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[クリリンのことかーッ!](爆)

2007年01月30日 10:35

とまあノってみるわたくし。(爆)


 ブログのネタとしても「バカと思われないための文章術」のようなものが人気だったりするのだけど、僕が思うにブログ運営のモチベーションを維持する為には、むしろ「適度にバカだと思われる」事の方が大事なんじゃないかと。



私は正真正銘バカですよん。誰が何と言おうともね。けれど、それを他人に言われたらすこぶる不愉快。つーか、ブログなんて書こうとしている時点できっとみんなバカ。「書きたいバカ」ってことで。バカ万歳!(それでいいのかっそれでいいのだっ)
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だから

2007年01月30日 10:10

断片部 - y0mu-trx - いいコース悪いコース


本当にその人と議論がしたい、あるいは、その人が振りまいているミームが自分にとって有害な気がするので考えを変えて欲しい、と思ったとき、話が噛み合わず「あーこの人こういうコースなんだ」と思ったら、自分のフォームが崩れてもそのコースに向けてバットを振るのが誠意というものなのかも知れない。



昔の私は「バットふらないでよ。スルーしてよ」と思ったものだったけれど、それは違うなと今は思ってる。だから「言いたことは言えばいい」となったわけで。ただし、言いたいこと言ったからって相手は自分とは違うんだからスルーされることもあるし噛み付かれるときもある。それを忘れずに言いたい事は言いましょうってことなんだろうなあって。
まあ、それでもスルーするときゃするのもしなくちゃねという思いもあったりするんで。これはもう臨機応変にやってくしかないよね。

どんなことでも表現してしまう

2007年01月30日 09:34

『所詮表現者と生活者というのは対立してしまうものだと思う』



↑はN氏がご自分の日記に書いていたこと。確かに同じ目線では見れないと思うよ。表現する人とそれを受け取る側の人間とでは。だから、適度な距離を持つしかないんだと思う。そうしないと互いに血みどろな諍いにまで発展しかねないとそう思う。そりゃそういう関係だけじゃなく、気持ちのいい関係を築ける作者と読者ってあるとは思うけれど。それは稀なんじゃないかな。表現者と生活者は考え方とかスタンスが違うからねえ。それはもうしかたないよなあ。だから創作側の人間は孤独でいるしかない。それがすべてじゃないにしても、それでも孤独であるべきっていうのが私の到達した境地かもしれない。理解されるな。理解されてしまったらおしまいだよ。ってね。

結局は

2007年01月30日 08:45

それは私ではない。


こういうことを言われるから、人は読んだものをぼかして感想を書くしかないわけだ。気にする人はね。そして、さらにそれを読んだ人は「対象をぼかして書くな」と嫌悪感表す。ループする嫌悪感。だったら、好きに「わかる」と書けばいいし、好きに「わかると言うな」と書けばいいし、それを言われてもスルーして「わかるわかる」と書けばいいってだけのことだよなあ。つーことで、私も好きに「こう思う」と書くだけだ。(W

削除と謝罪

2007年01月30日 08:05

プライベートモードになってしまったので当該記事は読めないんだけど、何となく揉め事の内容はどんなものかはわかる。なんつーか、どっちも私は経験してきてるからっていうのもあるかな。


人の感情で遊ぶというのは言いすぎなんだけど、私だって結局は人の書いたものをネタにして書くという点では、相手にとっては遊ばれているとか感じられちゃうわけだし。私や他の人が「この書き方が遊んでいるとは言わない」と思ったとしても、そして実際、今回のような書き方をしていたわけじゃないんだけど、それでも書かれた側にとってはLSTYさんがブクマで「人はそれぞれ違う所に逆鱗を持っている」と言ってるように、その人にとっては「遊ばれた」と思ってしまうのはしかたない。それを非難することは誰にもできないと思う。
で、それで遊ばれたとなってイヤになってブログを削除してしまったり、プライベートモードにして誰にも見せないようにしてしまうという行為は、私だってココでもやってきたわけで。削除だってしたしね。ブログとか記事とか。
さらにさらに、私がココでプライベートモードにしちゃったとき、第三者は私をかまった相手に対して「いじめるな」とか「迷惑している」とか言ってくれたわけなんだけど、そういうこともあるから同情引こうとしているとか思われてしまうのもまたしかたないよなあ。私なんてそんなに待ってくれること書いてるわけじゃないのになあ。でも嬉しかったけれどね。そう言われてね。それはもう感情ある人間ですので、好意的に見られれば嬉しいもんでしょ。わたしゃ正直もんですからして。


