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「お前だけは失いたくないのだ」

2012年10月31日 23:55

今夜は映画「陰陽師」をチラッと見たのだけど、そういや当時、日記で熱く語ったなあ、表でも裏でもって。(笑)それで、2001年の秋だったと思ったので、何日だったか忘れてたということもあり、当時の日記を前後読み返してきたのだけど……なんつーか、あの頃の自分の日記はほんっと読みごたえがあるなあと自画自賛。まあ、当時はごく一部の人にもけっこう「おもしろい」って言われてた私の日記でもあったんで、やっぱあの頃は書くことに対して意欲的だったんだよなあと懐かしい限り。今はなかなかあの頃の情熱は出てこないということもあり、私の書く物を待っててくれる人もたぶん見限ってしまった人もいたりするんだろうなあとちょっちブルーな気分でもあったり。実際、ついったーなんかでフォローを切られたりなんかして、そりゃタイムラインに何も流さないんだからしょうがない、あたりまえだと思いつつも、超ワガママな私でもあるんで、やっぱこんな私なんかについてきてくれる人なんていやしねーよなあと自虐的にもなったり、恨みがましい気持ちにもなったりして…いかんいかん、そういうことを書くつもりじゃあなかったんだった。(爆)

表の日記では、清明を完全無欠のヒーローっぽく描くわけでなく、弱点がちゃんとあり、人間くさいところがちゃんとあるという人物像として描いているというのに好感を持ったということ、具体的には清明が博雅をからかってるところとか、博雅を唯一無二の友として失いたくないと泣くところなんてーところに萌え~となったというようなことを書いたのだけど、裏の掲示板では、清明が自宅でくつろいで酒を飲んでる姿があまりにも色っぽくて、思わず鼻血ブーもんだとか、博雅が矢に打たれて死ぬところでの、今までツンとしていた彼が必死な表情で「死ぬな、博雅っ。我らはまだ会うたばかりではないか。これからではないか…俺は…俺はお前だけは失いたくないのだ」と言いつつ、泣くシーンで妄想してしまって、その手の小説を書きたくなってしまったとか、もうね、とにかく楽しー楽しー日記を書いてたわけですわ。あの頃はそんなふうにのびのびと楽しい日記を書いてたもんだ。そして、この「陰陽師」の映画のことでいろいろと思い出してしまう事や人もいたりする。チクリとするようなその思い出は、まあ、ここでは語らないのだけれど。

…まあ湿っぽい話はそこまでにして。

その少し前ではチラホラとガクトさんの話題も出てきた頃で、日記にも少しづつ彼のことを書くようになっていたんだけど、まだどっぷりと彼にハマる前でさ、書かれていることが薄いのなんのって。(笑)だってさ、まだガクトさんよりミッチーのほうがいいなんて書いてる頃だもんなあ。まあ、ガクトさんにハマっていったのも、2002年になってからだからねえ。自分でもあそこまでガクトさんにハマってしまったのも不思議っちゃ不思議だなあとは思うんだけど、今はあの頃よりはそれほどどっぷりというわけじゃない。もちろん、今でも彼を応援しているし、好きでもあるし、そして、恩人でもあると思っている。恩人っていうのは、2002年以降の私を救ってくれたということで、でもあるんだけど。

それにしても、やっぱ2001年前後の日記を読み返すと、またあんな日記を書いてみたいなあという気持ちになったりする。ただ、ああいった形の日記って書くのにけっこう時間がかかったりするんで、今の私にはちょっと無理だなあ。体調のこと考えるとほんというと今くらいの時間まで起きてるのもダメなんだよね。今日は「陰陽師」を見てしまったせいもあって、なんか書きたい気分だったからこんなふうにこんな時間に書いちゃったけど。それに、来月からは一人同居人が増えるから、ますます書きづらくなるしなあ。まあ、その時になってみないとわからないことではあるんだけどね。

「お前だけは失いたくないのだ」か…そんな思いをした人もいたなあ…あの頃の幸せな夢でも見られればいいなあと思いつつ、さて、そろそろ寝ますか。
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鍵はかかってない部屋

