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傷ついて醜くなることの勧め

2008年02月26日 10:51

404 Blog Not Found記憶とは、傷である。


私にとって、スタイルというのもまた傷である。人によって、どこが傷で真っ白になり、どこが無傷で、どの傷を誇り、どの傷を恥じるか、それがスタイル。


いずれにせよ、人生が記憶であり、記憶が傷である以上、人生とは傷なのだ。


この記事があなたにつけた傷が、あなたをより豊かにしますように。



ここで言う「傷」って、ネガティヴな意味はまったくないよね。けれど、傷ってつかないようにするじゃないですか。けれど、考えてみたら傷って同じところを何度も傷つけるとそこの肌は堅くなっていくでしょう。だから耐性ができていくってことにも繋がるんですが、でもその傷跡ってすごく醜いんですよね。私も子供の頃にひじを何度も怪我して傷を作ったんですが、そこだけ肌が醜くなってたんです。心もそれと同じで、何度も何度も傷つくと醜くなっていくような気がします。中には、天使のように綺麗なままでいる人もいるんでしょうけれど、そういう人は、生まれてこのかた一度も傷ついたことがない人なんでしょうね。でも、醜いからってそれがダメなんだってわけでもないですし、天使のように綺麗だったとしても、深みはないだろうと私は思いますしね。
傷ついて醜くなった人ほど、人間が深いんじゃないかなあ。だから、傷つきまくって醜くなっても、それを卑下することもないんだろうと思います。そう思うと、傷つくこともそんなに悪いことじゃない気がします。って、そう思えるまでいければいいですよね。まあ、私はとりあえず思えるようになりました。
どうすればそこまでいけるのか、それはもう自分で気づくしかほんと道はないんだと思います。よく、自分で気づけと言われると、その方法を教えろと言う人もいますけれど、気づく方法なんてほんと千差万別だと思うし、自分自身だって、何か方法を見つけたわけじゃないですからねえ。ある時ヒョイッと気がついてたって感じですし。これはもうね、運としか言いようがないと私は思います。私に言えることはそれだけですね。
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表現やめないよ

2008年02月26日 10:47

suVeneのあれ 「感覚」と「理屈」


まあ、表現というか、書くってことだよね。書き続けてほしいと言ってくれた人がいたからやめないというわけでもなく、私はやっぱ書きたい人だから書き続ける、ただそれだけかな。


このような、「感覚」と「理屈」の齟齬は、本人にとっても十分自覚的な場合が多く、それを承知した上で「内面の吐露」のような形で、ブログなどのエントリに表現されていることも多々あるだろう。そして、その「内面の吐露」のような表現に対して、いわゆる「理屈」で対応することは、すれ違いになりやすいのではないかとも思う。



間違いなく、私の場合は「感覚」で書く側の書き手。だから、そういった書き方をしてない人にとっては気持ち悪い存在だろうと思うし、どうしても気持ちのすれ違いは起きる。大抵は私のほうが片思いで、相手は嫌ってるということが多いんじゃないかな。だって、理屈っぽい人から好意を向けられたことってあまりないから。好意というか多少は興味持ってもらえたとしても、結局は嫌われる。もっとも、そのほとんどが、私があまりよろしくない態度を取るからでもあるんだけど。好意を向けられ続けたいと思うなら、もっと努力しろって言われてもしかたないよね。まあ、そんなこと言われたことはないんだけど。でも、何となくそんな空気を感じるんだよね。どっかから「考えすぎ」とか聞こえそうだけど。しょうがないじゃん。そういう奴なんだから私って奴は。


