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否定についての嫌悪感

2008年03月30日 09:08

はてなブックマーク - Little Painter Ragtime Blues - 2008年03月30日


否定的な問いをする場合には相手に対する非難がことば(文章)の端々に込められているように思う(戦略的に込めることもあるみたい)id:suVeneさんは人の内面に関知しないので質問を受けても否定的には感じないのです。



すーさんが本当に相手の内面に関知しないのかどうかは私にはわからないけれど、でも確かにすーさんの「なぜ?」という質問には否定的なものが感じられない。もっとも、私に対してそんなに多くの「なぜ?」を投げかけられたことはないんだけど。でも、すーさんが他人に対して質問を投げかけているところは何度も目撃していて、まあ、他人事だからと思われてしまうんだろうけれど、それでも、私の目には悪意とか意地悪とかそういったものは感じたことはなかったよなあ。だってさ、似たような雰囲気の人は他に何人か知っているけれど、その人たちは見てて不快に思うことがあるんだよね。でも、すーさんの質問には不快感は抱かなかった。


はてなブックマーク - Little Painter Ragtime Blues - 2008年03月30日


意見が違えば否定されるのは当たり前ですが、正されるのには拒否感がある。



なんつーか、否定している相手はそういうつもりじゃなくても、たまに「正されている」と感じる否定の仕方をしている人がいる。それはまあ、こっちが勝手にそう感じるだけであって、他の人も私と同じように感じてるわけじゃない。けれど、自分がどうしてもそう感じてしまうのはどうしようもない。昔は、それを正直に表明していたけれど、今は公では嫌悪感を出さないようにした。なるべく相手が見ない場所で吐き捨てるっていう形を取ってる。
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好きに書くために

2008年03月28日 08:26

2008-03-27 - メモ


人が生きづらいのはしがらみに翻弄されるからで、他人の目が気にならなければ何パーセントかは気楽になる。



ノイズの場所のコメント欄やトラバを閉じたのは、そのしがらみから逃れたいと思ったからでもある。最後に閉鎖宣言をしてからまた新たにここで書き出すにあたって、そういったしがらみを排除して昔のように好き勝手に思ったことを正直に書きたいと強く思ったからなんだよね。
昔からの私の書き方が、こんなふうに他人の書いた一部分を切り取って、思い起こされた自分語りをとうとうと語るっていうやつだったんで、引用された相手にとっては「そんなつもりで書いたわけじゃない」となってしまうことが多かったから。つまり、今引用した文章が私の頭の中で次のように改変されているわけ。


「私が書きづらいのはしがらみに翻弄されるからで、他人の目が気にならなければ何パーセントかは気楽に書ける」


これが私の引用の仕方が誠意を感じさせない所以だろうと思っている。だから、今までに何人かの人が私を非難した。非難されてもしょうがないよなあとも今は思っている。けれど、私はこういう書き方をやめるつもりはないし、それでも私の書いたものを読みたいと思ってくれる人が読んでくれたらそれでいい。読みたくない人は読まないだろうし、非難するためだけに読むという人だって別にいていい。読者側の不快に感じる琴線は私にもわからないし、たとえわかったとしても、私は書きたいと思ったことを書いていくだけだ。他人の気持ちにまで今は思いを馳せる気はない。それもあって、コメントやトラバは閉じたのである。


けれども、そこから逃れることはできないし、他者の視線もあってこそ規範も生まれ逆に視線があってこそ張り合いになることもある。



でもまあ、コメントやトラバを閉じているからといって、すべての反応をシャットアウトしたわけじゃない。はてブもチェックはしているし、それ以外でも気づける分に限りは言及してる人がいたら読むしね。けれど、ここで新たに書き出してからは、ほとんど注目度は上がってないということで、あまり他者の視線は感じられない。でも、だから張り合いがなくなるかといったら、まったくのゼロじゃないということもあり、たった一人が読んでくれているのだと気づくことができれば、私の張り合いは十分だ。もっとも、私は私だけの視線だけであっても書き続けることはできるけどね。何度も言うけれど、そんな場所でも私はずっと書き続けているし。視線が私だけの場所でも。それだけ私は「書きたい」に溢れてる人なんだと思う。


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他人のコメント欄で自分語りをすることについて、批判的に話題になることがあるけれど、むしろ、記事から思い巡らせた自分語りであった方がいいかもしれない。



昔の私は他人の掲示板での自分語りがいつものスタイルだった。もちろん、ゆっけさんのような寛容な態度の人もいたけれど、その人が本当にそう思ってくれてたかどうかまではわからない。いいよいいよと言っていても、実は心の中では「うざい」と思っていたかもしれないしね。でも、何人かは確実にそういうのはいやだと言う人もいたわけで。直接レスとして言えないという人は、さりげなく自分の日記に書く人もいたし。
だから、何回か書き込みのトラブルを経験することで、私はだんだんと他人の掲示板に書き込みするのをためらうようになり、今ではほとんど書き込みしなくなってしまった。まあその代わり、自分のテリトリーで昔掲示板に書き込んでいたようなことを書くようになったわけだけど。しかも、掲示板時代よりさらに自分の思いに深く入り込んだものを書くようになっていったよねえ。話もソレまくるし。(W


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ことばや文章にすると、キツく感じられたり何かを主張しているように読めることも、絵にすればネタ化する。



それは、ゆっけさんが絵描きさんだから思うことだよ。私もまったく絵心がないというわけじゃないけれど、私には絵をネタ化にできるほどの技量はないんだよね。けれど、文章だと自由にネタ化にできる。ゆっけさんにとっては文章で表現するより絵で表現するのが性に合ってるからそう思うんじゃないかな。私は文章で表現するほうが性に合ってるから、絵よりも文章の書くほうが断然楽ちん。

認めてくれなくていいけど存在はさせてほしい

2008年03月24日 10:51

Fragments 子供は見ちゃダメ!


まりねこさんのこの記事に全面同意しています。それは間違いないです。


そりゃ私の書いてきたものを穿り返してみれば「どんな表現だってすればいい」だの言ってきた私だし、私も18禁の過激な性描写シーンを書いてきたものだし、BLだって近親相姦だって幼児対象のエロ物だって肯定してきて規制されたくないと確かに私も思っているわけなんで、ダブルスタンダードだとか偽善だとか言われるだろうけれど、昔の考えと今の私はちょっと違ってきているんですよね。つーことで、それをちょっとつらつらと書いてみようかなあ。


まあ、結局はまりねこさんがが書いていることと同じことではあるんですけれど。つまり以下の文章。


そういう「大人が妄想するお楽しみの世界」は、あってもいいんですが、今のようにおおっぴらに、子育て中の堅気な家族や、通学途中の子供の目や手が届くところにあってはいけないんですよ。ネットの規制はシステム上難しいと思いますが、現物があるゲーム本体や漫画などは、「子供の目や手の届かないところに」隠そうと思えばすぐ隠せますね。表にしゃしゃり出てきて、さも「そこにあってもいい」ような顔をしているから、「この日陰者が。分をわきまえろ」と小突かれる。そういうことじゃないんでしょうか。



