芸能人は自分の病気を発表して欲しい

2008年10月31日 09:09



今朝は知り合いが宇多田ヒカルの日記が久々に更新されたと自分の日記に書いていたのだけど、その更新された宇多田ちゃんの日記をMarumamekoさんがブクマしてた。そこで宇多田ちゃんの書いたものを読んでみた。知り合いは芸能人のブログはつまらないからほとんど読まないと言っていたけど、この宇多田ちゃんの日記は以前から読んでると言ってただけあって、確かに彼女の書く日記は読み応えがある。でまあ、今回の日記を読んでいて彼女が何年か前に婦人科系の病気をしたことを書いていたのだけど、そうだったよなあ、ちょうどあの時も彼女のことがあったんだよなあと、思い出したんだよね。これはまあ前にも日記で書いたことではあるんだけど。

私は季節の変わり目には必ず体調を崩す。それはもう15年くらい前に胆のう摘出手術をしてからずっとのことなんだけど、宇多田ちゃんがちょうどその婦人科系の病気になったとTV放送された時期にもいつものように体調を崩し、病院でいろいろ検査してもらったけれどまったく異常なしと出て、途方にくれてたんだよね。その時期もまだ玉姫様(注:生理のこと)が定期的にお渡りにならないということもあり、すがる思いでそのことを医師に伝えた所、「お、宇多田ちゃんのを見てそう思ったのか?」と先生に言われたわけ。そういうつもりじゃなかったけれど、確かにTVで見たことは見たし、タイミング的にその話題を出すってことは、無意識にそういう気持ちが働いて口をついて出たのかもしれないと思い「はあ、まあ…」といったふうに肯定はしたんだけど。そしたら先生がこう言った。「芸能人がああやって病気のことを正直に発表するっていうのもいい効果があるもんだよな。こんなふうに勇気を出してくれる人がいるわけだから」と。ということで、すぐさま婦人科に回されて子宮ガン検診をその場でしてもらったわけだ。

とまあ、それだけのことなんですけどね。(笑)

ところで、Marumamekoさん、そういう意味(どういう意味だ?^^;)での銀婚式・金婚式は迎えられるとは思っています。ただ、そこまで生きているかどうかがどうも信じられなくて。だから、ちゃんと生きていたらとは思っているということなんですよー。どんなことが起きるか本当にわかりませんものねえ。なんて言って、しぶとくババアになっても生き続けてたりしてるかもしれないし。とまあ、以上私信でした。(W

書かれたくないなら閉じるべき

2008年10月30日 13:13



ある記事のコメント欄に、その書かれている記事内容に反論とか批判とかを長文で書いたり、自分の主張を長々と書く人って確かにいる。そして、そのほとんどが嫌われているっていうのもまあわかる。ただ、現在はブログというものが主流になってきているから、そういった反論や主張などは相手側のコメント欄ではなく、自分のブログでできるということもあり、どうしてそうしないのだという声も聞かれて、それは確かにそうだよなあとは思うんだけど。

すべての人がサイトなりブログなりを持っているわけでもない。そりゃ簡単にサイトもブログも開設できるわけだから、それやって記事立てしろよというのもわかるけれど、そんなふうにそれだけのためにサイトなりブログを作るのもなあと思わないではない。私はそれでも別にいいじゃないとは思うけど、中には、これからもずっと何か活動していくならまだしも、一つの反論・主張をするためだけに作ったサイトなりブログが続いていくはずもなく、結局は一つの議論が終わればそのまま放置、そして、無駄なスペースがウェブ上に残ってしまうとなることに不快感を抱く人だっているだろう。それが検索で引っかかったひにゃあ、「検索してもゴミばっかり!」と憤る人も出てくるわけで。

確かにトラックバックなどで有意義に議論すればいい、もわかる。けれど、個人的には同じ場所に議論は集結しておいてほしいなあとも思う。あっちいったりこっちいったりして読むよりは、同じ舞台に双方の意見が書かれているほうがいいよなあ、と。だから、私としては、別にコメント欄に長文書く人がいてもいいよ、と言いたいんだけどねえ。いけませんかね、長文コメント。そりゃね、長文コメントをもらって嬉しかった過去のある私だけど、その長文のほとんどが自分の書いたものへの好意的な感想(もちろん、肯定的なものばかりではなく、否定的な意見もあったよ、でもそれでも好意的な感想だったと私は思っているし)であったから嬉しかったということもあり、長文ではなかったけれど、質疑応答が延々と続くような書き込みには辟易した経験もあったりして、コメントはこうであってほしいなあと言われる人の気持ちもわからないではないんですけどね。

