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書きたい、ただ書きたい

2008年09月29日 09:48



昔、なんでもかんでも話してしまう私に「僕は言わなくていいことは言わないよ」と言った人がいた。わかる人にはわかるという人のことだけど。(W
確かに、その人は秘密主義で、自分の考えや本音は全く喋らない人だったから、その言葉は真実味はあったんだけどね。
あいにくと、私は言わなくてもいいことどころか、言ってはいけないことまでも言ってしまう人間だった。それはもうしょうがない。私はネットを始める前から思ったことを正直に言葉にする人間だったんだから。でも、そんな私も口では喋れない人間だったんだよね。だから、見た目は口数の少ないおとなしい人間って他人には思われている。
けれど、私は書くという行為のもとでは、どんなことでも書いてしまう。それを他人に読まれることもそんなに恥ずかしいとも思っていない。物心ついたときから、自分の日記を他人に読ませていたんだからねえ。そうなりもしますわ。そのせいで、友達にウソついてたことがバレて泣きを見たこともありましたけれど。(笑)

それでも私は自分の書いたものを他人に読んでもらうことがやめられない。

これはもう業としか言いようがないのかなとも思います。子供の頃から注目されることに慣れて、注目されないことに我慢できなかった私なんで、そういうのも多少引き摺ってるんだろうなあとも思います。でも、多くの人に注目されなくても、まるで一人遊びのように何かを書き続けることもできるという自信があるんで、注目されたいが為というものでもないんだろうな。書きたい。何か書きたい。ただそれだけの欲求なんだろうなと思います。
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何かあるんだよ

2008年09月29日 09:26



巷で話題のケータイ小説大賞のあの小説。mixiで今読んでる最中って言う人に「私は途中で挫折した」とは書いたけれど、決して読めたもんじゃないってわけじゃない。ただ、それほど読みたいっていう欲求が出なかったから途中でやめたんで、作品についての感想はできないんだけど、途中まで読んでのあの文体が、以前ライコス時代に恋愛日記を書いていた人たちもあんな文体で書いてたなあと思った。だから、私も一時期感化されて、ああいった文体で書いていた時期もある。それが小説にも反映されて、かなり空間の広い小説を書いていたこともあったな。

それで思い出したことなんだけど、私が二度目に賞をもらって文芸本に掲載された小説を読んだ人が、以前掲示板に感想を書いてくれたことがあったけど、あれはもっと若者が書いたのかと思っていたと当時言われたんだよね。あれを書いたのが30代の時。たぶん、感想くれた人は作者である私は20代前半か、或いはまだ10代だと思ったのかもしれない。うがった見方をすれば、稚拙な文章だったとも言えるんだけど、まあ、たぶんそんなところだろう。私は決して熟成されたものは書けないという自信はある。(自信言うな)

まあ、だからね、あのケータイ小説書いた人は間違いなく若者なんだろうとは思うけれど(実際のプロフィールは知らないから、もしかしたから40代のおばさんが書いたかもしれないけれど)文章がうまいとか下手とかそういうことは関係ないと思うんだ。どんだけ文章のいい悪いを知ってるっていうんだよね。みんなね。文章のことわかるわけないんだよ。私を含め。だから、文章じゃなく、そうやって賞に選ばれるってことは、それだけ他人を惹き付けるだけの何かがあるってことで、それを評価したいと思うんだよね。

明るい私、暗い私

2008年09月29日 09:21



たとえばmixiとかブログとかで、どうしようもない自分のドロドロしたグチを書くとして、だからってどんどん自分がダメになっていくというもんじゃないと思う。そりゃ中には、そういうもの書いていくことでもっと悪くなることだってあるんだろうけれど、少なくとも私の場合は、グチを吐き出すことで前に進んでいけるタイプなんで、吐き出させてもらいたいとは思う。誰かが読んでくれている、何もコメントなくても、読んでくれているってことで救われるというその気持ちは誰にも理解されないかもしれない。だって、読んでいる人すべてが好意的な目で見てるわけじゃないだろうから。なんだこいつ暗い奴とか、嫌なもん読ませるな、とか、そんなふうに見てる人だっているだろうから。でも、それでも誰か一人は「頑張って」と心で思ってくれているかもしれないという幻想は、私にとっては必要な幻想なんだよね。だから、書く。私が怒涛のごとく何かを書いている時は、そんな幻想を感じたいと思う時なんだから。

明るい人間になりたいから、明るいことを書く。それは間違っちゃいない。明るい自分を強くイメージすることで、なりたい自分になれることだってあるからね。だから、ネガティヴであればあるほど、それとは正反対の明るいことを書いていくってことも正しいことだと思うよ。私もそういう感じで書くこともあるし。ただ、それだけじゃ私は救われない。とことん暗いグチだって時には書かないと、私は壊れてしまう。両方がないとダメなんだよなあ。そういう気持ちって、明るいことしか書いちゃダメなんだっていう考えの人には理解されないかもしれないね。