2012年10月16日 21:11

「「鍵のかかった部屋」 - 鍵がかかった部屋」

閲覧者限定記事かー。閲覧者限定ブログっていうのはよく見るんだけど、私の場合はあんまり「限定記事」は最近見ないなあ。まあ、最近ではほとんどネットをフロフロすることがなくなったからというのもあるんだろうけど。

公開されたブログで限定記事を書くというのはやったことがない。そんなことするくらいなら、限定で読ませるためだけのブログを立ち上げるから。現に、はてなで限定された人だけに対してグループ日記を書いてたしね。そのもっと前は、限定の人だけに読ませる日記を書いては、メールで配信していたということもあった。ただ、メール配信していた日記は後に公開された場所に再掲載してあるし、グループ日記は非公開にしていたものを今は公開して放置してある。私の場合、読ませたくないというものはなくて、リアルタイムでは読んでほしくないものをそんなふうに限定で書いて、何ヶ月か、何年か後に、公開された場所に掲載して、興味を持ってくれたどこかの誰かに読んでもらうというのが基本的スタイル。

そういや、はてなブログはひとつ設定してある。気づいた人はいないかもしれないけれど、今は非公開にしてある。わっさーログをそこにぶち込もうと思ったんだけど、はてなブログってやっぱり扱いづらい。途中で投げてる。やっぱ、ノイズの場所で掲載したいけどなあ。

自分勝手に生きる

2012年10月14日 22:40

「悲しみや苦しみと共に生きるということ – suVeneのアレ」

何だろう。すーさんの書いているもの読んで、そんなことはわかってるってば、でもどうしようもないんだよなーと思ってる自分がいるなあって。

私も一通り依存はしてきたし、その依存を抜け出たことも何度かあるわけで。それはもう、自分ではどうしようもないわけだ。誰かに「それはだめだ」と言われたとしても、そんなことは頭ではわかってんだ、でも、どうしても依存から抜け出れない。で、抜け出られないまま、最悪なことになってしまう人もいれば、私は依存しても最悪にならなかった、それだけ。そこには、自分自身の努力なんてないんだよなあ。いつのまにか抜け出てたっていう感じなんだもん。

そうだな。私にとって一番しっくりくる考えは、すべては時間が解決してくれる、かな。私にとっての悲しみ辛さ苦しみって、ほんと他人にとっては「どうしてそんなことが?」という些細なことなんだよね。それでも私にとっては世界の終りみたいな気持ちになるわけで。たとえば、仕事で誰かに電話しなければならないことがあるとする、それが私にとっては追いつめられるほどのストレスとなり、それが原因で自殺までしかけた過去がある。たかが電話一本。自分でもわかってるんだよ。どうしてそんなことができないのかって。PTAとか自治会の役員にしたって、そういうのやるくらいなら死んでやるという気持ちになってしまう。わかってる。そんな気持ちを持ってしまうことは愚かだって。自殺してしまうほどの苛めを経験している子供からすれば、私の辛さなんて…という気持ちもあるから。けれど、その苛めで自殺してしまう子供に対しても、誰かは苛めで自殺することを愚かだと言う人もいるだろう。そうであれば、私の悩みなんて、誰かにとっては笑われることだろうな。

でも、そんな私でも、今では何かの役員をすることになったとしても(実際、現在やってるわけだけど)死にたいとまでは思わなくなった。それもある時ふっと、どうでもいいや、って思えるようになった。何の前触れもなく。だから、私は思った。これはもう時が解決してくれたんだろうなって。たぶん、私が今までもの凄いストレスを感じてしまったのも、自分のやることに対して他人がどう思うかを尋常じゃないくらいに気にし過ぎてたからなんじゃないかって。完璧にしなくちゃならないという思いが私の中にはあって、でも、私は完璧にはできない不完全な人間で、そのギャップに苦しんでたんじゃないかな。それが、いつしか完璧にしようと思わなくなり、いい意味での無責任さを身に着けた。つまり「ま、いっか、別に」と思えるようになったということで。それもこれも、いわゆる「無神経なおばちゃん」となっていったからとも言えるよなあ。それって周りからすれば迷惑な存在だろう。若い頃は、そういう迷惑な人間に絶対なりたくないと思ってたけど、今は迷惑かけてもいいじゃんか、死ぬよりは、って。つまり、それは憎まれっ子世に憚るってことで。死ななきゃいいよってことで。

