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ひとり

2008年03月31日 23:29

作り手をもっと知りたい Love & Design


なぜ好きになったのだろう

それのどこにわたしは惹かれたのだろう



理由は要らない

どんなひとが作ったのか知りたい

作ったひとのことをもっと知りたい



私がこの人に惹かれたのは、この人のこういうところだったんだろう。
私は気がついてしまったから。
私は「その人をもっと知りたい」とは思っていなかったんだなって。
いつでも私は私だけだった。
私以外の誰も私は見ていなかったんだ。
だから、この人のように「その人を知りたい」と思う人に惹かれるんだろう。
それはつまり、私にないものを持っているから。


私は欠陥のある人間。人間ができていない。それに気づいてしまったから、私は誰にも寄り添えなくなった。
誰かが言っていたけれど「存在してはいけなかった」存在なんだ。
確実に私に傷つけられた人は過去に何人もいたから。
私は一人でいるべきだ。一人で立ち続けるべきなんだよ。
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できた人間ねえ

2008年03月31日 23:13

清らかな彼女の話<長文注意> - 鼻が赤くなりにくいティッシュです


時々、そこまでお姉さまだと人間できてそうに思えるけど、そういうのって幻想だよね



まあすべてのお姉さまが人間ができてないというわけじゃないんで幻想だと片付けてしまうのもできてるお姉さまがかわいそうだと思うよ。なんて言って、人間がまったくできていない40代半ばになろうとしている私が言うことじゃないかもしれないけれど。ただ、私も他人に迷惑をかけたり不快感を与えることを自覚してるということもあり、オフだろうがオンだろうが「私に近づくと不快になりますよ」と言い続けることにしたわけだけどさ。


でもまあ思った。できた人間になりたいとも私は思ってないかもしれないなあって。私は最低最悪の人間だもんな。できた人間になんて、仮になりたいと思ってもなれないや。

楽しんで書いてるんならそれでいいよ

2008年03月31日 09:11

うな風呂-コメント欄


私は栗本さんには相当許容量があるから、まあそれなりに真剣に読めましたが、うーんどうなのよ、ってのは多々ありました。



私も自分では相当許容量あるとは思っているけれど、私はまだ彼女の全作品を完読してないんで、大きなことはほんとは言えないんだよね。とりあえず、彼女のBL関連にはほとんど出を出してないし。予算の関係で彼女自身が出している同人本は購入を諦めてしまったんで、彼女の全部の作品を読むというところまではいかないと思う。手に入る分だけは読むつもりで、積んでいる最中&読んでる最中。この間やっとこホラー4部作(笑)を読み終わったのだけど。軽くgooで感想はあげるつもりだけどね。


彼女の物語って、初期の頃と今では違うんだろうな。どちらがいいとか悪いとかじゃなく、これはもう完全に好みの問題で、素人の私でも「?」となってしまうような話の持っていきた方とかまったくないわけじゃない。おこがましいんだけど。それでも、そうじゃなくてこのほうがいいんじゃないかなという気持ち持ってしまうものもあったりする。ただ、物語──小説って、これが正解っていうものはないと思うし、タブーな書き方でも評価されることもあったりするんで、「これはダメ」とか「これはイイ」とか言えないんじゃないかと思うんだよね。だから、私は、どんな作品だろうが、作者本人が「こう書きたい」と己の欲求のまま書いて、心から楽しんで書いているものはすべて「いいもの」という目で見てる。ただ、私にも好みっていうのがあるから、「いいもの」=「おもしろい」というもんでもないんだけど。栗本さんが書いている作品でも、あまり心に残らないものっていうのもあるわけだし。それはもう好みでしかないよね。それがよくわかったのは、ホラー4部作を読んだからでもあるんだけど。それはまあ、近いうちにgooのブログで書くことにする。某所では軽く感想は書いたけれど、それを基にしてgooの記事は書き上げるつもり。まあ、基というより、そのまま肉付けせずに記事にするかもしれないし。最近gooにあげた映画やらなんやらの感想も某所に書いたものをそのままあげたしね。今、思い切り自分語りして書きたいアリア最終巻の感想も書きたいんだけど、なかなか時間が取れなくて書けていないし。つーか、借りた本だから早いとこ書き上げなくちゃなんだけど。(笑)


つーか、やっぱり途中から話ソレまくってるよ、私って。(^^;

否定についての嫌悪感

2008年03月30日 09:08

はてなブックマーク - Little Painter Ragtime Blues - 2008年03月30日


否定的な問いをする場合には相手に対する非難がことば(文章)の端々に込められているように思う(戦略的に込めることもあるみたい)id:suVeneさんは人の内面に関知しないので質問を受けても否定的には感じないのです。



すーさんが本当に相手の内面に関知しないのかどうかは私にはわからないけれど、でも確かにすーさんの「なぜ?」という質問には否定的なものが感じられない。もっとも、私に対してそんなに多くの「なぜ?」を投げかけられたことはないんだけど。でも、すーさんが他人に対して質問を投げかけているところは何度も目撃していて、まあ、他人事だからと思われてしまうんだろうけれど、それでも、私の目には悪意とか意地悪とかそういったものは感じたことはなかったよなあ。だってさ、似たような雰囲気の人は他に何人か知っているけれど、その人たちは見てて不快に思うことがあるんだよね。でも、すーさんの質問には不快感は抱かなかった。


はてなブックマーク - Little Painter Ragtime Blues - 2008年03月30日


意見が違えば否定されるのは当たり前ですが、正されるのには拒否感がある。



なんつーか、否定している相手はそういうつもりじゃなくても、たまに「正されている」と感じる否定の仕方をしている人がいる。それはまあ、こっちが勝手にそう感じるだけであって、他の人も私と同じように感じてるわけじゃない。けれど、自分がどうしてもそう感じてしまうのはどうしようもない。昔は、それを正直に表明していたけれど、今は公では嫌悪感を出さないようにした。なるべく相手が見ない場所で吐き捨てるっていう形を取ってる。
[否定についての嫌悪感]の続きを読む

野望

2008年03月29日 09:02

MercuriusLAB - Tumblrへの転載について:うちのブログの場合


はてブでクリップしないURLのせいでブラウザがとっ散らかってきはじめたので整理してたんだけど、その中でこのURLを見て、やりたいなあと思ってることが私には多すぎるよなと思った。それなのに時間が足りない。それでも私は昼から夕方まで仕事に拘束されるだけでまだ時間はあるほうだとは思うけれど、でも年寄りなんで(笑)夜は眠くてネットどころじゃないし、そうなると朝の数時間くらいしかパソコンに触る時間はなく、仕事してなかった時よりは間違いなく時間が足りないわけだ。あの頃だって時間が足りないって思ってたわけだから、確実に今は私がやりたいって思ってることをやれてないわけだ。


そのやりたいと思ってるいろんなことの中の一つに、サイト運営がある。メインのサイトじゃなく、メインとはカラーの違うサイト運営。といっても、メインでやってるようにテキストが中心ではあるんだけど。さすがに小説サイトを運営するだけの根性はない。それやるんなら本家サイトの連載物を片付けろよって自分でも突っ込みいれるし。


つまり、リンクした先のような素敵イラストの雰囲気に合ったサイトを構築したいというやつなんだよね。だから、リンク先の絵師さんが言っているように、私が素敵だなあと思うイラストをリンクさえすれば勝手に転載していいよと言ってくれる絵描きさんや、あと写真を公開してる人は神様のような人だーと思う。でもまあ、イラストや写真を公開している人のほとんどは、こちらが「使っていいでしょうか」と聞けば大抵はOK出してくれるものだとは思うけれど、私の希望としては、リンクさえすれば勝手に使ってくれて報告もしなくていいですよーというやつなんだよね。私の場合、「いい」と思ったらそっこーでその「いい」と思ったものを掲げてポエマーに変身しちゃうもんで、お伺いを立てている間にそういったポエマーな気分が消失してしまうこともあり、事前・事後報告なしで使わせてくれるのが一番嬉しいんだよね。


でまあ、そんなわけで、私の野望の一つに、私が好きな素材屋サイトごとにサイトを構築するっていうのがあるわけ。でも、そのためには私にはあまりにもやりたいことが多過ぎて、ほんと時間が足りないよなあ。リンク先のイラストでいろいろ遊びたいのにー。むー。

【2009/5/24追記、リンク先の記事が削除されたのかどうやら見当たらない。プロフを見てみれば無断転載禁止となっているので、伺いを立てないと転載できないということなんだろう。それはまあしょうがない。おそらく、勝手な使われ方をしてしまったか、される恐れが出てきたからの方針変更なんだろうな】

好きに書くために

2008年03月28日 08:26

2008-03-27 - メモ


人が生きづらいのはしがらみに翻弄されるからで、他人の目が気にならなければ何パーセントかは気楽になる。



ノイズの場所のコメント欄やトラバを閉じたのは、そのしがらみから逃れたいと思ったからでもある。最後に閉鎖宣言をしてからまた新たにここで書き出すにあたって、そういったしがらみを排除して昔のように好き勝手に思ったことを正直に書きたいと強く思ったからなんだよね。
昔からの私の書き方が、こんなふうに他人の書いた一部分を切り取って、思い起こされた自分語りをとうとうと語るっていうやつだったんで、引用された相手にとっては「そんなつもりで書いたわけじゃない」となってしまうことが多かったから。つまり、今引用した文章が私の頭の中で次のように改変されているわけ。


