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私は世界最強

2008年05月25日 23:34

君が落としたのは金のエンゼルですか銀のエンゼルですかそれとも普通のチョコボールですか - セックスより完全なもの


 誰かが凄く羨ましいし苦しくなるほど羨ましくなる時だってあるけど私の持っていないものを持っていることが羨ましいこともあるけど、でも私が欲しいのは誰かが持っている何かではなくって私がなりたいのは私以外の誰かではないんだなあと思う。こんな風になりたい!っていうのは多分いくらかあって、そんな風なひともしくはそんな風に見えるひとが羨ましくはなるけどっていうそれだけのことなんだなあ。



私はそれを自分で小説を書くことで叶えている。一番なりたいと思っているのは(この世界じゃない別の世界の)世界最強の女魔法剣士。私の理想とする彼女になりたいと思って作りあげたキャラ。ただ、それなりにボケボケなところがあるのは、やっぱり女はそういうところがないとね!と思ってるから。つーか、私が男だったら、そういう女の子いいよなあと思って。だから、マリーは彼女を愛したわけだからして。ちなみに、マリーは私の分身でもある。ったく、私の小説読んだことない人にゃチンプンカンプンだよねえ。(W


私もそれなりに他人を羨ましく思うけど、でも、よくよく考えたら、本当は誰も羨ましいとは思っていないのかもしれないな。というか、たぶん、なりたい誰かにならせてくれると言っても、こんなにも自我の強い私であるからして、その人になったとたん、私のクローンができあがってしまいそうな気がする。つーことで私が二人に!旦那に「これ以上うるさくなったらご近所迷惑」とか言われそうだし。うん、間違いない。(爆)


あ、石井竜也にしてくれるんならなります。



たとえば私の場合だと、Gになれるなら、になると思うんだけど…確かに彼を目指してはいるけれど、でもとんでもない、もし彼になったら平穏に生きてはいけないと思うんで、なりたくないです、はい。
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コンプレックスってあったほうがいいのかもね

2008年05月25日 10:17

「配偶者へのコンプレックス」について - 琥珀色の戯言


じっぽさんが取り上げている増田の記事はタイトルだけははてブで見てたんですけど、内容には興味がそそられなくて読んでませんでした。なんつーか、私自身は旦那に対して嫉妬をするということがないんで、それで興味持てなかったんですけど、そんな事が書かれていたと知ってたら、たぶんここでなんか語ってただろうなあと思いましたね。つーことで、孫引きならぬ孫言及やってから、じっぽさんの書かれた記事でも語ってしまおうかしらん。(笑)


「できない人のことをできる人がそんな風に言ってはいけない」というのは、確かにそうだなあとは思うけれど、でも、言い方とかタイミングとか、あと受け取る側の気質とかでも、絶対に「言ってはいけない」というものでもないと私は思う。言われたことで、「なにくそ」となって、何かを成し遂げる人だっていないわけじゃないから。まあ、言われたことで、潰れてしまう人だっているわけではあるんだけど。でも、いい方に転ぶ可能性だってまったくないというわけじゃないもんねえ。
現に益田さんは、必死に勉強しているということだし。言われても全然のほほんとしてまったく勉強に励まないという人だっているだろうから(それは私~)、この人は言われたことで努力するだけの気概のある人だと思うんだけどね。でもまあ、そういう殺伐としたものを夫婦生活に望んでいないのだとしたら、まあよくない関係なのかもしれないけれど。ほんわかした夫婦生活を望んでいる人であるなら、必死に勉強したくないのにしなくちゃならないということで不幸でもあるし。でも、それがイヤなら別れてしまえばいいことだと私は思うんで、別れないというのなら、やはり勉強して旦那さんを見返すのが一番いいんじゃないかな。だから、頑張れ!(笑)


さて、じっぽさんが言われている次の言葉。


ただ、ずっとコンプレックスを刺激されるような相手と一緒に生活していくのは、本当に辛いことではありますよね。



コンプレックス、それは私も人並みに感じることあるけれど、それと同じくらいに優越感も感じることがあるんで、本当にコンプレックスを抱いているんだろうかと疑わしくなることもある。
私はよく、女として母として妻として人間として他の人たちより劣っていると思っているわけだけど、そうはいっても、それらと引き換えにしてでも小説で認めれたらという気持ちも無きにしも非ずなところがあるわけで、それは本当にコンプレックスを感じているとは言えないだろうなあ。とはいえ、以前にも旦那が言ってたように「お前が有名作家の立場になったとして、やっていけるのか?」というふうに、有名になったことで、悪意を投げつけられることを受け止められるのかといったら、まあそれも難しいところだなあとは正直思う。初めて、見ず知らずの人から悪意のある言葉を郵送で送られてきた時、初めてネット上で自分の言動を糾弾された時、確かに私はうろたえ、リアルでも体調不調を起こすほどに神経衰弱になった。けれど、あれから、そうやって文書やネットでの書き込みなどでぶつけられる言葉に対しては耐性はついた。どんなことを言われようが、まったく平気というわけではないけれど、それなりに流せるようになった。それはただの言葉であり、私を直接傷つけるものではないから。でも、それがリアルで傷つけてくるものに変わらないとも限らない。たとえばそれなりに有名な作家になったとして、直接、私を傷つけにくることもないとは言えないわけだ。それは確かに怖い。しかも、それは何も有名じゃなくても今はありうるわけだし。どんなに配慮して何かを書いていたとしても、どんなとんでもないことで反感をかってしまって憎しみをもたれてしまうことだってあるわけだから、「そんなことされるのは自業自得」とは言えないしね。