悲しみや苦しみと共に生きる…すーさんは「肯定」と言ってるけど、私は肯定というより、自分勝手に行動することが死なないで生きることだよなあ。

手放しの幸福とはいかないけれど

2012年10月14日 22:05

『20年以上になる私の結婚は実はあまり周囲に祝福されたものではなかったけれど、私は結婚で幸せになった人間である。
それでも結婚について何か人に語ることはないなあ、私が私で、愛するダーリンがダーリンであっただけの話なのでなあ。
それ以上の言葉が私にはないな。』


この一文に大いに頷いた私である。私も結婚して20年以上になるけれど、どちらかというと周囲から祝福されてたという感じじゃなかった。相手側の家族からは、お堅い家庭のお嬢さんかとか思われてたみたいだし、うちのほーは父親はもちろん不服だったみたいだし、親類からは相手の家族のことよく知ってたみたいで、あんなとこに嫁にはいかないほーがいいとかいろいろ口さがないこと言ってたみたいだし、私の友達は旦那本人にいい印象持ってなかったしねえ。そりゃまあそうだ。私自身もお付き合いする前までは彼のことを「ありえない」と思ってたしねえ。それが「この人じゃなきゃ結婚しない」とまで言うくらいに気持ちが変化したわけで。んで、結婚して確かに不満とかあったりするけれど、それは本人以外のことでの不満でしかなく、彼本人と結婚したことは私にとって本当に幸せなことだったなあという思いしかない。まあね、結婚って本人同士はもとより、やっぱ家同士の繋がり、親類とも繋がりを持つものだから、二人だけの世界~とはちょいと言い難い。とくに長男に嫁に行った場合は。私の場合は長男の嫁になったわけじゃないけど、長男の嫁になったようなもんだから、しかたないんだけどさー。ただ、考えようによっては、彼が家を捨てて二人だけで…っていうような人間だったとしたら、私はとうの昔に捨てられてただろうなあ。こんな私でも見捨てずに愛してくれるのは、家族というものを大切にする彼だからであり、そうであるなら、彼はやっぱり親は捨てられないだろう。だから、私も観念して親の面倒を見なきゃならない、嫁として。結婚の前後ではそんなつもりはなかったんだけどねー。でも、そこらへん心に折り合いをつけないと、離婚するしかないってことになっちゃう。それはイヤだ。つか、いつになるんだろうな。同居。(^_^;)

一万人に読まれる?

2012年10月11日 23:08

日記といっても歓楽さんの過去ログなんだけど…「全削除して逃亡しないことを切に祈っている。そのまま其処で書き続けてくれ」って書かれていて、その相手は「俺は長文を書くためにここにいます」って書いてたんだよね。で、結局は相手の人は全削除してアカウントまで削除してしまった。ほんとにああいった読み応えあるもの書く人は次々と削除してくよねえ。んで、私みたいな、ほとんど誰も読まないようなものばかりがウェブ上に漂ってるわけだ。だってさ、言われたもんね、誰だったか「読みたいとは思えません」とか、同じようなセリフを数名に投げられたことが。そりゃまーそういうこと言う人がいたとしても、その逆で、私の書く物を心待ちにしてる人とかもいないとは言えないんだけどねえ。ただ、私は、ほれ、わがままだからさ、「読みたくない」と言う人が、たった一人でもいることが、どうしても捨て置けない性格なんだわ。まあ、捨て置けないならば、もうこんなふうに誰でもが読める場所で書くべきじゃないんだろうけど、これがね、自意識過剰の人間でもあるからさ、どうしても公開された場所で、ぶちまけたくなるわけよ、自分の思ってること、考えてること、なんかをね。歓楽さんの過去ログを肴に自分語りしたとしても、それを楽しんでくれる人っているのかな。歓楽さんが読んでくれればいいなあと思うけれど…、ねえ…?

