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好きなだけヤリたいよ~(爆)

2008年06月30日 23:36



中絶のこと - 後で考える


コメント欄を込みで読んでいて思ったことがある。やっぱり普通の人はショック受けるんだろうか。親が中絶したという話をしてきたら。いやまあ、私の母は中絶はしてないんだけどね。けれど、想像してみても、なんかショック受けないような気がするんだよね。


私の母もセックスに関しては開けっぴろげに私に話してくれたもんだったな。母は私や弟を生んだ後に避妊具を子宮に入れたと私に話してくれたのを覚えている。それを聞かされたのはいつだったか、ちょっと覚えがない。ただ、だいぶ大きくなってからの話だったと思う。20歳前後だったかも。で、まだお腹に入ったまんまだって言ってたな。あれから取り出したという話は聞かない。まだ母の腹の中には避妊具が入ったままなんだろうか。それってマズクないかって思うんだけど。でも、聞くのも何だしなーと思って聞けないでいる。
母の初潮は20歳で、50歳超えてもまだ終わらなかった人だった。父は病気のせいで40代でもうできない身体になってしまったんだよねえ。40代といえば、今の私や旦那と同じ年頃。その年代で勃たないっていうのも辛かっただろうなあと思う。母も、その頃のことを思い出しては、かわいそうでしかたなかったと言ってたし。


私は幼い頃から性的なことにかなりの興味を持っていて、それもあって、そういった話を親とすることにはあまり抵抗はなかった。親の持っていたエロ本もこっそり見てたし、親がセックスをするっていうのも「そういうもんだ」と思っていたから。なんてったって、小学校低学年の時、隣で寝てた親たちのセックス時の声を聞いたことがあり、それを学校で「こんなことがあった」と話したこともあったしなあ。まあ、さすがに何をしてるかはわからなかったんで、母の喘ぎ声を泣き声だと思って「お父さんがお母さんをいじめてた」と話したんだけどさ。あれって、友達だけに話したんだろうか、まさか先生にまで話したんじゃないだろうなあ。ちょっと覚えてないけれど。


またしても話ズレてきたけれど。


中絶はできればしたくない。それは子供を殺す行為だからっていうことじゃなく、水子を出すことの恐怖があるから。けっこうそういうの信じてるところがあるんだよね。ただ、水子って、自分が出さなくても、兄弟や親類が出した水子でも、場合によっては祟ることがあるともいうんで、どうしようもないんだけど。けどまあ、自分だけは出さないようにとは思っている。で、これって、やっぱ自分のことしか考えてないことだよなあ、冷たいよなあとも思わないでもない。
私の場合は玉姫様がほとんどこなかったこともあり、結婚するにあたり不妊治療して何とか子供を授かったわけ。でも、その後もほとんど玉姫様はくることはなく、やっと定期的っぽくご来訪してくれるようになったのもごく最近のこと。ただ、本当に排卵してるかどうか不明。私の卵巣は皮が厚くてなかなか排卵しないと言われたことがあったからなあ。ただ、玉姫様がくるようになったから、ちゃんと排卵するようになったのかもしれない。だから、妊娠しないようには気をつけてるつもりだけど。これもまたわかんないよねえ。妊娠してしまう可能性は無きにしも非ず。でも、やっぱり今妊娠したら、恥ずかしいより何より、また子育てするのかと思ってウンザリしてしまうだろうな。つーか、そんな体力もうないし、経済力もない。けど、できてしまったら、やっぱ産んじゃうんだろうなあ。中絶するのも怖いもん。(それかっ)


あああ、やっぱり早く女やめたい。やめさせてくれー。そしたら、避妊考えずに好きなだけセックスできる。あ、もちろん、旦那とだよ。(あたりまえだっ)
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私の妄想も強烈なんですよ

2008年06月29日 11:04



Twitterで私をfollowしてくれた人からの情報でこの記事を知った。


神威がくぽは、「楽刀(がくとう)」という楽器の武器を持つ。楽器を武器として持たせたのも、三浦さんのアイデアだ。

 「楽器を持たせて欲しいとの製作者からの要望があり、神威がくぽが持つ刀を〔楽刀・美振〕(がくとう・みぶり)と設定することを提案した。その刀にある紋様は音を発すると考え、持ち主〔神威がくぽ〕が美しく相手に振り下ろすことにより、相手の体にあるビート感を刺激し、相手を感化したり、仲間と共に音楽を楽しんだりする楽器だと設定した。この設定で神威がくぽに武器を持たせることの抵抗感をなくした」(三浦さん)

 三浦さんは、ユーザーがイラストを描きやすいようにすることにこだわった。FAXで送られたラフスケッチの横には、毎回ユーザーが描きやすいかどうかを気にするコメントが書かれていた。