「似ている」と「盗作」は違う

2008年09月28日 09:21



私も、曲がりなりにも地元文芸本に佳作や奨励賞で小説が掲載された身でもある創作者の一人として、著作権については人並みに思うところはある。けれど、小説で食っていっている職業作家というわけではないので、自作の小説で著作権を言い立てることには消極的だ。というか、私の書いたものを誰かが有名にしてくれるのなら、正直いい気はしなくても、それでも日の目を見せてくれるのなら使ってもらってもいいかもしれないとか思ってしまう。同じようなものを書いていても、私はダメでも他の誰かならそれに光を当ててくれるってこともあるだろうなあとも思うし。ただ、こういう考えを書くと、きっと「そんなことを言うから著作権侵害者が付け上がるんだ」と言う人が出てくるだろうね。

確かに権利は大切だとは思うけれど、私が嫌だなと思うのは、その創作物が封印されてしまうことなんだよ。

これは、昔から思ってたことなんだけど、著作権絡みで好きだったマンガが読めなくなってしまったことで、著作権は大切なことだとは思っても、読みたいものが読めなくなってしまうことの理不尽さを創作者は考えてくれないのだろうかと、読者側のワガママだとわかっていても悲しく思ってしまうんだよね。まあ、わかってはくれるんだろうけれど、お金が絡むとどうしてもそうなってしまうんだろうけれど。

前にも日記で書いたけれど、私は私が公開している小説にヒントを得て小説でもマンガでも映画でもドラマでも作ってもらってもかまわないって。そりゃできたら「こういうのを読んで作った」と添えてもらえたら嬉しいけれど、ただちょっと似てるってだけまでにもそういう一言を添えるっていうのは虫のいい話だろうなあとは思う。というかね、まったくのオリジナルっていう自信は私にはないんだよね。ちょっと前にも、とある映画の内容が、私の書いた「ユグドラシルの運命」(音楽鳴ります)に似てるよなあとは思ったけれど、まったく同じという内容じゃないし、まさか私の書いたものに触発されてということもありえないことはないかもしれないけれど、そこまで自分を評価するのもイタイ話だよなあとは思った。まあ、私の書いた小説も、誰か他の人も似たようなもの書いてたということもあったし。それも何となく似てるってだけで、誓って私はその小説を読んだから作ったストーリーってわけじゃなかった。つまり、似たようなことをみんな考えつくってことなんだろうなと気づくきっかけにもなったということだ。

私だってこの年になるまで多くの作品を読んできて、それらを融合させて自分なりのストーリーを考えてきたわけだ。何かの話にちょっと似てしまうことはあるし、すべての創作者にもそれは言えるはずだと思う。だから、似てるってだけで誰かを非難したくない。非難されるべきものは、似ているというレベルじゃなく、まったく同じものを他人が「自分が作った」と言うことなんじゃないかと思うんだけどね。

はてダを再公開しました

2008年09月25日 23:37



とりあえず日記サイトの編集が一段落ついたので、はてダのほうを公開設定に戻しました。タイトルも変えての公開なんですけど、ただ、いまだにはてダをどう使おうか決まってません。過去ログは整理したんですけど、ブクマやスターを付けられた記事は残してあります。もっとも、記事内容ははてダではなく、リンク先に移行しましたけれど。でも、私のはてダはアンテナとか、確認はしてないんですけど、たぶんRSS登録もされてなかったと思うんで、これからも注目度はまったくナッシングなんでしょうけど。(笑)
誰かさんのブログは随分と更新されなくなってたのに、また最近ではポツポツとブクマが付けられてるみたいだし、相変わらずアンテナはそんなに変動してないみたいで、なんかうらやましいくらいなんですけどねえ。いいですね、そんなふうにみんなに待ってもらえる人って。私のとこなんか、そんないっぱい待ってる人なんかいませんし。あの人とあの人とあの人くらいは待ってくれてるみたいだけどねえ。(って誰よ?)