「私が書きづらいのはしがらみに翻弄されるからで、他人の目が気にならなければ何パーセントかは気楽に書ける」


これが私の引用の仕方が誠意を感じさせない所以だろうと思っている。だから、今までに何人かの人が私を非難した。非難されてもしょうがないよなあとも今は思っている。けれど、私はこういう書き方をやめるつもりはないし、それでも私の書いたものを読みたいと思ってくれる人が読んでくれたらそれでいい。読みたくない人は読まないだろうし、非難するためだけに読むという人だって別にいていい。読者側の不快に感じる琴線は私にもわからないし、たとえわかったとしても、私は書きたいと思ったことを書いていくだけだ。他人の気持ちにまで今は思いを馳せる気はない。それもあって、コメントやトラバは閉じたのである。


けれども、そこから逃れることはできないし、他者の視線もあってこそ規範も生まれ逆に視線があってこそ張り合いになることもある。



でもまあ、コメントやトラバを閉じているからといって、すべての反応をシャットアウトしたわけじゃない。はてブもチェックはしているし、それ以外でも気づける分に限りは言及してる人がいたら読むしね。けれど、ここで新たに書き出してからは、ほとんど注目度は上がってないということで、あまり他者の視線は感じられない。でも、だから張り合いがなくなるかといったら、まったくのゼロじゃないということもあり、たった一人が読んでくれているのだと気づくことができれば、私の張り合いは十分だ。もっとも、私は私だけの視線だけであっても書き続けることはできるけどね。何度も言うけれど、そんな場所でも私はずっと書き続けているし。視線が私だけの場所でも。それだけ私は「書きたい」に溢れてる人なんだと思う。


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他人のコメント欄で自分語りをすることについて、批判的に話題になることがあるけれど、むしろ、記事から思い巡らせた自分語りであった方がいいかもしれない。



昔の私は他人の掲示板での自分語りがいつものスタイルだった。もちろん、ゆっけさんのような寛容な態度の人もいたけれど、その人が本当にそう思ってくれてたかどうかまではわからない。いいよいいよと言っていても、実は心の中では「うざい」と思っていたかもしれないしね。でも、何人かは確実にそういうのはいやだと言う人もいたわけで。直接レスとして言えないという人は、さりげなく自分の日記に書く人もいたし。
だから、何回か書き込みのトラブルを経験することで、私はだんだんと他人の掲示板に書き込みするのをためらうようになり、今ではほとんど書き込みしなくなってしまった。まあその代わり、自分のテリトリーで昔掲示板に書き込んでいたようなことを書くようになったわけだけど。しかも、掲示板時代よりさらに自分の思いに深く入り込んだものを書くようになっていったよねえ。話もソレまくるし。(W


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ことばや文章にすると、キツく感じられたり何かを主張しているように読めることも、絵にすればネタ化する。



それは、ゆっけさんが絵描きさんだから思うことだよ。私もまったく絵心がないというわけじゃないけれど、私には絵をネタ化にできるほどの技量はないんだよね。けれど、文章だと自由にネタ化にできる。ゆっけさんにとっては文章で表現するより絵で表現するのが性に合ってるからそう思うんじゃないかな。私は文章で表現するほうが性に合ってるから、絵よりも文章の書くほうが断然楽ちん。

妄想系宇宙人

2008年03月27日 16:33

ノイズの裏プロフ

【名前】
ノイズ

【性別】
宇宙人

【おじいちゃんから知らされた本当の出身地】
ペルー

【本当の職業】
外交官

【占い師に言われた私の前世】
ぺペロンチーノ

【年齢をカミングアウトします】
恥ずかしがり屋85歳

【ジャンル】
妄想系

【誰にも言えない特技】
般若心境

【口癖】
いつか見返してやる

【タイプの異性】
ローラースケートが得意な子



「いつか見返してやる」っていうの、なんでわかったんだろう?(爆)
つーか、般若心境ってなに?般若心経じゃなく??

ひっそりがいいのになあ

2008年03月27日 16:28

開設が相次ぐ「腐女子向けポータル」をのぞいてみた - 明日は明日の風が吹く


アングラでひっそりと、その代わり熱狂的に盛り上がるという楽しみ方は消えるのかな。それとも本当の腐女子はここに現れないんだろうか?



とりあえず私もそういう趣味もないわけじゃないし、そういったジャンルの小説も書いてましたけれど。でもあまり認めたくないなあ。もっとも、認めたくないけれど、そういったことで楽しくやっていきたいという人までも否定はしたくないので、まああれです、スルーです。同じ腐女子でも種類の違うものだと割り切って。
だから、私のような「男と男の恋愛でしか表現できない悲哀とか切なさ」というものを求めているのが本物なんだとは言いません。物語に救いを求めているわけではないということも理解されたいとも思ってないし。
それにまあ、私の場合は「男と男」だけじゃないですからね。「女と女」あるいは「近親間」「種族間」でも萌える節操なしなんで、私なんかは純粋な腐女子とも違うかもしれない。

ある意味これも悪口になるよなあ

2008年03月24日 11:23

明けぬ夜の夢 人は悪口を言うものなんですよ-コメント欄


>義父は最初から、離婚に関しては家同士の問題だということを強く主張していたので、

その主張であれば、離婚も結婚も家同士の問題になります。うーん、家って何なんでしょうね?



結婚って、それは家同士の結びつきのための儀式なんじゃないかと思う。だから、結婚は家同士の問題なんだと思うんですよね。まあ儀式っていうのも、結婚式なんかが儀式ともいえるよなあと思うんで、別に結婚式を挙げずに入籍だけするカップルもいるんだけど。で、結婚というものができた背景を知っているわけじゃないんで、これは私が受けた結婚への印象でしかないんですけれど。それほど間違いじゃないとは思っています。一緒にいたいから結婚するとか愛している人と結婚するもんなんだっていうのもありますけれど、それも結婚の意味のひとつではあるにしても、それだけが結婚の意味じゃないですものねえ。だってさ、一緒にいたいというなら同棲してしまえばいいわけですし、わざわざ結婚なんてしなくてもね。


私の親たちの時代、私の母親は今70代ですから、そういった世代の人が若かった時代では、大抵は結婚相手は親が決めてたみたいでしょ。それはいろいろな思惑もあったんじゃないかな。家同士の釣り合いとかもあっただろうし、援助する条件で婚姻関係結んだりとかもあっただろうし。
私の母親の話をすれば、母は大阪に集団就職したんですけれど、その就職先で恋人がいたんですが、親の決めた相手と見合いをするために故郷に戻り、初めて会った相手とそのまま結婚したんですよ。好きだった恋人と別れて、親の決めた相手と結婚した母なんですよね。でも、母の妹、つまりは私の叔母は親の決めた相手ではなく、自分が結婚したいと思った相手と駆け落ち同然に結婚したんです。私の母はそういう人で、私の叔母はそういう人だったわけです。つまり、母は家を何よりも大事に思い、叔母は自分の気持ちに正直に生きたということ。たぶん、あの頃にしては、叔母は珍しい選択をした女性だったと思います。今の若い人たちは当たり前に愛している人と結婚しますが、当時はなかなかそういった結婚ってなかったんじゃないかなあって。


まあ、親としては、家のためになる婚姻を結んだつもりだったんでしょうけどね。私の父親の実家は分限者だったみたいですから。でも、ほんとのところどうだったんだろう。母の父、つまり、私の祖父が母のために決めた結婚相手の家が、話を決めたときはまだ裕福だったんだろうか。たぶん、まだそれほど悪くはなってなかったかもしれない。父方の祖母は私が小学2年生の頃に死んだけど、まだその頃は大きな庭があり、そこでダチョウなんかを飼っていて、ダチョウの卵で作った玉子焼きを食べた記憶があるし。そんなダチョウがいるような家なんて、その頃にはなかったように思うから。それに、母の話では、舅が家の財産を食いつぶしたみたいなことを言っていたんで、裕福だったけれど、母が嫁に入ってからは急速に傾いたんでしょうね。そのせいで、6番目の末っ子に嫁入りして、本来なら舅・姑の面倒は長男夫婦が見るし、それに他に何人も兄弟がいて悠々自適に自分たちだけの暮らしができたはずが、嫁いだ先の家事やら甥っ子や姪っ子の世話から舅・姑の世話まで押し付けられた母でした。


今でも覚えてるけれど、祖母が死んでから自分が死ぬまでの4年あまり、祖父は毎日のように私たちの家までやってきてました。来ては息子である私の父とケンカばかりして、私は正直、祖父がやってくるのがイヤだったんですよね。必ず二人はケンカをしていたので、その言い争う声を聞きたくなくて、布団にもぐりこんでは耳をふさいでました。でも、動ける限り、祖父はうちまでやってきました。ここらへんのことは、とある小説に書いたことがあります。だからここでは書きません。けっこう悲惨な話なんで。