だけど、何かを書いていて、コメント欄や掲示板を設置していたとしたら、やっぱりどんなものを書き込まれようとも甘んじて受け入れなくちゃなあと思う。それが嫌なら、コメント欄は閉じるべき。そうすれば少なくとも自分ちに長文コメントは書かれないわけだから、さ。

多様性のある創作

2008年10月30日 09:19



創作するのに経験がどうのこうのというのをチラッと見たんですけど、まあ、確かに小説なんか書くのに、経験って大事だなあと思うことはあるし、経験に基づいた描写は経験していない人が書く描写より奥は深いと思います。具体的に言うと、私は車の運転ができません。ということは、車を運転している場面は描写ができないんですよね。ただ「車を運転した」としか書けない。これが車の運転のできる人だったら、もっと書き込めるわけです。前に梓さんが、会社勤めをしたことのない自分にはサラリーマンのことは書けないと言っていたんですけど、それと同じように私には極道の世界は書けません。いやまあ、政治家のことだって書けませんし、警察官の仕事だって書けませんけれど。もちろん、自分とはまったく関わりのない世界を書く場合、取材とか、実際にその世界に飛び込んでみて短期間の体験をしてみることで執筆するっていうことをしている作家だっているわけですから、体験してみればいいわけでしょってなるんですが、別にね、本物の世界を小説世界に求めるだけが文学じゃないと思うんですけどねえ。

小説をどういった理由で書くかでその書かれた小説の価値も人によって変わってくるんじゃないでしょうか。私は自分のやりたいこと叶えたいことを叶えるために小説を書いてきました。だから、経験で書けるような世界じゃなく、リアリティのない世界になってしまうのはどうしようもないわけです。でも、そういうのを読みたいと思う人だっているはずで、そういった世界観を望む人には経験で書かれるようなものは求めていないんじゃないかなあ。すべての小説を同じ目で見てほしくないんですよね。ただ夢を見たいだけの小説には経験など必要なく、いかに夢を見せてくれるかが大事になってくると私は思うんですよね。経験に基づく描写だけが夢を見せてくれるとは限らないんですよ。つまり、奥が深い描写だからといって誰でもが感動するとは言えないってことです。

だから、創作には時には経験など関係なく、ただの妄想だけで創作されたものも大事というだけのことなんです。

自由には責任がついてくる

2008年10月25日 22:19



自由って必ずしもいいことばかりじゃないよね。自由にあれこれして何か問題が起きた場合、それには責任っていうものだってついてくるっていうのが当たり前ってことは誰でも知ってることだと私は思ってたけど。私にも関係あるけど、言論の自由っていうのも、やっぱり自由という言葉がついてるわけだから、言論の自由があるのなら、その言論の自由の下に発せられる言葉で何か問題が起きた場合に、それ相当の責任は負わなくちゃならないってことだよなあ、と。

どんな言葉で誰が傷付くかはわからない。だから、極論で言えば、誰かが傷付くかもしれないと考えずに言葉は発してもいいと私は思っている。あと、明らかに誰かを傷つけてしまうとわかっている言葉であってさえも、時には発しなければならないこともあるって私は思っている。それで傷付いた人は、他人の気持ちを理解できることもあるから。私は実際そういう経験をした。相手が、私が傷付くとわかってて、それでもそれを発していたことがあったんだ。それはもう、相手は明らかに私を傷つける目的でその言葉を公開したわけだ。ただ、相手はそれを公開することで、自分自身をも傷つけてしまうとわかっていた。それがその人の覚悟だった。

自由には責任がつきもの。その責任をきちんと取る覚悟さえ持っていれば、どのような言葉でも叫んでいいと私は思ってるよ。

シンプルより気持ちいい文章

2008年10月25日 09:25



今朝は、ある人のブログに書かれていることを読んで、それについてノイズで書こうかと思った。書かれている内容に反論めいたことなんだけど、それは違うよ、そうじゃないよ、こんなことを言ってる人もいたよって書きたかったんだけど、その「こんなことを言ってる」のその引用する文章を過去にどこかで書いたはずなんだけど、探し出せなくてちょっと断念。こんな感じのことを友達は言ってたと書く事もできないこともないんだけど、とりあえずここはオープンな場所だし、その引用しようと思っていた友達もここを読んでるはずなんで、へたなことは書けないと思い、こんな感じ~っていうのはグループ日記に書いておいた。グループ日記を読める人は読んでやってくださいな。でもまあ、過去に日記に書いたと思うんで、いつか見つかるとは思うんだけど、今は時間もないことだし、それを探すためにまた日記の読み返しをするのもなんだしねえ。