昔の私は虐げられたもの、たとえば過激な性描写等表現を規制されることについて、そういったものも認めてほしいだの、差別しないでだの声高に言ってきたもので、明らかにそういったものを嫌悪する人たちに対して敵意みたいな気持ちも持ってました。だから、仲良くなった人なんかで、BLは嫌いだと言う人がいたら、自分自身を全否定された気持ちになって、かなりネガティヴな気持ちを相手に持ったこともあります。何でも受け入れることのできない人にはクリエイティヴなことなんかできないとか、小説書くんなら何であろうとも受け入れて芸の肥やしにしなくちゃとか暴言を吐きまくってたんですよね。


でも、今の私は、それはちょっと違うなあと思うようになりました。禁忌なものを書いてしまうことや、読んでしまうことはどうしようもない自分の性癖なんだから、それを本当に嫌で直したいと思うなら直せばいいんだけど、私は別に直したいとも思わないし、自分の信念はやはり何でも受け入れられる人間がいいものを書くんじゃないかという想いが捨て去れないので、私はこのまま書きたいと思うものを書いていくだけです。それを認めてほしいとも今は思わないし、後ろ指差されることも辛いとは思っても、それは当たり前のことだと覚悟を決めて書いていくつもりです。というか、栗本さんが言ってたように、認められたらおしまいだという気持ちも今は出てきています。迫害を受ければ受けるほど、その迫害されるものは力を持つ気が何となくするんですよね。それが真の表現者たるものだろう、と。


4年前に日記で書いたけれど、自殺した芸能人の妻が子供たちに父親の死んだときの気持ちをよく覚えておくようにと言ったのも、表現者はそういった経験が役立つときがくるからという気持ちがあったからそのように気丈にも言ったのだろうと誰かが言っていたということだったのですが、こういったことは表現しない人にはやはり受け入れられない心情なんじゃないかなあとも思います。それが表現者と表現者じゃない人の違いであり、当時も書いたんですが、表現しない人に表現する人の気持ちはわからないだろうし、このふたつは相容れないもの。そして、また簡単に相容れられるものであってもならないんじゃないか。だから、非難するなら非難しろ、と。それくらいの気概がないと表現していくことはできないんだと、そんなふうに今でも思いますね。


で、話を戻しますが。


アングラ的なものっていうのは、日の光の下に曝け出すものじゃないです。それこそ「この日陰者が。分をわきまえろ」と小突かれるのが当たり前であって、それが正しい扱われ方なんです。アングラの魅力っていうのは、それなんじゃないかとアングラ側の私は思うんですよね。だから、差別されることを、ヘンな言い方すると誇りにも思ってしまうという。実際、アングラ的なものって日の光の下では醜くて汚らわしくてとても見られたものじゃないです。そんなものを、まだ幼い心しか持ってない子供が見たら、耐性がない分、メタメタに心は壊れてしまうでしょうよ。私は、温室で子供を育てるべきではないとは思っていますけれど、いきなり酷いものを見せて強くしろなんていうことは言いませんよ。徐々に徐々に、年齢に応じて試練を与えていくのが、子供へのちゃんとした教育だと思っていますから。
私もそれなりにエロ関係では他人の経験していないことを幼い頃から経験してますけれど、私の場合はまだマシでした。世の中には、もっともっと酷い経験を幼い頃から経験してきている人たちがいます。そういった人たちに比べて、私は年齢に応じた経験の仕方だったんでしょうね。たぶん。だから、そういう経験を踏まえて、何とか酷いものを子供には見せないようにしていかなくちゃならないとは思っています。そのための規制ならばしかたないことかなあとも。


そこらへんのことを6年前に日記で「青少年有害社会環境対策基本法」について表現者でもある私の立場からちょろっと語ったことがあるんですが、あの頃も表現者側としてはやはり規制はされたくない、どんな表現でもさせてくれという気持ちがあるとは書いたけれど、子供には年齢に応じた体験は必要というようなことも書きましたねえ。あの頃と違うのは「規制はするなー」と声高には言わないという点かな。正直な気持ちは規制されたくないんだけど、規制というものもなければ、酷すぎるものも当たり前のように子供たちの目に晒されてしまうことになるんで、それは私もヤバイよなあとは思うし。つまりは、都合のいいことではあるんだけど、こっそりやってる分には多少目をつぶってほしいよなあという気持ちも持ってたりするんですよね。ほんとはそういうのもよくないんだろうけれど。でもなあ、表現する側としては、なんもかんも十派一絡げで見てほしくないわなあなんて思ってしまうんだよね。表現していくための言い訳でしかないとしても。それでも大きな声では言うつもりはないけれど、そういった小さな声もあるんだよということで。ええ、もちろん、無理強いして子供たちに見せるような真似はしたくないという気持ちもある。それはわかってほしいとは思う。


それにまあ、規制されても、私はやはりこっそり書いたり読んだりしちゃうんですけど。どうあっても、私はアングラ側の人間だと思うんで。だからね、棲み分けは大事なことなんだよってことを私は強く言いたいです。だって、どうしても特殊な趣味を持ってしまう人は現実にいるわけですから、そういったものを完璧に削除してしまうには、洗脳するか、殺してしまうしかないと思うんですよ。それはさすがにできないでしょ。だとしたら、規制はするけれど、特殊な趣味の人は自分たちのテリトリーから出ていかないようにする、つまりは棲み分けをすることが一番無難な解決策だと思うんですけどねえ。


それと、蛇足ながら、6年前に書いた日記で私は「もっと過激なことを考えている」と書いたんですが、いい機会ですから書いておくと。確かに幼い子供に酷いものを見せてしまって成長に著しい障害を与えてしまうのは言語道断という思いもあるんですが、ただ、100人が100人、すべての子供がちゃんとした成長ができないというわけじゃないんじゃないかと思うんですよ。ほら、酷い環境で育ったから全ての子供が悪人な大人になるわけじゃないし、親失格な親に育てられたからといって、すべての子供が性格に問題のある大人になるわけでもない。中には最悪な親に育てられたのにいい子に育つこともある。つまりは、劣悪な環境で育たない生物は生き残るだけの生命力がないということで、好き残る力のあるものだけが生きていくのが本来の生物の姿じゃないかと、そんなふうに思うんですよ。だから、私たち生物は世界に試されて生きているんじゃないかって。ここでどんな状況に晒されても生きていくことが大事であって、自滅してしまうようなら生きてく意味はないんじゃないか、それが生きる意味なんじゃないかって。だから、俗悪なものに染まってしまう者は、極端な言い方ををすれば生きていく価値はない、最悪な世界でも生きていく強さが価値のあることなんじゃないか、そのために子供たちは試されたほうがいいのかもしれない。これが当時思っていたことであり、今でもそんな風に思っていることでもあります。でもまあ、私も人の親となりました。だから、やはり我が子を谷間へと突き落として這い上がって来いとはとても言えないこともわかってます。私には突き落としてちゃんと生きる能力があるか試すというのも正しいという気持ちもあるんですが、そこまでの親としての強さはないんですよね。だから、結局は、試した方がいいという気持ちを持つと同時に、守れるだけ守ってやりたいという気持ちも持ってはいるのです。矛盾してはいるんですが、でもたぶん、この矛盾を抱えているのが人間っていうものなんでしょうねえ。