母の結婚に思いを馳せるとき、私は「本当にこの人は絶望とか感じたことはないんだろうか」と思ってしまいます。愛する人と引き裂かれ、親の決めた相手と結婚し、新婚当初から様々な苦労をさせられ、でもやっと自分たちのマイホームも建て、さあ、これから幸せな生活が始まるんだと思ったら、夫の発病、それからは入退院の繰り返しで、娘が結婚するような年頃になってその夫は目が見えなくなってしまった。
そりゃ、自分の妹のように、あの時、愛する人と駆け落ちでもしていたら、ずっと穏やかで幸せな結婚生活を送って、今頃は子供たちも独立して、二人で旅行なんかして暮らしていたかもしれないですよね。でも、母は恐らく後悔という気持ちは持ってないんじゃないかなあ。そんな性格の人だから。なんというか、運命をそのまま受け入れるタイプなんですよね。これが自分の人生なんだと悟りきった、そんな感じ。かつての恋人とは、別れてからもずっと手紙などやり取りしていたそうですけれどね。今はその相手も連れ合いが死んで一人でいるそうで、でも、もし、ここで私の父が亡くなったとしても、かつての恋人のもとに行くということはないんじゃないかなあって思います。母とはそんな人だなあと感じられるから。


だけど、私は一つの妄想を時々することがあります。運命を受け入れるそんな母ではあったんですが、一度だけ「やってられないわ」と思って、父とは別れるつもりで父方の祖父母の家を出て、実家に戻ったことがあったんです。あまりにも長男夫婦の母への扱いがひどくて、それで腹を立ててということだったみたいだけど。生まれたばかりの私を連れて、実家に戻ったわけですが、私の父も身体一つで家を出てきたそうで、母の話では、娘である私と別れたくないからということらしかったみたいですけれど。まあ、それだけじゃなくて、母とも別れたくなかったんだろうなあとは思いますけれどね。
でも、あの時、本当に母と父が別れてしまっていても、きっと、私と母は二人で何とか生きていけたんじゃないかと今では思います。母はそういった生命力の強さがある人ですから。何があっても、何とかして生きていけるスキルがある人。本当に時々、私は思うんです。別に父は嫌いじゃないですけれど、それでも、私は時たま父と話していて非情にむかつくことがあり、昔、父と祖父がケンカしていたように、私たちもそんな言い争いをしてしまいそうになるんですよね。それもあり、私は実家にはあまり行きたくないんですよ、こんなに近くに実家があるのに。
だから、母と父が別れている未来とは、いったいどんな未来だったんだろうって。もっとも、それほど違いはないのかもしれませんけれど。でも、確実にちょっとづつ何かが違った人生を歩んでいたと思います。たぶん、今の旦那とは結婚してなかったという気もしているしね。(笑)


とまあ、またしてもまったく自分の世界に入り込んで語ってしまいました。でもまあ、どっちかっていうと、これもまた父親に対しての悪口とも取れますよねえ。父さえいなかったら…ということで。酷い娘ですよ、まったく。(W

認めてくれなくていいけど存在はさせてほしい

2008年03月24日 10:51

Fragments 子供は見ちゃダメ!


まりねこさんのこの記事に全面同意しています。それは間違いないです。


そりゃ私の書いてきたものを穿り返してみれば「どんな表現だってすればいい」だの言ってきた私だし、私も18禁の過激な性描写シーンを書いてきたものだし、BLだって近親相姦だって幼児対象のエロ物だって肯定してきて規制されたくないと確かに私も思っているわけなんで、ダブルスタンダードだとか偽善だとか言われるだろうけれど、昔の考えと今の私はちょっと違ってきているんですよね。つーことで、それをちょっとつらつらと書いてみようかなあ。


まあ、結局はまりねこさんがが書いていることと同じことではあるんですけれど。つまり以下の文章。


そういう「大人が妄想するお楽しみの世界」は、あってもいいんですが、今のようにおおっぴらに、子育て中の堅気な家族や、通学途中の子供の目や手が届くところにあってはいけないんですよ。ネットの規制はシステム上難しいと思いますが、現物があるゲーム本体や漫画などは、「子供の目や手の届かないところに」隠そうと思えばすぐ隠せますね。表にしゃしゃり出てきて、さも「そこにあってもいい」ような顔をしているから、「この日陰者が。分をわきまえろ」と小突かれる。そういうことじゃないんでしょうか。



昔の私は虐げられたもの、たとえば過激な性描写等表現を規制されることについて、そういったものも認めてほしいだの、差別しないでだの声高に言ってきたもので、明らかにそういったものを嫌悪する人たちに対して敵意みたいな気持ちも持ってました。だから、仲良くなった人なんかで、BLは嫌いだと言う人がいたら、自分自身を全否定された気持ちになって、かなりネガティヴな気持ちを相手に持ったこともあります。何でも受け入れることのできない人にはクリエイティヴなことなんかできないとか、小説書くんなら何であろうとも受け入れて芸の肥やしにしなくちゃとか暴言を吐きまくってたんですよね。


でも、今の私は、それはちょっと違うなあと思うようになりました。禁忌なものを書いてしまうことや、読んでしまうことはどうしようもない自分の性癖なんだから、それを本当に嫌で直したいと思うなら直せばいいんだけど、私は別に直したいとも思わないし、自分の信念はやはり何でも受け入れられる人間がいいものを書くんじゃないかという想いが捨て去れないので、私はこのまま書きたいと思うものを書いていくだけです。それを認めてほしいとも今は思わないし、後ろ指差されることも辛いとは思っても、それは当たり前のことだと覚悟を決めて書いていくつもりです。というか、栗本さんが言ってたように、認められたらおしまいだという気持ちも今は出てきています。迫害を受ければ受けるほど、その迫害されるものは力を持つ気が何となくするんですよね。それが真の表現者たるものだろう、と。


4年前に日記で書いたけれど、自殺した芸能人の妻が子供たちに父親の死んだときの気持ちをよく覚えておくようにと言ったのも、表現者はそういった経験が役立つときがくるからという気持ちがあったからそのように気丈にも言ったのだろうと誰かが言っていたということだったのですが、こういったことは表現しない人にはやはり受け入れられない心情なんじゃないかなあとも思います。それが表現者と表現者じゃない人の違いであり、当時も書いたんですが、表現しない人に表現する人の気持ちはわからないだろうし、このふたつは相容れないもの。そして、また簡単に相容れられるものであってもならないんじゃないか。だから、非難するなら非難しろ、と。それくらいの気概がないと表現していくことはできないんだと、そんなふうに今でも思いますね。


で、話を戻しますが。


アングラ的なものっていうのは、日の光の下に曝け出すものじゃないです。それこそ「この日陰者が。分をわきまえろ」と小突かれるのが当たり前であって、それが正しい扱われ方なんです。アングラの魅力っていうのは、それなんじゃないかとアングラ側の私は思うんですよね。だから、差別されることを、ヘンな言い方すると誇りにも思ってしまうという。実際、アングラ的なものって日の光の下では醜くて汚らわしくてとても見られたものじゃないです。そんなものを、まだ幼い心しか持ってない子供が見たら、耐性がない分、メタメタに心は壊れてしまうでしょうよ。私は、温室で子供を育てるべきではないとは思っていますけれど、いきなり酷いものを見せて強くしろなんていうことは言いませんよ。徐々に徐々に、年齢に応じて試練を与えていくのが、子供へのちゃんとした教育だと思っていますから。
私もそれなりにエロ関係では他人の経験していないことを幼い頃から経験してますけれど、私の場合はまだマシでした。世の中には、もっともっと酷い経験を幼い頃から経験してきている人たちがいます。そういった人たちに比べて、私は年齢に応じた経験の仕方だったんでしょうね。たぶん。だから、そういう経験を踏まえて、何とか酷いものを子供には見せないようにしていかなくちゃならないとは思っています。そのための規制ならばしかたないことかなあとも。


そこらへんのことを6年前に日記で「青少年有害社会環境対策基本法」について表現者でもある私の立場からちょろっと語ったことがあるんですが、あの頃も表現者側としてはやはり規制はされたくない、どんな表現でもさせてくれという気持ちがあるとは書いたけれど、子供には年齢に応じた体験は必要というようなことも書きましたねえ。あの頃と違うのは「規制はするなー」と声高には言わないという点かな。正直な気持ちは規制されたくないんだけど、規制というものもなければ、酷すぎるものも当たり前のように子供たちの目に晒されてしまうことになるんで、それは私もヤバイよなあとは思うし。つまりは、都合のいいことではあるんだけど、こっそりやってる分には多少目をつぶってほしいよなあという気持ちも持ってたりするんですよね。ほんとはそういうのもよくないんだろうけれど。でもなあ、表現する側としては、なんもかんも十派一絡げで見てほしくないわなあなんて思ってしまうんだよね。表現していくための言い訳でしかないとしても。それでも大きな声では言うつもりはないけれど、そういった小さな声もあるんだよということで。ええ、もちろん、無理強いして子供たちに見せるような真似はしたくないという気持ちもある。それはわかってほしいとは思う。