 このため、がくっぽいどのキャラクター使用ガイドラインには、「非商用に限り個人、または同人サークル等が本キャラクター、並びに本キャラクターの二次創作物を公開、配布することを許諾します。ただし、有固体、立体物、衣装は除きます」と明言されている。



Gを使って二次創作をしている私にとってはこの話は本当に嬉しいことだ。彼が自分をモデルにして小説を書くことを許してくれるのだと知れたから。
というか、個人的にこの「がくぽ」のキャラは、私の看板息子である音神マリスのイメージに似てるよなあって思わないでもない。(笑)
まあ、うちのマリーくんも自分の奏でるフィドルで不思議現象を起こすわけですけれど、ただ、うちのマリーくんは音楽で相手を殺すこともあるんで、「がくぽ」みたいな平和なキャラというわけでもないんですけど。


ただ、残念なことに、私はこれ買うことができなくなりました。mixiには書いたんですけれど、旦那に反対されちまったんですわ。それの理由はいろいろとちょっと問題があることなんで書けないんですけれど。いつか手に入れることができたらいいなあとは思っています。でまあ、いつものごとく関係ない引用で申し訳ないんですが。(笑)


当たるも八卦、当たらぬも八卦。 - オオカミの遠吠え通信


要するに“○○さんの妄想”なのだが、余程強い思いだったのだろう、不本意ながら私の掌にしっかりと刻み込まれていたのだ。



私の妄想も強烈だと自分では思っています。いつか手に入れる。そして、私の存在もGのどこかしらに刻み込まれていると、心から信じていますです、はい。前にも書いたけどね、きっと、彼の夢枕に立って、きゃいのきゃいのと騒ぎ立ててると思いますよ。(爆)

それは褒め言葉

2008年06月28日 10:50



「言葉」の裏側。 - オオカミの遠吠え通信


2002年の今頃、当時メール交換していた人のメール内容を取り上げて短い小説を書いていた。当時はタイトルはなく、ただ「恋愛小説」と銘打って書いていたわけだけど、のちに「メラバ」というタイトルに変更した。書かれる主人公は私がモデルだったこともあり、こっそり日記にリンクして書いてはいたけれど、気づいた人は毎日楽しみにして読んでくれたものだった。そのほとんどが書かれていることはフィクションだとは思ってくれたんだろうけれど、もしかしたら本当のことなのかもしれない、モデルである「私」は実際に不倫しているのかもしれないと思った人もいたかもしれない。でも、誰もそういうことは言ってこなかった。思ってたとしてもね。


それから、18禁小説、例の倒産した共同出版のところに投稿したあの小説も、今はサイトで公開しているのだけど、あれも読んだ人で私の体験を書いたのかと聞いてきた人もいた。絵空事を書いてはいても、自分の思想や嗜好や思いや経験を脚色して小説を書くから、「あなたの体験を書いているのか」と言われたら、違うともそうですともはっきりとは言えない。作り事だよと言ってしまえばそれでいいんだろうけれど、自分が過去に体験したことや誰かが話してくれたその人の経験をもとにして妄想を膨らませて書いたりするわけだから、簡単に「作り事だよ」とは言い切れないところがあるんだよね。


SFや異世界ファンタジーの場合は、誰も「それは体験したことなのか」と言う人もいないだろう。けれど、現代小説を書くと、どうしても誰かは「実体験なのか」と言ってくる人もいる。それはもうしかたないことなんだろうな。現代を舞台にして日常的な描写を書く小説だと、読んでいる側も「あ、似たようなことあった」と自分の過去や誰かが聞かせてくれた経験などを思い出すことだってあるだろうから。だから、この話もあのエピソードも「この人の体験なのかもしれない」とどうしても思ってしまうんだろう。それはもうそう思われてしまうジャンルってことでしかたないことなんだろうと思うよ。


で、私は別にそう思われても不快には思わない。以前、自分の書いた詩などを本当のことなのだと受け取られてしまった人がいて、過剰なまでに「これはイメージで書いたものだから本当のことだとは思わないで下さい」といったようなことを書かれている詩人さんがいたけれど、私にはその気持ちはわからなかったな。それだけ誰かの心を動かした、とか、それほどリアリティのあるものを書いた、とか、本当のことなんだと思わせることのできるものを書いたってことで、私ならそれを「褒め言葉」と取るだろうから、だから、不快だなんて思わない。「そう思うならそう思ってくださってけっこうですよ」になると思う、私なら。もっとも、それがトラブルに発展してしまうこともあるんだろうけれど。たとえば、不倫のことを書いたら、旦那が信じてしまって問い詰めてきたり、とか。(爆)


