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体温上げようよ

2013年11月29日 22:51

平熱が35度を切るって…それは良くないと思うんだけどな。うちの旦那さんも以前は平熱が35度くらいで、やっぱり、よく体調を崩してた。体温が高い方が免疫力はあるっていうからなあ。体温が低い人は病気になりやすいわけだ。だから、健康になりたければ体温を上げるようにしたほうがいいんじゃないかと。うちの旦那さんも体温上がったおかげで、だいぶ健康になったと思うし。それにしても、普通に生活してればきっと健康でいられるんだろうけど、彼の性格ではそれも無理か。自分を極限まで追いつめるタイプだもんなあ。こっちは心配でしかたないんだけど、まあ、彼にしては「ほっといてくれ」なんだろうけどね。余計なお世話って。でもなあ、彼を大切に思う人ならば、やっぱ心配しちゃうと思うんだけどな。自分の信念貫くのもいいけど、心配してる人のことも考えてほしいんだけどなあ。なーんてこと思っちゃいました。

それにしても、点滴受けてる時の天井の写真、なんかちょっと既視感が。去年だったか一昨年だったかにわたしもあんなふうに天井を見つめてた。急激な熱のせいでパニック起こして運ばれて、点滴受けたんだよねえ。ああ、そういや、仕事場の同僚が、風邪で休んでたんだけど、この間脱水症状で病院に運び込まれて今日退院したそうな。やっぱ高熱が出たんだろうな、脱水症状ってことは。

ガクトさんももう少し自分の身体を労わってほしい、です。
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「お前だけは失いたくないのだ」

2012年10月31日 23:55

今夜は映画「陰陽師」をチラッと見たのだけど、そういや当時、日記で熱く語ったなあ、表でも裏でもって。(笑)それで、2001年の秋だったと思ったので、何日だったか忘れてたということもあり、当時の日記を前後読み返してきたのだけど……なんつーか、あの頃の自分の日記はほんっと読みごたえがあるなあと自画自賛。まあ、当時はごく一部の人にもけっこう「おもしろい」って言われてた私の日記でもあったんで、やっぱあの頃は書くことに対して意欲的だったんだよなあと懐かしい限り。今はなかなかあの頃の情熱は出てこないということもあり、私の書く物を待っててくれる人もたぶん見限ってしまった人もいたりするんだろうなあとちょっちブルーな気分でもあったり。実際、ついったーなんかでフォローを切られたりなんかして、そりゃタイムラインに何も流さないんだからしょうがない、あたりまえだと思いつつも、超ワガママな私でもあるんで、やっぱこんな私なんかについてきてくれる人なんていやしねーよなあと自虐的にもなったり、恨みがましい気持ちにもなったりして…いかんいかん、そういうことを書くつもりじゃあなかったんだった。(爆)

表の日記では、清明を完全無欠のヒーローっぽく描くわけでなく、弱点がちゃんとあり、人間くさいところがちゃんとあるという人物像として描いているというのに好感を持ったということ、具体的には清明が博雅をからかってるところとか、博雅を唯一無二の友として失いたくないと泣くところなんてーところに萌え~となったというようなことを書いたのだけど、裏の掲示板では、清明が自宅でくつろいで酒を飲んでる姿があまりにも色っぽくて、思わず鼻血ブーもんだとか、博雅が矢に打たれて死ぬところでの、今までツンとしていた彼が必死な表情で「死ぬな、博雅っ。我らはまだ会うたばかりではないか。これからではないか…俺は…俺はお前だけは失いたくないのだ」と言いつつ、泣くシーンで妄想してしまって、その手の小説を書きたくなってしまったとか、もうね、とにかく楽しー楽しー日記を書いてたわけですわ。あの頃はそんなふうにのびのびと楽しい日記を書いてたもんだ。そして、この「陰陽師」の映画のことでいろいろと思い出してしまう事や人もいたりする。チクリとするようなその思い出は、まあ、ここでは語らないのだけれど。

