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救われたかどうかなんだよ

2008年11月27日 08:55



ネットでは誰も真実なんて書かないという言葉を見つけてきた。へーそうなんだ?「誰も」なんだ。へーへーへー、悪いけど真実書いちゃってますけど。ええ、ネットでの私の発言のほうがリアルでの私の発言よか何十倍も真実ばっか喋くりまくってますけど。(W

もちろん、炎上しそうな真実は、リアルの私だと特定されないところで、ですけどね。そりゃ当然でしょう。そうしないのはたんなる「バカ」だもの。まあ、昔の私はその「バカ」でしたけどね。リアルに直結するような場所で、本音書きまくってましたから、まあ、その一部の本音は、リアルで言えない自分が何とか相手に自分がこう思ってるのだということを知ってもらいたいからあえてその場所で書いていたというものではあったんですけれど。で、思わぬ発言で炎上してしまったというのが炎上の顛末。まあ炎上なんていつもそういうことで燃え上がっちまうんでしょうけどさ。

ネットで真実を信じてもらいたくて声高に訴えたことも過去になかったわけじゃない。私はそういうつもりで言ったわけじゃないことを誤解されてしまって、その誤解を解きたくて相手に言葉をかけ続けたけれど、結局は信じてもらえなくて、すごく悔しい思いをしたこともあったし。だから、確かにネットで真実を言っても信じてもらえないんだっていうのはわかる。でも、だからって真実なんて書かないよっていうのは違うんじゃないかな。私はたとえ信じてもらえなくても真実を書き続ける。自分の素直な気持ちを。私はこう思ってるんだよって書き続ける。たとえそれを誤解されても、そういうもんだって思いながら、それでも誰か一人は信じてくれるかもって信じたいから。

以前「あなたを信じていいですか」と言われて、私はそれに「信じてって言う人のことは信じないほうがいいですよ。だから、あなたも私のことは信じなくてもいいです。でも、私の書く物を少しでも好ましく思ってくれるのなら、これからもよろしく」とレスしたことがある。そう、信じてくれなくてもいい。でも、なんか好きだなこの人って思ってくれるなら、そのあなた自身の気持ちだけは信じてあげてほしいなと、本当に心からそう思う。そのためには、私は真実を書き続けるよ。整合性のために多少の脚色はするにしても、私はいつも真実しか書いていない。というか、たとえ書かれているものが真実じゃなかったとしても、私はきっと気にしない。要は、書かれているもので救われたかどうかなんだもんな。書かれたものがどんなものだろうと、その人が強く生きていけるというのなら、それはもう真実の言葉なんじゃないかと思うんだけどねえ。
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価値のないブログなので好きに書かせてもらいました

2008年11月27日 08:32



私のブログは他人にとっては価値のないブログだと思っている。そりゃ、私の書く物が好きだと言ってくれる人は価値があると思ってくれているだろうけど、果たしてそうだろうか、本当にその人にとって価値があるとなってるだろうか。それはわからない。価値があるよって言ってくれる人は一人か二人しかいないからな。他の無言の人々については「これこれこういうことで私にとっては価値があるんです」って言ってもらわない限りは私は何も信じない。って、言われても信じるかどうかもわからないけど。これはもうね、自己中の極みなんだけど、わたしの価値観というものと他人の価値観がズレているからなんだろうなと思わないでもない。もっとも、本当にズレてるかどうかなんてみんなに「どうよ?」と聞いてみたわけじゃないんでわかんないんだけど。

私が他人の書いたもので価値があると思うものは「いかに私に何かを書かせるか」に尽きる。今、ある人の書いたものでこんなふうに脊髄反射で何かを書かせてもらってるわけなんだけど、まさにこれを書かせた記事は私にとっては価値のあるものだ。そういう私に何かを書かせる力があるものを書いている人は私にとって価値のある存在だ。その人が気に食わない人であってもね。(爆)何も価値あるものを書いてくれるからといって、だからその人が「好き」というわけでもない。それは私だけじゃなく、他の人もそうだろう。けど、価値あるものを提供してくれるから好きにはなりやすいとは思う。私なんかはけっこうそういうことが多いから。その中でも最たる存在が有名人で現在二人いるけど(バレバレやな)、私がその人たちを好きで執着するのも、価値あるものを提供してくれるからだけじゃなく、その人の考えや思想が私にとってしっくりくるものだからなんだよね。そして、何より私の背中を押し続ける人たちということで。まあ、書かせるということだけでなく、その存在で何かを頑張れる、ちゃんと行動できるっていうのが私にとって価値のあるということなんだろうな。もちろん、何も書くことがなくても、読んでるだけでほんわかいい気分になれるとか、安らげるっていうのにも価値はないわけじゃないけれど、だけど、やっぱり私は何かを書きたい人だから、どうしても価値が上がる存在っていうのは「私に何かを書かせる」ってことなんだよなあ。

まあ、ありがたいことに、ノイズのブログでも他のいくつかのブログでも、脊髄反射的に閉鎖してしまおうとして、それで「待った」をかけてくれた人とかがいたんで、少ないながらでも私の書く物に価値を見出してくれている人はいるみたいだなあとは知れた。その価値が、私の考える価値とは違うのかもしれないけれど。他人の考えを尊重するのなら、そういった価値観も認めなくてはならない。けど、私はワガママだ。やっぱ、私と似たような価値観を持ってる人と仲良くしたいなあとも思う。でもそれはなかなか難しい。つまり、私の書く物で思わず「こんなん出ましたけど~」と何かを書いてくれる人、そういう人がまったく私にはいないということにかなりの絶望感を抱いてしまったということ。私には他人に何かを書かせる力はないんだという事実。私は誰の背中も押すことはないんだという、そういうことを幾度となく思い知らされることに絶望してしまった。

確かに、私のコミュニケーションのしかたは特殊だ。それについてこれる人なんてそうそういない。昔はそれでも何人かそういったコミュニケーションを取れる人もいたけれど、そういう人はなかなか群れるということを嫌う人たちで、結局はみんなどこかに消え去ってしまった。さて、私もそろそろひとつに絞らなくてはならないかなあと思っている。これでまた何人かを切り捨てることにも繋がるんだろうけれど、それはもうしょうがない。私もまた進化し続けなければならないからね。

すべてはプラスとマイナス両方で成り立ってるんだよ

2008年11月26日 11:22



人が人を嫌いになる気持ちっていうのがわからないと言っていた人がいた。でも、その代わりに好きという気持ちにもそれほど執着がなくて、どうやら自分のことを嫌いみたいだと思ったら、「あ、そうなんだ」と手放せる、どうでもいい存在に片付けることができるということで、自分って情熱がないというか、冷たい人間なんじゃないかなあと、そんなふうに言っている人がいて、私はその人のことが好きだったもんだから、なんか執着し過ぎる自分を否定されたような気分に勝手になったことがあった。まあ、考えてみれば、私は執着してしまう人間であることは動かしがたい事実であり、それはもうどうしようもない。ただ、執着してしまうわけだから、否定されてもどうしても好きという気持ちはなくせないわけで、それで葛藤しちゃう、苦しんじゃうっていうことなんだけど、本当にそれが死ぬほど嫌だってんなら、何とかして変わろうとするんだろうから、変われない自分は、けっこうこの自分を気に入ってんだろうなとも思う。逆に、執着しない自分を冷たい人間なんだと思っている人だって、執着しないことを心の底から嫌だと思ってるわけじゃないんだろうな。

