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元気でいたい

2012年09月30日 20:42

空を飛べる、ねえ。私はそれができるとは思ってはいなかったけど、いつか背中に翼が生えて空を飛べることもあるかもしれないとは思ったことはあったな。翼が生えてくれるのなら、生えてくる時の激痛も耐えてみせるのにって。そういうマンガがあったから、翼が生える時はものすごい痛みがあるんだろうなあと思ったから。風を操るとか、そういうのと似たようなので、自分は天気を自在に操れるなんて思ったこともあったな。どうしても晴れてほしいとか、雨が降ってほしいとか、そういうことを強く強く念じれば、晴れになったし雨も降ったもんだから、私にそういう超能力があるんじゃないかって、さ。ほんと子供ってバカだよねえ。でも、子供って、いつかお話の中の主人公みたいな体験を自分はするに違いないって信じてるとこってあるんだろうと思う。だってまだこんなに若いんだもの、まだまだいろんな可能性があるんだ、きっと何にでもなれるんだって、そう思える時間が目の前にあって、まだまだ自分には時間がたっぷりあるんだって、ね。で、さすがに50年も経ってしまうと、そろそろ寿命が目の前に近づいてくるわけで、もう自分に残された時間はわずか、昔ならもうすでに死んでる年齢、そうなるともう可能性なんてどうしても信じられない。いくら長生きできたとしても、自分が稀有な年寄りのように元気に過ごせるはずもないから、やれることは限られてくる。若い時みたいに何でもできそうな元気さはないわけだからねえ。今はもう、何でもできそうだ、じゃなく、自分がやりたいと思えて自分にできそうなことしかもうやりたくない。できそうもないことの中には小説を書くということも含まれている。小説を書くってね、思いのほか体力がいるんだよね。精神力もいるし。それを続けることは漲る生命力のある人間にしかできないこと。私は、職業としての小説書き向きじゃないから。職業としてなら、それで食っていくために、しかたなく書いていくんだろうけれど、私には書くことを職業にできる才能はないから、小説は趣味で書くしかない。で、趣味で書くということは、私にとって体力・知力・気力がいるわけで、最近、書けなくなってきているのは、書くことはもう私にとっての救いとはならないからなんだろうなあと思い始めている。

それにしても、小鳥ちゃん、私の思ってたことと同じようなこと思ってんだなあ。私も見えなくなるとか聞こえなくなるっていう恐怖は持っていて、見たり聞いたり歌ったりとかができなくなることは絶対イヤだなあと思ってた。見えなくなったら本が読めなくなるし、映画とか見れなくなるのは考えたくないことだし、聞こえなくなると大好きな音楽が聴けないのはイヤだったし、歌えないことも、歌うことは好きだったから。あと、手がなくなるのもイヤだった。ピアノが弾けなくなるはイヤだったし、ヘタでも絵も描きたかったし。まあ、絵もピアノも今はまったくやってないけれど、それでもやっぱり手はついててほしい。で、それならば足は別にいっかー、むしろ足が歩けなくなれば、ずっと家にいて本読んだり音楽聞いたり小説書いたりできるしなあって。そんな勝手なこと思ってたこともあったけど、去年、人生初の骨折をしてしまい、しばらく歩くのが不自由になった時に、その「歩けなくなる」ことも、こんなにつらいことだなんて思わなかったから、やっぱりちゃんと歩けるのがいいって思ったよなあ。

今はもう元気でいることが一番の望み。元気で読みたいものを読んでいられれば、それが今の私の幸せ。そして、なるべく苦しまずに痛みを感じずに死んでいけたら、それ以上もう何も望まない、かな。
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そろそろですね

2012年09月29日 23:10

もうすぐでわっさーは終わるわけだけど、知り合いが私みたいにわっさーログをさるべーじしてて、それはブログに転載してたんだけど、けっこう読みやすかったなー。私はHTMLに転載したんだけど、あのままでは公開できないよなーと思ってて、どうしようかな、私もブログに転載しよっかな。一気にじゃなくて、すこーしづつ。ただ、ノイズの場所で本家の名前はあんまり明記したくないんで、ここに転載も考えちゃうよなあ。別に隠してるわけじゃないし、長年ここを読んでる人は私がどこの誰かはわかってるわけで、気にしなきゃいいっちゃいいんだけど、でもなー、変なこだわりがあって、やっぱここでは「ノイズちゃん」でいたいし。できたらFC2がいいけど…それだけのために新しいブログ作るのもなんだしなー。それに、わっさーログだけのブログならば、更新されることはないということで、どこのブログであっても広告は出ちゃうことになるわけだし。ならば、はてなダイアリで転載しちゃうか。それとも、ものすごーくめんどくさいけど、名前のとこだけ変更してここで公開っていうのも…いやダメだ。そういうめんどくささも、HTMLのほうの体裁整えても同じめんどくささだから、意味ないしなー。やっぱはてなダイアリでやっちゃうか。んーどうしよう。