でまあ、またしても話がズレたけど。つまりは、私は本当にコンプレックスを感じているわけじゃないんだろうなあってこと。ただ、旦那のほうはいろいろとコンプレックスを抱えているみたい。背が低いとか。運動がいまいちだったとか。いろいろと。たぶん、そういった身体的なことから、子供時代にイジメにあって、それでコンプレックスを抱くようになっていったのかなあとも思う。イジメてた相手というのが運動もバリバリできる奴だったからねえ。旦那は頭はいいほうではあったんだけど、運動はサッパリだったからね。子供の頃って、女子も運動のできる子を好きになったりするもんだから、旦那みたいなタイプ、頭はいいだろうけど運動もできないし、背は低くて男らしさの欠片もないような目立たない男の子のようなタイプはモテないわけ。だから、モテないわ運動はダメだわで、けっこうイジメの対象になったりするんだよね。そういった子供時代をすごした旦那だから、当然コンプレックスは増大する。つーことで、大きくなるにつれ、旦那は他人ができることが自分にできないということが許せない気質になっていったわけ。それもあり、なんにでも手を出して一通りできるようになっていったみたい。
だから、旦那にしてみれば、結婚相手には絶対に自分のコンプレックスを刺激しない相手をと思ったらしい。でもまあ、私が子供時代の自分そのままだったとしたら、旦那は絶対に私を選びはしなかったんだろうけれど。(笑)
でも、旦那にとっては幸いに、私は昔ほど傍若無人な大人にはならなかった。子供時代の私は、友人たちも言ってたように「美人で賢いピアノの上手な女の子」であったんだけど(爆)、その実、私はとんでもなくワガママなだけの賢くない女の子だったんだよね。確かに美人な母親の子供ではあったんで、顔は悪くなかったんだろうけれど、顔って年とともに内面が出てくるもんでしょ。こんなネガティヴな人間がいい顔の大人になるわけがない。賢いって言っても、それは中学までで、高校からこっち、まったくダメだし。ピアノだって毎日弾かなきゃどうしようもないしね。ただ、何かを書くということだけは子供の頃からずっとやってて、それなりに賞をもらったりしたから、それだけは多少はできる分野だとは思う。だから、私にはこの「書く」ということしか人に誇れるものはないわけだ。そして、その「書く」ということだけは、旦那には負けないと思っている。とはいえ、時々その書くことで旦那に突付かれてムキーっとなることもあるんだけど、それもモチベーションをあげるためには必要なことかなとは思っている。
ただ言えることは、旦那にとって私は最高の相手であり、私にとっては旦那は最高の相手だということ。そりゃ、二人だけという関係ではなく、私や旦那の後ろには様々なしがらみが付属していて、それが私にとっては不満の種ではあるんだけど、少なくとも私にとっては、そういったしがらみがあったとしても、それ以上に旦那は得がたい存在だと思っている。こんなふうに好きに好きなことをさせてもらえることは、旦那だったからだと思うしね。


結果、コンプレックスはないに越したことはないけれど、それでも自分を向上させるためには多少のコンプレックスはあったほうがいいのかも。ほら、Gだってコンプレックスの塊でさ、それで克服したいがために日々努力して、あそこまでのし上がってきた人なんだし。Gなら言うと思うよ。「コンプレックスは人間には必要なものだよ」って。(爆)

「甘えだ」という奴らよ永遠に呪われろ

2008年05月24日 10:53

Something Orange


 そして、「お前が苦しいなどと言うのは、ただ甘えているだけだ。本当に追いつめられれば、そんなことは言っていられなくなる」という非難も。



これはまあ、かいえんさんが言ったというわけではなく、そんなふうに言う人もいるってことで、なんだけどね。
追い詰められたらそんなことは言ってられなくなるということも確かにそれはそうだろう。けれど、それだけじゃない。追い詰められているからこそ、何もできなくなってしまって「苦しい」「死にたい」「死ぬ」という言葉しか出てこないことだってあるはず。苦しすぎると思考停止してしまって、ただ一つのことしか考えられなくなる。そういう気質の人間だっているんだよ。それをわからない奴が「甘えている」とほざくわけだ。胸糞が悪くなる。他人の何がわかるってんだよ。甘えだろうが何だろうが、生きることが大事だと思わないのか。思ってたら「甘えだ」なんて言葉なんか出てくるかよ。


「甘えだ」と言うその行為そのものが誰かを追い詰めているということに気づかない愚かな奴ら。


まあ、そんに愚かな奴だからこそ「甘えだ」なんて事を言い出すんだろうけどね。ほんとクソッたれな奴らだ「甘えだ」なんて言う奴らは。


「死ぬ、死ぬ、という奴に限って、本当に死んだりはしないものさ」という言葉は、本当は、そう言う側の願望に過ぎないのではないか。



「死ぬという奴に限って本当は死なないもんだ」とは、私も言ったことがある。でも、それは他人に向かってじゃない。自分自身に向かって言った言葉だ。この言葉は言ってはいけない言葉というわけじゃなく、「他人には言ってはいけない」という言葉であって、自分自身には言うべき言葉だと思っている。どんな手を使っても、どんなに卑怯に逃げ出しても、生きるためなら私は言い続ける。「死にたい」って。それで「死ぬな」と声をかけてくれる人がいるから。私はその「死ぬな」という言葉をかけられたくて言い続ける。「死にたい」って。私にもそうやってまだ「死ぬな」と言ってくれる人がいるんだ。だったら、その人のためにも頑張って這ってでも生きようと、そう思うために。それを「甘えだ」と言う奴は呪うよ。思い切り呪ってやる。そんなことを言う資格はあんたにはないってね。


