他人じゃなくまず自分をどうにかすること

2006年12月31日 10:00

ネットの意見相互調整機能に個人は抵抗できるのか ARTIFACT ―人工事実―


少数に限らず、なかなか自分は「こう思う」っていうのは書きにくいと思うなあ。
たとえば、N氏関連のことで、例の事件(って言うのもなんだけど)以降は、やふとぴには彼女に肯定的な人は書き込みしにくくなってると思う。たまーに覗きに行くけれど、「これはひどい」タグみたいな書き込みのオンパレードだし。まあ、それ言ったら、あの事件以前は信者と言われてもしかたないような書き込みばかりのオンパレードで、私が腐女子発言をした時に「そんなの書くな」っぽいこと言われたりしたこともあるしねえ。確かに、立ち上げ人はあの作品につい語りましょうということで立ち上げたんでしょうけれど、タイトルが○○の本というものだったから、彼女の書いたものなら何でも話題にしてもいいと思うもの。で、絡みたい話題に絡んで、絡みたくない話題はスルーするってことできないことじゃないものね。
でも、今のあの場所は、たとえば前のような「よかったよねー」という書き込みしたとしたら、たぶん、アンチの人たちはこぞって「どこが?」「説明してみろ」とか言い出すような空気がムンムンしてるもんなあ。で、スルーしたら「無視かよ」みたいなこと言われたりして。まあ、書き込みしてみない限りはどうなるかはわからないけれど。でも、やっぱ、なかなか書き込めないと思うよ。ふつーの人としては。


でも、やっぱり自分が「いい」と思ったものについては、素直に「いい」と感想書きたいしね。それもあって、自分の場所には好きなように書く。んで、もし、それで何か言ってくるような人がいたら、気にしないっていうことしかできないと思う。他人に「やめて」とお願いはできても、それを守ってもらえるかどうかは他人は他人であって自分じゃないんだから、それはもう自分の気持ちをどうにかするしかないと今の私は思うもの。自分が何とかしなくちゃね。って、そういうこと。で、萎縮しないで何でも書いていくことが、一番大切なのかなあって。だから、本家では書けなくなったけれど、何とか好きなこと感じたこと嫌いなこといろんなことをココで書くようになっていったんだもの。


 逆の意見を書いた時に起きやすいサイバーカスケードやブログ炎上といった現象は、ブログのコメント欄で否定的な意見がたくさん書き込まれたぐらいでいちいち気にしなければいいと思っているが、一度それを経験した人は、次にそういったことが起きるかも知れないと思って、発言を自粛したり、萎縮したりしてまうかもしれない。
 現状、ブログの炎上は、システム的な対処(登録ユーザーのみコメントできるなど)が未発達なために起きやすくなっている面が強く、ブログサービス側のシステムの発展を望むのだが、あまり対処されてない感がある。



私も当時、N氏関連で炎上しかけたせいで自粛・萎縮したクチだけど、けれどやっぱ、他人任せじゃなく、私は自分の気持ちを強くすることが一番大事だと思うようになっていった。今は叩かれても大丈夫かなあと思ってる。現に何度かあれからも叩かれたことあるしねえ。で、スルーできるようになったし。ただ、本家はやっぱリアルに繋がってるってこともあって、あそこではきちんとした意見は述べれない。ほんと、ネットでは匿名っていうのが大事なんだなあと思う。
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はねられる

2006年12月30日 10:31

トラバをはねられる基準がわかんないよねえ。ここから送るあめぶろとか、本家から送るぐーとか。
承認制だと、受け付けてもらったのか、もともと送信じたいがどうなったのかわからなくて、表示されるまで悶々としちゃうんだけど。
なんつーか、嫌われたわけじゃないんだとわかっても、なんか釈然としないや。
こういうことからモチベーション下がってしまうっていうのもあるかも。やっぱトラバ送るやーめたって。
つーか、そういうのが一番いけないんだってわかってはいるんだけどね。
だからー、もっぱらさんのあの態度は好感度バツグン。どんなトラバでも「さあ、おいで」っていう。(笑)
なんつーかさ、ほんとはそういう「来るもの拒まず」っていうの、特別な存在になりたい私からすればキライなはずだったんだけどね。それで切り捨てた誰かさんもいたし。(爆)

