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芸能人は自分の病気を発表して欲しい

2008年10月31日 09:09



今朝は知り合いが宇多田ヒカルの日記が久々に更新されたと自分の日記に書いていたのだけど、その更新された宇多田ちゃんの日記をMarumamekoさんがブクマしてた。そこで宇多田ちゃんの書いたものを読んでみた。知り合いは芸能人のブログはつまらないからほとんど読まないと言っていたけど、この宇多田ちゃんの日記は以前から読んでると言ってただけあって、確かに彼女の書く日記は読み応えがある。でまあ、今回の日記を読んでいて彼女が何年か前に婦人科系の病気をしたことを書いていたのだけど、そうだったよなあ、ちょうどあの時も彼女のことがあったんだよなあと、思い出したんだよね。これはまあ前にも日記で書いたことではあるんだけど。

私は季節の変わり目には必ず体調を崩す。それはもう15年くらい前に胆のう摘出手術をしてからずっとのことなんだけど、宇多田ちゃんがちょうどその婦人科系の病気になったとTV放送された時期にもいつものように体調を崩し、病院でいろいろ検査してもらったけれどまったく異常なしと出て、途方にくれてたんだよね。その時期もまだ玉姫様(注:生理のこと)が定期的にお渡りにならないということもあり、すがる思いでそのことを医師に伝えた所、「お、宇多田ちゃんのを見てそう思ったのか?」と先生に言われたわけ。そういうつもりじゃなかったけれど、確かにTVで見たことは見たし、タイミング的にその話題を出すってことは、無意識にそういう気持ちが働いて口をついて出たのかもしれないと思い「はあ、まあ…」といったふうに肯定はしたんだけど。そしたら先生がこう言った。「芸能人がああやって病気のことを正直に発表するっていうのもいい効果があるもんだよな。こんなふうに勇気を出してくれる人がいるわけだから」と。ということで、すぐさま婦人科に回されて子宮ガン検診をその場でしてもらったわけだ。

とまあ、それだけのことなんですけどね。(笑)

ところで、Marumamekoさん、そういう意味(どういう意味だ?^^;)での銀婚式・金婚式は迎えられるとは思っています。ただ、そこまで生きているかどうかがどうも信じられなくて。だから、ちゃんと生きていたらとは思っているということなんですよー。どんなことが起きるか本当にわかりませんものねえ。なんて言って、しぶとくババアになっても生き続けてたりしてるかもしれないし。とまあ、以上私信でした。(W
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私はよかった

2008年10月30日 23:21



Dカテに入れるほどじゃないバレバレなことを書きます。(笑)

昨日子供さんが生まれたある方の記事を読みました。その記事で引用されていた作家さんの言葉に父親になったから書けたという小説のことが書かれていたんですが、そうだよなあ、私も母親になったからこそ書けた小説があったよなあと思ったんですよね。しかも、その小説が投稿した作品の中で初めて認められたという。まあ奨励賞というトップじゃない認められ方ではあったんですが、自費出版ではなく、本に掲載していただけた初めての作品になったものでした。

すべての人が親になったからよかったという運命が待っているわけではないので、私としては、他人に軽々しく「親になるべきだよ」とは今は言えないなあとは思っているんですが、でも、少なくとも私は親になってよかったと今は思っています。いろいろと諦めなくてはならなかったものとかありましたし、私自身が死ぬまでどうなるかはわかりませんけれど、今現在は確かによかったなあと思っています。

間違いなく、私は子供を持つことで成長しましたから。

書かれたくないなら閉じるべき

2008年10月30日 13:13



ある記事のコメント欄に、その書かれている記事内容に反論とか批判とかを長文で書いたり、自分の主張を長々と書く人って確かにいる。そして、そのほとんどが嫌われているっていうのもまあわかる。ただ、現在はブログというものが主流になってきているから、そういった反論や主張などは相手側のコメント欄ではなく、自分のブログでできるということもあり、どうしてそうしないのだという声も聞かれて、それは確かにそうだよなあとは思うんだけど。

すべての人がサイトなりブログなりを持っているわけでもない。そりゃ簡単にサイトもブログも開設できるわけだから、それやって記事立てしろよというのもわかるけれど、そんなふうにそれだけのためにサイトなりブログを作るのもなあと思わないではない。私はそれでも別にいいじゃないとは思うけど、中には、これからもずっと何か活動していくならまだしも、一つの反論・主張をするためだけに作ったサイトなりブログが続いていくはずもなく、結局は一つの議論が終わればそのまま放置、そして、無駄なスペースがウェブ上に残ってしまうとなることに不快感を抱く人だっているだろう。それが検索で引っかかったひにゃあ、「検索してもゴミばっかり!」と憤る人も出てくるわけで。

確かにトラックバックなどで有意義に議論すればいい、もわかる。けれど、個人的には同じ場所に議論は集結しておいてほしいなあとも思う。あっちいったりこっちいったりして読むよりは、同じ舞台に双方の意見が書かれているほうがいいよなあ、と。だから、私としては、別にコメント欄に長文書く人がいてもいいよ、と言いたいんだけどねえ。いけませんかね、長文コメント。そりゃね、長文コメントをもらって嬉しかった過去のある私だけど、その長文のほとんどが自分の書いたものへの好意的な感想(もちろん、肯定的なものばかりではなく、否定的な意見もあったよ、でもそれでも好意的な感想だったと私は思っているし)であったから嬉しかったということもあり、長文ではなかったけれど、質疑応答が延々と続くような書き込みには辟易した経験もあったりして、コメントはこうであってほしいなあと言われる人の気持ちもわからないではないんですけどね。

だけど、何かを書いていて、コメント欄や掲示板を設置していたとしたら、やっぱりどんなものを書き込まれようとも甘んじて受け入れなくちゃなあと思う。それが嫌なら、コメント欄は閉じるべき。そうすれば少なくとも自分ちに長文コメントは書かれないわけだから、さ。

多様性のある創作

2008年10月30日 09:19



創作するのに経験がどうのこうのというのをチラッと見たんですけど、まあ、確かに小説なんか書くのに、経験って大事だなあと思うことはあるし、経験に基づいた描写は経験していない人が書く描写より奥は深いと思います。具体的に言うと、私は車の運転ができません。ということは、車を運転している場面は描写ができないんですよね。ただ「車を運転した」としか書けない。これが車の運転のできる人だったら、もっと書き込めるわけです。前に梓さんが、会社勤めをしたことのない自分にはサラリーマンのことは書けないと言っていたんですけど、それと同じように私には極道の世界は書けません。いやまあ、政治家のことだって書けませんし、警察官の仕事だって書けませんけれど。もちろん、自分とはまったく関わりのない世界を書く場合、取材とか、実際にその世界に飛び込んでみて短期間の体験をしてみることで執筆するっていうことをしている作家だっているわけですから、体験してみればいいわけでしょってなるんですが、別にね、本物の世界を小説世界に求めるだけが文学じゃないと思うんですけどねえ。

小説をどういった理由で書くかでその書かれた小説の価値も人によって変わってくるんじゃないでしょうか。私は自分のやりたいこと叶えたいことを叶えるために小説を書いてきました。だから、経験で書けるような世界じゃなく、リアリティのない世界になってしまうのはどうしようもないわけです。でも、そういうのを読みたいと思う人だっているはずで、そういった世界観を望む人には経験で書かれるようなものは求めていないんじゃないかなあ。すべての小説を同じ目で見てほしくないんですよね。ただ夢を見たいだけの小説には経験など必要なく、いかに夢を見せてくれるかが大事になってくると私は思うんですよね。経験に基づく描写だけが夢を見せてくれるとは限らないんですよ。つまり、奥が深い描写だからといって誰でもが感動するとは言えないってことです。

だから、創作には時には経験など関係なく、ただの妄想だけで創作されたものも大事というだけのことなんです。

何が逆鱗になるかわからないからねえ

2008年10月28日 10:28



あーあったなあ、友達まで公開のマイミク日記に書かれていたいい言葉を取り上げて、友達まで公開の私のmixi日記で自分語りしたところ、今回はいいけど次はやめてねーと言われたことが。いやまあ確かにそう言われてもしかたないけれど。相手は言及されたくない人だったんだろうし。私なんて当時のマイミクが5人程度だった上に、その人とは接点のない人ばかりのマイミクだった。しかも、取り上げたと言っても、そんなにマズイことじゃなかったと判断したわけだけど。ただ、ライコス時代にも、似たような取り上げ方をして絶縁されたことがあったんで、何が相手の逆鱗に触れるかは本当にわからないなあとは思った。自分の日記が友達まで限定にしていても、それでもダメなんだなあと。

でまあ、ノイズでは以前は言及というか、その記事を読んだから「こんなん出ました~」的にリンクをはって書いてはいたんだけど、今はそういうのはしていない。人によってはどんなものでも自分の記事を読んで、ノイズがどんなものを書いたのか読みたいと思う人もいるんだろうけれど、少ないながらも取り上げられたくないと思う人だっているだろうし、どうしてそんなふうになると思う人もいるだろうから、ここでは何を読んでこの記事が出来たのかは明記しないようにした。ただ、自分のための備忘録として、はてブで自分の記事をブクマした上で、コメント欄にこの記事を読んで出来た記事っていう具合にリンクは残している。後に、ああ、これを読んで私はこれを書いたんだなあということで。ほとんど自己満足ですな。それがカテゴリDなんだけど。なんでDであるか、それはまあ何人かの人にはわかることかと思われ。(W

