スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私だけの楽園

2008年01月28日 10:18

記憶の中にある楽園、これから作っていく楽園 ひとりごと-ウェブリブログ


多くの書き込みがあったという時代を私は経験していない。確かにネットデビューしてヤフーの掲示板に書き込みした頃は、毎回じゃないにしろ、誰かがレスをしてくれ、それが楽しくて毎回書き込みした時期はあった。チャットという経験もほとんどしたことがなかったので、そういった掲示板のやり取りだけが私のネットでの唯一の楽しみだったな。それはサイトを始めてからしばらくは続いた。


サイトでは掲示板があったわけだけど、そこへの書き込みもヤフーの掲示板で知り合った人ばかりの書き込みだった。大手のサイトとは違い、ごく数人が書き込みをしてくれただけで、人気のサイトの書き込みのような多くの人の書き込みはなかった。でも楽しかった。みんなけっこう長文を書いてくれて、私もそれに長文で返した。長文ウザイなんて考えたこともなかった。メールにしても一人か二人と濃密なメールを交換してただけで、多くの人からメールがきてたわけじゃなかったし。


だから、何かを書くことをブログに移行してからは、昔のような書き込みやメールがパッタリとなくなったことは、ちょっと戸惑いを感じた。もっとコメントが増えるはずだとは思ってはなかったけど、そんなふうに誰かからの反応がほとんどなくなるとは思ってもみなかったから。
ただ、ジュゲムで書いていたものにはけっこうの反応があって、それも戸惑ったことの一つだったかな。他のブログは反応がなくて、どうしてジュゲムだけは反応があるのかがよくわからなかった。ない頭を絞って考えて、書いているものがちょっと「イタイ」のかもしれないとか思ってみたこともあるけれど、でも、他のブログでもイタイことは満載してたと思うし。まあでも、ジュゲムではとにかく誰かの書いたものを読んでの自分語りをしては、相手側にトラバしまくったものだったから、そのおかげで集客に繋がったのかなとは思っている。他のブログではあまりトラバは送らないようにしてたし。ここでもそうだったしね。


正直、コメントやレスがあるとすごく嬉しい。でも、たくさんの人からほしいとは思っていない。私はワガママで、「この人からほしい」という人からもらえるのが今はいい。それでも昔はそんな考えじゃなかった。新しい人からのコメントだって嬉しいと思ってた。いろんな人と友達になりたいって。けれど、ネットで誰かと交流するようになって8年が過ぎ、多少考えは変わっていき、今では新しい人が書き込みにくると疑惑の目で見てしまう。過去にいろいろな人とトラブルを引き起こしてきた私なので、そういった過去の知り合いの誰かが、様子見で近づいてきたんじゃないかって。その目的が、私とよりを戻したいのか、仲良くなって本音を聞きだしてどこかに晒すつもりなのか、それはわからないけれど、好意的だろうがその逆だろうがどっちにしても私は新しい繋がりはすべてを切り捨てるスタンスで今はやっている。こっちが見つけてきてしばらくヲチして、その人を自分なりに把握してから、それから繋がりを持つというやり方でしか今はできない状態かな。まあ、こういった自分だから、コメントとかつけようという気にはなれないだろうし、仲良くしてみようという気にもなれないんじゃないかなあとは思っているんで、今では寂しいとは思わない。



自分自身で作り上げてきた、これが私なりの楽園。書くためにすべてを犠牲にした。それが楽園を手に入れるための等価交換だった。ただそれだけのことだ。記憶の中の楽園と、自分で手に入れてしまった楽園。そのどちらも私にとっては大切な楽園だ。記憶の中の楽園にはもう二度と戻れないけれど、今は手にした新しい楽園がある。好きに書いていくために、そのためだけに存在する楽園。それを人は「寂しい楽園だ」と評するかもしれない。でも、私はやっと私だけの楽園を手にしたんだと思っている。