だから、言うよ、「死にたい」ってね。生きるために、私は言い続ける。

そのための匿名

2008年05月23日 09:27

TEAR DROP. 読む、感想を書く、リンクする。


zeroさま(さまをつけるのが私にとってしっくりくるんですよねえ)は、本当にお変わりない。あの頃のままだという印象があります。当時、交流していた人たち(それは彼女も入ってるわけですが)その人たちのこういった日記をずっと読んでいませんでした。あの頃からかな、ライコスで日記を書くようになってから。4年から5年くらい経ったのか。


 私は個人的な趣味として、作者さんの日記を読むのは好きなほうで、作品サイトに日記やブログがあるのに読まないってことは、まずないです。作品より先に読むこともあります。書き手の顔が見える作品として、オンライン小説を愛好しているタイプなんだと思います。



私も彼女と同じで、サイトには日記が必要不可欠と思うほうでした。今でもそれは変わらないです。でも、自分の小説サイトでは、今は日記を書いてません。プロフィールに過去ログのブログをリンクはしてあるけれど、2007年分以降はここでリンクしている日記サイトに移行して、私の日記の完全版は、そっちで運営しています。今は、2005年分から以前の分は小説サイトでリンクしているブログ分をそのままコピペしているだけですけど、できれば、ローカルに保存している当時のままを完全版に上書きというか、元に戻してUPするということをしたいと思ってます。けれど、それをするにはかなりの時間を取られると思うので、いずれはやりたいと思っているだけではあるんですが。


で、まあ、どうしてそうやって分けてしまったのかというと、やっぱりね、私が匿名で運営していないためというのもあるんですよね。それはまあ創作活動をしている私としては、匿名でやれないっていうのはしかたないことだと思うんですよ。本家小説サイトは、リアルで私を知る人が見ているということもあり、聞かせたくないこともあったりするわけです。まあ、厳密に言うと、別に私はリアルでの知り合いにどんなものを読んでもらってもかまわないというのが基本的な考えではあるんですが、中には傷つけてしまうような内容もあったりするし、今では、仕事している同僚などにはちと知られたらマズイよなあというものもロバの耳的な感じで書いているものもあったりして、そういうのはリアルタイムに同僚には読まれたくないというのもあります。まあそれもあって、現在の日記は日にちをズラしてUPしているんですが。ほんとは一年ズラしてあげるのがいいんだろうけれどねえ。ああそうか、仕事に関する話題は一年ズラして後でこっそり追記という手もあるか。とはいえ、最近では、それほど仕事関連で聞かせたくないというものはないからなあ。仕事始めた当初は、かなりネガティヴなことを書いていたということもあり、それらは確かに同僚には読まれたくないとは思うんだけど。今はそういうネガティヴなものは持ってないし。


でまあ、最近では、仕事も落ち着いてきたし、その仕事での精神的な負担が軽減されたということもあり、そろそろ執筆とかも本気で考えないとなあと思い始めてて、少しづつ、昔交流あった人たちの書き物を読もうかという気持ちになってきたわけです。その中でも、zeroさまの日記はやっぱり私に語らせる力を持ってるよなあと思いました。日記サイトに過去ログを移行している最中、そのzeroさまの日記で語っている自分の日記があり、懐かしいなー、まだ元気でいるかなーと思ってリンク先に飛んでみれば、やっぱり昔同様、私の興味のある話題を日記で書いていて、なんだかホッとして、そしてまたムラムラとこんなふうに書きたくなってきたわけです。(笑)


 私は、楽しさがモチベーションを左右するほうなので、自分が楽しい状態をなるべく維持するよう意識するってことが、今後の運営にとって大切なのではないかと思っているところです。



そうですよねえ。私もまったくその通りだと思ってます。まあ、それもあって、どうすることがいいかと現在も模索している最中ではあるんですが。


 ただ、私が「交流」型に戻ろうと意識しても、そういうのは一人でやれることじゃなくて、相手のあるものですし、今となっては簡単ではないかもしれません。以前は、作品サイトの運営者は他サイトと「交流」することを基本則としている雰囲気がありました。それが重荷だっていう人たちもいたくらいです。でも今はどちらかというと非「交流」型の運営スタイルのほうが基本ではないかと感じています。私が擦り寄ったところで相手は知らん顔かも?



私も交流に戻るにはハードルが高いと感じているわけです。なんつーか、たぶん、なんですけど、相手ではなく、自分がヘンなこだわりを持っているような気がするんですよね。彼女は「自分が擦り寄ったところで」と言ってますけれど、そういうあなたは誰が擦り寄ってきても知らん顔しないのかという気持ちもあったりして。でも、自分と同じに見ちゃダメではあるんだろうけれど、彼女も好き嫌いのある人間、すり寄ってこられたら嫌な相手というものもあるでしょう。そういった嫌な相手に対しては知らん顔しちゃうんじゃないでしょうかね。私はそれが怖くて「この人はダメかも」という自分アイズで見て、それで擦り寄れないところがあるんですよねえ。しかも、本当は嫌だという気持ちを隠して、引きつった笑顔で嫌々交流してくれるという人だっているかもしれないし。前にそういう人がいたから、ついつい、同じような人がいないとも限らないと思ってしまうわけです。つーか、こういった考えを持つこと事態が、あまりいい傾向ではないんだろうけれど。けど、私はいい人間じゃないから、これが私ではあるんで、そういった人間に嫌悪感を抱く人とはやってけはしないんでしょうけどね。