執着することは確かにマイナスなことが多いけれど、何事においてもプラスだけしかないっていうのは私は信じてないわけで。もちろん、執着しないことにだってマイナスはあると思う。だから、結局は、自分はどう生きたいかってだけなんだろうね。私は執着のない人生を歩いている人にだって「好きだなあ」っていう人はいるし、自分と似たような執着で苦しんでる人にも好きな人はいる。だから、きっと執着しない人でも、私のような執着し過ぎる人を好きになってくれる人もいるかもしれない。それを信じるようにすれば、私を嫌いな人もいるかもしれないけれど、現在進行形で「あ、この人好きかも」って、こんな駄文を書き散らしている私に対して思ってくれる人がいるかもしれないって信じられるかもね。

執着。まあ、旦那や息子との平穏な生活が執着のひとつではあるんだけど、それ以外にもガクトさんに執着することで、私はそれをうまく創作活動に生かしているんじゃないかなとも思ってる。まあ、こういう言い方をすると、またしても「それは本当に好きってわけじゃない」なんて言う人も出てくるかもしれないけれど、要は、ちゃんと生きていけるかどうかなんだよね。ガクトさんは自分という存在がその人の背中を押せるようになりたいっていうようなこと言ってたから、まず間違いなく、私はガクトさんのおかげでいろいろなことを頑張れたんで、私のこの執着も捨てたもんじゃないよなあなんて自画自賛してたりするわけだ。あと一話。もうすぐ書きあがる、私のガクトさんへの「LoveLetter」当時、あのアルバムの発売をドリームこいて勝手に私への挑戦状だと日記に書いてからだいぶ経ったけど、キッチリ見せるよ、女の意地を。待ってろ、ガクトさん。おおー強気発言出たー。ケリ入れられたりしてね!(爆)

それってんまいの?

2008年11月21日 10:28



ここのブログに限らず、他で運営していたブログでも、そんな「ハレの日」なんてなかったけどなあ。少ないながらもどこかに取り上げられたり、えっけんさんにブクマされたり(爆)、そういうことあったことはあるけど、とんでもない数のアクセスなんて経験なかったし。どれくらいのアクセスだったら「ハレ」となるんだろうねえ。たぶん、昔、サイトで炎上しかけた時のアクセスはすごかったんだろうけど、アクセス解析なんてもんついてなかったんで、どれくらいの集客だったのかはわからないし。まあ、一番今まででアクセスがすごいなあと思ってビビッたのがじゅげむのブログだったか。ただ、あれもね、解析見てもいまいちよくわかんなかったんだよね。あの時よりここで書いてるもののほうが断然自分としてはおもしろいって思ってるんだけどねえ。イタイもの書いてることではどっちもどっちではあるんだけどさ。


なんか前に梓さんが「ハレ」と「ケ」の話を日記で書いてた気がする。たぶん、私の過去の日記をガサゴソすれば見つかるんだろうけど、確かに「ケ」があるからこそ「ハレ」が価値あるものとして感じられることはあるんだけど、私は思った、別に「ケ」が続いてて「ハレ」がきたしても、それが書くことへの張りにはならないかなあって。いやまあ、まったくないとは思わないけどさ。その「ハレ」っていうのがどういった「ハレ」かが私には問題だから。ただのアクセスの過多が「ハレ」には私にはならないからだと思う。私にとっての「ハレ」は、たとえばその人一人に向けて書いたものが、ちゃんとその人に届いてて、その人が絶妙な反応をしてくれた時。そういうのを何度か経験するとね、もうね、それ以外のことは「ハレ」じゃなくなるんだよな。それにしても「ハレ」って言葉、なんか「んまそー」と思った。なんか、んまそーなアップルパイをもらったような気がするんだ。くれくれ「ハレ」って感じ?(W

ウソツキ!

2008年11月21日 09:26



はてなの増田には私もいくつか記事を投下したことがある。別に注目されたいからという理由ではなく、どこにも投下できない話題をぶちまけたいという気持ちからだったんだけど、それでもやっぱりちょっぴり誰か反応してくれないかなあなんてーことは思ってた。でも、やっばりダメだったね。やっぱ私にゃ文才はないわー。いくつかは反応があったりしたものもあったけど、大した数じゃないし。自分語りに至っては、目もあてられないほどのスルーのされ方。長文・自分語りですごい数のブクマついてる人を見ては、なんか悔しいよなあ、やっぱ私の長文なんてダメなんだしって思って自信喪失だったし。増田で多くのブクマや反応を集める人ってーのは、別にそんなとこに書かなくたってID晒して書いたって多くの読者は獲得できると思うよ。増田以外ではダメだったのに増田で書いたら注目されたーなんて言ってる人がいたとしてもあたしゃ信じないね。ウソツキって言ってやる。ウソツキ!ぷんすか!

本日のグチたれ

2008年11月20日 11:00



私の知り合いが前に自分のブログに、mixiやってる人がmixiで書いたことをブログに書くのが不愉快っていうようなことを書いていたことがある。私もそうだよなあと思ったものだった。けれど、そのすぐ後に私もmixiをはじめたわけで、そういった声もあるだろうということもあり、私は自分がmixiやってるってことは積極的には言わないでおこうと思った。名前を変えてやってたわけじゃないんで、探せばすぐに見つかることもあり、隠してやってたというわけじゃない。だから、同じくmixiやってるとは言ってたなかったある人が私のプロフをたまたま検索したら出てきたってことでマイミク申請してきたんでマイミクにもなったしね。ただ、私のmixiはマイミク限定での日記公開だった。それは個人情報が満載だったからというのもある。まあ、そんなこと言っても、私は自分の個人情報はダダ漏れ状態なんで、私自身のというよりは、私以外の人の個人情報を守るためっていう限定公開ではあったんだけど。仕事関係の話を以前はガシガシ書いていたんで、その仕事関係でのグチなんかを公開するわけにはいかんよなあということもあり、それで公開はしなかった。とはいえ、その限定で書いていた日記も極力人名とか仕事内容とかに触れないような編集をした後に日記サイトで公開してるけれど。

でまあ、私はTwitterもWassrもやってるけれど、どっちも一応公開して発言している。個人情報にはほとんど関係ないということもありそうやってるわけなんだけど、mixiやTwitterやWassrを非公開でやってる人のほとんどは、たぶんその個人情報に関することを書くこともあるということで非公開にしているんだろうと思う。ただ、そうであれば、ブログなどに非公開にしている発言をリンクして紹介するのはどうかと思うんだよね。もし、リンクしているその発言に個人情報とは関係ないようなそれほど神経質にならないことが書かれてあるとしたら、その発言だけでもブログに引用することをしてくれればいいのになあと、そんなふうに思った。非公開にしている自分以外の人の発言をリンクすることもちょっとなあとは思うけど、それはまあ相手の発言は相手のものであるのでしょうがないとして、自分の発言くらいは公開しても問題なしと思うなら、リンクせずにブログに転載してくれればいいのになあと、そう思った。たとえば気に入ったブログがあって読んでいて、そんなふうに自分には読めない発言が書かれてあったとしたらやっぱり気になるし、読んでみたいとは思うけれど、そのためにTwitterでfollow申請するのもねえ、大した知り合いってわけでもないし、申請したからっていっても絶対に承認してもらえるとは限らない。今までに何度もいろんな申請を断られてきた私だから、今回だって承認してくれるとは思えないしね。

とまあ以上本日のグチでした。(W

「そうよ、私は地獄に堕ちるの」

2008年11月11日 11:21



と言ったのはナミだと友達が言うてました。(笑)

