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君の幸せを祈っていた

2008年12月23日 22:38

「今はとても幸せなんだろうな」と彼が思うようになって、とても感慨深く思った。彼のメルマガを以前読んでいて、いつだったか危ない時もあった。その時、いつか彼に幸せが訪れますようにと心から祈った。あれからだいぶ経つ。ここまで来たんだ。本当によかった。心からそう思う。ここを彼が見るかどうかはわからないけれど、もし見たとしても、コメントつけない私を不快に思うかもしれない。けれど、私にはもうコメントを残す気力がない。ごめんなさい。
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派遣について言っとこうかね

2008年12月18日 23:20



派遣社員切りの話題で世間は賑々しくなっているようですが、ええ、うちの旦那さんも以前は派遣社員でした。今でも忘れた頃に登録していた派遣会社から電話きますよ「どうですかお仕事は」って。別に電話してくれなくても、仕事がなくなったらまた連絡しますよ、ったく、人が寝てる時間に電話してくんなよって思うんですが。まあ、昼夜関係ない仕事をしていて、昼間に寝てるとは知らないでしょうから、そんなこと思うのも酷なことなんですが。でも、やっぱり電話してくんなってどうしても思っちまいやす。もっとも、以前やってた派遣の仕事も、夜勤のある仕事でもあったんですけどさ。


今昔の日記を読み返してきたところなんですけど、旦那はとあるホームセンターに20歳かそこらで定職として勤め出したんですけど、それも私という女をゲットするためだったということです。私が当時、日曜祭日関係ない仕事をしていて、その休みにあわせるためにと勤めた仕事だったらしいんですが、もし私に振られたとしても、転勤願いを出して遠くに行くこともできるという考えのもとで勤めた会社だったらしい。でもまあ、うまい具合に私と付き合うことになって、それで他の友達たちとはなかなか休みが一緒になれなかったんですけど、私と旦那はお休みが一緒ということで、いつも一緒に行動してました。そんな会社でしたけれど、2003年5月に退職。理由はふたつ。会社の方針についていけなくなったことと、その当時辞職すれば、まとまった退職金が出るからということでした。おかげで、2001年に亡くなった舅のお墓を建立することができました。けれど、それからなかなか仕事が見つからなかったんですよね。私としては3ヶ月くらいで見つけてくれるかなあと思ってたんですが、半年くらいはかかったような気がする。というか、確認しようにも2003年は8月から11月までの4ヶ月間をウィルスのせいでログを消失してしまったんですよ。でも12月にはパン屋さんにすでに勤めていたというような記述があったんで、その4ヶ月間の間に再就職したはずなんです。けどまあ、そこもすぐに辞めてしまいました。とにかくあまりにも仕事がキツクて。当時、旦那が考えた物語に自分がやってる移動パン屋さんの話でも出てきた話ですが、とにかく雪山なんかも当たり前でパンを売って回るっていうので、崖から落ちてしまいそうになることもあったりして、私としてはもっと別の仕事についてほしいと思ってました。でまあ、体力的にも精神的にもやっていけないとなり、そこもすぐに辞めたわけです。といっても、日記を確認してみたら翌年の7月に辞めてたんで、一年近くはパン屋さんで仕事してたってことですよねえ。それから一ヵ月後に決まった仕事が派遣会社の仕事だったんですよね。それから2007年5月まで派遣社員として働いてたわけです。約3年でしたか。本当は派遣じゃなくちゃんとした正社員の仕事がよかったんですけど、正社員って給料安いんですよね。たくわえがあって、それで何とか補いながらやっていくか、妻が同じような正社員としてバリバリ働くかでもしないとやっていけないと思う、あんな給金では。ただ、派遣と違って福利厚生が整ってるからマシだし、やっぱ正社員っていきなり解雇ってこともないだろうしなあというのもある。もちろん、今のご時世じゃ、それも危ういんですけど。だってさ、旦那が正社員として勤めていたホームセンターだって、結局は正社員切りをやってたようなもんだもん。旦那はしがみつかずにサッサと見切りつけて辞めたわけだし。
派遣って、手っ取り早く稼ぐにはいい職種だと思う。始めたその時から20万前後はちゃんといただけるわけだしね。ただ、生活していくには困らなくても、貯金するには苦しい。ボーナスとかがあればそれを貯蓄にっていうこともできるんだろうけど、派遣にはそういうもんないし。家族とか持ってなければ、けっこう何とか貯めていくことはできるかもしれないとは思った。いかんせん旦那の場合は高校にもなるような息子にマトモに稼いでいるとはいえない妻を抱えているわけですから、なかなか貯金はできませんでしたよねえ。


