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ここは不健康なブログです

2011年12月17日 16:46

あーまた広告出てきてるし。まあ、ここはほとんど更新されることはないから広告出てきてしまうのはしょうがないんだけどね。こっちで言及みたいなものを書くことはこれからもほとんどないはず。そういうの出てきたらはてなで書くし。ただ、今日は更新されたら読みに行ってるブログで気になる語句を見つけて、れっつらリンク。それがこれ。

ブログ界隈からバカが減った気がする : web-g.org

そんな健康的なブログがいくつかあるなら紹介しろよってな話になるかも知んないけど、またバカが舞い戻ってきてそのブログのコメント欄に長文クレームとか書かれて閉鎖とかされると寂しいので止めときます。つーか俺の言う健康的なブログってのは逆に不健康な思考ばっかりしてるブログなんです。


この人が私のブログを不健康って思ってくれるのかどうかはわからないけれど、普通の人は「あなたのブログは不健康」と言われれば不快に思うんじゃないかな。だからこそ、以前ノイズブログのことを「不健康」と断定して私にそれをわざわざメールしてきて「あなたになど取り上げられたくない」って言ってきたのも、私を傷つけようとして言ってきたんだろうし。まあ、確かに私はそのメールで傷ついた。厳密に言うと不健康だと言われたことで傷ついたわけじゃないんだけど、それでもメールで私に対してのネガティブな思いを、その人から告げられたことにより、私は確かに傷ついたわけ。それは本当のこと。今まで好きだった人にそんなネガティブなこと言われたら、そりゃ私だって傷つく。もっとも、私も過去に誰かを傷つけてきたわけだから、他人を責めることはできないよね。だから、それについてはもう過去のことと思えるようになった。今はもうその人のこと探そうとも思わないし。あと、その人とのトラブルの後に何人かの間で似たようなトラブルが起きて、というか起こして、どうしても関係を切らなくちゃならなかったり、切られちゃったりしたことがあって、しばらくは荒れるけど、今はほとんどもうその人たちのことはそんなに気にしてない。最初はもちろんストーカーみたいにこっそり何か書けば読みに行ったりしてたけど、今はしてないし。きっと私には読まれたくないって思ってるだろうから。やっと、その人たちの望み通りになったといえる。

私の場合の長続きのこつってないんだよなあ。たぶん他人は関係ないんだろうな。ただもう何か書きたいってなって、書く気力さえあれば書く。それだけ。まあ、基本は自分が読みたいものを書きたいとなって書くっていうのなんだけど、今はどっちかっていうと小説書きのほうにベクトルが向いちゃってるから、日記というか、ブログはほとんど書く気が起きない。とはいえ、ブログを削除しない限りは、こんなふうにたまーにポンッと書いちゃうこともあるんだけど。ただ、ブログを何個も持ってるから、ほんとはもう整理してしまっていらないブログは削除して、ひとつ、或いはふたつに絞ってしまったほうがいいんだろうけどなあ。今書いてるようなことはホントだったらはてなののなびーブログで書くようなことだし。執筆関連はサイトに表示させてるしもらーブログだし。ここの記事は日記サイトに移行済みだから、ほんとは削除してしまったほうがいいんだろうけどなあ。ただ、少ないながらもブクマつけてもらってる記事もあったりして、ちょっと消すにしのびない。だから、このまま放置にしようかと、そんなふうに思う。



【追記】←誰かさんの真似っこwww

人間のデフォルトは不健康なはず : web-g.org

なんか、私の記事を取り上げて記事を書いてくれたらしい。

うまく言えないんだけど、マイナス思考はマイナスを呼び、プラス思考はプラスを呼ぶとも言うよね。それは間違いじゃないし、頭ではわかっている、それは私も。けれど、自分の性格がどうしても悪いことばっかり考えてしまって、それでどんどんドツボにはまっていくわけで。だからこそ、何年か前に病気じゃないのに、ちょっとした体調の悪さがきっかけで、どんどん悪いことばかり考えるようになって、そのせいで悪くないところが本当に悪くなってしまったということもあった。そんな感じでガン細胞なんかも活性化されるっていうの、聞いたこともある。逆に、ガン細胞を消滅させてしまう力が精神力にはあるともいうし。だから、思い込みってプラスに働けばいいことに作用するから、プラス思考の思い込みを支持する人が出て来てもそれは至極健康的でいいことだって私も思うんだ。

けれど、私はそれができない気質。

私の母は私とは正反対の気質で、どんなことでもプラス思考の持ち主。それもあって70代の彼女なのに、どうかすると40代に見えないこともないくらいに元気なんだよね。病気なんてほとんと経験ないし。そんな母に今はすごく憧れる。私もそういうどんなことでも「なんとかなるさ」となりたいもんだって。で、私の母はマイナス思考を理解しない人だった。とはいえ、さすがに自分の娘のことをだいぶ理解してくれるようになったけれど。まあ、厳密にいうと理解はやっぱりできないけれど、それでも「そういう人もいるんだ」となってくれたようで、それだけでも私は救われる。思うに、理解する必要ないなって思う。理解してくれなくてもいいから、そういう人もいると認めてくれれば、それだけでいいなって。

形だけで中身がなくたっていい。心からの笑顔じゃなくても、作り笑いでも病気が治ると聞いた時から、そんなふうに思えるようになった。たとえ形だけでも、その人が私のために作ってくれた笑顔であれば、私はその気持ちを大切にしたい。

でまあ、こっちでも無理やりガクト話を挿入。(爆)

記事を読んでふっと頭に浮かんだのが、ガクトさんの「生きとし生けるすべてに告ぐ」だったんだよね。その歌の歌詞にこういう一節がある。

『完璧に満たされたとしたならそれこそ絶望のはじまり』


完璧ってどんなだろうね。完璧な人間、完璧な世界、どんななんだろうって。それってもう進化しようがないってことでもあるから、だから絶望なのかなあ。なんて。
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