私なんかきっと書かなくなったら、だ~れも思い出してもくれないんでしょうね。あの人どうしてるのかなあなんて、そんなふうに思ってももらえないんでしょうね。まあそれはしかたないです。それだけのことをしてきたんですからね。そりゃもうしょうがない。つーか、またしてもあれですか、数少ない私を好意的に見てくれてる人を蔑ろにする行為ですよね、こういうのって。でもさ、私はそういう人間なんだもの。今も昔も。自分が好きだと思う人がすべてで、振り向いてくれない人ばかり追いかけてしまう。今、私の心の中に浮かんでいる何人かの人が、少しでも私に関心寄せてくれたらと、叶わぬ想いを抱いていることなんか、その人たちにはわかんないんでしょうね。まあそれもしょうがない。こんな私を好きになってくれるはずもない。好きになってくれないからこそ好きになってしまったとも言えるんだものね。

さあ、もう、グヂグチ言うのはやめにして、とっとと寝てしまいましょう。遅くまで起きてるとロクなことがない。つーか、また明日起きてここのこの文章見て、激しく落ち込むんだろうなあ、私。だったら書くなよって? そんなこと言ったらぶっ飛ばす。(W

受け入れるために

2008年09月22日 23:06



下書きにしていた記事も全部書いて公開した。言及というか、誰かの記事を読んでそれで触発されて書いたものだったけれど、はっきり言って言及とはいえないほどの代物なんで、何を読んで書いたのかは記事内では明らかにしないことにした。ただ、自分だけは何を読んでこれを書いたのかはセルクマとして管理することにしたけれど。

私も今は簡単に垂れ流しのものを書けていない。まあそれでもだいぶ垂れ流しできるようになってきたかなとは思うけれど、昔の日記を読み返してみると、まだまだだよなあ、昔はすごかったよなあと思ったよ。もっとも、昔の私の日記は、私以外は読みたいと思ってくれる人はほとんどいないだろうなあとも思った。まったくいないとは思わないけれど。一人二人はいるんだろうなとは思うけれど。でも、多くの人を惹き付ける日記ではないという確信はある。

けれど、私にとっては本当に自分の日記はおもしろい。

それでも、私は時たま自分で納得いくほどに「きっとこれは良記事だろう」と思えるものを書きたいと思うこともある。そんな時はノイズの場所じゃない場所で書く。そのための場所に。そこはあまり更新されることはない。でも、そこでも多くの人が集まるわけじゃない。良記事を書いたからといっても、そして更新頻度が高くても、それでも集まらない。私は多くの人を惹き付けるものは絶対に書けないんだって気付いてしまったから。

多くの人を惹き付けるものを書く人を羨ましいと思ったこともあった。どうしてその人のように私はなれないんだろうかって。どこがその人と私は違うんだろうって。その人を真似してみたとしても、きっと私は誰も関心も引かないんだろうな。一人や二人は関心寄せてくれるということはわかったけれど、多くの人じゃないから。でも、結局は私は私でしかないのだから、誰の関心も引かない自分を受け入れるしかない。

好きに書いていくために。そのためにたどり着いたのだから「今」に。

その言葉だけは言われたくなかった

2008年09月14日 10:07



どのカテゴリに入れるべきか迷ったんだけど、とりあえずGに入れる。(笑)


昔こんなことを新聞に書いている女性がいました。「年甲斐のない人になろう」って。その人は文芸の同人をされている人でした。で、その年甲斐のない人になるためには「好奇心」「感動」そして、いい意味での「図々しさ」の中で、興奮と刺激を伴う人生──これこそが老化対策の中心に存在するということでした。


そのために『まず何かを追うこと』がいいんだとか。その追うものは何でもいい。ただし、問題なのはその時に本気で真剣に追いかけたかということ。本気だったのなら、たとえつかまらなくてもやるだけやったという納得ができるからなんだと。つまり「結果」ではなく「目的に向かって走った自分に感動」することが良いということだそうだ。


当時の日記は↑のようなことを書いたわけですが、現在の私はこの「目的に向かって走った自分に感動する」っていう言葉にいろいろと思いを馳せてしまいました。これって、私が言われたことのある「それは本当の好きじゃなく、それを好きな自分が好きなだけなんだ」っていうのに似てるんじゃないかなあと。


私は思うんですよ。好きっていうことについて、やっぱり嘘の好きとか本当の好きなんていうカテゴライズするのは好きじゃないなあと。一番大事なのは、好きというその気持ちでちゃんと生きていけるかどうかなんだと思うんですよね。私はガクトさんが好きです。そして、その好きを他人に否定されたことがある。その時はむかついた。そりゃ自分の気持ちを否定されたわけですから、むかつきますよ。否定した相手は自分がたとえ逆の立場になったとしても、私みたいにむかつくってことはないかもしれないだろうけれど、それでも別のことでむかつくことだってないとは言えない。生きていく上でむかつくことがまったくないという人間なんていないと思いますからね…とと、また関係ない話にそれそうになってる。(爆)