-----------------


共感したのでれっつらリンク/2008-01-24 - xoasisblog
スポンサーサイト

つまらないとかそのへんの話

2008年01月24日 16:30

この記事が投稿されるまで、最新記事に意味不明なものが上がっててすんまへん。てか、こんな僻地、リアルタイムにみてる人なんていないか。(笑)つーか、本文まだ書いてないのに受け付けんなよFC2って思ってみたり。(爆)


人をつまらないと思うことについて - やや最果てのブログ


私にとって「つまらない」と「興味ない」は全然意味違うんですよね。私にとって、興味ないから接しないというのは決して「つまらないから接しない」とは違うのです。まあ、人によっては「それがつまらないってことなんだよ」になるんでしょうが、でも私は違うと思ってます。だから、つまらないって思ったことがない。つーか、つまらない人なんていないよなあって思ってます。どんな人でもおもしろいところってありますからねえ。私って自分なりに人を見ておもしろがるところはあると思ってるんで、つまらない人だよなあって感じたことがないんですよ。けれど、決して私は自分を視野が広いとも思ってないんですけどね。つか、こういう視線って、人によってはものすごく不快に感じられることでしょう。他人をおもしろがるなんてって。
確かに誰かが自分と似たようなことを書いてたり言ってたりしたら「当たり前のこと言ってる」と思うことはあります。けど、それでその人を「つまらない人」とは思わない。他の人は違うのでしょうか?


リンクした記事を書いた人、理解されたいとか理解したいとかがわからないと言っているようですが(違ってたらすんまそ)、まあそういう人もいるでしょう。でも、私から見れば、そうやって何か書いて不特定多数に見せてる、その行為自体が「理解されたい」と同義だと思っているんで、無意識のうちに「理解されたい」んじゃないかなあと思うんですけど。ほんとにわかんない人っていうか、理解されたいとも思わない人はそんなところで何か書いてなんかいない気がするんですよね。


それにしても、この記事書いた人もだけど、そのリンク先の記事もちょろっと読んで、ああ、ほんとにおもしろい人がネットには多いなあと思った。おばさん、嬉しいよ。いろいろな考え、いろいろな感情を知ることができて。だから人さまの書いたものを読むことはやめられない。

リアリティなんか求めていない

2008年01月18日 08:12

愛はいらない - メモ


三角関係は嫌い。まあ嫌いと言っても有無を言わさず三角関係になってしまうこともあるだろうからどうしようもないんだけどね。でも、私にとって子供の頃から三角関係っていうのは鬼門だった。男女間だけでなく、同性同士の三角関係でも。もっとも、いつでも私が二対一の一の方だったのだけど。特別な人間になりたいからって、そういう特別なんかカンベンしてよだったんだけどねえ。私は、孤高じゃなく、誰かの特別になりたかったんだから。


自分を振り向いて欲しいとアクションをかけ、手応えを感じ始めると次第に気持ちが醒めていくのはなぜだろう。なぜだろうて、みんながそうじゃないか^^;;



私にはその気持ちはわからないな。手に入らないから執着するっていうのが基本な私だとしても、自分がアクションをかけて手に入れたことが残念ながら一度もないので、醒めるのかどうかもわからない。


手中に入れたころには、すっかり恋心はなくなっていて逆につまらないところばかりが目に付くようになる…。



自分からアクションを起こして手に入れた経験がないので、そういったのはわからないのだけど、でも、確かに自分が欲して手に入れたものに興味がなくなってしまうことはあるかもしれない。たとえば、私は子供の頃から「欲しい」と思ったら、親におねだりをしまくって買ってもらったりしていた。でも、そうやって手に入れたものだったとしても、すぐに飽きてしまい投げ出してしまう。そういった性格だったので、それも人間相手であっても同じことになるのではないかと危惧している。だから、私は自分から望んだ物(者)を手にしてしまっては駄目なんだろう。


成就しなかった恋愛を引きずる人はどこか夢見がちでファンタジーの世界に住む人のようである。



私は私をよく知る人にはよく言われるよ。「夢見る夢子ちゃん」と。まあ、それだからこそ、私の書く恋愛小説は夢のようなファンタジーだと言われるのだけど。リアリティのないものだと選者に批評されたこともあったしね。でもいいんだ。私は小説に、いや、物語にリアリティなんか求めてないから。リアリティなんて現実でたくさん。物語の中だけでも夢見ていたい。現実ではありえないファンタジーを見続けていたい。それが私にとってのリアリティなのだから。それが小説に対する私の立ち居地なのだから。