それにまあ、規制されても、私はやはりこっそり書いたり読んだりしちゃうんですけど。どうあっても、私はアングラ側の人間だと思うんで。だからね、棲み分けは大事なことなんだよってことを私は強く言いたいです。だって、どうしても特殊な趣味を持ってしまう人は現実にいるわけですから、そういったものを完璧に削除してしまうには、洗脳するか、殺してしまうしかないと思うんですよ。それはさすがにできないでしょ。だとしたら、規制はするけれど、特殊な趣味の人は自分たちのテリトリーから出ていかないようにする、つまりは棲み分けをすることが一番無難な解決策だと思うんですけどねえ。


それと、蛇足ながら、6年前に書いた日記で私は「もっと過激なことを考えている」と書いたんですが、いい機会ですから書いておくと。確かに幼い子供に酷いものを見せてしまって成長に著しい障害を与えてしまうのは言語道断という思いもあるんですが、ただ、100人が100人、すべての子供がちゃんとした成長ができないというわけじゃないんじゃないかと思うんですよ。ほら、酷い環境で育ったから全ての子供が悪人な大人になるけじゃないし、親失格な親に育てられたからといって、すべての子供が性格に問題のある大人になるわけでもない。中には最悪な親に育てられたのにいい子に育つこともある。つまりは、劣悪な環境で育たない生物は生き残るだけの生命力がないということで、好き残る力のあるものだけが生きていくのが本来の生物の姿じゃないかと、そんなふうに思うんですよ。だから、私たち生物は世界に試されて生きているんじゃないかって。ここでどんな状況に晒されても生きていくことが大事であって、自滅してしまうようなら生きてく意味はないんじゃないか、それが生きる意味なんじゃないかって。だから、俗悪なものに染まってしまう者は、極端な言い方ををすれば生きていく価値はない、最悪な世界でも生きていく強さが価値のあることなんじゃないか、そのために子供たちは試されたほうがいいのかもしれない。これが当時思っていたことであり、今でもそんな風に思っていることでもあります。でもまあ、私も人の親となりました。だから、やはり我が子を谷間へと突き落として這い上がって来いとはとても言えないこともわかってます。私には突き落としてちゃんと生きる能力があるか試すというのも正しいという気持ちもあるんですが、そこまでの親としての強さはないんですよね。だから、結局は、試した方がいいという気持ちを持つと同時に、守れるだけ守ってやりたいという気持ちも持ってはいるのです。矛盾してはいるんですが、でもたぶん、この矛盾を抱えているのが人間っていうものなんでしょうねえ。

誰にも私の書く行為は止められない

2008年03月23日 10:12

だるい - うな風呂


気持ちはわからないでもないけれど、正直、なに甘えてんだよとも思う。求めてそれが叶うことなんてそうそうないんだよ。どんなにいいもん書いてたって、今のこのネット世界には、ちょっと前のような優しい人たちがいるわけじゃないってことだ。
私は自分の書いたものが他人にとっていいと思われてるかどうかはわからない。自分ではいいもん書いてると思ってるけれど、それは自分だからそう思うだけで、客観的に見て万人受けするとは思ってないし、だから、多くの人の感想がもらえるなんてことはないと、それはわかってる。
君も自分で自分の文章がいいか悪いかは決めかねているかもしれないけれど、とりあえず、私一人は「いいもん書いてるよなあ」と思ってるよ。ただ、私も昔の私とは違って、どこにでも好き勝手にコメントを残せる人間じゃなくなったということだ。コメントつけられるなら、今でもヤフーの栗本トピに書き込んでるだろうから。


小説については、優先事項があるということに過ぎない。私には時間がないから、どうしても積んでる本を先に読んでしまう。だから、今の私はウェブ上の小説は自分の分以外は今はまったく読んでない。とにかく時間がないんだ、読んでる時間が。しかも、昔のように夜遅くまでネットができない身体になってしまったからねえ。もうね、小説だって、ごく限られた人しか読んでくれないもんだよ。私だって、自分の小説がどんなに読まれてないかわかりすぎるほどわかってるしね。感想だってね、なかなかもらえないもんなんだっていうのも理解したほうがいいよ。バンバンくる感想なんて、ほんと限られた人のところだけだから。しかも、私が見てきた感想の多いネットの小説も、どうしてたくさん感想が集まるのか、どうしても理解はできなかった。どうしてその人には多くて自分にはまったく感想がこないのか、本当にわからない。
だから、私は小説の感想、他の書き物へのコメント、そういうのがなくなっても絶望なんてしなくなった。絶望するヒマなんて自分にはないんだって、そう思うようになったから。


私は好きなように書く。誰も反応してくれなくてもね。この記事だって、トラバ送るわけじゃないし、君だって読んでるかどうかなんてわかんないし。でもそんなこと関係ない。とにかく書きたいから書いた。それだけだ。腹立てるのも、気持ちはわからないではないけれど、書く人っていうのは、そんなこと関係なく書いてしまうもんなんだと私は思うよ。現に私だって、誰も相手してくれない過去には君のように腹立ててたもんだったし。もう、そんな薄情な奴らなんかに見せるもんかって、そう思って非公開にしたり、閉鎖宣言してみたり。でも、結局はこうやってまた書いている。それは反応がほしいからでもなく、ただただただただ書きたい、ただそれだけ。


根本的には。
おれの孤独を癒すためにこそブログなりHPなりは存在するのだが、結局、癒すどころか増すばかりだ。向いてないんだろう。人づきあいに。
だから、放置するのが結局一番いいかな、と。ここ一、二ヶ月思っていた。
おれが遊ぶ分には、他人に見せる必要はない。



孤独を癒す?癒したいの?癒すために書いてたの?孤独が嫌なの?孤独ってそんなに駄目なもんなの?自分の一人遊びを誰かに見てもらいたいって思わないの?まあそうだろうな。そんなのはよっぽどのMだろうしな。そうだよ。私はMだよ。自分が自慰行為してるのを他人に見てもらいたい人間なんだよ。すごい快感なんだよ。見てもらってるのが。どんなにバカみたいなことしてても、どんなにくだらないことしてても、まったく誰も見てなくても、それでも私は一人でぶつぶつ何か呟いているところを全世界に公開している。ここだけじゃないよ?私には多くの場所がある。その中にはまったく誰も覗きにこない場所もある。非公開にしてもいないのに。検索でさえも誰もこない場所。でも、きっと、いつかは誰かが見る場所。でも、そんな時にでも、きっと誰もコメントはしないんだ。いいんだ。それで。見てもらえただけで。なぜって?楽しいからだよ。君は楽しくないの?癒すためだけなの?楽しいから書いてるんじゃなかったの?


私は楽しいから書いてるよ。書くことは楽しいよ。楽しくてしかたないよ。だから誰にも私の書く行為を止めることはできないね。止まる時は、私が死ぬとき。死ぬ時なんだよ。


「他人に見せる必要はない」か。それならもういいよ。見せてくれないんならもういいよ。見せてくれる人のところに行くよ。残念だよ。もう君の書く物が読めないなんて。まあ、私のこの言葉は君には届かないんだろうけれど。短い間だったけれど、私の読みたいと思った文章を読ませてくれて本当にありがとう。

滅亡のクラーク

2008年03月22日 12:47

ネット世界で語り合うということ。 - かみんぐあうとっ


アーサー・C・クラーク氏について、はっきりいって私の周りのリアル世界では話をできる人はいない。

「誰、それ」と言われる。

『2001年宇宙の旅』と言ってわかる人がいるかどうか、という感じだ。



昨日、仕事場に迎えにきてくれた旦那と夕飯の買い物してから帰る車中で「アーサー・C・クラークなんて知らないよね?」と旦那に聞いたら、やっぱり「誰それ?」と言われたよなあ。「2001年宇宙の旅」の原作者だよと言ってもね、その映画は知ってても、旦那にとっては「あーあのつまんない映画」と言われるだけだしね。まあ、確かにあの映画は万人受けはしないとは思う。それに、原作も読んだことは読んだけれど、私もチンプンカンプンだった。
でまあ、私の知る三大SF作家の話を旦那してあげたんだけど。ロボットのアジモフ、スペースオペラのハインライン、滅亡のクラークと。つーか、これも私の印象でしかないんだけどね。けれど、クラークって、なんか滅亡の話ばっかり書いてるような気がしたんだ。そしたら、旦那がぼそりと「滅亡してしまえばいいのに」と言った。人類なんて滅亡してしまえばいいのにって。


まあ、この旦那の発言が出てくる彼なりの心理っていうのは、あまりここでは語らないほうがいいかなあとも思うんで、これ以上は書かないけれど。けれど、とうとうと旦那の抱いている思いっていうのを聞いてみて、彼のこの気持ちっていうのをわかる人はなかなかいないだろうなあとは思った。ほんとに旦那が考える世界が訪れるに違いないと思ってる人はいないわけじゃないとは思うけれど、それでもね、私たちは今現在こうやって生きているわけだから、いつかは絶対に死ぬにしても、それまでは精一杯生きるしかないんだ。ほんと、もう一秒たりとも他ごとに時間を使うわけにはいかないんだ。自分がやりたいと思うことをやるしかないんだ。だって、みんな死ぬんだよ?何があっても死ぬしかないんだよ?永遠に生き続けることはできないんだから。後悔のないように生きたいよね。


だから、私はたとえ相手に伝わらないとしても、書きたいと思った文章を書いていくだけだ。どんなにヘンだと言われようとも。伝わるようにもっと努力しろとたとえ言われたとしても。私は私の書きたいように書き続ける。やりたいようにやっていく。他人じゃない。自分を幸せにするために。