プラスとマイナスで惹かれ合う

2008年10月28日 09:57



mixiといえば、私はほとんどマイミク申請をされることがない。別にマイミク申請について「コメント強要しない人」なんてことを書いてるから申請がないんだってことではないと思う。そういうのを掲げる前から、知らない人からは一度も申請されたことないし、知ってる人からは二人しか申請されなかった。一人はもう退会しちゃったんで、現在のマイミクで向こうから申請してくれたのはたった一人ということ。いかに私が嫌われっ子であるかわかるというもの。(W

そりゃそうだろう。日記に反応し過ぎてコメントつけまくる人って嫌われるみたいだからねえ。そりゃ私とはマイミクになりたくないっていう人も出てくるのはしかたない。でもさ、日記に反応してコメントつけてほしいって思う人、私ほとんど見たことない。なんかmixiでストーカーっぽい経験をしたことがあるという人の記事を見たことがあるんだけど、あれかな、コメントつけたい人とつけられたい人って相容れない同士なのかもしれないな。もしかしたら、コメントつけられたいって人は、当たり前にコメントをつけられたいわけじゃなく、なかなかコメントを残さない人のコメントがほしいと思ってるのかもしれない。って、勝手にそう思ったんだけど。

それというのも、以前、ほとんどコメントをしない人がいて、けれど、その人のファンは何人かいて、ごくごくたまにその人がコメントを残した時に、なんか奇跡が起きたってくらいに喜んでるのを見たことがあるんだよね。たぶん、コメントをあまり残さない人、反応しない人が、私には反応してくれたーコメント残してくれたーと、特別な存在になったかのように感じるのかなあ、と。だから、コメント攻撃が嫌いな人にコメントくれくれ族が集まるのかもって。あれかな。コメント攻撃嫌いな人とコメントくれくれ族はプラスとマイマスでどうしても惹かれ合うのかもねえ。って、ただの想像だけど。(W

でまあ、私の場合、今はほとんどコメントを残すことはない。たまにどうしてもコメント残したくて残すことはあるけれど、できれば自分の日記でコメントする、つまりは自分語りをするっていう形にしてはいる。だから、なるべく相手から答えが聞きたい場合のみコメントを残すってことにしたいとは思うんだけどね。でも、時々日記に書くほどでもないことを相手のコメント欄に残してしまうこともあるんで、そういう場合は、相手のレスはまったく期待はしないようにしてるよ。

これが私

2008年10月28日 09:20



はてなのサブアカ(グループ日記を書いているID)でブクマしていた記事を整理しているところなんだけど、おもしろい日記を書こうって人はmixiじゃないほうがいいと書いている人の記事をブクマしてた。

昔は私はサイトで日記を書いていたわけで、自分で言うのもなんだけど、それなりにおもしろい日記を書いていたと自分でも思ってた。そんな私の日記を「おもしろい」って言ってくれる人もいたし、それがお世辞で言ってるわけじゃないっていうのも感じられてたんで、おもしろかったんだろう。もちろん、おもしろさの感じ方が違う人からは「つまんねー」と思われてたのも確かだろうけどね。それがライコスというコミュニティで日記を書き始めて、さらにおもしろさは増してたんじゃないかなあなんて思う。ライコスではIDを削除しては新しく作り、そのたびごとに文体を変えては雰囲気の違う日記を書いていたから、日記を書くというよりは小説を書いている気分で書いていたようにも思う。もっとも、書かれる内容はちゃんとした日記で、創作で書いているわけじゃなかった。ネットを始める前に書いていた日記を、現在の日記といった形で書くくらいで、ちゃんと過去にあったことを書いてはいたし。まあ、昔の香りがしないように、多少は整合性を持たせるための嘘は書いてたけれど。

それからライコスが崩壊して、今度はブログで日記を書き始めた。ブログってライコス時代に書いていたのと同じ感じなんだよね。トラバや記事ごとにコメントがつけられるってことぐらいが違うだけで。トラバにしても、似たような機能はライコスでもあったし、アクセスにしたって、解析とは違うけれど日記を登録してくれている数もわかるようになってたから、どれだれの人が見てるかっていうのも把握できてたし。でも、ライコスは崩壊した。ライコスではもう書けなくなった。時々ライコス時代はよかったなあと思うことがある。あの頃が私も一番積極的に新しい人と繋がろうとしていた時期だったからねえ。おもしろい日記を書く人と知り合うことが楽しくて、それでどんどん声をかけては友達になっていった。もちろんトラブルもいろいろあったけれど、それさえも今はいい思い出だったなあと思えるようになった。

ブログに移行してからも、しばらくはそういう新規の知り合いを開拓することはやってた。ただ、昔みたいに相手と密な関係を築くっていうのはなくなったように思う。互いにメッセージをやり取りして、互いの胸中を交換しあうようなものじゃない、そういった薄い関係。それは時として、相手が本当は自分を嫌ってるんじゃないかという疑心暗鬼をもたらすこともある。もちろん、そうじゃない人もいるんだろうけど、私の場合は、よほどの相手じゃない限りは、どうしても相手に疑心暗鬼をしてしまうタイプだった。今の私にとって、疑心暗鬼を生み出さない相手って三人くらいしかいない。だから、それ以外は本当は密にコミュニケーション取らないとダメだよなあとは思ってはいる。でも、相手はそういった濃い関係を望んでいないとは思うんだよね。なかなかいないと思うよ、濃い繋がりを望む人って。たぶん、私の知り合いには一人もいないんじゃないかと思っている。だって、望んでるなら、しつこく私に関わってくるだろうと思うから。そんな人いないしねえ。

で、mixiだけど。これは友達が招待してくれて、それで始めたんだけど、最初は日記は書いてなかった。その友達は当時は音楽素材の提供サイトをやってた人で、その人を応援したいがためにmixiを始めたに過ぎなかった。ところが、日記を書き出してしまうようになった。仕事を始めるちょっと前だったんだよね。だから、仕事関連のことをmixiで書けたらいいかなあ、こういうのは公の場所では書けないしなあということでmixiで日記を書き始めた。ただ、やっぱりmixiでも仕事のことを書くことはなかなかできなくなっていった。閉じてる場所だとはいえ、どうしてももしかしたらもれてしまうんじゃないかという気持ちがどうしても拭い去れなくて、それで仕事のことも書くのはやめてしまった。けれど、仕事のことや日常のことは事細かに書いておかないと、後に参考にできなくなるということもあり、毎日書くことは書いている。どこで書いているかはまあ内緒。一応、書いたものを編集して、今では日記サイトで公開してるしね。ほとんどオリジナルとの違いはない。オリジナルでは仕事場の同僚の本名を書いてるんで、それを伏せたり、あと、仕事内容をそのまま公開するわけにいかないんで、それも多少ぼかして書いて公開してはいる。

mixiでは今は日記は書いていない。mixiで日記を書いている人の日記を読みたいから、だからIDはそのまま残しているし、時々メモ程度に追記という形で今は書いているくらい。あと、日記サイトとマイスペのURLをマイミク用の告知として載せてるくらいかな。もっとも、日記サイトは、このノイズでも一時期リンクしてたんで、昔からノイズを読んでる人はURLは知ってるだろうし、マイスペだって、別ハンでやってるわけじゃないんで、すぐ見つかるだろうと思う。さすがにグループ日記のURLは載せてないけれど。ただ、マイスペでは、私のエッセイブログと過去日記ブログのURLを載せているので、マイスペでフレンド申請してくれれば、エッセイブログでの私の別の顔が見れると思うし(大した秘密じゃないけれど)、過去日記ブログのIDはドリコムでのIDと一緒ということで、ドリコムの私のブログも探し出せると思う。まあ、そこまでして私の書く物を読みたいと思ってくれる人がいるとは思えないんで、なんかすごい傲慢なこと書いてるぞっと思われちゃうんでしょうけど。でもそれが私という人間の本質。バリバリ選民意識の塊。いい人ぶってたってしょうがない。私は私だ。これが私なんだから、そういった私でもいいよと思ってくれる人だけ、よっといで。って感じどぇす。(W

事情っていうものもあるんだよっと

2008年10月27日 21:00



昔昔のことでした。(といっても、ネットするちょっと前のことだけど)地元新聞の読者投稿欄にセッセと図書券稼ぎのために原稿を投稿してた頃、この話は以前にも日記に書いたんですけど、お中元やお歳暮について否定的なことを書いた私の原稿が掲載され、それを読んだ幼馴染が「あれはちょっとないと思った。職場のみんなもみんな同じこと言ってたよ」と教えてくれたことがありました。かいつまんで言うと、その時期にデパートとかの特設会場に並べられた品物を贈るより、日頃からちょっとした時にでも、ちょっとしたものを気軽に贈ればいいじゃないかといったようなことを書いたのです。で、かなり私に対して批判の言葉が飛び交っていたとか。まあ、読者投稿欄に常連のように掲載される人のもとには、電話とか郵便とかで誹謗中傷の声や手紙が届けられるのが常でして、私も一度「あなたはバカである」というハガキが送られてきたこともありました。そのお歳暮を否定した私の原稿を不快に思った人たちも、場合によっては直接私に「あなたの考えはおかしい」だのといった声も届けられたかもしれません。幸い、そういった行動をする人たちじゃなかったので、直接にはこなかったわけですが、たまたま、その声を聞いた友達(その友達も不快組の人だったんですけど)が、わざわざ私に伝えてきたわけですが、ただ、その友達は、私がお歳暮を全面的に否定しているという書き方じゃなかったから、まだいいかなあというふうに理解は示してくれたんですよね。