つーか、そのすれ違いなんだけど。それでもすれ違わない場合もあると思う。タイミングなんだろうなあ。私なんかも「この人とはうまくいかないような気がする」と思った相手と、魂の繋がりを感じるくらいの仲になったことだってある。それは、もうね、タイミングがよかったとしか言いようがない。どんなにうまくいきそうな相手でも、タイミングの悪さで壊れてしまう仲もあるから。
だから、「齟齬を責めること」を否定はしないよ。好きに表現することも認めてくれるというのなら、齟齬を責めるのも自由だし。それを受け入れられない人は無理に表現しなくてもいいし。私みたいに図太く表現していく奴だけが何でもかんでも書いてけばいい。残念に思う気持ちはわからないではないけれど、私に限り、しぶとく書いていく人だけのものに私は愛情感じるんで、責められてもう書かないとなった人には興味ない。残念にも思わない。読ませてくれない人なんて私には興味ないから。いつでも読ませてくれる人だけが興味の対象。そして、それを読んで自分語りを書かせてくれる人。私に書くことを規制しない人。そういう人は私にとって本当にありがたい存在。どんだけワガママなんだよって感じだよね。書かれたくない人のことまで書いてしまう奴だから私は。そりゃ嫌われるわけだ。でも、規制することは自由だから別に言ってもいいよ。「書くな」って。けれど、私は書くよ。それがイヤなら頭の中に書いてほしい。私に読まれたら書かれてしまうことだけは忘れないでね。

読みたいと思ってくれる人のために

2008年02月25日 11:04

304 Not Modified 自分のサイトを教える/教えないの境界線


ホームページを作成し、それをウェブ上で公開した頃、思い切り引きこもり状態だった私なのでリアルの知り合いにはサイトの話をするということはなかった。でも開設して一年後の正月の年賀状にはURLを明記して何人かには教えた覚えがある。で、私のサイトはあれから8年ずっと同じURLだ。サイト名もずっと同じ。HNというかPNもずっと変わらず。ただ、サイトを開設してから何年か後、日記だけ独立させてライコスで書いていた頃から、複数のHNで文体の違う日記を書き出した。読む人によっては、違う文体を同じ場所で書くことに違和感を覚える人もいたので、混乱を避けるための書き分けだったんだけど。こちらの文体はよくてもあちらの文体は嫌いという読者の好みもあり、それで教えるサイトと教えないサイトと出てくることになったな。


「恥ずかしい」というのは私にはなかった。「恥ずかしい」と思うのは、大抵が読者の方だったように思う。小説などでも私は18禁やBLなどを別のサイトで書いていたのだけど、それを男の人に読まれてもそれほど恥ずかしいとは思わなかった。中には「あなたの体験談が書かれているのか」と言われたこともあるのだけど、それについても別にそう思われてもいいとも思っていたし。それに、100%体験が入っていないとは言い切れないし。だから、私は「恥ずかしい」という気持ちがわからなかった。それだけ他人に自分の文章を読まれるのがあたりまえだと子供の頃から思っていたからだ。


ただ「恥ずかしい」とは思わないけれど「マズイな」と思ったことは何度かある。自分の正直な気持ちを日記で綴っていると、リアルの知り合いに自分の考えていることをわかってほしいと思うあまりに、ついつい言い過ぎな日記を書いてしまったこともあるからだ。息子が小学生の頃には学校関係のことでちょっと言い過ぎな感じのものを書いたこともある。日頃から学校というところに不満を持っていた私でもあったので、「これ書いたらマズイかもなあ」と思いつつも、わかってもらいたいという気持ちが強すぎでついつい本音を書いてしまったものだった。当時の息子の担任が私のサイトを見ていることを知っていてもそれは歯止めにならなかったな。私はそれだけ自己顕示欲が強いのだろう。そうじゃなきゃこんなふうにウェブでなんかかんか書いてないからねえ。


その境界線、自分のサイトを教える/教えないの境界線は、やはり「価値観」になっちゃうのかな。サイトで発信している情報(内容)に対する価値観、情報を発信することに対する価値観、情報発信をサイトで行うことの価値観。私は、それを否定されない人になら自分のサイトを抵抗なく教えられると思う。