私にだけ優しくて私にだけ攻撃的な人

2008年03月22日 12:27

牛蒡 「私にだけ優しい」の危険性について


こういうのもありますが。「私にだけ優しくて私にだけ攻撃的な人」というのが。私にだけ優しい人が、心変わりして私にだけ攻撃的になるのなら、そんなに怖いわけじゃないなあと思う。だってそれが普通だと思うから。私は昔から万人に優しい人は好きじゃないと言ってきた。それは私が超ワガママだからなんだよね。そんな超ワガママな私が「私にだけ優しくしてほしい」と思って、そうしてもらってから、いずれは私に対して攻撃的になったとしても、「ま、しょうがないよな」と思うようにしている…つもり。まあそこはそれ、超ワガママな私ですから、そうなったら、私もまた攻撃的になって、互いに攻撃合戦のはじまりはじまり~。そんなふうに壊れた仲もあったよなあ。(遠い目)

相手から接触してくれること

2008年03月22日 11:02

中身ではなく、行動 - 拡散していけど、とりもなおさず - すもつくれん


反応がなかったことは私にもある。そのうち何件かは、反応してほしいなあと思ってた人でもあったんで、ぷんすかしちゃったこともあったけれど、ほとんどの無反応にはそれほど何か思うってことはなかった。それは取り上げて自分語りさせてもらった相手にそれほど、というか、ぶっちゃけまったく関心がなかったからというのもある。ぷんすかしたっていうのも、やっぱりその人にちょっと関心があったからなんだと思う。


 ブログにおいては、自分から「評価」して交流を持ったのって、xuraさんぐらいだよなぁ、と思う



これ読んで思い出したのは、昔ライコスで知り合ったとある男性がいたんだけど、その人は私はその人の存在知らなくて、向こうが私の書いていたポエムを評価してくれて接触してきてくれたんだよなあって。かなり私の書く物を褒めてくれていたんだけど、結局は私が相手についていけずに今は疎遠になってしまった。
それとは逆に、他のとある男性と同じ頃にライコスで知り合ったんだけど、こちらの人は私の方から接触して、相手の書くものを絶賛した。で、その人もそのうちに私の書くポエムを絶賛してくれるようになったんだけど、なんていうか、私の中のあまのじゃく的なものが、私がその人に注目したから、私の書く物も評価してくれたんじゃないかって思ってしまって、その気持ちがどうしても拭えなかった。たぶん、その人はきっと「君が接触してくる前から評価してたんだよ」と言うんだろうけどね。でも、たとえそれが真実だったとしても、結局は私のほうから相手に接触したことには違いないんだから、どうしても、私が注目したから私に興味持ってくれたんでしょという気持ちがなくなることはない。もうね、これはタイミングの問題なんだよね。


なんと言うか、すごくバカバカしいんだけど、どうしてもね、私から接触持ったから私を評価してくれたんただろうなあと思ってしまうんだよね。私が知らない誰かが、どこからか私を見つけてくれて、そして「この人の書く物っていいなあ」と密かに思ってくれて、それであるときいきなり「ファンです」と言ってくれるのが一番自分にとっては信じられる評価だったわけ。で、そういった評価の仕方をしてくれたたった一人の人が疎遠になってしまった男性であったんだよね。彼以外ではそういう経緯の評価をしてくれた人は一人もいなかったと思う。たぶん。なんてことを今ここで書けば、次から新規で「あなたの書く物が好きです」って言われても、これ読んだからでしょうなんて思ってしまうだろうなあ。まあ自業自得だけど。つーか、もう新規で誰かと知り合うのももういいやって思ってるところがあるから、別にどうでもいいけど。


けれど、そういった評価のされかたはやっぱり私にとっては信頼できる評価のされ方でもあるんで、ここではもうそういうのは期待しないけれど、そういった評価のされ方をしたいがために、新しいキャラでもって新しくブログをどこかで書くだろうなあと思うよ。そういった楽しみのために、私のブログはこれからもまだ増殖していくかもしれない。


つまり、いつかあなたが見るそのブログは、もしかしたら、生まれ変わった私なのかもしれないよ──ということ。(W

ショートスリーパー

2008年03月22日 11:01

安眠について - 拡散していけど、とりもなおさず - すもつくれん


世の中には「ショートスリーパー」と呼ばれる、睡眠時間が少なくても日常生活を暮せている人たちがいて、その人たちのような生活を送れるために、色々な安眠方法を紹介するという回だった



これを読んでこの間特ダネの小倉さんが言ってたことを思い出した。たまたまチラっと見ただけだったんで覚え違いがあるかもだけど、小倉さんも2時間だかそれくらいの短時間の睡眠で大丈夫な人だということで、非情に珍しいタイプらしいんだそうだ。リンク先でも紹介されている記事にはショートスリーパーがいかに効率のよい睡眠であるかが書かれていたのだけど、小倉さんの話の時にコメンテーターだったか、他のアナウンサーの人だったかが、果たしてそれが本当にいいことなのかどうか、実は身体には悪い影響が出るんじゃないだろうかということを言ってたんだよね。
小倉さんは、寝た瞬間の姿勢で眠ってるらしくて、寝てる間はまったく微動だにしないらしい。はたから見たら、まるで死体のような感じらしい。だから、かなりヘンな格好で肉体的に無理のある姿勢であったとしても、そのままで寝てしまうということ。普通の人の寝方だと、同じ姿勢で寝続けていれば、下になった身体の部分が痛くなってきて、それが不快で寝返りをうったりするわけでしょ。それがないということは、身体は「痛いんだよー」と悲鳴を上げていても、それでも寝返りをうたずに痛い格好で寝てるということだよね。それって身体にとってはよくないんじゃないかなあ、と。ショートスリーパーは脳にはいいんだろうけれど、身体にとっては負担のある寝方なんじゃないだろうか。

猪突猛進やってくよ

2008年03月21日 00:13

ブログという名の螺旋階段を何処までも歩き続ける - 明日は明日の風が吹く


私はまだ8年だよなあ。この間サイト設立8周年を迎えて、9年目に突入したわけだけど。ただ、サイトとしては何年か前から本当に一年に一度、小説を更新するくらいで、日記もだいぶ前からブログへと移行してたし。ただ、今は日記はブログで書かずに、別サイトで分けて運営するようになったけれど。


過去のネタを今の私が料理する、同じ私が書くのだから基本は同じになると思うんだが、2年の間に私の中に生まれた変化が微妙に内容に影響しそうな気もする。



ここでもリンクしている日常日記のサイト(2009年現在ではリンクしていない)は、今年からは本当に日常的なことしか書いていないんで、私だけに意味のある日記となっている。去年までの過去ログは、日常的プラス誰かの日記を読んだり、何かを見聞きしたことについて思ったこと感じたことなども書いていたけれど、今ではそういったものはここノイズの場所か、他のブログで内容を分けて書いている。まあ内容で分けているといっても、何か明確なジャンル分けをしているわけじゃなくて、この話題はこの文体で、その話題はその文体でという、自分の中のルールにのっとって書いているんで、他人にとっては「どうしてそうなるのか?」となるだろうと思う。だから、「こういった分け方をしている」とは書かないけれど。
でまあ、引用したことにも関係するんだけど、私は現在、たくさんあるブログの中でも、その過去の日記をネタにして、今の自分が語るといったブログも毎日のように書いている。それは、私がウェブで日記を書く前にノートに書いていた日記をネタにして書いているんだけど。今現在は中学生の時の日記をネタに短く語ってはいる。


昔、本家のサイトで日記を書いていた頃、通常の日記以外に、ネットを始める前にノートにつけていた日記をページ作成して公開していた事があった。でまあ、その日記を公開してた頃、とある日記書きさんが「過去の日記をわざわざ公開する意味がわからない」というようなことをご自分の日記に書いてたことがあるんだよね。それは別に私に対して直接言ってきたものじゃないんだけど、まったくその人とは面識がなかったというわけでもなかった。そりゃ、直接交流があった人じゃないんだけど、その人は私が知り合っていた人とも交流していて、互いにその共通の知り合いのところにコメントを書いていた時期もあったわけ。だから、私もその人のことを知っていてその人の日記もこっそり読んでたし、相手だって、表明してなかっただけで、私の日記も読んでいたんじゃないかと思っている。そんな頃に、そんなふうに私のやってるようなことを日記で否定していたわけだから、私がそういうふうにくりりんしてしまってもしかたないと思うんだけどね。(笑)


でも、意味はないかもしれないとは私も思うけれど、それは、他人にとっては意味がないということで、自分にとってはやっぱり意味のあることなんだよね。私は何よりも自分の日記を読み返すのが好きだから。だから、過去に書いた自分の日記を読み返しては、今の自分が語るっていうの、ほんとやってて楽しい。楽しいから続く。続くとさらに楽しい。それが一番重要なことなんだと思う。意味がないことない。だって楽しいんだもの。その人だって、自分の書いてるものが毒舌だと言いながら書いていたわけで、他人から見れば「毒舌日記なんて書いて意味あるのか?」って言われてしまうことだってないわけじゃないと思う。けれど、その毒舌だって、楽しいから書いていたわけでしょ。たぶん。つまりはそれだって意味のあることだと思うんだよね。他人が意味ないって思ってたとしても。もし、楽しくないのに書き続けていたとしたら、それはどうしてか聞きたいなと思うよ。もしかしたら、楽しくなくても書き続ける何かの意味があるのかもしれないしね。