まあだからこそ、プライベートモードになってしまったんで巡回していたそのブログが読めないってことは「迷惑している」ではあるんだけど、相手にはそれを私は言えないわけで。私もそこまでひどい構い方ではないにしろ、構う側の人間ってことで、言えやしない言えやしないよ「いじめるなよー」とは。

あの事故

2007年01月29日 11:07

そっか、あのホーム転落事故って6年前の今頃だったんだ。確か今回映画になったのってその事故を映画化したんだったよね。


それってどうよと私は思った。


あの時も、遺族には申し訳ないとは思いつつ、そんなにいい印象は持っていなかったのだけど。だって、私は「他人を助けるのなら自分こみで助けなければ意味がない」と思っている人間だから。自分が助からなくてもとか、そういうの考えずに思わず助けてしまうというのが本当の善意であるってわかってても、それでも私はやっぱり助けるのなら相手も自分もちゃんと助かるように助けなくちゃなあと思ってしまうんだよね。
でもまあ、助けようとするときに、誰もそういうことは考えないものだと思うし、助けようとしたその行いは素晴らしいものだとは確かに思ってはいるんだけど。でも……と思ってしまう気持ちは止められない。で、それをさらに美談として映画化してしまうこと。それってほんとにどうよって思うんだけど。それに意味はあるのかって。それを「人を助けましょう」という宣伝に使おうという気持ちがあるとしたら、そんなもの見たからって今まで助けようとも思わなかった人が助けるかといったらそれは違うと思うし。助ける人はそんなもの見なくても助けると思うしね。それとも、供養のための映画化? それも何だかなあと思うんだけど。誰だって忘れないよ。そういう勇敢な人がいたってこと。忘れるもんですか。わざわざ映画にする意味が私にはわからない。といっても、意味がある人はいるんだろうから、これは私がただそう感じるっていうだけのことなんだけどね。

超私的な見解で語る詩的な日記について

2007年01月29日 09:50

それと、これ、の間|とりもなおさず


 「詩」というものの定義にもよるのだろうけど、広大な枠で「詩を書く」「詩情を持つ」ということを自分なりに定義すると、「何かを感じて、それを何か別の言葉に換言しようという欲求に従って書く文章」ということだと思う
 しかし、この定義を考え付いて、これって、全ての文章において当てはまることだよなぁ、と



たとえば私が2006年4月のツブヤキで書いたこの文章。


あなたに逢いに行く夢を見た
汽車に乗って
あなたの街まで直通じゃないのに
それでもごとんごとん揺られて
あなたに逢うために
向こうについたら
どうせすぐに逢えないだろうから
逢えるまで何か仕事して暮らさなくちゃ
そう思って窓から流れゆく景色を見つめた
夢は夢でしかない
けれど
あなたは空想の産物なんかじゃない
現実に其処に居る存在


逢いたいという気持ちは本物
けれどたぶん逢いたいというその執着が
今の私を生かしている
私を生かすためには必要な執着
だから逢いたいが逢ってしまわぬように
でもこんなにも焦がれてる
逢いたくて逢いたくて逢いたくて
あなたに逢いたくて
気が狂いそうな夜
私は彼のように眠れなくなる


お願い私を眠らせて
たとえそれで永遠に目覚めなくてもいい



↑これなんか詩とも言えるし詩じゃないとも言える。こういうのが「詩的な日記」というもの。まあこれだけがそういう詩的な日記というわけでもないんだけど。これもひとつの詩的な日記と言えるってことで。
つまり、事実を事実として淡々と書く日記とは違って、事実を何らかの脚色をして書くというのが詩的かなあと私は思ってるんだよね。別の言い方をすれば「ネタ的に書く」ということ。そのネタ的に書く表現方法がナルシーっぽくなるのが詩的とでもいう感じかな。で、対象をぼかして書くのも詩的ということで、こういう書き方をするのを好まない人もいるんだよね。逆にこういう書き方をする人を好きな人もいることは確かなんで、誰に何を言われようが好きに書けばいいんだけど。


ただ、すべての文章が詩的かと言ったら、それは違うんじゃないかな。だって、えっけんさんたちが書いてるようなブログ論なんてどう見ても詩的じゃないもの。(W

機械かー

2007年01月28日 10:34

404 Blog Not Found機械が見た機械論


私もまだ一応女だけどね。実際機械じゃないんだから腹も立たないと言うか何と言うか。(^^;
ただの言葉じゃん。まあ配慮に欠ける言葉であって、そういうのを公的な立場で発言するようなもんでもないことは確かなんだけど。つーか、言われたら言い返す、やられたらやり返す私であるから、こういう場合、こう言うだけなんだけど。「そっちだって産ませるだけの能しかない男だろうが」って。(爆)
どっちかが欠けても子供は産まれてこないんじゃないの? でも、女は精子だけあれば幾らでも産むことはできるんだから、男なんて必要ないじゃん。っていうSFもあったよなあ。

へっちゃらぽん同盟入りませんか?

