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Answer Song

2008年12月31日 22:52



あなたに初めて抱かれた時に
私の頬を孤独な風が通り過ぎていった
すべてのあなたを愛したいと思った瞬間
目の前に赤く染まった空が広がったわ

愛してると囁いて
愛してるわと応え
ずっと抱き合い二人は生きていく

あなたの魂と私の魂と混ざり合って
孤独な風を二人の風に変えていくよ
泣き顔が笑顔に
痛みを空に返して
柔らかな風はすべてを包み込んで消えていく

抱きしめたあなたの身体の温もりを
決して忘れない
涙も苦痛も幸せもすべてすべて
魂に刻んで

二人の風はどこまでも吹きぬけていくだろう

どこまでもいつまでも吹き抜けて

--------------------------------------

あなただけを見ていた
瞳に映るあなただけを
共に笑ったね
共に泣いたね
共に歩いたね
優しい記憶と共に旅立つよ
あなたにもらった最後の言葉を携えて

暗闇に手を伸ばし探していたあなたを
けれど唇は音もなく動くだけ
あなたの耳には届かない
届けたいのに届かない
この想いは

もう少しだけ勇気があれば
きっと伝えられたんだろう
だから歌う
あなたに届けと歌う

このetudeにのせて

--------------------------------------

君はそっと囁いた
好きですと囁いた
そっと口付けたね
照れずに口付けたね

君が心を捧げてくれた
初めて出逢ったあの頃に
戻れたら最高だけど
時は止まってはくれない
なくしたものは戻らない
けれど私はいつもここにいる
清水の流れる川辺に
そよそよと咲き乱れるサクラソウが
それが私よ
君をいつも待ってるわここで

--------------------------------------

茜色の空を見るたびに思い出す
あなたのことを
夕焼け空は嫉妬の炎
あなたの心そのものだった

私の笑顔が見たかったの?
泣く姿は見たくないから?
だから封印したのねその気持ち

そうね

気がつかなかったわ
あなたが私をずっと好きだったってこと
ええ忘れてないわ
あなたが傍にずっといたこと

抱きしめたくて抱きたくて
気が狂いそうな夜もあったのね
伝えたくて伝えられなくて
作り笑顔しか見せられない午後も

そうねずっと傍にいたわね
ずっと一緒に過ごしていったわね
まるで一枚の絵のように
いつか
あの茜色の空をバックに
あの時の二人のように
あの時の二人のように
寄り添えたらって

あなたは

思い切りピースを作ってた
絶対大丈夫だと
すべてはきっとうまくいくと
それだけは確信して

二人の絵の欠片
一枚の絵になる
いつの日かきっと素敵な絵に

好きよ
あなたが
本当に好きだから

ずっと傍にいるわ

--------------------------------------

降り続く雨の中で彼は信じた
いつか彼女に逢えるだろうと
いつか雨は止み
微笑んだ彼女が其処にいるだろうと

失った笑顔にかけて
必ずたどり着くと
彼は誓って歩く

どんなに傷付いても
どんなに涙流しても
この手に抱いた夢だけは手放さない

この声が
何処にも届かなくても
誰にも届かなくても
彼は天に向かって叫び続ける

待ってくれる人たちのために

それは彼女の笑顔が忘れられないから
いつか巡りあう彼女の優しさを忘れてないから
彼は永遠に歩き続ける

Dears

永遠に

-----------------------------------------

あなたを愛してるわ
常盤の彼方でずっとあなたを
あなただけを
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本音を書くことは残酷なのか?

2008年12月30日 10:51

やすとろさんのこの記事を読んで思ったことをつらつらと書いてみる。れいによってれいのごとく脱線しまくりなものだけど。(笑)


 私個人の考えを書くという事で「自分語り」は散々やってるけれど、それでもある範囲内だけかな。そこから外れるような事は書いてない。この枠は私が勝手に作ったもので、誰もがそうすべきとも思ってないけれど。表現方法や、取り上げる範囲等、完全に本音という意味では書けない事がある場合は書く事すらしない場合もある。



今朝、起き掛けにつけたTVからは、秋葉で起きたあの事件の加害者のネットでの書き込みを取り上げて、加害者の心理を解くっていうのをやってたんだけど、そこで取り上げられていた「モテたい」「彼女ほしい」という言葉はフェイクであると語られていた。そのことで、コメンテーターの芸能人たちもブログなどを書いてはいるけれど、結局は本音を正直には公開の場所ではそのままの形では書けないと言ってたんだよね。たぶん、芸能人に限らず、素人のブログなどに書かれていることも、嘘を書いているわけじゃないけれど、整合性を持たせるために脚色したり、本音も読んでいる人に配慮して不快にならないように書いたり、或いはその逆で、わざと不快にさせるために罵倒して書いたり、中には嘘ばかり書いているっていう人もいるんだろうなって。そういうのはすべて「演じている」ということなんだろう。


 思う事をそのまま書いていったら、もっと毒だらけの文章になるし(昔、そういう文章だった)、荒れるだろうなとも思う。荒れて嬉しい訳でも無く、また、読み手に対して嫌な気分を味合わせたい訳でも無く……それならば、嘘は書かないけれど、本音をそのまま書くという事は抑えて、穏便なコメントにしていくという方法を取るという事はあるな。



