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物には言い方ってものがあるんですよ

2008年08月31日 07:37



女SNS見てて何で皆こんな愚痴が多いんだろうと思ったけどやっとわかった。こいつら... - Wassr [お気軽メッセージングハブ・ワッサー]


女SNS見てて何で皆こんな愚痴が多いんだろうと思ったけどやっとわかった。こいつら仕事しても愚痴ばっかの奴らなんだろうな。要は、仕事ができない女は育児も下手ってこと。案件を自分一人で抱え込んで周りを巻き込むことができないから、上司=義母や同僚=旦那の協力を得られず、洗脳もできず、ひと言ひと言が気に触って負のスパイラルに陥る。うまく外注を使った経験がないから創意工夫して育児ができず、自分は悪くない、義母が旦那が家族=会社が悪いと言い続けてる。仕事ができる女は育児ってそれほど大変じゃないと思ってるよきっと。



正直、なんか↑の発言見てむかついた。ええ、どうせ私は育児がヘタくそだったし、息子が赤ちゃんの時に私が抱っこしても泣き止まないのに姑が抱っこしたらとたんに泣き止むのを凹んではグチばっかりグチグチ言ってましたよ脳内で。仕事もできない女だったしね。もちろん仕事のグチもグチグチ言ってた日記内で。たぶん、当時の私にネットなんかあったらネットでグチ垂れしてたと思う。


仕事ができることがそりゃいいことなんだろうけれど、人には向き不向きっていうのがある。仕事にもまあいろいろあるから、会社勤めして仕事をバリバリしているから仕事ができる女とも限らないわけですよね。物書きを仕事にしている人はその仕事ができたとしても他の仕事はできないからもの書いてるっていう人だっているでしょうし。だから、仕事ができる女は育児を大変じゃないと思ってるっていうのも絶対的なことじゃない。そう思うんですけどねえ。


ま、私お得意の言い訳ではあるんですが。それでも、私の知り合いには仕事できる女でもグチばっかり言ってる人はいるということで、仕事ができない女はグチばっかりというのには賛同しかねるということです。何だろう、なんか他人を非難するにももっとなんかこう愛情のあるやり方してほしいよなあと思うんですよ。たぶん、この人は「できない人間」の気持ちなんかはこれっぽっちも理解できないから、この発言を見た私のような「できない人間」が見たらむかついてしまう発言しかできないのかもしれない。まあ、理解しろっていうのも傲慢なことではあるんで、理解できないことをとやかくは言いませんけれど、こんなふうに誰かの気持ちを逆撫でているっていうことは忘れないでほしいなと思います。


とりあえず「こいつら」って言わずに、せめて「この人たち」にしてよ、と。(そこかっ)(爆)
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誰にも認められないことが幸せなんだと思えれば

2008年08月30日 11:07



真似から入ってオリジナルを目指す - 北の大地から送る物欲日記


なんでも最初は真似からでいい。真似てできるようになったら、そこに少し自分のオリジナルを加えてみたり、他の方法と合わせてみたりっていう世界を広げる工夫をしてみる。失敗したら、単にその方向はダメだったってだけ。また違うやり方にチャレンジしてみればいい。

料理でも学問でもスポーツでも。世の中のありとあらゆることは、そうやってみんなが世界を広げていくことで広がってるんだと思う。そうやって、自分だけのオリジナルな部分に突入できた人が、いろんな分野で成功してる人なんだろう。


↑の考えは私もそう思っていることでもあるんで全面的に賛同。ただ、真似っこって、それを非難する人もいるんだよね。私も以前にとある人の文章に似ているからと「猿真似」とか言われて非難されたことがあったんですけど、いっとくけど、あの時は私は別に真似したわけじゃない。たまたま似てしまっただけで、しかも、ああいった文章を書き出したのはその人が最初ってわけじゃなかったはず。私だって昔からああいった文章は書いていたしね。つまりは、非難した人は、その文章を書く人がとても好きで、他人がそれを真似することが許せなかったんだろう。気持ちはわからないではないんだけどね。私もそういった気持ちになることもあるから。


こういうブログだって、どんな記事を書くかなんてあらゆる方法がある。人気があるブログは、見てるとだいたい得意な記事ジャンルを絶対に持っている。それはその人が記事を書きつつ広げて来た部分。