私の場合、ほんとに中元・歳暮を真っ向から否定しているわけじゃないんですよ。日頃からお世話になってる人に感謝の気持ちとしての贈り物は贈りたいと思っています。けれど、それをね、中元・歳暮のコーナーに並べられた何千円・何万円もの品物を贈るのに否定的な気持ちになってしまったんですよね。お金のある人ならそういうのもいいでしょうけど、うちははっきりいって貧乏です。まあ、もっともっと貧乏な家はあるんでしょうけど、まずは自分たちの暮らしを安定させるのが最優先じゃないかと思うんです。中元の定番品よりも、もっと安く、手軽でちょっとしたセンスのあるものを、夏とか冬とかじゃなくて、春とか秋とかになって贈るのだっていいじゃないか、と。それのどこが悪いんだって思いましたけどね。私の場合なら、この間もいつもお世話になっているお友達に手作りの本を贈りましたよ。そういった贈り物だって立派な中元・歳暮になると思うんですけどねえ。

ある行動や発言に不快感示すのは勝手ですけど、どうしてそういった発言や行動がされたのか、もうちょっと想像してみてほしかったなあと、当時はそう思ったものでした。そんな中で、私の発言をきちんと受け止めて私の言いたいことをちゃんと汲み取ってくれた幼馴染みたいな人もいるわけですから、何でもかんでも「嫌だ、嫌いだ」と否定せずに、相手の事情っていうものも考えて欲しいなあ。みんな、あれですよね、どんだけいい暮らししてんだか、ですよね。

自由には責任がついてくる

2008年10月25日 22:19



自由って必ずしもいいことばかりじゃないよね。自由にあれこれして何か問題が起きた場合、それには責任っていうものだってついてくるっていうのが当たり前ってことは誰でも知ってることだと私は思ってたけど。私にも関係あるけど、言論の自由っていうのも、やっぱり自由という言葉がついてるわけだから、言論の自由があるのなら、その言論の自由の下に発せられる言葉で何か問題が起きた場合に、それ相当の責任は負わなくちゃならないってことだよなあ、と。

どんな言葉で誰が傷付くかはわからない。だから、極論で言えば、誰かが傷付くかもしれないと考えずに言葉は発してもいいと私は思っている。あと、明らかに誰かを傷つけてしまうとわかっている言葉であってさえも、時には発しなければならないこともあるって私は思っている。それで傷付いた人は、他人の気持ちを理解できることもあるから。私は実際そういう経験をした。相手が、私が傷付くとわかってて、それでもそれを発していたことがあったんだ。それはもう、相手は明らかに私を傷つける目的でその言葉を公開したわけだ。ただ、相手はそれを公開することで、自分自身をも傷つけてしまうとわかっていた。それがその人の覚悟だった。

自由には責任がつきもの。その責任をきちんと取る覚悟さえ持っていれば、どのような言葉でも叫んでいいと私は思ってるよ。

シンプルより気持ちいい文章

2008年10月25日 09:25



今朝は、ある人のブログに書かれていることを読んで、それについてノイズで書こうかと思った。書かれている内容に反論めいたことなんだけど、それは違うよ、そうじゃないよ、こんなことを言ってる人もいたよって書きたかったんだけど、その「こんなことを言ってる」のその引用する文章を過去にどこかで書いたはずなんだけど、探し出せなくてちょっと断念。こんな感じのことを友達は言ってたと書く事もできないこともないんだけど、とりあえずここはオープンな場所だし、その引用しようと思っていた友達もここを読んでるはずなんで、へたなことは書けないと思い、こんな感じ~っていうのはグループ日記に書いておいた。グループ日記を読める人は読んでやってくださいな。でもまあ、過去に日記に書いたと思うんで、いつか見つかるとは思うんだけど、今は時間もないことだし、それを探すためにまた日記の読み返しをするのもなんだしねえ。

さて、今朝はブクマをつらつら見ていて、Marumamekoさんがブクマしてくれているのを発見。(笑)

私も「シンプルな文章」を心がけたいと、思っていたところ。27回目の結婚記念日にブクマ(笑)


私は別にシンプルな文章を心がけてるつもりはないんですよね。自分にとって一番読みたいと思える文章を書いているにすぎませんから。まあ、人には好みっていうものがあるんで、私と同じような感性の人なら、私の書くこの文章も好きになってくれて読みやすいって思ってくれるんでしょうけど、感性のまったく違う人からすれば、やっぱり「読みにくい」「気持ち悪い」「ぐちゃぐちゃ」という気持ちしか持てないでしょう。だから、いくらシンプルな文章を目指したからって、すべての人に「シンプル」となるかどうかはわからないんじゃないかなあとも思うんですよ。でも、多くの人に受け入れられる「シンプル」っていうのもないわけじゃないと思うんで、そういうのを目指せばいいんでしょうね。で、私は別にそういうのは目指すつもりない。だって、それが自分が書きたくないような文章だったら苦痛でしかないもん。私は自分が気持ちいいって思える文章しか書きたくないから。とまあ、そうなると、多くの人に読まれないんだぞっていうのは覚悟しなくちゃならないってことですよねえ。

つーか、今気づいたけど(笑)、27回目の結婚記念日ですか! それはすごい。27回目の記念日が、私もいつか迎えられたらいいなあと思うんですけど、あと8年かあ。それまでちゃんと生きてるかな。(爆)
ともあれ、Marumamekoさん、おめでとうございます。

あ、あと。私も「かしらん」はよく使いますですよー。(W

シンプルな文章

2008年10月24日 22:13



昨夜、そういったメッセージをもらいました。「シンプルな文章」だと。初めて言われたことなんでちょっと新鮮でした。昔、2ちゃんで、ぐしゃぐしゃだかぐちゃぐちゃだか、そんなような文章だと言われたことはあったし、なんというか、大げさで恥ずかしくて気持ち悪い文章だとか、そんなふうに言われてきた私の文章なんで、シンプルな文章だなんて言われて、そりゃ嬉しくないわけがないです。そう言っていただけてありがとうございます。しかも、19回目の結婚記念日にもお祝いの言葉までもらっちゃって。ここは素直に嬉しく、ありがとうございます。

文章のことといえば、今朝あるブログでこれは作家に対しての批判なんだけど、垂れ流しより気合の入ったものが読みたいと書いている人がいた。このブロガーさんは別に素人さんにまでそれを要求するわけじゃないけれど、だけど、人によっては素人の書くものに対しても垂れ流しするなとか、ちゃんと書けよとか言う人もいる。きっと、そういう人にとっては、私の書くものなんて垂れ流しのくだらない、読む価値もなくて、うっかり読んでしまったら時間の無駄だったと思う文章なんだろうなあ。

ま、無理して書くもんじゃないしね。作家は書くことでお金を得るわけだから、いろいろと無理もしなくちゃならないんだろうけれど、私は書くことで稼いでいるわけじゃないんだから、誰が何を言おうとも、自分の好きに垂れ流ししていくつもりだもん。

こだわりはない毎日更新

2008年10月24日 09:24



ちょっとここでも続けざまに更新が続いてるんですけど、何でも毎日更新しているあるブログがとうとう毎日更新がストップしてしまったということで、それを取り上げて記事を書いている人がいた。(誰のことかバレバレだよな)取り上げて記事を書いた人はFC2の予約更新で毎日更新されている人ですけれど、私もその予約更新を最大限に利用して、ネットを始める前に書いていた過去日記を毎日更新で投稿し続けています。転載を始めた最初の頃は、それでも毎日ログインしては一日づつ転載していたので、たまに更新ができないときもあって、一日抜けたりすることもありましたけど。どうだったかな。もうその頃には予約更新って始まってたのかな。ちょっと思い出せないんですけど。けれど、今では予約更新を重宝してます。もちろん、基本は毎日朝にログインしてはその時にログを書いて更新なんですけど、旦那が仕事のシフトの関係で朝に帰ってくる時なんかは、前日の更新の時に二日分書いてひとつは次の日の日付にしておいての予約更新にしておくんですけどね。ログインしなくてもいいように。

私の場合の毎日更新は、こだわりがあっての毎日更新ではないですね。ネットをはじめる前に書いていた日記ですから、それこそ40年分の日記なんです。毎日一日分更新していけば、40年更新し続けなければ現在に至らないわけで。ただ、一日たりとも抜けていないわけじゃない日記でもあるんで、40年といってもきっちり40年分じゃないんですよね。それでも相当の量はある。一日一ヶ月分とか何ヶ月分づつ更新っていうのもできないことじゃないけれど、確かここも大量投稿なんてできないはずだから、それもまあできない。やるつもりもないけど。少ないながらも読んでくれている人がいるみたいなんで、そんな大量に投稿したら迷惑だろうしねえ。

ちなみに、その過去日記ブログですけど、ほんとに自分だけのために更新し続けています。非公開で書いているわけじゃないんで(ただし、HNは違う)アクセス解析ももちろんつけてます。もう一年は過ぎたはずですけれど、検索でたどり着くっていう人も今の所はほとんどありません。公開していても、これだけアクセスが少なくやっていくこともできるんだなあとほんと思いました。誰にも絡まないっていうのがいいのかもしれませんね。もっとも、積極的に絡んでいっても、ノイズブログはあまりアクセスはあがりませんでしたけれど。ネガティヴに捉えれば、これもみんなに相手にされてないからだ、となるんですけど、ポジティヴに考えれば、ここを大切に思ってくれて、それで多くの人に紹介しないでおいてくれてるんだろうとも思えます。ただ、嫌われっ子ノイズちんだという自覚はちゃんとあるんで、そこまでここを大切に思ってくれる人はそんなにいないとは思いますけどね。一人二人はそう思ってくれてる人はいるみたいなんで、それだけでもう十分です。