抑えて書くということ、穏便なコメントにしていくということ、それらも演じていると言ってもいいと思う。演じるっていうことを不快に思う人もいるかもしれないけれど、自分の大切な場所を荒らしたくないから抑えて書く、誰かを嫌な気持ちにさせたくないから穏便にコメントつけるっていうことは、まさに演じていることであり、だが、それは誰にも責められることじゃない。むしろ、他人のことを考えて書いているってことで、賞賛されるに値する行為だ。ただ、どんなものだったとしても、たとえ自分がひどく傷付けられるとしても、それでもその人の本音が聞きたいと思っている人からすれば、やはり抑えて書かれたものや穏便につけられたコメントより、「本気でぶつかってくれよ!」と不満は持ってしまう。それがまあ私という人間でもあるんだけど。


やすとろさんは、タイトルでも書かれているように、ネットで書いている文章は自分の一部であると書いているわけだけど、私も確かに同じようにすべてを書いているわけじゃない。書いていない本音もある。だけど、他の人よりはかなり忠実に自分のことをネットで書いていると思う。ただ、一つのキャラで語るというわけじゃなく、「私」と特定されないほかのキャラを使い分けてネット上に垂れ流すという形ではあるんだけど。ほぼ99%は自分の思っていることや体験したことをすべて公開の場所(一部は非公開の場所で。それはまあ「私」と特定されてしまうということもあり、なんだけど)で書いている。なんというか、だからといってその場所が炎上するかといったら、そんな気配もないしね。まあ、そこを誰かが読んでいたとして、書かれていることは本当のことなんだとも思われていないかもしれないし。明らかに匿名っていう感じで書いているわけだからねえ。だから、やはりリアルと直結した場所では本音中の本音は書けないってことなんだなあとも痛感したものだった。


でまあ、匿名ってことで、脱線するんだけど。(爆)


この間ゲットしたB・PASSという音楽雑誌。そう、ガクトさん特集が掲載されていて、今回のツアー初日後のインタビューが書かれていたんだけど、書かれていることでまたいろいろ考えたことがある。ツアーが始まる以前にゲットしたARENA37℃でも語りたいことはあったけど、脊髄反射で書きたいなと思ったのが、ガクトさんが「匿名」について語っていたから。で、ちょうどいいということで書いてみる。他の話題でも書きたいなあと思ったけどね。


それは「残酷」という言葉から『人ほど残酷な生き物っていないからね』とガクトさんが言うところから始まる。


人は常に優越感と劣等感の中で生きていて、それがためにこの世からはゴシップはなくならないし、人を責めるという行為もなくならないっていうことを聞いて、ガクトさんは『人間って弱っちい生き物なんだなぁ』って思ったんだそう。だけど、それを彼は否定しているわけじゃない。


「でも例えば、じゃあ優越感も劣等感も感じずに生きてる人がいい人なのかっていうと、そうとも限らないよね。今度はそこにあんまり意志が介在しなくなって、抜け殻みたいになってしまう。何に対しても興味がなくなっちゃうというかさ。それはそれで人っぽく見えないし。だから……なんなんだろうな?って。バランスの悪いもので構成されているギリギリのところで均衡を保ってるのが、人間という生き物なのかもしれないなぁって」by Gackt



これ、昨日私が書いた嫉妬心もそうだよなあって思った。嫉妬心や優越感や劣等感って、ネガティヴに見られがちで、なくしたほうがいいといった声も聞かれるだろうし、確かに、秋葉の事件の表層だけ見ればその劣等感が事件を引き起こしたとも言えるけれど(まあ、非モテであることが劣等感ではなかったみたいだけど、別の劣等感は確かに犯人は持っていたと思うしね)、でも、こういった劣等感だって、それをプラスにすることはできるわけなんだよね。ガクトさんがそのいい例だと思う。彼は劣等感の塊だよって言ってたから。その劣等感をバネにして今の地位を築いたわけだもの。私も嫉妬心を創作に変換してるしね。まあ、その過程でガクトさんも私も誰かを傷つけてはきているんで、他人にとってはタチのいいもんじゃないかもしれないけれど。でもさ、人って生きてるだけで誰一人他人を傷つけてない人はいないんじゃないかなあって思うんだけどな。まあ、だからって自分を正当化するつもりはないけれど。でまあ、ガクトさんはそのギリギリな均衡を保っている人間の本質が見れる場所のひとつに2ちゃんを上げていた。


「例えば2ch(2ちゃんねる)とか、顔を出さない、人物が特定されない、匿名で何でも出来るものが増えたじゃない?あの2chが出来たことで、汚い人間が増えたみたいに思ってる人もいるかもしれないけれど、そうじゃないんだよ。あれが本質なんだよ、人間の。そういうのを曝け出せる場所が、たまたま出来ただけ。人と人が向き合ってる時は、相手に対して理性も優しさも遠慮も働くけど、顔を出さない状態だと、めちゃくちゃ勝手なことや残酷なことが言える。2chは、その証明みたいなもんなんだ」by Gackt



これって、やすとろさんが読者にちゃんと向き合っているから、だからめちゃくちゃなことを言わないっていうのも同じだと思う。なんだかんだ言ったって、私だってリアルに特定される場所ではめちゃくちゃなことは書けないし書いていない。本音中の本音だって、犯罪ギリギリなことを思ってたとしても、そのまま書くことはしない。まあ「誰某は死ねよ」くらいは書くだろうけれど、この手で殺してしまうほどの憎しみは持っていない。ただ、今日見たTVの識者の言うことで考えると、たとえ匿名だからといっても、公開された場所で書かれていることは本当じゃない、ただ演じているだけとも言えるわけで、それをそのまま鵜呑みにはできないんじゃないかなあとも思う。けれど、たぶん、ガクトさんが言いたいのは、書かれていることが本当か演技かがどうのこうのっていうことじゃなく、そこにそういったことを書いてしまうその行為に至る心理というものはすべての人間が持っている性質なんじゃないかと言っているのかなあと思った。それが人間っていうものなんだよって。