ただ、創作って、他の人はどうか知らないけれど、私に限り、自分で自分の創作世界を信じ込んで書いているところがあるんだよね。自分で作り出したキャラなのに、どこかに絶対にこのキャラは実在してるんだって、本当に信じてるところが私にはあるもの。きっといる、あのキャラは。絶対に。まあ、それはそうかも。だって、既存の人物をモデルにして書くことがほとんどだから、自分の書いたキャラは実際にいるとも言えるよなあ。(W

その人の心に残る存在になりたい

2008年06月25日 10:54



Gackt 情報閲覧室    Aphrodite 6月21日・・・

1999年6月29日 ラジオ「黄金時代」より
今日はマリスミゼルのメンバー、Kamiのことを少し話したいと思います。彼は先週・・・この世からいなくなりました。いろんなね、彼に対する思い。。。彼のことを応援してくれている人たち、いっぱいいると思う。 実際にね・・・実際にすごくショックを受けている人もいっぱいいると思う。うん、でもね、ちょっと前こんな話を聞いたことがあって。。。その人のことをね、ずっと悲しい、悲しいって思いつづけてたら、その人は空に帰ることができなくなる。だから・・・大切な思いを・・・うん、大切な思いだけは胸にしまって、見送ってあげて欲しいって言われたことがある。。。こういう詩があります。
    
   「千の風」
私のお墓の前で 涙を 流さないでください

ここに私はいません
永久に眠ってなんかいません
ほら 今はもう 世界中に吹く 千の風の中です

雪に煌くダイヤモンドのように 世界中を照らす光の中にいます
実りの作物を照らす あの陽の光となり
秋には優しく降る雨になって 全てのものを包んでいます

あなたが朝 窓を開ければ
風となって あなたの髪をサラサラとなびかせます
夜 夜あなたが眠る時
星になって あなたをいつも見守っています

だからどうか そのお墓の前で泣かないでください

私はそこにはいません
私は死んではいないのです

新しく生まれたのですから

あいつもね、望んでると思う。立ち止まって、悲しむことじゃなくて、みんなが前に進むことを。。。つらいと思ってる人たちもいっぱいいると思う。でもね、前を歩いてほしい。俺も・・・俺も、前を歩いてる。今を歩いてる。立ち止まったりはしない。あいつが望んだこと、あいつがやりたかったこと・・・それも背負って生きていこうって思ってる。だからみんなも頑張ってほしい。みんなの中にも、俺の中でも、ずっとあいつの意志も、あいつの心も、あいつがやってきたことも、生き続けるから。。。俺もあいつのことは絶対に忘れない。けど、立ち止まったりもしない。今、自分がやらなきゃいけないこと、今は一生懸命やろうと思う。みんなのことも、見守ってくれてると思う。


引用ではなく転載させていただきました。申しわけありません。

このトーク、全文を読みたかったんですよね。以前、他の方から少しだけ話は聞いていたんですけれど。


死んだ人だけじゃないよ。生きてる人の思いも私たちは背負って生き続けなくちゃいけないんだと思う。どうしても叶えられなかったことを成し遂げようとしている人、成し遂げた人、成功した人、言い方は悪いかもしれないけれど「勝ち組」の人たちはみんな負けていった人たちの思いもすべて背負って生きていくことになる。それを忘れない人が「本物」なんだ。私はそう思う。

1999年6月にこの「千の風」が届けられたわけですね。誰が彼に届けてあげたのかはわかりませんが、私もそんな影響力を与える存在になりたいと思います。それは彼に対してだけじゃなく、他の誰かに対しても。私の放った言葉が誰かにとって忘れられない言葉になること──


私はそのために書き続けているのかもしれない。

私は私一人の私

2008年06月15日 10:23



ああ、それなら太田光で足りている。 - どんなジレンマ


で、「何を言ったか」よりも「誰が何を言ったか」を私は大事にするかもしれません。「誰」とは、有名な人かそうでない人かの違いに関わらず、「そのIDで、過去ログに触れることができる人」くらいの意味になります。



今ではノイズが誰であるかは知ってる人はけっこういるわけですが、ライコスで日記を書いたことがきっかけで、匿名で日記を書くことの楽しさを知ってしまった私です。それまではひとつの名前で日記を書いていたんですけれど、ライコス時代は複数の名前でそれぞれ違う雰囲気で日記を書いてました。でまあ、それを今はひとつにまとめて公開作業をしているところなんですけれど、それぞれの日記にはそれぞれの読者が当時はそれなりについてました。当時のそれぞれの読者さんたちは、私のほかのキャラをどう思っただろうなあとは思いますが、中にはすべてのキャラを好きになってくれた人もいました。その中の何人かは今でもゆるく繋がってます。ライコス時代に知り合って今でも繋がっているのはたった一人ですけれど。私の魂の双子。って言えばその人には誰のことかはわかるとは思うけれど。(笑)