誰にも私の書く行為は止められない

2008年03月23日 10:12

だるい - うな風呂


気持ちはわからないでもないけれど、正直、なに甘えてんだよとも思う。求めてそれが叶うことなんてそうそうないんだよ。どんなにいいもん書いてたって、今のこのネット世界には、ちょっと前のような優しい人たちがいるわけじゃないってことだ。
私は自分の書いたものが他人にとっていいと思われてるかどうかはわからない。自分ではいいもん書いてると思ってるけれど、それは自分だからそう思うだけで、客観的に見て万人受けするとは思ってないし、だから、多くの人の感想がもらえるなんてことはないと、それはわかってる。
君も自分で自分の文章がいいか悪いかは決めかねているかもしれないけれど、とりあえず、私一人は「いいもん書いてるよなあ」と思ってるよ。ただ、私も昔の私とは違って、どこにでも好き勝手にコメントを残せる人間じゃなくなったということだ。コメントつけられるなら、今でもヤフーの栗本トピに書き込んでるだろうから。


小説については、優先事項があるということに過ぎない。私には時間がないから、どうしても積んでる本を先に読んでしまう。だから、今の私はウェブ上の小説は自分の分以外は今はまったく読んでない。とにかく時間がないんだ、読んでる時間が。しかも、昔のように夜遅くまでネットができない身体になってしまったからねえ。もうね、小説だって、ごく限られた人しか読んでくれないもんだよ。私だって、自分の小説がどんなに読まれてないかわかりすぎるほどわかってるしね。感想だってね、なかなかもらえないもんなんだっていうのも理解したほうがいいよ。バンバンくる感想なんて、ほんと限られた人のところだけだから。しかも、私が見てきた感想の多いネットの小説も、どうしてたくさん感想が集まるのか、どうしても理解はできなかった。どうしてその人には多くて自分にはまったく感想がこないのか、本当にわからない。
だから、私は小説の感想、他の書き物へのコメント、そういうのがなくなっても絶望なんてしなくなった。絶望するヒマなんて自分にはないんだって、そう思うようになったから。


私は好きなように書く。誰も反応してくれなくてもね。この記事だって、トラバ送るわけじゃないし、君だって読んでるかどうかなんてわかんないし。でもそんなこと関係ない。とにかく書きたいから書いた。それだけだ。腹立てるのも、気持ちはわからないではないけれど、書く人っていうのは、そんなこと関係なく書いてしまうもんなんだと私は思うよ。現に私だって、誰も相手してくれない過去には君のように腹立ててたもんだったし。もう、そんな薄情な奴らなんかに見せるもんかって、そう思って非公開にしたり、閉鎖宣言してみたり。でも、結局はこうやってまた書いている。それは反応がほしいからでもなく、ただただただただ書きたい、ただそれだけ。


根本的には。
おれの孤独を癒すためにこそブログなりHPなりは存在するのだが、結局、癒すどころか増すばかりだ。向いてないんだろう。人づきあいに。
だから、放置するのが結局一番いいかな、と。ここ一、二ヶ月思っていた。
おれが遊ぶ分には、他人に見せる必要はない。



孤独を癒す?癒したいの?癒すために書いてたの?孤独が嫌なの?孤独ってそんなに駄目なもんなの?自分の一人遊びを誰かに見てもらいたいって思わないの?まあそうだろうな。そんなのはよっぽどのMだろうしな。そうだよ。私はMだよ。自分が自慰行為してるのを他人に見てもらいたい人間なんだよ。すごい快感なんだよ。見てもらってるのが。どんなにバカみたいなことしてても、どんなにくだらないことしてても、まったく誰も見てなくても、それでも私は一人でぶつぶつ何か呟いているところを全世界に公開している。ここだけじゃないよ?私には多くの場所がある。その中にはまったく誰も覗きにこない場所もある。非公開にしてもいないのに。検索でさえも誰もこない場所。でも、きっと、いつかは誰かが見る場所。でも、そんな時にでも、きっと誰もコメントはしないんだ。いいんだ。それで。見てもらえただけで。なぜって?楽しいからだよ。君は楽しくないの?癒すためだけなの?楽しいから書いてるんじゃなかったの?


私は楽しいから書いてるよ。書くことは楽しいよ。楽しくてしかたないよ。だから誰にも私の書く行為を止めることはできないね。止まる時は、私が死ぬとき。死ぬ時なんだよ。


「他人に見せる必要はない」か。それならもういいよ。見せてくれないんならもういいよ。見せてくれる人のところに行くよ。残念だよ。もう君の書く物が読めないなんて。まあ、私のこの言葉は君には届かないんだろうけれど。短い間だったけれど、私の読みたいと思った文章を読ませてくれて本当にありがとう。

相手から接触してくれること

2008年03月22日 11:02

中身ではなく、行動 - 拡散していけど、とりもなおさず - すもつくれん


反応がなかったことは私にもある。そのうち何件かは、反応してほしいなあと思ってた人でもあったんで、ぷんすかしちゃったこともあったけれど、ほとんどの無反応にはそれほど何か思うってことはなかった。それは取り上げて自分語りさせてもらった相手にそれほど、というか、ぶっちゃけまったく関心がなかったからというのもある。ぷんすかしたっていうのも、やっぱりその人にちょっと関心があったからなんだと思う。


 ブログにおいては、自分から「評価」して交流を持ったのって、xuraさんぐらいだよなぁ、と思う



これ読んで思い出したのは、昔ライコスで知り合ったとある男性がいたんだけど、その人は私はその人の存在知らなくて、向こうが私の書いていたポエムを評価してくれて接触してきてくれたんだよなあって。かなり私の書く物を褒めてくれていたんだけど、結局は私が相手についていけずに今は疎遠になってしまった。
それとは逆に、他のとある男性と同じ頃にライコスで知り合ったんだけど、こちらの人は私の方から接触して、相手の書くものを絶賛した。で、その人もそのうちに私の書くポエムを絶賛してくれるようになったんだけど、なんていうか、私の中のあまのじゃく的なものが、私がその人に注目したから、私の書く物も評価してくれたんじゃないかって思ってしまって、その気持ちがどうしても拭えなかった。たぶん、その人はきっと「君が接触してくる前から評価してたんだよ」と言うんだろうけどね。でも、たとえそれが真実だったとしても、結局は私のほうから相手に接触したことには違いないんだから、どうしても、私が注目したから私に興味持ってくれたんでしょという気持ちがなくなることはない。もうね、これはタイミングの問題なんだよね。


なんと言うか、すごくバカバカしいんだけど、どうしてもね、私から接触持ったから私を評価してくれたんだろうなあと思ってしまうんだよね。私が知らない誰かが、どこからか私を見つけてくれて、そして「この人の書く物っていいなあ」と密かに思ってくれて、それであるときいきなり「ファンです」と言ってくれるのが一番自分にとっては信じられる評価だったわけ。で、そういった評価の仕方をしてくれたたった一人の人が疎遠になってしまった男性であったんだよね。彼以外ではそういう経緯の評価をしてくれた人は一人もいなかったと思う。たぶん。なんてことを今ここで書けば、次から新規で「あなたの書く物が好きです」って言われても、これ読んだからでしょうなんて思ってしまうだろうなあ。まあ自業自得だけど。つーか、もう新規で誰かと知り合うのももういいやって思ってるところがあるから、別にどうでもいいけど。