私は、もう誰が「意味ないことはやめろ」と言ったとしても、自分が楽しかったらこれからも続けていくつもり。誰が読んでなかろうが、誰が読んでいようが、我が道を突き進むだけ。猪突猛進ノイズちんとして。(W

書きたいものを書けばいいと思うけど

2008年03月18日 09:56

どんな記事を読みたいでしょうか?お答えくださった方に、はてなポイント差し上げます(全体で計500P) - ヘボメガネ一進一退


はてなポイントなんていらないけれど、私も答えてみる。(W


皆様は僕のブログ「ヘボメガネ一進一退」にどんな記事を求めていらっしゃいますでしょうか。

・非モテ記事


・創作文(小説)


・日記(エッセイ)


・ライフハック記事


・ライトノベルレビュー


・ポエム


・その他



↑の中で選べと言われたら、日記ですね。日々の出来事を綴って、それに対して自分は「どう思った」「こう思った」といったことを書く。というか、日々の出来事には様々なものがあります。日常的なことだけじゃなく、ネットで見聞きしたこともそれには入るし、それには当然、非モテに関することだってあります。つまりは、自分が「書きたい」と思ったものを書いてくれるのが、私は読みたいなあと思うんですけどねえ。


けれど、この人のように読者を第一に考えて記事を書くからこそ、そこまでのアンテナ数登録になったんでしょうから、私が「自分の好きなもの書けばいいんですよ」と言ったとしても、それが果たしていいものかどうかもわかりませんよねえ。
ただ、私に限り、この人の書くものは常にチェックしているわけじゃないですけど、時々、こんなふうにはてブで誰かがクリップしているのを見て、タイトルで釣られて読むことがある程度です。そんな程度の読者の言うことなんか、あんまり気にしないがいいですよ。(W

私もだせぇよ?

2008年03月17日 10:50

ということで、くりりんしてみるかな。(W


idguri_2という、こいつが生きているからこの世界は駄目なんだというような糞野郎を、このリルリルが貴重な時間を浪費して罵倒してあげる - NWatch ver.X


ナンパが出来ないとか会社を立ち上げられないとかより、自分の主張を女に代弁させなきゃ語れないことの方が、よっぽど「だせぇ」と思うんだがなぁ。



はいはい、言いたいことを他人(といっても自分でもあるんですけどね)に代弁してもらってる私が通りますよ~。(W


私から言わせれば、誰かに代弁させてだせぇって叩かれても、とりあえずは主張するだけまだマシだよなあと思うんですけど。語るのにどういった語りがいいのかなんて、そんなこと他人に言われたかないよなあ。


ぶっちゃけ代弁させるのの最たるものは作家だと思うんだよね。つまり、代弁させて語る人っていうのは作家気質なんだと私は思っている。そして、そういう表現の仕方っていうのは、普通人には理解されにくい。こんなふうに叩かれたりする。それはもうしかたない。
そりゃ作家にもいろいろあって、常識人な作家もいるけれど、神経を疑うような作家もいるでしょ。栗本さんなんかもそんな作家の一人だし。でまあ、そういった人っていうのは、徹底的に嫌われると同時にカリスマ的な支持を受けることもある。私は、guri_2という人がどういった人かよく知らないし、過去ログも読破対象にはしてなかったとは思うけれど、こんなふうに他人から強い叩かれ方をされるという点で、普通の人とはちょっと一味違った人なのかなあと印象を持った。


思うに、こういった叩かれ方をしてブログ閉鎖にならなきゃいいけどなあとは思う。もしかしたらいつか読破対象のブログとして見るかもしれないんで。どんなブログだろうが、過去ログは残しておいて欲しいというのが私の願いだからさ。

思い込みも諸刃の剣

2008年03月17日 10:04

Twitter - あがい 瀬戸風味さんの「 TV はあなたに話しかけてはいない」...


瀬戸風味さんの「 TV はあなたに話しかけてはいない」問題がちょっとわかった。



TVに限らず、ウェブ上に書かれている数多の発言を見ていて、まるで自分のことを話しているように思ってしまうことって考え方しだいでは悪いことじゃないと思う。そりゃ、くりりんしてしまって、自分自身だけじゃなく「あんたのことなんか言ってない」と思う発言者までも不快に思ってしまう弊害はあるけれど、その思い込みは自分を不幸にすると同時に幸せにしてくれるものだから。


私はGや栗本さんが、まるで自分に対して語りかけてくれているように思い込んでしまうんだけど、それはそれだけの根拠があったりする。それは二人とももしかしたら私の発言を見ているかもしれないという気持ちがあるからだ。手紙やメールは送ったことはあるから。栗本さんは手紙を見てるみたいだったし、Gはもらったメールはすべて見ていると言ってたし。それに、二人についてウェブ上で語ってきた私であるから、二人が見る機会はまったくないわけじゃない。そりゃ、私が語っていない人が発言することにくりりんしてしまうのはさすがの私も「妄想だよなあ」との自覚はあるけれどね。


で、この思い込みは、自分が日頃から言ってきている考えに対して否定的なことを言ってた場合、自分を全否定されたような気分になって凹むわけだ。それが名指しじゃなくても、もしかしたら私のことも想定して言ってんじゃないか、と。でも、逆に、自分が日頃から言ってる考えを「好きだよなー、こういう考え」とか、誰かが肯定してくれてたら、それだけで「幸せー」となる。一番いいのは、否定された場合は自分のことじゃないしと思えて、肯定されたらすべて自分のことだと思うことなんだろうけれど、それってなかなか成立しない精神状態だよなあと思う。よっぽどのおめでたい頭の持ち主じゃないとね。さすがの私もそこまで悪に染まってないということだ。(ご都合主義は悪だったのかっ)


思い込むことで幸せになれるなら、その逆の不幸になることも受け入れなくちゃならない。そういうことだよな。

大量ブログを持つ理由

2008年03月15日 21:38

はてなブックマーク - 煩悩ブックマーク - 2008年03月15日


何故10以上に分散しているのかには興味がありますね



理由はいろいろあります。まず、ひとつあげると、今でもその傾向はあるんですが、書きたいものがたくさんありすぎて、サイトでのテキスト日記で書くとあまりも長文になりすぎること。ひとつのブログに書くと大量記事が生成されてしまうこと。もっとも、某アイドルのように50も60もの記事はさすがの私にも書けませんけれどね。(W


他には、今ではそうでもないんですが、文章の雰囲気でより多くの人に読んでもらえるのではないかという実験的な意味合いで書いていたブログもあります。文体の好みは千差万別で、ノイズ(は本家PNに一番近い)のようなはっちゃけた文章を好む人もいるかと思えば、落ち着いた文体を好む人もいたりして、それぞれの文体で書き分けたいと思ったからもあります。でもまあ、これも結局は書いている人間が私一人なので、どの文体で書いたとしても、この性悪な性格ではなかなか好感は持ってはもらえませんでしたね。今はもうたくさんのアクセスがほしいとも思ってないんで、ここで好き勝手に書いてはいるんですけれど。
というか、どんなに長くなってもいいから、ひとつの場所でドーンと書いてしまえばいいのにと言われるかもしれませんが、文体も変えて書かれる内容も変えて同じ場所で書いたこともないことはないんですが、やはりドン引きされてしまいましたよ。私って節操なしな内容を書くこともあるんですよねえ。小説でも全年齢指定と18禁指定と両方書いてもいましたので、ジャンルでサイトを分けてもいますし。そういった感じでブログも分けたというのもあります。


それから、ノイズもそうなんですけれど、本家サイトの私はプロフィールに本名そのものを掲げているわけではないのですが、リアルに直結している場所で書いてもいるし、リアルでの知人なども読んでいるということもあり、晒してなくても本名やどこに住んでいるのかもわかるということで、ちょっと書いてはマズイようなことをロバの耳的な感じで書きたいとなった時に書ける場所がほしかったというのもあります。そのブログは、完全に匿名で書いてはいるんですが、それもいくつかに分けて書いてもいますね。それを分けたのも、内容によって分けたというものではあるんですが。つまり、私にはそれだけ多くの書きたいものがあるということですよ。


あと、様々なブログサーヴィスを使ってみて、どこが一番使い勝手がいいかを知るために10以上ものブログを持ったことも理由のひとつでもあります。中には登録してみて、何か書くまでにあまりの使い勝手の悪さに一度も更新しないまま放置してしまったブログもあります。


そんな中で毎日のように更新しているブログが、私にとっては一番使い勝手がよかったサーヴィスということでしょうね。そのひとつがこのFC2でもあり、はてなでもあるわけなんですけれど。あ、ちなみにはてなでは今はダイアリーは書いていません。メインのアカウントでは一時期はてなスターの画像を変えてみて楽しかったので書いてもいたんですが、アクセス解析がつけらけないということもあり、書くのをやめてしまいました。でも、以前にもここで告知したのですが、サブアカでこっそりと書いてはいるんですけれどね。それこそ、リンクもしない超脊髄反射な駄文をプライベートモードで書いています。つーか、どんだけ書いてんだよって感じですよねえ。(W