ナミは私の理想の女性でもあります。ところで、ナミに良く似た人がいました。顔はさすがに似ていると言ったら旦那なんかに非難されそうですけど、でも、少なくとも私はナミの容姿も込みで「彼女」に似てるよなあと思ってるんですよね。私の幼馴染なんですけど。子供の頃、その彼女も一緒に、ほかの友達たちと「11人いる!」をアテレコして遊んだことがありましたが、あの頃ワンピースをアテレコしたとしたら、ナミは間違いなく彼女が演じたでしょうね。ああいった性格の人でした。そして、私の大好きな人。私の夢の一つに、大きくなったら彼女と一緒にアパート借りて住むんだっていうのがありましたけどね。まあ、その彼女も、本人はどう思っているかどうかはわかりませんが、特定の誰かからは「地獄に堕ちろ」と思われたかもしれない経歴のある人ではあるんですが。まあ詳しいことは書けないんで書かないんですけど。地獄繋がりってことで。(爆)

友達がナミのこの言葉を取り上げていたのは、その友達にも私にも関係のある「モノカキ」ということで、私たちは業の深い「モノカキ」であるということなんですけど。

業の深くないモノカキもいるかもしれないとも思うけれど、でも、私はやはりモノカキはすべて業の深い人間だと思います。書くってことはそれこそ地獄に堕ちる覚悟がないと書いちゃダメなんだろうなあって。そりゃ、こんなこと書けば、必ず「私は地獄に堕ちるために小説書いているわけじゃない」って言う人が出てくるんでしょうけど、それ違うと思う。友達も書いていたことですけど、小説ってものはひとつの世界を描くわけですよね。確かに自分の頭で想像したものであり、嘘の世界ですけれど、少なくとも私は自分が書いた小説の世界は、どこかに必ず存在していると思って書いています。自分の世界じゃなくても、異次元の世界にはきっとどこかに自分の書いた世界があるんだって。それはずっと前から言ってきたことなんで、いまさらな話ではあるんですが。

それにね、たまに私が書いた小説が、とある人の体験したことに酷似していたこともあったんですよね。私は確かに想像して小説書きますけど、今までに見たり聞いたりしたことをネタとして書かせてもらうこともあります。許可得て書いたものもあるし、許可を得ずに書いたりすることもあります。けれど、許可得てなくても、その人のその体験はオンリーワンじゃないですよね。似たような経験なんてみんなやってると思うんですよ。オンリーワンな経験なんてそうそうないと思うんですけど。まあ、宇宙人と結婚したとか、実は神の子だったという経験はなかなかないとは思うんですけど、それさえも、絶対に経験しないとは断言できないと思うんですよ。それもあり、自分の書いたもので、誰かが似たような経験をしていた、そのことで酷く傷付くということも出てくることもあるでしょう。そういうことで、モノカキっていうのは業が深いんだよなあ、地獄に堕ちるというか、誰かにとっては「地獄に堕ちろ!」と思われしまうんだろうなあ、と、不本意でもそうなってくるんだと思う。

私は今までに、誰かが傷付くから、だからこれは書かないでおこうと思ったことも何度かありましたし、今だって、いくつかのことは小説のネタには絶対にしないというものもあったりします。けれど、だからといって、私は自分は地獄に堕ちないとは思わない。それ以外だったら、誰が傷付こうが書き続けるし、そして、その傷付けたくないから「このこと」は書かないでおこうと思っているその人の別のネタを書いて傷つけてしまうことさえもためらわないで書くだろうな。たぶん、少しづつ、私もその報いは受けているんだろうから。あんなことこんなことは、その報いなんじゃないかと思われ。

今は、ガクトさんをモデルにあーんなことこーんなこといろいろイメージもらって好き勝手に小説書かせてもらってますしねえ。うんだらの先週の質問に答えるの忘れてて、ちょと悔しい思いをしたんで、ここに蛇足として付け加えておきます。はい、私はガクトさんからイメージもらっての創作活動に、小説を書くってことやってますよー、って。(笑)

私の書く文章好きですか?

2008年11月11日 10:36



本を出したいのならまず芸能人になることも一つの手というのがあるんですけど、そりゃ誰でもが芸能人になって有名になってから本を出版するなんてこともなかなかできないことではある。もっとも、芸能人にもいろいろあって、ガクトさんのように歌で有名になってから本出すってこともできるし、お笑い芸人さんだって、自分の体験談を本として出してベストセラーになった人だっているしね。なんというか、本の内容とかの良し悪しなんて、これがいいのだ、悪いのだ、なんてーのは誰にも決めることはできないんだろうな。まあ結局は売れればそれが今は求められているものなんだということなんだろうけれど。

でまあ、私なんかも好きな作家の書いたものすべてを支持するわけじゃないです。ただ、私の場合は書かれている内容より、自分が読んでいて気持ちいい文章が「いいもの」ということなんで、内容がどうあれ、好きな文章を書く人のものはほとんど「よい」となるわけなんですよね。一番いい例が梓さんの本ではあるんだけど。とはいえ、梓さんの文章が好きな私ではあるんですけど、もちろん、彼女の書いた小説すべてを同一線上には見てませんよ。私なりの優劣はあります。それに、私がいくら彼女の文章が好きだからといっても、それを万人が認める素晴らしい文章であるなんてことは微塵も思ってません。彼女の日記は私にとっていろいろ私に何かを書かせる力があるということで、私にとってはたまらなく好きな文章であるんですが、私の知り合いがあの日記を読んで読みにくかったというような感想をチラッともらしていたこともあり、ああいった文章を嫌いな人もいるということもわかっていますし、その梓さんの書き方に影響を受けている私の文章だって、もちろん読みにくくて嫌いだと思っている人も出てくることはあるでしょうね。幸い、読みやすいと言ってくださる人はいるんで、すべての人に嫌われているわけじゃないっていうのはわかってますけれど。

そんな梓さんの最新であり最後になるかもしれない例のエッセイを、もしかしたらああいった文章は嫌いかもしれないのに、手紙と共にガクトさんに送り付けてしまったのですが。(爆)

もちろん、絶対に読んで欲しいと思っているわけじゃないです。もし興味があればという軽い気持ちで送ったんですけれどね。たくさんのファンレターや贈り物が送られてくる人ではあるんで、どういった扱いをされるかは神のみぞ知るではあるんで、必ずしもそれに対してのリアクションがあるべきだとは思わないようにはしています。ただ、私が一番言いたかったことだけはちゃんと伝わればいいなあとは願っています。隠す事でもないし、この間の記事でも書いたんでまた書きますけど、つまりは、もし不治の病になったとしたら、ちゃんと私たちには教えて欲しいということなんですけど。けど、なんかさ、とあるところからの情報では、手相で「叩いても死なない」と言われたとか。「元気なおじいちゃんになる」とも言われたとか。なるほど、身体に悪いことや無茶な事をするために身体を鍛えているっていうのが、ちゃんと手相に出たってことですね。(笑)

それにしても、私の書く文章はどうかなあ。ガクトさんはどう思ってるだろうかと、ついつい考えてしまう。今まで書いてきたものも、たとえ幻想だとは思っても、なんとなく読んでくれてるような気がしないでもないんですけどね。もしそうであったとしたら、おもしろいって思ってくれてたら嬉しいんだけどなあ。

勇気を出して踏み出そう

2008年11月09日 08:00



ブログの変化は読者に影響されるんじゃないか、というような言葉を拾ってきた。それは確かにそうかもしれないと、日曜の寒い朝に寒々とした心でそう思う。(笑)