それにしても……全然ここまで書いたこととは話題が変わるんだけど。(爆)この雑誌の最初のところに表現のことでこんなことをガクトさん言っている。


「ん~、僕は、ただ表現するだけだったらマスターベーションだと思うんだよね。(中略)例えば自分が何かを創った、完成した、と。そこで完結して満足できるタイプじゃないんだよ。創ったものを人に届けて人に喜んでもらえて初めて、創った意味が生まれる。中には、勝手に観て勝手に感動してくれればいいっていう人もいると思う。それは間違ってないと思うんだよ。それもひとつの考え方だから。でも僕は違う。僕は、自分の創ったものを届けて、相手が喜んだ顔を見て初めて良かったって思えるんだよね」by Gackt



これ読んだ時、かなり動揺した。自分のやったことを否定されたと思った。この時点で、すでに私は彼に自分の書いた小説を届けていたから。私のやったことは意味のないことだったのか、と。私のやり方では、相手の顔は見えない。たとえば、友人が言っていたように、ライヴ会場で彼に小説を手渡しすることのほうが相手の顔が見えるという点ではマシだったのかもしれない。だけど、当日にそんなことが出来るとは思えなかったし、見てすぐにどんなものかわかるものじゃない、小説の場合は。だから、私は郵送という形を取った。それもツアーが始まる前までに届くようにと。でもまあ、「それは間違ってない」と彼は言っているわけだから、否定されたわけじゃない。私の悪いところなんだけど、その人と考え方が違うと、すべてを否定されたとどうしても思ってしまうんだよね。これは梓さんの日記を読んでいた時にも陥ってしまったことではあったんだけど。けれど、昔、ケンカしてしまった友人が言っていたように「悪い所だから直したいとは思うんだけどってあなたは言うけれど、本当は直そうなんて思ってないでしょ」っていうのは言われたくないなあって思う。確かに強くは思ってないかもしれないけれど、性格っていうか性質っていうものはなかなか直らないと思うんだよね。まあ言い訳でしないんだろうけれど。ガクトさんあたりなら「本気で直そうと思ったら直せるはずだ」なんてケリ入れられそうだしねえ。(笑)


私の贈ったあの「Love Letter」が、ガクトさんを喜ばせたのかどうかわからない。ただ、私は彼に背中を押してもらったが故に出来上がった小説集を届けることで「貴方のおかげです」と伝えたかったわけだから、誰かの背中を押したいと言うガクトさんだからこそ、きっと喜んでくれただろうと信じている。そして、これからも小説は書いていくと決心したから、それでいいんじゃないかと思う。


それにしても、ほんと私の書く物ってカテゴリ分けできないよなあ。つくづくブログ向けじゃないと思う。Gカテゴリにも入れられる内容でもあるんだもん。タイトル付けも難しいよ。とりあえずつけたけどね。つーか、ほんと長文なのな。ここまで読んでくれた人ありがとさん♪

嫉妬心の表明

2008年12月29日 10:05



かのせさんのこの記事を読んで思ったことなど書いてみる、そろそろ今年も終わるそんな寒い朝、ううう、ほんと寒いぜこの部屋は。(W


嫉妬心を持つのは人間として当たり前じゃないか!みたいなことを書く人が、よく出てくる。でも、「嫉妬心を持つこと」と「嫉妬心を公開の場で書いたり、他人に伝えること」は別だからね!



まあ確かに嫉妬心持つのは当たり前っていうのはそりゃ言い過ぎだよなあと思わないでもない。まったく嫉妬心なんて持たないっていう人だって一人もいないとは限らないよねえ。私はそういう人には出会ったことないけれど。でも、きっとこれだけ多くの人間がいるんだから、世界のどこかには一人くらいはまったく嫉妬心なんて持たないっていう人も存在しないわけじゃないだろう。だから「当たり前」っていう言葉は確かに違うんじゃないかと思われ。ただ、当たり前じゃあないけれど、嫉妬心持つ人が圧倒的に多いんじゃないかなあ。だから、どうしても人は「当たり前」と言ってしまうんじゃないかなと思う。だから、言ってしまうことはしかたないと思うよ。つーか、きっと「当たり前」って言う人だって、そんなことはわかってるかもれないよね、嫉妬心持つことと、それを公開の場で言っちゃうことは別なんだってことは。かのせさん、なんか重箱の隅をつつく人っぽく見えてしまうのは私だけ?(W


嫉妬心を公開の場で書くのって、他人の共感を得ようとしているんじゃないかと思えてしまえて、うわーゲスやなーと思ってしまう。



私は、他人の共感を得ようとして公開の場で書くことのどこが悪いんだって思う。まあ、かのせさんは、それを悪いとは言ってないし、別に書きゃいいじゃんって思ってるんだろうけれど、それでもさ、「うわーゲスやなー」っていう言い方は何だかなーって思った。悪いとは思ってないかもしれないけれど、そういうヤな目を向けてるって、さらに他の誰かからは「うわーゲスやなー」って思われちゃうと思うんですけどさ。まあ、そんなことは百も承知って思ってて、そういうことを書いたのかもしれないんで、別にいいんですけど、好きなこと言えば?って。好きなことを書くことができるのがウェブのいいところって私は思ってるんで。