グチ言ったっていいじゃん

2006年12月29日 10:33

断片部 - kg's frag - 批判される愚痴


これは私の印象なんだけど、男のグチって男がより辛辣なこと言ってそうな気が。「恋愛強者」っていう言い方は好きじゃないけれど、でもそういった男からすれば「男のくせに」と言ってそうな気がする。


うちの旦那は確かに私という嫁をゲットできたわけだけど、それでも恋愛強者とは言えない。モテていた自覚は本人はないらしいけれど、少なくとも私の知る限りでは一人は彼に言い寄ってた女がいたわけだし。でも、それは一般的なモテる男とは違うよね。モテるっていうのはやっぱ何人もの女からアプローチ受ける男であって、そういった男は学校でも一人か二人くらいしかいなかったと思うもの。
で、旦那はヲタクでチビであったにも関わらず、一人は言い寄る女がいたわけだ。それはやっぱ本人の性格なんじゃないかなあと思ったな。だって、いわゆる非モテと言われる人たちのようなループした考えを持ってなかったもん、ヤツは。ヲタクでチビのくせして「俺が最高」という言い換えれば空威張りオーラ出しまくりの男だったからなあ。そういった自信満々な男って、けっこう一部の女にはそそられるものがあったりするんだと思う。女って強い男に弱いからねえ。


でも、非モテの人たちのグダグダループしたグチなんかも聞いてて「何とかしてあげたい」と思う女だっていないわけじゃないと思う。昔の私は頑なな女でもあったんで、自分の好きな男以外には見向きもしなかったけれど、今の私だったら「付き合ってくれる?」と言われたら付き合っちゃいそう。ただ、売れてしまった私としては、もうそれはできないわけで。さすがに旦那以上の男はいないと思ってしまってるからねえ。でも、私の他にも手を差し伸べる女がいないってわけじゃないと思うけどな。

えー?

2006年12月26日 21:40

某所、そんなに儀礼的雰囲気かなあ。私はそうは思わないけどな。まあ、私の日記を登録してる人たちが、そういう儀礼的なことをしない人ばかりだからっていうのもあると思うけど。なんか某所も公の場所のブログみたいなもんだしーと私は思ってる。たぶん、某所での友達を増やし過ぎるとそうなってしまうのかもね。10人前後がいいんじゃないかと思ってみたり。
とはいえ、リアル友もいたりするんで、なかなかぶっちゃけ話ができないのが難点ではあるけれど。

なくしてしまったもの

2006年12月26日 08:46

finalventの日記 - ネットと誤解


私は何度も移転とかHNを変えるということはないな。サイトはずっとそのままでやってるし、2年前からやってるブログは時を同じくして最初から複数運営している。サイト続きのブログ以外の別ハンでやってるのもメインの分と時間的にそんなにズレはない。更新頻度は少なくてもずっとそのブログとHNでやってるわけだから、移転を繰り返しているのとは違う。だけど、それでも私にはごく少数しか信頼してくれる人はいない。その他の物見遊山の人はきっと私に対しては信頼などしてないと思うし、私のいう事は信じようとはしてくれないと思っている。それが昔はたまらなくイヤだったけれど、今はもうどうでもいいやって思うようになった。誤解したければ勝手にすればいいって。まあ、私の方も誰かに対してそういう誤解をしていることもあると思うしね。他人にまで「誤解しないで」と言うのもおかしなもんだしね。今はどんな人に対しても誤解してほしくないっていうのはない気がする。そういった強く思い入れのある相手ってなくなってしまったように思う。それ、あの4年前のトラブルでなくしてしまったものかなあなんて思ったり。まあ、自業自得ではあるんだけど。

私にとっては同じ

2006年12月26日 08:40

人がダメになるのは


人が人としてダメになるのは神経を病んだ時。精神的なプレッシャーに耐えきれなくなった時。
こればかりはどうにもならない。



例の新人さんはどうだろう。精神的プレッシャーが潰瘍にきたというのなら、まだ精神を病んでないだけにマシってことなのかな。精神的な重圧で精神の病になる人と潰瘍になる人の差って何だろう。どちらにせよ、その人自身が潰れていくのは目に見えているよね。潰瘍はガンに変わる場合もあるし、精神を病んだら自ら死を選ぶ場合もあるという点で、私から見れば同じにしか見えない。で、私の場合は潰瘍までまだいかない一歩手前で大騒ぎして事なきを得たというわけで。つまりは、私は他人より強い人間なんだろう。運も精神も身体も。