ノイズのブログも基本的には開設当初から誰かの書いたものに反応して書くということは変わっていないけれど、私が誰であるかを知っている人が多くなったということで、だいぶ書き方は変わっていったと思うし、タブーにしていた語句なんかもバンバン書くようになっていったしね。それはやっぱり読んでいる人によって変わっていった、読者を気にしなくなったからともいえるから。

それから、無視されたり、誰からも相手にされないっていうのは辛いという言葉も拾ってきた。確かにそうだなと思う。(笑)

ただ、私の場合はちょっと違ってて、誰からも相手にされないというより、「その人」に相手にされないのが一番辛いことなんだよね。自分がどうでもいいと思っている誰かに相手にされなくても辛いとは思わないけれど、この人には自分の書いたものに反応してほしいという時に相手にされなかったら、それはすごく辛い。もっとも、どうでもいいとは思ってなくても、人によってはそんなに反応されなくても辛くはないという人もいるんだけどね。それは、その人に自分の書いたものを読まれたいという気持ちよりも私のほうがそのひとの書く物を読みたくてしかたなくてってということで、反応なくても辛くないって思うみたい。とにかく、書かれていることで自分語りをしたくなるようなそんなものを書いている人、そういった人に対しては、私はそれほどその人から相手にされなくてもいいやって、そうなるみたいだなあ。

ブログで書くという行為は、やっぱりどうしても誰かの反応を感じたいからと思ってしまうんだろうな。誰かが読んでいるというのが簡単に感じられてしまうし、読んだ人の反応も知ろうと思えば簡単に知ることもできる。ブログを書くことで得たもの失ったものという言葉も聞くけれど、ほんと私もそれを身に染みて感じたものだった。最初は絶対にブログなんかやるもんかと思ってたけれど、結局ガシガシと複数のブログを運営した時期もあったし、今もまだ細々と続けてはいる。それはすべて誰かの反応、或いは反応して欲しい人からの反応が欲しかったから。楽しかったといえば楽しかったけれど、同時に失ってしまったものもある。それは失っちゃいけないものでもあった。楽しさと引き換えに失ってしまったもの。それを私は取り戻したいと思う。そのためには。

勇気を出して一歩踏み出す。私も好きな言葉だ。だから、私も勇気を出して踏み出してみようかな。来年になったら。

それまでまだ少し、みっともないノイズを晒し続けることになりますが、よろしくお付き合いいたしますです。

私は話したい人なんです

2008年11月08日 22:24



私の知り合いの人で、何でも自分に話してくれればいいよという人がいた。私も話す側のその一人ではあったんで、とにかく愚痴やらなんやらと話してたわけだけど、その人は私以外にもけっこういろんな人の話や相談事を聞いてあげてたんじゃないかと思う。その人は自分のことはあまり話さない人だったんで、想像するだけだったんだけどね。だけど、私はその人の愚痴とかほとんど聞いたことがなかった。ちゃんと誰かに吐き出してしまわないとホント壊れてしまって、最悪なことになったりするんじゃないかとも思ったものだったんだけど。だけどさ、話せばいいのにって思っても、本人は話せない性格で、それを無理やり話すように持っていくことはできないし、できれば自分で気づいて何とか変わろうと思ってくれて、それで話せるようにならなくちゃダメだよね。それはまあ、その人だけじゃなく、昔の友達のとある女性にも言えることだったんだけど。その彼女もそういった性格のせいなのか、精神面の病気で苦しんでたから。誰かに話せる性格の私は、話せない彼女のことが本当は理解できてなかったんだろうな。どうして私に話してくれないのか、それが辛くてしかたなかったもの。

とまあ、↑のようなことを、とあるブログ記事を読んで思ったんで書いてみた。もっとも、私の愚痴を聞いてくれてた人は、たぶん誰かに聞いてもらってたんだろうと思う。聞かせてくれる相手が私じゃなかったことは残念だけど、それでも、その人がちゃんと生きていけるというのなら、話す相手が私じゃなくてもいい。そんな気持ちになれたおかげで、別れてしまった昔の女友達のその彼女の、私には話せないという気持ちがやっと理解できたような気がするから。彼女がちゃんと生きてくれるのが一番大事だったこと。その話す相手が私じゃなくてもいいってこと。彼女、ちゃんと誰かに話せてたらいいけどなあ。

話せるか話せないかという話に微妙にリンクしてるんだけど、私の場合、話せるっていっても、現実には口で相手にいろいろ愚痴をきいてもらうってことはできないんだよね。けれど、書くってことではどんなことでも書いてしまう人間ってことで、こんなふうに文章でならいくらでも愚痴を書きまくって、誰かに読んで~となるわけなんだけど、さすがに日記に書いてることを旦那に読まれてもかまわないかとなったら、まったく読まれたくないってわけでもないけれど、それでも、さすがに「読んで、読んで~」と積極的に読まれたいというわけじゃない。公開して書いているわけだし、たまに私がガシガシ書いている横から覗き込んできては「俺そんなこと言ってないし」とボソッと言われたりすることはあったりするんだけど、それがすごくイヤだというわけじゃない。ホントにホント読まれたくないこと、たとえばとある場所で書いているようなことは絶対に旦那には読まれたくないとは思ってるんで、ログも残さないようにしているし、完全にそれは書き捨てで書いてて、何らかのトラブルで消失してしまってもかまわないやという気持ちでいるんだけどね。もっとも、旦那は私が書いているものを何が何でも探し出して読むということは考えてもいないみたいなんで安心ではあるんだけど。旦那自身が日記とかを書くようなタイプじゃないんで、日記を書くこと自体をくだらないことだと思ってるようなふしがあるし。一時期、自分が集めたフィギュアの写真ブログをやってたこともあるけど、すぐに飽きてしまって、今じゃそのブログは放置。しかも、パスワードも忘れてしまってログインもできないとか。そんな旦那なので、他人の書いた日記なんか興味ないみたい。もし、私が突然死んだとしても、子供の頃からノートに書き続けていた日記なんかは読みもせずに捨てるような気がしている。それと同時に日記以外の私の宝物たちも旦那にとってはガラクタになるだろうな。まあ、私は旦那に読んでほしいとは思ってないし、宝物も旦那に残したいとも思ってないなあ。だから、できれば私の遺品は私と親しい友達に渡ればいいなあとは思ってる。ガクトさん関連のものとか梓さん関連のものとか、その他こまごました私の思い出の品とか。そりゃ、旦那との間の思い出の品だってまったくないわけじゃないんで、そういうのは旦那も持っててくれるとは思うけど。たとえば、ガゼボのレコードとか、一緒に作った同人誌とか、マンガなんかでも二人の趣味が重なったものなんかは旦那にとっても宝だと思うしね。

でまあ、私と旦那とではおよそ交換日記なんてやりたいとも思わないんだけど、私は他人の交換日記は読むのが好きだなあと、そんなことを思った寒い夜です。ううう、ほんと寒くなった。今夜は旦那は夜勤なんで冷たいお布団に一人で寝なくちゃなあ。

そうなったらいかな私でも「ばかー」と叫ぶよ!