…まあ湿っぽい話はそこまでにして。

その少し前ではチラホラとガクトさんの話題も出てきた頃で、日記にも少しづつ彼のことを書くようになっていたんだけど、まだどっぷりと彼にハマる前でさ、書かれていることが薄いのなんのって。(笑)だってさ、まだガクトさんよりミッチーのほうがいいなんて書いてる頃だもんなあ。まあ、ガクトさんにハマっていったのも、2002年になってからだからねえ。自分でもあそこまでガクトさんにハマってしまったのも不思議っちゃ不思議だなあとは思うんだけど、今はあの頃よりはそれほどどっぷりというわけじゃない。もちろん、今でも彼を応援しているし、好きでもあるし、そして、恩人でもあると思っている。恩人っていうのは、2002年以降の私を救ってくれたということで、でもあるんだけど。

それにしても、やっぱ2001年前後の日記を読み返すと、またあんな日記を書いてみたいなあという気持ちになったりする。ただ、ああいった形の日記って書くのにけっこう時間がかかったりするんで、今の私にはちょっと無理だなあ。体調のこと考えるとほんというと今くらいの時間まで起きてるのもダメなんだよね。今日は「陰陽師」を見てしまったせいもあって、なんか書きたい気分だったからこんなふうにこんな時間に書いちゃったけど。それに、来月からは一人同居人が増えるから、ますます書きづらくなるしなあ。まあ、その時になってみないとわからないことではあるんだけどね。

「お前だけは失いたくないのだ」か…そんな思いをした人もいたなあ…あの頃の幸せな夢でも見られればいいなあと思いつつ、さて、そろそろ寝ますか。

涙は流していいから強く生きていって

2008年11月02日 09:33



Marumamekoさんからブクマで私信いただきました。(W

同感。先天性股関節脱臼で障がい者の友も、前川清氏の告白に勇気づけられていましたよ。ババアとなるのもなかなか楽しからずや、なので病気と折り合い長生きしませうw


昔の職場の先輩が「かわいいおばあさんになるのが夢なの」と言ってました。うん。確かに私もかわいいおばあさんにならなりたいよなあと思う。今なら中村玉緒さんみたいなおばあさんになるのが夢だなあ。(笑)
私も別にババアになるのが嫌だというわけじゃなく、長生きするのも元気で長生きがしたいと思ってるわけなんですよね。ただ、自分はそのために努力をしてるかといったらそうじゃないということもあり、そういった今までの不摂生のために今の私は元気に長生きができるという身体ではないということなんですわ。でも、決定的な最悪な病気にはまだ大丈夫なのかなとは思っているんで、老化による体調不良はMarumamekoさんの言うとおりで折り合いをつけて生きていくしかないわけです。

さて、↑までは昨日の朝に書いたものです。昨日の朝は体調が絶不調で、長い記事を書く元気がありませんでした。今朝もそんなに回復したというわけじゃないんですけど、昨日よりはまだ調子はいいんで気合入れて書いてこうと思います。って、別に気合いなんか入れることでもないんですけどね。ただ、これから書くことは今しか書けないことだしなあと思ってるんですよね。前回書いた記事にも微妙に関係してくることだから。前から書きたいと思ってたことでもあり、いい機会だから続けて書いちゃおうと思って。それにしても、前回、宇多田ちゃんの名前を記事で書いたことで、宇多田ちゃんの名前での検索でここに辿りついた人がたくさんいました。いやー芸能人の名前ってアクセス稼ぎには効果的だよなあと思いました。いや、別に私はアクセスを稼ぎたいと思ってるわけじゃないんですけど、でも、気楽に芸能人の名前を書けないっていうのもストレスなんで、書いていることに関係あれば書いていくだけなんですけど。それにまあ、宇多田ちゃんのような人のおかげでいろいろな勇気をもらったという話だってそんなに意味のないことじゃないと思うんですよねえ。もっとも、昨日検索で辿りついた人が、宇多田ちゃんの何を求めてここにアクセスしたかはわからないんで、「ったくもー、くだらねえこと書きやがって、このクソが」なんて悪態をついてないとも言えないんですけど、さ。(W

さて、本題いきましょか。

Marumamekoさんがブクマしてくれた私の記事なんですが、タイトルに書いたように芸能人は自分の病気を公表してほしいなと私自身は思っています。それで思い出したのが、この間亡くなられた緒形拳さんのこと、そして、同じようにガンで闘病中の作家の栗本薫さん(ここでは梓さんと書きます)のこと。緒形さんは亡くなられてしまい、梓さんはまだ生きてはいるんですけれど、これも絶対に大丈夫とはいえない状況ではある。梓さんは何年も前からサイトで日記を公開し続けていて、日記では日々の自分の体調のことを包み隠さず書いてました。だから、彼女の具合はファンであればみんなよく知っているわけです。そして、その逆が緒形さん。話に聞けば彼はご自分の病気を周囲に漏らすなと言っていたそうで、彼のファンのほとんどが彼の病状は知らなかったんじゃないでしょうか。その彼の配慮は、ファンに対する優しさからくるものなんでしょうけれど。