たーしゃん、頑張れ。としか、私には言えない。頑張れ。おーえんしてるよ!(><)

興味を持たせる説明の仕方

2006年12月25日 08:06

もちがやります’隣の芝生男とバー・カウンター・わんだー・らんど


前に日記で書いたことがある。あれは彼が映画のスタッフロールを見ないということを聞いてのことで、だったんだけど。
私は彼の小説は読んだことがない。彼に興味がなかったからというのもあるんだけど、それ以前に彼の書くジャンルは好きじゃないから。私はとにかくSFが好きで、そういった雰囲気のものしか食指が動かない人だったからねえ。けれど、最近ではN氏の書く現代物を読むようになって、実は本当はそういったものが好きなのかもと思うようになっていったけれど、なんというか、もちさんのこの「隣の芝生男」っていうのを聞いて、やっぱり私にはあまり好きになれない小説を書いてるのが彼なんだなあと再確認。


私が読みたいものは、そんな洗練されたものじゃない。読みたいのはドロドロ。これでもかと痛みを伴うもの。他人の書くものではそういったものが読みたいなあと思う。お洒落で洗練されたものなんて何の面白みも感じられない。それはなぜか。私は読んだもので思わず自分が書きたくなるものを読みたいからなんだと思う。で、それを元に書きたくなるものは、ドロドロなんだと。


ただ、もちさんの説明する彼のことを読んでると、彼にとても親近感を持ってしまうのは、それはきっと私の中にも彼と同じ資質があるからなんだろうなあって。才能があるってことじゃないよ。私にゃ才能なんてないと思うもの。あったら、彼みたいに成功してるって。たかが地方文芸誌で佳作とったくらいで才能があるなんて、そんなこと思っちゃいないもの。この世界、トップに立ってなんぼのものだと思ってるしね。やっぱ単著はすごいことだと思うしね。
けれど、誰かを楽しませる、誰かを幸せにする、そんなものを私も書くことはあるから。で、それだけでは疲れるんで、私だけのために小説を書くこともあるってことで、私も彼のそういうところはわかるよなあって、ね。


つーか、ほんと、もちさんすごいなあ。鋭い。って思った。作家をこういうふうにちゃんと見てる人のおかげで、今までそんなに興味持ってなかった作家に興味が出てくるっていうの、それってすごい才能だなあと思うよ。うん。

反対意見はやっぱ出たほうがいいよね

2006年12月20日 10:57

メモ - これも印象論だけど


一つの意見に反対意見が出るのは当たり前というか出なくちゃ発展性もないと思うのだけど、反論に対する反論の反論を繰り返すうちにそもそも意見を表明あるいは主張した目的が何だったのか見えなくなって、とにかく相手を言い負かすことに力点がずれてしまう。



↑これ読んで思ったんだけど。うちの旦那は私の言うことにことごとく反対意見を言う。私はこう思うとかそう言うと「だがな…」っていう感じでそれとは逆のことを言うんだよね。それでむっきーとなって反論するわけだけど、延々と続くわけよ。で、いつだったか聞いたことがある。「なんでそんなにいっつも反対のことばっかり言うのよ。これこれこうだってあんたは思わないのか」って。そしたら、あっさり「俺もそう思うよ」って言う。だったらなんで反対のこと言うんだよって言ったら、自分の意見をちゃんと筋道立てて相手にぐうの音も出ないように反論するための修行をさせてるんだと。それでことごとく反対の意見を、自分の意見でもないのに言ってるんだそうな。なんじゃそらと思ったけどね。


で、思った。違う意見で議論し合うっていうのは、それだけ文章力とかの上達にも繋がるのかなあって。つまり相手に理解してもらうための修行みたいなもんですか。なんかうまく言葉が見つからないんだけどね。
とまあ、そんなことをゆっけさんのこの記事で思い出したってことです。話微妙にズレてる気がしないでもない。(^^;

うたバトンは続きます(笑)

