スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

思い込みだって本物に変わると思うよ

2006年11月09日 08:34

空中キャンプ なぜ、傷が必要とされるのか


ぜったいに消えない傷、わすれることのできない暗い記憶によってこそ(=原初の「外傷」──象徴化、全体化・象徴的統合に抵抗する不可能な核)、ほんとうの成熟が可能になる。わたしは、そうした傷や記憶を恥ずかしいとおもっていたが、それはまちがいであった。だから、二度と消えない傷をどこかに持っている者は、それを誇っていいのだと、それは生きていくために必要なものなのだと、スロヴェニア出身のおっさんがいっていたことを、彼に代わってみなさんに伝えておきます。



これいい言葉だなあ。


まあ、私の場合は人より傷の痛みのハードルが低すぎるんで、他人からすれば「そんなかすり傷」って軽蔑されちゃうんだろうけどね。でも、傷の痛みなんて人それぞれなんだから、傷の深さを比べてほしくないって思う。もし比べてくるヤツがいたらぶっとばす。(爆)


ただ、傷を誇りなさいと言われて「はいそうですね」となれる人はなかなかいないと思う。こういうのって言われて頭では「そうだよなあ」となったとしても、その記事書いた人みたいに「電車の中で、くはっ、とか声を上げてしまいそうなほどに」自分で「そうだったんだ!」と気付かない限りはなかなか実感できないと思うんだよね。
他人が書いてたことで「なるほろー」となった場合って、実感したと思い込んでるだけってこともありうるし。そういうのって私もそうなんだけど、結局はまたグジグジとしてしまって同じことを繰り返してしまうわけ。
でもまあ、Gが言ってたように、イメージすることが大事だと思うんで、思い込みもいつかは本物に変わることだってある。あと、いつの間にか身についてる場合もあったりするんで、自分なりの進み方をしていけばいいってことか。つまり、他人に言われて思い込んではまた繰り返すのも悪くないってこと。「また繰り返してんじゃん」と後ろ指差されようが、最後にちゃんと変われればいいってことで。結果が全てだもんね。


たとえば、私で言えば、去年からずっとここでの綴りを見てきている人ならわかると思うけれど、何度も私はアップダウンを繰り返していた、仕事のことで。某所込みでだけど。いろいろと叱咤激励されて、そのたびに頑張ろう、やっぱりダメだ、いや、それでも頑張ろう、でもやっぱり…となっていったわけで。ダメだってなるときは、必ずなんらかの傷を受けてそうなるわけだ。そういう傷はできたら受けたくないけれど、でも、今ならその傷は受けてよかったと思える。でもその時にはこんなのイヤだと思ってるわけだけどね。
今の私にはわかる。傷を受けたことで傷に対しての免疫が少しづつ強くなっていってるのを。少々の傷ではへこたれなくなっているって。これはきっと最期にやってくる人生最大の痛みを麻痺させるために必要な儀式なのかもなあなんて、ね。ガクガクブルブル。(爆)


これが私自身で見つけた発見。


そんなふうにみんなが自分なりに「そうなんだ!」と掴み取れればいいと思うし、掴み取れるんじゃないかなあって思う。


つーか、なんか当たり前なこと言っちゃったなあ、しかもなんか「いい人」っぽい?(爆)
でもまあ、今まさに傷を負って痛みまくってる人には「そんなの抜けれた人のたわ言だ」なんて言われるんだろうな。まあ、私だってそう思ってた時期あったし。だからそう言いたければ言えばいい。そういう事で前に進めるならね。




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。