コメ欄で誰かが書いている「ウェブは肥溜めなんだよ。痰ツボなんだよ」っていうのは言い過ぎかなあとは思いつつ、それも一理あるとは思う。けれど、それだけじゃない。そういったクソな言葉たちが公開されている一方で、感動させたり、感激させたりする言葉たちも溢れている。私なんかはそういった言葉たちで背中を押されていろいろ頑張って生きようって思えたんだものね。きっと私だけじゃなく、他の多くの人だって、そういったことで素晴らしい言葉に出会ってる人だっているはずだもの。それと、かのせさんが学級委員的なモラルを書いているとは私は微塵も思っちゃいないけど、匿名さんはそう思ったらしくて、でも、私はその学級委員的なモラルだって不必要だとは思ってない。そういうものだってないとなあって思ってるしね。


差別するならしたらいいんだよ。
黒人は猿じゃん。白人はゲイじゃん。アジア人は戦争犯罪者で経済バカじゃん。
それでいいじゃん。そう思うなら。
思ったことを表明するんだよ。それがウェブなんだよ。



って、そう言うならば、やっぱ学級委員的モラルの表明だって肯定されなくちゃならない。まあ、これ言った人は思ったことを表明することを否定されているからこう言ったんだろうけれどねえ。だけどさ、私にはかのせさんが表明するなとは言ってないと思うんだけど。「言いたきゃ言えば?でも俺はうわーゲスやなーと思った」ってことを結局は言ってるんじゃないかと思ったけど。まあ、私も読解力なっしんぐな人間なんで、かのせさんには「違うよ!」って言われちゃうかもなんですけど。


でまあ、またしても脱線するんですが。(爆)


嫉妬心で思い出したのは、前にも書いたことではあるんだけど、ガクトさん関連ではその嫉妬という言葉は当たり前に出てくる言葉だよなあと思う。まあ、ガクトさんに限らず、有名人にはその嫉妬ということは切っても切れない縁があるってことで。ガクトさんがバツ一だということは知ってる人も多いでしょうけれど、私は彼がいつ結婚して離婚したかは知りません。だから、昔のことではなく、たとえばもし今彼が誰かと結婚した場合、それが同じ芸能人じゃなく(芸能人だったとしても)、一般の女性がお相手だった場合、かなりの嫉妬が彼女に集まるでしょうね。そんなことはいつだったかのライヴで、会場にきていたとある女性がたった一人選ばれてメンバー全員からプレゼントをもらった時に、その女性にかなりの誹謗中傷が寄せられたことでわかりますから。私はその時、嫉妬心を持ってしまうことは当たり前と書いたと思う。そりゃ彼をどうしようもなく愛していれば、選ばれなかった自分としては選ばれた人を羨んでしまうことは当たり前だとは思いませんか。羨む事は悪いことじゃない。羨んで嫉妬して、それをバネにして、次こそ自分もと夢に向かって努力する。そういった嫉妬心の使い方もあるわけですからね。だから、私は自分の嫉妬心を無くそうとは思わないわけです。それが自分を高めるための糧となるってわかってるから。ただ、嫉妬を持ってしまうことまではいいと思うけれど、それが相手への攻撃に変わった時に、それは責められなければならないと思うんですよ。それは間違った嫉妬心の使い方だから。


嫉妬心の表明。誰かに共感してもらいたければ表明すればいいし、それをイヤだなーと表明することも間違っちゃいない。でも、私の場合は嫉妬心を表明することで共感を得たいわけじゃなく、自分自身を鼓舞するために表明する。その嫉妬心が喜びに変わる瞬間を誰かに見てもらいたいから。私の物語を、私の奇跡の物語を見てもらいたいから。まあ、究極のナルシー人間なんでしょうね、私って奴は。でもそんなバカがいたっていいじゃない。私は楽しいし、少しでもこの楽しさをわかってくれる人もきっとどこかにいると思うから。だから、私はこれからもいろいろ表明していくと思います。これからもバカやってくよ!(爆)

横暴なお子様でした

2008年12月27日 11:23



はてブのコメントを見ていてゆっけさんのこんなコメント読んで自分語りをしてみる。


何にせよ目立つのがいかんのではないかと。末の子が中学に入るとき高校生の兄が「いいか、いじめられたくなかったら謙遜してろ。できるだけ隠せ。」と言い聞かせておりました。でも今の中学生は事情が違うかも。



彼女の息子さんも私の息子と似たような年頃だと思うので、今の子供たちは目立つとか、勉強が出来るとか出来ないとか、そういったことでいじめられることが多いんだろうな。もちろん、性格とか特異性とかそういったことでもいじめられるんだろう。今はどんな子供だって、ちょっとしたきっかけでいじめられてしまう、そんな感じなんだろうねえ。


中学の頃の私の日記を今読み返している最中なんだけど、自分ではいじめたつもりはないけれど、どうも誰かには「あなたにいじめられていたんだよ」と思われている過去だったみたいだよなあと思った。実際にいじめていたような記述はないけれど、思い返す中での「あんなこと、こんなこと」が、それっていじめでしょーと思うような思い出がチラホラあったんですよね。で、思い出してみて、むかつく誰かっていうのは、性格がどうもイヤだっていう人だったわけで。勉強が出来たとか出来ないとか、運動が出来るとか出来ないとか、目立つから目立たないからとか、そういうことではなかった気がする。当時の他のいじめっ子たちが、私と同じような気持ちでいたかどうかはわからないけれど、私の知る限りのいじめっ子は、やはり「こいつ生意気だ」っていう奴をいじめたような気がする。何というか、いじめられている相手もかなり我が強く、自分は決して悪くないと思い込んでいるようなそんな気の強い性格の子だったな。で、そういった子っていうのは、むかついている者がけっこう多くて、それで一対多っていう感じになっちゃって、それではたから見るといじめられてるっていうふうに見えるわけ。もっとも、それはうちの学校だけで、他の学校ではもっと陰湿ないじめとかあったかもしれないんだけど。