ただ、私は今まで人からもらうばっかで、返してなかったんではないかと思うのです。
 だからそれを返していって、あわよくば、今では絶滅危惧種となった(?)「交流」型の小説サイトの盛り上げ運動ができればなー、と。そんなことを思います。
 10年目だからね。年寄りだから。抱負なんか考えちゃうわけですよ。



彼女は以前からそうやって何かしら活動をしてましたね。それにはいつも脱帽してました。私もあと2年ほどでサイト設立10周年になるわけですけれど、どうもネット上での年齢が年寄りという域にまで達してない気がします。まあ血気盛んなとはもう言えないとは感じてますけれど、なんかまだまだ子供じみたところが無きにしも非ず…いや、絶対にまだある。(爆)
表でギャースカやってないだけで、いろいろと散らばる表現場所では、まだまだなんだかんだとほざいているみたいです。そこでは完全匿名だから、この「私」というものから離れて、完全に本音を語りつくしているわけです。だから、匿名って本当に大事だなあと思うんですよ。私は人々の本音を聞きたいし、また私自身も本音を語って、それを聞いてもらいたいわけですから。誰かの書いたものを読んで、それについて語って、そして、リンクする──そのための匿名ですからねえ。だから匿名は大切なものだと私は思うわけです。
ただ、そればっかりやってて、さらに小説が書けなくなるということにはなりたくないという気持ちもあるわけですから、何とか小説を書くモチベーションを上げていきたいと思います。


うん。そろそろ投稿原稿を書かなくちゃならないしね。もう何を書くかは決まってるんだ。あとはもう書き出すきっかけを待ってるだけ。

価値がないなんて言わせない

2008年05月14日 10:43

ブログを辞めた理由


そんなわけで、ブログってのは成果物の情報拡散目的でしか威力を発揮しないんで(今更だけど元々の利用目的はそんなだし)、成果物のないブログに価値はないなと。

価値のないブログを公開し続けるってのは、結局は自己満足なんだよね。で、いつの間にかブログを更新することが目的化しちゃってる。

自己満足のループ。気づいた時にはもう手遅れ。時間は戻らない。



ふーん、ブログって青果物…あ、間違えた(爆)、成果物なんだ。へーそうなんだー。価値ねえ。うん、まあ確かに私が書いてるブログなんて価値はないかも。だって、他人のために書いてないもんな。私のためだけに書いてるわけだからさ。そりゃ、他人からしたら価値はないかもしれない。


ノイズの場所で書いてるものは、多少なりとも他人さまの書いたものを取り上げては書いてるんだけど、別の場所で書いてるブログ、とくにリアルでの愚痴垂れのブログや、子供の頃からずっとノートに書いてた日記を転載して今の自分がそれについて語るっていうブログなんかも、完全に他人から見たら価値のないものだもんねえ。そりゃ、そんなふうに「価値はない」と言われてしまうんだろうけれど。いや、まあ、この人にそう言われたわけじゃないけど、でも、成果物のないブログに価値はないと言い切ってるわけだからさ、言ってるようなもんでしょ。


でも、その価値のないと思われるブログを公開しているのは、少なくとも私は、誰か一人でもどこかには「これは価値がある」と思ってくれる人がいるんじゃないかという気持ちがあるから公開し続けているんだよね。価値はないと決め付けたくないよなあ。絶対どこかにはいるはずだよ。「君の書いたものは価値があるよ。誰一人価値がないと言っても、自分には価値があると思っているよ」って、言ってくれる人がきっといるんだって、私はそう信じてるから。


だから、私はやめない。ブログは絶対やめない。これからも書きたいというこの気持ちがある限りは、書き続ける。自己満足のどこが悪い?少なくともこの自己満足で、私は自分で自分を救っているんだよ。それだけでも十分価値はある。価値がないなんて言わせない。

成長できるかな?

2008年05月10日 10:01

ウェブで重なる時間達 - はてブついでに覚書。


過去ログと現在が等距離にある世界。

恥ずかしい過去と塗りつぶした現在が並立する世界。

両方とも自分だとしか言えない、諦念するしかない世界。

言葉を重ねるごとに、

時間に厚みが、人に厚みが出てきた気がする。

幾重もの現在が、目の前に広がっている感じ。



人は綺麗な生き物ではないから、

揺れたりにごったりしながら日々自分を重ねていくんだけれども、

それでも綺麗なものにたどり着きたいとか、

そういう願いがあって、そういうのが、時間を前に進めているのだなとか、

よくわかんないんだけど、楽しいなあと思う。



過去と現在が並立しているのが日記サイトで公開している私の過去ログでもある。最初のサイトで日記を書き続けて、それから日記コミュニティで書いて、そこが崩壊してまたサイトで書き出して、それからブログに移行して、そして現在再びサイトで書くに至った。サイトは別サイトとして立ち上げて。過去ログ引っさげての移行。厳密に言うと、この間、メール配信の日記も書いていたし、ぶっちゃけmixiでも書いていた。今は書いてないけど。そういった日記すべて過去ログに追加して日記サイトでは公開している最中。でまあ編集のさいに過去ログを読み返すわけだけど、これがねえ、実に見事なまでに変わってない。確かに多少考えが変わったり、昔はやってたようなことも今はやらなかったりしてはいるんだけど、たかが10年くらいで私っていう奴は変らないんだなあと思ったよ。