でまあ、2007年、その派遣を辞めたというより解雇されて辞めざるを得なかったわけです。もうそんな頃から派遣切りは始まってたわけですよ。はい。まあ、旦那は幸いにも親族のおかげで新しい職場を見つけることができたんですけどね。しかも正社員です。ただ、かなり仕事はキツイと思います。それでも派遣の時と同じくらいか、それ以上の給料はいただけてます。いかにキツイ仕事かわかるってもんでしょう。けれど、それでもガンガンに辞めていく人いますから。旦那曰く「守るものがないもんはダメだな」とのことです。やっぱ、自分のように養っていく家族がいる人は根性すわってて、仕事も辞めるってことはないようです。だから、根性なしな一人もんの若者がすぐに辞めてしまうようですよ。まあ、幸いにも、仕事はキツイようですが、昔のようなストレスありまくりの接客業とは違って、今の仕事は旦那には合ってるようです。でもねえ、それでも妻としては心配ですよ。派遣の時の夜勤とかあってキツイとはいえ、製造業でしたから事故っていうのもそんなに心配はしてなくて、帰りの車の事故が心配ではあったというくらいでしたけれど。今の仕事はモロ事故に遭ってしまう確立は高いだろうし。旦那の運転の腕は確かで、信じていてもね、巻き添え食ってしまうってこともあるだろうし。でもまあ、今の仕事についてから1年と半年過ぎました。ほんと少しづつではありますけれど、金銭的にも余裕が出てきました。やっぱり福利厚生があるっていうのはいいもんです。

私には闘えないかもしれない

2008年12月06日 08:13



2日の彼女の日記を読んだ。この一年、ずっと体調悪かったんだろうと思う。そりゃあたりまえだ。ガンなんだから。基本が体調悪い状態で、それを基本にして今日は多少いい、今日はずいぶんと悪いっていう毎日だったんだろう。それこそ毎日毎日この一年間。舅もそうだった。毎日そんな調子だったんだ。で、彼女が「体が、癌でくたばるか抗ガン剤でやられてしまうかのどっちかになってしまうんじゃないかと思う」と言ってるが、舅はその前に神経がやられてしまったわけだ。彼女だってそういう恐れはないとは言えないだろうけれど、勝手に想像するに、神経がやられてしまうっていうのは彼女にはないかもしれない。それよりも彼女には気にかかることがたくさんあるような気がするから。

昨夜は夢に彼女が出てきた。私は彼女に対していろいろ迷惑かけたと勝手に思っているわけで、それもあって彼女には嫌われているんじゃないかとまたしても勝手にそう思っている。まあ、そんなことを思うこともとんでもなく不遜なことなのかもしれないんだけど。別に親しくしていたわけじゃないし、彼女にとっては私は多くの読者の一人というだけに過ぎない。どちらさんでしたっけと言われるだろう、そういう人間が、嫌われただのなんだの言うのもおこがしまいわけだけど、それでもこっちはどうしてもそういう気持ちが拭えないわけだ。だからあんな夢を見る。彼女は夢でやさしかった。まるで友人に話しかけるように気さくに話しかけてくれた。私は嬉しかった。嬉しくて、起きてから泣いてしまった。あんな夢見るなんて、なんだか胸騒ぎがしてしまって、縁起でもないことまで考えてしまって、それで彼女の日記を読みにいった。ちゃんと更新されてた。よかった。けれど、読んでいくうちにまた涙出てきた。

