スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

迷惑かける勇気を持とうよ

2014年08月30日 16:25

「鬱病の人って自分のことしか考えないね」

もちろん病気だから休んだりするのは、別に会社が許せばいいと思うんです
ただなるべく迷惑かけないようにするのは社会人として当たり前ですよね
鬱病以外のケガだったり病気の人はこの辺しっかりやって休んだりしてます

鬱病の人って医者に止められてるのでー、とか全く悪びれなく言うよね
診断書を持ってきてそれを印籠のように使って、休んだりリハビリとか言って特に仕事もせずに帰られると誰だって感情的になります
ネットの書き込みを見ても仕事休んで迷惑をかけてる意識が全くないように見えます
鬱病を理解してないだの、自分が鬱病になったらどうなんですかねー?とか言うひとりよがりの意見

そういう自分のことしか考えないのも鬱病の特徴だったりするんでしょうか
鬱病のこと理解してなくてすいません


またしても転載。(笑)

まあ、わたしもうつ病のことに詳しいわけじゃないんだけどね。だから、身近にいる患者さんのことでしか語れないんだけど。わたしの仕事場にもいるよ、うつ病の人。確かにいったん休みだすと何ヶ月も仕事に出てこなくなることがある。でも、ふだんはまったく休まない。他の人で親族間の都合や旅行、法事などでちょちょく休む人もいるけど、そのうつ病の人は自分の病気以外のことではまったく休まない。そして、わたしが今の職場に勤めて何年もその人がそういった病気であることは知らなかったし、上司や同僚たちもまったく知らなかった。初めての長期の休みで知ったくらいで。どうやらその人は病気のことは知られたくなかったみたいだよ。それを知った時、本当のうつ病の人っていうのは、おそらく他人に自分の病気のことは知られたくないって思うんじゃないかなあと思った。だから、この増田が書いてるようなうつ病の人は真性のうつ病じゃないんじゃないかな。で、そういった偽うつ病の人のせいで、本当にうつ病で苦しんでいる人たちが偏見の目で見られてしまうんじゃないかなあって。

うつ病のことをうつ病の人は他人に知られたくないのであれば、本当のうつ病の人が実際にはどういった人なのかはなかなか知りようがない。だから、どうしたってこの増田みたいに「うつ病の人は自分のことしか考えてない」と間違った考えを持つことにもなってしまうわけだ。自分の事しか考えてない、かー。わたしたち病気じゃない人たちだって同じだよなあ。自分のことしか考えてないっていうのは。てか、自分のことしか考えてないっていうののどこが悪いんだろうか。他人に迷惑かけないっていうのがどれほどのもんだよってわたしは思う。人はどうしたって迷惑かけなくちゃならない時もあるのだから、もっと迷惑かけることに寛容にみんながなれば、もうちょっと暮らしやすい世の中になるのにねえ。多少の迷惑ならいいじゃないかって思えるようになりたいよね。そうすれば、うつ病の人もいなくなると個人的には思ってたりする。
スポンサーサイト

どんなことでも書いていいよと言われたい

2014年08月29日 11:12

「人生を切り売りするってのは周囲の人を切り売りしていることに等しい - novtanの日常」

あんまりこういう界隈にいる人達に会いたくないなって思うのはそういうところもあって、会うとなんだか「隣人」になってしまう気がするんだよね。オフレコ感がないというか。

例えば所属が割れている人がさ、「最近面白かった同僚の行動」みたいなのを書いちゃうわけじゃん。いやそれ誰のことだかバレバレですからみたいになるじゃん。

だから人生切り売り芸の人が周りの人たちに大きな影響のあるようなネタを書き始めるとイライラする。お前がお前の人生を切り売りするだけなら良いんだがそれは他人の人生の一部だ。みたいなね。

もっとも、日本の伝統的な売文業においては他人の人生を切り売りすることがよく行われていたわけで、伝統芸能とも言える。ただ、歴史に残る芸術としてではなく、ネットの片隅でゴミのように漂着してしまうような売られ方は売られる相手が可哀想だ。


久々に引用というより転載的な感じになってしまったんだけども。つか、出勤前のわずかな時間に書いちまう暴挙なわけで、脊髄反射的な書き方になってしまいそうなんだけども。と、言い訳しておいて。(笑)

まあ、わたしも似たようなもんだよね。日記なんて自分だけのことじゃなくて自分の見知った人たち、あるいは知らない通りがかりの人たちのことを書いてしまうこともある。こともある、どころか、そういう何かしらネタになりそうなことをやったり言ったりしてる人たちがいるからこそ書いちゃうわけで、なーんもなけりゃ書かないわけだ。今、わたしが↑の人が書いたものでこんなふうに「こんなこと書いてる人がいてさー」って感じで、ね。それはもうしかたない。書かれたくないのならまったく人と接触しないという生活しかできないわけだ。まあ、だから書かれることを受け入れろっていうつもりはもちろん毛頭ない。ほんとは書く側が配慮しなくちゃならんのだろう。でも、書いてしまう、それがわたしのようなタイプの人間だ。

わたしの本当の願いは「どんなこと書いてもいいよ」と言ってくれる人ばかりになってくれること。でもそれは無理なこともわかっている。書かれたくない人だっているだろうし、いることが正しい。わたしのことも否定されたくないというのなら、書かれたくない人のことも否定しちゃダメだろうから。だから、わたしは「書いてもいいよ、どんなことでも」と言ってくれる人としか付き合えない。それもしかたない。

わたしの母が「どんなことでも書いていいよ」と言ってくれたことが、だから本当に嬉しかったし、自分の母を誇りにも思った。本家ブログで母の病気のことをチラッと書いてはいるけど、これが昔だったら、もっともっと詳しく書いていただろうなあと思う。今はその時間が取れないので書かないけれど、それでも、普通なら書かずに伏せておく母の病気のこと、公開された場所にわたしは書いた。母は書かれても平気な人だから。なんというか、ああいった人もいないよなあ。それが自分の母であることに不思議な縁を感じる。ああ、やはり、わたしはこの人の娘なんだな、って。

「人生を切り売り」か。切り売りするっていう言い方は、確かにあまりいい意味には取れない。切り売りした先には、いつか切り売りするものがなくなるという未来しかないようにも思えるから、なのかな。まあ、実際は生き続けていくうえでさらに切り売りするものが増えていくという人もいるだろうから、あとからあとから温泉の湯のように尽きないという場合もあるだろう。うちの母みたいに、まるでネタがつきないという人生を歩んでいる人もいるからねえ。とはいえ、わたしの力のなさでなかなか彼女の自伝を代わりに執筆するということもできない。だって、わたしはああいったものを読みたいって思わないんだもの。それを書くことは、だからない。

……あああ、時間切れ。なんかもっと書きたかったんだけど、もう出勤準備に取り掛からねば。



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。