けれど、そういった評価のされかたはやっぱり私にとっては信頼できる評価のされ方でもあるんで、ここではもうそういうのは期待しないけれど、そういった評価のされ方をしたいがために、新しいキャラでもって新しくブログをどこかで書くだろうなあと思うよ。そういった楽しみのために、私のブログはこれからもまだ増殖していくかもしれない。


つまり、いつかあなたが見るそのブログは、もしかしたら、生まれ変わった私なのかもしれないよ──ということ。(W

ショートスリーパー

2008年03月22日 11:01

安眠について - 拡散していけど、とりもなおさず - すもつくれん


世の中には「ショートスリーパー」と呼ばれる、睡眠時間が少なくても日常生活を暮せている人たちがいて、その人たちのような生活を送れるために、色々な安眠方法を紹介するという回だった



これを読んでこの間特ダネの小倉さんが言ってたことを思い出した。たまたまチラっと見ただけだったんで覚え違いがあるかもだけど、小倉さんも2時間だかそれくらいの短時間の睡眠で大丈夫な人だということで、非情に珍しいタイプらしいんだそうだ。リンク先でも紹介されている記事にはショートスリーパーがいかに効率のよい睡眠であるかが書かれていたのだけど、小倉さんの話の時にコメンテーターだったか、他のアナウンサーの人だったかが、果たしてそれが本当にいいことなのかどうか、実は身体には悪い影響が出るんじゃないだろうかということを言ってたんだよね。
小倉さんは、寝た瞬間の姿勢で眠ってるらしくて、寝てる間はまったく微動だにしないらしい。はたから見たら、まるで死体のような感じらしい。だから、かなりヘンな格好で肉体的に無理のある姿勢であったとしても、そのままで寝てしまうということ。普通の人の寝方だと、同じ姿勢で寝続けていれば、下になった身体の部分が痛くなってきて、それが不快で寝返りをうったりするわけでしょ。それがないということは、身体は「痛いんだよー」と悲鳴を上げていても、それでも寝返りをうたずに痛い格好で寝てるということだよね。それって身体にとってはよくないんじゃないかなあ、と。ショートスリーパーは脳にはいいんだろうけれど、身体にとっては負担のある寝方なんじゃないだろうか。

書きたいものを書けばいいと思うけど

2008年03月18日 09:56

どんな記事を読みたいでしょうか?お答えくださった方に、はてなポイント差し上げます(全体で計500P) - ヘボメガネ一進一退


はてなポイントなんていらないけれど、私も答えてみる。(W


皆様は僕のブログ「ヘボメガネ一進一退」にどんな記事を求めていらっしゃいますでしょうか。

・非モテ記事


・創作文(小説)


・日記(エッセイ)


・ライフハック記事


・ライトノベルレビュー


・ポエム


・その他



↑の中で選べと言われたら、日記ですね。日々の出来事を綴って、それに対して自分は「どう思った」「こう思った」といったことを書く。というか、日々の出来事には様々なものがあります。日常的なことだけじゃなく、ネットで見聞きしたこともそれには入るし、それには当然、非モテに関することだってあります。つまりは、自分が「書きたい」と思ったものを書いてくれるのが、私は読みたいなあと思うんですけどねえ。


けれど、この人のように読者を第一に考えて記事を書くからこそ、そこまでのアンテナ数登録になったんでしょうから、私が「自分の好きなもの書けばいいんですよ」と言ったとしても、それが果たしていいものかどうかもわかりませんよねえ。
ただ、私に限り、この人の書くものは常にチェックしているわけじゃないですけど、時々、こんなふうにはてブで誰かがクリップしているのを見て、タイトルで釣られて読むことがある程度です。そんな程度の読者の言うことなんか、あんまり気にしないがいいですよ。(W

またどこかで会いましょう

2008年03月15日 11:15

いやじゃーなんて言わないでネ!ъ( ゚ー^)


さようなら。 - 花魁発狂


 どうもプライベートモードにしてただけでは自分の意図は上手く伝わらなかった様で、色々な人に色々訊かれたので一応お話を。そしてこれが花魁発狂での最後の更新になります。早い話が閉鎖です。ま、長いこと使っていたサービスなんですけど、達観……という域には達していないけど、ものを書き続けることがものすごく虚しく感じる様になったのです。何を書いてもメソメソメソメソ。ご高説をブチ上げたり議論だの論陣だの言ってても結局オマエら、リアルで会ってバカ騒ぎしたいだけなんだろ。ちんことまんこが目当てなんだろ。はいはい。わたしの如き旧世代の遺物は消えますよ。老兵は死なず、ただ障害者年金で悠々自適。サイト運営をやめた途端に趣味にもネットにも張りがなくなったように感じましたよ。定年退職後のお爺ちゃんの気持ちなのかしらねこれって。yosituneというはてなIDは多分残すと思いますが、気まぐれに消すかもしれません。まあ色々なwebサービスを使ってますからどこかでお会いする事もあるでしょう。で、別に愛想も世辞も要りませんので、ああこんなきちがいが居たなあとたまには思い出して下さいね。それでは皆さん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……あ、最後に一言だけ言わせろ。テメエのお袋は地獄で尺八してるぜ!



引用というよりは転載だなこれは。(W


サイト運営もやめたらしい?そりゃ、ログを残しておいてほしいという気持ちを持つのはこっちの勝手であるんで、それを強要はできないわけだし、放置したくないという人に放置しておいてよというのも「何ほざいてんだよ!」と言われちゃうかもですけれど。
プライベートモードにした意図なんて、知らんがな。ま、知っとけボケと言われてしまうのもしょうがないかなあとも思うんですけれどねえ。私もそういうことよくやりますから、ぶっちゃけノイズのブログでも過去に何度か閉鎖じゃーとかほざいてはいたけれど。けれど、私は結局はこうやって何度も閉鎖と再開を繰り返す神経の図太い女ですので、よっしー(また勝手にニックネームつけてるよ)さんの神経は私なんかより繊細なんだろうなあとは思います。なんとなーく閉鎖する理由もわからないではないんですけど、でもやっぱりすべてを消してしまうのはもったいないと、そう私は思ってますです。はい。だから、唯一残ったこの記事、魚拓取るより転載しちゃいました。ごめんなさい。(W


ま、生まれ変わってまたどこかのウェブの上でまたなんかかんか書いてください。私の別のキャラが、私自身もよっしーさんだと知らずに声かけたりするかもしれません。


【2009/5/24追記、別キャラじゃない私として今はゆるく干渉してますです。ついったーなんかで(W】


【2018/4/21追記】

よっしーとはついったーでも相互フォローしてたのですが、今は繋がりは切れています。よっしーがブログやめてサイトもやめても探し出して彼の書く物を読みたいからという理由で追っかけしてたんですよね。立派なストーカーですよ、はい。で、そのついったーでちょっと険悪な感じになって、それ以後、彼はついっーたをやめたのかそれともID変えてわたしを切ったのかわかりませんが、結果、もう彼を追っかけするのはやめました。まあ、そのわたしとのトラブルでついったーやめたわけではないんだろうけど、タイミングがね、どうしてもそう思ってしまうよね。結局、こっちが好きだと思った書き手の人はわたしとはうまくいかないんでしょうね。ほんともう誰ともコミュニケーション取りたくないや。過去、さくらちゃんが「やめないで」と言ってくれたけれど、やっぱダメだわ、わたしには、コミュニケーションってやつは。はいはい。一人でやってけばいいんでしょ。と、自虐ネタ。(笑)