人気があるブログにしたい!と思ってるなら、自分が好きなブログの書き方を参考にしつつ、どこかからまだ誰も足を踏み入れていない自分だけのオリジナルな部分に進んで行けばいい。



けっこういろんな見せ方をしてきたもんだけど、他の人どうあれ、私に限りはとてもじゃないけどどんなブログを書いたって人気者にはなれないなと思い知った。得意分野で書き綴ったって、それでも私には絶対的に足りないものがある。それは「運」だ。どんなに「これが?」と思われるものだって、時と場合によっては爆発的な人気を得ることができる。それは運やタイミングもあるわけで。私はどうも書く事での運とタイミングは決定的に欠けてるなと思う。どんなに頑張ったって、一部に絶賛されたって、私は多くの人には受け入れてもらえるだけの魅力はないんだ。自分にはたくさんの人を惹き付けるものを書く事ができるという気持ちを持つことも大事かもしれないけれど、その気持ちが自分の心を傷つけるとしたら、私はそういった自信を捨てることも必要。


誰にも認められないことが幸せなんだ。


それを幸せだと本当に心から思えるようになれば、私は本当の意味での幸せな人間になれるんだろうな。

マナーモードにするならば

2008年08月25日 08:45



『斬(ZAN)』 常時マナーモードですが……


マナーモードのほうが、何かと問題を起こさないからね。着信でバイブ鳴ってて気がつかなくても、後で着歴見れば、対応の判断もできるし。



でも、すぐに対応しなくちゃならない用件だったら? 家電話とは違って、ケータイって基本的に知らないどっかの誰かからかかってくるってことはないと思うんですけどね。まあ、知り合いであっても、下らない、たわいない話をしようとかけてくる人がいたとしたら、ケータイにかかってくる用件が重要な件ばかりってことはないんでしょうけど。


まあ、かかってくる電話の内容のネガポジ率にもよるね。ポジの電話がかかってくる率が高い人ってのが、電話を使いたがるんだろうね。



どういったことがネガポジかはわからないけれど、私としてはネガのほうが重要度は高い気がする。たとえば、極端な話「今から死にます」と、本当は止めてほしいと思ってる人が電話してきた場合、とか。前に、これはケータイじゃなくてメールとかで似たようなことがあったんで、私の場合はネガ内容の場合は即刻対応しなくちゃならないんだなあと思い知ったことがあったんだよね。まあ、その時は幸いにも相手は踏みとどまってくれたんで、今でも元気に暮らしてはいますけれど。


基本、電話ってのは、かける側の自己都合で相手の貴重な時間を奪う失礼な行為である。ってことに尽きるんだが。



「基本」ということですので、すべてがということを言ってるわけじゃないということを踏まえて言ってみるんですが、確かに相手の貴重な時間を奪う行為ではあるんですけれど、これもやっぱりかける側だって相手が何をしてるかなんてわかんないことなんで、「そんなこと言われてもこっちは知らんがな」となると思うんですよ。こっちの話だって貴重なことなんだ、と。もちろん、それは内容にもよるわけですけれどね。


たとえば。(さあ、自分語りの始まりだ)(爆)


一昨日、次の日日曜が久々に仕事が休みになった私。旦那も夜勤で昼に帰ってくるし、私も昼間はいる。そういう時は、私は昼間っからお酒飲むわけです。それから買い物なんていったら自転車とはいえ飲酒運転となるわけで。ということで、土曜日の夜は明日買い物に出なくてすむようにとカレーを作ればいいと思ったのです。まあ、冷蔵庫に何があるかを把握してなかった私も悪いんですが、材料があるかどうかわからない。土曜ということで息子が家にいる。家電話にかけると、夜勤明けで寝てる旦那さんに悪いからと息子のケータイにかけるんですよ。ところがこいつ、常にマナーモードの人。そして、家にいるときはほとんどPC部屋にこもってるわけ。その時にでもケータイを携帯してればいいんだけど、これがまた自分の部屋に投げている。しかも、運良くPC部屋に持ってきてたとしても、見える場所に置いてることはほとんどなくて、自分の後ろのほうとかに置いてたりする。そうすると、息子は常にイヤホンをして音楽を聞きながらネットをしているので気付くことはほとんどない。メールのやり取りをしている最中ならケータイを気にしてたりしますけれどね。これも自分のところにほとんどかかってくることはないと思い込んでいるからなんですけれど。私も旦那にいつも言われるんですが。