いつの日か、また逢えるから

2012年09月28日 21:33

ガクトさん…というか、YFCの「All My Love」を昨夜は聞いていて思ったこと。昨日読み終わった「硬派!蘭丸応援団」の主人公、蘭丸の父親、宗賀清一朗のテーマ曲だよなあって。(笑)



この歌を聞くと、清一朗が亡き妻の墓石を抱いて泣くシーンがこう、ぶわーっと浮かんできて、とにかく泣いた泣いた、ええ泣かせて頂きましたわ。(爆)

蘭丸応援団には様々なキャラの壮絶な過去が描かれていて、そして、それを彼らが乗り越えていくというのがテーマのひとつにもなっていると私は思っているんだけど、その中でも私には蘭丸の父親とその妻、沙百合の二人の間の出来事が一番つらく感じた。妻は夫の死を信じてはいなかったのだろうけれど、それでも愛する者が傍にいないということは私には耐えられないほどの辛さだと思う。私が彼女の立場だったら、小さな子供を抱えて一人で生きていくなんて想像するのも怖いから。そして、夫は、せっかく生きていたというのに、やっと帰り着いてみたら愛する妻は亡くなっていたという。これもまたつらいことだよなあ。もっとも、ずっと記憶をなくしていたわけだからなあ。普通に思えば、記憶をなくしている間は別人として生きているわけだから、妻よりはまだマシだったとも言えるんだけど、これもまた、自分は記憶をなくしていることは自覚しているわけで、己の記憶がないことで苦しんだんだろうしねえ。で、やっと記憶を取り戻しても、もうすでに愛する人はこの世にいなくて、もう二度とこの腕で抱くことはできないんだと思うことは、とってもつらいことだろう。とまあ、そういうことを想像してしまうわけよ、この「All My Love」は。

つーことで、蘭丸応援団は売らずに残すことに決定。(笑)

親失格な親としての意見

2012年09月26日 10:08

SBMは禁止ということなのでリンクはしないけど、ついったーで知り合いになった女の子の日記を読んでて思ったこと。この子んちが一般的な家庭というわけじゃないんだろうけど、確かこの子って17歳とか言ってた。どうも学校に行ってるという感じじゃなく、もしかしたらもう18になって卒業したのかもしれないし、そこのところの詳しいことはわからないにしても、たぶんまだ20にはなってないと思う。ということは、まだ未成年でしょ。日記を読む限りでは母と姉の語句が出てきているのでその二人はいるとして、父親はどうかはわからない。勝手に推測して、もしかしたらいないのかもしれないし、もしかしたら見落としているかもしれない。それはわからないけれど、書かれていることに金銭的な困窮のことがあって、それのためにバイトを探してはいるけれど、なかなか仕事につけないでいるようだ。確かに、家庭が貧乏であれば、親も子供にいろいろしてやることはできないわけで、子供も家計を助けるためにバイトでもして稼ぐっていうのはわからないではない。私は幸運にもそういうことを経験しなくてもすむ家庭だったけど、旦那なんてバイト三昧の子供時代で、はっきりいって金銭的なことで親の助けを借りてきたことはなかったようだ。ただ、未成年だといろいろ大人の助けも必要なことがあるくらいで、それがなければ未成年者の彼といえども立派な大人と言えなくもない。だから、彼女、仮に小鳥ちゃんと呼ぶけれど(笑)、小鳥ちゃんも母親と姉から「もうあんたは立派な大人」と責められたこともしかたないかなと思わないでもない。でも、一般的に見て、まだ成人してない未成年はまだ大人じゃあない。どんなに実際の大人よりも大人らしくたって、世間的にも未成年は大人ではなく子供だ。だから、せめて親くらいは、自分の子供に対して、そういうこと(「あんたは立派な大人」)は言って欲しくないなと私は思う。つーか、ちゃんと子供らしい暮らしがさせてやれないことを恥じれよと私は言いたい。もっとも、他人の家庭のことだから、ほっとけと言われるのがオチだろうけど。それでもさー、子供をそこまで追い込むことないだろーがっつーの。私みたいな親失格の人間でも、自分の子供に「働いて早く金返して、返し終わったら、死ねばいい」なんて言わせたくないよ。子供が親より先に死ぬなんて、そんなことあっちゃならないよ。そりゃ、やむを得ず子供が病気や事故や事件で死んでしまうこともあるだろうけど。それ以外で、たとえば自殺なんかで死ぬなんて…絶対あっちゃならない。まあでも、そんなこと言う私も、親より先に死にたい、なんて思ってるわけだから、説得力に欠けるかもしれないけれど。