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2008年03月15日 08:01

はてなブックマーク - ぽんすノート - 2008年03月15日


この記事を読ませてもらって、よーし全記事読破するぜ!とは思いませんでした。ごめんなさい。



そりゃ「読むよ」と言われるのも嬉しいんですけど、それよりもいきなり読まれて感想言われるほうがもっと嬉しいので、「思いませんでした」と言われても、まあそうだよねえ、そりゃそうだ、しょうがないよ、余程私に興味持てない限り、私の記事は読めないだろうなあと、思ってます。それくらいはわかってますので。でも、この記事を「読んだ」という意思表明、ありがとうございました。(W

ブログ自体が自薦だったりする

2008年03月14日 10:59

応募するのなら、自薦記事を紹介しようよ - takoponsの意味


ノイズブログをRSSリーダーに登録してくれているのは確か一人だけ。確認できた分だけなんだけどね。プライベートモードにしていたらどうなるのかわからないんで、もし公開していない人が登録してたとしたらそういうのは数に入れない。だから、登録しているのは一人だけ。あと、アンテナは6人入れてくれているみたいだけど、そのうち公開してるのも一人だけなんで、これも一人だけと私は見ている。


そりゃもうね、私は私ほど自分勝手な自分語り記事を書くヤツはいないと思ってるんで、こんなブログを「読んでるよー」と公言する酔狂な人もいないでしょうよ。ほんと登録表明してるお二人には感謝してます。とはいえ、登録してるだけで覗きにきてはないような気もしないではないんですけど。でもまあ、削除せずに登録してくださってるだけでも嬉しいです。


自薦記事かあ。それなかなかできないんだよね。とくにこれだけの大量な記事を抱えていると(ノイズの場所だけでも多いし)なかなか決められない。確かに記事の中では、自分でさえも意味ないよなーと思う記事もないわけじゃないんだけど、それはごく僅かで、ほとんどの記事が自分でも読み返しがいのあるものばかりだしねえ。だから、「これを読んで!」と選べない。それに、私が自薦したとしても、ツボにハマるのものは人それぞれなんで、とにかくもう全部読んでもらって、その上で「この記事が好き」となってくれればいいなあと私は思っているし。


つーか、前にも言ったと思うけど、私ブログ持ち過ぎだしね。10以上は持ってると思う。まあ、そのほとんどが今は更新停止しているのもあるんだけど。でも、それぞれのブログにはある程度の記事数が眠ってもいるんで、けっこうな記事数ではあります。それをすべて読みたいなんて思う酔狂な人、ほんとにいるのかなあ。よっぽど私に興味ある人だけでしょうよねえ。

無理だと思う

2008年03月13日 22:30

idululunにブログを読まれたい人を募集してみるテスト - 煩悩是道場


なんつーか、私のブログの場合、お願いされて読むにはつらいものがあるかもしれないと思った。自分から「本当に読みたくて」と思える覚悟でもない限り、なかなか読むのは難しいだろうなあ。とてもじゃないけど「読んで♪」とは言いにくい。ぶっちゃけ、ここだけじゃないもんな、私のブログは。(W
もともと一本で書き続けていた日記があって、それは8年分ほとんど毎日のように書いていたわけだし。(3ヶ月ほどウィルスで消失してしまったけどね)
それも入れた上でノイズの場所他、毎日ではないにしろ、ポツポツ更新してきたブログ入れたら膨大な記事を読むハメになると思うからなあ。だから軽く「読んで♪」とは私には言えない。


ただ、私が書いたすべてのウェブ上のものを全部読んでくれたとしたら、私はその人に惚れるね。間違いなくね。とはいえ、きっとまったくいないわけじゃないんだろうな。私には知りようがないんだけど。


昔書いた日記にも「付き合いで小説を読む人」がいるらしいという話を聞いたことを書いたことがあって、私は付き合いで読むなんてできないと書いたものでした。その時にも私は「頼んで読んでもらうよりは自発的に読んでもらっていきなり感想もらうほうが嬉しいに決まってます」と書いたものですが、やっぱそういう読まれ方のほうが嬉しいっていうのは何も私だけじゃないと思いますけどね。まあ、最近では、そんなふうに「読みたいから怒涛のように読んだ」といった感じで集中して過去ログを読んでアクセスをしたら、過去ログ読まれることを「気持ち悪い」と言う人もいましたけれどね。きっとそういう人は「読みたいから読んだ」という人の気持ちはわからない人なんだろうなあ。たぶん。

メールの思い出

2008年03月13日 19:07

毎日のようにメールをしている。 - かみんぐあうとっ


サイトを始めた初期の頃、ヤフーで知り合った人と毎日のように私もメール交換していたことがある。私がヤフーの掲示板のとあるトピの立ち上げ者で、その人は書き込みをしてくれた人だったんだけど、私がそのトピで知り合った別の人とつらい別れをして、それをきっかけにメール交換が始まったんだけど。その人は私の長文メールに対してほんとに短いレスしか返してこなかった。だから、交換してるといっても、私が一方的にグチメールを送りつけるという形ではあったんだけど。あれから8年近くが過ぎ、その人ともまだ続いている。ただ、今はそんなにメールを頻繁に交換しているということはない。とてもいい距離で繋がっている人の一人だ。


その友達とは、ほぼ毎日のようにメールをやりとりしているんだけれど、

まぁ内容は、最近じゃ

ご飯なに作った?とか

キャベツが一玉あったら何作る?とか

最近は体調はどう?とか

病院は行っている?とか

風邪とかひいてない?とか

そういうたわいもないことばっかだったりするw

でも楽しい。



8年近く続いている関係のその人とは、さすがにそういった話題は出てこなかったな。けれど、そういった話題で盛り上がった相手が私にもいなかったわけじゃない。今はもう私の傍にはいない人のことだけど。本当にたわいない話をメール交換したものだった。彼女と別れてしまったのは、完全に私が悪かったせいではあるんで、寂しく思うことも本当は思ってはダメなんだけどね。でも、彼女に教えてもらった、料理の苦手な私でも作れるレシピは今でも忘れない。そんな彼女を深く深く傷つけた罪は一生消えることはない。私はそんなふうにして今までに何人もの人を傷つけてきた。だから、誰も私に近づいちゃダメなんだよ。それに、私も声をかけちゃダメなんだ。それこそ、傷つけられてもいいという人しか。そんな人、いないよね。いるわけないよねえ。