何のためのケータイなんだか。


となるわけで。今回の場合は、息子も大好きなカレーです。自分が電話に出なかったせいでカレーを作ってもらえなかったら泣きをみるわけです。でもまあ、重複したとしても私は買って帰ったとは思いますけれど。でも、せっかく確認しようと電話したのに出てきてもらえなかったことでぶちキレてしまって「もういい!作ってやんない!」となってしまうトンデモ母親もいないわけじゃないでしょう。とまあ、そんな笑い話みたいなことならまだいいんですが。取り返しのつかないことになることだってないわけじゃない。だから、私は言いたい。マナーモードにするのはいい。けれど、マナーモードにするなら、常にケータイを気にかけてなきゃいけない。それがイヤならケータイ持つな。と。


もちろん、これは私自身に対して自戒を込めて言っていることでもあります。ケータイがほんとケータイになってないんだもんなあ。というか、私の場合、マナーモードにしてるわけじゃないのに、ケータイ鳴ってても気付かない人なんで、私のほうがもっと始末におえんわけです。はい。

そうでもない

2008年08月23日 09:30



ブログを長く続ける秘訣ってなんだろう? - かみんぐあうとっ


昔の私は文章を書いて認められたいとか評価されたいと思っていて、かなり力を入れて文章を書いていました。いわゆるかっこいい文章を書きたくてしょうがなかったのです。

が、かっこいい文章を書いたところで、ウケがいいかというとそういうわけでもない。どういうわけか適当に書いた文章の方がウケがよかったりするんです。



かっこいい文章がどういった文章かわかりませんが、私がエッセイを書くときは少し硬い文章になるんで、私にとってのかっこいい文章は堅苦しい文章のようです。いわゆる「賢そうな文章」ですね。カダスで書いていた文章がそれなんですが、ノイズの場所のカダスカテゴリの記事はカダスで書いていた文章をわざわざノイズの文章に直して掲載してます。本家カダスは日記サイトの日記本文でリンクしていますが、あれを読んだことのある人なら私がどういった文章をエッセイ書くときには書くかおわかりでしょう。もっとも、小説サイトで書いていた日記でもそのエッセイの片鱗は読めると思いますけれど。それはまだネットを始める前に新聞の読者投稿欄に投稿して掲載してもらったエッセイたちです。ネットで書いているエッセイはあれをもっと堅苦しくした文章ではあるんですが、私が気楽に書いたものより、どっちかというと堅苦しい文章のほうがウケがよかったんですよ。


小説の投稿でも、結局はその堅苦しい文章のほうが認められたようなものです。去年の投稿作品では、その堅苦しい文章の時に書いた逸話を小説化して投稿したわけですが、文章はいい文章だと評価していただけました。つまり、私の場合は気楽に書いたものより、計算された堅苦しい文章のほうが人々には受け入れやすいのだということです。ですから、他の人はそうじゃなくても、私に限り、気楽に書いたものより堅苦しい文章で書いたもののほうが受け入れてもらえるんだろうなあと思いました。実際、気楽に書いている場所より、堅苦しい文章で書いている場所のほうが購読者は多いですからねえ。そういうこともあるってことです。


ただ、長く続けるのには、やはり気楽に書いていくほうが長く続くことは私も間違いなくそうなんで、たくさんの人に読んでもらうことはスッパリ諦めて書いていくしかないよなあ。まあ、評価されたいと思うんなら、その堅苦しい文章で書く場所に記事投下すればいいことだしね。とはいえ、その堅苦しい文章の場所だって、アルファな人のブログに比べたらずいぶんと少ないわけですけれど。一度でいいから、何百、何千という人に定期購読されるようなもの書いてみたいですけれど、ま、私には無理なことでしょう。そんな見果てぬ夢を見るより、私は好きなことを好きなときに好きなだけ、うざいくらいに語りたいもんね。

どこにも帰さない

2008年08月23日 08:38



はてなブックマーク - hatayasan - はてなハイク


ふとしたきっかけでブックマークして
周りに知られたことがきっかけで
よく通っていたブログがプライベートになったり
閉鎖されたりするのを経験していると
ほんとうのお気に入りは
ローカルにそっと忍ばせておいたほうがいいのかな?って
ゆり戻しのようなものを感じることがある。
ソーシャルに分かち合うって、そんなに難しいことだったっけ?