2006年12月17日 10:04

この記事はブロとものみ閲覧できます

トラバする設定にしたおかげでトラバできるようになりました(笑)

2006年12月15日 11:07

CONCORDE いったりきたりで日が暮れて


いつ頃の誰の記事だったか探せないのですが、かなりの"アルファ"な方が「文中リンクのクリック率など良くて1%かそこら」と書いていたのを読んだ記憶があって、自分でもそれを実感するようなことがあったりして何となくそれを信じていて、うちへのリンク元として表示される数のだいたい100倍がそのリンク元自体のアクセス数なんだろうな、とか勝手に想像していたりするのですが。



これ読んでて思ったんだけど、トラバすると自分で思う以上のアクセスがあってビックラすることがある。それはまあ、この人が言うように向こうから流れてくるのが100分の一だったとしても、こっちにしてみれば相手のアクセス数よりも自分ちへのアクセス数だけが関心事であるわけだから、普段よりは多いことで「どぎゃーん」(爆)となるわけで。
10くらいでもドキドキなのにね、それよりもっと誰かきたら、さらにドキンドキンですわよ、あーた。それもあって、実を言うとみっちーの記事にトラバ送ろうかと思ったんだけどやめにした。あそこからはなんかかなり流れてきそうだから。でもなあ、誰だったっけ、けっこう大手のサイトさんがうちを文中リンクしてくれたけれど、一時100だの200だの上がったけれど、結局は元に戻ったしね。常連さんがつくってこともなかなかないんだろうな、ここだけじゃなく他の私のブログすべて。けれど、そのおかげで好きなことが好きなように書けるっていうのはいい。やっぱ大手へのトラバはこれからもしないがいいや。言及した人はアクセス解析で確認してくれてるみたいなんで、声は届いてるみたいだしね。
これからも、もっぱらさんとこくらいにしとこう…って、もっぱらさんとこはアクセスが少ないって言ってるようなもんか。なんて失礼なノイズなんだ。って、もっぱらさんの書き込みを希望するー。(爆)

「私たちは永遠に生きる」

2006年12月13日 07:42

ノイズさんの脱線っぷりを上回ってみる|とりもなおさず


いやいやいやいや、私以上に脱線する人はいないと思ってるノイズどぇす♪(つか、自慢すな、ノイズよ)


 洋楽は、「音楽」が先にあるから韻を踏んだり、サビで同じフレーズを何回も繰り返す、それは執拗に(日本語訳をするひとたちは、そこらへんが嫌で、同じフレーズとかでも、違う日本語を当てたりするのだろうが)
 邦楽は、「何を言いたいか」が先に来ているから、内容を詰め込もうとするし、最近のヒットチャートに乗っているような音楽の歌詞は、韻を踏まない


 どちらがいいか、という話ではない
 どちらが好みか、というお話


 ノイズさんは、「言葉」が好きだから、「けっ、洋楽の歌詞なんて」(一部、誇張気味)と思ってしまう
 まぁ、自分も、そうなのだが



この「けっ、洋楽の歌詞なんて」に、思わず(  ̄m ̄)プとなった。(爆)
私は自分で訳なんてできないんで、それを常々「よかった」と思うほうなんだけど。それでもなんて書いてあるんだろうって思うほうだから、CDとか歌詞カードに対訳が書いてあるととても嬉しい。でもまあ、そのほとんどがヘンな歌詞なんで、それで「けっ、洋楽の歌詞なんて」となるんだよね。
けれど、その中でもステキな歌詞だよなあと思う洋楽もあったりするわけで。そういうのって、たぶん、訳した人のセンスがいいんだろうなあなんて思ったりもする。外国語と違って日本語って一つの単語を様々な言葉で表すことができるから、だから語録がたくさんあって豊かな表現ができるっていう強みもあるよねえ。まあこれって強みと同時に伝えたいことをシンプルに伝えるってことができなくなる弱みでもあるということなんだけど。


スティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」


初めてこの曲を聴いたときにこの曲に恋をした私。CDを探し出してきて対訳を読んでみたら少なからずガッカリした。(笑)
でも、彼の歌はほとんど好きなタイプの曲でもある。ただ歌詞を見てみたら詩というより日記っぽいなあと思った。


エンヤの「ケルツ」


この歌は対訳に一目ぼれした。たった三行の対訳。彼女の歌詞は対訳した人がよかったのか、ほんと詩になってるんだよね、しかも私の好みの言葉が溢れてて、彼女のあの雰囲気にピッタリだった。特にこの曲のこの三行に私の望みの全てが詰まってるって感じで。何度も何度もこの三行を呟いてみたものだったし。(つーか、ほんと痛いヤツだよなあ(笑)

書いちゃうよ!