というかね、今のいじめが「目立つ」ということでいじめられるとしたら、間違いなく昔の私はいじめられてただろうなあ。とにかく、私は目立つ子だったから。負けることが嫌いで、人の注目を浴びたくて、そのために勉強も頑張るわ、運動も頑張るわ、ピアノも歌も人前で率先してやるわ、何かの長はやるわ、人々の関心を引くために大騒ぎするわで、たぶん、かなりうざがられてた女の子だったと思う。実際、幼馴染の旦那が「うるさい女だった」と当時の私の印象を教えてくれたしね。でも、誰もいじめてくる子はいなかった。いじめっ子さえも、もしかしたら陰では私の悪口を言ってたかもしれないけれど、表面ではそんなことは微塵も見せなかったしね。つーか、たぶん、当時やられたら、その倍は私も相手にやり返すような子供だったんで、そりゃもう誰もいじめる奴なんかいなかっただろうし。そんな横暴なお子様でした、わたくしは。(爆)


だから、目立つことでいじめられるっていうのが、私にとっては信じられないことであり、そして、時代は変わっていくもんなんだなあとしみじみ思ったということです。ただ、思春期の息子を持つ親としては、自分の子供がいじめられることはもちろんイヤなので、もしいじめられたら「相手に倍返ししておやり」って言うでしょうね。そういうことがいじめの連鎖を生んでしまうとしても。他の子なんてどうでもいい。私は自分の子供だけが一番大事なんだもの。何も言い返せないような穏やかで優しい性格ではこの時代は生きていけない。そういったことが人としては求められているとしても、この世知辛い世の中を生き抜いて欲しいと思うから、だから、何としても生き続けろって、そう心から願っている。とはいえ、それを言う前に、私自身もちゃんと生きろよなとは思うんですけどね。たぶん、私も親に似たような心配はさせていると思う。すまん、母ちゃん。何とか頑張るよ。うん。

君の幸せを祈っていた

2008年12月23日 22:38

「今はとても幸せなんだろうな」と彼が思うようになって、とても感慨深く思った。彼のメルマガを以前読んでいて、いつだったか危ない時もあった。その時、いつか彼に幸せが訪れますようにと心から祈った。あれからだいぶ経つ。ここまで来たんだ。本当によかった。心からそう思う。ここを彼が見るかどうかはわからないけれど、もし見たとしても、コメントつけない私を不快に思うかもしれない。けれど、私にはもうコメントを残す気力がない。ごめんなさい。

顔じゃなく声に惚れた

2008年12月21日 22:40



ナツさんがガクトさんの名前をあげていた。ナツさんは櫻井敦司って人の美貌は素晴らしいと書いてますが、櫻井敦司って誰だろうと思った私です。どうやらBUCK-TICKのボーカルの人らしい?(笑)
BUCK-TICKっていう名前は聞いたことがあります。ナツさんが紹介しているその動画を見たですけれど、確かに歌っている人、ナツさんの言うとおりで「歌ってる時の表情が凄絶」だと私も思いました。けれど、ごめん、声が私的にはダメ。なんか顔の雰囲気と声がマッチングしていないと私は思ってしまった。まあ、これも、私が顔より声に惚れる人だからなんだけど。もっとも、顔だって声だって、好みは人それぞれだから、櫻井敦司さんの声が最高と言う人だっているだろう。でも、私はこの世でもっとも素晴らしい声だと思うのがガクトさんの声なんだよねえ。ああいったタイプの声が一番好きだな。


さて、美しい男ということで、ナツさんの記事を読んだまりねこさんが「美しい男って、そんなに興味ないんですよね」と書いてらした。なんつーか、私がガクトさんが好きだというと、やっぱ「美しいからガクトが好きなのか」と思われちゃうんでしょうけど、確かに、観賞するのに美しい人のほうがいいっていうのは私も否定しません。男でも女でも美しい人は見ていたい。まりねこさんは男より女の美しいほうが興味あるようですが、私は美しければ男でも女でも見てたいですねえ。けれど、興味という点では、ただ見ていたいっていうのだけで言うと、それは私にっては興味の対象とは言えません。私が興味持ったら、とことんその対象物に対して「こーなんだろうか、あーなんだろうか」って考えちゃうんですよね。で、好き勝手に語りだすわけです。今の私の興味の対象は、そうガクトさん。ガクトさんの言うことやることを見聞きしては、好き勝手に語る、挙句の果てには「こうなんじゃないか」とガクトさんをモデルにして小説まで書いちゃうわけです。


私がガクトさんにここまでの興味を持つ以前は、その興味の対象物が自分の生み出したキャラのマリーでした。このマリーというキャラは、スレイヤーズのゼロスに興味を持ったことによって生まれたキャラです。最初はゼロスを彷彿とさせるキャラとしてキャラ立てしたのですが、後に、ゼロス以外にも私の好きなキャラの性格を織り込んで、こねくり回して、そしてマリーという独自のキャラへと確立していきました。マリーで小説を書くことは本当に楽しかった。だけど、それが今ではガクトさんへと興味が移っていき、今はガクトさんをモデルにして小説を書くのが楽しくなっていったわけです。


