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超私的な見解で語る詩的な日記について

2007年01月29日 09:50

それと、これ、の間|とりもなおさず


 「詩」というものの定義にもよるのだろうけど、広大な枠で「詩を書く」「詩情を持つ」ということを自分なりに定義すると、「何かを感じて、それを何か別の言葉に換言しようという欲求に従って書く文章」ということだと思う
 しかし、この定義を考え付いて、これって、全ての文章において当てはまることだよなぁ、と



たとえば私が2006年4月のツブヤキで書いたこの文章。


あなたに逢いに行く夢を見た
汽車に乗って
あなたの街まで直通じゃないのに
それでもごとんごとん揺られて
あなたに逢うために
向こうについたら
どうせすぐに逢えないだろうから
逢えるまで何か仕事して暮らさなくちゃ
そう思って窓から流れゆく景色を見つめた
夢は夢でしかない
けれど
あなたは空想の産物なんかじゃない
現実に其処に居る存在


逢いたいという気持ちは本物
けれどたぶん逢いたいというその執着が
今の私を生かしている
私を生かすためには必要な執着
だから逢いたいが逢ってしまわぬように
でもこんなにも焦がれてる
逢いたくて逢いたくて逢いたくて
あなたに逢いたくて
気が狂いそうな夜
私は彼のように眠れなくなる


お願い私を眠らせて
たとえそれで永遠に目覚めなくてもいい



↑これなんか詩とも言えるし詩じゃないとも言える。こういうのが「詩的な日記」というもの。まあこれだけがそういう詩的な日記というわけでもないんだけど。これもひとつの詩的な日記と言えるってことで。
つまり、事実を事実として淡々と書く日記とは違って、事実を何らかの脚色をして書くというのが詩的かなあと私は思ってるんだよね。別の言い方をすれば「ネタ的に書く」ということ。そのネタ的に書く表現方法がナルシーっぽくなるのが詩的とでもいう感じかな。で、対象をぼかして書くのも詩的ということで、こういう書き方をするのを好まない人もいるんだよね。逆にこういう書き方をする人を好きな人もいることは確かなんで、誰に何を言われようが好きに書けばいいんだけど。


ただ、すべての文章が詩的かと言ったら、それは違うんじゃないかな。だって、えっけんさんたちが書いてるようなブログ論なんてどう見ても詩的じゃないもの。(W


コメント

  1. もっぱら | URL | -

    いや、「うんこ~」の部分が、詩なんですよ
    詩情を感じさせます

    というのはさておき
    僕が書いた記事の最後のほうにも書いてあるのですが、引用していただいた部分は、あくまでも仮説であるというか
    直感的に納得してはいるのですが、どうも論理的に説明できないんですよね

    あえて、もうちょっと説明するのなら、「言葉」というもの(あるいは、「言語」というもの)は、何かを言い換えているものですよね(存在しないものに、価値を与えているというか)
    その行為自体が、「詩作」なんではないかなぁと思ったりするんですよね

  2. ノイズ | URL | -

    ああ、そっか、なるほどなー。
    言語は確かに人の想いとか対象を表すためのものですもんね。
    そういう言い方だったら、確かに「書く」ということ自体が詩作とも言える。うん、確かに。納得。
    ただ、文学界というか、こういう世界ではジャンル分けっていうのにこだわりを持つタイプの人が多いと思うんで、定義はされてると思うんですよね。
    まあ、考え方自体は他人が「それは違う」って言えないとも思うんで、やっぱ自分が「詩的なんだ」と言えば詩的なんだし「詩的じゃない」と言えば詩的ではない、なんだろうなあと思います。

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