2006年12月11日 10:43

はてなブックマーク - [papaopao]創作女の不可解 - はてな匿名ダイアリー


コメント欄ではけっこう「書いた」と言ってる人たちがいるけど。多いか少ないかはわからないけどさ、私もそういう側の物書きだから、よくわかる。書かれる側としちゃたまったもんじゃないだろうけどね。だから、私に書かれたくなかったら近寄るなってことなのよん。「それを早く言ってよ」と言われてもね。日記ではちゃーんと書いてるから。つい言っちゃうよ「過去ログ読め」っていう反則技。(笑)

確信犯で

2006年12月09日 10:33

はてなブックマーク - 断片部 - y0mu-trx - むかついたら感情的に書くこともあるし(見た目)論理的に書くこともある


hatayasan discussion, communication/そうですね、確信犯で切れた格好をして相手に主張を伝えたいときって、ありますよね



確信犯で冷静沈着な格好をして相手に伝えるっていう人もいるよね。誰とは言わんけど。(W

まず動け(笑)

2006年12月08日 09:12

BLOG STATION Re 欲求段階間の衝突


れーによってれーのごとく「なんでそーなる」的なことを書く。(笑)


どうすれば下位の欲求を充足させ、上位の欲求へと移行することが出来るのか、ということがポイントになってくるのではないでしょうか。



これ見て思ったこと。てか、改変。(爆)


「どうすれば楽しくないと言う人の気持を充足させ、楽しいという気持ちに移行させることができるのか、それは、させたいと思う人が楽しくやってけばいい、楽しさは伝染するものだから」


まーねー、これがすべての事象に当てはまるとは言えないわけで。けれども、私はけっこういろんなことにもあてはまるんじゃないかなあってことを信じてるところがあるからさ。て、話。
Gの言ってた「考えずにまず動け」ってことにも通じるよなあって勝手に思い込むいつものノイズちんなのであったー。(無責任なやっちゃ)

才能って?

2006年12月07日 23:24

S嬢 はてな - うん、わかった


れーによってれーのごとく、かなり「なんでそうなる?」的な感想を書く。(笑)


これ読んで思ったことは。ああ、やっぱ私には才能なんてないんだなあって。それは、私がリアルでは平凡でいないと妄想できないタイプの物書きだからなんだってことなんだけど。まあ、これ言うと、そういうタイプの人だって立派にプロになってるだろうし、なれないわけじゃないし、才能がないわけじゃないっていうことを言い出す人もいるだろうけれどね。


ただ、私の知ってる限りでは、リアルでも破天荒な人生を送ってきた人はやっぱ表現者として成功してるよなあって。つまり、まともな人生を送ってないタイプの物書きばかり見てきてるよなあって。そう気がついたんだよね。だとすれば、私は極めて現実では平凡な主婦だし。そんな創作するような人にはまったく見えないはずだし。だから大成しないのかなあって。つーか、そうやって他のせいにして自分のせいじゃないような書き方をしている時点でもうダメダメだよなあ。うーん、なんかすごく惨めになってきた。(爆)


何が才能なのか。才能があるって、才能がないって、どういうことなのか。なんかよくわからなくなってきた。才能って何? なんかほんとわけわかんないよなあ。つーか、またしてもループ?