面と向かって言えたなら

2008年01月16日 00:38

消極的に見えて積極的な自己アピール - メモ


まあ、私の場合は決して消極的ではないよね。ただ、立ち居地は消極的か。だって、ファンクラブには入ってないし、ライヴも行ったことないし、ファンレターも一度しか出してないし、メールだって何ヶ月も出さないこともある。これは積極的にアピールをしているとは言えない。ただ、私は自分がかなり積極的にGに対してアピールをしているという自覚は持っている。


一ファンが自分の存在をアピールしてどうする…そう、この心理はライブで演奏中のミュージシャンと目が合うのを喜ぶのと同じ。私にとって大好きな人でも、相手にとっては私はその他大勢の中のひとりに過ぎない。もちろん、ミュージシャンにとってファンはすべて好きな人だろうけれど。ライブで目が合ったのも偶然(すごい美人だったので見つめられたということもあるかもしれないけど)で、「私」を「私」と意識して見てる訳ではない。にも拘らず、「私」を見つめてくれたと思いたいのだ。



自分の書いた小説の文中に出てくる詩のタイトルが彼の歌のタイトルと同一だった。それだけで「ああ、彼は私の書いたものを読んでくれたんだ」と思い込む。それはただの幻想。ファンクラブにも入っていない私の書いたものなど読んでるはずがない。「僕は5万人の前に立つ男」と言い切る人の目に留まるほどのものを私は書いているという自信は残念ながら持てない。ただ、そういった偶然の一致で「もしかして…」と思ってしまうのはしかたないことだと思う。私は夢を見たい女だから。以前、大好きな作家にメールで自分の書いた小説をサイトで公開しているので読んでもらいたいというようなことを書いて送ったことがある。それに対してその作家はレスはしなかったけれど、日記で「そういったものは読まない」といったような内容を書いたことがあった。別に私に対しての返答で書いたという書き方じゃなかった。そういった「読んでもらえますか」という声は私以外にもたくさん聞かされていただろうから。だけど、その一件で、やはりああいった人たちは一ファンのことを特別視はしない、平等に見るのだなと思ったものだった。だから、Gだってそうだろうと思う。けれど、彼らも人間、どうしたって好みの相手に対しては特別視はしてしまうことだってあるだろう。ただ、私は今までにそういった特別な存在としては誰からも見てはもらえなかった。私から相手に「特別に見てください」と言って、ということでだけど。だって、私を特別に扱ってくれる人がまったくいないわけじゃないから。少なくとも私の両親はそうだし、旦那だって私を特別視してくれている。ただ、彼らは私から「特別に見て」と言ったから見てくれたというわけじゃない。私の気持ちなど関係なく、自分の方からそう見てくれたわけだから。


ネットを始めるようになって、ネットで知り合った人たちの何人かには私から「特別に見てほしい」と思った相手がいた。けれど、今までに、そういった人たちからは特別視をされたという覚えがない。ことごとく嫌われ、そして決裂していった。どうして私を特別視してくれないのか。嘆いたものだった。もちろん、私は悪くないとは言わない。私の考えや態度で特別に見てはもらえなかったんだろうから。Gに対しても、ネットをするようになったから、だから身近に感じられるようになったということで、ネットのおかげでGに対しても「特別に見てほしい」という欲求は生まれた。そして、彼へのメールには、関心を寄せられたいという一心で、やはり自分の書いたものを読んでほしいと、ネット上に散らばるURLを書いて送りつけた。エッセイブログがあれだけ余所行きの文章であるのもそのためだし、ライブドアで書いているものだって、彼に好かれたいという一心で、他の人とは違うものを書いてきたつもりだ。