さて、今朝はブクマをつらつら見ていて、Marumamekoさんがブクマしてくれているのを発見。(笑)

私も「シンプルな文章」を心がけたいと、思っていたところ。27回目の結婚記念日にブクマ(笑)


私は別にシンプルな文章を心がけてるつもりはないんですよね。自分にとって一番読みたいと思える文章を書いているにすぎませんから。まあ、人には好みっていうものがあるんで、私と同じような感性の人なら、私の書くこの文章も好きになってくれて読みやすいって思ってくれるんでしょうけど、感性のまったく違う人からすれば、やっぱり「読みにくい」「気持ち悪い」「ぐちゃぐちゃ」という気持ちしか持てないでしょう。だから、いくらシンプルな文章を目指したからって、すべての人に「シンプル」となるかどうかはわからないんじゃないかなあとも思うんですよ。でも、多くの人に受け入れられる「シンプル」っていうのもないわけじゃないと思うんで、そういうのを目指せばいいんでしょうね。で、私は別にそういうのは目指すつもりない。だって、それが自分が書きたくないような文章だったら苦痛でしかないもん。私は自分が気持ちいいって思える文章しか書きたくないから。とまあ、そうなると、多くの人に読まれないんだぞっていうのは覚悟しなくちゃならないってことですよねえ。

つーか、今気づいたけど(笑)、27回目の結婚記念日ですか! それはすごい。27回目の記念日が、私もいつか迎えられたらいいなあと思うんですけど、あと8年かあ。それまでちゃんと生きてるかな。(爆)
ともあれ、Marumamekoさん、おめでとうございます。

あ、あと。私も「かしらん」はよく使いますですよー。(W

シンプルな文章

2008年10月24日 22:13



昨夜、そういったメッセージをもらいました。「シンプルな文章」だと。初めて言われたことなんでちょっと新鮮でした。昔、2ちゃんで、ぐしゃぐしゃだかぐちゃぐちゃだか、そんなような文章だと言われたことはあったし、なんというか、大げさで恥ずかしくて気持ち悪い文章だとか、そんなふうに言われてきた私の文章なんで、シンプルな文章だなんて言われて、そりゃ嬉しくないわけがないです。そう言っていただけてありがとうございます。しかも、19回目の結婚記念日にもお祝いの言葉までもらっちゃって。ここは素直に嬉しく、ありがとうございます。

文章のことといえば、今朝あるブログでこれは作家に対しての批判なんだけど、垂れ流しより気合の入ったものが読みたいと書いている人がいた。このブロガーさんは別に素人さんにまでそれを要求するわけじゃないけれど、だけど、人によっては素人の書くものに対しても垂れ流しするなとか、ちゃんと書けよとか言う人もいる。きっと、そういう人にとっては、私の書くものなんて垂れ流しのくだらない、読む価値もなくて、うっかり読んでしまったら時間の無駄だったと思う文章なんだろうなあ。

ま、無理して書くもんじゃないしね。作家は書くことでお金を得るわけだから、いろいろと無理もしなくちゃならないんだろうけれど、私は書くことで稼いでいるわけじゃないんだから、誰が何を言おうとも、自分の好きに垂れ流ししていくつもりだもん。

こだわりはない毎日更新

2008年10月24日 09:24



ちょっとここでも続けざまに更新が続いてるんですけど、何でも毎日更新しているあるブログがとうとう毎日更新がストップしてしまったということで、それを取り上げて記事を書いている人がいた。(誰のことかバレバレだよな)取り上げて記事を書いた人はFC2の予約更新で毎日更新されている人ですけれど、私もその予約更新を最大限に利用して、ネットを始める前に書いていた過去日記を毎日更新で投稿し続けています。転載を始めた最初の頃は、それでも毎日ログインしては一日づつ転載していたので、たまに更新ができないときもあって、一日抜けたりすることもありましたけど。どうだったかな。もうその頃には予約更新って始まってたのかな。ちょっと思い出せないんですけど。けれど、今では予約更新を重宝してます。もちろん、基本は毎日朝にログインしてはその時にログを書いて更新なんですけど、旦那が仕事のシフトの関係で朝に帰ってくる時なんかは、前日の更新の時に二日分書いてひとつは次の日の日付にしておいての予約更新にしておくんですけどね。ログインしなくてもいいように。