これはまあ、小鳥ちゃんの日記だけで思ったことではあるんで、客観的な意見とは言い難い。彼女の家庭の事情を熟知してるわけじゃないんで、完全に日記だけの印象で憤りを感じたというだけに過ぎないのだから。でもね、小鳥ちゃんの「迷惑を掛けるよりは食い扶持を減らす方が平気」という言葉が、あまりにも切なくて、やっぱり、どんな事情があるにしろ、まだ成人してない女の子に食い扶持云々言わせるなんて、親として恥じるべきだと、親としての立場の私は思うわけよ。私が親失格な親であるからこそ、強くそう思う。

其処に住むということ

2012年09月25日 22:49

観光地といえば、うちも観光地だよなあと思ってみたり。とはいえ、ほんとに小さな市内のうちでもごくごく限られた場所にしか観光人の姿は見られない。よくまああんな数百メートルの商店街に何百万人の人が訪れたもんだと感心する。なんつーか、ちょっと外れた場所になると、そんなに大勢の人がやってきたのかと疑うくらいの静けさなもんで、さ。

「観光地に住むということ - あれとかこれとか (Lefty)」

確かに、沖縄の海を地元の人は「普通でしょ」と思うのはわかるんだけど、でもやっぱり綺麗だと思うよ。もちろん、私も実際に沖縄の海をこの目で見たわけじゃなく、テレビなんかの映像でしか見たことないから、その綺麗さが本当のものかどうかわからない。やっぱ実際に見てみないとねえ。ただ、こっちの海もそれなりに綺麗だとは言われていても、やっぱ、テレビで見た沖縄のあの透き通るような海水と比べたら、段違いで沖縄の海はすごく綺麗だなと思うんだよね。そりゃ、Leftyさんが沖縄以外の海を見ていないとは思わないんだけど、あの沖縄の海を「普通でしょ」と言っちゃうあたり、他の海見てないからそんなこと言えるんでしょ、なーんて私は思ってしまった。だって、違うもん、こっちの海とは。やっぱ綺麗だよ。うん。

話変わって。

「身近な景色を見なおしてみると」と言う語句で思い出したことなんだけど、今日、旦那と話してて、生まれ育ったこの土地を私はどうもそんなに好いてるというわけじゃなく、どっか別の土地、たとえば都会なんかに住みたいよなあと言ったら、日頃から「寒いとこはイヤだ、あったかいとこに住みたい」なんて言ってた旦那が、ケロッとして「ここは住みやすいとこだと思う」なんて言いだすんだよね。なんだよそれー、沖縄なんかいいよねーなんて言ってたじゃんかと私は内心ブウブウしてたんだけど、旦那としてはそれが本音なんだろうな。生まれ育った土地が一番っていうのが。まあ、正直言えば、私もここはいいところだとは思う。私がここじゃなく別のとこに行きたいと思うのも、かなり自分勝手な思いからではあるんで、あえてその理由は書かないけどね。まあ、たぶん、私はどこに行ってもそれなりに不満が出て来てしまうワガママ人間ってだけなんだろう。住めば都とは言うけれど、それはやっぱりその人自身の意識の問題でしかないわけだ。

私はもっともっとどこに住んでも図太く生きていける、そんな精神的に強い人間になりたいなあ。まあ、いわゆる、そういう人っていい人ではないんだけど。そりゃ私もいい人とは言えないんだけど、一応取り繕って隠してるわけだから、それこそ、憎まれっ子世に憚るで、自分がいい人じゃないってことを隠そうともせず、公で憎まれっ子をやってみせて平気でいられる人間になることができれば、もっとずっと楽に生きていけるんだろうなあ。

此処にいる、とでも?

2012年09月23日 23:47

エッセイブログ関連のツブヤキをこっちに書くのは反則だとは思うんだけど、自記事をブクマしてツブヤクのもアレなんで、コッチで謎のツブヤキをしておく。タイトルに不満ってことを書かれた人が自分の日記で書いてた。でもまあ、書かれていることの意味なんてほとんど誰も気づかないはず。私としては誰か気づいてくれるかなーという思いはあるんだけど、でもさ、ご本人さんもそういう気持ち、あったりするんじゃないかと思ってみたり。だってさー、そうじゃなきゃ、アッチのアカウント変えたのはどうして?と思うもの。誰かに探してもらいたいんじゃないかなーなんて思ってみたり。(笑)

理解できなくても

2012年09月22日 10:42

ついったーのタイムラインに流れてきたこのツイート。




あらー便利だわー。今までだったら、手書きで引用したんだけど、ついったーに「このツイートをサイトに埋め込む」をクリックしたらタグがちゃんと用意されてた。へー。(笑)

とと…脱線脱線。(爆)