自分も似たような経験があるんで思うんですけれど(私の場合は知られてしまったことがきっかけで閉じてしまうという側なんですけれど)、ソーシャルで分かち合うことの難しさを感じさせない立ち方を物書く人はしなくちゃいけないよなあと思いました。知られたことがきっけでということもね、その知られ方によっては確かにそっとしておくというのもあるんでしょうけれど、いいものを、あるいは自分が好きだと思うものを、みんなにも知ってもらいたい、そして好きになってもらいたいという気持ちは、そんなに悪いことじゃないと思うんですよ。私も好きなものは語り倒してしまうところがあるんで、ローカルで愛でるより「見て見て!こんなにいいんだよ!」とみんなにも見てもらいたい気持ちがどうしても出てくるから。まあ、私の場合は、自己顕示欲が強いっていうのもあるんで、人によっては私のこの行為を「それを好きな自分に酔ってるだけ」と言われてしまうんでしょうけれど。


それにしても、hatayasanのつぶやきを見ていて思ったんですけど、以前、私のはてダのことで私のはてダをプライベートでアンテナに入れている人が何人かいて、そんなに私のブログは読んでいるってことを他人に知られたくないんだろうかってグチを吐いたことがありましたが、もしかして、ですけれど、私が今までにも何度か他の場所を閉鎖してしまったことを考えて、公にしないようにと配慮してくれているのだろうかと考え方を変えました。ただ、それもただの想像なので、好きだからこっそり読んでいるというわけじゃないかもしれないわけですよね。なんてったって、私は多くの人に好かれるキャラじゃないんで。ごく一部には熱烈に好かれるみたいですけれど、多くの人は私のようなキャラは嫌いなんじゃないかな。
で、私の書いたものはアルファな人みたいに何百という購読者がいるわけじゃないんですけど、もしかしたら目に見えない、それこそ「ローカルにそっと忍ばせておいて」こっそり覗いてくれている人がたくさんいるかもしれない。とは思いたいんですけど、いかんせん、ここにもアクセス解析はついているので、何人かはそんなふうにローカル保存で来てくれている人はいるみたいなんですけれど、アルファな人の書く場所とは違って、やっぱり多くはないです。まあ、そんなに多くの人が好んで読む類じゃないという自覚は私もちゃんと持ってるんで、それよりそれでも何人かは定期的に読んでくれているってことが私は嬉しい。その人が誰かはわかりませんが、読んでくれてありがとう。今までも、そしてこれからも読んでくれて、ありがとう。こんな私ですけれど、閉鎖は絶対にしませんよ。リアルで何か起きない限りはずっと書き続けます。もし、ここをどうしても消さなくちゃならなくなったとしても、ログが消失しない限り、できるだけのログは日記サイトでコンプリートします。ノイズのログは途中から取ってないんで、現段階ではヒヤヒヤもんなんですけれどねえ。既存の他のログを何とかしてから、ノイズのログに取り掛かることになると思います。つーか、ノイズのログが一番デカイ。これコンプするのは大変かも。(笑)