この人には好きになってもらいたいなという人は私にもそれなりにいます。ただ、その人が私の書く物を好きになってくれることはほとんどないでしょうねえ。なんかね、何となくですけれどわかっちゃったんですよね、私の書くものって万人に好かれるもんじゃないんだなあって。まあそんなことは当たり前ではあるんですけれど。すべての人が私を好きになってくれるなんてそんなことおかしいですもんねえ。でもさ、こっちの私はよくてもあっちの私は好きになれないっていうのも変だよなあって思います。書いている内容は同じなのに、文章の雰囲気だけで好き嫌いが分かれるっていうのもなんだかなあって。まあ人ってそういうもんなんでしょうけれど。あなたはどっちの私が好きなのかしら?ああ、別に「あなた」っていうのは引用した人に対して言ってるわけじゃないんですけどね。私を知ってる人みんなにっていうことで。とはいえ、私がどの私のことを言っているかは、まあ言わないんですけれど。

結局私は書く人なのよ

2008年06月11日 22:57



コメントはありがたいけどなんちゅーか - セックスより完全なもの


で、誰かのやったことをそいつの親のせいにするなと言いたい。そいつのせいです。親は関係ない。例えば私が過去に被虐待児だったとして、そんでいま何かやらかしちゃったとして一条はほんとしょうもねえなあって言われるのはわかるんだけど、一条さんは悪くないよねー親が悪いよー一条さんももっとまともに育ててもらっていればねえーって言われていやもうこの歳になって何やったって親は関係ないですよと言わなきゃならないのっておかしいじゃないですか。そういう話のつもりだったんですけどそう読めませんでした? 



そしてなぜ親のせいにするのか家庭環境のせいにするのかというと、ひとは理解を超えた行動を怖れるものですから、あいつが凶行に走ったのは家庭環境が悪かったんです、という原因を作ってやることで安心するんですねたぶん。実際は家庭環境のせいで凶行に走ったのではなく、あいつが単にたいした理由もなく凶行に走るような人間だっただけなんですけど、凶行に走るのにたいした理由がないヤツが存在するなんて怖いから、だから可哀相なひと、ってことにして安心する。というメカニズムなんじゃないかと思うんですけど。



だって親がどうしようもないひとだったり劣悪な家庭環境で育ったひとなんか山ほどいて、その中の大半のひとは普通に生きてるでしょ。そんで普通の親や良い親の元でいい環境で育ってきたひとの中にも、まあいいヤツはいるでしょうが悪いヤツだっているわけですよ。「そいつがどういう人間か」ということを、20歳越えて親や教育や環境のせいにするってどないやねんと。



えーと。言い訳。いちじょーさんが書いた記事は私と同じ意見だなあと、深く共感をしたのでブクマ代わりに転載させてもらいました。つーか、ほんと私も昔同じようなこと日記書いたわ。それともういっちょ。


ついったーに限らないと思いますけど - セックスより完全なもの


ついったーに限らず、Web上にデータを上げた場合にいくらプライベートモードだのプロテクトモードだのに設定したところで、バグったりなんかの障害があったりして一時的にでも公開状態になっちゃうことは大いに考えられるわけではてなダイアリーのグループ日記を幾つかプライベートモードにしてるんだけど全然信用してない一条です。ほんとにどうしても知られたくないものはWebに書いちゃいけません。



私もプライベートモードでガシガシ書いてますけれど、読まれたくなくてプライベートにしてるわけじゃないんですよね。確かに誰かにくりりん発動されてしまうような書き方ではあるんで、積極的に多くの人に読ませるのは問題あるかなあと一応は思ってはいるんですが、でも、はてなの場合はそういったバグにならない限りは、とりあえず「誰が読んでいるか」を把握できるのがいいかなあと思って、それでプライベートにしてID指定で書いているに過ぎません。私も限定で書いている場所、はてなやmixiやマイスペースなどに書くものについては、たとえそれが何かのバグで読まれてしまっても、ま、そうなったらしょうがないか、という気持ちは持っていて、本当の本当に誰にも知られたくないことは、絶対にウェブ上には書いていません。私っていう人間は、通りを素っ裸で歩くことも厭わないくらいの物書きではあるんで、大抵のことは誰に知られてもかまわないとは思っているのですが、そんな私にも絶対に知られたくないという秘密というか、まあそういったことがあるわけです。生涯の中で二つほど。いや、三つか。その中でも一番知られたくないことが今頭の中をぐるぐるしてるですけれど(笑)、それら以外は、いろんな場所に書いてたりします。アダルトブログにも書いたことがあったなあ。まあ、私の性癖とかアダルト関連の経験とか考えとかそういった内容もね。それ以外にも攻撃的な内容のものを書いたブログとかあったりしますけれど、はてなとmixiとマイスペ以外は公開された場所で書いてますねえ。もっとも、中には完全な匿名なものもあるんで、あれを書いているのが私であるというのは誰にもわからないとは思う。