一万人に読まれる、か。それすごいよね。どんな気分になるんだろうなあ。まあ、世界がひっくり返ったってノイズんちはそんなことにゃならないでしょーけど。

( ̄▽ ̄)

2012年10月09日 09:06

ひゃーやばいこと書いてた。気づいた人いたかなあ。やばいやばい。とはいえ、まあ別に気がつかれてもいいか。むしろ、気づいた人すごいって思って惚れるかも。(爆)

マジ初期化したい

2012年10月09日 08:58

それにしてもTwitterの情報拡散の速度はすごい。「iPS細胞のiが小文字なのはApple社製品にあやかったため」「自分でフルマラソンを走って研究費を集めた」「民主党の事業仕分けを強く批判していた」などの知識を得ました。また蓮舫かよ。なのに、受賞は日本という国のおかげというコメント。人格者だなー。


やっぱりそうでしたか。今朝のテレビでやってるの見ていて、国の援助がなければここにはいなかった、国が受賞したようなもの、という山中さんの言葉に、すぐ思い浮かんだのが事業仕分けのこと。この発言って確かに人格者の言葉ではあるんだけど、私が腹黒だからなのか(爆)、山中さんの国に対する嫌味発言なのかなーなんて思ってしまったんだわ。でも、あながち違うとも言い切れないよね。事業仕分けのこと批判してたわけだから。

それにしても50歳かー。私と一歳違い。ノーベル賞受賞としては若いんだろうけどねえ。私は自分を若いとは思えないんだよな。いや、精神面では若いと思ってる。若いどころか子供だよなーって。ただ、身体は年寄りよりもボロボロ。若いとは言えないなー。私の身体の細胞も初期化したいよ、ホント。

心を忘れるな

2012年10月06日 14:45

この間もここでリンクした方の日記を読んで、本当にそうだよなあと思った。私も死ぬ時は静かに死にたい。まあ、実際、本当に「静か」なのかどうかわからないのだけど、ガンとかの病気で、その末に死ぬとなると、たとえ死ぬ瞬間にはもう痛みも何も感じてないとはいえ、そこまでにいたる激痛とかは帳消しにはならないよなあ。膵炎でものすごい痛みや、病院での辛い検査とかを体験した自分にとっては、なかなか病に対しての覚悟ってできない。あの辛さ、痛みは、どうにもこうにも忘れることはできないもん。しかも、私の体験した痛みよりもっと激痛はあるようだし、もっと辛い検査もあるみたいだしねえ。ガクブルだよ、ほんと。今はそれでもだいぶ薄れてきたようにも思うけど、退院してからしばらくはフラッシュバックしてかなり辛い思いをした。今でも時々、あの時のことを思い出すと、同じようなことになったらどうしようと、まだ罹ってもいない病に恐怖してしまって、いっそその前に自ら…なんて血迷った事を考えてしまうこともあるし。とはいえ、身辺整理をして死んでいきたいと思ってる私だから、突然死ぬっていうのも、思いっきりこの世に未練が残って幽霊になってしまいそうだしねえ。そうなると、病気で余命がわかってれば、いろいろ始末つけて死ねるんだけど、でもやっぱり病気で死ぬのはちょっとなあ…と、なんてワガママなんだと苦笑してしまう。

私も、いつも「私を追いつめないで」と思ったものだった。私も追い詰められたら何をするかわからないからという思いを持っていたから。まあ、私はギリギリのところで心の病には至ってなかったから、だから、すんでのところで誰も傷つけることはなかったんだろうけど、その分、自分の身体にはその影響は出てきたんだろうなあと思っている。自傷行為とはちょっと違う、精神の力で自分の身体を蝕ませるってやつ。つまり、ストレスが胃に穴を開けるのと似たような感じ、かな。たぶん、そのせいで、私は子供の頃からずっと体調のことで苦しんでたんだろう。一番怖いのは心。その心ひとつで病を呼ぶことも治すこともできるのだから、心は本当に扱いに気を付けなければならないんだよ。それを誰もが肝に銘じない限り、あんな悲惨な事件は起こり続けるんだ。