2007年01月28日 10:20

今朝は11月のログ保存作業やっとりました。で、ついつい自分の記事読み返してこんな時間に。うああ、某所にもログインしなくちゃなのにー。


まなめはうす ★傷つく事には敏感で、傷つける事には鈍感で。


私も傷つけちゃう言葉を言ってしまうことは多い。だから、「自分の嫌なことを他人にするのはやめなさい」と言うくらいだったら、「ちょっとくらいで傷つかないような強い人間になって」と言いたいな。無責任、だよね。



「自分の嫌なことを他人にするのはやめなさい」という言葉は私もよくもらうし、私も基本的なところではそれに賛同ではあるんだけどね。でも、やっぱり自分のイヤなことが相手のやってもらいたいことってこともあることは事実なんで、逆に自分がされたくないからやらないでいたら「何でやってくれないのー」と非難されてしまう場合もあったりする。とすれば、やっぱ、まめさんも言ってる「ちょっとくらいで傷つかないような強い人間になって」と私たちは言うしかない。で、無責任だと私も言われたことある。だから、無責任であることも認めたうえで、言い続けるしかないんだよね。


「どうか傷付いてもへっちゃらぽんと言える人になって」って。

あのにますだざっかん

2007年01月27日 09:15

ゆっけさんに教えてもらった「アノニマスダ宣言」を読んだのだけど、匿名ダイアリーの存在は知らなかったんだよね。最近はてぶで誰かがはてぶってたので時々読むようになったから誰かが書くたびに読んでるわけじゃないし、最初から読むのもこりゃかなわんだろうとは思って、やっぱり誰かがはてぶってる分しか今も読んでない。ああいうのって対象ぼかして言及してる最たるものだから、脊髄反射で書いてるのを私のような人間はついついせきずっちゃうこともありうるんですけれど。まあ常時はりついてそれっぽいのを見つけてっていうのも今の私にはできないことなんでむかつくこともないんですけどね。それこそ「くりりんのことかー」ってな具合に。(W
誰だったっけ、誰かあるふぁな人も「これは増田に書くことだったかな」とか書いてるの見て、ああこの人もあそこに書くことあるんだなあとか内心思ったりするんだけど、まあ、それ言ったら「あなたも書いてるんじゃない?」と私のことも思われてるんだろうなあとか思ったり。どうせ「絶対書いてない」って言ったとしてもそれを証明することはできないわけだから、まあ思われててもいいんですけどね。と同時に誰もあそこに書いてないと言い切ることは誰にもできないということで「みんな一緒や」って感じではある。ただ、対象をぼかして言及するのが嫌いだとか言う人があそこに書いてたりしたら、昔の棚上げが嫌いな私がちょいと戻ってきたりもするけれど。けっこういるでしょ、言及圏の人たちって、対象ぼかして批判とかするの不愉快だとか。


アノニマスダ宣言(草稿)

・絡めるだけ絡む。
・ロジックは忘れない。ただし、空気も読む。
・アンチ妄想。事実を積み上げていくことで、問題点を浮き彫りにする。
・一方で、無意味、無文脈、シュールを愛する。
・アンチニヒル。清澄なウォッチャー。
・メタの匠、メタクミを目指す。
・わかりやすい表現をこころがける。無用な解読作業を読者にさせない。



この中で妄想はダメっていうの、その線引きがよくわかんない。私には妄想にしか見えないようなこと書いてる人だっているし。私自身は妄想側だからなあ。まあ、定義ったっていつでも守られることっていうのはないと思うんでいいんだろうけれど。
その次に言われてる無意味とか無文脈とかっていうのも私にとっては妄想の一種ではあるんで、ようするに何でもアリってことなのかなあなんて思ってみたり。
わかりやすい表現とかっていうのもさー無意味や無文脈っつー文章こそわかりにくいとは思うんだけどねえ。
私にとっては2ちゃんとどこが違うんだろうって、それがあのにますだに感じた気持ちかな。


あと、そこにリンクされてたリンク先に書かれてたこれ。


スルーとか言ってるとマジで2chみたいになるから困る。
むしろどんどん絡んでいこうぜ。
相手が困るくらい粘着しようぜ。



2ちゃんはスルー文化圏なんだね。でも2ちゃんって知らない人から見たら粘着も絡みもアリなんじゃないかなーとか思ったり。なんつーか粘着して絡むっていうのとってもタチが悪い感じがする。2ちゃんもますだもどっちも似たようなもんに感じるのは私だけ?