はら、またしても話がズレてきたわ。(爆)


軌道修正。えーと、ナツさんが「美形悪役の目つきなんだよな」と櫻井敦司さんのことを評してますが、確かに紹介されている動画を見ると、そうだよなーと思います。魔物の目だとか。で、ガクトさんは何ですか神の目とか?うーん、まあそうとも言えるかも。ガクトさんの目は悪役とはちと違うかなとも私は思っていますしね。私には神でも魔物でもなく、ただ「イッちゃってる」という雰囲気の目だなあと思います。狂気の目とでも言いますか。でも、私は好きなんですよ、狂気の目って。
そういえば、Hydeさん、ガクトさんの映画で吸血鬼の役してましたよねえ。天使のような吸血鬼でした。うん。確かに。ガクトさんはやんちゃな役してたし。(笑)


最後に、昔から言ってきたことではあるんですが、私の好みの顔というのが、日本人でいえば山崎務、嶋田久作、外国人で言えば、デビッド・ボウイ、レナード・ニモイです。あくの強い顔が好きですね。だから、顔だけでいえばナツさんの好みの櫻井敦司さんも好みの顔つきです。でも、結局は顔じゃなく私は声でガクトさんに魅了されてしまった。もうね、彼の声じゃなきゃ逝けないんですよ。これはもうね、困ったことでもあるんですよね。だってさ、他の人の歌がまったく聞けないんですもの。もう何年もずーーーーーーーっとガクトさんの歌しか聞いてません。そりゃ他にも「あ、これいい歌」っていうのありますよ。でも、ガクトさん以外の歌しか聞けなくなってしまった。これはこれで幸せだと思うと同時に、ある意味不幸でもありますよねえ。けれど、何百回と聞いても飽きないんですよね。今夜もまたガクトさんの歌声を聞きながら、さて、寝床に入りますか。

派遣について言っとこうかね

2008年12月18日 23:20



派遣社員切りの話題で世間は賑々しくなっているようですが、ええ、うちの旦那さんも以前は派遣社員でした。今でも忘れた頃に登録していた派遣会社から電話きますよ「どうですかお仕事は」って。別に電話してくれなくても、仕事がなくなったらまた連絡しますよ、ったく、人が寝てる時間に電話してくんなよって思うんですが。まあ、昼夜関係ない仕事をしていて、昼間に寝てるとは知らないでしょうから、そんなこと思うのも酷なことなんですが。でも、やっぱり電話してくんなってどうしても思っちまいやす。もっとも、以前やってた派遣の仕事も、夜勤のある仕事でもあったんですけどさ。


今昔の日記を読み返してきたところなんですけど、旦那はとあるホームセンターに20歳かそこらで定職として勤め出したんですけど、それも私という女をゲットするためだったということです。私が当時、日曜祭日関係ない仕事をしていて、その休みにあわせるためにと勤めた仕事だったらしいんですが、もし私に振られたとしても、転勤願いを出して遠くに行くこともできるという考えのもとで勤めた会社だったらしい。でもまあ、うまい具合に私と付き合うことになって、それで他の友達たちとはなかなか休みが一緒になれなかったんですけど、私と旦那はお休みが一緒ということで、いつも一緒に行動してました。そんな会社でしたけれど、2003年5月に退職。理由はふたつ。会社の方針についていけなくなったことと、その当時辞職すれば、まとまった退職金が出るからということでした。おかげで、2001年に亡くなった舅のお墓を建立することができました。けれど、それからなかなか仕事が見つからなかったんですよね。私としては3ヶ月くらいで見つけてくれるかなあと思ってたんですが、半年くらいはかかったような気がする。というか、確認しようにも2003年は8月から11月までの4ヶ月間をウィルスのせいでログを消失してしまったんですよ。でも12月にはパン屋さんにすでに勤めていたというような記述があったんで、その4ヶ月間の間に再就職したはずなんです。けどまあ、そこもすぐに辞めてしまいました。とにかくあまりにも仕事がキツクて。当時、旦那が考えた物語に自分がやってる移動パン屋さんの話でも出てきた話ですが、とにかく雪山なんかも当たり前でパンを売って回るっていうので、崖から落ちてしまいそうになることもあったりして、私としてはもっと別の仕事についてほしいと思ってました。でまあ、体力的にも精神的にもやっていけないとなり、そこもすぐに辞めたわけです。といっても、日記を確認してみたら翌年の7月に辞めてたんで、一年近くはパン屋さんで仕事してたってことですよねえ。それから一ヵ月後に決まった仕事が派遣会社の仕事だったんですよね。それから2007年5月まで派遣社員として働いてたわけです。約3年でしたか。本当は派遣じゃなくちゃんとした正社員の仕事がよかったんですけど、正社員って給料安いんですよね。たくわえがあって、それで何とか補いながらやっていくか、妻が同じような正社員としてバリバリ働くかでもしないとやっていけないと思う、あんな給金では。ただ、派遣と違って福利厚生が整ってるからマシだし、やっぱ正社員っていきなり解雇ってこともないだろうしなあというのもある。もちろん、今のご時世じゃ、それも危ういんですけど。だってさ、旦那が正社員として勤めていたホームセンターだって、結局は正社員切りをやってたようなもんだもん。旦那はしがみつかずにサッサと見切りつけて辞めたわけだし。
派遣って、手っ取り早く稼ぐにはいい職種だと思う。始めたその時から20万前後はちゃんといただけるわけだしね。ただ、生活していくには困らなくても、貯金するには苦しい。ボーナスとかがあればそれを貯蓄にっていうこともできるんだろうけど、派遣にはそういうもんないし。家族とか持ってなければ、けっこう何とか貯めていくことはできるかもしれないとは思った。いかんせん旦那の場合は高校にもなるような息子にマトモに稼いでいるとはいえない妻を抱えているわけですから、なかなか貯金はできませんでしたよねえ。