恵まれない人に慈悲を

2012年10月04日 23:19

ともむんさんの記事が久しぶりに更新されたと思って見たら、あーあの話題かー。

『こうやって仕事の愚痴を漏らしただけで袋叩きにされる若手社員は可哀想と思われるのに、

同じシチュエーションでも母親に向けられる言葉は世間で定番化しているくらいにすんなり受け入れられてる不思議。』



こういう時にね、たとえば、子供なんて産んだこともない育てたこともないような人、それが女だろうが男だろうがどっちでも、私は産んでみろ、育ててみろ、って言いたくなる。もちろん、産んで育てて、ちゃんとできる人もいるだろうけれど、産んで、育ててみた人は、うまくいかなかった人の気持ちは多少はわかるはずだよなあ。一方的に母親を責めることはしないんじゃないか、と。そりゃね、一番かわいそうなのは死んでしまった子供だよ。でも、殺してしまった母親も憐れだよ。私はそう思うよ。一歩間違えれば私もそうなってた。たとえ虐待されたこともない私であっても、そういう危うさはあったわけだから、恐らくあの母親も子どもの頃に母親から虐待されていたんじゃないかな。祖母も孫を虐待してたみたいだから、容易に想像がつく。虐待の連鎖ってやつだよねえ。それを断ち切るには、母親自身だけじゃどうしようもない。やっぱり第三者が介入すべきだ。難しいとこだけど、どうにかできないもんかなあ。

それと似たような感じで、こちらの記事も。

『こうした事件で一方的に母親を責める人は、自分がどれほど恵まれているのか理解できないだろう、
意識することがないほど、自然に人とのつながりをもてているのだから。』


以前から、私も理解してほしいという気持ちから、虐待をテーマにした小説はいくつか書いていて、そのうち二作品は入賞もして文芸誌にも掲載して頂けた。とにかく、子供を殺してしまう母親のどうしようもない心を、理解できない人に少しでもわかってもらいたいからという一心で。それに、私なんかよりもっと有名な人たちも、そういうのテーマにして発表してるのに、それでも、わからずやの人間どもは多い。どうして母親を責められるのか。どんな人間だって、責めることはできないというのに。「子供がかわいそうだ」を免罪符にしてほしくない。その言葉を言えば、どんなことを言っても自分は正しいんだと思い込んでいる輩が、一番私は酷い人間だと思うよ。理解しようともしない、そんな輩にほんと反吐が出る。

無駄なんかじゃないよ

2012年10月03日 22:50

ああ、やっぱり過去ログは消してしまいましたか。まあしょうがないか。たぶんそうなるだろうなあと思ってたから。

満足の話は私も似たようなとこあるからわかるなあ、と。私も満足するようないいことがあったとしても、いずれはくるはずの不幸な出来事のことに思いを馳せてしまって、結局は満足しきれなくなってしまう、とかね。ほんとソンな性格だよなあと思ったりしたもんだ。だけど、今は、いつか起きるであろう不幸なことはなるべく考えないようにして、今の楽しいことだけに神経を向けて楽しむことが、すこーしは何とかできるようになったかな。これも年の功ですね。(笑)

こうは考えられないかな。

ずっと底辺を歩くということは、ほんのちょっとのいいことで、かなり幸福感を得られるんじゃないかなあって。まあ、それだけ若ければ、なかなかそういうふうには思えないんだろうけど、若い頃は小鳥ちゃんと同じような精神面があった私も、今はそれなりにポジティブに考えられるようになったように、彼女ももっと年取れば少しは生き易くなるんじゃないかな。

それにしても、彼女の親族には幻滅しちゃうな。まあ、彼女の血縁なんだから他人の私が言うのも何だけど、それでも「お前は余分に生まれた子だ」なんて言葉、自分の孫に冗談でも言うなよ。そりゃ、何らかの悪影響を与えてしまうことは容易に考えられることだ。決して、そんなこと、冗談でも子供に言うもんじゃない。たとえ、それが本音だったとしても、墓場まで持っていく言葉だよ、それは。