彼女は、このあと何年続くのかわからない、と言い、それにめげるとも書いていて、さらに、いずれは抗がん剤でもどうにもならなくなる時がくるんだろうとも書いていた。それでも彼女は待ってくれている人たちのために、一冊でも多く書いてくれるんだろう。その瞬間まで。果たして、自分がそんな立場になったら、できるだろうか、そんなことが。私にはダメかもしれない。ちょっと体調が悪くなっても大騒ぎして、もうダメだ、こんなにつらいのならいっそ死んだ方がマシだなんてわめくような私に、そんな闘いができるわけがない。私には闘えない。自分のことしか考えてない私には。きっと、誰が悲しもうとも、私はとっとと自分で自分に幕を閉じてしまうんじゃないだろうか。わからないけど。その時になってみないとわからないけれど。でも、そんな気がする。

救われたかどうかなんだよ

2008年11月27日 08:55



ネットでは誰も真実なんて書かないという言葉を見つけてきた。へーそうなんだ?「誰も」なんだ。へーへーへー、悪いけど真実書いちゃってますけど。ええ、ネットでの私の発言のほうがリアルでの私の発言よか何十倍も真実ばっか喋くりまくってますけど。(W

もちろん、炎上しそうな真実は、リアルの私だと特定されないところで、ですけどね。そりゃ当然でしょう。そうしないのはたんなる「バカ」だもの。まあ、昔の私はその「バカ」でしたけどね。リアルに直結するような場所で、本音書きまくってましたから、まあ、その一部の本音は、リアルで言えない自分が何とか相手に自分がこう思ってるのだということを知ってもらいたいからあえてその場所で書いていたというものではあったんですけれど。で、思わぬ発言で炎上してしまったというのが炎上の顛末。まあ炎上なんていつもそういうことで燃え上がっちまうんでしょうけどさ。

ネットで真実を信じてもらいたくて声高に訴えたことも過去になかったわけじゃない。私はそういうつもりで言ったわけじゃないことを誤解されてしまって、その誤解を解きたくて相手に言葉をかけ続けたけれど、結局は信じてもらえなくて、すごく悔しい思いをしたこともあったし。だから、確かにネットで真実を言っても信じてもらえないんだっていうのはわかる。でも、だからって真実なんて書かないよっていうのは違うんじゃないかな。私はたとえ信じてもらえなくても真実を書き続ける。自分の素直な気持ちを。私はこう思ってるんだよって書き続ける。たとえそれを誤解されても、そういうもんだって思いながら、それでも誰か一人は信じてくれるかもって信じたいから。

以前「あなたを信じていいですか」と言われて、私はそれに「信じてって言う人のことは信じないほうがいいですよ。だから、あなたも私のことは信じなくてもいいです。でも、私の書く物を少しでも好ましく思ってくれるのなら、これからもよろしく」とレスしたことがある。そう、信じてくれなくてもいい。でも、なんか好きだなこの人って思ってくれるなら、そのあなた自身の気持ちだけは信じてあげてほしいなと、本当に心からそう思う。そのためには、私は真実を書き続けるよ。整合性のために多少の脚色はするにしても、私はいつも真実しか書いていない。というか、たとえ書かれているものが真実じゃなかったとしても、私はきっと気にしない。要は、書かれているもので救われたかどうかなんだもんな。書かれたものがどんなものだろうと、その人が強く生きていけるというのなら、それはもう真実の言葉なんじゃないかと思うんだけどねえ。

価値のないブログなので好きに書かせてもらいました

2008年11月27日 08:32



私のブログは他人にとっては価値のないブログだと思っている。そりゃ、私の書く物が好きだと言ってくれる人は価値があると思ってくれているだろうけど、果たしてそうだろうか、本当にその人にとって価値があるとなってるだろうか。それはわからない。価値があるよって言ってくれる人は一人か二人しかいないからな。他の無言の人々については「これこれこういうことで私にとっては価値があるんです」って言ってもらわない限りは私は何も信じない。って、言われても信じるかどうかもわからないけど。これはもうね、自己中の極みなんだけど、わたしの価値観というものと他人の価値観がズレているからなんだろうなと思わないでもない。もっとも、本当にズレてるかどうかなんてみんなに「どうよ?」と聞いてみたわけじゃないんでわかんないんだけど。