とまあ、そんなわけで、またしても話がそれてそれてそれまくってしまったわけですが、私が言いたいのは、読んでいる人よりも書いている人のほうがほんの少しだけ強くならなくちゃねということです。それは私自身にも言えることなんですけれど。消してしまうことでコメントをくれた人やはてブしてくれた人や星をつけてくれた人たちの気持ちを踏みにじることはしないほうがいい。いや、踏みにじったわけじゃないと私も思ったものでしたけれど、自分がそう思ってても、やっぱり踏みにじる行為には違いないと思うのです。ノイズの前身で私が何も考えずにブログを消してしまったせいで、貴重なコメントまで消してしまい、コメントをくれた人にも喪失感を感じさせてしまったことに対して、本当に後悔しましたから。だから、やむを得ず閉鎖や削除するのなら、せめてその理由を書いてほしい。それを要求することは読者のワガママなのかもしれないけれど、それを言うならブログを閉鎖してしまうこともワガママなのではないか。と、私はそう思います。ええ、自戒をこめて、私は言うでしょう。理由を教えて欲しい、と。それを強制できないと知った上で、それでも私は知りたい。どうして読ませてくれないのか、と。これからも読んでいきたいと思っていたのに、と。だから、この気持ちにケリをつけるためにも、教えて欲しい、その理由を、と。あなたがどこに戻っていくのかは知らない。でも、私は返したくない。そこにいて。そこに月のように佇んであなたのその思いをブログに書き続けて欲しい。私に読ませて欲しい。返したくない。あなたの言葉をずっと抱きしめていたいから。愛がほしいなら私の愛をあげる。だからあなたを返さない。口付けが欲しいのなら私があげる。だからあなたはそこにいて──ああ、ちょいとぶっとんでしまいました。今聞いている楽曲に引きずり込まれてしまった。(爆)
これ読んで私が何を聞いているかわかった人、あなたを永遠に愛するでしょう。なんてね。いやいや、ほんと、心から愛してるよん。わかった人。(笑)

何も鎧姿で出てこらんでも…

2008年08月15日 10:25



リンクして本文うっちゃったままになってる下書きが三つもあるんで気にしてはいるんだけど、なかなか書こうというところまで気持ちがいってない。でも脊髄反射で書きたいものはあるわけで。つーことで、わっさーで購読ぽちっとなしてくれた人のツブヤキ読んで「そういや…」と思ったことを何も考えずに書いてみる。


なんか写真のことで思ったけど、ハードにこだわる人は現実を写し取ることに焦点を置い... - Wassr [お気軽メッセージングハブ・ワッサー]


なんか写真のことで思ったけど、ハードにこだわる人は現実を写し取ることに焦点を置いてて、あまりこだわらない人は自分が現実を作り出すことに焦点がある、気がした。あとは焦点距離でもずいぶん変わるかな。作家性を求める人はあまり望遠使わないだろうし、再現性を求める人は必要とするかも。自明のことか?



「ハードにこだわる人は現実を写し取ることに焦点を置いてて、あまりこだわらない人は自分が現実を作り出すことに焦点がある」というこの言葉で思い出したのは、ガクトさんの親友であるYouさんのこと。Youさんは写真に今凝っているらしいんだけど、機械ヲタクだけあってやっぱり写真のハード面でもけっこう凝ってるんですよねえ。で、何となく彼のイメージが確かに「現実を写し取る」っていう感じ。そりゃ、最近になって興味持ったYouさんのことなんで、どこまで私が彼のことを知っているかと言われても、たぶん全然わかっちゃいないんだろうけれど、それでも、私はそういうイメージを彼に持った。Youさんは、現実を作り出すというよりは、あるがままをそのまま受け入れて現実をしっかり見詰めて生きていくっていうそんなタイプに私には思えるんだよね。まあ、雰囲気はボーッとしていて、足が地についてないほわほわした感じなんだけど、その実、本当はすごくしっかりした人なんじゃないかなあって。で、逆に、現実にしっかり足をつけていそうなガクトさんなんか、一番地に足がついてない危なっかしい感じが私にはする。けれど、そんな二人だからこそお似合いな二人なんだろうなあ。


ところで、話は変わって、今朝はガクトさんが夢に出てきましたよ。謙信祭はいつなのか把握してないんですが、そのせいか、謙信の姿(つまり鎧姿)で出てきて、ガクトさんの謙信姿が印刷された幟を、ゲームに勝ったらもらえるっていうんで、トランプで勝負しました。というのも、昨日はぶっ続けで録画していたハチワンを旦那と見たんで、雰囲気ハチワンな夢だったんですね。でも、私は将棋なんてまったくできない人なんで、結局ゲームはトランプ。ええ、勝ちましたよ、ガクトさんに。でも、幟もらう前に夢からさめちゃいました。残念。でも、ちゃんとガクトさん夢に出てきてくれて、幸せな朝となりました。(u_u*)


これで今日も仕事頑張れそうです。さんきゅーガクトさん♪(^^)v←妄想女健在。(爆)