私の場合の毎日更新は、こだわりがあっての毎日更新ではないですね。ネットをはじめる前に書いていた日記ですから、それこそ40年分の日記なんです。毎日一日分更新していけば、40年更新し続けなければ現在に至らないわけで。ただ、一日たりとも抜けていないわけじゃない日記でもあるんで、40年といってもきっちり40年分じゃないんですよね。それでも相当の量はある。一日一ヶ月分とか何ヶ月分づつ更新っていうのもできないことじゃないけれど、確かここも大量投稿なんてできないはずだから、それもまあできない。やるつもりもないけど。少ないながらも読んでくれている人がいるみたいなんで、そんな大量に投稿したら迷惑だろうしねえ。

ちなみに、その過去日記ブログですけど、ほんとに自分だけのために更新し続けています。非公開で書いているわけじゃないんで(ただし、HNは違う)アクセス解析ももちろんつけてます。もう一年は過ぎたはずですけれど、検索でたどり着くっていう人も今の所はほとんどありません。公開していても、これだけアクセスが少なくやっていくこともできるんだなあとほんと思いました。誰にも絡まないっていうのがいいのかもしれませんね。もっとも、積極的に絡んでいっても、ノイズブログはあまりアクセスはあがりませんでしたけれど。ネガティヴに捉えれば、これもみんなに相手にされてないからだ、となるんですけど、ポジティヴに考えれば、ここを大切に思ってくれて、それで多くの人に紹介しないでおいてくれてるんだろうとも思えます。ただ、嫌われっ子ノイズちんだという自覚はちゃんとあるんで、そこまでここを大切に思ってくれる人はそんなにいないとは思いますけどね。一人二人はそう思ってくれてる人はいるみたいなんで、それだけでもう十分です。

夢を見せて

2008年10月22日 14:36



ご存知の通り、このブログでもアクセス解析はついてます。ほんと少ないアクセスしかないブログですけれど、検索以外で「ここを読むために」アクセスしてくれている人が少ないながらも何人かいてくれることは嬉しいことです。たとえまったく反応がないとしても、それでも嬉しい。でまあ、私はそのアクセスしてくれる人が読んでくれているとは思ってるんですけれど、アクセスがあるからって本当に読んでいるとは限らないというようなことをついったーで呟いてる人がいました。うん。確かにそうだよなあとは思う。でもさ、たとえアクセスだけして興味ないことが書かれてたから読まなかったとしても、私は嬉しいと思うな。

私は、自己満足のために書いてるわけだけど、誰かに届けたい気持ちで書いてることもあるから、読んでほしいなあと思っている人からのアクセスがまったくないことはとても悲しいことではあるんだけど、それを「その人」に強要することはできないし、たぶん「その人」だって、私の相手なんかもうこりごりと思ってるからこそ、今はもうまったくここにアクセスしてないんだろう。それはもうしかたない。ただ、悲しいよなあと思う気持ちはどうしようもないんで「悲しい」と書かせてくださいとワガママを言うだけなんですけど。

読まれているかもしれないと思える人は幸せだよね。絶対に読まれていないという事実を突きつけられ続ける私はいつになったらこの呪縛から逃れられるんだろうね。一つの呪縛から逃れたとしても、また次の呪縛が待っているというこの悪循環。やっぱり私は何も感じない心を手に入れたい。でも、それを手放してしまったら、今朝見た夢は二度と見れなくなるかもしれないよね。精神的ショックを受けた私の夢に、まるで慰めるかのようにガクトさんが出てきてくれるような夢は確実に見れなくなる。そんな気がしているんだけど。(笑)

渇望はいつか満たされる

2008年10月21日 07:04



ネットで私も今では新しい関係を築こうという気持ちはないかもしれない。どんどん新しい人と友達になっていくのはネットを始めてから一年か二年くらいまでで、それ以降はあまり積極的に誰かと知り合おうとは思わなかったな。それはまあ、それまでに何人もの人といろいろな事情で決別したからでもある。あまりいい別れをしなかった誰かが新しいハンドルで何かを書いてて、またその人と知り合ってしまうということもないわけじゃなかったんで、それは何だかイヤだなあと思ったこともあったから。相手もたぶん似たような気持ちを持ってただろうしね。近づいてくんなよって。なんのために新しい自分になったと思ってんだって。ただ、そんな中でもどうしても親しくなっていくこともある。その人がかつて別れたその人だったかどうかももうどうでもいいやって思えるくらいの相手が見つかることも。