本当に私ってヤツはとんでもなく罪深い人間なんだ。

目的は自分語り

2008年03月13日 10:59

はてブされるという事 - 煩悩是道場


うるるんさんのこの記事読んで、正直な私の気持ちを語るとすれば、はてブされてそのはてブ経由で誰かが読みに来てくれることは、こんな私でもやっぱり嬉しいもんです。そうじゃなきゃ、誰かの記事をリンクして自分語りなんかしませんからねえ。それこそ、誰の記事を読んだのかわかりそうなわからなさそうな雰囲気でリンクもせずに書きますから。つまりは、リンクしてるってことは、とりあえずはリンク先の管理人には関心よせてもらいたいという気持ちがないわけじゃないわけですものね。


でまあ、私の場合のはてブをもらうテクニックはこのリンクするっていうことではあるんですが、それで成功しているのがスーさんの記事をリンクした時くらいでしょうか。スーさんは自分の記事がリンクされると必ずといっていいほどブクマしてくれますから。そして、スーさんは私の中ではアルファな人です。被お気に入り数も多いですからね。そこから飛んでくる人もまったくいないわけじゃないです。でも、ものすごく多いわけでもない。気持ちいい数のリファラがあるという点で、スーさんのブクマは私にとって嬉しいブクマでもあります。それと、同じくらいhatayasanのブクマも気持ちいい数のリファラがあります。スーさんと同程度のアクセス数が。


救われたくないと言っていた私ではありますが、確実にスーさんやhatayasanには救われています。まあ、救われているというのとはちょっと違うかもしれないんですけど。気持ちいいアクセス数のために、スーさんの記事をリンクしたことは私にとっての成功だよなあと。
ただ、私は何でもかんでも取り上げて自分語りしてるわけじゃない。それは私だけじゃなく、言及して記事を書く人はみんなそうなんでしょうけど。私だって、注目されたいから、ブクマされたいから、だから無理して誰かの記事をリンクして自分語りしてるわけじゃないですもん。「書きたい!」ってなったから、こんなふうに誰かの記事をリンクして自分語りしてるわけですからねえ。だから、注目されたいからが目的じゃないです。あくまで、自分語りが目的でやってるに過ぎないですから。

歪んだ性癖

2008年03月11日 10:22

うがー - うな風呂


恋愛→結婚→出産というありふれた幸せルートをたどりにくい関係性のせつなさが好きってのもあるし。だからまあ賞味な話、そういうせつなさのある男女話でもまったく問題ないし、やおいよりむしろそっちのが望ましいが、現実問題としてあんまり存在しない。



「せつなさのある話」に萌え(今ふうに言えば)るっていうのは、私にもよくわかる。だから、うなさんと私の嗜好ってけっこう似通ってるんだろうなあと思った。
そうなんだよね。男と男の恋愛話がいいっていうのも、あたりまえの幸せがそこにはないからなんだよね。たとえ二人が愛し合ったとしても、それを祝福するものがない。それはもう女と男であっても障害がでてくることもあるのに、男と男だったら、それ自体もうタブーな世界でしょ。まったく問題なしで世間が認めてくれるようなものじゃないわけで。男女であれば、世間もあたりまえのカップルとして見てくれるけれど、男と男のカップルは必ず奇異な目で見られる。自他とも認める幸せなカップルになんて絶対になりえない。そこに切なさが生まれる。それがいいわけ。幸せにはなりえない物語を欲するのは、その切なさを感じたいから──


どんだけMなんだよって言われるかもね。へーへーそうです、わたしゃMですよ。(爆)


それにこれは、いたって歪んだ俺個人の特殊な性癖だが、俺は性欲的には二次元三次元を問わずなんでもいけるクチだけど、逆に二次元三次元問わず好きなものには欲情できない性質なので、たとえばつまんないエロゲーをやっててムラムラすることはあるが、面白いゲームなら抜かない、抜けない、好きなキャラクターや好きな相手を考えて自慰とか100%無理、なので、そういう歪み方が、なにか曰く言いがたい形で一部のやおい作品に通じていたのかもしれない。



思わず「あんたはわたしか」と思ってしまいました。(W
私もそういった性癖があるわけです。そう、好きで好きでしかたない人とセックスはできない。それと同じなんじゃないかな、と。ただ、うなさんと私が違うとすれば、「好きな相手を考えて自慰とか100%無理」っていうのはちょっと違うかな。私の場合は脳内恋愛で満足するわけだから、当然脳内セックスもそこには含まれていて、それが自慰行為ともいえることだと思うから。直接性交渉はできないけれど、妄想でヤることはできるわけだ。それが高じてポルノ小説ができあがるっつーことで、そこがちょっと、うなさんとはまた別な私なりの歪んだ性癖なのかもしれない。


ああ、どこかに素晴らしい諦念作品はないものか。



コメントでも書かれてしまってるけれど、ほんと、うなさん本人が書けばいいんじゃないかな。あれだけの小説を書くことができるわけだから、栗本さんみたいに「自分の書きたいものを書く」でやっていけばいいのに。
ただ、栗本さんや私(同列で言っていいものかどうか疑問だけど)みたいに、自分の書いたものが偏執的に好きというわけじゃなかったら、自分が書いたものより他人が書いた「自分の好きな話」を読みたいと思うのもわからないでもない。そういった人は、いくら好きな世界観でも自分には書けないだろうなあと思う。書けないというか、書けるんだろうけれど、きっとつまらないんだろうと思うよ。だって、自分で書いたものは「何が書かれているかわかっている」からねえ。他人が書いてくれたものなら「何が書かれているかわからない」という点で、純粋に読者として楽しめるわけだから。つまり、うなさんは書き手より読み手側の人間ってことなのかもしれない。と、勝手に他人を分析してみた。とんでもないヤツです。(爆)

正真正銘な性悪な人間

2008年03月10日 22:19

suVeneのあれ 事実は事実として認識していくしかないという話


それは、「他者に優しく出来ないのも、善意ある行動が出来ないのも、コミュ能力が低いのも、自分が悪からなんだ」と原因を自分に求めてしまう、自己否定的なスパイラルに陥るタイプのことである。いや、ルサンチマン的な行動として、今までの引用のような言動をとる人も含まれる可能性があるが、そうではなく、もっと不可視な人に対する問題である。
だからといって、そういう人たちを「救いたい」というのは語弊があり、そもそも「救うこと」など他者には出来ないのではあるが、その手助け程度でもできればなぁ、と「自分の都合で」そう思う。



だよねえ。私なんかが「それ」だよねえ。いや、ちょっと違うか。つーか、だいぶ違うかも。私の場合は優しくできないわけじゃなく、優しいと見えて実は優しいわけじゃないということ、善意ある行動ができないじゃなく、善意ある行動のようでいて実は善意ある行動じゃないというやつなんだよなあ。私を昔からよくよく見てる人なんなかにはわかると思うけどね。私はそういう正真正銘な性悪な人間ってことだ。
だから、私から言わせればその「他者に優しく出来ないのも、善意ある行動が出来ないのも、コミュ能力が低いのも、自分が悪からなんだ」と自己否定的な人はまだまだ良い性質な人だよなあと。それこそ、きっかけさえあれば救われるんじゃないかな、そういう人はね。私はもうね、誰かに救われたいなんて思ってないから、もういいんだ。書くために取った道がこういう道だったというだけ。ただそれだけなんだ。