2008年11月08日 11:21



新しいはてブにリニュするとか聞きました。私もはてブ2をサブアカともどもページ確認したんですけれど、デザイン的にはなかなかいい感じ。あと、一番気になっていた、お気に入られがわかるっていうの、心配することでもなかったなあと思いましたね。私も最初はこっそりお気に入りに入れてたのにー相手にバレちゃうじゃんかーと憤慨したもんですが、なんかプライベートモードにしてると相手のお気に入られには表示されないみたいですね。告知されるかどうかはちとわかりませんが。告知はプライベートだろうが関係なく「お気に入りに入れたよ」って告知されたらそれはちょっとやめてくれとは思いましたけれど。つーかね、はてブを公開してる人が「こっそりお気に入りに入れている」っていうの、それなんかおかしくない?公開してりゃ、どうにかして探し出すってことだってできるわけですからねえ。こっそりっていうのはプライベートモードでお気に入りに入れてるってことじゃないかと私は思うんですけど。だから、プライベートにしてるのにも関わらず相手に知らせるなんてことは頼むからやめてーばかばか、はてなのばかー、になると思いますです、はい。( ̄▽ ̄)

男の優しさ考

2008年11月08日 11:07



優しいだけじゃモテないっていうのを聞く。けれど、優しいだけの男でもいいじゃないかということを書いてる知り合いがいて、それを読んでいたら思い出した本がある。梓さんが昔書いたエッセイ「あずさの男性構造学」っていう本。今その本を読んでる最中なんだけど、いやー頷けることも書かれていると同時に「それはちょっとないんじゃない?」という気持ちも抱く内容だった。とはいえ、この本は1980年に出版された随分昔の本でもあるんで、いまだに梓さんがこの本に書かれていることと同じ考えを持ち続けているとはいえないんだけど、でも、考えが変わったということもわからないんで、今の彼女のことをとやかく言うわけではなく、あくまでこの本に書かれていることに反応してちょっと書いてみようかと。

この本にも男の優しさについて書かれていた。この本では基本的に梓さんは優しいだけの男はダメといったようなことを言っていて、フォークやニューミュージックなどが流行したことも世の女性たちが「やさしいひと」が好きだからということで流行ったんだみたいなことを書いていた。ということは、80年代は優しい男がモテていたってことなんでしょうね。今は違うってことで、それで優しいだけじゃモテないってことになったんでしょうけど。80年代、確かに私も青春真っ只中ではあったんですが、あの頃の私は確かに梓さんの意見には同意できたんだろうなと思う。私も優しいだけじゃなく、こうギラギラとした個性的であくの強い悪い人っぽい感じな人に惹かれたものですから。でもまあ、それは理想であって、現実にはやはり優しい人を好きになったように思う。ただ、芸能人などの好みは、確かに私はフォークがあまり好きじゃなかったということもあり、フォークの似合うような男はちょっとなあと思ってた。当時の好きな俳優とかを思い出してみて、やっぱり主人公タイプは好きじゃなくて、ちょっと悪そうなそんな感じの人が好きだったしね。

でまあ、梓さんは最後に「男はやさしくなくていっこうにかまわない」ということを言い切っている。そんなに優しくしなくていい、と。もちろん、まったく優しくするなということじゃなく、ここぞという時に見せる優しさがなくちゃダメって言ってるわけだから、私としては、それってやっぱり結局は「優しい男」がいいって言ってるような気がしたんだけど、違うのかしらん。まあ、あれだ、始終優しくしてろってことじゃなく、普段は亭主関白でも、一番肝心な時に優しさを見せることが一番モテるってことなのかなあ、今も昔も。

ところで、この本では梓さんは、たった一人に向ける優しさを否定していた。つまり、自分の女だけ優しくする男はいかん、と。自分の恋人や妻以外の女はどうでもいいという男は、つまりは自分の女に対する気持ちが冷めたときに今まで愛して優しく扱っていた女をどうでもいい存在と冷たく片付けてしまうから、だから本当の優しさじゃないんだってことらしいんだけど。ここの意見はちょっと私とは違ってて、私はそういったたった一人に向ける優しさって本物だと思うんだけどなあって。もっとも、万人に向ける優しさこそが本物という考えもあるんだろうとも思うんで、これはもう個々人の好みとしか言いようがないんだけど。
自分の大切に思っている人以外には冷たいっていうので思い出したのがガクトさん。(笑)そんなようなことをガクトさんも確か言ってた。女に対してだったか男女関係なくだったかちょっと忘れたけど、自分の中の基準に合わない相手はどうでもいい存在として片付けてしまうとか。

あと、たとえばタイタニックとかタワーリングインフェルノとか、ああいった生きるか死ぬかの瀬戸際になった時、救命ボートやヘリコプターの席がたったひとつしかあいてなかった場合、男とその恋人と見ず知らずの子供が三人いて、自分がその男だったとしたら、あなたはどう行動するか、それでその人間の本質がわかるというようなことが梓さんの本に書かれていた。でまあ、ここでうちの旦那さんがこの男だった場合、そして、私がその恋人としたら、たぶん、旦那は「一緒に死んでくれ」と言って、見ず知らずの子供を救うような気がする。って、今、旦那に聞いたらやっぱり「子供」と答えた。ホラね。(なにがホラね、だ)ただ、普通の人はそうだと思うんだけどな。でもそういった状況に置かれることってなかなかないとは思うんで、実際にその場面に出くわした場合にそんな人道的な行動がとれるかどうかはわからない。私も「うん、あなたと一緒に死ぬ」と答えるつもりだと思うんだけど、その場になってみないとやっぱりわからない。口ではなんとでも言えるから。けれど、できればその場ではそういった行動を取りたいと思う。それが正直な私の気持ちかな。

蛙の子は蛙なんでございますのよ

2008年11月04日 09:29



こんなブクマコメントを見ました。(私の記事についたブクマじゃないよ)


子供が物心ついたらあまりあれこれ書かないほうがいいのかな、とは思ってます。


ええそうなんですよ。(笑)私の息子も小学校高学年から中学卒業までは「日記にあまり書かれたくない」ということを言ってたんで、mixiで日記を書き出した頃から息子のことはブログ日記では書かないようにしてました。mixiでは細かい日常のことを書いて、ブログではここで書いているような、ネットで見聞きしたことを言及とは言えない言及記事として書いていたわけですけれど、でもね、それも本人がブログを書き出すと、何だよ、自分だって母ちゃんのこと事細かに書いてんじゃんかよとなり、今では気にせず息子のことも書いてます。そう、うちの息子くんもガシガシとブログで日記を書いてますですよ、はい。だからさ、いずれ子供さんが大きくなって、自分でブログで日記書くようになったら、覚悟してたほうがいいですよ。ほんっとこいつらってば、好き放題書いてますからねえ。って、え?それはあんたの息子だからでしょって。あらま、そうかもしれませんわねえ。ほほほほほ。

いいことも悪いことも永遠に続くのはヤなもんです

2008年11月04日 09:08



永遠に続く記事のやり取りかあ。確かに私も似たような経験したよなあ。自分ちの掲示板で。その時のログも公開してるけれど、ほんとにいつ終わるんだろうかと思ったものだったよなあ。まあ最後にはキレた私が有無を言わさずこれにて終わりってした覚えがあるけど。まあ、私もね、ヤフーの掲示板でなんだーかんだー私について言ってるのを見てしまって、それについて日記で「むかついたーむきー」という日記を書いたのもいけなかったんだけどね。スルーしろよ私ってばって感じでしたねえ。今の私はもう最初から議論なんてものは投げてるな。結局コメント欄に何か書かれたら、それをスルーすることができない私なんで、また昔のようにしつこい粘着さんに議論ふっかけられちゃったりしたら、結局はあの悪夢をまた経験しなくちゃならないってことで、やっぱコメント欄はあけられないや。ブログのコメント欄に書かれることもブクマでコメントつけられることも違いはないんだけど、やっぱブクマのコメントは気楽に眺めていられるのがいいもんね。なんていうか、他人事として見てられるという、そんな感じかな。もっとも、ブクマでそんなに酷い罵倒はされたことないんで、本当に罵倒されても泰然自若としていられるかは疑問ではある。けどまあ、たぶん大丈夫かなあ、と。