私はここでその優しさについて自分の思うところを語ってみたいと思うのです。この優しさということへの私の考えというものは、ガクトさんへの手紙に書いたことでもあります。少なからず緒形さんとはガクトさんも関わりがあるということで、芸能人のファンに対する優しさって何だろうということを私なりの意見として書いてガクトさんに送りました。メールではなく紙媒体の方法で。それに書いた内容を改めて書いてみようかなと。緒形さんも梓さんも、そしてガクトさんも多くのファンを持つという点で、ファンに対する優しさとはどういう優しさを持つべきかということをそれぞれが持っていたと思うんですが、ガクトさんが自分のファンに対する優しさをどう考えているかは私にはわかりません。緒形さんも梓さんも、別に「これが私のファンに対する優しさだ」とは明言はしてなかったと思うので、私がそうじゃないかと思うだけなんで、完全に私の想像で語ることではあるんですけれど。こんなふうに思ったということを書き残しておきたいなと思ったんで、よろしければどうぞお付き合いくださいな。


緒形さんは肝臓ガンだったみたいですが、梓さんはすい臓がんです。彼女は以前にも乳がんをやっており、その時も事細かにそのことを書いた本を出していますが、今回もまたこと細かに書いた本を出したわけです。それが「ガン病棟のピーターラビット」です。とにかく、自分の体験したことは書いて誰かに読んでもらいたいという欲求の強い方なのですが、緒形さんはその逆だったようですよね。自分がガンであることは絶対に他人には聞かせるなと聞きましたので、恐らく、同情もされたくないし、心配もさせたくないという、他人に対して細やかな優しさを緒形さんは持っていたと私は思いました。けれど、私は、病気であることを自分を知っているファンには包み隠さず言うのが本当の優しさなのではないかと、梓さんの「ガン病棟のピーターラビット」を読んで思ったのですよ。もちろん、緒形さんの優しさを否定するわけではありません。それもまた優しさの一つであると私も思いますが、でも、私にとっては緒形さんの優しさはただの自己満足ではないかという思いがどうしても拭い去れません。

それはなぜか。

緒形さんの優しさの場合、緒形さんと親しくしてもらっている人々にとって、彼が突然このように死んだ場合に相当なショックを受けると思うのですよ。病気をしているわけでもない、たとえば不慮の事故で死んでしまった場合はもうしかたないですが、自分が不治の病であり、明日をも知れぬ命であるとわかっていれば、それを人々に教えることで人々に「覚悟」をさせることができるのではないかと思うのです。現に、私は梓さんが、ガンでもう長くはないかもしれないと聞いた時は確かにショックでしたが、でも、まだ今は生きています。確かに彼女も明日をも知れぬ命ではあるんですが、もしかしたら生き延びてくれるかもしれない、と、そう思うことで、その時がいつかはわからないけれど、その時まで執筆し続け、頑張ると言ってくれる彼女を悲しませたくない、支えたいと、そう思えるようになりました。だから、たとえ、志半ばで彼女が死んでしまったとしても、「そうか、やっぱり、その時が来てしまったのか」と、嘆き悲しむことはないのではないかと思ったのです。

私は、できればガクトさんにも、そういった生き方をしてもらいたいなと思いました。なるべくならガクトさんを慕う人々にショックを与えない最期であってほしい、と。そのためにはどうすればいいか、それを考えるのが有名人には大切なことなのではないかなあ、と。自分が死んだことで、誰かが後追い自殺をしてしまうようなことは決してあってはならないと、有名人の人たちだって思っていると思うのです。

私はガクトさんへの手紙にこう書きました。

「私は、あなたがたとえ私より先にいなくなったとしても、あなたの分も強く生きていきたいと思えるようになりたいのです。それはあなたを愛する人たちすべてにそういう生き方をして欲しいと思う。それはきっとあなたもそう願っていることなんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。」

