも、ブログに書くものって結局は日記とは違ってエッセイのようなものなんじゃないかなあって。ネタとか作り話…といっては言い過ぎかもしれないけど、エッセイを進めていくための作り話し的な考えもあるわけで。なので、日記として書いているのならともかく、ブログを日記として書いていない人たちも必ずいるわけだから、すべてのブログを日記として見るのはちょっとどうかなとわたしは思う。
まあ、疑ってかかれっていうのもさびしい話ではあるんだけど、やっぱネットやるからにはもうちょっと下調べしてからやったほうがいいんじゃないかなあって。そうじゃなかったら、この人もここまで腹立つってこともなかっただろうに。

わたしはたまたま旦那さんがそういうのに詳しいというか、ネットでの心構えを指南してくれた人でもあったんで、初期の頃はともかく、今はもうすべてのことを真に受けて読むなんてことはいない。楽しければ楽しいで、嘘もネタもおもしろければいいよ派なんだよね。なかには笑えない、楽しくないネタとか嘘もあるんで、それは全力でスルー。というか、バカなことやってるよと鼻で笑う、かな。でもさ、この人みたいに腹立てることも時には必要だというのもわかってはいるんで、わたしもつまんない人間になっちまったなーとは思ってはいるんだけどさ。昔は瞬間湯沸かし器なノイズちんだったからなあ。あの頃はだいぶ某巨大掲示板で話題提供してたみたいだし。

つーか、自分の誕生日の日にサイトブログではなく、ここにまず記事投下って…なんだかなー、なんだけど。今日中にサイトのほーのブログを更新できるかどうか…ちょっと自信ない。(笑)

ある意味うらやましいその才能が(笑)

2014年06月17日 10:48

まなめっちの紹介していた、女の書く物語に面白い物がないっていう増田の記事なんだけど。まなめっちもコメントしてる通り「男性もいる。ただ、全部じゃないよ。」っていうのがほとんどの人の意見だよね。確かに女のほーがそういう傾向が多いだろうけど、そういった断定的な書き方ってやっぱ反感は買うよねえ。まあ、釣りなんだろうけど。で、わたしも釣られちゃったわけだけど。(笑)

『人と人の間にある何か以外のことが何も書かれていない。』


まあ、わたしもそういった傾向の物語書きだよなあ。だから、毎年投稿してるところでも一番はとれないんだろうってこともわかってる。ただ、増田が「そんなものは間に合ってるんだよ。」というのは、だからそれが嫌いということではないんだろう。つまり読み過ぎての食傷気味なのかな、と。それに、おもしろい、おもしろくないは人それぞれだしなあ。増田がおもしろくないと言ったものが他の誰かにとっては「おもしろい」になることは確かだろうし、そうであるからこそ、そういった内容のものだって存在して誰かが読んでるわけだしね。どっちかっつーとわたしは人と人のことだけを書いてるものが好きな傾向があるから、それ以外のものが書かれているものは「なんかつまんない」だもんな。そういった人はわたしだけじゃないから、だから増田が「おもしろくない」といっている物語だって廃れないわけで。それを欲してる人のために書かれ続けるべきだと思うし。

でまあ、そういったことは増田だってわかってると思うんだ。それなのにそういう記事書いちゃうって…なんだかなー。しかも、夢のブクマ100超えだし。(そこかっ(爆)どんだけ頑張ってもわたしにゃブクマ100超えなんかしないもんな。やっぱ釣り記事ってすごいな。釣り記事書けないわたしってどんだけ才能ないんだよ。あーあ。(--;

いやまったくほんと

2014年05月21日 22:50

まなめっちの紹介していた記事を読んだ。

わたしも毎日更新をしていた過去がある。ここだけじゃなく他にもいくつか。それでもわたしはまったく人気のあるブログにもならなかったし、ブクマも100だの200超えだのなんかしたこともない。もちろん、人気というか、多くに読まれて有名だからとか、多くのブクマを集めたからって、それがいいのだというわけじゃないんだけど、それでもね、何か書いて公開している人間のほとんどがやっぱり多くに読まれたいとかブクマたくさんほしいとかちょっとは思ったりするんだよね。そうじゃなきゃそもそもこんなふうにこんなとこで何か書いたりなんかしないわけよ。

まあ、何度も書くけど、結局は「自分が読むため」に書いてるのが一番の書く理由であり、それで、「この人の書く物おもしろい。読みたい」って誰か一人でも思ってくれたらいいかなあというので満足しなくちゃ、これからも続けて書いていくことは無理だろうな。幸いにも、わたしの書く物を読んでくれる人はまったくいないわけじゃないみたいだから、それを支えにしてこれからも無理せず書いていこっと。

本当に好きだなあ

2013年12月17日 11:00

悪女さんがいつのまにか復活してた。(笑)

今はちょっと出勤前だから時間取れないので、復活してからのログを読めないんだけど、今夜にでも読みに行こうと思う。また彼女の書いたもので自分語りが出来たらいいなあと思いつつ、こうやって音信不通だった人の書く物がまた読めるっていうのは本当に嬉しいし、それがきっかけでまたこんなふうに何か書けるっていうのもいいもんだよね。まあ、それでも、他人にとっての読みがいのあるもの書いてるわけじゃないんだけど。でも、自己満足でもいいじゃない。少なくともわたし自身はここ読み返すのが好きなんだからさ。

それにしてもやっぱり悪女さんの書く物は読みがいがある。わたしに何かを書かせる力のある文章。わたしはこういう文章がとても大好きだ。こういう文章をわたしは読みたいし、求め続けている。もっと読みたいよー。うおー。じ、時間が…(;´д`)