誰か教えて

2007年01月26日 09:56

はてなでよく見る「増田」ってどういう意味?

リアルの意味は?

2007年01月25日 13:08

知識とは|とりもなおさず


 「ググる」という言葉を、実生活で口にしたら、笑われてしまった
 いや、「ググる」は一般的だろ…と思ったのだが、それは、自分の中で、勝手に一般的なことにしてただけだ、そういうことにしておこう



「リアルとは」と旦那に聞かれて「現実」と答えたら「ネット人だなあ」と言われた。旦那曰く「リアルの一般的な意味は素顔だ」だって。
とまあ、もっぱらさんのこの記事でその話を思い出したとさ。(笑)


てか、やっぱりとらば反映されてないや。( ..)ヾ

もうやめた

2007年01月23日 11:19

昨日からいろいろと素材屋巡りしたけれど、ビビビっとくる素材がなかった。とりあえず自分ちでリンクしてるところはざっと見てみたけれど、中には閉鎖しちゃったところまであって、気分は下降気味。今TOPで使ってるのは閉鎖した素材屋さんのなんだけど、ずっと私の心にヒットするものを提供し続けてくれた素材屋さんは長続きしないね。まあ、5年だの7年だの運営し続けるっていうのを長続きしないとは言わないんだろうけれど。サイトを続けていくのならそういう創作意欲を刺激してくれる素材屋さんとの付き合いがないとなかなか言葉系のサイトは続けていけない気もする。まあそういう他力本願もよくないんだろうけれどね。でも私はコラボが一番好きなんだもん。あービビビっとくる素材屋さんどこかにないかなー。

感情のある人間だからね

2007年01月21日 10:27

嫌いな人の書くものは、作品と切り離して読むようにしている。書いてる人が嫌いだからって、書かれた作品まで嫌いになったら作品がかわいそうだと思うもの。それは私も作品を生み出す側だから、それが創作者としての敬意ということでそうできる自分に誇りは持ってる。ただ、これが好きな作者となるとねえ。やっば感情ある人間だから、ついつい贔屓目で見てしまうところがあるなあ。まあ、それでも、「それはちょっと…」というのもあるよ。ただ、辛辣に叩くってことはやっぱできない。嫌いな作者のは切り離して見れるのに、好きな作者のは切り離して見れないっていうのも、あんまりよくはないんだろうけどね。

私の激情をうまく扱ってくれる人たちに囲まれて

2007年01月21日 10:17

この記事はブロとものみ閲覧できます

スルーして

2007年01月18日 11:40

はてなブックマーク - 【SOMETHING BLUE】 - 気になった記事


Webではスルー、実生活では相談されると具体的な解決案を出そうとする方。相談されなければそのことについては触れない。自分が声をかけられたら、的外れでも力になりたいと思っているんだろうな、と思う。



ウェブではスルーっていうのが一番無難かも。でも、ウェブでも具体的なアイデアは与えたほうがいい場合もあるんだよね。ただ、それを見極めるのはなかなか難しいかも。私に限っては、具体的な解決案は出してほしくない。私はただ聞いてほしいというだけの人だから。具体的な案がほしい場合はキチンとそれを伝える。