ガクトさんもきっと同じ気持ちだと思う。だって、この歌があるから。マイスペースのガクトさんのプロフで流れている「Road」でこんな言葉が出てくるから。

もし僕が先に消えてしまっても
風になって君を守り続けてゆくから

涙は流さないで
優しく微笑んでいて



そうはいっても、本当にガクトさん、あなたが死んでしまったら私は泣くでしょうね。泣かないわけがないです。あなたが緒形さんの追悼番組で見せた一筋の涙は、どんな言葉でも語りつくせないほどにあなたの心情を物語っていました。嘆き悲しむよりももっと、先立たれる残された者の心の痛みが感じられた。だけど、嘆いてばかりはいられないわけです。今、あなたは全国ツアーに向けて着々と準備を進めているわけで、きっと、緒形さんもその成功を願っているはずですから。

きっと、空の上から見詰めていますよ、あなたのことを。優しく微笑んで。主君を見守る宇佐美のように。

気楽にブログやっていくためにも

2008年06月02日 15:07



ここからはリンクしないけれど、今日からライブドアでは書かないんじゃないかなあと思って、あちらからこちらのリンクをはることにしました。


がくふら繋がりの皆様こんにちわ、ここではノイズといいます、よろしく。(笑)


とはいっても、こちらもライブドアと同様、頻繁な更新があるとは保証できません。ただ、けっこうな過去ログがあるので、ご興味ございます方はごゆるりと読んでやってください。ただ、コメントはつけられないのであしからず。とはいっても、以前もらったコメントを表示させるために閉じる前にもらったコメントの記事には今でもコメントがつけられるようです。そのせいでスパムコメントを書き込まれてしまうこともあり、コメントつけられても即表示ができないようになってます。だから、スパム以外でコメントもらっても確認せずにほったらかしになってしまうことでしょう。だから、確実に何か私に伝えたいと思うことがあれば、メールフォームからお願いします。まあ、そういう人もいないでしょうけれど、一応のアナウンスです。


思えば、がくふらが一ヶ月更新になってからだいぶ経ちます。書きたいことがないわけじゃなかったけれど、昔のように脊髄反射でガクトさんについて語るってことがなかなかできないでいました。別に非難されること恐れてとかそういうことでもないんですけどね。ただ、がくふらで書くものは、だんだんと人の目を気にして書くようになっていったようです。つまり、自分でも納得し、他人にも納得してもらえるような意気込みのある完成されたものを書こうと思うようになっていたようで、チラシの裏に書くような気楽な感じで書くということができなくなっていたようですね。だから、書こうとするととても時間かけてしまって、いざ書こうとしても気力が出てこないわけです。別にくだらないツブヤキでも書けばよかったんでしょうけれどねえ。でまあ、そういうこともあって、こちらでは気楽にガクトさん関連のことを語ってはいました。ただ、最近ではここに書くような気楽な気持ちでも、なかなか書こうという気持ちになれなくなってました。その理由のひとつをちょっと語らせてください。


少し前のことですが「あなたは本当にガクトが好きなんだろうか?」と、ある人から言われたことがあります。つまり、私からは他のガクトファンのようにガクトさんに対する愛情が感じられないということでした。ガクトさんを好きな自分が好きなだけなんじゃないか、と。で、私が書くガクトさんのことは、どうも「書いている言葉と、気持ちの向きが違っているのではないか」と感じられたそうなんです。まあ、その人がそう感じたのなら、私はそれを強く否定する自信はないので、そう感じられてしまってもしかたないかもしれないと思うと同時に、たぶん、この人だけじゃなく、他の人もそう感じている人もきっといるんだろうなあと思ってしまいました。ただ、思うに、当時こう言われた時の私は、やはり自分の好きという気持ちを否定されたと思って、かなり凹んだんですけれど、考えたら、他人はどうあれ、一番ガクトさんに対する気持ちを否定されるのが怖いのはガクトさん本人に他ならないなと思ったんですよね。つまり、誰が「あんたはガクトさんを本当は好きなんじゃない」と言ったとしても、ガクトさん本人が私の「ガクトさんを好き」という気持ちを「君は僕を本当は好きではないんだ」と言って否定しない限りは堂々としてればいいんじゃないかって。もっとも、今まで書いてきたガクトさん関連のものを読んで、ガクトさん自身がどう思っているかを知ることはなかなか難しいとは思います。そりゃまあ、メールなどで質問するということもできないわけじゃないんですけど、本当にその答えが返ってくるかはわからないわけです。返ってこないが当たり前だと思うし。また、本当に返ってきても果たしていいことなのかどうかもわかりません。返ってきたことをこんなふうにウェブ上で書いていいものかどうかもわかりませんしね。だから、まあ、結局は、他人が否定してきたとしても、好きなように語っていけばいいんでしょうけれど。なんだかんだいっても、書いちゃうのが私という人間ですから。