ただ、私はそれと並行して、別のブログでネットで日記を書く以前のノートにつけていた日記も転載している最中であり、そっちのは小学生の自分、中学生の自分(これから高校・社会人の自分の書いたものも転載していくわけだけど)の考えなどが書かれているわけで、さすがにこの私は今の自分とはだいぶ違ってて、確かに「私も成長したんだなあ」と思えたけれどね。自分としてはほんとこういった子供の頃の日記を読み返すのは楽しいし、それに恥ずかしい。(笑)
恥ずかしいけれど、それでもその恥ずかしさを上回るのは、やっぱり誰かにこれを読んでもらいたいという気持ち。私は根っからの表現者なんだなあと思うよ。表現すること、何かを書くことって、私にとっては通りを素っ裸で歩くような行為だと思ってるから。でも、それをそんなに恥ずかしいとも思っていない。


「綺麗なものに辿り着きたい」とは思ってはいないんだけど、辿り着きたい場所はある。それが私が思い描く「夢」ではあるんだけど、それは決して綺麗とは言えないものだと思う。だって、欲望だよ?私が辿り着きたい「夢」は。他人にとってはきっと欲望としか捉えられないものだと思う。私の夢が何なのか、それでも何人か知っている人はいるんだけどね。叶うかどうかもわからない私の夢。でも、言えるとしたら、その夢に辿り着くまでの私は努力しなければならないし、もし辿り着いたとしたら、それはつまりは私が成長したという証にもなるんで、綺麗な行為じゃなくても、間違いなく意味のある行為なんだ。


もしかしたら、それを誰かはずっと見続けてくれて、そして、成長した私を好きになってくれるかもしれないね。そうだといいね。そうなるといいね。うん。頑張ろう。

隠せない女

2008年05月09日 22:19

ブログ人格 - raurublock on Hatena


ただね、ココロ社の人のコメントから思い出したことが一つあります。出典を忘れてしまったんだけど、前にどこかで読んだアスペルガー症候群の行動類型の一つとして、「会ったばかりの相手(特に自分が好意を抱いている相手)に対して自分の欠点を全部見せて『このありのままの私を受け入れてください』と願う」てのがありました。その話ではこの行動類型が「人格的に未成熟な行動」と評されていました。確かに一理あると思う。「世界で一つだけのありのままの自分を垂れ流す」てのも、どうなんだろうね。ありのままの自分を受け入れて欲しいという気持ちはわからんでもない。しかしそれは、社会の中に生きる人間として、どうなんぢゃろか。



ふーん。それで言うと、私もアスペルガー症候群となるんだけどな。いや違うか。さすがの私でも会ったばかりの相手に対しては猫かぶりだものねえ。まあ別に相手に好かれようと思ってとか、嫌われないようにしたいとかそういうつもりでじゃないんだけど。ただ、私も相手がどんな私でも「好きだ」と思ってくれるかどうかを重要視していたところがあるんだよね。それはまあ相手が「あなたはこんな人なんだね」と私に対してイメージを抱き、それで好きになってくれたはいいんだけど、長く付き合っていくうちに、だんだんと私の悪い面を知っていくようになり、それで最終的には「嫌い」となっていく様を見続けてきたからでもあったから。それに、自分は好かれるような良い人タイプの人間じゃないのに、私を良い人だとレッテルをはって好きになる人というものにまあ正直ウンザリしたというのもある。それもあって、私は自分は良い人じゃないし、他人に好かれるような奴じゃないんだよって振舞うわけだ。


確かにありのままの自分を曝け出して受け入れてよーと叫ぶことは、他人との交流においてスムースにいかずによくないことなのかもしれない。けれど、そういったありのままの自分を受け入れてくれる人がまったく存在しないわけじゃない。私の場合、旦那はありのままの私を受け入れてくれてるよ。旦那に受け入れられるのだったら、他にも誰か受け入れてくれる人だっているはず。でも、もし、まったくいないとしても、たった一人でも受け入れてくれる人が私にはいるということで、私はありのままの自分を曝け出すことを成功させている人間でもあるということだよね。まあでも、確かに私のような人間は、なかなか社会の中で生きていくのは難しいと思う。旦那という存在がいなければ、私はちゃんと生きていくことはできなかったかもしれないし。だから、本当はよくないのかもしれないとは思う。多くの受け入れ先があればいいんだけど、間違いなく私を受け入れてくれる人はそんなに多くないだろうからなあ。


だけど、一つの面を見せてそれが好きだと思ってもらったとしても、でも私は別の面もあるんだよ、そっちの私も好きになってくれるだろうかってどうしても思ってしまうわけで。それもあって、好きな相手には、いろいろな面を私は見せてしまう。それはもう好きな相手だけなんだけどね。どうでもいい相手には見せたいとも思わない。てか、ああそうか。だから、どうでもいい相手には好かれて、好きな相手には好かれないのか。でもまあそれがわかったとしても、やっぱり私は好きな人にはすべてを見せたいと思う。たとえ嫌われても。きっと好きになってくれる人がいると信じて。私は隠せない女だから。

読ませてくれるのなら読ませてほしい

2008年05月09日 10:52

『斬(ZAN)』 一年前の自分の状況だなぁ


ここで書いているものも脊髄反射で書いてはいる。でも、私だけが読んでいるものじゃなく、不特定多数が見るかもしれない場所で書いていることもあり、私なりの「これならいい」という基準で書いてから公開してるんだよね。
でまあ、私もいつかは公開するかもしれない超脊髄反射な書き物もあったりするわけだけど、それもプライベートモードとはいえ、一応ウェブ上に書き散らしてはいる。はてなのグループ日記で書いているものなんだけど。そちらは、何に脊髄反射して書いたのか後に自分で読んでもわからないくらいに思ったことを垂れ流して書いている。ただ、もしかしたらそこに書いた内容を元にして公開された場所で書くこともあるかもしれない。だから、それが私にとっての「アップしそこねてる文章」まあそれでもごく少数は読めるようにしてあるんで、まったく誰も読んでいないわけじゃないけれど、とりあえずは私が「この人は読んでいる」と把握しているということもあり、安心してわけわからん文章を毎日書き続けているわけだけど。もうすぐでそれも一年になる。これからずっと続けていければいいなあと思っている。それには、安心して書けるってことが絶対条件だろうから、これからも読者が増えていくにしても、私が「誰が読んでいるのか」を把握できる書き方でやっていくつもり。