日記はただの備忘録

2008年11月04日 08:29



今朝はちょっとたいぎくなるかもと思ったので、いつもの過去日記ブログの日記掲載は昨夜予約投稿であげときました。今やっとのことで中2が終わり、今度は中3の時の日記に突入するわけですが、ほんとその頃の日記って「日記」なんですよねえ。(笑)ほとんどその日に起きたことをただ書き付けただけと言った感じで、当時の私がそのことをどう思ったかという心情はほとんど出てこない。もっとも、場合によっては書かれていなくても「ああ、そういや、あんなこと思ってたよなあ」と思い出すことはあるんですけれど、ほとんどは思い出せない。だから、あることがあって、または何かを見て聞いて「こんなことを思った」という記述は高校になってから後の日記に書いていくようになったと思います。つまり、今ネットで私が書いているような原型がその頃にはすでに出来上がってたという。ただ、紙媒体に書くこととキーボードに打ち込むことは、その手の疲れ具合からして同じとは言えない。キーボードで打ち込む文字はそれこそ際限なく書き付けることができる。けれど、紙に書く場合はどうしても手が疲れてきて書けなくなってくるわけで。だから、どうしても今はノートに日記なんて書けない。と同時に手紙もちょっと難しい。だから、この間、ガクトさんに手紙を書いたのも、かなり苦労して書きました。まず、パソコンで思ったことをダダダーっと書いて、それを見ながら便箋に書き写すということをやりました。だから、手紙の内容は私の手元に残ってます。

昔、まだネットを始める前にワープロで原稿書きをしていた頃は、そのワープロで打ち出したものを手紙に印刷して、それを友人や梓さんへのファンレターとして送ってたんですけど、人によってはそういう手紙に不快感を示す人がいたものでした。確かにその気持ちはわからないではないです。手書き神話とでも言いますか、ワープロの誰でも一緒な文字よりもその人の個性が窺われる手書きっていうのは温かみがあったり、その人の気持ちが込められているという感じがするっていうのは私もわかりますけれど、一番の問題なのは書かれている内容だと思うんですよね。どんなに手書きに温かみがあると言っても、内容が上辺だけのものだったら私は悲しいもの。手書きで罵倒された時なんか、その言葉には呪詛が込められているとまで思いましたもんね。温かい?何言ってんだか。手書きに温かみを感じるっていうなら、手書きには呪いだって込められますよ。私は、言いたい。ワープロ文字の手紙だって、温かみは感じられる、と。それと、私みたいな悪筆だと、読めない手書きの手紙を送るよりはよっぽといいと思ったんですけどね。いっときますが、私は確かに字が汚いんですけど、ちゃんと綺麗な字は書けるんですよ。だから、字の練習すればいいでしょっていうのは的外れなことなんです。ではどうして手紙や日記だと綺麗に書けないかというと、のりにのって書き出すとスピードがつきすぎて字が綺麗に書けないんですよ。綺麗な字って早いスピードでは書けないと思うんですけどね。違いますかね。それにしても、ちゃんとガクトさん私の手紙、読めたですかねえ。なるべくゆっくりと時間かけて頑張って書いたつもりですけど、やっぱどうしても長い手紙だと手が疲れてきてどうしても汚くなるし、のりにのってくるとついつい書くスピードが上がってしまって汚くなっちゃうし。だから、結局は汚い字の手紙となってしまったようでしたけれど。ごめんなさい、あんな読みにくい手紙なんて出して。(><)

さて、日記のことなんですけど、私は日記でコミュニケーションをしようなんてあまり思ってません。確かにサイトで日記書いてた時、掲示板に日記への反応があったことは嬉しかったし、それが縁で広がった交友関係というものもあったけど、基本的に日記は自分への備忘録でしかなかったからです。日記を読み返すことに意味はあるのかという声も聞きますけど、少なくとも私にはありますね。定期的に読み返すことで過去にあったトラブルを思い出して、悲しい思いをまたしないように気をつけようと思ったりもできるし、過去に気づかなかったことでも現在なら「ああ、そうだったのか。彼女はそういうことを言いたかったんだな」と気づくこともできるし、何よりも、毎年くる何かのイベントや提出物などの出し方などのおさらいができると、とにかくいいことばかり。(笑)もっとも、それも事細かに書いておかないといけないんですけども。最近はなかなか細かいことが書けてないからなあ。でもまあ、それだけ日々の暮らしの中でトンデモ出来事がないということでむしろ喜ばしいことかもしれないけれど。

だから、コメントもういいや。好きに書くにはコメントなんて不要だな。それが今の私の正直な気持ち。そりゃまったく反応がないっていうのも寂しいから、ブクマとかつくかなあとチェックしたりするけれどね。ブクマといえば、えっけんさん他かのせさんとかhatayasanとかつけてくれた前々回の記事だけど、こんなにアルファな人にブクマつけられてもしょぼいアクセスでした。(爆)しかも、ホッテントリからもアクセスあったですけど、ホッテントリってこんなに少ないアクセスしかないんだなあと、ホッテントリに入ってもこんなもんなのかー、大したことないなあと思ったものでした。ほーら、やっぱり私の書いたものなんてダメだったじゃん。ぷんすか。

これもまた罵倒記事

2008年11月03日 20:52



えっけんさんが私の書いた記事をブクマしてこんなことを書いてました

"私はむかついたことをむかついたと書き続けたい。" それをなるべく多くの人に単なる罵倒と思わせないように書く工夫


Dカテで書いているものは言及というほどではないけれど、とある記事を読んでこんなこと思ったあんなこと思ったということを書いてるわけですが、賛同の気持ちから書くこともあるし、もちろん不賛成の気持ちから書くこともあります。でまあ、前回書いた記事では、はっきり言って「むかついたから書いた」というものであったんですよね。いいことを書いてるんですけれど、なんというか私にとってはその記事は当たり前のことを書いているなという思いしか持てなかったんですよ。そんな当たり前のことしか書いていなくても多くのブクマがついている記事だったわけで、完全にもう嫉妬心からくる八つ当たりな記事ではあったんです。しかも、書いた人にとっては「どうしてそうなる」というような不本意な記事になってることは確か。でまあ、私は今では言及元を明らかにせずに書いているんで、えっけんさんの立ち居地からすれば非難されてもしかたない、チキン野郎な記事の書き方をしているわけです。それはもう承知の上でやってることです。えっけんさんは「罵倒と思わせないように書く工夫」と書いてますけど、でも、時々、罵倒芸で多くのアクセスを稼いでいる人を見ると、多少なりとも罵倒芸でアクセス稼げるかしらなんて思ったりすることもないわけじゃないです。罵倒にもいろいろあって、見てて楽しい、思わず「うまい!」と座布団三枚でもあげたくなるような罵倒芸の人もいたりして、自分もそんな楽しい罵倒芸ができたらいいなあと思うこともないわけじゃないですから。でも、たぶん私の罵倒芸はとっても見苦しいものになると予測はつくんでやりませんけれど。

つーかね、私が過去に炎上したのもね、罵倒したからじゃなかったんですよね。けれど、それでも炎上してしまったわけで。罵倒しなくても罵倒して炎上するのと同じようなことになるもんなんだなあと、後に思ったもんね。それはまあ、日頃から私にむかついていた人たちが、ここぞとばかりに叩こうと思ったということかもしれないし。まあ、昔の私もけっこう好き勝手に高圧的な日記とか書いてましたから、それはもう自業自得ではあったんでしょうけど。