私が他人の書いたもので価値があると思うものは「いかに私に何かを書かせるか」に尽きる。今、ある人の書いたものでこんなふうに脊髄反射で何かを書かせてもらってるわけなんだけど、まさにこれを書かせた記事は私にとっては価値のあるものだ。そういう私に何かを書かせる力があるものを書いている人は私にとって価値のある存在だ。その人が気に食わない人であってもね。(爆)何も価値あるものを書いてくれるからといって、だからその人が「好き」というわけでもない。それは私だけじゃなく、他の人もそうだろう。けど、価値あるものを提供してくれるから好きにはなりやすいとは思う。私なんかはけっこうそういうことが多いから。その中でも最たる存在が有名人で現在二人いるけど(バレバレやな)、私がその人たちを好きで執着するのも、価値あるものを提供してくれるからだけじゃなく、その人の考えや思想が私にとってしっくりくるものだからなんだよね。そして、何より私の背中を押し続ける人たちということで。まあ、書かせるということだけでなく、その存在で何かを頑張れる、ちゃんと行動できるっていうのが私にとって価値のあるということなんだろうな。もちろん、何も書くことがなくても、読んでるだけでほんわかいい気分になれるとか、安らげるっていうのにも価値はないわけじゃないけれど、だけど、やっぱり私は何かを書きたい人だから、どうしても価値が上がる存在っていうのは「私に何かを書かせる」ってことなんだよなあ。

まあ、ありがたいことに、ノイズのブログでも他のいくつかのブログでも、脊髄反射的に閉鎖してしまおうとして、それで「待った」をかけてくれた人とかがいたんで、少ないながらでも私の書く物に価値を見出してくれている人はいるみたいだなあとは知れた。その価値が、私の考える価値とは違うのかもしれないけれど。他人の考えを尊重するのなら、そういった価値観も認めなくてはならない。けど、私はワガママだ。やっぱ、私と似たような価値観を持ってる人と仲良くしたいなあとも思う。でもそれはなかなか難しい。つまり、私の書く物で思わず「こんなん出ましたけど~」と何かを書いてくれる人、そういう人がまったく私にはいないということにかなりの絶望感を抱いてしまったということ。私には他人に何かを書かせる力はないんだという事実。私は誰の背中も押すことはないんだという、そういうことを幾度となく思い知らされることに絶望してしまった。

確かに、私のコミュニケーションのしかたは特殊だ。それについてこれる人なんてそうそういない。昔はそれでも何人かそういったコミュニケーションを取れる人もいたけれど、そういう人はなかなか群れるということを嫌う人たちで、結局はみんなどこかに消え去ってしまった。さて、私もそろそろひとつに絞らなくてはならないかなあと思っている。これでまた何人かを切り捨てることにも繋がるんだろうけれど、それはもうしょうがない。私もまた進化し続けなければならないからね。

すべてはプラスとマイナス両方で成り立ってるんだよ

2008年11月26日 11:22



人が人を嫌いになる気持ちっていうのがわからないと言っていた人がいた。でも、その代わりに好きという気持ちにもそれほど執着がなくて、どうやら自分のことを嫌いみたいだと思ったら、「あ、そうなんだ」と手放せる、どうでもいい存在に片付けることができるということで、自分って情熱がないというか、冷たい人間なんじゃないかなあと、そんなふうに言っている人がいて、私はその人のことが好きだったもんだから、なんか執着し過ぎる自分を否定されたような気分に勝手になったことがあった。まあ、考えてみれば、私は執着してしまう人間であることは動かしがたい事実であり、それはもうどうしようもない。ただ、執着してしまうわけだから、否定されてもどうしても好きという気持ちはなくせないわけで、それで葛藤しちゃう、苦しんじゃうっていうことなんだけど、本当にそれが死ぬほど嫌だってんなら、何とかして変わろうとするんだろうから、変われない自分は、けっこうこの自分を気に入ってんだろうなとも思う。逆に、執着しない自分を冷たい人間なんだと思っている人だって、執着しないことを心の底から嫌だと思ってるわけじゃないんだろうな。