友達をなくすことにはならない

2008年06月11日 10:36



ブロガーという病 - 琥珀色の戯言


言っておきますが、私はじっぽさんの書くものは好きですよということです。なんでそんなことを言うかというと、そうやって言い訳がましいことを書いておかないと、なんか変な誤解されそうな気がしたんですよね。えっけんさんとのやり取りをずっと見てて。しつこいようですが、私はじっぽさんのことを嫌いなわけではありません。もっとも、どんなに私はこうだからと言ってもわかってはもらえない人なのかもしれないという気持ちは拭えないんですけれど。


 もしあなたが柳美里さんなら、もうそれはしょうがない。

 彼女は、そういう生き方しかできない人なのだろうから。

 でも、「ブログや文章で身を立てていこう。そのためなら、どんなに身内に後ろ指さされても構わない」というのでなければ、顔出しで身内の不幸をネタにするのはやめたほうがいい。そんなこと言わなくてもみんなわかっているはずなのに、人気ブロガーになると、ついついサービスしちゃうんだよね。

 それでキャーキャー言っていた人たちは、閉鎖したあとは鼻水もひっかけちゃくれないのに。



 友達や身内をブログのネタに使うな、ブログは炎上するかもしれない。それはそれで仕方ない。でも、友達までなくすことはない。



これを読んで私がくりりんしたのは間違いないです。まあ、じっぽさんが私のことを念頭に置いて書いたわけじゃないとは思いますが(それはわかりませんが、もしかしたらってこともありますしねえ)、でも、私も間違いなく身内や友達をブログのネタにする人間だし、よく知っているわけじゃない人の書いたものまでもネタにして書く人間ですからね。そりゃもうくりりんしてしまってもしかたないでしょう。というか、じっぽさん自身も友人や身内をブログのネタにして書いているという自覚は持ってるんでしょうか。自分もやってるということを棚上げにして他人を批判してる自覚なんですけど。自分をも批判の対象として込みで批判していると言うのならまあしょうがないよね、好きに書けばいいと思うんですけれど、もしかしたら気づいてないのかもしれないなあなんて思っちゃったんですけれど。ブクマでもこんな発言がありますよね。


2008年06月10日 ululun blog fujiponさんも、そのブロガーさんのことを良くは知らない儘、ブログに書かれた死を題材にしてエントリを起こしているという事実から逃れることは出来ていないのですけれどね。不謹慎ゲームから逃れることは出来ない



まさにその通りだなあと思いましたよ。
じっぽさんは、お通夜の写真つきで死のことをブログネタにしている人を批判しているわけです。そうやってその記事に対する違和感を書いているわけです。違和感を書くことは自分の正直な気持ちを書くことで何ら問題はないと私は思います。私もこうやってじっぽさんの書かれたことで思ったことを書いているのと同じことですからね。けれど、死をネタにするとはどうかと思うといったような記事を書いている自分もまた死をネタにして書いているということに気づいているんでしょうか。気づいていて書いているというなら別にいいんですけど。つまりは、じっぽさんが柳さんの話を持ち出しているように、自分もまた「不謹慎な人間」であり、そういうブロガーとしての生き方しかできないのだとわかってやってるということで、不謹慎な道を進めばいいわけですしね。でも、自分は死はネタにしない、身内や友達のこともネタにしない、不謹慎なブロガーではないと言うのなら、こういった記事は書かないほうがいいんじゃないかなあと思いました。いや、違う、そんなことは言ってないと言うかもしれませんけれど、でもさ、だってさ、どう見ても自分はそういう不謹慎なブロガーとは違うというふうに取れる記事だなあと思うんだもの。


私はもうどうでもいいと思ってるよ。私は誰に最低最悪な女だと思われてもいいと思ってるよ。だって書きたいと思ったことをこれからも書いていきたいから。不謹慎だと言われても、誠意がないと言われても、本当は相手を好きじゃないんだろうって言われても、好きな人に好きになってもらえなくても、それでも私は「書きたい」と思ったことを書いていきたい。私の母親のように「お母さんのどんなこと書いてもいいよ」と言ってくれる人だって世の中にはいる。私はそんな母や、そんな人たちこそが一番素晴らしい人々だと思っている。そういった人たちは自分の死でさえもネタにして書いていいよって言うよ。ただまあ、そのうちの一人は「覚悟を持って書けよ」とは言うだろうとは思うけれど。