…白毛和牛、もとい、黒毛和牛の練習でもするかな。(^^;

陳腐とチープは言葉の雰囲気が似ている

2006年12月07日 14:01

finalventの日記 - ハッピー・アドヴェント


あっちの歌ってどーしてこんな陳腐なんだろう。てか、私が書く恋愛詩そっくりだし。(爆)あれだな。こんな内容でもいいいいという人がいること、なのに、そういうの書いても芽が出ないってことは「おまえには才能ないんだよ」ってほんっと冷たく言われたような気分。つーか、あっちの歌はやっぱ内容じゃなくメロディとかリズムなんだろうな。私にはそれしかわかんないし。誰かさんが好きなまりりんなんて、まずメロディやリズムから私は入ったクチだからなあ。

そんなに死にたいのなら

2006年12月06日 10:49

死ねばいい。それを言わないのは本当に死んだ場合、こっちが苦しむハメになるから。舅が死んだ時のように。死んでほしいなんて思っていなかったけれど、病気になって大変なことになるってことは心中思ってたし。だから本当は無意識のうちに死んでほしいって思ってたかもしれないと思って。
でも死んでほしくなかったんだよ。それは本当。けれど、いつでも死んでしまう人は何も言わず何も残さず何もサイン見せずに死んでしまうんだ。いきなり。もしかしたら本人も今から死ぬんだって気づいてなかったのかもしれない。まだましだよ。そうやって死にますとかブログで書いてるなら。けれど、本当に死んでしまうこともある。本当に死んでしまったとき、声をかけなかった人は罪悪感に苛まれることにならない? きっとそうなると思う。よっぽど冷たい人じゃない限り。だから、人は声をかけてしまう。「死なないで」って。それは誰にも非難されることじゃないと思うな。

自分の書いたものを見るのもイヤだ?

2006年12月04日 10:29

私はやっぱり、自分の書いたものを見たくないという気持ちは理解できないんだと思う。追記を書いた当時はわかるというようなことを書いたけれど、当時封印したいといっていた作品、今はサイトで公開してますからねえ。あの二つの小説を公開した時点で、私には完全に誰にも読まれたくない文章はこのネット上にはないということになった。リアルで書き綴っている日記やそのほかの書き物だって、私は他人に読まれたくないというものはない。読まれたくないっていうものは私の頭の中にしかない。それは私が死ぬまで誰の目にも触れないものだと思う。
私は物心ついたときから、他人に読まれることを意識して書いてきたから。そういう人にしか私の気持ちはわからないだろうし、もしかしたらそういう人にさえも私の本当の気持ちなんて理解はできないんだろうなあと思う。昔は理解してほしいという気持ちが強かったけれど、今は理解されなくてもどうでもいいやって思えるようになったよ。

書かれたものを鵜呑みにはしない

2006年12月03日 22:47

ということを昔書いた。あの頃から、私はそういうスタンスで他人の書いたものを読んできている。厳密に言うと、鵜呑みにしないっていうか、つまりは一つの物語として書かれたものを読んでるって感じかな。とまあ、そういうことを公で言うと少なからず傷付く人はいる。つまり自分のことを信じてないって言われたのと同じことだからねえ。ただ、私のことは別として、悪い意味としてじゃなくいい意味での鵜呑みにしないっていうのを実践してほしいなーと思う。ネガティヴ方向に見るんじゃなくポジティヴ方向に見るってことで。


N氏は文章っていうのは恐ろしく内面を暴露するって言ってたけれど、本当にそうなのかどうか、当時の私は信じられなかった。けれど、私はそれでも書かれた文章だけで相手を好きになってた。まあ、たまたま「いいなあ」という文章を書かれる人とリアルであったら、やっぱり「いいなあ、この人」となったことがあったんで、確かにそれだけで言うとN氏が言った「文章で内面は暴露される」っていうのはアリなのかなって思うんだけど。けれど、私が出会った人たちは、文章を脚色して書かない人たちだったから。リアルと文章が直結してる人たちだったから、そうだったんだけどね。中には、文章で演じている人たちっていうのもあると思う。一番わかりやすいたとえとしては、男が女として書いてたり、女が男として書いてるっていうやつ。そういった人たちは、リアルで相手と会うってこと、なかなかできないと思うしね。そういうので、当時ヤフーの掲示板でこんなことが流行ってたらしい。


ある大手の掲示板では、書いてる人が男か女か、別ハンでカキコしててもどのはんどるの人のか当ててみせるとか言ってる人がいたけど、それって本気でわかっててやってるんだろうかって思った。
「あなたは、あの人でしょう」と言ったとしても、その言われた当人が答えるわけないじゃん、「参りました」なんてさ。



とまあ、当時の日記に私はそう書いたわけだけど。ほんと、バカみたいなことしてるよなあって思ったものだった。