斬さんの書くもの、以前のもけっこう好きで読破したけれど、今度のはそれ以上にいい感じ。自分のために書いているというのがいいんだろうなあ。これからも読ませてもらえるものは読み続けたい。だから、自分の思うとおりに書いていってほしいな。私に読まれたくないなんて思ってなければいいのにと思いつつ。以前にも、「あなたには読んでもらいたくない」と言ってきた人がいたんで。まあ、私ってやつは、こんなふうに読んだもので勝手気ままに言及とはいえないようなものを書いたりするところがあるから、私には読まれたくないという人も出てくることはもうしょうがないかなあとは今は思っている。昔はそれがとても辛かったけれど、今は隠されたものをわざわざ暴き立てることはしないように気をつけているつもり。まあ偶然にも見ちゃった場合は諦めてほしいとは思うけれど。ウェブ上で書いていれば、それが非公開にされていない限り、偶然にも見つけてしまって読んで言及してしまうこともあるだろうしね。でもまあ、以前「読まないで」と言ってきた人たちは、そのままのHNやサイト名やブログ名で運営し続けてくれているみたいなんで、近寄らないようにはできるんだけど、名前を変えて新規でやってた場合は「読むな」言われてもねえ、惹かれてしまったんだからそれはもうしょうがないですよねえ。


まあだから、公開して書いてるのであれば、私は読んでしまうし、それがイヤならハッキリ「読まれたくない」と言ってくれればいいかなと思います。あと、斬さんも以前やってたような気がするんですが、非公開で書くとか。でもまあ、そんなふうに公開して書いているわけだから、斬さんは誰かに読まれたくないと思ってそこで書いてるわけじゃないですよね。つーことで、興味あるものを斬さんが書いてたら、これからもガンガン言及とは言えない言及(笑)していこうと思ってますです、はい。

自分のためだけに書き続けている

2008年05月08日 09:47

文頭から文末まできっちり読破することはほとんどない - heartbreaking.


このブロガーがいてくれないと俺は生きてけないってくらい熱狂的な信者になれるカリスマ性あるブロガーなんてほとんど居ない。



いたら怖い。だって、そのブロガーがもしリアルで死んでしまった場合、芸能人の死で後追い自殺してしまうことがブロガー同士でも起きてしまうということだから。


確かに、私なんかもその人の存在のおかげで生きる元気もらったと言ってきたものだけど(Gとか他ネットで知り合った人々のことだけど)、彼らがいなくなったとしても、私は生きていくと思う。自分の方も誰かの心の支えになっているだろうか、そうであればいいなという気持ちもないわけじゃないけど、でも、私だっていつか死んでしまう人間だ。執着してもらえる気持ちは嬉しいけれど、そこまでの執着は逆にその人にとっての害でしかないよなあとも思う。そのためには適度な距離感を保たなければいけないんだろうな。どんなに好きであっても、少し離れているのが一番いいのかもしれない。それはネットでも現実でも同じことだと思う。てか、そんな強い執着を私に持ってくれる人なんていないんだけどね。それだけ私っていう人間は他人にとってはいい存在とは言えなかったからでもあるんだけど。でもまあ、そこだけはいい人間じゃなくてよかったと言えることかもしれない。


それにしても、こういったはしごたんの記事はいいよなあ。思わずこうやって自分語りしてしまうということで、他人の反応を引き出すことのできる文章ともいえる。私の書く物ははしごたんのように誰かのアウトプットには何の助けにもならいないんだと、最近ではそこまでのものしか書けない人間だったんだなと思うようになった。まあだからこそ、好き勝手にいろいろなんかかんか書けるんだろうとも思うんで、多少は寂しく思っても、私は私でいるしかないんだな。私は他人のために書いてるわけじゃなく、自分のためだけに書いているんだって。それを自覚していれば、ずっと書き続けていける。私にとっての書くという行為はそういうことなんだ。

きっとどこかにいるはず

2008年05月05日 08:39

betatics 浮気の定義とは、そして言葉の重さを失う

「それに自分が違和感を感じるのは、前にも書いたけど誰か一人のために吐いた言葉が、不特定多数に公開されることでその価値を失っていくと(錯覚かもしれないけど)感じるからなんだろうなあ。こういう感覚を持つのって自分だけなんだろうか。」



うん、あなただけだと思うよ。まあ、あなただけじゃないとは思うけれど。他にもいるだろうけれど。ただ、私は違う。


誰か一人のために吐いた言葉が多くの人に晒されることで価値を見出されることだってあるはずだと私は思うから。そうであってほしいと思うから。だからこそ、私は不特定多数に見せ続ける。その人一人に向けた言葉を。その人の心に響かせることができなかった言葉たちを。きっと、この世界のどこかには、響かせたいと思った相手には響かせることができなくても、誰かの心には響くんだと信じて。いや、実際に別の誰かの心を響かせたことがある。それもあって、私は公開し続けるんだよ。たった一人に向けた言葉を。そういった気持ちは、あなたにはわからないだろうね。でもわからなくてもいい。いろんな考えがあるのがいいんだから。あなたはあなたの感覚を大切にすればいい。私は私の感覚を信じて大切にするから。