でもさ、罵倒と思わせないように書く工夫してもね、もし、アクセスが欲しいと思っている人にとってはそんなこと関係ないの世界だと思うんですよ。やっぱり罵倒を繰り広げる人は、何も考えてない人か、アクセスが欲しいという人の二種類だと思うんです。だから、罵倒と思わせないように書く工夫と言っても、そうだな、私は別に工夫しては書いてないよなあ。前回の記事だって、私にとっては罵倒記事だと思ってるんですけどね。以前、自分では罵倒とは思ってないのに、罵倒芸と言われたこともあったんで、やっぱ私の書く「きぃーむかつくぅー」な記事は罵倒記事なんだと思います。でまあ、もう飾らず私は罵倒記事を書いてこうと思ったんで、もう反論なんてスルーするぞーっていうこともあり、コメントは受け付けないってことにしたわけです。とはいえ、言及元を明らかにしてないんで、明らかに私の行為ははっきりと名指しで罵倒している人よりもはるかに外道だということではあるんですが。もしそう言われても、そんな声は気にしない。つーか、気にするようなコメントはもらえないようにコメント欄は閉じてるしね。ああほんと私ってなんて卑怯なんでしょ。

私の書く物が罵倒かそうでないか、それはもうね、ここを見ている人にゆだねますわ。それでも好きだと言ってくれる人だけ、よっといでってことで。もちろん、よってこない人を気にしないってことじゃなく、全力で気にします。ただ、よってもらうための工夫はしないぞってことで。ほんと駄々っ子ノイズですなあ。はっはっは。(空威張りっ)

って、乾いた笑いはどうでもいいのです。(爆)

前回の記事にも書いたですが、明日は出社拒否をしてしまうような出来事が待ってるということもあり、かーなーりー不機嫌なあたくしでしたけれど、あれですね、諸悪の根源のことをよくよく理解してくださる旦那さまのおかげで、だいぶ、明日は頑張っていこうか、おーその諸悪の根源に立ち向かってやろーではないかという好戦的な気持ちにもなってきているのですよ、はい。旦那さまも頑張ってらっしゃる、ということは、妻であるあたくしも頑張れねばねばということで。まっけるもんかー。おー。ということで、大多数の人が意味不明な呪文を一発。

月の魔法はしゃららら~♪

なっつかしーですなー。私はやるよ。がんばるよ。つーことで、少しでも執筆すすめるぞーおー。

他人を惹き付けることに定番はない

2008年11月03日 15:41



誰が私を支持しようが、私はやっぱりどうしても私の書く物っていいものなんだという気はしない。というか、私自身は自分の書く物がおもしろいと思ってるし、いいものだという気持ちは持っているんだけど、他人にとってはおもしろいものではない、いいものとは思ってもらえないとしか思えないんですよね。そりゃ一人二人と、おもしろい、いいものだといってくれる人がいないわけじゃないんで、そういった人たちを否定するようなこの言動ははっきり言ってよくないことなんでしょうけれど、どうしても私は他人は私の書く物をいいものなんだとは思ってくれないんだとしか思えない、支持してくれる人を貶めてしまうってわかってても、それでもどうしても!

ああ、うざい、こんなこと言う自分が超うざい。

自分のスタンスで書くこと、一番自分にとって楽な感じで書くこととは言うけれど、別に受けたいと思って書いてるわけじゃない。そりゃたくさんの人にスルーされたら悲しいし、少しはちょっと注目してよって思うことは思うんだけど、とりあえずは私も自分のスタンスにのっとって書いてきてはいると思うんだけど、今までにすごく注目されたことなんか一度もない。ああ、それは違うか、本家日記では一度炎上したこともあるんで、その時に一度注目されたことはあるけれど。その時だけだったよ、注目されてどどっと人々がなだれ込んできたのは。もう経験したくないけど。それもあるからコメントは開きたくないというのもあるんだけど。

誰でも書けるようなものとか当たり障りのないものっておもしろくない、優等生なことばかり書いているブログなんてつまんないということはよく言われるけれど、それって本当にそうなんだろうか。少なくとも、私が今まで見てきた誰でも書けるような、当たり障りないものとか、優等生っぽいブログって多くの人に支持され、はてブならばたくさんの人からブクマされてるよなあと思ったものだった。一応、私は自分の書く物が誰でも書けるようなもの、当たり障りないもの、優等生な感じのものを書いてはいないぞっという自負はあるんだけど、ちーっとも誰も注目してくれないんですけど。(しつこいようだけど、一人二人は注目はしてくれてるんだけどね、それはとりあえず数には入れないで話進める)私としては、私はノイズの世界を他人にはないものを展開しているという自信は持ってる。けれど、それでもたくさんの人を惹き付けることはできてないなあということもわかってる。だから、自分のスタンスが確立してて、自分の世界を構築してて、人に好かれようとは思ってなくて、好き勝手書いててもね、それが人を惹き付けるとは限らないんだってことを私は思い知った気がする。

私はむかついたことをむかついたと書き続けたい。たぶん、それだけなんだと思う。だから、はっきり言って↑は完全に八つ当たり。(爆)

まあなんというか、以前は確かに自分からいろいろトラバうったり、コメントガンガンに残したりして、それなりにいろいろな人から支持はしてもらえて、結局は、そういったコミュニケーションを発揮すれば、爆発的ではないにしろ、それなりに注目はしてもらえるっていうことはわかってた。けれど、そういった働きかけがあるからこそ、人は人を注目するんだっていうのにちょっと「なんか違う」という気持ちが芽生えてしまって、それで、今は「見て見て」という働きかけをしていない。だから、多くの人に注目されないのはあたりまえ。ただ、もしここで積極的にトラバしたり、コメント残したりして、注目されるように働きかけたとしても、もしかしたら、まったくスルーされる場合もある。まあ、そうやってみて、ほれ見たことか、どんなに積極的にやったって私はダメなんだと思い知るってことも一つの手ではあるんだけど、それやる気力はちょいと今の私にはないんでやらないけれど。たぶん、傲慢なことなんだけど、私は積極的に働きかけなくても、それでも支持してくれる人を求めてるのかもなあ。ああ、ほんとヤな性格だ。そりゃ、付き合い切れんわと思われてもしょうがないやね。って、別に言われたわけじゃないけど。(W

とにかく、人を惹き付ける魅力的なブログなんて、何が大事かなんて誰にも「こうなんだ」と言えると同時に、言えないんだってことも言いたいと、私はそう思ったということ、定番はないってこと。あーもう何が言いたいんだが自分でもわかんなくなってきた。もうあれだ、まるっとまる投げしちゃう。もういいや。明日のこと考えちゃって、はっきりいってこれも逃避行動の一つ。あーあ、執筆が進まないよー。わっさーにも書いたけど、逃避行動の詳しいことはmixiに書いた。期間限定で。まあ数日で削除とはしないんで、マイミクの人、読めるときにでも読んでやってくださいな。はーあ。溜息しか出ない。でも、がんばるしかない。うん。

涙は流していいから強く生きていって

2008年11月02日 09:33



Marumamekoさんからブクマで私信いただきました。(W

同感。先天性股関節脱臼で障がい者の友も、前川清氏の告白に勇気づけられていましたよ。ババアとなるのもなかなか楽しからずや、なので病気と折り合い長生きしませうw


昔の職場の先輩が「かわいいおばあさんになるのが夢なの」と言ってました。うん。確かに私もかわいいおばあさんにならなりたいよなあと思う。今なら中村玉緒さんみたいなおばあさんになるのが夢だなあ。(笑)
私も別にババアになるのが嫌だというわけじゃなく、長生きするのも元気で長生きがしたいと思ってるわけなんですよね。ただ、自分はそのために努力をしてるかといったらそうじゃないということもあり、そういった今までの不摂生のために今の私は元気に長生きができるという身体ではないということなんですわ。でも、決定的な最悪な病気にはまだ大丈夫なのかなとは思っているんで、老化による体調不良はMarumamekoさんの言うとおりで折り合いをつけて生きていくしかないわけです。