私の書く物が価値のある情報だとは思わない。けれど、価値があるかどうかは読んだ人が決めることだ。価値観が違っていて、私の書いたものを否定されたとしても、たとえ誰一人価値観が私と同じじゃなくても、それでも私は書き続けるだろう。積極的に読んでもらおうとはせずに、読みたいと思った人が読み続けてくれればいい。私は自分のためと、私の書いたものを読みたいと思ってくれる人のためだけにこれからも書き続けていくよ。まあ、わざわざ否定するために読む人もいないわけじゃないと思うんで、そういった人のためにだって書き続ける。だって、そういった人も、私の書いたものを読んでくれる人だからね。読みたくなくて読まないという人よりは私にとってはマシな存在だと思っている。

オチはないけど意味はある

2008年02月23日 11:59

304 Not Modified はてブの向こう側を見る人


この2人のような、はてブした記事だけでなくその向こう側にいる人まで見てくれるユーザに、自分のブックマークをお気に入りに入れてもらえるようにがんばるぞ!



私は頑張りたくない。頑張らない私でもお気に入りに入れてくれるのがいい。っていうのがいいかな。でも、向こう側にいる人まで見てくれる人を私だって好きだし。私をお気に入りにしてくれなくても、誰かを褒めているその人を見るのが好きなんだよね。まあ多少は嫉妬もするけれど、自分を気に入ってくれないから嫌いになるってことはないかな。
確かに、気に入って貰えるように努力することは悪いことじゃないし、そういった努力もコミュニケーションには必要なんだろうけれど。でも、私はそういうことはしたくないし、そういうことで手に入れるコミュニケーションには価値を見出していない。自然体の私を気に入ってくれる人とじゃないと長く付き合っていけない気もしているから。


発信者としての私は、たくさんの人に見てもらうよりも、
 しっかり見てくれる人に自分を見てもらいたいのです。



↑に超同意。(W

変わり者の定義

2008年02月22日 10:51

ブロガーの資格(まなめはうすより - 踊る肉とパイナップル


文章を書くことが主なストレス発散だと思います.なぜかローカルで書くのは続かず,ネットで公開するという+αがついてはじめて満足感を得る.そんな私は世間から見れば変わり者なのだと思います.



文章書くことがストレス発散というのは私も同じだ。ローカルで書くのは続かないっていうのも同じ。ネットで公開していることで満足感を得るっていうのもわかる。そのプラスあるふぁっていうのもね。でも、それが「世間から見れば変わり者」というのは違うんじゃないかなと疑問に思ったんでれっつら脊髄反射。(笑)


私の認識が「ローカルで書き続けられる人の方が変人」と思うから。まあ、これは私がそう思うってだけなんで、ほんとは他人に読まれることが快感で書いてる人のほうが変人なのだということが真実なのかもしれないけど。でも、私は結局は自分本位でしか物事を考えられない奴だと思うんで、ローカルで誰の目にも触れないものを書き続ける人の方が、私にとっては「変人だ」と思っている。それが私にとっての常識。
つーか、ローカルで書き続ける人はネットになんか自分の書いたものなんて公開しないんじゃないかなあ。たとえ非公開で鍵つきのところで誰にも読ませずに書いてたとしても、私にとっては「いつか誰かに読まれるかもしれないと思って書いてるんだ」と私は思っている。どんなに「ただのメモとしてつけてるだけだ」とその人が言ったとしてもね。だって、そうなら、完全にローカルで自分のパソコン内だけにとどめておくでしょ。消える可能性があるのが心配ならプリントアウトでもCDにでも焼き出しておけばいいわけだし。ネット上で管理することは、どんなに鍵つけてたとしても、悪い人なんかはいくらでも見るやり方は知ってる気がするしねえ。だから、読まれる可能性はまったくないわけじゃないもの。