つーか、ゆっけさんのブクマ画面かわいい~♪

今年もやってきた

2007年01月17日 10:54

ARTIFACT@ハテナ系 - 不登校の女子中学生がファンタジー小説を出版したというニュースは文芸社の宣伝になってしまっているのが問題だ


今はいい時代だね。お金さえあれば本は出せる。だから、私だってお金さえあればバンバン本は出すつもりだよ。けれど、私にはお金はない。あの出版社はローンでも出せるよと言ってたけれど、そんなこと、一応投稿魔の私には通用しない甘言だよ。そりゃ出せば、もしかしたらヒットするかもしれないという可能性はあるんだろうけれど、一等にならない不運っていうのはバカにしたもんじゃない。その作品がいいものかどうかなんて賞には関係ないんだよね。一等がとれるのはたった一人。それを勝ち抜くには、全ての作品を凌駕するほどの才能がわかる作品であるか、あとは運だけだもの。だから、私は今まで取った佳作なんて大したことじゃないと思ってるし。たった一度でも一等が取れればそれはそれだけで価値あるものだと思う。たった一人に選ばれた運ということで。で、まだ私はそんな運に出会ったことはない。そして、死ぬまでにそんな運を手にすることもないかもしれない。それでも可能性だけは信じていこう。そう思って、私は投稿を続けているわけだ。


で、今年もまたやってきた、その出版社から原稿投稿しませんか、と。


もし「これが書きたい」と思うものがあれば書こうと思う。たぶん、間違いなく賞は逃すだろうし、また「共同で出しましょう」と電話がくるんだろうな。金なんかないし。出すつもりなんかないけれど。でも、藁にもすがりたいと思っている人は、そういう出版業者のことを知ってるわけじゃないから、多額のお金を払ってでも本を出そうとするんだろうな。私みたいに逆に利用してやろうという人はなかなか少ないんだろうな。利用するっていっても、投稿するきっかけを作ることとか、万が一にも賞をとれればタダで本を出してもらえるだとか、そういうことで、なんだけどさ。それが売れなくても賞に選んだソッチのせいでしょっていい訳もたつしね。そういうことでの利用させてもらうってことで。

あらごめんなさい

2007年01月16日 20:17

ネット上で「かしら」とか「わよね」とか言う人のブログを見ると


っていうかオフラインで出会う女性にもそう言う人ってほとんどいないんだけど実在するん?



ネットではあまり書かないようにしてるけれど、リアルでは「かしら」「わよね」をふつーに使ってますが。何か?(W

どうしてわからないのか

2007年01月16日 08:18

ブログる、ということ|とりもなおさず


 だから、書け
 書き続けろ



 それを必要な人が、たまたまいるという偶然
 なんて美しい、誤解、残骸


 だから、ブログは存在する意味がある
 それでも、存在してくれ、ブログ



こういう人が多いんだって私は思うんだけどね。どうしてあの彼女はそういうことをわかってくれなかったんだろう。自分もブログというものを書いていたにも関わらず。


書きたい、書かせてと叫んでいる私をまるで間違った存在であるかのごとく言い切った動物好きのあの彼女は、「書く人」とは崇高で気高く他人の書いたものには反応しないと本当に信じてるんだろうか?
ただ、私という人間が嫌いだからちょっと言い過ぎてしまったのだと、そう信じたい。けれど、無断リンク禁止を言い立てている人と同じような感じ方しか持っていないとしたら、これはもう住む世界が違うとしか言いようがないよねえ。こっちが「その考えはおかしい」と指摘したとしても、相手もこっちの考えを「それはおかしい」と互いに本気で信じているわけなんだから、絶対に歩みよりはないかと思われ。


んで、言及にもなってないのに、もっぱらさんにだけはトラバ送るノイズなのであった。これがいけないのかっ?( ̄▽ ̄)


…てか、またしてもトラバ拒否られたし。。・゚・(ノД`)・゚・。

恐ろしいことねえ

2007年01月16日 08:01

他人の書いたものに言及して何かを書いてネットで公開することを「無防備」で「恐ろしいこと」と言い、自分には真似できないことだと、そう言っていた人がいたけれど。自分にこれ以上関わるのなら、ココや本家をどこかに晒して攻撃するとも言ってたしね。その人は、作家になろうとしている人間が、自分に価値を認めて良いものだと思っている人間がすることじゃないとまで言い切っていた。


今まで、私がやってきた数々の愚かなことに対して、非難してきたり諌めたりする人は確かにいたし、その時は恥ずかしくなって反省したりもしたけれど、ネットでプロフィール明らかにして何かを書くことについて、そこまで忌み嫌い愚かなことだと公言する人に直接に出会ったのは初めてだった。もちろん、直接と言ってもリアルでではなく、ネット上で一対一で話したということなんだけど。


その人が送ってきたメールは矛盾だらけだった。この私でもそれがわかったくらいだから、今はてなでも話題の無断リンク禁止を声高に言い立てている人と同じ精神構造をしている人なんだろうと思う。だいたい、「他人の書いたものに言及してる作家なんていない」ということ自体、何たわけたこと言ってんだよって感じだったしねえ。