書くっていうことはね、友達は持っちゃいけないんだと思う。というか、持っちゃいけないという心構えでいなきやいけないってこと。「友達までなくすことはない」そんな言葉は何の力も持たない。書いたとしても友達をなくすと決まったわけじゃない。書くことで友達をゲットできることだってあるはず。現に、私だって、確かに書くことで友達はなくしてきたけれど、それとは逆に友達もゲットしてきた。書くことで。そういうこともあるんだということは忘れないでほしいな。

気楽に書けたらいいな

2008年06月10日 10:27



Twitter - kawapon ネットという場所が文章を書ける場になれるのかどうか..


「ネットという場所が文章を書ける場になれるのかどうか、僕はブログを通じて試してみたけど、まあ無理だなと思った。オフラインで書く文章とオンラインで書く文章では力の入り方が違う。」



↑の発言を見て、思い出したのがzeroさまの次の言葉。


「今は思います。
薄っぺらくてもよかったんじゃないの、とにかく完結すれば。
って。
生きてるうちに書き終わる薄っぺらい身の程長編のほうが、絶筆する身の程知らずの大長編より、何万倍もマシだったんじゃないの?
って!!」





いやまあ、この二つの発言がどう繋がるのか、ただのこじつけじゃないかと思われる方もいるかと思うんだけど、誰が私を非難しようが(たとえば「誠意ある言及とは言えない」とかとか)私の中では繋がってんだけどね。つーか、ぐだぐだ言い訳すんなよヂブンとも思うんで、いいかげんやめとけよと自分突っ込みしちゃったりするけど、まあそこはそれ、私ですからもう諦めてください。(って、誰に言ってんだよ)


以前、私も日記で投稿作品とオンライン作品では書くときの力の入りようが違うとか、心構えが違うとか書いていたこともあった。そりゃね、投稿作品は賞を狙って書くわけだから、力の入れようが違うのは当たり前。だけど、そのときも言ったけど、だからといって投稿を考えずにオンラインだけで書いた作品を劣っているとは思っていなかった。というか、他人の評価を考えずに好き勝手にのびのびと書いているという点で言えば、オンラインで書いた作品のほうがおもしろく書けてたりすることもあるとも思ってたしね。なんつーか、小説に限らず、詩やエッセイといったような書き物の評価って普遍的なものってないでしょ。どんなにくだらないと多くの人が言ったとしても、高く評価する人もいたりするし、どんなに崇高な作品だと多くが言ったとしても、下劣だと評価を下す人がいたりする。時代によっても変わってくるわけだから、高く評価されても低く評価されてもそれは絶対的なものじゃない。だから、書き物っていうものは他人の評価で決まるものじゃなく、やっぱ評価を下すのは自分しかいないと思うんだ。


本当に気楽に書いていきたい。日記も詩もエッセイも小説も。誰かのためじゃなく。褒められたいからじゃなく。認めてもらいたいその人に認めさせるためじゃなく。過去日記では、いよいよサイト名にもなった小説ノートの始まりの箇所に差し掛かって、あの頃、夢中になって書いた小説とも言えないようなお話を書き出した頃の楽しくてしかたなかった気持ちを懐かしく思い出した。それはたぶん、栗本さんが小説を書くその気持ちと同じものだったに違いないと私は思っている。それは、うなさんの書いた記事で思ったことでもあるんだけど。


しかしまあ、ほんとに薫は反感くらいまくりそうなストーリーを、脅威の文章力でごまかしまくっていたんだなあ、と感じ入る昨今であった。



あれですよ、つまりは彼女は今ほんっとーに誰のためでもなく自分のためにだけ小説を書いているというだけのことなんですよ。それについてあーだこーだ言うことは無駄なこと。彼女の書く物を好きだと思う人だけが読めばいい。それだけのこと。私は栗本さんが作家になってくれてよかったなと思っている。私にとって一番好ましく思えるものを書いているのがこの人だから。彼女が作家になってくれたおかげで、私は最も読みたいと思うものを読めるようになったわけだから。彼女を最低最悪の作家と誰が言おうと、そして、それが本当のことだとしても、私は彼女の書くものが好きだし、読めてこんなに幸せを感じる書き手はいないと思っている。私は自分のために、自分を救うために何かを幼い頃から書き続けてきたけれど、他人の文章でも救われたと思った初めての人が彼女だった。昔の文章より、今の文章のほうがより一層好き。それはまあガクトさんにも言えるんだけどね。ガクトさんも昔のガクトさんより今のガクトさんがより一層好ましいと思ってるし。けどまあ、それはそれで「私は違う。昔の彼(彼女)が好きだった」と思う人だっているだろうけど。それはもうしかたないよね。本人がそうなりたいと思って今の彼らになったわけだから、それを元に戻ってくれと言ったってどうしようもないよね。イヤなら離れればいいし、好きならどこまでもついてけばいい。それだけのことだし。