執着することは確かにマイナスなことが多いけれど、何事においてもプラスだけしかないっていうのは私は信じてないわけで。もちろん、執着しないことにだってマイナスはあると思う。だから、結局は、自分はどう生きたいかってだけなんだろうね。私は執着のない人生を歩いている人にだって「好きだなあ」っていう人はいるし、自分と似たような執着で苦しんでる人にも好きな人はいる。だから、きっと執着しない人でも、私のような執着し過ぎる人を好きになってくれる人もいるかもしれない。それを信じるようにすれば、私を嫌いな人もいるかもしれないけれど、現在進行形で「あ、この人好きかも」って、こんな駄文を書き散らしている私に対して思ってくれる人がいるかもしれないって信じられるかもね。

執着。まあ、旦那や息子との平穏な生活が執着のひとつではあるんだけど、それ以外にもガクトさんに執着することで、私はそれをうまく創作活動に生かしているんじゃないかなとも思ってる。まあ、こういう言い方をすると、またしても「それは本当に好きってわけじゃない」なんて言う人も出てくるかもしれないけれど、要は、ちゃんと生きていけるかどうかなんだよね。ガクトさんは自分という存在がその人の背中を押せるようになりたいっていうようなこと言ってたから、まず間違いなく、私はガクトさんのおかげでいろいろなことを頑張れたんで、私のこの執着も捨てたもんじゃないよなあなんて自画自賛してたりするわけだ。あと一話。もうすぐ書きあがる、私のガクトさんへの「LoveLetter」当時、あのアルバムの発売をドリームこいて勝手に私への挑戦状だと日記に書いてからだいぶ経ったけど、キッチリ見せるよ、女の意地を。待ってろ、ガクトさん。おおー強気発言出たー。ケリ入れられたりしてね!(爆)

それってんまいの?

2008年11月21日 10:28



ここのブログに限らず、他で運営していたブログでも、そんな「ハレの日」なんてなかったけどなあ。少ないながらもどこかに取り上げられたり、えっけんさんにブクマされたり(爆)、そういうことあったことはあるけど、とんでもない数のアクセスなんて経験なかったし。どれくらいのアクセスだったら「ハレ」となるんだろうねえ。たぶん、昔、サイトで炎上しかけた時のアクセスはすごかったんだろうけど、アクセス解析なんてもんついてなかったんで、どれくらいの集客だったのかはわからないし。まあ、一番今まででアクセスがすごいなあと思ってビビッたのがじゅげむのブログだったか。ただ、あれもね、解析見てもいまいちよくわかんなかったんだよね。あの時よりここで書いてるもののほうが断然自分としてはおもしろいって思ってるんだけどねえ。イタイもの書いてることではどっちもどっちではあるんだけどさ。


なんか前に梓さんが「ハレ」と「ケ」の話を日記で書いてた気がする。たぶん、私の過去の日記をガサゴソすれば見つかるんだろうけど、確かに「ケ」があるからこそ「ハレ」が価値あるものとして感じられることはあるんだけど、私は思った、別に「ケ」が続いてて「ハレ」がきたしても、それが書くことへの張りにはならないかなあって。いやまあ、まったくないとは思わないけどさ。その「ハレ」っていうのがどういった「ハレ」かが私には問題だから。ただのアクセスの過多が「ハレ」には私にはならないからだと思う。私にとっての「ハレ」は、たとえばその人一人に向けて書いたものが、ちゃんとその人に届いてて、その人が絶妙な反応をしてくれた時。そういうのを何度か経験するとね、もうね、それ以外のことは「ハレ」じゃなくなるんだよな。それにしても「ハレ」って言葉、なんか「んまそー」と思った。なんか、んまそーなアップルパイをもらったような気がするんだ。くれくれ「ハレ」って感じ?(W

ウソツキ!