どんなことも無駄なんてものはないよ。無駄に見えてもそれは無駄なんかじゃない。無駄じゃないかと危惧するその行為が、時には誰かの背中を押すことにもなる。それを彼女は気づくべきだ。とはいえ、そういうことは誰が何を言っても彼女に通じない。それこそ、彼女の母親が彼女に言ったように「通じない」どんなことを彼女に言ったとしても。すべては彼女自身が気づかなきゃならない。そして、私はこの年になってやっと気づいたんだ。せめて、彼女が私の年になるよりもっと前に気づいてくれればなあと願わずにはいられない。

無修正ねえ

2012年10月02日 09:52

無修正なんて若い子だけだよな、その気になってしまうってーのも。それでも枯れてるわけじゃないんだよなあ。昔よりはるかにその気になってハゲんでる自分が、相当の好きモノだって思い知った。いやまあ、わかってたことだけど。そんな私も来年は50歳。すげー。www

私にも人に言えない辛さがあるけどね

2012年10月02日 09:37

いや、それはどうかと思うよ。え、何のことかって。そういう不幸や苦労話を笑ってバカにするような人間がいるから、精神的に追いつめられてしまうわけだから、そういうバカにされた体験をした自分が、不幸や苦労話をしている誰かのことをさらに追いつめるようなこと書いてどうするよってこと。私は、誰かが自分の不幸な話を書いてるのを我がことのように心を痛めて読んでしまうんだけどね。これも偽善かもしれないけど、その人のそういった不幸話を聞くことで、その人の辛さを痛みを少しでもこっちに移してるんじゃないかって思うわけ。だからこそ、我がことのように心痛めるんじゃなかなーって。だから、どんなことでも書けばいいと私は思う。誰が「そんなの○○よりマシ。もっと不幸な人はいる」と言ったとしても、不幸の尺度なんて誰にも決められないよ。誰かの不幸が他の誰かの不幸とはならなくても、その人自身にとっては世界が終わるくらいの不幸には違いないんだから、他人のその不幸を「あんたのはマシ」とは断定しちゃいけいないんだ。すべての人が同じもので幸福にならないと同時に、すべての人が同じもので不幸になるわけじゃないから。だから、その人の不幸も認めてあげなくちゃねえ。私は、そういうことは忘れないでいたい。

あなたは悪くない

2012年10月01日 22:20

「あなたは疫病神なんかじゃないよ」とコメントつけたいと思ったのだけど、本当にそういった慰めの言葉を投げていいものだろうか。それこそ小鳥ちゃんにとって、偽善でしかない行為なのかもしれない。実際に彼女と直接リアルで会って力になれるというわけではない私が、言葉だけの慰めをしても、それが彼女にとっての救いになるかどうかなんてわかないから。そこらへん私も、いくら言葉で慰められたとしても、たとえば金銭面でどうにかならないだろうかと愚痴を言ったとしても、誰かが投げ銭をしてくれるわけでじゃない。現実には自分で何とかしなくちゃならないわけだからなあ。

今日の日記で、やっと彼女の家庭の事情が把握できた。つまりは彼女の両親は離婚していて、すでにそれぞれには新しい相手がいる。で、彼女は母親と一緒に暮らしている。貧窮しているのはそのせい。ただ、両親の離婚で起きた結果を子供に背負わせるのはいかがなものかと私は思う。それが物理的なことだろうが精神的なことだろうが、決して「この子が産まれてから不幸の連続」だなんて、冗談でも言っちゃいけないんじゃないかな。彼女が自虐的になってしまうのも、そこらへんに起因しているんだろう。

それにしても、刑務所に入るのもいいかも、なんていう発想が出てくるあたり、小鳥ちゃんと私って、同じようなことを考えちゃう二人だなあ。まったく別人の私たちなのに、何となく同じようなこと思ったり考えたりしているっていうのが、少なくとも私のほうは本当に親近感抱いてしまう。てか、私の娘といってもいい年齢だもんね。なんかもう親みたいな気持ちで見てしまう。大丈夫だよ、あなたは悪くない、本当につらいよね、って、抱き締めてあげたいくらいだ。



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