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基礎と言えば

2007年05月02日 09:22

義経ですよね。(W


とまあ冗談はおいといて。(^^;


404 Blog Not Found頭で覚える基礎、体で覚える基礎


昨夜、旦那とその「基礎」について話してた。何の話が発端だったかな。ちょっと忘れたけれど。でまあ、その時に話題にしたんだけど、私って基礎ができてない人間だよなあと。子供の頃の勉強にしても、私は性格がめんどくさがりなもんで、算数とかでも基礎なんかをすっとばかしてたわけ。けれど、そこそこに証明問題とかできた。公式とかも覚えるのが苦手だったもんで、公式使わずに解いたりして。そういうの算数だけじゃなく他の教科でも似たり寄ったりだったなあ。ただ、そういうのって中学までの勉強なら何とかある程度のところまではできたけれど、高校に入ってからはまったくダメだったよなあ。おかげで成績はまるでダメだったし。国語とかも得意なように思われてたけれど、成績はよくなかった。基礎がしっかりできてないんだもん。


で、話は変わるけれど。


これほどクリティカルな例でなくても、子供だったらあっという間に慣れることが大人になってからはからっきしという例は枚挙に暇が無い。竹馬や一輪車の乗り方、楽器の演奏、外国語の会話....これらは大人になってから一念発起しても、子供のころに理由もわからず習わされた人たちにまずかなわないもののほんの一例だ。



これで言うと、私の場合は楽器になるね。私は物心つくかつかないかの頃から短大卒業までピアノ漬けな子供時代だったから。ただまあ、今は弾かなくなってから20年近くにもなってるから、当時のようには弾けないとは思う。けれど、たぶん弾こうと思ったらそこそこは弾けるんじゃないかな。これはまあ徹底的に基礎を叩きこまれたから。ピアノってね、弾いてるのを見ると子供の頃からやってたのか、子供の時は一切したことなくて大人になってから弾くようになったのかが一目瞭然なんだ。引く姿とか見てるとよくわかる。ピアノって、姿勢から鍵盤に置かれる指の形とかまでもレッスンで叩き込まれるんだもん。だから、弾く姿、鍵盤を走る指とか見てると、子供の頃からやってるかどうかはわかる。というか、ちゃんと先生について指導受けたかどうかで、なんだけどね。自己流でやってきた人なんかもいるんで、そういう人のはいくら子供の頃から弾いてるっていってもやっぱりちょっと弾き姿が美しくない。ピアノって弾いてる姿も評価されるもんだと私は思ってる。表現力とかそういう点で。別に曲だけに表現力を出すわけじゃないんじゃないかな。音楽ってね。


なんか昨日旦那と話してたことからずいぶんと外れてしまったけれど。あ、そうだ。あれだ。人の心を動かすっていうので話してたんだ。(笑)


自分で言うのもなんだけど、私なんかもこう見えてもけっこう自分の書いたもので他人の心を動かすところがある。これはまあ、私の書く小説で泣いたり笑ったり感動したり怒ったりするところからそう思ったわけなんだけど。それって人の心を動かすことじゃないかなあって。けれど、私って、書くことの基礎って、国語とかの授業で身に付けたものなわけでしょ。それって他の人たちとなんら変わりがないわけで。別に特別に書くことについて英才教育を受けたわけじゃない。読んでる本だって偏ったものしか読んでなかったし。人によっては、何かを書いても「つまらない」と思われてる人とかいると思う。けれど、そういった人だって同じように国語は習ってきたわけで。それなのに、そこで人の心を動かすものを書く人と動かすものを書けない人の差っていうのはどうして出てくるのかなって思ったわけ。基礎だけじゃないのかなって。そう思うようになったんだよね。じゃあ、私は基礎ができてないのに、どうして人の心を動かせるのかって。それが感覚で書いているってことなのかなあって昨日は思った。旦那と話してて。私ってけっこう感がいいときがあって、人が何を求めてるのかっていうのが何となくわかったりするときがある。意識的な時もあるし無意識で相手の求めてるものをタイムリーで書いたりとか。それがいわゆるシンクロってことでもあるんだけど。そんな時に「どうして私の気持ちがわかったの」と言われることもあった。けれど、これ逆に私の場合もしょっちゅうあるんだよね。「どうしてわかったのー」と思ってしまう文章に出会うことが。まあ、これって一種の思い込みからくる錯覚とか、ただの偶然とかもあるんだろうけれど。それでも、そういうことが起きることが私には多い。たとえそれを妄想だとか言われても。




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