私の場合は決して「好きになってもいいですか」なんかじゃない。私はそんな消極的じゃない。私はいつでも「好きです」というオーラを出しまくってる。ただ、それはとてもじゃないけど素直な「好きです」じゃない。本当に素直な「好きです」なら、何が何でも直接相手のところに行き、面と向かって「好きです」と言うことだと思うから。で、私はとてもそういった行動はできない。だから、私のそのアピールも「消極的に見えて積極的な自己アピール」なんだろうなと、そう思った。


こんなヘンタな私なんか、Gには好かれないかもなあ。どうかなあ。こんな私。どう思うかなあ、Gは。ああ、面と向かって「好き」と言えたら、面と向かって「こんな私はどう思いますか?」と聞けたら、どんなにいいだろう。

歪んだ愛情

2008年01月14日 09:39

黒と白のブルース セカンドライフその2


たーしゃんってばそんなもんいつのまにかやってたんだ。(W


「リアルでの一般社会生活に馴染めないモンが特殊なネットの中のセカンドライフと言うステージで他者と上手にコミニュケーションを取れるわけが無い」



それは、あなたがリアルもネットも同じスタンスでやってるからだと思うよ。といっても、私が同じスタンスじゃないからリアルとネットのキャラが同一じゃないというわけじゃないんだけど。私は間違いなくネットで見せている気質もリアルで内包されている。ただ、見せていないだけで。まあ、見せてしまうこともあるんだけど。コミュニケーションをうまく取るためには積極的に見せないほうがいいという判断をしただけ。めんどくさいしね。本音を見せると、いろいろそれについて説明しなくちゃならなくなるから。けれど、ネットの私が「本当の私」というもんでもない。リアルで本音を見せないようにしているその気質も私の気質。まあ単純に「こうなんだ」と決め付けられないというだけのこと。それに、ネットで見せているものだって結局は限られているしねえ。まだまだ「こんな面があったんだ」と思われることもあるだろうと思う。


相手のつまらない一言で気分を害す。
リアルで無いから本人も気がつかないうちに相手を傷つける。



あははは。それまさに私のことだ。(笑)
私も相手の気づいてない一言でむかついて相手の知らないうちに切り捨てたことあったしねえ。あと、自分で気がつかずに相手を傷つけるってことも何度もやっちゃったし。まあ、お互いさまなんだろうな。そこでどこまで執念深く覚えているか、なんだけど。私の場合は、執念深く覚えていることがイコール愛情なんだろう。歪んだ愛情なんだけどね。


それにしても、新しい画像、カッコイイ!

これからも書いていくよ

2008年01月13日 23:05

つまらない言葉 - 忘れ去られるべき日々について


アウトプットにうんざりして書くことを休養しようという人がいるかと思えば、私の恋愛詩の師匠がブログをやめてしまうことになったみたいだし。まあ人の事情に他人が口出すもんでもないしね。


私はここで書くことはずっと休養していたわけだけど、毎日相当量のものは書いていた。まあ書いていたというよりは書き散らしていたという感じではあったけど。その一部分は私を知る人はずっと見てくれていたようだし。私は書くことにうんざりすることはない。絶対に。同時に読むことも。まあ、昔のように長文はなかなか読めなくなったんだけどね。


私はこれからも書いていくよ。誰が読まなくなっても。誰が読んでいても。日常が忙しくなって「ブログをやめたあなた」へ。今までありがとう。私に見詰めさせてくれて。そして、私を見詰めてくれて。長い付き合いになるとかつて言ってくれたけれど、その言葉はまだ生きてる?まあ今はもうどうでもいい。私はこのまま好き勝手に書いていくから。あなたが見てなくても見ていても。私はこのままだよ。ずっとね。

ルールなんか決めたくない

2008年01月13日 09:23

(はじめに)↓の記事に寄せられたトラックバックはこの日の日記に寄せられたものです。ちなみに文中内でリンクしてくださった「死を生きる」はこちらのURLに変更になっています。少しは表示ストレスがなくなるかと思われ。