でまあ、2007年、その派遣を辞めたというより解雇されて辞めざるを得なかったわけです。もうそんな頃から派遣切りは始まってたわけですよ。はい。まあ、旦那は幸いにも親族のおかげで新しい職場を見つけることができたんですけどね。しかも正社員です。ただ、かなり仕事はキツイと思います。それでも派遣の時と同じくらいか、それ以上の給料はいただけてます。いかにキツイ仕事かわかるってもんでしょう。けれど、それでもガンガンに辞めていく人いますから。旦那曰く「守るものがないもんはダメだな」とのことです。やっぱ、自分のように養っていく家族がいる人は根性すわってて、仕事も辞めるってことはないようです。だから、根性なしな一人もんの若者がすぐに辞めてしまうようですよ。まあ、幸いにも、仕事はキツイようですが、昔のようなストレスありまくりの接客業とは違って、今の仕事は旦那には合ってるようです。でもねえ、それでも妻としては心配ですよ。派遣の時の夜勤とかあってキツイとはいえ、製造業でしたから事故っていうのもそんなに心配はしてなくて、帰りの車の事故が心配ではあったというくらいでしたけれど。今の仕事はモロ事故に遭ってしまう確立は高いだろうし。旦那の運転の腕は確かで、信じていてもね、巻き添え食ってしまうってこともあるだろうし。でもまあ、今の仕事についてから1年と半年過ぎました。ほんと少しづつではありますけれど、金銭的にも余裕が出てきました。やっぱり福利厚生があるっていうのはいいもんです。

夢は自分の力で叶えるもんなんですよね

2008年12月18日 17:51



私はDearsではありません。一応うんだら会員ではあるので、まったくの非会員というわけではないのですけど、高い会費を払っての会員ではないので、当然それなりの待遇しかないということはわかってはいます。だから、今回のガクトさんの日記が読めるようになったということで、Dearsの方々が納得いかないという気持ちはわかりますし、私としては「本当に読んでもいいんだろうか」という気持ちも持っています。そりゃ読めるようになったことはとても嬉しいことなんで、マイスペースのコメントでガクトさんに「ありがとうございます」とコメントしてきたわけですけれど。


どうしてガクト日記が非会員でも読めるようになったか、それはわかりません。Dears村を作ろうとした時にはすでに決まっていたのかもしれないし、他にもっと差別化をするような特別なコンテンツができることもあっての公開なのかもしれないし。ただ、ゆうさんの日記や、あと他の有名人でも誰でもが読める日記を公開している、たとえば宇多田ちゃんとかの日記なんかを読んでは、こんなふうに本人の言葉で本人のことを知らない人すべての人に「自分はこう考えているんだよ」っていう素直な本音を語ってみせることは、ガクトさん自身にもプラスになるんじゃないかなあと思ったことは確かです。これをきっかけに、ガクトさんってこんな人なんだと好感を持ってくれる人たちも出てくる気がするし。
私は確かにガクトさんが好きだからっていうのもあるんですけど、その贔屓目を差っ引いても、今回ドワッと全記事を読ませていただいて「ほんとイイコト書いてるよなあ」と思いましたもん。これを多くの人に、特に「ガクト?うーんちょっと…」という人たちに読んでもらいたいと思ったくらいです。


それにしても、アクセス集中してしまうのは、今はリニューアルでそうなってしまうのはしかたないことだと思います。他の有名人の方々のサイトやブログなども同じ条件だと思うし、しかも、Dears村のああいったまるでロールプレイングゲームみたいな作りであれば、さらに表示などにも不具合も出るだろうしねえ。徐々に落ち着いて表示されやすくなるだろうと思うんで、ここはもう少し温かく見守ってほしいなと思いますけれど。まあ私に言われたくないか。(苦笑)


ところで、本家小説サイトではこの間、近況として書いたことなんですが、ここでも書いておきます。


以前、私はガクトさんのアルバム「Love Letter」で小説を書くと宣言したことがあるんですが、その約束(まあ私が勝手に自分で「約束」と掲げていたわけなんですけど)を果たしました。ガクトさんが私の住む土地でライヴをすることになると知った時、私はこの感謝を自分のできることで表したいと思い、それで、以前「書くぞー」と言っていたことをここで果たさなくては女が廃るということで(爆)、それで、「Love Letter」内全10タイトルをキッチリ書き上げ(4タイトルはすでに書き上げていたので厳密に言うと6タイトルなんですが)、それを手作り製本してガクトさんに進呈しようと思ったんですよ。それをツアーが始まるまでに何とか完成させ、そしてガクトさんにお贈りいたしました。


ガクトさんに「よくやったね」と思ってもらいたい、それだけのために。


もちろん、これはあくまで私が勝手にやったことですし、別にガクトさん本人と「指きりげんまん」と約束したわけじゃないです。すべては私の妄想です。けれど、ガクトさんはみんなの背中を押したいって言ってますよね。で、間違いなく私は背中をガクトさんに押されたわけです。きっと、ガクトさんは「よくやったね」と思ってくれる。私はそう信じてます。そして、今回のガクトさんの日記が読めるようになったのも、勝手に「よくやったね。ご褒美だよ」とガクトさんが、小説を書き上げた私にサプライズしてくれたとドリームこいて思い込んでますです。ええ、ただの妄想です。何度も言います。ただの妄想ですよ。けれど、妄想でも何でも、ただの偶然でも、それでも、ガクトさんの日記がこのタイミングで読めるようになったということが、私には一番重要なことなんです。