まあようするに、それを好きである自分が好きなだけっていうのは、まあよく言われることではあるとは思います。私に限らず。たとえば、ガクトさんなんかも、自分に悩みを打ち明けてくれる人たちを見ていて、その人たちの悩みっていうのが、解決しようとして自分に話してくれるわけじゃなく、なんだかその悩んでいる自分が好きなだけに見えると言っていたんですけれど、それと似たような感じかなと思うわけです。で、ガクトさんがそういった悩みを本気で解決したいと思ってるように見えない人たちを本当はどういった目で見ているかどうかは私にはわかりません。嫌っているのか、かわいそうだと思っているのか、それはわからないんですけれど、できればあまり毛嫌いしてほしくないなあと思っています。私は悩みを話す人間ではないんですけれど、どうしようもできないグチを話すことで前に進めるタイプの人間ということもあり、話すことまでもガクトさんには否定されたくないと思っているから。


怒涛のように好きな対象を話していても、或いは怒涛のように悩みについて話していても、それにチャチャを入れるように「それは本当の好きじゃない」とか「それは本当に悩んでいるわけじゃない」なんてことは言われたくないし、言うべきことじゃないと私は思うから。


私も思いやりのない一言っていうのはたくさんしてきたんで、こんなことを言う資格はないんでしょうけれどね。でも、やっぱり言ってほしくなかった。「それは本当の好きじゃない」とは。その人には言ってほしくなかった。言ってほしくなかったんですよ。この気持ちはその人には届かないんでしょうけれどね。

ドキドキ初エントリ見聞録

2008年09月11日 22:04



2008年09月05日、今日もお休みでした。今日は午後3時からガクトさんのライヴのチケットをうんだら会員抽選受付するというので、私もうんだら会員なのでエントリしたんですよ。いろいろ登録とかしなくちゃいけないし、こういうの初めてだったということもあり30分以上かかってしまったのですが、何とか最後までやってきました。ところが!

愚か者と罵ってやってください。

うんだら会員の為の先行予約のエントリ、見事に失敗してしまいました。。・゚・(ノД`)・゚・。

いい訳ではあるんですが、初めてのことでしょ、舞い上がってしまってたんでしょうね。受付前に必ずお読み下さいと書かれている赤い文字のところ、何だかいろいろと書いてあったんですけど肝心なことを見落としてしまってたんですよ。

「申込確認」を必ずご確認くださいという文字を。

言い訳なんですが、受付完了のメールが届くようにドメイン指定への登録をしてしまう前に申し込みしてしまったので、予約確認はあとでしようと思って画面をブクマしてからドメイン登録したんですよ。で、いざ、登録した予約確認をしようとページにアクセスするのにアクセスができない。もうサイトトップからどうのこうのいう文字しか出てこないし。で、サイトトップに行ってみれば、予約確認はIDがいるらしくて、そのIDが私はわからないわけで。どうやら予約確認をした時に受付IDというのが発行されるみたいですね。エントリの受付完了のメールは届いたけれど、結局、ローソンチケットサイトのマイページにログインできないので予約確認もできないし、当選したとしても、ローソンでの支払いの受付IDの入力ができないということで、どうしようもできない状態になってしまいました。それに、いったん申し込みしてしまってるので、うんだら会員としての申し込みはもうできないみたいです。

息子にも「初めてなんだからじっくり見ないと」と言われるし、旦那にも「これも勉強と思って諦めろ」と言われるし。

ただ、どうしてもチケットはゲットしたいと思ってるので、ローソンチケットでも先行予約しているということを知り、今度10日から申し込みがあるそうなので、ローチケ会員に登録してそれで申し込みしてみます。それでもダメなら一般で購入するしかないですもんね。

その時はありえないくらいに落ち込んでしまったのですが、何とかまた申し込みができそうだなと思ったので、やや復活しましたよ。ただ、もし今日申し込んだ分が当選してたら、当選メールが届くんでしょうから、その時はまたしても凹むんだろうなあとは思います。当選しても、ロッピーからの払い込みができないんじゃどうしようもないですもんねえ。落選してることを祈るっていうのも何だか凹みます。(T▽T)


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2008年09月06日、昨夜はエントリ失敗のショックなのか、湿気のせいなのか、なかなか寝付けませんでした。11時過ぎには寝ようと思って寝床に入り、いつものようにガクトさんの歌聞きながら横になってたんですけど、いつまで経っても寝れません。でもうとうとしてたみたいで気がついたらなんかむかむかして気持ち悪いし、何だか人の声がしてうるさいし、まだ息子は起きてるのかしらと思い時計を見たらまだ1時。息子も寝てしまってたようです。どうやら声は近所からだったみたい。でもまだ1時くらいなら土曜日でもあるし、まだそんなに遅いっていう時間じゃないし。とにかく、不快感ばかり募って、ますます眠れず、しょうがないので起きて胃薬飲んで何とか寝てしまおうとしましたけど、やっぱりうとうとくらいしかできませんでした。