うるるんさんの言う通りで、人、というか、ネットで何かしらこうやってブログなどを書いてる人ってーのは主張したいから、だからこそこんなふうに書いてるわけだ。どんなに「主張したいからじゃない」なんて言っても。本当に主張したいなんて思ってないという人は、そもそもネットに自分の考えや意見なんぞ書かない。私だって、主張したくない時は書かないもん。まあ、その主張を誰かにどうしても読んでもらいたいかどうかっていうと話は別だけどね。伝えたい相手に読ませたいというのもあるだろうけど、そんなに相手に伝えたいとは思ってない場合もあるだろうし。あと、私みたいに、自分自身に読ませたい、つまりは、後に読み物として読み返したいから書いてるっていうのもあるしねえ。で、私の場合は、せっかく書いたんだから、誰か読んでくれたらいいかなーという軽い気持ちで誰でもが読める場所に置いてるということ。

さて、うるるんさんのツイートに反応したのは、まず孫引用となる『わたしたちはどうしたってわかりあえないし,わかりあえない相手の思考を理解することはおそらくできない』っていう言葉。これ、いつだったか梓さんも何かで書いてたなあと思ったわけ。まあ、そんなに目新しい言葉ってわけじゃなく、わかりあえないことは当たり前のことで、だけども、それを絶望と取ることはない、わかりあえないことを前提としていれば、そんなに対人で衝突するということもないだろうなあ、みたいなことをどこかで誰かが言ってたように思う。なんつーか、私なんかも誰かに理解されない人間であり、昔はそれがどうしても許せなくて、どうしても理解してもらいたかった。もちろん、理解してほしい相手は自分にとって好きな人だ。でも、私は、好きじゃないどうでもいい誰かの理解も得たいと傲慢にも思っていたんだ。それが、後にやっと、好きでもないどうでもいい誰かの理解なんてどうでもいいじゃないかと思えるようになった。そして、好きな誰かの理解も、理解されない事はちょっと悲しいなと思っても、それでも理解されないことはしかたない、理解されなくてもいいや、となんとか思えるようになった。ただ、好きな誰かに「理解はできないけど、理解したいという気持ちはあるよ」と言われることは願った。理解できないから離れていく人の中で、そういった人も必ず一人はいるから。それが「幸せ」なんだなあって。

と、理解云々はここまでで。

うるるんさんのリンク先のはてなハイクの会話は、初音ミクにまつわる理解についての記事を書いた人が、その自分の記事に一人の人がスターを何個もつけてて、それが不愉快だから一個に減らしてくれと言っていて、それへのコメントをスターつけていた人が「その不愉快の理由を教えてほしい」と言っているもの。不愉快さっていうのは人それぞれで、万人のわかる不愉快さだけじゃなく、その人だけの琴線っていうものがあったりするのは、私もとんでもないことで不愉快さを感じてしまうこともあるから、理解しがたい不愉快さを持つ人の気持ちはわからないではない。でも、相手の「なんで?」という気持ちもわかるから、相手に聞くことも悪いことじゃないだろう。何も聞かずに「そうですか、じゃあ、減らしてきます」と言ってくれる人もいないわけじゃないしね。私の場合だったら、「なにそれ、変な奴」って言われたくないから、たぶん言わない。何が原因で不愉快になったか、なんて。昔、一度、そういうことがあった。その時は相手に聞かれなかったから、わざわざ聞かせることもしなかったけど、それでも、私の気持ちを誰かにわかってもらいたいから、後にどこかで「これこれこういうことで不愉快になったのよ」と書いた覚えはある。今は理解されたいとは別に思わないから、他人が「なにそれ」と思うようなことが理由の場合は書かないけど。私として、は。別のキャラではどこかで呟いてるかもね。(笑)

それにしても、その問題の記事。

初音ミクについては、確かに新しいものだよなあという気持ちはあれど、でも、小説書きでキャラ作りしている自分としては、技術的なことは新しいんだろうけど、そもそも作り上げられた架空のキャラに歌を歌わせているっていうの、小説書いたり、マンガ描いたりするのとまったく違いはないよなあって思っている。表現のひとつの方法ってことで。初音ミク、アニメのキャラみたいなもんじゃないのって。なんでそれを「気持ち悪い」と思えるのか、その気持ち悪いと思う人はアニメとかも気持ち悪いって思ってんだろうか。アニメと初音ミクは違うとでも言うんだろうか。私にはどっちも違うようには思えない。だから、気持ち悪いっていう人のほうが理解できない。私は、初音ミクに熱狂してなんかいないけどね。それでも、気持ち悪い、理解できない、なんて言う人を理解できないなあ。