いいも悪いも体感しなきゃ

2008年10月24日 07:55



成績のいい生徒に賞金あげるなんていうのが外国の学校でやってるというのを聞いた。お金じゃないけど、そういうのって昔からまったくなかったとは思わないけれど。お金や物じゃなくても、私の小学生の時なんて、専用の予習復習のノート(自分で用意したのか先生が生徒に用意してくれたのかちょいと覚えてないけど)に金色シールやら銀色シールやらを貼ってくれて、それをいっぱい集めたいからという理由で、みんな競って予習・復習したという思い出があるから。ほんとはそういった形でやる気を出させるより、授業じたいを興味ある方向に導いて積極的に勉強したいって思わせることが一番いいいことなんだろうけどねえ。ただ、だからといってそういうやり方を非難もできないよなあ。先生すべてが指導上手ってわけでもないし、すべての先生を教え上手の人じゃないとダメとシャットアウトもできないだろうしね。そんなこといったら誰も先生のなり手がいなくなっちゃいそうだし。先生って、最悪な人間は問題だけど、いろいろなタイプの先生がいるのがいいと私は思っているんだよね。いい先生からはいい影響を、悪い先生は反面教師にして「こんな大人には絶対なるもんか」と思わせたり、この手のイヤな人間への対処方法を自分で考えたりすることができるんじゃないかと私は思ってるから。いい環境だけで育つのって、社会に出てからすぐに潰れそうだと私は思ってるんだよね。そりゃ絶対にそうだとも言えないだろうけれど、いい面、悪い面っていうのは子供の頃からちゃんと両方体感できないとなあって。

旦那の心だけはガッチリと(笑)

2008年10月23日 23:06



男心だとか友達心だとかはなかなか思い通りにガッチリとつかめないんですけれど、旦那の心だけはガッチリとつかめる自信は持っているあたくしです。(笑)

もともと旦那のほうから私にゾッコン(ふるっ)になったんで、今はどうあれ、旦那と付き合いだした頃あたりは、私よりも旦那のほうが私に対しての思いは強かったんですよね。どっちかってーと私は「あらー好かれてるわーなんかすごく気持ちよくない?」っていう、ちと傲慢な気持ちしか持ってなかったと思う。それまでが、自分の好きな人しか見てない人間でもあったんで、私を好いてくれる人なんかまったく興味ない、どうでもいい、むしろ寄ってくんな、あっちいけしっしっという、今思うとなんかもうあんたもったないことを~と昔の私のお尻でも叩いてやりたいくらいに思ってるんですけど、心境の変化なのかなんか知らないけれど、旦那に告白された時に、ピシャッと断ることができなくて、それでまあ流されるままに付き合いだしたわけですけれど。

なんだろうな。まったく私の好きなタイプじゃなかったのにねえ。だから、やっぱり最初は本当に私はこの人を好きなんだろうかっていう気持ちは拭えなかった。けれど、一緒にいるのは楽しかった。それは確かだった。正直言うとずっとずっと「本当に好きなんだろうか」という気持ちは心のすみっこにあったように思う。けれど、最近になってやっと、ああ、私は旦那をほんとに好きなんだなあ、心から愛してるんだなあってハッキリと実感するようになったんだよね。結婚19年目にしてやっと。ほんと時間かかりすぎだよ、まったく。(--;

つーか、そういうことを言いたかったわけじゃなくて。(爆)

旦那の好きなタイプっていうのはしっかり把握しているわけです。ええ、そりゃもう19年一緒にいますからね。付き合いだした頃も入れたら24年です。(あら長いわねえ)どんな女の子が好きなのかはよーくわかってます。どう振舞えば旦那の心を「鷲掴みっ」できるか、そんなこと簡単じゃーんな世界なんですよ。男心を捕まえるとか、女心を捕まえるとか、そういったことじゃなく、やっぱ「その人」を捕まえることを相手のいない男女は考えたほうが一番彼氏彼女ができる近道じゃないかと思うんですけど。ただまあ、私は「その人」を捕まえることはできませんでしたけど。つまり、私には「旦那」しか掴める技を持ってないということですな。うまい具合にそういう「運命の人」に出会えて、ほんと私って超ラッキーな女だったということなんですねえ、はい。結局ノロケとなってしまいますた。(W

うわあ、ひとごとじゃないよなあ

2008年10月23日 22:00



話題乗り遅れてるかもしれないけれど、なんでも三人組の女の子が歌ってるグループのファンの旦那さんの奥さんが、旦那さんにその三人組の音楽を一切聞くなとか、グッズをオークションに売れとか言われて離婚の危機になったとか。何だかなーひとごとじゃないなあと思ったんで、つい反応。(笑)

私なんかも、かなりガクトさんのことでは旦那をイラつかせてるみたいなんだよね。たぶん、私がガクトさんのことばかり話す人じゃなかったら、あんなにガクトさんに対して敵対心持つってことにはならなかったんじゃないかと思う。もっと以前は、ガクトさんの発言なんかでも友達になれそうだとかそんなことも言ってたこともあったんだし。ただ、最近のガクトさんに対しては、その言動すべてが気に食わないらしくて。もっとも、私なんかは旦那との議論ではなかなか勝てることはないもんだから、ガクトさんのやることなすことを弁護しても、結局は言いくるめられてしまうのがオチなんだけど。

けどまあ、昔ライコスで知り合ったとある男性の奥様みたいに、家庭をほとんど顧みることなく、好きなアーティストの追っかけをしてたほどの入れ込み具合じゃないこともあり、CDを買ったりDVDを買ったり雑誌を買ったりすることについてはそんなに目くじらは立てられてない。けど、ガクトさんの話をしつこいほどしてしまうと、やっぱめちゃくちゃ機嫌が悪くなって、かなりガクトさんの悪口を言ってくるんで、あまりガクトさんのことは旦那には話さないようには気をつけている。でもまあ、昔ほどはガクトさんについて話すことも最近はあまりないということもあり、そんなに私もガクトさんのことが話せない辛さ(笑)っていうのはないけれど。少しガクト熱がおさまってきたといったところかな。

意味があってもなくても

2008年10月23日 20:02



とあるブログを読み始めている。そのブログは私のこのブログのようにツブヤキな文章を書いているということらしいんだけど、いろいろな情報を求めてる人とかにとっては、このブログもその人のブログもその人の言うように確かに「意味のない」ことかもしれない。でも、その人がどう思ってるかは知らないけど、私は誰かにとってまったく意味のないこのブログでも、私にとっては意味のあるブログなんだよね。ブログに書く物は意味のあるものじゃないといけないってことでもないと思うしね。つーか、その人だって、意味がないと言いつつも、それでもそうやって書いてるわけだから、ダメって思ってるわけじゃないんだろうな。

私は芸能人のブログはほとんど読んでない。一番読みたいと思っているガクトさんの日記なんてーのは読むことはできないからなあ。まあ、Youさんのブログは誰でも読めるから一番よく読んでいる芸能人のブログってYouさんのになるかな。でまあ、確かに、食べ物の話とか自分の趣味の話ばかり書いてはいるけれど、それでもつまらないとは思わないなあ。なんというか、食べ物の話とか見た映画の話とかはどっちかってーとみんなの話を引き出すために書いてるのかなあなんて思ったりしているんだよね。ブログって本来は日記じゃないんだろうけれど、今はブログという形式で日記を書いている人がほとんどだから、それはもうそういう使い方ってことでしかたないことだよなあとは思う。私も、リニュする前のYouさんの日記をブログの形式じゃないのに日記というだけで「ブログ」と言っている人に違和感を感じたものだったけれどね。

ま、あれですわ、意味があってもなくても、なんか知らないけどドワッと読んでしまう、そういうブログは意味ないってことはないよねえってことで。

どこにいても同じかー

2008年10月23日 16:06



都会がいいよなあなんて書きましたけど、今朝、都会であんなにたくさんの病院があるのにも関わらず、妊婦さんが病院のたらい回しのせいで死んだとニュースで聞きました。たらい回しのせいで、と書きましたけど、別に病院の人を悪く言うつもりはありません。ただ、どのような理由があったにしろ、たらい回しになったのは事実なんですから、それはたらい回しであるとしか言いようがないので、そう書くだけなんですけれど。それにしても、あれですよね、少子化が叫ばれていますけれど、こういったことが大々的に報道されたりすると、子供を産みたくないと思う人たちが倍増しそうですよね。簡単にポコポコ産めると信じ込むのもよくないんですけど、産むのが怖いと思い込むのもまたよくないんでしょうし。まあ、私なんて別に少子化を憂えてるわけじゃないんで、誰が子供を産みたくないだの産みたいだのについて口出しするつもりはないです。年金がどうたらっていうのも言われるけれど、実際、昔、自分たちの年金のためにももっと子供産みなさいよ、なんて言われたこともあったんだけど、そういう問題じゃないでしょって思わないでもないです。いっぱい産んでも、その子供たちがちゃんと払うかなんてわかんないですしねえ。