とまあ、脱線しまくりでいつものように勢いで書いちゃいました。ま、いっか。書いてて楽しかったから。リンクされた人には不本意なんでしょうけど。いつものように読んだ言葉で「こんなん考えちゃいました~」というだけです。

気楽にブログやっていくためにも

2008年06月02日 15:07



ここからはリンクしないけれど、今日からライブドアでは書かないんじゃないかなあと思って、あちらからこちらのリンクをはることにしました。


がくふら繋がりの皆様こんにちわ、ここではノイズといいます、よろしく。(笑)


とはいっても、こちらもライブドアと同様、頻繁な更新があるとは保証できません。ただ、けっこうな過去ログがあるので、ご興味ございます方はごゆるりと読んでやってください。ただ、コメントはつけられないのであしからず。とはいっても、以前もらったコメントを表示させるために閉じる前にもらったコメントの記事には今でもコメントがつけられるようです。そのせいでスパムコメントを書き込まれてしまうこともあり、コメントつけられても即表示ができないようになってます。だから、スパム以外でコメントもらっても確認せずにほったらかしになってしまうことでしょう。だから、確実に何か私に伝えたいと思うことがあれば、メールフォームからお願いします。まあ、そういう人もいないでしょうけれど、一応のアナウンスです。


思えば、がくふらが一ヶ月更新になってからだいぶ経ちます。書きたいことがないわけじゃなかったけれど、昔のように脊髄反射でガクトさんについて語るってことがなかなかできないでいました。別に非難されること恐れてとかそういうことでもないんですけどね。ただ、がくふらで書くものは、だんだんと人の目を気にして書くようになっていったようです。つまり、自分でも納得し、他人にも納得してもらえるような意気込みのある完成されたものを書こうと思うようになっていたようで、チラシの裏に書くような気楽な感じで書くということができなくなっていたようですね。だから、書こうとするととても時間かけてしまって、いざ書こうとしても気力が出てこないわけです。別にくだらないツブヤキでも書けばよかったんでしょうけれどねえ。でまあ、そういうこともあって、こちらでは気楽にガクトさん関連のことを語ってはいました。ただ、最近ではここに書くような気楽な気持ちでも、なかなか書こうという気持ちになれなくなってました。その理由のひとつをちょっと語らせてください。


少し前のことですが「あなたは本当にガクトが好きなんだろうか?」と、ある人から言われたことがあります。つまり、私からは他のガクトファンのようにガクトさんに対する愛情が感じられないということでした。ガクトさんを好きな自分が好きなだけなんじゃないか、と。で、私が書くガクトさんのことは、どうも「書いている言葉と、気持ちの向きが違っているのではないか」と感じられたそうなんです。まあ、その人がそう感じたのなら、私はそれを強く否定する自信はないので、そう感じられてしまってもしかたないかもしれないと思うと同時に、たぶん、この人だけじゃなく、他の人もそう感じている人もきっといるんだろうなあと思ってしまいました。ただ、思うに、当時こう言われた時の私は、やはり自分の好きという気持ちを否定されたと思って、かなり凹んだんですけれど、考えたら、他人はどうあれ、一番ガクトさんに対する気持ちを否定されるのが怖いのはガクトさん本人に他ならないなと思ったんですよね。つまり、誰が「あんたはガクトさんを本当は好きなんじゃない」と言ったとしても、ガクトさん本人が私の「ガクトさんを好き」という気持ちを「君は僕を本当は好きではないんだ」と言って否定しない限りは堂々としてればいいんじゃないかって。もっとも、今まで書いてきたガクトさん関連のものを読んで、ガクトさん自身がどう思っているかを知ることはなかなか難しいとは思います。そりゃまあ、メールなどで質問するということもできないわけじゃないんですけど、本当にその答えが返ってくるかはわからないわけです。返ってこないが当たり前だと思うし。また、本当に返ってきても果たしていいことなのかどうかもわかりません。返ってきたことをこんなふうにウェブ上で書いていいものかどうかもわかりませんしね。だから、まあ、結局は、他人が否定してきたとしても、好きなように語っていけばいいんでしょうけれど。なんだかんだいっても、書いちゃうのが私という人間ですから。