さて、↑までは昨日の朝に書いたものです。昨日の朝は体調が絶不調で、長い記事を書く元気がありませんでした。今朝もそんなに回復したというわけじゃないんですけど、昨日よりはまだ調子はいいんで気合入れて書いてこうと思います。って、別に気合いなんか入れることでもないんですけどね。ただ、これから書くことは今しか書けないことだしなあと思ってるんですよね。前回書いた記事にも微妙に関係してくることだから。前から書きたいと思ってたことでもあり、いい機会だから続けて書いちゃおうと思って。それにしても、前回、宇多田ちゃんの名前を記事で書いたことで、宇多田ちゃんの名前での検索でここに辿りついた人がたくさんいました。いやー芸能人の名前ってアクセス稼ぎには効果的だよなあと思いました。いや、別に私はアクセスを稼ぎたいと思ってるわけじゃないんですけど、でも、気楽に芸能人の名前を書けないっていうのもストレスなんで、書いていることに関係あれば書いていくだけなんですけど。それにまあ、宇多田ちゃんのような人のおかげでいろいろな勇気をもらったという話だってそんなに意味のないことじゃないと思うんですよねえ。もっとも、昨日検索で辿りついた人が、宇多田ちゃんの何を求めてここにアクセスしたかはわからないんで、「ったくもー、くだらねえこと書きやがって、このクソが」なんて悪態をついてないとも言えないんですけど、さ。(W

さて、本題いきましょか。

Marumamekoさんがブクマしてくれた私の記事なんですが、タイトルに書いたように芸能人は自分の病気を公表してほしいなと私自身は思っています。それで思い出したのが、この間亡くなられた緒形拳さんのこと、そして、同じようにガンで闘病中の作家の栗本薫さん(ここでは梓さんと書きます)のこと。緒形さんは亡くなられてしまい、梓さんはまだ生きてはいるんですけれど、これも絶対に大丈夫とはいえない状況ではある。梓さんは何年も前からサイトで日記を公開し続けていて、日記では日々の自分の体調のことを包み隠さず書いてました。だから、彼女の具合はファンであればみんなよく知っているわけです。そして、その逆が緒形さん。話に聞けば彼はご自分の病気を周囲に漏らすなと言っていたそうで、彼のファンのほとんどが彼の病状は知らなかったんじゃないでしょうか。その彼の配慮は、ファンに対する優しさからくるものなんでしょうけれど。

私はここでその優しさについて自分の思うところを語ってみたいと思うのです。この優しさということへの私の考えというものは、ガクトさんへの手紙に書いたことでもあります。少なからず緒形さんとはガクトさんも関わりがあるということで、芸能人のファンに対する優しさって何だろうということを私なりの意見として書いてガクトさんに送りました。メールではなく紙媒体の方法で。それに書いた内容を改めて書いてみようかなと。緒形さんも梓さんも、そしてガクトさんも多くのファンを持つという点で、ファンに対する優しさとはどういう優しさを持つべきかということをそれぞれが持っていたと思うんですが、ガクトさんが自分のファンに対する優しさをどう考えているかは私にはわかりません。緒形さんも梓さんも、別に「これが私のファンに対する優しさだ」とは明言はしてなかったと思うので、私がそうじゃないかと思うだけなんで、完全に私の想像で語ることではあるんですけれど。こんなふうに思ったということを書き残しておきたいなと思ったんで、よろしければどうぞお付き合いくださいな。


緒形さんは肝臓ガンだったみたいですが、梓さんはすい臓がんです。彼女は以前にも乳がんをやっており、その時も事細かにそのことを書いた本を出していますが、今回もまたこと細かに書いた本を出したわけです。それが「ガン病棟のピーターラビット」です。とにかく、自分の体験したことは書いて誰かに読んでもらいたいという欲求の強い方なのですが、緒形さんはその逆だったようですよね。自分がガンであることは絶対に他人には聞かせるなと聞きましたので、恐らく、同情もされたくないし、心配もさせたくないという、他人に対して細やかな優しさを緒形さんは持っていたと私は思いました。けれど、私は、病気であることを自分を知っているファンには包み隠さず言うのが本当の優しさなのではないかと、梓さんの「ガン病棟のピーターラビット」を読んで思ったのですよ。もちろん、緒形さんの優しさを否定するわけではありません。それもまた優しさの一つであると私も思いますが、でも、私にとっては緒形さんの優しさはただの自己満足ではないかという思いがどうしても拭い去れません。

それはなぜか。

緒形さんの優しさの場合、緒形さんと親しくしてもらっている人々にとって、彼が突然このように死んだ場合に相当なショックを受けると思うのですよ。病気をしているわけでもない、たとえば不慮の事故で死んでしまった場合はもうしかたないですが、自分が不治の病であり、明日をも知れぬ命であるとわかっていれば、それを人々に教えることで人々に「覚悟」をさせることができるのではないかと思うのです。現に、私は梓さんが、ガンでもう長くはないかもしれないと聞いた時は確かにショックでしたが、でも、まだ今は生きています。確かに彼女も明日をも知れぬ命ではあるんですが、もしかしたら生き延びてくれるかもしれない、と、そう思うことで、その時がいつかはわからないけれど、その時まで執筆し続け、頑張ると言ってくれる彼女を悲しませたくない、支えたいと、そう思えるようになりました。だから、たとえ、志半ばで彼女が死んでしまったとしても、「そうか、やっぱり、その時が来てしまったのか」と、嘆き悲しむことはないのではないかと思ったのです。

私は、できればガクトさんにも、そういった生き方をしてもらいたいなと思いました。なるべくならガクトさんを慕う人々にショックを与えない最期であってほしい、と。そのためにはどうすればいいか、それを考えるのが有名人には大切なことなのではないかなあ、と。自分が死んだことで、誰かが後追い自殺をしてしまうようなことは決してあってはならないと、有名人の人たちだって思っていると思うのです。

私はガクトさんへの手紙にこう書きました。

「私は、あなたがたとえ私より先にいなくなったとしても、あなたの分も強く生きていきたいと思えるようになりたいのです。それはあなたを愛する人たちすべてにそういう生き方をして欲しいと思う。それはきっとあなたもそう願っていることなんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。」

ガクトさんもきっと同じ気持ちだと思う。だって、この歌があるから。マイスペースのガクトさんのプロフで流れている「Road」でこんな言葉が出てくるから。

もし僕が先に消えてしまっても
風になって君を守り続けてゆくから

涙は流さないで
優しく微笑んでいて



そうはいっても、本当にガクトさん、あなたが死んでしまったら私は泣くでしょうね。泣かないわけがないです。あなたが緒形さんの追悼番組で見せた一筋の涙は、どんな言葉でも語りつくせないほどにあなたの心情を物語っていました。嘆き悲しむよりももっと、先立たれる残された者の心の痛みが感じられた。だけど、嘆いてばかりはいられないわけです。今、あなたは全国ツアーに向けて着々と準備を進めているわけで、きっと、緒形さんもその成功を願っているはずですから。

きっと、空の上から見詰めていますよ、あなたのことを。優しく微笑んで。主君を見守る宇佐美のように。



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