またどこかで会いましょう

2008年03月15日 11:15

いやじゃーなんて言わないでネ!ъ( ゚ー^)


さようなら。 - 花魁発狂


 どうもプライベートモードにしてただけでは自分の意図は上手く伝わらなかった様で、色々な人に色々訊かれたので一応お話を。そしてこれが花魁発狂での最後の更新になります。早い話が閉鎖です。ま、長いこと使っていたサービスなんですけど、達観……という域には達していないけど、ものを書き続けることがものすごく虚しく感じる様になったのです。何を書いてもメソメソメソメソ。ご高説をブチ上げたり議論だの論陣だの言ってても結局オマエら、リアルで会ってバカ騒ぎしたいだけなんだろ。ちんことまんこが目当てなんだろ。はいはい。わたしの如き旧世代の遺物は消えますよ。老兵は死なず、ただ障害者年金で悠々自適。サイト運営をやめた途端に趣味にもネットにも張りがなくなったように感じましたよ。定年退職後のお爺ちゃんの気持ちなのかしらねこれって。yosituneというはてなIDは多分残すと思いますが、気まぐれに消すかもしれません。まあ色々なwebサービスを使ってますからどこかでお会いする事もあるでしょう。で、別に愛想も世辞も要りませんので、ああこんなきちがいが居たなあとたまには思い出して下さいね。それでは皆さん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……あ、最後に一言だけ言わせろ。テメエのお袋は地獄で尺八してるぜ!



引用というよりは転載だなこれは。(W


サイト運営もやめたらしい?そりゃ、ログを残しておいてほしいという気持ちを持つのはこっちの勝手であるんで、それを強要はできないわけだし、放置したくないという人に放置しておいてよというのも「何ほざいてんだよ!」と言われちゃうかもですけれど。
プライベートモードにした意図なんて、知らんがな。ま、知っとけボケと言われてしまうのもしょうがないかなあとも思うんですけれどねえ。私もそういうことよくやりますから、ぶっちゃけノイズのブログでも過去に何度か閉鎖じゃーとかほざいてはいたけれど。けれど、私は結局はこうやって何度も閉鎖と再開を繰り返す神経の図太い女ですので、よっしー(また勝手にニックネームつけてるよ)さんの神経は私なんかより繊細なんだろうなあとは思います。なんとなーく閉鎖する理由もわからないではないんですけど、でもやっぱりすべてを消してしまうのはもったいないと、そう私は思ってますです。はい。だから、唯一残ったこの記事、魚拓取るより転載しちゃいました。ごめんなさい。(W


ま、生まれ変わってまたどこかのウェブの上でまたなんかかんか書いてください。私の別のキャラが、私自身もよっしーさんだと知らずに声かけたりするかもしれません。

コメントレスしてみる

2008年03月15日 08:01

はてなブックマーク - ぽんすノート - 2008年03月15日


この記事を読ませてもらって、よーし全記事読破するぜ!とは思いませんでした。ごめんなさい。



そりゃ「読むよ」と言われるのも嬉しいんですけど、それよりもいきなり読まれて感想言われるほうがもっと嬉しいので、「思いませんでした」と言われても、まあそうだよねえ、そりゃそうだ、しょうがないよ、余程私に興味持てない限り、私の記事は読めないだろうなあと、思ってます。それくらいはわかってますので。でも、この記事を「読んだ」という意思表明、ありがとうございました。(W

ブログ自体が自薦だったりする

2008年03月14日 10:59

応募するのなら、自薦記事を紹介しようよ - takoponsの意味


ノイズブログをRSSリーダーに登録してくれているのは確か一人だけ。確認できた分だけなんだけどね。プライベートモードにしていたらどうなるのかわからないんで、もし公開していない人が登録してたとしたらそういうのは数に入れない。だから、登録しているのは一人だけ。あと、アンテナは6人入れてくれているみたいだけど、そのうち公開してるのも一人だけなんで、これも一人だけと私は見ている。


そりゃもうね、私は私ほど自分勝手な自分語り記事を書くヤツはいないと思ってるんで、こんなブログを「読んでるよー」と公言する酔狂な人もいないでしょうよ。ほんと登録表明してるお二人には感謝してます。とはいえ、登録してるだけで覗きにきてはないような気もしないではないんですけど。でもまあ、削除せずに登録してくださってるだけでも嬉しいです。


自薦記事かあ。それなかなかできないんだよね。とくにこれだけの大量な記事を抱えていると(ノイズの場所だけでも多いし)なかなか決められない。確かに記事の中では、自分でさえも意味ないよなーと思う記事もないわけじゃないんだけど、それはごく僅かで、ほとんどの記事が自分でも読み返しがいのあるものばかりだしねえ。だから、「これを読んで!」と選べない。それに、私が自薦したとしても、ツボにハマるのものは人それぞれなんで、とにかくもう全部読んでもらって、その上で「この記事が好き」となってくれればいいなあと私は思っているし。


つーか、前にも言ったと思うけど、私ブログ持ち過ぎだしね。10以上は持ってると思う。まあ、そのほとんどが今は更新停止しているのもあるんだけど。でも、それぞれのブログにはある程度の記事数が眠ってもいるんで、けっこうな記事数ではあります。それをすべて読みたいなんて思う酔狂な人、ほんとにいるのかなあ。よっぽど私に興味ある人だけでしょうよねえ。

無理だと思う

2008年03月13日 22:30

idululunにブログを読まれたい人を募集してみるテスト - 煩悩是道場


なんつーか、私のブログの場合、お願いされて読むにはつらいものがあるかもしれないと思った。自分から「本当に読みたくて」と思える覚悟でもない限り、なかなか読むのは難しいだろうなあ。とてもじゃないけど「読んで♪」とは言いにくい。ぶっちゃけ、ここだけじゃないもんな、私のブログは。(W
もともと一本で書き続けていた日記があって、それは8年分ほとんど毎日のように書いていたわけだし。(3ヶ月ほどウィルスで消失してしまったけどね)
それも入れた上でノイズの場所他、毎日ではないにしろ、ポツポツ更新してきたブログ入れたら膨大な記事を読むハメになると思うからなあ。だから軽く「読んで♪」とは私には言えない。


ただ、私が書いたすべてのウェブ上のものを全部読んでくれたとしたら、私はその人に惚れるね。間違いなくね。とはいえ、きっとまったくいないわけじゃないんだろうな。私には知りようがないんだけど。


昔書いた日記にも「付き合いで小説を読む人」がいるらしいという話を聞いたことを書いたことがあって、私は付き合いで読むなんてできないと書いたものでした。その時にも私は「頼んで読んでもらうよりは自発的に読んでもらっていきなり感想もらうほうが嬉しいに決まってます」と書いたものですが、やっぱそういう読まれ方のほうが嬉しいっていうのは何も私だけじゃないと思いますけどね。まあ、最近では、そんなふうに「読みたいから怒涛のように読んだ」といった感じで集中して過去ログを読んでアクセスをしたら、過去ログ読まれることを「気持ち悪い」と言う人もいましたけれどね。きっとそういう人は「読みたいから読んだ」という人の気持ちはわからない人なんだろうなあ。たぶん。

好きになった人がイケメンだった

2008年03月13日 21:18

どうして好きな人はイケメンじゃない方がいいのか(^ω^) - かみんぐあうとっ


まあそのイケメンっていうのはぶっちゃけGなんだけどさ。(W


しょうがないよね。別にGを好きになったのもイケメンだったからじゃないからねえ。たまたま好きになった人がイケメンだったというだけだから。でも、たとえGと恋人、あるいは結婚できるかといったら、それは無理だけど。もちろん、私が結婚できる立場の女だったら、の話だけど。つーか、たとえ一人身であったとしても、私のレベルじゃGのお相手は無理だとは思うけどねえ。いい女じゃないし。若い頃はそれなりに見られたものでしたけどね。今はいい年のおばちゃんだしね。


モテる人だと心配じゃないですかw

世の中には若くてかわいい女のこはいっぱいいるじゃないですかw

好きな人がイケメンさんだとやっぱりモテると思うので、

心配してしまう (; ´Д `)



そりゃね、結婚相手がそうだと困るよなあとは思う。私は一人では生きていけない女。旦那に捨てられたらめちゃんこ困るんで、モテる旦那さんだとイヤではある。けれど、たとえばGのことは好きではあるんだけど、彼がモテているのは別にイヤじゃない。ファンの人たちの中には、イヤだと思ってる人もいるだろうけどね。きっと、誰か一人の女と「お付き合いしてます」とかいう話題でも上がったら、泣いて泣いて泣き崩れる人たちがいっぱいだろうし。でも私はそういうのはそんなに気にならないな。だけど、それだからといって、私の好きという気持ちを否定されたくない。