でまあ、私のガクトさんに対する気持ちを否定した人は、私がガクトさんの名前を出してはいても、結局は自分のことしか語っていないと言っていたわけですが、それは確かに私も否定しません。というか、それはもうしかたないことじゃないかなあと思うんですよ。私は大した才能がなくても、それでも自分を創作者であると思っているところがあるので、自分の創作心をガクトさんという存在で刺激されていることもわかってるつもりです。まあいわば、がくふらで書いているものや公で書いているすべてのガクトさん関連の書き物は小説と同じような創作物の一種だと思ってもらってもいいわけです。つまり、それこそ「こんなん出ましたけど~」の世界ですよ。でも、だからといって、好きという気持ちは否定されたくない。というか、そもそも対象が好きじゃなかったら、創作もできませんからねえ。わざわざ嫌いなもので創作なんてしませんから。ただ、そういった屈折した愛情は普通のファンの人とは違ってはいるという意識はちゃんと持ってます。そういうこともあり、私は他のファンの人とはなかなか一緒に語り合うということはできないなあとは思ってますから。でも、誓って、私の気持ちが上だとか思ってませんし、下だとも思ってませんけれど。だから、やはり「書いている言葉と、気持ちの向きが違っているのではないか」と言われてもね、納得できませんでしたよ、はい。頭の悪い私にもどうしてそう思うのかをキッチリわかりやすく説明してもらいたいものです…とは言うものの、たぶん相手もはっきり説明できるわけじゃないかもしれない。ただ何となくそう感じただけなのかもしれないし。だから、当時はむかつくコメントもらったというだけで頭に血が上ってしまってはいたけれど、今では「そう感じる人がいてもしょうがないか」と、やっとのことで「どうでもいいや、そう思うならご勝手に」と思えるようになりました。とまあ、そういった自分の気持ちの移り変わりをこうやって書くことで、相手の人へ抱いていたネガティヴな気持ちを打ち切りにしたいなと思ったわけです。ごめんなさいね、どうでもいいような過去のことをグダグダ書いてしまって。(^^;


これからも、そんなにガシガシとガクトさん関連で何かを書くということはないかもしれません。コミュニティサイトでは会員登録すればガクトさんの画像つきでブログとか書けますが、私は登録ができない身の上でもあるんで、今は、マイスペースでガクトさんとフレンドとなったことでもありますし、もし、何かガクトさんに読んでもらいたいものができたら、マイスペースで書くかもしれません。つまりは、私が書くガクトさん関連の書き物っていうのは、ガクトさんをモデルにして書いている小説以外の書き物はガクトさん本人と私自身が読めればいいと私は思っているのかもしれないと何となく思ったんで。まあ、そうは言っても、それだったら手紙とかメールとかでいいじゃんと私自身も思うんですが、どうしても私って、こんなふうに日記風に書きたいという気持ちがあるんですよねえ。以前、中島さん(作家の栗本薫さんのことですが)へ毎日のように送っていた手紙も、結局は今ではウェブ上で公開してます。それは誰かに読んでもらいたいという気持ちもまったくないではないんですけれど、基本はやっぱり「自分が一番読みたいという形がこういう書き方だった」ということなんですよ。だから、そんなふうに公開して日記を書いている理由でもあるんですよね。一番の読者は私自身であり、そして、興味を持ってくれた人が読んでくれたら嬉しいかなあという。そんな感じなんですよね。


でもまあ、そんなこんなで、いろいろどうすればいいのかまだ迷っているところがありますが、一つ言えるとしたら、ライブドアではもう書かないだろうなということ。そして、たぶん、ここでももう書かないだろうなということでしょうね。まあ、それでも絶対にそうだとも言えないです。とくに、ここノイズの場所は、過去に何度も止めると言っては再開したりしてたんで、もう誰も私の言うことは信用してくれないかもしれないし。でもまあ、いいじゃない。ブログなんて好きにやってけば、という気持ちもないではないです。削除しない限りは、気分でまた書きたいなとなっとなったら書くことになるかもしれないし。ただ、もう自分から削除はしたくないという気持ちだけは確かなことなんで、ライブドアもココも削除はせず、そのまま公開し続けますです。あ、それと、考えてみたらFC2のブログって一ヶ月以上記事を書かないと、トップに広告の記事が挿入されちゃうんですよね。それはちょっとイヤだなあと思うんで、何か一言でもツブヤキを入れるだろうとは思います。


こんなフラフラしてる私ですが、これからもひとつよろしくお願いします。(って、何度同じこと言ってんだかですよねえ)



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