過激なことを書いてなくても、私みたいにあたりまえのことしか書いてないとしても、それでもそうやって「あんたなんかにリンクはられて言及なんかされたくないわよっ!」と怒るヤツもいるんだよね。だから、私は本家ではなくココで書くようにしたわけなんだけど。結局ココも、信じてた人がそんなヘンな思考の持ち主だったせいで、匿名の場所ではなくなってしまった。だから、私はココ以外にも完全に匿名の場所を持たなくてはならなくなったわけだ。


けれど、普通に自分の思ってることを普通に書いていく分には、誰の書いたものを取り上げて書いたとしても、実際のプロフを公開していてもそんなに怖いことじゃないと思う。でも、とんでもなく地雷を踏んでしまう場合がある。私に本性を隠して付き合い、最後に腹いせにぶちまけて去っていったようなそんな人の地雷を踏んでしまう、みたいな感じでね。ほんとしばらく他人を信用できなくなったもんだったよなあ。


動物をかわいがる人には悪い人はいないという神話は崩れた瞬間でもあったな。彼女に好意を抱いたのも、動物をかわいがっていたからだったんでもあるんだけどね。人間ってほんと複雑なんだなあと、身に染みた経験だった。

そういえば

2007年01月15日 21:22

「2ちゃんねるがもし本当になくなったとしたら寂しいよな」と旦那は言っていた。つーか、あなた、最近ぜーんぜんネット出てないじゃない。約一名、あなたを泣き声で呼んでる人がいるってーのにさ。(爆)放置プレーもいい加減にしないと。かわいそうじゃんかー。ぷんすか。

あー

2007年01月15日 20:27

セくらえ管理部 - 真昼からシャセイ日記 - ある作家の作品を読むということ(リンク切れなのでブクマのほうをれっつらりんく)


思い切り私のことでもあるよなあ。と、釣られてみる。つーかね、あんたのことじゃないっていうのはなしよ。


ブログで読んだ本の感想文を書くような人間のいうことは信用できない。



これ、そういうことをしている人全部って言ってるのと一緒じゃん。まあ別に信用されたいとも思ってないけどねっ。←おもいっきり根にもってる言い方。久々に脊髄反射。あたしゃそういう人間さ。(爆)
つーか、とりあえずN氏の本は時系列に読んでますけど。それでもブログで感想書いてますけど。何か?

コゲチャはもういません

2007年01月14日 09:15

もちがやります’背伸びして


その瞬間には泣けないってことがある。


昨日、いつものように休みの旦那の車に乗せてもらって駐車場を出てすぐの交差点で赤になったので停まった。すると旦那の「あ、コゲチャ」という声。見ると歩道に横たわったコゲチャが一羽のカラスに突付かれていた。頭は半分なくなりかけていた。旦那も私も押し黙ってしまった。それからしばらくしてから、旦那は別の話題をふってくる。極力さっきのことは話さぬようにしてるようだった。


近所では、私と旦那が勝手に名前をつけた「ミカン」と「グレ」と「コゲチャ」の三匹のネコがいたんだけど、ミカンとグレの写真はあってもコゲチャの写真って撮れなかったんだよね。グレも一枚だけ何とか撮れたけれど、ミカンの写真が圧倒的に多い。ミカンの写真ははてダでも使ったことがある。グレのは今度サービスが終わってしまうやぷーすで掲載したことがある。


その時にはショックはショックでも涙は出てこなかった。これから仕事でもあったし、涙なんて出せないから気が張ってたのかもしれない。けれど、今、もちさんのこの記事を読んで、ブワッとなぜだか涙が出てきてしまった。


コゲチャはもういない。
ハムのジャンみたいにコゲチャはもういなくなってしまった。
もうあったかい日光の下、駐車場でひなたぼっこするコゲチャは見れないんだ。
命ってこんなにも簡単になくなってしまうんだなあ。
というか、カラスがコゲチャを突付いてたのはショックだった。カラス、何でも食べるんだ。そんなものまでも。きっと人のまでも食べるんだろうな。