そんな時、過ぎる日々、無二の相手と信じていた人と身を切られるような別れをしてしまい、いつまでも忘れられないと嘆いては何度もその人のことを思い出した記憶を、やっとのことで思い出の箱にしまえた瞬間になる。

そんなふうに人って癒されていくもんだと私は思うんだけどね。

昔の私今の私未来の私

2008年10月20日 09:39



昔、↑と似たようなタイトルで文章を書いて新聞に投稿したことがあったなあ。もちろん掲載されましたけど。(爆)

昔の私は自分の人生が明るく希望に満ちたものだと思っていた。

いつの日か多くの人に「あなたの書いたものはおもしろい」と思われる作家になるんだと信じていたし、自分が書いている世界がもしかしたら叶うかもしれないと、特別な選ばれた人間になるんだと(簡単に言うとエスパーになれると)信じていた。それを思うと身震いして一人感動したものだった。ほんとだよ。(笑)

私はそれくらい傲慢で自己中心的な子供だったのだから。(今もそうだったりして)

私は私ほど不幸で誰も私のことをわかってくれない人間はいない、なんて不当な扱いしか受けていないかわいそうな子供なんだろうと思い込んでいたのだから。だから、いつかきっと私は認められる。親からも友人からも親戚からも近所のおばさんおじさんからも「あなたはすごいよ」って賞賛されるんだって。私を苦しめるすべてのものから解放され、私はきっと誰よりも幸せになれるんだと、そう信じていた。(バカだよね、子供ってね、少なくとも友人や親からは「お前はすごい」と賞賛されてたのにさ)

いつかきっと、私は明るく希望に満ちた日々がやってくる、と。

でも、私は気づいてしまった。不幸だと感じていたその日々が、実は一番幸福な日々だったことに。たとえどんな将来が待っていようとも、明るく希望に満ちた未来が待っていると思える時代が一番幸福だったんだな、と。今だってまだ未来はあるんだろう。だから、もし未来の私がここを読んだとしたら「その時の私は幸せだったんだ」と未来の私は呟くんだろうということは目に見えて明らかだ。だけど、そうだったとしても、現在の私はとてもじゃないけど不安に押しつぶされそうでたまらない。

今の私には未来は明るいとは言えない。それが子供の頃の私と違うところ。今の私の願いは最期の時のためにいかに静かに落ち着いて笑って旅立っていけるか、それだけが叶えられて欲しい願いでしかない。それが辛いし悲しい。そんなことを願わなくちゃならないなんて。とても悲しい。

ここがいい理由

2008年10月16日 16:16



ブラウザ上で記事を書いている人はどれくらいいるのかという文章を見たのだけど、私はブログで書く文章のほとんど直接こうやって書いている。だから、たまに変な場所を押してしまい、さっきまで書いていた長ったらしい文章を一気に消してしまうことも経験している。実は昨夜もそんな目に遭った。涙ちょちょ切れそうになったよ。まあ、昨夜のはそれは言いすぎだったんだけど。それでもけっこう痛かったことは確か。ただ、昨夜のはまだ書き直すという気持ちは起きたけれど、たまにもう書けないとなる文章もある。

今はここFC2では勝手に下書き保存をしてくれてるみたいなんで、ある程度の箇所までは、うっかりブラウザを閉じてしまっても保存されるみたいだから、ここで書いている分にはそういった消してしまって泣きを見るってこともなくなったけれどね。他のブログではそういうのないと思うんで、私としては、やっぱここが一番使いやすいなあと思っている。

どこまでいっても平行線

2008年10月07日 09:31



自分の考えや行動や言葉なんかを今まで読んできた本やマンガの中から「そうだよなあ」と思うことによって自分の物にしていったり、辛いこと嫌なこと死にたくなること痛いことがあった時にも、それを忘れさせてくれる物語や一般の人たちが何気なく放った言葉で勝手に救われたりして、第三者のおかげで私もここまで何とか生きてこれました。人に嫌われるような私みたいな奴でも、それでもそんなふうに誰かに何かに感謝する気持ちは持っているつもりです。