でもまあ、ローカルで書き続ける人が変人っていうのもちょっと違うかもしれない。それは昔の日記と同じことでもあるしね。日記書くことは普通だし。それに日記は普通の人は読まれないことを前提として書いてるわけだし。私みたいにいつか誰かに読まれることを前提にして書くじゃなく、読まれない前提で書いているのが普通だと思うし。
だから、ここで私が思う変人っていうのは、鍵かけて非公開でネット上で日記やなんやらを書いてる人かな。誰にもパスワードを教えずにネット上で書き続ける人、それが変人さんなんじゃないかと。しつこいようだけど、この変人さんは「私が思う変人さん」だからね。自分本位で考えたことだから。あくまで私だけの考える変人さん。だから突っ込み入れないようにね。(W


私なんかは、たとえ鍵つけてたとしても、いつかは誰かに読ませることを考えて書いている。本当に絶対に読ませたくないものはネットだろうが紙媒体だろうが一文字も書かない。読まれたくないことは頭の中に書きつける。そして、墓場まで持っていくよ。

私なりの文学への目線

2008年02月15日 10:08

本を読むことと本を語ること - メモ


「質の悪い読者」と言われたことがある。私の場合は読んでない本について語ったわけではないけれど、私も読んでもない本について「読みたいとは思わない」とか言ったこともないわけじゃないんで、読書や批評について、偉そうな口はきけないんだけど。でも、それでも過去に偉そうなことを書いたこともある。好きな作家やその好きな作家の書いたものをさんざ悪く批評されて、何もわかっちゃいないと、酷い批評をする人を「ダメなヤツ」とレッテルはったこともあるしね。けれど、好きな作品をけなされても、それでも「この作品のここがダメ」とか書かれているのを冷静になって見てみると、批評する人によっては「そんな見方もあるんだなあ」と感心することもあるということに気がついた。というか、ひどいひどいと批評してても、そこに愛が感じられる酷評をしている人もいることに気がついたんだよね。それに気づいたとき、私の好きな作家を酷評する人のすべてに今までとは違う目を向けるようになった。


いつも同じレベルのものを提供できるはずがないんだ。好きな作家であっても、この作品は好きだけどこの作品はちょっとなーというときもある。最近読んだ好きな作家の短編集でもそういうのがあった。そんなとき、好きな作品については雄弁に語れる私であっても、ちょっとなーという作品についてはうまく語れない。そりゃもうね、作家に心酔している人の目に触れたら、ちょっとした批判でも逆鱗に触れてしまうことはあるわけだから、なかなか書けないよ。自分が「この作品はちょっと…」と思っていても、他の読者には「その作品は好き」という人だっているはずだから。だから、怖いもの知らずな人だけが、正直な感想を堂々と不特定多数に見せることができるということがネットでの感想の書き方になってしまってるよねえ。それもよくない傾向かもしれない。それは本だけに限らず、映画や音楽や、そういったものにも同じ現象は起きているし。


やっぱり、どんな感想・意見・批評でも、規制されてしまうのはよくないんだな。好きに正直に、これは好き、これは嫌い、それはなぜか、こういう理由で、こんな感じで、って、書いていけるのがいいよなあ。


いい読者がいい批評家とは限らない。読んだ本を語る人より語らない人の方がはるかに多いのだ。



いい読者なんてきっと一人もいない。というか、いい読者・悪い読者という概念がおかしいんだ、きっと。つまりは私が言われた「質のいい読者」「質の悪い読者」というのもおかしい。読者はただの読者。たとえ、どんな批評をしたとしても、どんな感想を持っても、すべての人を満足させる批評や感想なんて誰一人できる人なんかいないんだよ。書いた作者だって、自分はこういうことを書きたかった、こういうことを伝えたかったということが伝わらなかったとしても、それは読者のせいじゃないし、たとえ、自分の想いが伝わったとしても、それだけが正解なんじゃない。書いた自分の思いもよらなかった感想がでてくることをもっと楽しんで、それをさらに新しい作品に活かせることができることこそを重要なんだと思えるようになれればいいのになと私は思う。文学って1+1=2のように一つの答えしか出てこないわけじゃないもの。いろんな答えがあるのが文学の醍醐味だもの。「これなんだ!」という決め付けなんかないほうがおもしろいじゃないか。