とらば、送ろうかどうしようかと思ったけれど、アンテナにココを入れてくれてるみたいだから、あえてとらば飛ばさないでおきますね。

トラバで

2007年01月12日 08:48

今朝は、アク解のリファラで、Ad.Y&Wさんが私の記事を取り上げてくれたことを知った。で、それを読んだ私、Ad.Y&Wさんの記事に大いに共感して追加の記事を書いてトラバ送った。ここで、確かに「トラバ送ってくれればいいのに」と思う人の気持ちもわかったような気がする。以前のノイズならトラバ送ることで相手の読者がドドっとここに流れてくるのがイヤだなあと思ってたけれど、案外とそんなにドドっと流れてくることはないんだなあとわかったんで、今はそんなにトラバ送ることには神経質にはなってない。ただ、「こんな記事、言及でも何でもないよなあ」というような気持ちは持ってたりするんで、たぶん、Ad.Y&Wさんもそんな気持ちで私にトラバ送れなかったんだろうなあと思ったんで、トラバ送ってこなかったとしても「なんだよ、送ってよ」とは思わない。そのためのアク解設置だからねー。だから、ノイズんとこにトラバ送るのは「ちょっとなー、でもノイズちんには読んでもらいたいよなー」と思う人は文中リンクしてそれから飛んでくれればいいかなあと思ってる。ただし、これもね、大手みたいにアクセスが多いところだと、リファラが埋もれてしまって見つからないことにもなりかねない。たとえばえっけんさんとこなんて価値のあるリファラ拾うの大変そうだし。まあ、うちは今のところそういう心配はないか。けどなあ、将来、どんなマズイ発言でドドドっとアクセス過多になってしまうかわかんないしなあ。(笑)


さて、本題。(笑)


去年の本日、まさにトラバ関連で日記を書いてたよ。うちの常連さん(と、勝手に思ってる)ゆっけさんの記事を取り上げて本家で書いたことがそれなんだけど。
本家では、タイトルにかなりこだわりを持ってる私なんで、あれが相手側のブログに表示されるのは恥ずかしいと書いてたわけなんですが、ノイズの場所ではまったくタイトルにこだわりを持ってなくて、およそタイトルとは呼べないタイトルが圧倒的に多い。「そういえば」とか「あらら」とか、そんなツブヤキタイトルが多いですよねえ。まあ、今回のAd.Y&Wさんが取り上げてくれた記事のタイトルはまだマシなタイトルでした。けれど、本家の私を知ってる人からすれば、かなりシンプルなタイトルだなあと思ったでしょう。まあ、他人はそうは思わないか。私がそう思うってだけなんですけどね。これが「あらら」というタイトルだったら、別の意味で「恥ずかしいタイトルだ(^^;」と思ったでしょうけれど。Ad.Y&Wさんの反応した記事があのタイトルでよかった。(爆)


で、私は前にトラバもらったらリアクションしてほしいよなあと書いたわけ。


もちろん、押し付けるつもりで書いたわけじゃないです。私だって、他のブログでリアクションに困るトラバなんかもらったこともあるし、そんなときは何か感想を相手のコメント欄に書こうにも書きにくくて、結局ノーリアクションとなってしまったこともあります。けれど、トラバはスパムというわけじゃないし、こういうトラバが送られてきたということは読者にも見てもらいたいということでそのまま残してるわけですしね。ただ、やっぱり相手からトラバ送られてきたら、できるだけ反応はしたほうがいいよなあっていうのは変わらないです。もちろん、何か感想が持てたならなんですけどね。
まあ、えっけんさんみたいに「うんこー」の一言でもいいなあとは私は思うけれど、こればっかりはね、えっけんさんだから許せるっていうのもあるし、またえっけんさんが「読んだよ」のサインとして「うんこー」と書くことを知ってる人じゃないと通用しないんで、やっぱ「読みました」の一言は相手に伝えたほうがいいよなあって。まあ、その人のスタンスで、それはしたくないっていう人にまでは無理強いするつもりはないですけれど。何か事情っていうのもあるんでしょうしね。

あの頃ネットやってなくてホントよかった

2007年01月11日 21:09

深く考えないで捨てるように書く - 他人の本音を読むことは結構しんどい


なんつーか、私って、息子が幼児の頃にネットなんてやってたら、まさにすごいことを書いてたかもしれないよねえ。あの頃は、手書きの日記とか、あと小説で発散という手もあったから、ソッチではすんごいことも書いてたし。おかげさんでその小説は賞ももらっちゃいましたけどね。日記は今の所は誰かに読まれてるわけじゃないんで、誰かを不快にさせることはないし、しかも、リアルタイムじゃなく、すでに過ぎてしまった過去のことということで、たとえ今誰かに読まれたとしても「大変だったんだねえ」ですむんでしょーけど。