まだ、初音ミクは、ちゃんとした映像として具現化されてるよね。私の場合は、具現化といってもせいぜいイスラトで描いた自分の生み出したキャラで「ごっこ遊び」をしてる妄想女。どうにかすると、明確な画像もないのに、ひとつの作り出されたキャラで遊ぶこともある。つまり、ネット上で作り上げたキャラでいろいろ発信して、会話などを楽しむとか。やっぱ、そういうほうが理解され難いと思うんだけどなあ。でも、けっこうそういう人って多いと思う。妄想を楽しむ人って。まあ、確かに、以前は私も「気持ち悪い妄想女」って言われたこともあるしねえ。つまり、やっぱりわかりあえないもんはわかりあえない。わかってくれない人にわからせようとしたって無駄なこと。互いのテリトリーには踏み込まないのがいいんじゃないかな、なんて思う。とはいえ、自分の主張はしてもいいと私は思うんで。自分のテリトリーで引用して書くことは悪いことじゃないよねって。相手のテリトリーまで行って主張はNGだろうけど。

きゅんきゅんしたい

2012年09月21日 23:29

ああ、もう、うだうだしてたらこんな時間になってしまった。この間から「GACKT Blog» ブログアーカイブ » 腰を痛めて、大切さを知る・・・。あははは。」の記事でなんか書こうって思ってたのだけど、今書かなきゃもう書かないような気がするんで、これ書いてしまってからじゃないと安心して眠れないよなあ。てか、眠れないで脱線するけど(爆)、最近でもひんぱんに夢にガクトさん出てくる。でもね、それがさー、昔みたいにこう「きゅん♡」ってならなくなって、すんごくガッカリ。いや、ガクトさんにじゃなくて、自分自身にガッカリ。いつまでも「きゅん♡」としたいじゃない。それに「きゅん♡」ってすることは更年期障害にいいんだってば。(笑)それもあって、夢見て「きゅんきゅん♡」することは大事なんだよ、きみぃ。(誰に言うてる誰にwww)なんかさ、それだけじゃなくってさ、最近は仕事の夢がほとんどで、すんげー疲れるのよ。なんかもうね、24時間働いてる気分なの。寝ても寝ても疲れが取れないんだわさ。だからさ、せめてガクトさん出てきてる時くらいは「きゅん♡」として癒されたいじゃないかーなのになのにーばかー。(誰に怒ってるwww)

ということで本題。(出たっ)

私も週刊誌は読みました。立ち読みだけど。いやもうね、なんつーか、確かに「くだらない」だよね。よしんば書かれていることが本当のことだったとしても(金銭関係のことだけど)、「だからなに。それのどこが騒ぐことなの?」だよなあ、と。あと、もうひとつの騒動は…まあ、それも「だからなに?」なんだけどねえ。もっとも、私は前からそうなればいいのにねえと思ってたほうだから、それもいいんじゃないかと、よくやった、とまでも思ってたりして。(いい加減あやふやな書き方だよなあwww)でまあ、そういうことをガクトさんはブロマガのガクトちゃんねるとかでコメント書いてるらしいんだけど、私には読めないよなあ。入会できないんだからしかたないんだけど。好きな人の発言は何でも読みたい私としては不本意だけど、幾らかの金銭がかかるとなると、そこはそれ、苦学生…じゃなくて苦主婦(爆)なノイズちゃんとしては一銭たりとも今は無駄にできないのさ。うんだらが精いっぱい。(/_;)

それにしても、一応フェイスブックにもアカウントあったんだねえ。今そっこーでタイムラインの購読ポチッとしてきたけど。なんか個人でも持ってたんだって?でも削除されちゃったみたいだね。残念。てか、マイスペースにもあったよねえ。でも、私も今はまったくマイスペにはログインしてない状態だからなあ。以前はマイスペからメッセージとか送ってたけど、たぶん、そっちもガクトさんまったくログインしてないんじゃないかな。フェイスブック同様、スタッフが管理してんだろう。ついったーはガクトさん本人がツイートしてるみたいだけど、こっちもね、なかなかタイムラインが交差しなくて、挨拶しても見逃されてるのかリプされたことないし。まあ、きっちりとした答えが必要な質問をしてないから、リプの必要なしと思われてるんだろうけど。いやー、やっぱさ、そういう気軽に会話できるのもちょっとイカンよなーと思ってるところが私にはあったりするんで、やっぱ、「見てるだけ~」となりそう。それに、これからはもう「賞取れました。願い叶えてくださるでしょうか」という質問もすることはないから。とりあえず、ガクトさんモデルのあの小説は書けたらまた書くと思うけどね。それで、まとめるくらいにたまったら製本して送り付けちゃるかもしれないけど。でもそれもできるかどうかわからない。小説書くことも今書きかけているものだけ書いたらもう書かないような気もするから。ブロマガでは、ガクトさんの発想、考え方、物の見方に深く触れられるみたいで、ガクトさんをモデルにして書いている小説のためには、ブロマガを読むべきだろうけどねえ。だけど、これからはほんとに小説が書けるかどうか自信はないんで、今まで読んできたものだけをもとにして妄想を広げるだけだ。妄想を広げていることにより書けることもあるだろうからなあ。