2008年11月21日 09:26



はてなの増田には私もいくつか記事を投下したことがある。別に注目されたいからという理由ではなく、どこにも投下できない話題をぶちまけたいという気持ちからだったんだけど、それでもやっぱりちょっぴり誰か反応してくれないかなあなんてーことは思ってた。でも、やっばりダメだったね。やっぱ私にゃ文才はないわー。いくつかは反応があったりしたものもあったけど、大した数じゃないし。自分語りに至っては、目もあてられないほどのスルーのされ方。長文・自分語りですごい数のブクマついてる人を見ては、なんか悔しいよなあ、やっぱ私の長文なんてダメなんだしって思って自信喪失だったし。増田で多くのブクマや反応を集める人ってーのは、別にそんなとこに書かなくたってID晒して書いたって多くの読者は獲得できると思うよ。増田以外ではダメだったのに増田で書いたら注目されたーなんて言ってる人がいたとしてもあたしゃ信じないね。ウソツキって言ってやる。ウソツキ!ぷんすか!

本日のグチたれ

2008年11月20日 11:00



私の知り合いが前に自分のブログに、mixiやってる人がmixiで書いたことをブログに書くのが不愉快っていうようなことを書いていたことがある。私もそうだよなあと思ったものだった。けれど、そのすぐ後に私もmixiをはじめたわけで、そういった声もあるだろうということもあり、私は自分がmixiやってるってことは積極的には言わないでおこうと思った。名前を変えてやってたわけじゃないんで、探せばすぐに見つかることもあり、隠してやってたというわけじゃない。だから、同じくmixiやってるとは言ってたなかったある人が私のプロフをたまたま検索したら出てきたってことでマイミク申請してきたんでマイミクにもなったしね。ただ、私のmixiはマイミク限定での日記公開だった。それは個人情報が満載だったからというのもある。まあ、そんなこと言っても、私は自分の個人情報はダダ漏れ状態なんで、私自身のというよりは、私以外の人の個人情報を守るためっていう限定公開ではあったんだけど。仕事関係の話を以前はガシガシ書いていたんで、その仕事関係でのグチなんかを公開するわけにはいかんよなあということもあり、それで公開はしなかった。とはいえ、その限定で書いていた日記も極力人名とか仕事内容とかに触れないような編集をした後に日記サイトで公開してるけれど。

でまあ、私はTwitterもWassrもやってるけれど、どっちも一応公開して発言している。個人情報にはほとんど関係ないということもありそうやってるわけなんだけど、mixiやTwitterやWassrを非公開でやってる人のほとんどは、たぶんその個人情報に関することを書くこともあるということで非公開にしているんだろうと思う。ただ、そうであれば、ブログなどに非公開にしている発言をリンクして紹介するのはどうかと思うんだよね。もし、リンクしているその発言に個人情報とは関係ないようなそれほど神経質にならないことが書かれてあるとしたら、その発言だけでもブログに引用することをしてくれればいいのになあと、そんなふうに思った。非公開にしている自分以外の人の発言をリンクすることもちょっとなあとは思うけど、それはまあ相手の発言は相手のものであるのでしょうがないとして、自分の発言くらいは公開しても問題なしと思うなら、リンクせずにブログに転載してくれればいいのになあと、そう思った。たとえば気に入ったブログがあって読んでいて、そんなふうに自分には読めない発言が書かれてあったとしたらやっぱり気になるし、読んでみたいとは思うけれど、そのためにTwitterでfollow申請するのもねえ、大した知り合いってわけでもないし、申請したからっていっても絶対に承認してもらえるとは限らない。今までに何度もいろんな申請を断られてきた私だから、今回だって承認してくれるとは思えないしね。

とまあ以上本日のグチでした。(W

「そうよ、私は地獄に堕ちるの」

2008年11月11日 11:21



と言ったのはナミだと友達が言うてました。(笑)