それにしても、こういう記事を読むと、やっぱこうやってネットで何か書く場合、本音を書くなと言われてるよーな感じだよね。まあ、本音を書くなとまでは言ってないんだろうけれど、でも、不快にさせないようにもっと考えて書けって、妙な圧力っぽいとか押し付けみたいなもんを感じちゃうんですけど。
まあ、この人にはそれは苦手ってことであって、近寄らないようにしてるってことを言いたいだけなんでしょうしね。で、間違いなく、この人は私の書くようなものは×なんだろうなあ。

断然白だにゃ♪

2007年01月11日 11:09

LOVE IS DESIGN - 幸運を呼ぶランジェリー


白。断然白!
対人関係と金がセットっつーのが気に入った!(爆)
恋愛も別にどーでもいい。仕事運だって、今のところが無難に続けられればいい。レベルだって、そんなに重要じゃない。とすれば、もう対人関係と金、それのみ!


それに男の人って白が好みの人が多いしねー。(そこかっ)←いや、別に、恋愛とかそーゆーつもりじゃ…ごにょごにょ。

うきゃーヾ(≧∇≦*)〃

2007年01月11日 10:56

Something Orange


またしても孫引きっ!(爆)


「後悔するかも」
「後悔すればいい」
「苦しむかも」
「苦しめばいいさ」
「堕落だよ」
「堕落でもかまわない。堕ちるのが、オマエといっしょなら」



これって相手に言ってもらいたい究極な言葉かもっ!ヾ(≧∇≦*)〃

今朝の気持ち

2007年01月10日 10:54

6年前、N氏が書いた本にこんなことが書かれてあったことを引用した。


『日本ほど、エンターテイメントを必要としているくせにエンターテイメントをさげすみ、低くみる連中ばかりいるところは珍しい。ときどき、日本人ってやつはみんなマゾだから、快い思いをするより、不愉快な思いをしたり、イヤなことをいわれたりするのが、好きなんじゃないか、とさえ思うことがある。』


『大体が芝居とか映画なんてものは美しき嘘なのであるから、ほんとうらしさとか、そんなものを求めれば求めるほど、美しさから遠のいてしまうのだと私は思う。何によらずリアリズムって大嫌いだ。あのリアリズム信仰ってやつは日本人の病気だ。あれが、日本人のやることなすこと、すべてをダメにしていると思う。』



当時も、リアリズムをこれだけ徹底的に否定することに対しては、それはちょっと違うだろうというようなことは書いた。けれど、これは万人の意見として発しているわけじゃなく、あくまでN氏自身がそう思っているだけであるという見方をしないといけないんだよね。それが公平な目で見るってこと。まあ、そうなると、たとえこのN氏の意見が読んだ誰かにとってひどく不快に感じられたとしても、それもまたその人が感じる正直な気持ちということで、尊重されなくちゃならないわけで。つまり、どっちが正しいとかそういうのは決められないということなんだけどね。


美しい嘘。それを私は心から欲してる。嘘をすべて拒否できないのはそのためだ。
永遠に続くラブストーリーを私は望んでいる。
いつでも目覚めされてくれるのは誰かの切ないくらいの愛の叫び。
この儚くも美しい電脳世界の片隅で叫ばれるその人の愛の言葉は、私だけじゃない、誰かの心に美しき夢を見せてくれる。


永遠の愛をね。

どうでもいいし

2007年01月09日 21:35

あんたジャージでどこ行くの 頭の悪いテレビ番組の作り方


リアルタイムで見ることなくなったんで、CMあってもなくてもどうでもいいし。録画したのを見るからCMすっとばかすしね。


 「CMの後、いよいよ!」が多い番組ほどつまらなくて、少ない番組ほど面白い。この法則は多分、間違っていないと思います。



つーか、おもしろいかおもしろくないかは好みの問題だから、誰かにとってくだらなくてつまんなくても、私にとってはおもしろい場合もあるからなあ。てか、あれか、それはLSTYさんとLSTYさんの好みと同じ人の法則であって、すべての人の法則ってーわけじゃあないわけか。当たり前ですか。そうですか。

いい言葉だにゃ

2007年01月09日 11:07

まなめはうす ★Input/Outputについてのまめさんのコメントがいい!


私なら、WEB上に文章を書くと言うことはどこに意味があるの?への回答はただ一つ。ウェブの最大の利点は「参加すること」だと思っています。InputとOutputをした時点で、参加しているのです。



こういう考え方が大好き。こういう私でも肯定されたと思えるから。



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