つーことで、私は寝るよ。ガクトさーん、また夢に出てきてー、そして「きゅん♡」となりたいー。

時間が足りない

2012年09月13日 21:49

時間の問題で昨日書けなかったんだけど、昨日エゴサーチした中でもう一個見つけた記事がこれなんだけど。

記事の最後にも書かれているけど、確かに本人が見てなかったら一人芝居になってしまうんだけど、あの時は彼女は私にコメントつけてもらいたかったのか、どうなのか、ちょっとわからない。もしかしたら、ああいう記事を書くことで、こっちのコメント欄に来てる人たちが反応してくれるからということで、私のことを取り上げて書いてたのかもしれないし。

昔は気になってしかたない人はウェブ上に大勢いたけど、今はいないなあ。ほんと。もっとも、それは私が見つけられていないだけなんだと思うんだけどね。ネットを徘徊することが今はないもの。関心事が他にあるっていうのもあるんだけど、ネットする時間が取れない。夜更かしもできなくなったというのもある。身体にてきめん出てくるから、不調が。今日もそろそろ寝る時間だし。ああー時間足りないんだよー。(><)

私も反応しなくなった

2012年09月12日 15:07

エゴサーチってあんまりしないほうなんだけど、なんか今ちょっとしたくなって(ヒマだからというのもあったりwww)ここのブログタイトルでかけてみたら、いくつか「なつかしー」というのが出てきた。その中のひとつ。

「トラックバックに反応しなくなった自分がいる - ただウェブに駄文を綴るのみ」

いちお、このブログ内で検索してみたけど引っかからなかったんで、うちでは誰かさんみたいに「後記」で書いてはないとは思うんだけど。とりあえずあっちにコメント残してるからなあ。つか、コメント欄がちょっと…いやまあ、いまさら取り上げていいんだろうかとちょっと思ってみたり。ま、いっか。わたしゃそういう人間さ。(爆)

2006年か。10月ていや、やっとこさ仕事を前向きにやっていけるようになった頃だな。そのちょっと前までかなり仕事に対してネガティブで、そのうち辞めちゃうんじゃないかなーなんてちょっと思ってたというのもある。だから、10月頃はだいぶ精神的にもいい状態になってきた頃じゃないかと記憶してる。まあ、あの頃の日記でも読み返してみないとわかんないんだけど。あの頃はあの頃の問題抱えてたかもしれないし。

あの頃はだいぶブログに対して情熱を持てなくなる予兆がしていた頃だったように思う。そのちょっと前はまだ書くことがかなり楽しくて、いろいろ書いてたように思うから。もちろん、2006年頃から2007年頃も精力的に何か書いてたし。ただ、小説はやっぱり書けてなかったな。そうそう、小説といえば、この間は久しぶりに小説の更新したんだけど、今もちょっと続き書いててね、あまりガツガツ書いてても、そろそろ出かける頃になりそうなんで、いったん停止。で、エゴサーチなんかしてたら、ついブログネタ拾ってしまった、という。

トラックバックとかコメントとか、閉じてしまってれば精神的にはいいように思う。私はやっぱり何らかの反応がほしいと思ってしまうタチみたいだから。閉じてないと、書いても書いてもトラックバックもコメントもこないとなって荒れちゃうもんなあ。とはいえ、ここ以外のブログでは開放していて、そっちはほとんどこないってーのに、精神的には荒れない。それはどうしてなのか、自分でもわからない。あっちの私もこっちの私も同じ私なのに、それなのにこっちは荒れてあっちは荒れない。ほんと不思議だ。でもまあ、今はもうこっちで開放しても大丈夫なような気がする。今の私も関心事がほとんどネットで見つからないというのもあるから。モバゲにはまってるしね。あと、身辺整理と称して所持しているマンガ読みまくってて、読んだ端から処分していってるから。もちろん、残すものは残してるけど、所持しているほとんどは処分してしまうつもり。

そういうこともあって、ついったーで呟けないからこっちで呟くけど(笑)、たぶん、グインの続きは読まない。これからの私は本とか極力買わないようにしないといけない環境になりそうだから。さて、どうしてでしょう。ま、ご想像にお任せします。(爆)

健康でいたいから

2012年09月09日 22:12

『海燕@萌え豚‏@kaien
ぼくには「辛いこと、苦しいことをそれでも目的のためにやり抜く」みたいな力が決定的に欠けていると思う。好きなことならいくらでもできるのだが、好きじゃないことは全くできない。つまり、根本的に社会人に向いていない。』