でまあ、私のガクトさんに対する気持ちを否定した人は、私がガクトさんの名前を出してはいても、結局は自分のことしか語っていないと言っていたわけですが、それは確かに私も否定しません。というか、それはもうしかたないことじゃないかなあと思うんですよ。私は大した才能がなくても、それでも自分を創作者であると思っているところがあるので、自分の創作心をガクトさんという存在で刺激されていることもわかってるつもりです。まあいわば、がくふらで書いているものや公で書いているすべてのガクトさん関連の書き物は小説と同じような創作物の一種だと思ってもらってもいいわけです。つまり、それこそ「こんなん出ましたけど~」の世界ですよ。でも、だからといって、好きという気持ちは否定されたくない。というか、そもそも対象が好きじゃなかったら、創作もできませんからねえ。わざわざ嫌いなもので創作なんてしませんから。ただ、そういった屈折した愛情は普通のファンの人とは違ってはいるという意識はちゃんと持ってます。そういうこともあり、私は他のファンの人とはなかなか一緒に語り合うということはできないなあとは思ってますから。でも、誓って、私の気持ちが上だとか思ってませんし、下だとも思ってませんけれど。だから、やはり「書いている言葉と、気持ちの向きが違っているのではないか」と言われてもね、納得できませんでしたよ、はい。頭の悪い私にもどうしてそう思うのかをキッチリわかりやすく説明してもらいたいものです…とは言うものの、たぶん相手もはっきり説明できるわけじゃないかもしれない。ただ何となくそう感じただけなのかもしれないし。だから、当時はむかつくコメントもらったというだけで頭に血が上ってしまってはいたけれど、今では「そう感じる人がいてもしょうがないか」と、やっとのことで「どうでもいいや、そう思うならご勝手に」と思えるようになりました。とまあ、そういった自分の気持ちの移り変わりをこうやって書くことで、相手の人へ抱いていたネガティヴな気持ちを打ち切りにしたいなと思ったわけです。ごめんなさいね、どうでもいいような過去のことをグダグダ書いてしまって。(^^;


これからも、そんなにガシガシとガクトさん関連で何かを書くということはないかもしれません。コミュニティサイトでは会員登録すればガクトさんの画像つきでブログとか書けますが、私は登録ができない身の上でもあるんで、今は、マイスペースでガクトさんとフレンドとなったことでもありますし、もし、何かガクトさんに読んでもらいたいものができたら、マイスペースで書くかもしれません。つまりは、私が書くガクトさん関連の書き物っていうのは、ガクトさんをモデルにして書いている小説以外の書き物はガクトさん本人と私自身が読めればいいと私は思っているのかもしれないと何となく思ったんで。まあ、そうは言っても、それだったら手紙とかメールとかでいいじゃんと私自身も思うんですが、どうしても私って、こんなふうに日記風に書きたいという気持ちがあるんですよねえ。以前、中島さん(作家の栗本薫さんのことですが)へ毎日のように送っていた手紙も、結局は今ではウェブ上で公開してます。それは誰かに読んでもらいたいという気持ちもまったくないではないんですけれど、基本はやっぱり「自分が一番読みたいという形がこういう書き方だった」ということなんですよ。だから、そんなふうに公開して日記を書いている理由でもあるんですよね。一番の読者は私自身であり、そして、興味を持ってくれた人が読んでくれたら嬉しいかなあという。そんな感じなんですよね。