話戻して。

私が、都会はいい医者や病院がたくさんあるよなあという印象を持ったのは、作家の栗本さんが新作のエッセイで書いていたのを見てそう思ったこともあるし、TVとかでお昼にやってる主治医の見つかるなんたらっていうのを出勤前だから途中までしかいつも見れないんですけど、それを見てて、都会にはすごいお医者さんがいるんだなあ、ああいうお医者さんに診てもらいたいよねえ、でもここに住んでる私にはなかなかそういうお医者さんに主治医になってもらうなんて無理だよなあ、なんてことをいつも思ってて、それで都会に住みたいよなあと思ったということだったんですけどね。

ただ、今朝のニュース見てて、田舎だろうが都会だろうが、結局はどこにいても同じなのかなとも思いました。田舎は医者とか病院とかは少ないかもしれないけれど、住んでる人間も少ないからそれはもうしょうがないし、都会だと今度は住んでる人が多過ぎて、たくさん病院とかあったとしても、医者自体はそんなに多いというわけでもないらしいし、それにやっぱいい医者にはとんでもなく人が集まりそうだし、なかなか私みたいな一般ピープルにはたどり着けないような気がするし。

もうね、あれだね、運しかないみたいですよねえ。なんて達観してるような物言いなんですけど、全然達観できませんよ。今は元気だから(そんなに元気はつらつというわけじゃないけど、もう年なんで。って、45で年寄りなんて言うなって?)こんなこと言ってますけど、いざ病気になったら、かなりギャースカ大騒ぎすると思いますよ。もっとも、本当にそうなったら、ネットどころじゃないと思うんで、私が何も書かなくなったら、私は病気でウンウン苦しんでるんだと思ってください。ああ、なんて辛気臭い。

ということで、昨夜ここのメールフォームからメッセージくださった方、声をかけてくださってどうもありがとうございました。何だかメッセージを強要してしまったようで申し訳ないです。でも素直に嬉しいと思っていますので、これからも大したこと書けないと思いますが、どうぞ読んでやってください。

夢を見せて

2008年10月22日 14:36



ご存知の通り、このブログでもアクセス解析はついてます。ほんと少ないアクセスしかないブログですけれど、検索以外で「ここを読むために」アクセスしてくれている人が少ないながらも何人かいてくれることは嬉しいことです。たとえまったく反応がないとしても、それでも嬉しい。でまあ、私はそのアクセスしてくれる人が読んでくれているとは思ってるんですけれど、アクセスがあるからって本当に読んでいるとは限らないというようなことをついったーで呟いてる人がいました。うん。確かにそうだよなあとは思う。でもさ、たとえアクセスだけして興味ないことが書かれてたから読まなかったとしても、私は嬉しいと思うな。

私は、自己満足のために書いてるわけだけど、誰かに届けたい気持ちで書いてることもあるから、読んでほしいなあと思っている人からのアクセスがまったくないことはとても悲しいことではあるんだけど、それを「その人」に強要することはできないし、たぶん「その人」だって、私の相手なんかもうこりごりと思ってるからこそ、今はもうまったくここにアクセスしてないんだろう。それはもうしかたない。ただ、悲しいよなあと思う気持ちはどうしようもないんで「悲しい」と書かせてくださいとワガママを言うだけなんですけど。

読まれているかもしれないと思える人は幸せだよね。絶対に読まれていないという事実を突きつけられ続ける私はいつになったらこの呪縛から逃れられるんだろうね。一つの呪縛から逃れたとしても、また次の呪縛が待っているというこの悪循環。やっぱり私は何も感じない心を手に入れたい。でも、それを手放してしまったら、今朝見た夢は二度と見れなくなるかもしれないよね。精神的ショックを受けた私の夢に、まるで慰めるかのようにガクトさんが出てきてくれるような夢は確実に見れなくなる。そんな気がしているんだけど。(笑)

都会がいいよなあ

2008年10月21日 21:49



子供が出来にくい身体だとこの間も書いたんですけど、私、実をいうと子供ってほしいと思ってなかったんですよね。(って、前にも日記で書いたことなんですけど、でもまあ覚えてる人もいないでしょうし、最近になって私を知った人もいるでしょうから)子供がいることで様々な制約ができてしまうっていうのも理由のひとつだったんですが、最大の理由は「怖いから」だったんですよ。出産の痛みはものすごく痛いと言いますし、実際ほんとに痛かったし、いくらね、忘れる痛みなんですよって言われてもね、痛いもんは痛いんですから。私がどんなにみっともなかったことか、陣痛が始まってからこっち、病院での私の様子なんてほんと人様に見せられるもんじゃなかったです、はい。

ただ、私の場合に限りですけれど、子供を産んだことは私にとって確かにプラスにはなりました。結果的に。

子供を作らない女性は婦人科系の病気になる確率が高いとは聞いたことがあるんですが、もちろん、子供を産まない選択をした女性のすべてが婦人科系の病気になるわけじゃないとは思います。けれど、私の場合は、知らずにいたことではあるんですが、子供を産んだおかげで潜在的な病気を発見することができ、抱えていた病気をとりあえずは取り除くことができました。話すと長くなるんで、何の病気だったかは語りませんけど(知ってる人は知ってるだろうし。でも婦人科系の病気じゃないよ)、手術をしてくれた医師の話では、患部をそのままにしていたら、いずれはガン化してしまってたかもしれないと、そう言ってましたね。まあ、だからといって確実にガンになってたかどうかは神のみぞ知るなんですけど、そういった恐れは十分に考えられる状況だったみたいです。でもまあ、そのせいで、出産の痛みよりももっともっとものすごい痛みやしんどさを経験してしまったわけなんですが。ほんと内臓系の病気ってしゃれにならないほどの苦痛を伴う病気ですよねえ。できれば二度とそんな経験はしたくないです。まあしたくないって言ってもなってしまったらどうしようもないんですけど。でも、かなり切実に「もう絶対やだ」と強く願ってますけれど。死ぬにしてもほんと眠るように死にたいです。

そういや、その手術での入院では、もれなく採血、点滴が当たり前のように行われていたんですけれど、他の人は腸の検査だの胃の検査だの私のやったことないような検査なんかもやっていて、ヒヤヒヤしていたわけなんですが、結局は私の病気にも内視鏡での検査が必要ということで、初めての胃カメラ経験をしたわけです。バリウム検査もまだしたことなかったのに!(><)
それまでに、毎日の採血や、病気の発作のせいで24時間点滴(実をいうと出産前にも一度切迫流産で2日間ぶっ続けの点滴を経験してました)なんかもやって、注射針をイヤというほど腕にぶちこまれてはいたのですが、この経験のおかげで、注射なんてどこが怖いの~確かに痛いことは痛いけど~劇症膵炎だのなんだのといった痛みに比べたらほんっと蚊に刺されたようなもんよ~となっていったもんです。ああ、子供の頃の注射が怖くて気分が悪くなったいたいけな少女はいったいどこにいってしまったやら。
だから、採血も嫌だし、点滴の留置針など絶対入れられたくない、なんて言っている人を見ると、あんた何言うてんの、あんなもんヘでもないわよ、って言いたくもなるんですが、そこでハタと気がつくわたくし。私が胃カメラをせんといけんことであまりの恐怖で過呼吸症候群に陥ってしまったのを、苦笑しつつ精神安定剤を打ってくれた医師は「こんなもん○○に比べたらヘでもないのに」と思ってたんだろうなーと思いましたねえ。

やっぱ、あの胃カメラをどうにかしてもらいたいです。あれはどうしても慣れない。10年前にやって、あれから10年経ったんだから、きっとだいぶ楽になったんだろうって思ったら、まあっっったく変わってなかったんで、心底ガッカリしたもん。やっぱ飲むカメラがいいよなあ。つーか、都会はいいよねえ。いい医者や病院が田舎よりたくさん存在すると思うし。病気のことを考えると、ほんと田舎じゃなく都会に住みたいと思いますです。

渇望はいつか満たされる

2008年10月21日 07:04



ネットで私も今では新しい関係を築こうという気持ちはないかもしれない。どんどん新しい人と友達になっていくのはネットを始めてから一年か二年くらいまでで、それ以降はあまり積極的に誰かと知り合おうとは思わなかったな。それはまあ、それまでに何人もの人といろいろな事情で決別したからでもある。あまりいい別れをしなかった誰かが新しいハンドルで何かを書いてて、またその人と知り合ってしまうということもないわけじゃなかったんで、それは何だかイヤだなあと思ったこともあったから。相手もたぶん似たような気持ちを持ってただろうしね。近づいてくんなよって。なんのために新しい自分になったと思ってんだって。ただ、そんな中でもどうしても親しくなっていくこともある。その人がかつて別れたその人だったかどうかももうどうでもいいやって思えるくらいの相手が見つかることも。

そんな時、過ぎる日々、無二の相手と信じていた人と身を切られるような別れをしてしまい、いつまでも忘れられないと嘆いては何度もその人のことを思い出した記憶を、やっとのことで思い出の箱にしまえた瞬間になる。

そんなふうに人って癒されていくもんだと私は思うんだけどね。

昔の私今の私未来の私

2008年10月20日 09:39



昔、↑と似たようなタイトルで文章を書いて新聞に投稿したことがあったなあ。もちろん掲載されましたけど。(爆)

昔の私は自分の人生が明るく希望に満ちたものだと思っていた。

いつの日か多くの人に「あなたの書いたものはおもしろい」と思われる作家になるんだと信じていたし、自分が書いている世界がもしかしたら叶うかもしれないと、特別な選ばれた人間になるんだと(簡単に言うとエスパーになれると)信じていた。それを思うと身震いして一人感動したものだった。ほんとだよ。(笑)