今朝は、ガクトさんのコミュニティサイトが更新されてて、チケットの先行予約のキャンセル申し込みが始まると書かれてありました。でも、このキャンセル件は一次申し込みをキャンセルした人には抽選権はないとのこと。だから、私がもし当選していたら、私には申し込みする権利はないということですよね。またしてもドヨーンとなってしまいました。やっぱ、うんだらの会員としての先行予約とローソンの先行予約とではその意味が違うと思うんですよ、たぶん。よくわからないのですが、プレミアムシートって、Dears先行予約だけじゃなく、うんだら会員とかコミュニティサイト会員の先行予約のチケットもそれんじゃないかと思うんですが、違うのでしょうか。Dears先行予約券だけがプレミアムシートなのでしょうか。そこらへんがよくわからないんですよね。そうすると、ローソンの先行予約はプレミアムシートとは言えないんじゃないかと。でもなあ。すべて値段は一緒ですよねえ。けれど、抽選して当落選があるということは、当選したのはプレミアムシートだと思うんですけど。そうなると、やっぱり当選した分は一般で購入するより意味のあるチケットとなると思うんですけど。

はぁ…でも結局は私は失敗してしまったわけで。後で何を言ったってどうしようもないわけです。受付IDがない限りは、ローソンからの入金はできないわけですからねえ。たぶん。落選していることを祈るしかない。そんな祈りをしなければならないなんて。皮肉としかいいようがない。ああ、どうか落選していますように。それにしても旦那が言ったように、確かにいい勉強になっただろうとは言いますが、チケットなどをローソンで買うなんてことはガクトさん以外でやろうなんて思わないわけで。勉強になっただろうと言われても、これから同じように購入するなんてことはないと思うんですよ。ガクトさんのライヴだって、こちらにくることなんてきっともう二度とないでしょうしね。これが最初で最後だったとしたら、失敗しただけでもう二度と成功することはないと思うんですけど。

まるで、子育てに一度失敗したらもう終わり、みたいなもんです。(いや、それは違うと思うぞ)

でもまあ、ポジティヴに考えるとしたら、この失敗談を創作で生かすこともできるかなあとは思う。こんなドジな女の話書くのもまた一興かと……でもまあ当分そんな気分にはなれないか。(;´д`)


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2008年09月06日朝、結局まあ諦めきれずにうんだらの特設ページを眺めていたら、ローソンサイトでの文章と微妙に違っていることを発見。

支払方法に受付IDを入力とローチケでは書かれてあったんだけど、うんだら画面では「電話番号を入力」となっていた。もしそっちが本当であれば、当選していたとしたら入金できるかもしれない。

当選してたらやってみる価値はあるかも。

でも、本当にできるかどうかはわからないんで、ローチケからもエントリはしよう。何が何でもチケットは購入したいので、自分にできることはやってみようと思った。あたし頑張る!


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2008年09月06日夜、ドヨンとした気持ちで仕事場に向かう。仕事から戻ってエントリ関連でいろいろ試してみたけれど、やっぱりどうにもダメで。
そしたら、旦那も出勤してしまってから、友達からメールがきた。そこには、同じような失敗してる人がいるかもしれないから検索してみたらという言葉が。ということで、頑張ってググってみました。そしたら、2ちゃんのスレで似たような書き込みを見つけて、それにヒントを得てやってみたことが見事にビンゴでした。

ほんと友達のおかげですわ。いつもなら旦那に「ググれ」とか言われるんだけど、そういう言葉が今回はなかったんで失念してました。何が何でもどうにかしたいと思ったら、やっぱりググるべきでしたよね。

結局、うんだらから送られてきたアドレスから受付サイトへと飛び、そこから予約確認にアクセスしないと確認ができないだけで、それやってみたらちゃんと予約確認にログインできました。
ただ、受付IDの存在はどうなってるんだろうと思ったんですね。
ロッピーで支払いする時に、受付IDを入力なんて書いてあったんですが、うんだらのサイトには受付IDのところに、登録時に入力した電話番号を入れるってなってたんですよ。そしたら、2ちゃんスレ、これはhideさんのライヴのスレだったんだけど、ロッピーで支払いするのに受付IDのところに電話番号入れても受け付けてくれないどうすればいいの?という書き込みがあって、それに対して、エントリ時に受付IDが発行されると書かれてあったんですよ。だから、もしかしたら一番最初の時に予約確認した時に、発行されたのかもしれないと思って予約確認にログインできたことでもあるし、一度エントリを取り消して、再度エントリしなおしてみようと決心したんです。今度は二度目だから冷静にできると思って。それでやってみたら、やっぱり受付IDなんて発行されなかったんで、これはやっぱ電話番号がID代わりになるんだなと思いました。ということで、エントリ完了、一件落着となりました。まあ、これで当選となれば本当の本当に一件落着なんですけどね。

> 一度喰らいついたら死んでも離さない!
> くらいの覚悟でいればなんとかなるかもしれません。
> ならないかもしれないけど、
> あきらめたらその瞬間に確実に終わりだ!あきらめるな!