あと、謎なつぶやきになってしまいますが、作り手と受け取り手は永遠に平行線でしかないと思います。両者が互いを理解することはできないんじゃないか、と。でまあ、暴言だとわかってあえて言うのですが、ただ、作り手っていうのはまずスタートが受け取り手だったということが作り手であると、私は言いたいんですよね。まったく何かを作ってない受け取り手でしかいない人は、受け取り手と作り手両方を経験している作り手側のことはなかなか理解はできないのではないかと、そう思うわけであります、私は。だから、どうしても受け取り手よりも作り手のほうが上と思ってしまうのは、しかたないんじゃないかなーって。

作り手が受け取り手に感謝していることは間違いないし、受け取り手だって作り手に感謝しているのは間違いないと思うんですよね。だから、その両者がどうしても相手を理解できないのはしかたないとしても、両者がいがみ合うところは見たくないと私は思います。納得いかないことは確かにぶつけてみて、何かが和解できるというなら意味はないかもしれないけれど、それでも、巷で見受けられる作り手と受け取り手の議論は不毛に私には見えるんですよね。そんな不毛な争いをするよりも、作り手は一作でも多くの作品を作るか、受け取り手は一作でも多くの自分の好きな作品を楽しむかしたらいいのにって、私なら思います。

って、謎なツブヤキのほうが長くなってしまった。(W

私は黙るべき

2008年10月01日 08:56



珍しくもメールフォームからメッセージが送られてきた。どうやら外人さん。メッセージ内容を晒すのってよくないことなんでしょうけど、でもさ、こんな言葉だけなんですよ?


Perfect!Amazing!Super!Thank you very much



なんか褒められてるようなんですけど、何がどうよかったんだかよくわかんないですよね。こういうのにもプライバシーってあるんでしょうか。って、晒しておいて言うのもなんですけど。スパムだったんでしょうか。よくわかんない。


って、そういうことを呟きたかったわけではなくて。


たまたまTwitterをふろついていたら、小説を書き溜めてるっていう人がいて、公開する勇気がないと呟いている人がいたんですよね。勇気、ですか。勇気、ねえ。私なんて勇気はなくても恥知らずな人間でもあるから、自分が書いた小説がどんなに重みがなかろうが、他人から見て下らないと言われそうだよなあと思おうが、ためらいもなく公開しちゃいますけど。確かに過去、二作品ほど公開をためらった作品がありましたが、それは誰かを傷つける可能性があるからという配慮からのことでありました。とはいえ、結局はその封印していた作品もサイトで公開してしまってます。だから、公開できないという人には、自分が思うほど他人はくだらないとは思わないと思うよ、公開してみなよって、昔の私なら言ったでしょう。けれど、今の私にはそういう背中押しはできません。


闘病本を出した大好きな作家がいます。


彼女のその本を読んで、その本に書かれていた言葉を読んで、彼女に当時サイトの日記を「ずっと書き続けてください」と背中を押し続けたことは、もしかしたら間違ったことだったんだろうかと思ったんですよね。私は彼女の書く物すべてが好きだった。だから読み続けたいと思って、あの騒動の時に日記や本のあとがきを書くのをやめてしまおうと思ったと言う彼女に、やめないでくれてありがとう、これからもずっと読みたいですと言った。まあ、私一人が言ったからというわけじゃないでしょうけど。でも、確実に私もその一人ではあるんで、そういった声があるから、だから彼女は続けていくことにしてくれたわけです。間違いなく私も加担していた、彼女のストレスの原因を作ることに。


どうしようかと悩んでいる人に、私のような人間は「こうすればいい」と言ってはいけないんだと、最近ひしひしと感じています。


的確なアドバイスができる人ならいい。けれど、私はそんなの無理だ。相手のために立ってのアドバイスじゃないから。私は黙ってしまうべきなんだと、そう思ってしまった。そういった意味での他人への関わりは、私には無理だったんだ。必ず相手を不幸にしてしまう。今までずっとそうだった。それに気がつかなかった。やっぱり私は一人で自分語りだけしてればいいんだ。他人に絡むな。自分のことしか考えてないくせに。私に他人を救うアドバイスなんてできないんだよ。それを思い知った、大好きな人の本だったな。


だから、公開をためらっている人は、他人の言葉じゃなく、自分自身に問いかけてほしい。公開したいのかしたくないのか。自分で考えて答えを出してほしい。