ナミは私の理想の女性でもあります。ところで、ナミに良く似た人がいました。顔はさすがに似ていると言ったら旦那なんかに非難されそうですけど、でも、少なくとも私はナミの容姿も込みで「彼女」に似てるよなあと思ってるんですよね。私の幼馴染なんですけど。子供の頃、その彼女も一緒に、ほかの友達たちと「11人いる!」をアテレコして遊んだことがありましたが、あの頃ワンピースをアテレコしたとしたら、ナミは間違いなく彼女が演じたでしょうね。ああいった性格の人でした。そして、私の大好きな人。私の夢の一つに、大きくなったら彼女と一緒にアパート借りて住むんだっていうのがありましたけどね。まあ、その彼女も、本人はどう思っているかどうかはわかりませんが、特定の誰かからは「地獄に堕ちろ」と思われたかもしれない経歴のある人ではあるんですが。まあ詳しいことは書けないんで書かないんですけど。地獄繋がりってことで。(爆)

友達がナミのこの言葉を取り上げていたのは、その友達にも私にも関係のある「モノカキ」ということで、私たちは業の深い「モノカキ」であるということなんですけど。

業の深くないモノカキもいるかもしれないとも思うけれど、でも、私はやはりモノカキはすべて業の深い人間だと思います。書くってことはそれこそ地獄に堕ちる覚悟がないと書いちゃダメなんだろうなあって。そりゃ、こんなこと書けば、必ず「私は地獄に堕ちるために小説書いているわけじゃない」って言う人が出てくるんでしょうけど、それ違うと思う。友達も書いていたことですけど、小説ってものはひとつの世界を描くわけですよね。確かに自分の頭で想像したものであり、嘘の世界ですけれど、少なくとも私は自分が書いた小説の世界は、どこかに必ず存在していると思って書いています。自分の世界じゃなくても、異次元の世界にはきっとどこかに自分の書いた世界があるんだって。それはずっと前から言ってきたことなんで、いまさらな話ではあるんですが。

それにね、たまに私が書いた小説が、とある人の体験したことに酷似していたこともあったんですよね。私は確かに想像して小説書きますけど、今までに見たり聞いたりしたことをネタとして書かせてもらうこともあります。許可得て書いたものもあるし、許可を得ずに書いたりすることもあります。けれど、許可得てなくても、その人のその体験はオンリーワンじゃないですよね。似たような経験なんてみんなやってると思うんですよ。オンリーワンな経験なんてそうそうないと思うんですけど。まあ、宇宙人と結婚したとか、実は神の子だったという経験はなかなかないとは思うんですけど、それさえも、絶対に経験しないとは断言できないと思うんですよ。それもあり、自分の書いたもので、誰かが似たような経験をしていた、そのことで酷く傷付くということも出てくることもあるでしょう。そういうことで、モノカキっていうのは業が深いんだよなあ、地獄に堕ちるというか、誰かにとっては「地獄に堕ちろ!」と思われしまうんだろうなあ、と、不本意でもそうなってくるんだと思う。

私は今までに、誰かが傷付くから、だからこれは書かないでおこうと思ったことも何度かありましたし、今だって、いくつかのことは小説のネタには絶対にしないというものもあったりします。けれど、だからといって、私は自分は地獄に堕ちないとは思わない。それ以外だったら、誰が傷付こうが書き続けるし、そして、その傷付けたくないから「このこと」は書かないでおこうと思っているその人の別のネタを書いて傷つけてしまうことさえもためらわないで書くだろうな。たぶん、少しづつ、私もその報いは受けているんだろうから。あんなことこんなことは、その報いなんじゃないかと思われ。

今は、ガクトさんをモデルにあーんなことこーんなこといろいろイメージもらって好き勝手に小説書かせてもらってますしねえ。うんだらの先週の質問に答えるの忘れてて、ちょと悔しい思いをしたんで、ここに蛇足として付け加えておきます。はい、私はガクトさんからイメージもらっての創作活動に、小説を書くってことやってますよー、って。(笑)



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