↑こんなふうに友達言ってたけど、うん、ほんとそうだよね。あとはもう当選するのだけを祈ってればいい。

エントリする前の晩は、ガクトさんが夢に出てきたわけですけれど、今回諦めずに頑張ったということで、ガクトさんもっとすんごい夢見せてくれないかなあと思っちゃったことは、うちの旦那さんには内緒ということで。(W

ではでは、そういう夢見るためにそろそろ寝ちゃいますね。(u_u*)

おやすみなさい。


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2008年09月07日、2003年の6月13日、今から5年ほど前の日記に、ガクトさんが市民会館にくるという夢を息子が見たと書いていた。息子曰く「お母さん、僕の夢は25%の確立で正夢になるんだよ、よかったね、ガクトさんきっと来てくれるよъ( ゚ー^)」

市民会館じゃなかったけれど、汽車で行ける場所にきてくれることになった。しかも会場がどこにあるかもわかる。見にいける。チケットも何とかゲットできそうだし。息子の夢もバカにしたもんじゃないよなあと思った。以前にもオリコンで一位取った夢を見た息子だったしね。あ、そっか。父親が霊感のある人間だもんな。多少その手の血が息子にも流れているのかもしれない。来年、この息子と一緒にガクトさんのライヴ見にいきます。絶対に。


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2008年09月08日、朝になってライヴチケットのエントリ確認にアクセスしてみた。前日までの「取り消し」というのがなくなってた。これで当落選を待つのみ。確認は11日かー。当選していてほしいよなあ。当選して、無事に入金できたら、マイスペからガクトさんにメッセージ送ろう。息子とライヴ行きますからねって。夢叶えさせてくれてありがとうって。でもなあ、一番の夢は、耳元で何か言葉を囁いて欲しいってやつだから、それは早々叶えられるもんじゃないよね。それこそ、せめて投稿作品で賞でも取るくらいのことでもない限りは。取ったとしても、叶えてもらえるかもわからないし。


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2008年09月11日、12時前に行動を起こす。12時になるまで、本屋でブラブラ。12時になったけれど、まだローチケからのメールは来ない。12時10分くらいにサイトの予約確認にログインする。「当選」の文字が。それからお金を下ろして、買い物して、いざ仕事場近くのローソンへ。それにしても、まいった。ロッピーの画面は薄過ぎてよく見えなかったんだよね。あれ、どうにかしてほしいよなあ。何とか画面を進めていくんだけど、自分の名前を入力するのにかなり時間かかってしまった。だってさ、苗字は一発変換してくれたけど、名前がまったく変換してくれなくて。しょうがないんでひらがなで入力しちゃった。やっとこさ終わったら、後ろで女の人が私が終わるのを待ってた。いつから待ってたんだろう。かなり専有してたからなあ。待たせてすみませんです。でも、これで入金もちゃんとすませたし。あとはもう当日ちゃんと行けることを祈るのみ。つーか、その日は仕事お休みにしてもらわないとなあ。まあまだ半年先ですからね。

つーかね、家を出る時に郵便受けに投稿作品の落選通知がきてたんですよ。まだチケットの当選がわからない時だったもんで、縁起でもないなあと思ったんだけど、チケットは当選したわけだから、ガクトさんってやっぱりすごいなあ、と。(笑)いやまあ、別にガクトさんが何かしてくれたってわけじゃないんですけど、小説の落選がどうでもいいって思えたのも、今日という日がチケットの当選のわかる日だったということで、やっぱガクトさんは私にとってはなくてはならない存在だなあと思いました。ガクトさんという存在のおかげで、私は今までなら投げてしまってたことでも頑張ろうと思えるし、行動もするわけで。一人の人間をそんなふうに動かすってことは凄い事だと思う。行くよ、其処へ。貴方に逢いに行く。私の生霊でなく、間違いなく生身の人間を届けるよ。ほんと、今日という日に投稿作品の結果の通知があったことと、チケットの当落選の通知があったこと、偶然ではあるんですけど、私にとっては偶然以上に意味のあることだなあということで。