人の数だけ様々な答えがある。それが文学の存在意義なんじゃないかな。

どうでもいい話をひとつふたつみっつ

2008年02月14日 23:15

はてなブックマーク - 読んでもらうために気をつけること - 北の大地から送る物欲日記


なるほどね。コメ欄見てたら、文章長いのとか、だらだら改行なしで書かれているのって読む気がしなくなる人多いんだね。やっぱりね。そうだろうねえ。いいこと書いてあっても読む気がしないかー。なるほどなー。そういうもんなんだね。それが普通なんかね。普通なんだろうね。まああれだ。価値観の違いか。私の場合だと、どんなに万人が読みにくいと言って読む気なくしてるだらだら書きの文章だとしても、書いてる人に興味あって、書かれてあることが興味あることだったら読む気は起きるけどねえ。そういう人っていないのかな。まったくいないわけじゃないとは思うけどね。けどさ、読まれたいと思う人は知っとく必要のあることだよね。私には必要ないことではあるけれど。もう配慮なんて考えたくもないし。好きに長く書いてくためにはこれがいいって思ってやってるだけだし。それに、他人じゃなく自分のために書いてるから。私以上に自分のために書いてる人もちょっといないと私は思ってるけどねえ。まあこれも思い込みだけど。やあやあ我こそが一番自分のために書いてるのだーって言う人も出てくるかもしれないしね。まあいいや。どうでもいいや。私はハードル超えてでも読んでくれ、興味持ってくれる人を求めてるから。ま、そうそうそんな人は出てこないけどね。

私の長く続けていくコツは

2008年02月14日 10:09

404 Blog Not Found読者という神は自らを助くbloggerを助く - blogを続ける3つのコツ


まずは未来の自分が読みたくなるような記事を書きましょう。



あーこれは確かにそうだなあと思う。私なんかも8年ウェブで日記を書き続けてきているけれど、過去日記を何度も読み返していて、その中でも、読み飛ばすものと、じっくり読み返すものとに分かれるからねえ。じっくり読み返すものには、それこそ自分がそういう気持ちになるようなものが書かれてるから。内容だけでなく、とりあえずまとまった量の文章が書かれてて、自分の気持ちが正直に細かに書かれていることが多いね。


blogで仲間通しのノウハウ交換をやっているうちに、見物人がわらわらとやってくるのです。



うん。まあこれも言えるよね。


だったら何の遠慮がありますか。徹底的に利用しましょう。自分が絡める話題であれば、遠慮せずに絡みましょう。異論があればどしどし述べましょう。そのアルファブロガーが何か悩んでいて、それに対して何かできることがあれば、「どうせそのアルファブロガーの記事の方がアクセス数が多いんだろ」とか言わずに助けてあげましょう。



私もこの人のブログに一度だけトラバ送ったことがあるけれど、やっぱりアクセスには繋がらなかった。確か、あの時だってほとんどアクセスはなかったように思う。なんつーか、他人はあまりトラバなんて見てないんだなと思ったもんだった。いや、この人が、じゃなく、この人のブログを見ている読者が、だったんだけどね。けれど、何度も何度も絡んでいけば、たぶん、それなりにアクセスは上がっていくんだろうなあ。


書いて捨てるのではなく、書いてまた拾う。blogを続けるのであれば、まずは自分から拾いましょう。そういう姿を見て、人もあなたの記事を拾うようになるのです。



私もそういった書き方はしていたな。誰かの書いたもので自分語りをする。そしたら、それを読んだ人がさらにそれについて書く。さらにさらにそれを読んだ私がまたしても記事を書く、といったようなループな書き方。けれど、最近では、そのループはもうどうでもいいかとも思っている。どちらかというと書いて捨てるほうに変わっていっている。それはもうしかたない。好きに書いていきたいだけだから。そういうやり方のほうが、私は長くブログを続けていけるって気づいてしまったのだから。



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