たとえば、Gであったならこんなふうに言うだろうなあと思う。「モテる相手に釣りあうように努力しろ」と。相手がいい男であればあるほど心配だというなら、ちゃんと自分を見続けてもらうために努力することじゃないか、と。彼なら言いそう。だってさ、浮気する女についてどう思うかっていうのに、彼は「浮気する女は悪くない。悪いのは浮気される男のほうだ」って言ったんだよ。浮気されないように常にいい男でいろと言ってるわけ。それは逆に言うと、女も男に浮気されたくなかったら、男を釘付けにする女でいろということでしょ。そういった考えであれば、相手がどんなにモテていようが心配なんてする必要ないよねえ。


だから、私は旦那にとって、常に最高の奥さんでいる。そんな旦那は絶対に浮気なんてしないよ。私はそう信じてる。(またしてもノロケじゃー)

メールの思い出

2008年03月13日 19:07

毎日のようにメールをしている。 - かみんぐあうとっ


サイトを始めた初期の頃、ヤフーで知り合った人と毎日のように私もメール交換していたことがある。私がヤフーの掲示板のとあるトピの立ち上げ者で、その人は書き込みをしてくれた人だったんだけど、私がそのトピで知り合った別の人とつらい別れをして、それをきっかけにメール交換が始まったんだけど。その人は私の長文メールに対してほんとに短いレスしか返してこなかった。だから、交換してるといっても、私が一方的にグチメールを送りつけるという形ではあったんだけど。あれから8年近くが過ぎ、その人ともまだ続いている。ただ、今はそんなにメールを頻繁に交換しているということはない。とてもいい距離で繋がっている人の一人だ。


その友達とは、ほぼ毎日のようにメールをやりとりしているんだけれど、

まぁ内容は、最近じゃ

ご飯なに作った?とか

キャベツが一玉あったら何作る?とか

最近は体調はどう?とか

病院は行っている?とか

風邪とかひいてない?とか

そういうたわいもないことばっかだったりするw

でも楽しい。



8年近く続いている関係のその人とは、さすがにそういった話題は出てこなかったな。けれど、そういった話題で盛り上がった相手が私にもいなかったわけじゃない。今はもう私の傍にはいない人のことだけど。本当にたわいない話をメール交換したものだった。彼女と別れてしまったのは、完全に私が悪かったせいではあるんで、寂しく思うことも本当は思ってはダメなんだけどね。でも、彼女に教えてもらった、料理の苦手な私でも作れるレシピは今でも忘れない。そんな彼女を深く深く傷つけた罪は一生消えることはない。私はそんなふうにして今までに何人もの人を傷つけてきた。だから、誰も私に近づいちゃダメなんだよ。それに、私も声をかけちゃダメなんだ。それこそ、傷つけられてもいいという人しか。そんな人、いないよね。いるわけないよねえ。


本当に私ってヤツはとんでもなく罪深い人間なんだ。

どんな言葉でも傷つく

2008年03月13日 17:00

乙一『きみにしか聞こえない CALLING YOU』を読んでの雑文。 - かみんぐあうとっ


7年前の日記に私は「私たちは決して自らの命を絶ってはいけない。たとえ、死ぬ権利がどんなに理にかなっていたとしても──やはり自分で自分の命を絶つなんてしちゃいけない」と書いたわけですが、それを読んだ友達が「傷つきました」と言ってきたことがあります。彼女は精神的に不安定な人で、自傷行為もやったことがある人だったんですが、私の書いた当時の「残された人の気持ちも考えたら死ねないでしょ」といった日記で、自分は大切な人の気持ちも考えないダメな人間なんだと思ってしまい、それで深く傷ついたのだと思います。死にたいと思い込んだ者は、他人のことまで考えが及ばないのだということを当時の私にはわからなかったんですよね。死なないで、残された自分たちのことも考えてと思うことは、結局は死にたいと思っている人よりも、死なれてつらい思いをする自分たちのことしか考えていないと思われてもしかたないんだろうなあと今の私なら思います。そりゃ、自分たちのことだけを考えてると言われるのも心外ではあるんですが、でも、死にたいと思う側は死にたいと思うことしかどうしてもできないわけで。そういうことでも傷ついているのに、さらに追い討ちをかけられるように「他人ことも考えろ」と非難めいたことを言われる。そうじゃないのに。やっぱり死にたいと思う自分のことなんか誰もわかってはくれないんだ──と、そんなふうになっていくんでしょうね。


それから、私は誰も自分では救えないんだなと思うようになっていったように思います。


ふと立ち寄った日記で「死にたい」「死のうと思います」と呟いていたら、やっぱりどうしても救ってあげたいと今でも思うんですけど、昔の私はためらいなく声をかけたものでした。でも今はかけません。かけられないのです。だって救えないから。私は他人を救えない。私は私自身を救うことで手一杯だから。他人の悲鳴まで背負えない。背負おうとしても私は傷つけるだけだから。そんな私に救えるはずがないんですよ。傷つけまいとしても、私はどうしても相手を傷つけてしまうんです。ヘタすれば、相手を死に追い込んでしまう。私はそんな人間なんです。


だから、私は「死にたい」と呟く人の前で立ち竦むしかないのです。

私が思ういい旦那

2008年03月13日 15:21

本日のつぶやき(私が思ういい嫁) - かみんぐあうとっ


あなたにとってのいい嫁はどんな嫁ですか?w



逆に、私にとって「いい旦那」とはどんな旦那かと考えたら。「遅くなるから先に寝てていいよ」と言う旦那さんかな。(W
まあ、これは「残業や飲み会等で遅くなっても、夜、先に寝ることはない嫁」という言葉を聞いて、それならば嫁としての立場で言うならということで出てきた言葉ではあるんだけど。でも、うちの旦那さんは、そういう旦那さんなんですよね。「先に寝てていいぞ」って言ってくれる旦那さん。それはまあ、私が「起きてる奥さん」だからではあるんですけど。(W


つまりですね。いい嫁っていうのは、自分がいい旦那であればいい嫁になるんですよってことなんですよ。もちろん、絶対じゃないですけれど。だけどさ、いい嫁ほしいなら、まず自分が「いい旦那」になるべきなんじゃないですかねえ。

目的は自分語り

2008年03月13日 10:59

はてブされるという事 - 煩悩是道場


うるるんさんのこの記事読んで、正直な私の気持ちを語るとすれば、はてブされてそのはてブ経由で誰かが読みに来てくれることは、こんな私でもやっぱり嬉しいもんです。そうじゃなきゃ、誰かの記事をリンクして自分語りなんかしませんからねえ。それこそ、誰の記事を読んだのかわかりそうなわからなさそうな雰囲気でリンクもせずに書きますから。つまりは、リンクしてるってことは、とりあえずはリンク先の管理人には関心よせてもらいたいという気持ちがないわけじゃないわけですものね。


でまあ、私の場合のはてブをもらうテクニックはこのリンクするっていうことではあるんですが、それで成功しているのがスーさんの記事をリンクした時くらいでしょうか。スーさんは自分の記事がリンクされると必ずといっていいほどブクマしてくれますから。そして、スーさんは私の中ではアルファな人です。被お気に入り数も多いですからね。そこから飛んでくる人もまったくいないわけじゃないです。でも、ものすごく多いわけでもない。気持ちいい数のリファラがあるという点で、スーさんのブクマは私にとって嬉しいブクマでもあります。それと、同じくらいhatayasanのブクマも気持ちいい数のリファラがあります。スーさんと同程度のアクセス数が。


救われたくないと言っていた私ではありますが、確実にスーさんやhatayasanには救われています。まあ、救われているというのとはちょっと違うかもしれないんですけど。気持ちいいアクセス数のために、スーさんの記事をリンクしたことは私にとっての成功だよなあと。
ただ、私は何でもかんでも取り上げて自分語りしてるわけじゃない。それは私だけじゃなく、言及して記事を書く人はみんなそうなんでしょうけど。私だって、注目されたいから、ブクマされたいから、だから無理して誰かの記事をリンクして自分語りしてるわけじゃないですもん。「書きたい!」ってなったから、こんなふうに誰かの記事をリンクして自分語りしてるわけですからねえ。だから、注目されたいからが目的じゃないです。あくまで、自分語りが目的でやってるに過ぎないですから。

ストーカー気質がバレるとき

2008年03月13日 10:43

いや、バレる以前に周知の事実ですから。>ストーカー気質


[多重人格]分析


ノイズさん。あなたの中の他人はこんな人達です。


ノイズさんの事の中に居る70人は振り返るといつも付けてくる人達です。
ノイズさんの事の中に居る8人は嫌と言えない自分好きと言うSな人達です。
ノイズさんの事の中に居る8人は常に現実逃避中な人達です。
ノイズさんの事の中に居る4人は目標に向かって努力は惜しまない人達です。
ノイズさんの事の中に居る4人は常に寝てたい。ぐうたらしたい人達です。
ノイズさんの事の中に居る3人は目立つ為、虎視眈々と機会を狙う人達です。
ノイズさんの事の中に居る3人は知的路線で売り出し希望な人達です。



うわははは!振り返るといつもつけてくるって…ストーカー気質な私にはぴったりじゃんか。現実逃避とか、ぐうたらとか、目立つために虎視眈々とか、いろいろ納得なことが書かれてるし。
つーか、知的路線…それはないかも。どっちかってーとおバカで売り出したいよなーって。それにしても、目標に向かって努力は惜しまないっていうのがいてちょっとホッとしたかな。てゆーか、これもしかしたら前にやったことあるかもしんない。



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