私はそれくらい傲慢で自己中心的な子供だったのだから。(今もそうだったりして)

私は私ほど不幸で誰も私のことをわかってくれない人間はいない、なんて不当な扱いしか受けていないかわいそうな子供なんだろうと思い込んでいたのだから。だから、いつかきっと私は認められる。親からも友人からも親戚からも近所のおばさんおじさんからも「あなたはすごいよ」って賞賛されるんだって。私を苦しめるすべてのものから解放され、私はきっと誰よりも幸せになれるんだと、そう信じていた。(バカだよね、子供ってね、少なくとも友人や親からは「お前はすごい」と賞賛されてたのにさ)

いつかきっと、私は明るく希望に満ちた日々がやってくる、と。

でも、私は気づいてしまった。不幸だと感じていたその日々が、実は一番幸福な日々だったことに。たとえどんな将来が待っていようとも、明るく希望に満ちた未来が待っていると思える時代が一番幸福だったんだな、と。今だってまだ未来はあるんだろう。だから、もし未来の私がここを読んだとしたら「その時の私は幸せだったんだ」と未来の私は呟くんだろうということは目に見えて明らかだ。だけど、そうだったとしても、現在の私はとてもじゃないけど不安に押しつぶされそうでたまらない。

今の私には未来は明るいとは言えない。それが子供の頃の私と違うところ。今の私の願いは最期の時のためにいかに静かに落ち着いて笑って旅立っていけるか、それだけが叶えられて欲しい願いでしかない。それが辛いし悲しい。そんなことを願わなくちゃならないなんて。とても悲しい。

感情を出さない人

2008年10月18日 10:11



うちの旦那さんは背も高くないしごつくないし全体的な雰囲気がやさしい感じで、一見して落ち着いた物腰柔らかなおとなしい人っぽく見える。この人が瞬間湯沸かし器っぽく怒り出すところをついぞ見たことがない。だから、20代で付き合いだした頃から今までに、他人がこの人を評価する時には「優しそうな人」「まじめそうな人」なんだけど、でも、私は子供の頃から旦那のことを知ってるんだけど、子供の頃からずっと、私は彼に対して「何をするかわからない人」「怒らせたら怖そう」「嫌なヤツ」という印象を待ち続けてきた。それはなぜか。「人を見下している」ということが感じられたからなんだよね。実際、結婚してからこっち、自分より能力の劣った人間に対して、かなり辛辣なことを言うことも知ったし、ちゃんと怒りっていうものも持っているということも知った。ただ、彼はプライドがめちゃくちゃ高い人間でもあり、かなりの見栄っ張りでもある。足元を見られたくないって思ってるんだろうな。あと、他人にできることが自分にできないことがすごく嫌ならしいし。そういう人って、かっこ悪いことはしたくないとなるんだろうね。たぶん。つまり、怒りに任せて暴力を振るうとか、暴言を吐いたり怒鳴ったりっていうのは、プライドの高い彼にはできないことなんだろうと思う。

若い頃に、どうして私が彼に対して「何をするかわからない人」と思ったかというと、彼は感情表現がわかりにくかったからなんだよね。私のように怒ったり泣いたり笑ったり喜んだりをそのまま何も考えずに出してしまう人間の場合、第三者は安心するんじゃないかと思う。まあ、別の意味では安心はできないんだろうけど、とにかく、こう言えば、こうすれば、こいつはこういった反応を示すっていうことでの安心感は得られると思うんだ。けれど、感情を素直に出さない人間は、どう言えば、どうすれば、怒るか喜ぶかわからないので、私にとっては「何を考えているかわからない」となって、とても扱いづらくなるわけで。で、旦那の場合は感情を素直に出してこないから、いつも同じ雰囲気を漂わせているわけ。「不機嫌そうなオーラ」という雰囲気を。まあ、感情をちゃんと出さない人すべてが「不機嫌」が基本というわけじゃないとは思うけれど、私にとってはどうしても感情の揺れが激しくない人は等しく「不機嫌」に見えてしまうんだよね。だからつい「怒ってる?」と思ってしまうわけ。いつもニコニコしているだけっていうのも、確かに感情表現がそれだけで揺れない人っていうイメージはあるけれど、私にとってはニコニコしているだけでもなんでか感情表現は豊かって思ってしまうんだよなあ。なんでだろ。

私のとっての幸せは

2008年10月17日 09:22



私は感受性が強いと自分で思っている。その感受性は幸せをより一層他人より強く感じると同時に辛いことや痛いことも他人と比べてかなり敷居が低いとなるわけで、感受性が強いことが本当にいいことかどうか、普通に考えたらあまりいいとは言えないのだろうな、と思う。誰かを好きになったら猪突猛進一直線に他にはまったく目もくれずっていう感じでもあるんで、相手が私を好きになってくれなくても自分の好きという気持ちはなくならないわけだ。それは辛い。私の辛いという気持ちは他人の辛いよりとんでもなく辛いことになるわけで。本当いうと、感受性というものを投げ出してしまいたいと思うこともある。ただ、私は一応曲りなりにも小説を書く創作サイドの人間なんで、その感受性が創作の手助けをしてくれることも多々あるんだよね。絶望に繋がる経験がいい経験になるのかという疑問を投げかけている人がいたけれど、間違いなく創作サイドの人間は、どんな感情を抱く経験もいい経験になるだろうということ。もちろん、そのいい経験っていうのは、すべての人間に言えるものじゃない。少なくとも創作なんてしようとも思わない、平凡に静かに生きていきたいという人にとってはあったら邪魔で不幸なだけのものだと思うし。

感情起伏があまりない人を、私は確かにうらやましいと思っているところがある。こんなこと大したことじゃないと飄々としている人を見ると、嫉妬と羨望でその人のことをどす黒い思いで見ていたりもする。まあ、だからといって、その人が悪いわけじゃないとはもちろんわかってるし、その人に攻撃的に何かをけしかけるということはしない。抱いてしまう気持ちはどうしようもないんで、どうしても嫉妬と羨望は抱いてしまうけれど、昔はそういった気持ちを持つだけでも罪悪感に苛まれもしたけれど、今は別にそれが悪いとも思ってないしね。というか、私なんてあれだよね、すごく自分の都合のいいことしか考えてないところがあるかも。だって、感受性も手放したくないけれど、痛いことや辛いことには鈍感になりたいという、とにかく二兎を追って二兎を得たいという気持ちしか持ってなかったから。それは出来れば今でもその二兎を手に入れたいと業突く張りなことを思ってたりもする。でも、両方を得ることのできる人ってまったくいないわけじゃないとは思うけど、それこそ選ばれた特別な人だと思うんで、私にはたぶん与えられるものじゃないと思うしねえ。

以前、病気したとき、病院の待合室で「今からカメラ飲むのよー」なんていうふうに明るく笑ってたおばさんを見たことがあったり、「そりゃちょっとやだなあとは思うけど、そんなに大したことじゃないわよ」と胃カメラのことを話してた人もいたりして、そういったことを思える人が本当に心からうらやましいと思ったものだった。そりゃ、カメラなんかよりもっともっと痛くて辛いものはあるんだけど、それでも、とりあえずカメラが大したことないと思えるようになれば、だいぶ生きていくのもそんなに大変じゃないかもなあと思ったことは確かだし。子供の頃は嫌で嫌でしかたなかった注射が、ある時ふっと「なんだ大したことないじゃん」って思えるようになって、一つ嫌だったことを克服したことで少し生きやすくなったなあと感じたことがあったんだけど、それってたぶん、注射に慣れてしまったからとも言えるし、実際に慣れっていうものもあるんだろうなあと気づいた瞬間でもあったんだよね。それに、感受性も少し鈍ったんだろうとも思うし。子供って感受性は大人より強いと思うから、大人になっていくって、少しづつ感受性が鈍くなっていくことなんだろうと私は思っているしね。だから、感受性とかそういうものが鈍くなれば、たぶん胃カメラとかも「大したことない」と思えるようになりはしないかと思ったこともあったんで、そういった部分での鈍さのある人間にはなりたいと思ったものだった。

たぶん、私にとっての幸せって、感情が安定して平坦な暮らしができるってことに尽きるのかもしれない。たとえば大金が手に入るとかといった素晴らしい状況になることも、ものすごく不幸な状況になることもどっちも同じという気持ちがあって、そこそこ慎ましく暮らしていくこと、ほんの些細なことが幸せと感じたり、ちょっとした諍いでちょっとだけ胸を痛めたりする、よくも悪くもない、そんな平凡な暮らしを、心の底から望んでいるんだろうなあって。それが素直な私の本当の気持ちなんだろうな。

そんな今日、結婚19年目の記念日です。(笑)

10年以上続いたらいいなあ

2008年10月16日 16:56



ウェブで日記を書き出してからもうすぐ9年が経つわけですが、最初の頃、10年続くかなあと思ってはいたんですけど、あっという間に10年きちゃいそうですね。ということで、明日は結婚19年目の記念日です。あっという間に19年が過ぎちゃいましたねえ。誰か祝いの言葉投げてください。(笑)←コメント欄開放してないくせに無理難題ふっかける奴だ。(W

私は自分の書いたものを時々読み返します。もっとも、けっこうな量を書いていると思うんで、詳しくは読み返さないし、すべてを読み返すわけじゃないですけど。自分の書いたものはすべておもしろいとは思うけれど、それでもじっくり読み返したくなるものばっかりじゃないとも思いますしね。それに、ウェブ上のものばかりじゃなく、今はウェブ以前に書いていた日記も丁寧に読み返しつつ、ブログに転載してる最中なんで、どんだけ自分の書いたもんが好きなんだよって感じですが、ほんと私ほど自分の書いたものを読み返している人ってあんまりいないんじゃないかしらんって思ってます。