++++++++++++++++++++++++

ブログはタイトルから? それとも結論重視? - すちゃらかな日常 松岡美樹


「それを主人公に言わせるためだけに作った」というところに、筆者のこだわりが感じられる。よほどセリフに思い入れがあったのだろう。



時には「この描写」にこだわりを持つ場合もあって、とあるシーンを書きたいがために書き上げた小説もあったな。それが「月下狂瀾夜想曲」だった。これに出てくる醜い男とその男を愛した少女の逸話で、死んで幽霊のような存在になった少女が死に掛けた愛しい男と魂を融合させることで男の命を助けるというのがある。まあこれも彼女のセリフに思い入れがあって、そのために描いたエピソードだったのだけど。


「あたしはあなたの魂の中でずっと生きていくの」
「あたしたちはひとつになる。ひとつの魂となるの」
「あたしたちはずっと二人一緒に生きていけるのよ」


これはmy little loverの「halo,again~昔からある場所~」という歌をモチーフにして作り上げたエピソードだったんだよね。「記憶の中でずっと二人は生きていける」の「記憶」を「魂」に変えた。
言葉というか、私はセリフというものに強い思い入れがある。言葉には魔力が宿っているという考えを本気で信じてる。だから、誰かが発する言葉を愛するし時には憎みもする。そして、自分も言葉をより効果的に発したいという気持ちを持ってたりする。


 もちろん小説じゃなくブログでもこういうのはある。何かのシーンや心にひっかかる発想が突然わき、まずメモる。で、それをテーマにしたりオチにしたりして1エントリを書く。カケラから全体が生まれるパターンだ。



自分の書く小説なんかは大抵がこんな感じで書かれる。ブログなんかも時たまそんなふうに書かれる場合がある。何かテーマを決めて書く場合はそういうもんじゃないかと思う。オチは大切だしね。ただ、すべてのブログ記事がそうかといったらそういうもんでもない。テーマなんか決めずにダラダラ書く場合がそれだ。ここでこれから書いていこうとしている「言及とは名ばかりなり」のカテがそういう感じで書かれるものだと思う。公開するものだから、誰かに読まれることを前提にして書いてはいるけれど、着地点を決めて書くつもりはない。勝手に書いて勝手に読まれて勝手に解釈される、そんなふうにやっていけたらいいなあと思う。ルールを決めずにやっていく。それが私にとって一番長続きすることなんだと思うから。そういう点で私も次の言葉に同意。


「結論は、これ読んだあなたが自分で考えてください。だって他人がまとめるより、自分で発想するほうが面白いでしょ?」



でまあ、私のここの場所は誰かを積極的に勧誘するつもりはない。だからタイトルも他の私の運営するブログのように考えに考え抜いてつけるつもりはない。それから、コラボレーションだけど、そういうのも昔はよくやってたよなあ。つーか、こんなふうに誰かの書いたものでさらに自分語りをするっていうのも一種のコラボとも言えるわけだけど、私がここで書くようなものはちょっとコラボとは違うんだろうと思う。ちゃんとした言及記事ならば立派なコラボなんだろうけれど、私の書く言及もどきは完全なる自分語りだからなあ。ただ、人によっては「あの記事からそんなものが出来たのか」と面白がってくれる人もいるだろうしね。まあ、昔、日記に書いてたようなことをまたやってみるかなというそれだけでまた始めましたということです。


つーことで、三度(だったかな?もう忘れた^^;)よろしくなのです。

手にする成功はどっちも同じ

2008年01月13日 08:42

努力と成功 - メモ


書かれてることに全面的に同意。「近道を見つけて成功する」っていうのは他人から見れば「世渡り上手」という印象があって、嫉妬深い人から見れば「ずるいよなー」と思う人もいるかもしれない。で、そんなに簡単に手に入れることより、努力して頑張って手にすることのほうが価値あるものだという人が出てきて、そうやって簡単に手に入れてしまうことはよくないことなんて言ったりもするわけで。でも、どっちがいいか悪いかなんてものは誰にも決められるもんじゃない。ただの価値観の相違だけであって、簡単に手にする人も努力して手にする人も結局は成功を手にすることに違いはない。まあ、簡単だろうが努力だろうが、成功を手に出来ない人だっているわけだから、そういった人は怒りの矛先を誰かに、あるいは自分自身に向けてしまうんだろうけれど。まあね、人間諦めも大事。成功しない、ま、しょうがないか。だったら他に目を向けようと。そうなることがいいんだろうけれど、これもまたね、場合によっては執着することがいい場合もあったりして、そこらへんの見極めが一番大切ではあるんだけど。ただ、そういった見極めはなかなか身につくもんじゃないし。