「夢は叶えるもんじゃない、見るものだ」と信じていた人間に「夢は見るもんじゃない、叶えるものだ」ということを信じさせるガクトさんはやっぱり凄いや。それでも、根本的な思想であるところの「夢は見るもの」を私から奪う事はできない。それが私の創作意欲に繋がるからね。けれど、ガクトさんと考え方は違っても、それでもガクトさんのその考えもアリだなと思うよ。でも頑張ったからって叶うものじゃない。それだったら今回の投稿でも入選したはず。けれど入選しなかった。それはもう頑張ってもどうにもならないことだってあるってことだからね。好きな誰かに拒絶されてしまうことも、欲しい賞が手に入らないことも、頑張ったからって手に入るもんじゃない。それはどんなに「夢は叶えるもので見るものじゃない」とガクトさんが言ったところで、どんなに努力しても叶わぬ夢だってあるんだよ。だからこそ、私はその叶わぬ夢を創作にぶつけて、夢が叶うことを疑似体験するために小説を書き続けるんだ。すべては自分の夢をリアルではなくバーチャルで叶えるため。そのためだけに私は小説を書き続けるんだ。それを誰にも否定させない。たとえガクトさん、貴方でも。

でも、今年の6月に「なんか、頑張れること起きてほしいよなあ」と日記に書いてたんですけど、あれだよね、私のその思いが通じたんでしょうねえ。これでこれからの半年は頑張れるわけですからね。気持ちって通じることもあるんだなあ。そういうプチ奇跡が起こるとね。 いつだったか、インタビュー動画で「ライヴに来い」と画面から言葉を投げかけていたガクトさんに向かって「そんなこと言ったってね、無理なもんは無理なんだよ」と呟いていた私が嘘のようです。

だから、ガクトさん、本当にありがとうございます、って感じです。来年、貴方に逢いに参ります!


以上、生まれて初めてライヴチケットを購入したドタバタ数日間をお送りいたしました。(笑)

行為の代償

2008年09月10日 09:16



13歳で母親になったという話があった。私が高校生の時、もう少しで卒業という頃に妊娠したという人もいたけれど、今と昔を比べることは愚かとはいえ、昔は13歳で子供を産むことは当たり前という時代もあったわけで、何歳で子供を産むことが相応しいかは決められないことだろうとも思う。妊娠できるということは子供を産んでもいい時期なのだという考えもできるだろうしね。私の母のように20歳まで初潮がなかった人なら、まだ身体が子供を産むところまで発達していないということも言えるわけだし。だから、妊娠できるということは産んでもいいのだと言えなくもない。あとはまあ身体ばっかり大人でも、精神的に大人じゃないと、なかなか子供を育てるっていうのも難しいかもしれないけれど。

成人超えても年寄りになっても、まったく大人としての資格を持ち合わせてない人はたくさんいるし、子供だってしっかりとした考えを持った子供もいる。ただ、本当にしっかりとした考えを持ってるというのなら、きちんとした避妊ができると思うんですよね。妊娠しちゃったということは、ちゃんとした避妊をしてなかったと思うんで、そういうことがきちんとできないのもちょっとなあと私は思う。

でもまあ、だからといって、その子が子供産んでから親として成長していくことも考えられるので、一概には「資格なし」とは言えないですよね。親っていうのは子供を産んで、それから親として成長していくものですから、子供であっても自覚を持って親をやっていけば親らしくなっていくと思うし。

でもねえ、やっぱ結婚前はきっちりと避妊してほしいもんです。それが望まぬ行為からでない限りは、勢いのままではなく、ちゃんと自分たちがやってること、妊娠してしまこともあるんだとわかった上での愛ある行為にもっていってほしいもんです。老婆心ながら。(笑)