10年ぐらいしたら自分の書いたもの読み返して苦笑しているかもしれないから書くことが楽しい、なんて書いてる人を見たけれど、ほんとそう思う。私もここを読んでいる未来の自分を想像するだけで楽しくなるね。今私が昔の私の書いたものを読んで苦笑したり、こんなこと書いた覚えないって不思議がったりしてるわけだから、きっと未来の私もそう思うんだろうなって。

ここがいい理由

2008年10月16日 16:16



ブラウザ上で記事を書いている人はどれくらいいるのかという文章を見たのだけど、私はブログで書く文章のほとんど直接こうやって書いている。だから、たまに変な場所を押してしまい、さっきまで書いていた長ったらしい文章を一気に消してしまうことも経験している。実は昨夜もそんな目に遭った。涙ちょちょ切れそうになったよ。まあ、昨夜のはそれは言いすぎだったんだけど。それでもけっこう痛かったことは確か。ただ、昨夜のはまだ書き直すという気持ちは起きたけれど、たまにもう書けないとなる文章もある。

今はここFC2では勝手に下書き保存をしてくれてるみたいなんで、ある程度の箇所までは、うっかりブラウザを閉じてしまっても保存されるみたいだから、ここで書いている分にはそういった消してしまって泣きを見るってこともなくなったけれどね。他のブログではそういうのないと思うんで、私としては、やっぱここが一番使いやすいなあと思っている。

出会った頃のキミは若かった

2008年10月16日 11:51



妊娠するとつわりだのなんだのって症状が出るらしいんだけど、私の場合はそういうのまったくなかったな。もっとも、私の場合の妊娠は完全に計画的妊娠だったんですけどね。まあ、だからといってつわりがないことの説明にはならないんでしょうけれど。生理はもともとあってなかったようなもんだったし、情緒不安定もなかったし、胸焼けみたいな胃もたれみたいな車酔いみたいな吐き気もまったくなかったし、これで妊娠に気づけよっていうのは無理な話。てゆーか、当時の勤め先でも、妊娠にまったく気づかずに仕事をガンガンにこなしたり、お酒好きだったみたいだからお酒もカガンガンに飲んだりしていた女性社員が、そのせいで流産してしまったことがある。妊娠したという症状が出ないって問題だよなあと当時思ったものだったな。

私は12で生理がきたわけだけど、それ以降、不安定ではあっても、何ヶ月かに一度程度にはきていたはず。よくは覚えてないんだけど、完全にこなくなったのが20歳くらいの頃じゃなかったかな。たぶん、あの頃の私はセックスしたとしても妊娠するってことはなかったんだろう。婦人科にかかって調べてもらった結果、卵巣から排卵できない状態になってたと聞いたから。それを注射で無理やり排卵させて何とか妊娠にこぎつけたわけだけど、それから排卵をちゃんとしてくれるかどうかはわからなかった。ただ、出産してすぐに内臓系の手術で入院してしまい、退院してからもしばらくは定期的には生理はこなかったように覚えている。でも、何年か前にインフルエンザで体重がだいぶ落ちてしまった頃から、定期的に生理がくるようになった。たぶん太ってたことが原因なのかなと勝手に思ったものだけど、きっと今なら注射の力がなくても妊娠するんだろう。ただ、もう息子も高校生だし、いまさら子供産んでもねえ、ちょっとなあと思わないでもない。それに、子供育てる体力も気力ももうないし、経済力ももちろんない。だから、もう子供は産むつもりはない。妊娠して子供ができる身体になったのに、毎月赤ちゃんの素は失われていくわけだ。別に子殺しをしているわけじゃないし、すべての卵子を受精させるべきというわけでもないから、そんなに罪悪感感じなくてもいいんだけどね。それに、すべての人間が際限なく生命を生み出し続けたら、あっという間に地球なんて人間で溢れかえってしまって大変なことになるだろうしねえ。今だって、ちょっと多くない?って感じだし。

昔の同僚に何度も中絶した人がいたけれど、結局その人は結婚もせずに子供も産んだわけじゃない。子宮筋腫になって手術もしたとか言ってたけれど、彼女はもしかしたら子供は産めない身体になってしまったのかもしれないな。わからないけど。聞いたわけじゃないから。それにこういうこと聞きにくいし。知り合いとはいえ、他人のやることに口出しはできないわけだから、私の心配も余計なお世話なんだけど、彼女はこのままずっと一人で生きていくんだろうか。今は両親もまだ元気みたいだけどねえ。時々その人に出会うと、ついその人の将来に思いを馳せてしまう。初めてその人に出会ってからもう25年も経つ。私たちももう若くないんだよなあ。出会ったのもついこの間のことのような気もするのに。出会った頃のキミは本当に若かった。もちろん、この私も。

今でも「近くて遠い友人」と言ってくれるでしょうか

2008年10月09日 12:14



でまあ、過去ログ(これは私のではなく友達だった人のだけど)を読み返していたら、ガクトさんが歌っている姿を見たという人の感想が出てきた。誰かのライヴのゲストとして出たガクトさんだったらしく、そのライヴを見に行って、たまたまガクトさんがゲストとして歌ったのを運良く見たらしいんですよね。その人が「Gacktファンは一度はライブに行くべきです!お金払って損はしないと思います。」と書いてました。それは2003年11月のことでした。その人は私にとってとても大切な人でした。私が傷つけてしまった人。今では言葉も交わすことができない人。

○○さん、来年、ガクトさんのライヴ、とうとう行くことになりましたよ。「行くべき」とあなたが言ってくれた、当時は、ゼッタイに行くことはないだろうなあと思ってましたし、実は今でも本当にいけるのかどうか信じられないんですけれど、どうやら行けそうです。あれから5年。もうそんなに経ったんですね。でも、私の中ではそんなに経った気がしないわけで。

私は本当に多くの大切なものを失ってしまいました。今でも失い続けているから、「変わる気がないんだな」とその人に言われたことは確かにそうかもしれないなあと思います。でも、それでも、こんな私でもずっと傍にいてくれる人はいるから、これでよかったのかもしれないなと思います。それに、昔よりだいぶ執着はなくなったように思うし、その人が忠告してくれた「やっちゃいけないこと」は、今はだいぶやらないようになっていったと思っています。まだ時々、好きでしかたない人に対して強引に近寄ろうとするところがありますけれど、昔ほどは引き際がわかってきていると思う。まあ、その見極めを見誤って、放しちゃいけない人までも放してしまうこともあるんでしょうけれど。ただ、それもまたタイミングっていうものもあるんでしょうから、離れてしまうことも必然な出来事なのかもしれない。

とにかく、一人にはならなかったよということだけは、胸はって言えると思う。

なんかGカテゴリに書くことじゃなくなってきたんで、ちょいと軌道修正。(笑)

緒形さんの件では、やはりショックを受けているようですね。私はガクトさんの日記は読めないので、推測するだけですが、でも、ショック受けたとしても、たぶん、ガクトさんならこの死を乗り越えて頑張ってくれると思う。いろいろメッセージを送りたいこともあるんですけど、今ちょっとね、ゲクトの新作書いてるんで、そのうち伝えたい言葉を送ろうとは思ってます。

それが私の瞬間

2008年10月07日 11:12



前回「第三者のおかげで私もここまで何とか生きてこれました」と書いたんですが、こんな私でも人並みに(爆)死にたいと思うことは何度もあります。それでも、ちゃんと何とか生きていってるわけで。そこには最悪な決断をしてしまわなかった私がいるわけですけれど、そのためには自分ひとりだけじゃない、ちゃんと誰かの存在が、何かの存在がそこにあるから、だから死なずにすんだわけです。とはいえ、まだ油断は大敵。心の病という最大の敵がいますからね。これは自分ではどうしようもできない精神状態に陥った時に襲ってくるものですから、今「自分は大丈夫」と思ってても、自分の意志とはまったく違うところで、最悪な行動を取ってしまうこともある。それだけが心配ではあるんだけど、そうならないためにも、何とか楽しいことを考えるようにしないといけないんですけれど、でも、最近ではそれもなかなか難しくなってきました。それはもうあれです、もう私は若くはないということなんですよね。だんだんと年取っていくにつれて、疲れがなかなか取れなくなる、風邪ひとつにしても、なかなか治りが遅くなる、と、そんなふうに体調がすぐれないことが多くなっていき、それが精神面をどんどん蝕んでいくんですよ。私みたいなちょっとしたことでも気にしすぎてしまう性格だと、大したことがないのに、どんどん悪い方ばかりに考え過ぎてしまって、考え方で身体を壊してしまうこともあるんで。人の心ってほんと怖いんですよ。それを私は何年か前に経験しましたから。

ほんと人の心って不思議です。きっかけは大したことじゃなかったと思う。ちょっと胃が痛いなあとか、お腹痛いなあとか、別に大したことじゃなかったんだろう。昔なら早めに寝てしまえば一日でよくなるような、そんなたわいない症状。ところが、年取っていくとそれがすぐには改善されない。となると、どこか悪いのかとなってしまうもんで。そこから始まる悪循環。考えすぎてしまったために、とうとうご飯が食べられなくなってしまって、結局はカメラを飲むはめになるわけで。そこで出てきた結果は、ちょっと胃は荒れていたけれど、何もないという結果。つまり、胃が荒れてしまったのは、精神的なことからのものだったということで。心が身体を壊してしまうことにもなるんだとの証明。そして、何もなかったことで、すぐにご飯が食べられるようになった。心ってほんと不思議。だから、気持ち次第でどうにかなることだってないわけじゃないんだよね。