でもまあ、そんなこんなで、いろいろどうすればいいのかまだ迷っているところがありますが、一つ言えるとしたら、ライブドアではもう書かないだろうなということ。そして、たぶん、ここでももう書かないだろうなということでしょうね。まあ、それでも絶対にそうだとも言えないです。とくに、ここノイズの場所は、過去に何度も止めると言っては再開したりしてたんで、もう誰も私の言うことは信用してくれないかもしれないし。でもまあ、いいじゃない。ブログなんて好きにやってけば、という気持ちもないではないです。削除しない限りは、気分でまた書きたいなとなっとなったら書くことになるかもしれないし。ただ、もう自分から削除はしたくないという気持ちだけは確かなことなんで、ライブドアもココも削除はせず、そのまま公開し続けますです。あ、それと、考えてみたらFC2のブログって一ヶ月以上記事を書かないと、トップに広告の記事が挿入されちゃうんですよね。それはちょっとイヤだなあと思うんで、何か一言でもツブヤキを入れるだろうとは思います。


こんなフラフラしてる私ですが、これからもひとつよろしくお願いします。(って、何度同じこと言ってんだかですよねえ)

いつかはそういう気持ちになってもらいたい

2007年04月13日 10:38

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千住明の言葉

2007年02月13日 11:59

「作曲という仕事は、人の感情に忍び込む危険なものです。聴く人を悲しませたり、泣かせたりするばかりか、ときには残酷なものさえ提示してしまいます。音楽家は何をしているのかをよく考えなければなりません」

それでいいと思うよ

2007年02月10日 08:18

支えてもらうばっかりで。 - こんな世界のはしっこで・・・


ここではGという伏せ名で書いてはいるけれど、誰のことかわかるとは思う。(笑)
そのGって人気もあるしその発言を見れば本当に俺様で、よく知らない人からすれば「強く美しく言いたいことはハッキリと相手を不快にさせても言うような人間」というふうに見ている人もいるかと思う。そういう態度でいられるのも、一人で立っているからなんだというふうにも取れなくもない。けれど、実際の彼は一人では立てない人間だ。ついてこれるやつだけついてこいと他人を突き放してはいるけれど、実際についてこなかった場合に何でもないような顔をしているけれど心では深く傷付いている、と私は見ている。でも、それはきっと違わないと思う。それを匂わせるような発言も聞いたことあるしね。


そういうことに気が付いたとき、私は、誰も一人で立てる人はいないんだなあと、そう思ったんだ。


けれど、それが悪いってわけじゃない。ただし、それに甘えてはダメなんだ。一人で立てないのは事実ではあるけれど、一人で立とうとするその精神が大事なんじゃないかって。
Gはそれをわかってて、だから、一人で立つよう強くイメージをして「其処に立っている」んだと私は思った。そして、それを陰で支えてくれるのがファミリーであり、その延長線にいるファンたちなんだって。だから彼はファミリーをとても大事にしている。自分をこうやって立たせてくれる人たちだから、いつも感謝の気持ちを持ってる。彼に出逢った人たちはみんな言う「とても律儀で真面目な人」だってね。とても俺様発言をするようなそんな人じゃないみたいだよ。


それよりも、なにより、未熟な自分という奴をなんとかしていくのが先決のように思えていて、せめて、自分が支えてもらう部分を減らしていこうとはしているつもりだ。


自分が弱いこと、未熟なことに、変に引け目を感じている部分があるのかもしれないけど、一方でどこかでそれを盾に、誰かに甘えていたりしないだろうか…。


そういう意味でも、一人でも立って歩いていけるようになりたいと思っている。



それでいいと思う。まさにGもそんな気持ちでやってきて、今の彼がいるんだと思うから。だから、あなたは間違っちゃいない。それでいいと私は思う。

彼の顔

2006年03月07日 07:55

Gのような顔になりたいって?
彼のような顔になったからって幸せになれるとは思えないし、モテることはモテるだろうけど、顔だけでモテても虚しいだけだよ。それに、いくら顔がよくてもモテるとは限らないし。
現に彼はその顔でも手に入れたいと思った女を手に入れられなかったわけだし。
若いよなあ。彼のような顔になりたいだなんて。
あんな顔になりたいと思ったら、別にいくらでもなれるだろうに。
ただ、彼のような考えを持つには強い精神力が必要だし、その精神力をつけるには「なりたいよなあ」と漠然と思っているだけじゃダメなんだよね。
それにしても、彼のどこが謎なんだか。謎でも何でもないと思うけどな。
彼は「彼」を演じてるだけなのに。
まあ、幻想を見続けたいという気持ちはわからないではないけれど。私もその一人だし。



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