好きに書きたいし、好きに書いてもらいたい

2008年09月05日 11:15



このブログでもコメント欄は閉じているのですが、私の場合は書かれていることに対してトンチンカンなコメントをつけられたくないからという理由で閉じてるわけではないんですよね。私自身が誰かの書いたものに対して「なんでそんなふうに取るかなあ」と思われてしまうようなコメントをつけてしまう傾向があるんで、似たような人に対して大きなことは言えないのですよ。コメントつけてもらえることは本当はとても嬉しいと思うんですけれどね。だったら、なんでコメント欄を閉じているかといったら、コメントをつけてもらうとレスをしなくちゃいけないから、というのが本音ですね。レス自体は好きなんだけど、そのレスが延々と続いてしまうことになってしまって、好きだけど疲れてしまうわけで。それが原因で好きなことを書けなくなる恐れがあるからという理由でコメント欄は閉じることにしました。はてブとかそういったのでコメントつけられた場合は、レスしなくてもストレスは感じないんですが、コメント欄に直接書かれると、どうしてもそれをほったらかしにできないという私の性格があるんですよね。どこでレスを切り上げるか、物語のようにちゃんと完結した形にしないと気がすまないみたいなんですよ。だから、コメント付けられてレスをする、そしたら相手がまたレスを返してくる、それに対してまたレスをしてしまって…相手も私と同様な人であった場合、そんなふうになっていく可能性もある。それがイヤだというわけでもない。けれど疲れてしまう。その矛盾から自分を解放したいという気持ちから、私はコメント欄を閉じることにしました。トラバも同様です。けれど、誰かが私の書いたものに対して何かを書くことは制限はしないし、私に読んでもらいたいと思ってくれれば、メールフォームからURLを送ってくれたり、リファラを残してくれれば(リファラの場合は気付けば、ですけれど)読みます。けれど、何らかの反応を強制はされたくないという気持ちはありますね。昔は、私自身が、私が言及した相手に何らかの反応を見せて欲しいと思っていたわけですが、もちろん、その気持ちはまったくなくなったわけじゃないんですけど、今はそれよりも「好きに書かせてほしい」という気持ちしか持っていません。だから、誰かに反応を強制しないようにしたいと思うようにしているし、私にも誰かに反応を強制されたくないと思っています。


ということで、好きに書きたいし、誰かにも好きに書いてもらいたい。私が書いたものを読んで、どんなものを書いてくれるのか、それが知りたい。今はそれだけかな。

自分が書きたいと思うものを書けばいい

2008年09月01日 08:50



「良い文章はどうやったら書けるのか」は難しいが、「悪い文章とはどういうものか」な... - Wassr [お気軽メッセージングハブ・ワッサー]


「良い文章はどうやったら書けるのか」は難しいが、「悪い文章とはどういうものか」なら一カ所ずつ指摘できる。だけど悪文を前にして「ここはこう書いたらいい」というような指示や指摘はこれまた難しい。俺が指示した瞬間にそれは俺の文章になってしまう。それは俺の本意ではない。だから他人へのアドバイスは難しいし、出来ることならやりたくないものではある。



なんでそんなことを言いだしたかというと、嫁の父親が「最近ブログで小説を連載してい... - Wassr [お気軽メッセージングハブ・ワッサー]


↑の発言を受けててらじさんがこう書いている。


「プロが仕事で書くのと、素人が好きで書くのは違いますから」... - Wassr [お気軽メッセージングハブ・ワッサー]


「プロが仕事で書くのと、素人が好きで書くのは違いますから」



そしてさらにPiYOさんはこうレスしていた。


それを相手がトゲを感じないように言うのが意外と難しいのですw なんつうか、自分と... - Wassr [お気軽メッセージングハブ・ワッサー]


それを相手がトゲを感じないように言うのが意外と難しいのですw なんつうか、自分と相手の立場というか関係というかw



他人にアドバイスをする、この場合だと小説などにおける文章のアドバイスとなるわけですが、相手によりけりだなあと私なら思いますね。プロとしてやっていきたいと思う相手であれば、正直に感じたことを言えばいいと思うし、プロとしてやっていこうという気概が感じられない相手であれば、あたりさわりないことを言ってあげればいいというのにつきると思う。ただ、相手が本当はどういう目標を持って小説を書いてるのかを自身でさえも気付いてないことがあったりして、プロとしてやっていきたいという相手の言葉を鵜呑みにしてそれに相応しいアドバイスしたらキレられてしまうということもないわけじゃないんで、私の結論としては、文章のアドバイスなんてすること自体が間違っていると思ったりしています。だから、小説のアドバイスは誤字脱字以外はしないで賢明。たとえ、ストーリーが破綻していたとしても、それでもその破綻がブレイクすることもまったくないわけじゃない。文学の世界って、そういう「そんなバカな」ということが起こる可能性を秘めているから、だからおもしろいんだと私は思ってるしね。割り切れる世界じゃないってことで。


良い文章とか悪い文章とかいう言い方があるけれど、良い文章だからいいとか悪い文章だから悪いってわけじゃない。その良い文章が「なんか好かん」となる人だっているし、悪い文章だって「なんか好き」となることだってあるわけだから、要は「自分はこうだ」という文章を貫くのが物書きには必要なことなんじゃないかなあと思う。どれが一番なのかなんて誰にも決められないからね。結局は自分がどう書きたいかしかないんじゃないかな。だから、私が他人に言える文章のことは一つだけ。「自分が書きたいと思うものを書けばいい」と、それだけを私は言いたい。どんな文章書いたって、好きになってくれる人は絶対にいる。だから、自分が一番書きたいと思う文章、内容を書くしかないんだと私は思うんだ。そうじゃないと書くことが辛くなるよ。辛い思いしてまで書かなくてもいいじゃんかって私は思うよ。



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