更新頻度とかもう考えたくない

2008年05月03日 09:24

『斬(ZAN)』 ブログスタイル再構築


足跡残してくれてありがとう!(爆)


今でも、ネットジャンキーなのは変わりませんが、以前のような執着心は薄らぎつつあります。興味対象が変わったというのもありますが、それ以上に今までやろうというか何かほかの事を始めようとする敷居が低くなりました。ブログ更新時のブログ最優先による、ほかへの時間割が組めずにいた状況からは遠のきつつあります。



執着心、私も薄らいできたような気がする。ただ、私にとって執着心はトラブルを生むだけでなく、何かを書くために必要な執着心っていうのもあったりするんで、執着心が薄らいでしまうことは手放しでは喜べない。
けれど、私も斬さんと同じように、自分のブログスタイルはこうなんだっていうのは確立されたかなあと思っている。ここだけじゃなく、他で運営しているすべてのブログに関してもね。


もし今から新しいブログをはじめるなら、更新頻度は最初あげておき、ページランクがある程度上がったら、もう更新頻度は極端に落としても大丈夫です(急激にアクセス数が増えることはありませんが、減ることもありません)。



これを読んで思ったんだけど、ドリコムのブログがアクセス数あがらないのも更新頻度のせいかもしれないなあと思った。ドリコムで書き出して3年経つけれど、ほとんどアクセスされていない。3年のうちに数件くらいか。そのうち検索では一回くらいだったような気がする。最初はそこでしか書けないことを書きたいということもあり、毎日とは言わないけれど、けっこうな頻度で記事は書いてはあげていたけど、ある程度吐き出したいことがなくなってくると一ヶ月に一度の更新程度に落ち着いた。で、そこでしか書けないものが出てくるとポツポツ記事をあげて。アクセスはもちろんまったく増えないし、最初から多くの訪問者がないということもあり、減ることもまったくない。うん、確かにそうだったねえ。


 「面白い記事を書く。」という大前提があります。ある程度質のある記事を書くということ。これもしなくてもいい。自分が書きたいことを書きたいときに書けばいい。それでいいって思う人もいれば面白くないと思う人もいるだろう。だから、そんなの気にしても面白くないから、自分が上げたいと思う基準でいいんじゃないかと。



ドリコムで書いているものは他人にとっては絶対におもしろいとはいえない内容。そりゃもうね、自分の一番みっともない部分を吐露してるからね。とはいえ、ギリギリ他人に見せられるみっともなさではあるんだけど。私は絶対に見せたくないことは絶対に書かないから。だから、誰か一人でも見られる場所に書かれたこと(その一人が私だけだったとしても)は絶対に知られたくないというものじゃないんだよ。ただ、そんなおもしろくないんだろうなっていうドリコムの私の記事でも、どこかにはおもしろがってくれる人もいないわけじゃないんだろうな。いつかああいったものをおもしろいと思ってくれる人が読んでくれたらいいなあと思いつつ、これからも書いていこうと思う。最近では今のドリコムの前に削除したブログで書いていたログを転載して書いているんで、実はドリコムで書き出してから4年になるんだよね。けっこう続いてるよなあ。大体ブログを書き出したのも4年くらい前だったと思うんで。


ブログを長く続けようと思ったら、この更新頻度はやっぱり考えないほうがいいよね。ということは、必然的にアクセスのことも考えないってことだ。うん。

理解できない人がいてもいいよ

2008年05月03日 08:25

ネタ-ekken


「ネタですよ」と書かないと、それがネタであることを理解できない読み手の方も、ちょっとかっこ悪いと思う。



私も理解できない一人かも。理解できないというか、別に書かれていることが真実だろうがネタだろうが、おもしろければどうでもいいっていう考えなんだけどね。理解できない読み手の何がみっともないとえっけんさんが思ってるのかはわからないけれど、私がみっともないと思うのは、理解できない人じゃなく、理解できなくて相手に根掘り葉掘り聞く人ってことかな。まあ、私も根掘り葉掘り聞いた過去があるんで、今から思うに、かーなーりーみっともなかったと思うけど。まあ、それは書かれてたことがネタだったわけじゃなかったんだけどね。つまり、くりりんするようなことが書かれてあって、それについて根掘り葉掘り「あたしのこと?ねええええ、あたしのことなのおおお?」と聞いたわけで。こういうの自分でもマジうざいと思う。(爆)
まあ百歩譲って、相手に問わずに自分のテリトリーでそう叫ぶくらいは許されてもいいかなあとは思うけど。ええ、そりゃもう、私もそうしたいという理由で。(W


書かれていることがネタであるかどうかなんてどうでもいいことだと思うんだけどね。本当にネタなのかどうなのかっていうのは書いた本人にしかわからないものだし。ネタにしか思えないというようなものでもネタじゃなかったということだってないわけじゃないからなあ。事実は小説よりなんとやらっていう言葉だってあるくらいだし。


私の場合はネタであることを理解されたいとも思ってないところがある。むしろ、ネタであることを理解できない人もいてほしいかなと思うほう。もちろん、理解できずに質問攻撃されるのもちょっとなあとは思うけれどね。私が書いた小説に対して「それはあなたの経験をもとにして書いたのか」と言われたこともあったからねえ。でもまあ、それくらいの質問ならそんなにうざくは思わないけどね。つーか、すべてではないにしろ、多少は経験も入り込んでいるし、自分の思想をキャラに喋らせているところもあったりするんで、そう聞かれたら「ご想像におまかせします」としか答えられないんだけどさ。