ずっと一緒にいたかった

2008年08月12日 18:45



結婚する前、新婚旅行は仲間たち全員引き去れて行きたいと思ってた。というか、とにかくみんなで旅行したいと思ってた。旦那にはとんでもないって言われたけどね。でも、私は仲間たちみんなが大好きだったから。ずっとみんなで一緒にいたいと思ってたから。ずっとずっと、一緒に過ごしていたいって。夢見てたよ。仕事もみんなでビルでも建てて、それぞれがそれぞれの仕事を同じ場所でやるの。そんなこと無理なのにね。ずっと一緒になんかいられないのにね。でもさ、仲間のうちの一人は、ずっとみんなが集まれるように、仲間うちでみんながくっつけば、集まりやすいって思ってた人もいたよ。それもあって、私と旦那の仲を応援してくれた人もいたし。そりゃ、どっか遠くの人と結婚しちゃったら、集まりにこれなくなるからね。でも、結局は今はまったく集まれていない。集まれていないんだよ。

それ以上の快楽があるから

2008年08月11日 23:36



セックスすれば必ず子供ができるというわけじゃない。ただ、私は子供の頃にはセックスすると必ず子供ができると思ってた。だから、セックスは結婚してからするもんだって思ってたな。

セックスは動物でいえば間違いなく子孫を残すためにするものというイメージしかない。人間だけだよね、快楽のためにセックスするっていうのは。子孫を残すためにするセックスは、そこには何の卑猥さもないんだけど、快楽のためのセックスには卑猥さがある、なんでか。あと、愛する人と繋がりたいから、気持ちを確かめ合いたいからセックスするっていうのもあるんだけど、でも、結局はやってることは同じこと。同じことなんだけど、きっかけはそれぞれ違う。だから、一緒に考えるのはちょっと違うような気が私にはしている。

でも配偶者とするセックスだって、子孫を残すためだけにしているわけじゃない。快楽のためにすることもあるし、気持ちを確かめあいたいからするっていう時だってある。

思うに、どうしてセックスって気持ちいいんだろうね。ぶっちゃけ、その気持ちよさがあるせいで、やりたくてもできない人が無理やり他人を強姦したりするんじゃないかと思ってたときもあった。けれど、気持ちいいことはどうしようもないことで。そういうふうに人間の身体はそうなってるということは、セックスが気持ちいいってことに何か意味があるような気がする。気持ちいいことじゃないと子孫が増えないから、とか。そんなふうに。

私の場合は不妊治療の延長線上で子供ができたわけだ。そこには愛する夫と自然のままに交わり、その幸せの延長線上で自然に授かったというものじゃない。この注射を打ってから、これこれこれまでの期間の間にセックスをして子供ができないようなら手術すると言われ、その通りにしたから子供を授かったというものだった。私にとって、セックスとは子供を授かるための儀式でしかない。それは今でもそう思っている。そこにはセックスに対する甘美な幻想はない。もちろん、相手が誰でもセックスできるのかと言われれば、それはちょっとなあとは思うけれど、絶対に妊娠しないという保証があれば、やらないこともないかもしれない。ただ、セックスを何のためにするのかと考えたら、別にする理由もないので率先してやるということもないだろう。セックスに快楽はない、私は。それよりももっとのめりこめる快楽が私にはあるから。それはセックス以上の快楽。セックスなんか快楽のうちに入らない。どうして他人はそんなにセックスしたがるのか、私には理解できない。

よって、私にとってセックスとは、子孫を残す手段としか思えない。旦那が聞いたら悲しむだろうけどね。でも、それが私の本当の気持ち。

私の男運はよかったんだ

2008年08月11日 23:04



痴漢にあっちゃったらどうするよ、って話をしてて、痴漢程度だったら握り潰して終わり... - Wassr [お気軽メッセージングハブ・ワッサー]


痴漢にあっちゃったらどうするよ、って話をしてて、痴漢程度だったら握り潰して終わり、っていう結論になった。もっと危険なヤツは痴漢なんてコスい真似しない気がする。痴漢にあった事ない友人は、竦んじゃって動けなくないか、って聞いたけど、痴漢程度だったら数回で慣れる。ただし相手が最初からレイプする気だったら、多分武道でもやってないと無理。怖い。動けない。正しい方向へ逃げ切れたら恩の字って感じ。境遇っていうか運不運の問題で性被害に全く逢った事ない人と喋って、その不公平について全く呪わなくなっている自分にびっくり。