それにしても、救う手助けができればいいなあなんて言うスーさんは、本当に優しいね。みんなに好かれるのもよくわかるよ。こんな性悪に好かれても迷惑なだけだろうけれど。(W

耐え難いことがわからない

2008年03月08日 11:32

はてなブックマーク - NATSU2007のブックマーク - 2008年03月08日


わたしは孤独に生きる覚悟がないので少数の大切な人との関係を大事にして生きてます。何が自分にとって最も耐え難い恐怖か。孤独に生きることか。他人に好意を示して拒絶されることか。じっくり考えてみては



孤独に生きることに覚悟っているんですかねえ。いや、確かに、現実では私は孤独では生きていけないんですけど。ただ、私の本質は孤独でしか平穏な心で生きていけない人間でもあるんですよね。私は自分を私以上ワガママな人間っていないと思い込んでもいるんで。こんなワガママなヤツは誰かとの関係をちゃんと築いてはいけないと思います。だから、孤独に一人で生きていくしかない。


でも、私にとって一番耐え難いことってなんだろう。誰にもかまってもらえず、一人でこんなふうにぶつぶつ呟いていても、ちょっと寂しいなあとは思っても、恐怖だとは思ったことないしねえ。他人に拒絶されたことも何度もありますけど、確かにそのときはかなり凹みますけど、結局それを創作に生かしたりしてるわけですから、それが耐え難いことということでもないし。むしろ、今の私は、そういった負の感情でさえも積極的ではないにしろ、舞い込んできたらそのときはそのときだしなあと思わないでもないし。だから、本当に耐え難いことって自分にとって何なのかがよくわからないですね。

Kledに対してもらったコメントの中で

2008年03月08日 11:27

はてなブックマーク - 忘れられないブックマークコメント - 鼻が赤くなりにくいティッシュです


忘れられないブックマークコメントですか。ここ(リンク先はなくなってしまいました)で書かれているコメントの中で以下のコメントが私にとっての忘れられないブックマークコメントですね。


僕は、この人の変化球を操るようなコメントが好きだったんだけどなあ。



――帰っといでー、子猫ちゃん♪ 自分語り、いいじゃありませんかー



hatayasanとmindさんの二人にいただいたこのコメントは、こんなろくでもない女でも好意をもってもらえるんだと思ったものでした。
私の「変化球を操るようなコメント」や「自分語り」はそのほとんどが嫌悪感を読者に与えるみたいだったから、こんなふうに自分を肯定してもらえることは、それでもまだ私って女もそんなに酷い女ってわけじゃないのかなあって思えて、心から嬉しいと思った。本当にその節はありがとうございました。これからも、こっそりでもいいので(笑)見守ってやってくださいませ。
つーか、mindさんには「さん」つけて、hatayasanにはつけないっていうのも、某所での延長みたいなもんですかねえ。(爆)
あと、mindさんの名前を見るたびに、私の書いた小説に「マインド」という名前の人物が出てきたことがあって、何となく勝手に運命めいたものを感じてたりしますです、はい。(笑)

そんな日がきたらいいけどね

2008年03月06日 17:32

どこのブログでも、サービスサイドに勝手に利用される可能性はあるよ


自分の創作物に誇りがないのかと言われたらそれまでなんだけど、私なら「利用させてくれ」と言われたら喜ぶだろうなあと思った。勝手にさも自分たちが作り出したものなんだという顔をされるよりはね。ネタ元は私であることを提示してくれることは確かなことだと思うし。つーか、使ってもらえるようなそんなものを作り出したいと思うし、作り出す努力くらいはしないとなあ。

コメントこわい

2008年03月04日 10:05

律儀にコメントしてくれる人


昔、ヤフーの掲示板で知り合った人の日記がとても好きになって、掲示板に毎日のように書き込みをしていたことがあった。その人から、書き込みを自粛してくれと言われ、当時の私は自分を否定された、嫌われたと思い込み、絶縁状を叩きつけたことがあった。もちろん、絶縁状叩きつけても日記は好きだったのでこっそり(でもないけど)読みに行ったものだったけれど。


私だけじゃないとは思うけれど、何かを読んだ場合、何か書きたくなることってあると思う。あの頃は、自分の日記でそれを書くという人はあまりいなかったように思う。何か感想があればその人の掲示板に書くのが礼儀だと思ってた。少なくとも私は。だから、感じたことをつらつらと相手の掲示板に書いていたわけだけど、それが相手の負担になっているとは想像もできなかった。
今は、感じたことをこんなふうに自分のブログで書くことができるから、いい時代になったよなあと思う。それに、コメントされたくないのならこんなふうにコメント欄を閉じてしまうこともできるしね。
私はワガママだから、ものによってはコメントもらって対話をしたいと思うときもあるし、ものによってはただ聞いて欲しいだけって思うこともあるんだけど、それを他人に気づいて欲しいって思っても、気づけるわけはないんだよね。それを読者に気づいて欲しいなんて、そりゃ私だって無茶だと思ってる。仮に、記事を書くときに「これは対話希望」「これはコメント禁止」と書いたとしても、不思議なことにコメント禁止にしたものに何かコメントしたくなるみたいだし。それはまあ私も逆の立場になったらコメントしたくなるんじゃないかと思うしね。


だから、コメント書くのに疲れてしまったというのもある。この記事にはコメントつけてもいいのかな、それともつけちゃダメなのかなって。昔は、とにかくコメント書き込むのが好きだった。ウケを狙って何か書いて、それで「この人おもしろい」って思ってもらえて仲良くなってもらえたらいいなあと思って、俄然コメントにも力入れて書き込みしてたもんだったし。それが楽しかったんで、私はコメント書き込むのは苦でも何でもなかった。けれど、相手がどう思ってたかなんてまったく気づいてなかった。私自身がコメントもらうのが好きだったということもあり、まったくなくて悲しい気持ちになるより、コメントがたくさんついて賑やかになるのは相手も嬉しいだろうと思い込んでたから。でも、そうじゃない人もいたんだね。私に書き込み自粛してくれと言った人以外にも、私には何も言えずに、心の中で「もうやめてくれ」と思ってた人がきっといたんだね。


もうコメントをどうすればいいかわからなくなってしまった。書き込みしていいのかいけないのか、それを考えるのもなんかもう疲れた。どういったコメントが喜ばれるのか、それも人それぞれだから、相手をよく見てない私には相手がどうしてほしいかなんてわからないよ。それにきっとわかりたいとも思ってないのかもしれない。どうしてほしい?これにはコメントつけたほうがいい?それともつけないほうがいい?もうやだよ。そんなこと考えるのも。だったら、こんなふうにコメント代わりに自分の記事として書いたほうがなんぼか気が楽だ。