「真剣」が「神経」に変わるとき攻撃者が生まれる

2008年05月02日 10:38

【足跡帳】ブログのネタが乏しいので【貴方のヤプログのトラックバック記事書きます】-「ブログのエサ(ねた)くれだワン!」のコメント欄


コメント数が1000件かあ。すごいよなあ。それだけたくさんのブログに足跡を残したんだろうね。そりゃもう私のヤプログにも足跡残ってたし。ヤプログのすべてに足跡残すほどの宣伝活動してるのかもしれないしね。たぶん。


でまあ、さすがに全部のコメントを読むことできなかったんだけど、最初のいくつかを読んでみて、足跡の残るmixiとかと楽天とかでもよく見られる「ご訪問ありがとうございます」といった書き込みも多く見られる中、これもよく見られる「足跡何度も残すな」的な書き込みも「ありがとう」書き込みより多くはないにしろ、チラホラ見られた。


死ね
ハッキリ言ってウザイですね!!
あしあとを残すだけで、
ろくにブログも見ないくせに。
こういう事をするくらいだったらコメントを残せよ!!
何なの?!!毎回毎回。
バカじゃね?!!
アンタは去年からブログ更新していないようだし、
半端な事は止めて
潔く閉鎖でもしたら?!
真剣にブログをやっている人達に迷惑ですよ?
今までのコメントを見て分かりませんかねぇ??


ハプニング野郎、
小島義女とグルなんじゃね?!
ウザ過ぎるっ!!!



ウザイ、かー。まあウザイと感じる気持ちを表明することは悪いことじゃないし、やめてほしいんだよねって言いたいのも言えばいいとは思うんだけど、相手のブログのコメント欄にそれを書くのはどうなんだろうって思った。
私のヤプログにも、あげられたお三方(ハプニング野郎さん、小島義女さん、esakurewanさん)の足跡はけっこう何度もつけられている。どんなもの書いてるんだろうって思って「ログアウト」して訪問もした。で、興味のないこと書いてたり、つまんないこと書いてたり、ああ、ただの宣伝アクセスかって思ったんで、放置して足跡は削除しておいたんだけどね。足跡つけられるのがウザイとは思ったことないなあ。ただ、そんなふうに他人はウザイと思う人もいるんだっていうのはわかってはいるし、どの人が足跡をウザイと思う人なのかわからないこともあり、他のヤプログに訪問する場合はログアウトして訪問することにしている。相手に足跡を残さない選択肢があるFC2とは違って、ヤプログってログインした状態だと相手にどうしても足跡が残ってしまうんだよねえ。で、普通の人はわざわざログアウトして訪問するなんてことはしないと思うし、ログアウトして訪問するっていうのはけっこうめんどくさい。だから、相手に足跡残すなって言うの、かなり自分勝手な言い分だと私は思うんだよね。まあ、そういう人だからこそ、相手のブログに「ウザイ」って書き込みするんでしょうけれど。


なんつかー、相手は足跡残してるだけでしょうに。何かしつこく書き込みされたとか、引用して攻撃するようなもの書かれたとか、そういったことをされたわけでもないのに、ただ足跡を残したっていうだけで相手のブログに「死ね」とか書き込みするのも、逆に自分が荒らし行為しているってこと気づいてないんでしょうねえ。
気持ち悪いとか、どういうつもりだとか、何がしたいのとか、ウザイとか、そういう気持ちを持つのは自由だし、そして、それを相手に聞いてもらってそれで話し合いが成立するっていうんなら書き込みも悪くないんでしょうけれど、相手は話し合いに応じるつもりはないみたいだし、書き込みするだけ無駄だと思う。書き込みして「死ね」だの「ウザイ」だの、ましてや「ありがとう」と言ってる人にまで「バカ」だの攻撃しているのを見てると、逆に自分たちがウザイ側の人間に成り下がっているってこと気づいてないんですかね。


でまあ、そういった書き込みしてる人っていうのがほとんど自分のURLやHNを明らかにせずに書き込みしてるわけですけど、自分のブログでも「ウザイ」と書いているんでしょうか。まあ書いているのかもしれませんけど。別に自分のブログなんだから、書いてもいいと思うし、他人のブログのコメント欄で「死ね」「ウザイ」と書くより、自分が誰であるかがわかる状態で「死ね」「ウザイ」と書くだけまだマシですよねえ。


というか、引用したコメントで書かれていた「真剣にブログをやっている人達に迷惑ですよ?」の真剣にブログしているっていうのに、なんだかなーと思いました。いや、別に真剣にしている人だって多いんでしょうけれど、真剣にしすぎるのもまた怖いことだよなあって。こんなふうに自分とは違った考え方の相手に対して、転じて荒らし攻撃まがいなことをしてしまうのが真剣にブログをしているために起きてしまうのだとしたら、私は真剣にブログなんてしたくないな。つーか、今「真剣」を打ち間違えて「神経」となったのを見て、なるほどなー「真剣」という言葉はいい言葉だとは思うけれど、真剣が過ぎると「神経」になってしまうのかもしれないなって。つまり「真剣にブログをするあまりに神経にきてしまって、転じて自分もウザイ人間になってしまう」ということになるかなあって、ね。あら、うまいこと言ったわねと自画自賛。(爆)


もっと他人にも自分にも気楽になってもいいんじゃないかなあ。私はこれからも気楽にブログやってきたい。間違っても神経に(真剣に)ブログなんてするつもりないです。はい。



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