かいえんさんのこのツイート見て、プチシンクロしちゃったんでレッツラリンク。今夜はちょっとユウウツになってしまうような電話があって、自分を本当に反社会的な存在だと認識していたところに、かいえんさんの↑のツイート見ちゃったんだよね。で、すんごく頷いてるわけ。来年はもう50になるというのにね、わたしゃいったいいくつだよって自分でも思うんだけど、それでもやっぱり私は好きじゃないこと、やりたくないことはできないし、やりたくもない。ただ、それを公では堂々と言えない。言い訳ばかりしてスタコラと逃げ出すしか。で、開き直ってしまえば、それはそれで別にかまわないと思うんだ。この間テレビでも言ってたしね、長生きしたきゃいい人やめればいいって。自分勝手でいいんだ、自分のせいじゃなく他のせいにすればいいんだ、とにかくいい人じゃなきゃって。憎まれっ子世に憚るって言うけれど、それと似たようなもんでしょ。本来は、「人から憎まれるような者ほど、逆に世間では幅をきかせるものである」なんだけど、人から嫌われるような好き勝手な生き方をする人間ほど病知らずの長生きっていうのに通じるよなあって。

リンク先では、かいえんさんが宝くじ当てたら仕事辞めるタイプって言ってるんだけど、日頃から私は宝くじ当てても仕事は辞めないと言っていたのだけど、それは今の仕事が好きだからっていうのもあるし、あと、多少身体を動かす仕事してないと、てきめん私は体調に出てきてしまうっていうのもあったりするんで、それもあって仕事は続けるとなってたわけ。ただ、最近では、好きな仕事でもさすがの私も飽きてくるっていうのもあって、最近では惰性で仕事してるとも言えなくもない。少しでも稼がなきゃ生活していけないから仕事は続けているんだけど、今、宝くじ当てたら、しかるべき期間を置いてから仕事辞めちゃうかもって思ってたりする。身体のことは仕事しなくても何とかなりそうだしね、お金さえあれば。

それにしても、ほんっと学校って機関はクソだなと思う。(謎)(笑)もちろん、これは私の勝手な言い分ではあるんで、完全な誹謗中傷ではあると自覚はしてんだけど。それでも、私は学校ってやつが心底嫌いだ。どうしてあんなとこに通わなきゃいけないのかわからない。まあ、だからこそ私は社会性がゼロになってしまったんだろうけどねえ。ただ、その社会性ゼロでもヘッチャラポンと泰然としていられるくらいの図太い神経の持ち主になれれば、私ももっと健康に生きられるんだろうなあ。最低最悪な人間だと日頃から自分を言ってはいるけれど、図太くないという点で、私は最悪になりきれない。でも、あとちょっとでその境地に立てれるかな、なんて思ってたりもする。だって、私は死にたくないもん。元気に生きてたいもん。

実は近くにいるんですよ(笑)

2012年09月09日 08:45

さっき「広くて狭いインターネット : kokokurumiのブログ」を読んだんだけど、ついったーのおすすめってほんと、ドキっとすることがある。はてなだったっけ、あれのなんだったかでのおすすめでドキッとしたことがあるんだけど、あれはアンテナ登録で出てくるみたいだというのがわかったこともあった。だから、アンテナ登録せずに、直に相手のブログなどを読みに行く形を取ってる、私が読んでると知られたくない相手の場所は。で、ついったーはどうなのかな、わからないんだけど。

それはさておき、私の息子もついったーはバリバリやってんだけど、確かに息子が見てると思うと、発言に制限が出てくることはある。向こうだって、私に読まれたくない発言だってあるんだろうな。たぶん、私に内緒のアカウントも持ってんだろう。まあ、私も人のことは言えないんだけど。私も別ハンの場所はけっこうあるし。(笑)ただ、うちは息子が離れて暮らしてるってこともあり、ヤツの状況を知りたいという目的もあってフォローしている。なんぼなんでも、体調悪いこととかは知られたくないとは思わないだろうから、そういうことのツイートはしてくれるんだろうけど。一緒に暮らしててするようなたわいない会話も時にもはするし。だから、一緒に暮らしてたらフォローとかもしないだろうけど、私と息子の場合はこれもひとつのコミュニケーションとしてついったーはなかなかいいツールだなあと思ってる。

笑ってよー君のためにー(笑)

2012年09月02日 23:02

はてダのほうでがくふらの別館ということにしてたけど、はてダでは広告が常に入るようになっちまったんで、やっぱこっちでガクトさんの話題も書くべーと思う。本館で書けばいいことなんだけど、あれだよなー、ライブドアはなんか使い勝手悪くてさ。気軽に書けないから敷居が高くなってしまって、結局、書きやすいからここで書くことになる。ライブドアはけっこうアクセス数もないわけじゃないから、読まれたいのならアッチで書くべきなんだろうけど、今はそれよりもやっぱ「気軽」っていうのが私にとって一番大事、なんだよねえ。