独り遊び

2008年03月03日 11:24

★ 電脳ポトラッチ 誰かのために心理的リソースをどれだけ割いているか


自由と孤独は紙一重です。



↑の言葉は本当にそうだなあと思う。自由でいたいのなら、誰からもかまってもらえないことを受け入れなくちゃいけない。でも、どうしても好きな人にはかまってもらいたいと思ってしまう。その気持ちを自分ではどうすることもできないわけで。やっぱ、私って女はどうしようもなくろくでなしな女なんだなあ。
結局、昔もらった言葉通り、私の傍には誰もいなくなってしまった。いや、それはしかたないと思っているし、傍にいなくなってしまった人たちに対して思うところはないんだけどね。自分でもわかっててそうし向けてしまったというところも無きにしも非ずだから。何ものにも束縛されない自由でいたいと思ってしまった私のせいなんだから、私は誰のせいにも何のせいにもしないよ。けれど、寂しいという気持ちや悲しいという気持ちが出てきてしまうのはしょうがないんだよね。私はいい人間じゃないから。自分のことしか考えていない、そんな奴なんだから。もうそれを隠そうとも思わないし。


とにかく、好きに書くために、すべてを投げ打ったんだから。


また大げさなこと言ってるよ。(笑)でも、自分を「良く見てもらおう」なんて今は思ってないしね。もう好きに言ってくれればいいよ。こんなろくでもない女見たことないとか。そんなふうに。だってホントのことだもの。


わたしは博愛主義者でも何でもない。だから、自分が好意を持っている相手、自分が世話になった相手に限定して何かを返してあげたいと思うし、相手が苦しいときは自分にできることをしてあげたい、と思う。マザーテレサ以外は人間みんなこんなものだろう。
自分がこうだから、当然、わたしに対して何の好意も持っていない人に対して助力を期待してはいないし、そんな人に甘えても、「甘えるな」と突き放されるのは当然だと思っている。
それを冷たいとはまったく思わない。自分も無関心あるいは嫌いな相手に対しては、どうしてもそうなってしまうからだ。



私から見れば、ナツさんもまだ私より真っ当な人間だなあと思う。ていうか、私より真っ当なんていう言葉さえも失礼なことかもしれない。ナツさんのような人が普通人なんだろうと思う。
私はきっと自分以外はどうでもいいと思ってるかもしれないな。私はとんでもなく史上最悪に自分本位な人間なんだろうなあって。そりゃね、創作のためなら悪魔に魂を売ってもいいなんていう言葉まで出てくるほどだから、決して私はいい人間であるはずがない。たとえ自分が好きな相手であろうが、私は期待もしないし期待もされたくないって思っているのではないかって。昔、日記でギブ・アンド・テイクの話を書いたことがあるけれど、私はもらうばかりで誰にも何も返してない気がする。私ほどとんでもなく偽善者は誰一人いないんじゃないかなあって。


そりゃもうね、そんな私の書くものに魅力があるはずがないんだ。なんだかよーくわかったような気がする。それでも私は誰にも見向きもされなくても、醜悪な垂れ流しをしていたとしても、それでも書き続けるに違いない。誰にも理解されず、他人に不快感を覚えさせても、それでもなお私は。いいんだ。私には私がいるから。それでいいんだ。孤独なんかじゃないよ。私には私がいるじゃないか。だから独りなんかじゃない。それでいいんだ。自分のためだけに書けばいい。独り遊びをしていた昔に戻っただけだ。昔にね。いつか、あの人のように私も消えていくんだろうか。そうなってしまうかもしれない。けれど、そうならないかもしれない。案外、私は図太いようだしね。あの人のように消えないかもしれない。でもわからない。でもそれでもいい。消えてしまっても消えなくても、誰の関心もないとしたら、もうどうでもいいじゃないか。私は自由なんだから。

忘れたくないんだ

2008年03月02日 10:50

Twitter - kawapon 君を傷つけたそいつのことなんて忘れてしまえばいいんだよ...


君を傷つけたそいつのことなんて忘れてしまえばいいんだよ。君にとって大切な人は他にもたくさんいるでしょう。君を嫌な気持ちにさせるそいつのことで頭がいっぱいなんて馬鹿げているとおもってみたりはしないの?



↑の言葉は別に私に言われた言葉じゃないのだけど、この言葉とすごく似たような言葉を別の人から昔もらったことがあったことを思い出した。
確かにバカげたことなんだけど、好きだからこそ忘れることができないんだよね。頭がその人でいっぱいになってしまうってことは好きだからそうなってしまうわけで。それはもうどうしようもない。大切な人がたった一人だけだったなら、こういった葛藤は起きないと思うんだけどね。
私には確かに何人もの大切な人がいるけれど、その大切な人たちがすべて私を好きなわけじゃない。私が大切だと思っていても相手は私を大嫌いであることもある。そんな自分を嫌ってる人のことなんか忘れればいいなんてことは私だってわかってるんだよ。けれどそれができない。どうしてもできない。だってその人が好きだから。


でも、いつかその「好き」が別の気持ちに変わってしまうこともある。その人に対して何も感じなくなる時が。そこで初めて私はその人を忘れることができる。まあ完全に忘れるってわけじゃなく、確かにその人を好きだった時のことも覚えているのだけど、冷静にその人を見ることができるって時が。それはちょっと悲しいし寂しい。その人をものすごく好きだったのに、その痕跡は心に残っているけれど、もうあの熱い想いは感じられないのだから。それは悲しいよ、ほんとに。だから、本当は忘れたくないんだ。

気にすることも悪いことじゃない

2008年03月01日 22:59

ブログを続けていくときに気をつけたいこと - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記


 ということで、ぼくが気をつけたいことは、ブックマーク数やアクセス数を気にしすぎて、自分の楽しみのためにブログを書くという目的を忘れない、ということなのだった。


 本や映画の感想のエントリーに対するブックマーク数が「10」を越えることは滅多にないんだけれど、多分きっとある程度の数の人たちは楽しんでくれていると思うし、楽しかった本や映画の話を書くのは楽しい。そういうもので世界は変わらないけれど、多分世界は広がると思う。少なくともぼくの場合は広がる。



ある程度はブクマ数やアクセス数は気にして悪いことじゃないよね。ブクマがつくことやアクセスがあることも楽しみの一つではあるし。ただ、たくさんほしいというわけじゃなく、楽しいなって思えるくらいの程度はほしいっていうだけではあるんだけど。ああ、一人くらいは読んでくれてるようだ、一人くらいはブクマつけてみたいと思ってもらえたようだって思うことは、やっぱりモチベーションにも繋がるものね。
だから、私の思う「自分の楽しみのためにブログを書く」っていうのは、書くこともそうだけど、書いたことで、たった一人でも誰かに「おもしろいな」って思ってもらえることも「自分の楽しみ」なんだってことなんだよね。そういうことで、今のこのブログの状態は一番いい状態なのかもしれない。アクセス解析が見れるということも悪いことじゃないなあって。


本などの感想のエントリーは私はグーで書いてるけれど、確かにあそこのブクマはほとんどつかない。というか、まったくつかない。ただ、更新すると自分としてはけっこうな数のアクセスがある。ちゃんとしたレビューじゃないのに、それでも読んでくれる人はいるんみたいだよね。今はちょっと新規で書く気力がないんで、過去に書いた感想を上げ続けているけれどね。


好き勝手に読者なんて気にせず書くことが私の続けていくためのコツではあるんだけど、そんな私でも、多少は読んでくれる人の目を気にしているわけで。そういった多少気にするってことも続けていくコツになってるみたいだ。まあ結局は「楽しく書くためにはどうしたらいいか」を臨機応変に考えていくのが続けるために気をつけることなのかもしれない。



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