そんなに儲からなくてもいいという人がいると、不思議に感じるけれど、それは五感を活用するすごくシンプルな生をエンジョイする術を知っている、あるいは体質に合っているとかお好みであるとかで、お金持ちからしたら貧しそうでも本人は楽しく幸せなのだと思う。



うちがそうだな。確かに毎回三億を夢見て宝くじを買ってはいるんだけど。旦那も私も仕事で稼ごうとか思ったことは一度もない。私の昔の上司なんかは、上に上がるためにいろいろ頑張ってたみたいだけど、うちの旦那は上に上がる能力は十分あったにも関わらず、同じ頃に入社した人たちがどんどん上のポジションになっていく中で、何年たってもずっと平のままだった。それは仕事で成功したり稼ぐために価値を見出してなかったから。金なんて日々生きていくものがあればいいという考えの持ち主でもあるんで、ぶっちゃけ、うちには蓄えがほとんどない。今病気になって寝込んでしまったらすぐに生活していけなくなるだろう。けれど、それでも幸せだ。蓄えはないけれどとりあえず借金はないし、とりあえず仕事はあるし、病気してないし。それだけで幸せ。この幸せが崩れたときのことはそのときになってから考えればいいという、まあいわゆる「今さえよければそれでいい」という生き方ではあるんだけどね。




2008/1/20追記


被言及/続 努力と成功 - メモ

そんな日がこないことを祈りたい

2008年01月13日 00:49

歌のこころ - メモ


そのころといえば救いようのない女の未練を歌う『北の宿から』、『津軽海峡冬景色』『あずさ2号』では終った恋の始末をつけるために現実の生活からも逃避せざるをない女性が歌われ、泣いて泣いて一人泣いて泣いて泣き潰れて眠るまで泣く女性を歌った『酒と泪と男と女』などがある。


私は進歩派を気取っていたつもりはないけれどワリとドライな性分なせいかそういうメンタリティには共感しなかった…



共感という言葉だけでレッツラ自分語り。(笑)


旦那は、宇多田ちゃんの「Flavor Of Life」がものすごい切ない歌だと言ってたけれど、私にはいい歌だなとは思えても、そんなに切ないとは思えなかった。旦那としては、彼女が旦那さんと別れたことをあの歌では歌っているということからそう思ったんだろうけれど。でも、私はそういう別れにはまったく共感しないんだよね。だって、私は旦那と別れる、つまり離婚するなんてありえないと思ってるから。微塵もそういうことはないと断言できるほどの気持ちを持ってるから。だから、あの歌には共感できない。


そんな私が共感できるのが、ドリームズ・カム・トゥルーの「AND I LOVE YOU」これはもうね、初めて聞いたときに泣いた。もう号泣。(笑)


おそくなるよの電話はもうこないけれど



↑これ、これよ、この部分に号泣。そりゃもうね、毎日、そんなふうになるんじゃないかと思って旦那を送り出してるから。私にとって、離婚とかそういうことで旦那と別れることなんかより、死別で別れてしまうことが一番共感してしまうことなんだよね。


ほんと、あの小説書かないとなあ。クリスマス企画で前に旦那と一緒に作った物語の続編。

諦めること

2008年01月12日 19:09

闇を飼いならす? - あれとかこれとか (Lefty)


騒ぐほうが変な人なんだよ。
私はその折り合いをつけて生きている。
というか、たぶん折り合いつけてるというよりは、諦めなんだろうなと思う。
闇は飼いならすもんじゃなく、諦めで包み込む。そういうもんなんだと思うよ。

ノイズの一日

2008年01月02日 17:22


「ふんふん♪」



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。