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奇麗事な理想論

2007年01月14日 08:46

自分の尺度で相手を「こうだ」と決め付けて見るっていうのは、客観的じゃなく主観的な見方ということになるのかな。主観的にそうやって見て決め付けるっていうのはあまりいいことじゃないんでしょうけど、でも、誰かも言ってたけれど、完全に客観視できる人ってなかなかいないと思うんですよね。主観的に見たとしても、それから少しづつ相手をわかっていくことだってできないことじゃないし。決め付けられたことを不快に思ったとしても、そこからなかなか脱してくれなかったら、付き合いをやめれればいいことで、多少なりともこっちも努力して相手に自分というものは「こうなんだ」って伝えていくことも大切かなあって。それがコミュニケーションっつーもんでしょ。うん。


『愛してくれない人でさえ 愛すことの出来る人に私はなりたいと思っています』



創作仲間の一人が当時自分の日記に好きな漫画家の言葉を載せていた。それが↑の言葉。本人も私も「それは理想論だ」と言ったけれど、それでもその人も私もそうなりたい、そうありたいと思ったよ。


『恨みの連鎖反応には終焉がない。他人はなかなか変わらないが、自分は変えられる。自己犠牲なしに愛はありえない』



↑の言葉は当時新聞に書いてあったある人の言葉なんだけど、これもね、理想論だとは思うんだけど、それでもね、理想論というか奇麗事について昔掲示板で話した事にも通じる事なんだけど、世界がそういう理想論や奇麗事が通用するようなそんな世界になればいいよなあって。まあ、それこそ「奇麗事な理想論」でしかないんでしょうけど。




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