だって、私の願いが叶ったわけですから。日記が読みたいっていう願いが。


これはね、もうね、「夢は見るもんじゃない、叶えるもんだ」ってガクトさんが言うことも本当に「そうなんだなあ」と信じられることなんだな、と。そう思ってしまってもしょうがないじゃないですか。だってさ、ただ夢見てただけじゃないもん。ちゃんと私は頑張ったもん。頑張って、すべてのタイトルで小説書き上げたもん。大変だったんだよ、この2ヶ月間。本当に期日までに書き上げることができるんだろうか。なんでちゃんと進まないんだよ。どうして書けないんだよ。あんなに小説書くのが好きだったじゃないか。なのに、どうしてこんなに書くのが苦しいんだ?なんで?あんなに楽しく書けてたのに。なんで書けないんだ?やっぱり私には才能なんてないんだよ。書けない作家なんてダメだ。でも書けなくなったら私はもうおしまいだ。連載途中で投げ出してしまったあの物語たちを永遠に完成させることはできないんだ。私はダメなヤツだ。ダメな人間だ。こんな私は生きてる価値もないんだ。ガクトさんにだって合わせる顔がない。ああ、どうしよう。書けない。なんで書けないんだ?───そんな葛藤の中、それでもね、やっぱり少しづつ書きあがっていく物語たちがいとおしくなってきたもんです。苦しみの中から生まれた私のかわいい子供たちですから。拙くてもいい。私が一生懸命プロットを練って作った物語たち。ガクトさんの歌に相応しいかどうかなんてことはわからないけれど、けれど、私なりの解釈で作り出した「Love Letter」の中の物語たち。それを完成させて、そして、届けました。


本当にありがとう、また小説を書かせてくれて。もう書けないと思ってた私に書かせてくれて。ありがとうガクトさん。


私にやる気を出させてくれたんですよ、ガクトさん、貴方は。もう書けないと思ってた私に、また小説を書かせてくれた。私の背中を押してくれた。それがガクトさん、貴方なんです。


ちなみに、今でも私の書くガクトさんをモデルにして書いている小説のシリーズ物を待ってくれている人がDearsにまだいるかどうかわかりませんが、クリスマス近辺に「Love Letter」の中から「この夜が終わる前に」を更新する予定です。他の5タイトルは来年になったら更新していくつもりですので、まだ興味持ってくださっていたらぜひ読んでやってください。

私には闘えないかもしれない

2008年12月06日 08:13



2日の彼女の日記を読んだ。この一年、ずっと体調悪かったんだろうと思う。そりゃあたりまえだ。ガンなんだから。基本が体調悪い状態で、それを基本にして今日は多少いい、今日はずいぶんと悪いっていう毎日だったんだろう。それこそ毎日毎日この一年間。舅もそうだった。毎日そんな調子だったんだ。で、彼女が「体が、癌でくたばるか抗ガン剤でやられてしまうかのどっちかになってしまうんじゃないかと思う」と言ってるが、舅はその前に神経がやられてしまったわけだ。彼女だってそういう恐れはないとは言えないだろうけれど、勝手に想像するに、神経がやられてしまうっていうのは彼女にはないかもしれない。それよりも彼女には気にかかることがたくさんあるような気がするから。

昨夜は夢に彼女が出てきた。私は彼女に対していろいろ迷惑かけたと勝手に思っているわけで、それもあって彼女には嫌われているんじゃないかとまたしても勝手にそう思っている。まあ、そんなことを思うこともとんでもなく不遜なことなのかもしれないんだけど。別に親しくしていたわけじゃないし、彼女にとっては私は多くの読者の一人というだけに過ぎない。どちらさんでしたっけと言われるだろう、そういう人間が、嫌われただのなんだの言うのもおこがしまいわけだけど、それでもこっちはどうしてもそういう気持ちが拭えないわけだ。だからあんな夢を見る。彼女は夢でやさしかった。まるで友人に話しかけるように気さくに話しかけてくれた。私は嬉しかった。嬉しくて、起きてから泣いてしまった。あんな夢見るなんて、なんだか胸騒ぎがしてしまって、縁起でもないことまで考えてしまって、それで彼女の日記を読みにいった。ちゃんと更新されてた。よかった。けれど、読んでいくうちにまた涙出てきた。

彼女は、このあと何年続くのかわからない、と言い、それにめげるとも書いていて、さらに、いずれは抗がん剤でもどうにもならなくなる時がくるんだろうとも書いていた。それでも彼女は待ってくれている人たちのために、一冊でも多く書いてくれるんだろう。その瞬間まで。果たして、自分がそんな立場になったら、できるだろうか、そんなことが。私にはダメかもしれない。ちょっと体調が悪くなっても大騒ぎして、もうダメだ、こんなにつらいのならいっそ死んだ方がマシだなんてわめくような私に、そんな闘いができるわけがない。私には闘えない。自分のことしか考えてない私には。きっと、誰が悲しもうとも、私はとっとと自分で自分に幕を閉じてしまうんじゃないだろうか。わからないけど。その時になってみないとわからないけれど。でも、そんな気がする。



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