それは、たぶん、生きること死ぬことにも作用するんじゃないかと思った。つまり「死にたい」と思っていたのが「生きよう」になるということで。私はそれを何度も経験している。今回もそれを経験した。体調が悪いと、私はほんと生きる気力が失われる。こんなしんどいなら生きたくないとなる。あと、何となく生きる気力がなくなったりと。けれど、体調がよくなると、それまでのその気持ちが嘘のようになくなって、生きててよかった、やっぱ生きよう、頑張ろうってなる。まあ、タイミングっていうのもあるかもしれない。体調が悪いわけだから、それを改善しようと身体をいたわるわけだ。早めに寝たり、無理しないようにしたりして。でも、若い時と違って、結果がすぐには出てこない。その間、いろいろ、生きたいと思えるものを探すわけで。その時に出会った、誰かの放った言葉に力をもらう時もあるし、他のことで気力をもらうこともある、そして、今回は自分が過去に書いていた日記の中から見つけてきた。この時期になると同じような症状になるという事実を。とたんに、元気が出てきた。今まで「死にたい」となっていた私が、気分がよくなってきて、やっぱ生きようとなったわけで。たぶん、ちょうどそんなタイミングだったんだろうと思う。けれど、儀式みたいなものだったとしても、やっぱ今のこの辛い気持ちを忘れるためにも必要なことなんだと思う、何かを探す行為っていうのは。考え過ぎると私は身体を壊してしまうから、だから、誰かの書いた言葉を探す事は大切なんだと思う。

ガクトさんも言ってるしね、まずは動けって。(笑)

どこまでいっても平行線

2008年10月07日 09:31



自分の考えや行動や言葉なんかを今まで読んできた本やマンガの中から「そうだよなあ」と思うことによって自分の物にしていったり、辛いこと嫌なこと死にたくなること痛いことがあった時にも、それを忘れさせてくれる物語や一般の人たちが何気なく放った言葉で勝手に救われたりして、第三者のおかげで私もここまで何とか生きてこれました。人に嫌われるような私みたいな奴でも、それでもそんなふうに誰かに何かに感謝する気持ちは持っているつもりです。

あと、謎なつぶやきになってしまいますが、作り手と受け取り手は永遠に平行線でしかないと思います。両者が互いを理解することはできないんじゃないか、と。でまあ、暴言だとわかってあえて言うのですが、ただ、作り手っていうのはまずスタートが受け取り手だったということが作り手であると、私は言いたいんですよね。まったく何かを作ってない受け取り手でしかいない人は、受け取り手と作り手両方を経験している作り手側のことはなかなか理解はできないのではないかと、そう思うわけであります、私は。だから、どうしても受け取り手よりも作り手のほうが上と思ってしまうのは、しかたないんじゃないかなーって。

作り手が受け取り手に感謝していることは間違いないし、受け取り手だって作り手に感謝しているのは間違いないと思うんですよね。だから、その両者がどうしても相手を理解できないのはしかたないとしても、両者がいがみ合うところは見たくないと私は思います。納得いかないことは確かにぶつけてみて、何かが和解できるというなら意味はないかもしれないけれど、それでも、巷で見受けられる作り手と受け取り手の議論は不毛に私には見えるんですよね。そんな不毛な争いをするよりも、作り手は一作でも多くの作品を作るか、受け取り手は一作でも多くの自分の好きな作品を楽しむかしたらいいのにって、私なら思います。

って、謎なツブヤキのほうが長くなってしまった。(W

ファンでいたいのか友達でいたいのか

2008年10月03日 11:07



好きで好きで追いかけているガクトさんではあるのですが、逢いたいか逢いたくないか正直に思ってみて、そりゃ逢いたいですよ、はい。しかも、私なんかガクトさんと友達になりたいとまで思ってますからね。ただ、彼と友達になるためには、せめてそれ相応な立場にならなくちゃなあとは思ってもいるんで、友達になるのは無理だろうとは思います。諦めたというわけじゃないですけど、なかなかね、自分が一番得意とするもので成功しないんだもの、そりゃーご褒美はもらえないでしょうよ。(ごほうび?)


でまあ、友達っていうので、なんか誰か、ファンと友達について書いてる人がいて、その人がファンよりも友達のほうが下みたいなニュアンスのこと書いてたんですよね。ファンでいることより友達になるほうが断然すごいと思うんですけど、この人はそうじゃないんですかね。つーか、ただの友達って…なんかはるか昔の嫌な思い出を思い出すんですけど。あなたはただの友達だからって、そんなことを言われたことがあってさ。私はその人と親友になりたいと思ってたのに、ただの友達だって。でもまあ、まだ友達だと思ってもらえるのはマシですよね。結局はその人に「嫌いだ」と言われることになってしまうんですけどね。私って嫌われるんだ、誰かに嫌われてしまうこともあるんだって、ショックを受けた出来事ではあったんですが。てか、どんだけ自信過剰なんだおまえって感じです、今の私から見て、子供の頃の私ってば。私を嫌いになる人がいることが信じられなかったわけですからね。ほんとモンスターチャイルドですよ、子供の頃の私は。今でも少しは片鱗があるって思われてんでしょうけど。(W

相手に対して夢を見続けたいなら、そりゃもう実際に逢わないほうがいい。それは私もそう思う。こんな私でも「そんなこと書いているあなたを見てみたい」と言われたことないというわけじゃないんで、もし、私に対して夢を見たいと思っているなら逢わないがいいかもしれない。けれど、ちゃんと真実は自分の目で確かめて、どんな人間なのか知った上でこれからも付き合いたいと思うのなら、逢った方がいいだろう。そういう気持ちから私に逢ってくれた人も過去に二人いるしね。なかなか私も相手も忙しくて、一人は密に接しているわけじゃないけれど、相手も私も互いに友達だという認識はしている。もう一人も密ではないけれど、ちゃんと付き合っていってるよ。互いにくっつき過ぎないように気をつけながらね。それがちゃんと付き合っていくための努力だと私は信じているから。それはたぶん、相手もそう思っていると私は思う。


私にも「この人に逢ってみたい」というのがないわけじゃない。けれど、積極的に自分から逢おうとは思わない。それは別に夢が見たいからとかそういうことは関係なく、私はどんなに楽しいとわかってても、なかなか外に出て行けない気質の人間だからに他ならない。日々スーパーとかに買い物に行くくらいなら何も気負うことなくいけるんですけれど、どこかに遊びに行くということにでもなると、とたんに「行かなくていいってことにならないかな」となってしまうんですよね。たとえば、息子の懇談とか、学校行事とかに行くのはストレスになって、いやだなあ、行きたくないなあとなるのはわかるんですけど、行けば楽しいってわかってても、それでも出たくないとなるのはなんなんでしょうね。たぶん、ガクトさんのライヴにしたって、行きたくてそれで頑張ってチケ取りをしたわけですけれど(これは私にしてはすごいことなんですよ、いつも他人任せでしたから、自分から頑張ろうとしたわけですからね、それだけ行きたいと思ってるわけです)、それでもその日が近づいてきたら、行かなくてもすむことにならないだろうかっていう気持ちになるんだろうなあと思います。まあ、そういったドタキャンをしないためにも一人で行くことにせずに、息子と一緒に行くことにしたわけですけれどね。


話戻して。(笑)


サイトやブログなんかを見ててファンになって、その人と逢って友達になってしまったら、とたんに相手のサイトやブログを見なくなる人がいるらしいんですけど、それ、友達になったからそうなってしまったとは違うんじゃないかと思う。たぶん、心の中で「なんだこんな人だったんだ」という気持ちが出てきちゃったんじゃないかな。つまり、友達になったではなく、夢が崩れてしまったというやつ。友達でもなんでもない、友達以下に相手が自分の中で位置づけられてしまったというそれだけのこと。そういや、こんなことがありましたよ。その人の作り出すものを見て、どんなにキレイな人かと思って実際に逢ってみたら、自分が思ってた通りの人じゃなかったとなって幻滅したと言ってた糞野郎がいましたが、夢を見るのは勝手ですけれど、たとえ自分が思ってたような相手じゃなかったとしても、それを直接本人にぶつけるバカがどこにいるかって。いやまあ、ここにいるってそいつは言うんでしょうけれどね。それに、まだ直接本人に言うならいい、本人には当たり障りないこと言って、他であることないこと誹謗中傷しまくるよりはと言う人もいるかと思いますけれど、どっちもどっちじゃんね。そりゃ、自分が想像してた人じゃないというのは、まあ好みっていうのがあるんで、思ってしまうのはしょうがないとは思うけれど、絶対言ってはいけない、表明してはいけないっていうことだってあるんですよ、私が言うのもなんですが。(爆)
でも、こんな私でも、絶対言っちゃいけないことは言いませんよ、それでも言ってないと言えるのかって非難されてもね、私は自信持って言いますよ。はい。


だから、興味なくなったのは、友達になったからじゃない。ただたんに興味なくなっただけ。だたそれだけのことなんだと思う。それにさ、友達だからって、何から何まで趣味が一緒ってわけじゃないもんね。それでも友達でいられるのが、本当の友達なんだと思うんですけどね。だからさ、そんなに興味なくなってしまっても負い目に感じることもないのに。



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