つーことで本題。

わっさーさるべーじが終わった。何とかログをコピペでHTML化したんだけど、サイトにあげて公開するにはもうちょっと体裁を整えないと公開できない。もっとも、それを待ってる人なんていないだろうから、体裁整えることもなくそのままログとしてローカル保存ってことになってしまうこともありうるわけだ。まあ、それはそれでいいんだけどね。わっさーは途中から私の健康状態を綴るだけっていうのになっていったから、他人にとってはどうでもいいログがほとんど。で、それを読み返していて2010年ってほんっと毎日のように体調が悪かった。しかも、そのせいでかなり精神的に不安定になってもいて、それがさらに体調の悪さに拍車をかけてたみたい。去年もたぶん似たような体調だったんだろうけど、日記を読み返してないからちょっと思い出せない。去年はわっさーやってなかったからなあ。ただ、今年に入ってからは、またしても2010年の時っぽい感じで常に体調がいまいちな感じでここまできている。それでも、2010年よりはまだ今年はマシかなあと思ってもいる。たぶん、別に気がかりなことがあるからっていうのもあるのかも。

というか、本題と書いて、まったく本題のガクトさんの話題にならないわけで。まあいつものことではあるんだけど、前置きが長いのだわ、私ってば。(爆)

ガクトさんの「GACKT Blog» ブログアーカイブ » 久しぶりだな…。」を読んだわけ。その中でガクトさんがこう言っている。

『「問題なんてのは元々、数多くどこにでも存在してる。
一つが解決すれば、その隣に重なっていた別の問題が見えてくるだけ。
新たに問題が起きるわけじゃない。
元々、存在しているが見えていないだけ。
だから、難しく考えるな」



ことごとく降りかかってくる問題ってのは体の病気に似ている。
もちろん、病気一つせず健康で行ければそれに越したことはない。
だが、そんな都合のいい話は滅多にない。
ことあるごとに、故障が起きたり、
節々が痛くなったり、
ダルさや、体調の崩れを感じることだってある。



大切なのは一つ一つを重たく考えず、
きっちり解決して行くこともそうだが、
その病気と一緒に生きていくこと。
共に生きていくことこそ、まさしく必要なことなのではないかと。
拒絶するのではなく、共存する。』


重たく考えず、病気と一緒に生きていくこと…そうなんだよなあって。私は重たくっていうか、かなりネガティブな思いに囚われてしまうところがあるから、体調悪くなると、そのせいでもっともっと不調になっていくみたいなんだよね。この年になれば、どうしたって何らかの不調は出てきてしまうわけで。その不調に打ち勝つには、自身の免疫機構を活性化しなければならないわけで。そのためにはネガティブになってはダメなんだってことは、それは頭ではわかってるつもり。でも、前より今は、だいぶそのネガティブさはなくなってきたかなあとも思う。今年はそんなことを感じた。

『笑いがあれば、笑顔があれば、
疲れた心も、争う気持ちもなくなる。
みんな笑ってくれ。』


ガクトさんがいつも「笑って」と言うのも、彼は知っているんだろうな、笑えば免疫機構は活性化するんだってこと。それはたとえ作り笑いであってもいいという。それでも、心から笑えば、それはきっと強大な免疫と変わりうるかもしれない。いや、きっとそうなるはず。うん。ガクトさん、私も笑うよ。笑ってるよ。アイタタタと痛くなっても、しんどくても、それでも笑えるマンガでも読んで笑ってるよ。きっと大丈夫。私は頑張れる。てか、頑張らない。頑張り過ぎるのもよくないって言うもんね。生きてくために。私は笑うよ。ね、ガクトさん。♡

私の快楽とは

2012年09月01日 23:32

「それ以上の快楽があるから」を書いたのが今から4年前。今の私は第二の新婚時代を過ごしている気分。というか、新婚時代でもここまでセックスを楽しんではいなかったように思う。今は子供も独立して、その上に旦那様の仕事の関係で、実にセックスをしやすい環境だからというのもあるんだけどね。以前は三ヶ月に一度、どうにかすると半年も交渉がないということもざらだった。それを思うと、今はどうだってくらい頻繁。来年にはもう互いに50になるというのに、元気なもんだ。(笑)で、今は4年前と違って、セックス以上の快楽というものがない。あの頃は「書くこと」が快楽だったんだけど、今はその「書く」ということが快楽ではなくなっているみたいだからだ。以前、mixiで書いたように思うけど、私はセックスで一度もイッたことがない。でも、イケなくても満足なんだよね。たぶん、私はセックスで一度もイケないまま死ぬんだろうなとは思うんだけど、それはそれでいいと思っている。私は旦那が満足してくれれば、それが一番の幸せ。私の身体で旦那を気持ち良くできる、それこそが私にとっての至上の喜び。その気持ちこそが、私にとっての「快楽」そのものなんだ。なーんてことを過去ログ読んでて思った。なんかさ、やっぱ昔書いたものって読み返すの楽しいね。どんだけ自分の書いたもん好きなんだよってな感じ。(笑)



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