ついったーとかわっさーって、引用というより転載になってしまうんだけど、まあ一応リンクはしているんで、ごめんなさいよと頭下げつつ、この発言を読んで自分語りをしてみる。他にもまだ自分語りしたいわっさー発言とかあるんだけどねえ。ああ、ほんとに時間がほしー。いつも言ってることではあるんだけど。てゆーか、この話題も何度も過去に書いてきたことではあるんだけどね。だから、ずっと私の書いたものを読んでる人で、何となく聞いたことある人はあるかも、だけど。


私も性被害には遭った人ではあるんで(幸いにも未遂でしたけど)、レイプの話題には興味ある。そして、私が被害に遭ったのは12歳の時、もうすぐで卒業っていう時で、自分が助かったのも、たまたまその時に傘を持っていたからだったんじゃないかと思っている。押し倒された時に、小雨でさしてた傘を動かした覚えがあるから。ただ、どんなふうに動かしたのかは覚えていない。気付いた時は、すでに家に向かって走ってて、さしてる傘がひん曲がっていた。たぶん、傘を振り回したから、それが相手に当たったのかもしれない。よくわからないけれど。けれど、そのおかげで未遂で終わったのかなあなんて思っている。
で、中学にあがって、ああいった卑劣な男から自分を守りたいと思ったから、剣道部に入ったし、あの頃から、女の部分をあまり出さないようにしていったように思う。それでもそれなりに好きな男の子はできたけど、それでも、わざと男っぽく行動したものだったな。


あの頃は、どうして自分はこんな経験をしてしまったんだろうと嘆いたものだったけれど、被害に遭ったことのない誰かに対して不公平だなんて思ったことはなかったな。ひたすら、そういうことをしでかすかもしれない男というものに嫌悪感を抱いたものだった。でも、すべての男に対してそう思ったわけではなく、自分アイズで「こいつはダメ」「この人はいい」って勝手に選別してたと思う。で、残念なことに、20歳前後の頃の旦那に対しては「襲うかもしれない」という印象を持っていた。(爆)
でまあ、結局は私の目は信用できないと証明されてしまったわけなんだけど。夜中まで一緒にドライブしていても、そういった性的な関係にはならなかったものなあ。当時、弟にも言われた。よくまあ何も起きないよなあって。私を女として見てないというのならそれもしょうがないんだろうけれど、明らかにあの頃の旦那は私に好意を寄せていた。それなのに、襲いかからなかったということは、それだけ獣な性質は旦那は持っていなかったということだ。私の印象では、そういうことしてきてもおかしくない男だったんだけどねえ。やっぱ、私って見る目がなかったのかもしれない。でも、そういうことで、私は男運はよかったんだろうなと思う。12歳の時の、あの私も、確かに男に襲い掛かられたことでは運が悪かったとは思うけれど、結局は未遂だったわけで、傷物になったわけじゃなかったんだから、結果的には運はよかったということなんだよなあ。

自分に自信持て

2008年08月09日 11:01



マイミクのちふみクンの日記から引用。


相手が悪いとか自分が悪いとか、そんなの言い出したらキリが無くて、言うだけ無駄だし不様だな、と。
もう終わった話。
ちゃんと区切りつけて、これからのことを考えたいやね。



私も区切りつけなきゃなあ。でも、心で区切りつけても、付き合って懐かしかった昔のことを「こんなこともあったよなあ」と振り返って語りたくなるときもある。まあ、それは自分が悪かったとか相手がどうだったとかそういうことは言わずに、ただ「こんなことあった」よなあと思い出すことであり、そこに物語を見出してしまうのも私の創作スタイルでもあったりするんで、みっともなかろうが何だろうが、自分はこうなのだと自信を持てばいいんだけどね。区切りつけることがいいことか悪いことかは誰にも言えないわけだし。自分が信じる道を進むだけなんだろうな。不様であっても立派であっても、こうありたいと強く思っていればそれが自分らしい生き様となる。それに誇りを持てれるようになればいいんだ。きっと。自信持ちたいよなあ。うん。



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