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ルールなんか決めたくない

2008年01月13日 09:23

(はじめに)↓の記事に寄せられたトラックバックはこの日の日記に寄せられたものです。ちなみに文中内でリンクしてくださった「死を生きる」はこちらのURLに変更になっています。少しは表示ストレスがなくなるかと思われ。

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ブログはタイトルから? それとも結論重視? - すちゃらかな日常 松岡美樹


「それを主人公に言わせるためだけに作った」というところに、筆者のこだわりが感じられる。よほどセリフに思い入れがあったのだろう。



時には「この描写」にこだわりを持つ場合もあって、とあるシーンを書きたいがために書き上げた小説もあったな。それが「月下狂瀾夜想曲」だった。これに出てくる醜い男とその男を愛した少女の逸話で、死んで幽霊のような存在になった少女が死に掛けた愛しい男と魂を融合させることで男の命を助けるというのがある。まあこれも彼女のセリフに思い入れがあって、そのために描いたエピソードだったのだけど。


「あたしはあなたの魂の中でずっと生きていくの」
「あたしたちはひとつになる。ひとつの魂となるの」
「あたしたちはずっと二人一緒に生きていけるのよ」


これはmy little loverの「halo,again~昔からある場所~」という歌をモチーフにして作り上げたエピソードだったんだよね。「記憶の中でずっと二人は生きていける」の「記憶」を「魂」に変えた。
言葉というか、私はセリフというものに強い思い入れがある。言葉には魔力が宿っているという考えを本気で信じてる。だから、誰かが発する言葉を愛するし時には憎みもする。そして、自分も言葉をより効果的に発したいという気持ちを持ってたりする。


 もちろん小説じゃなくブログでもこういうのはある。何かのシーンや心にひっかかる発想が突然わき、まずメモる。で、それをテーマにしたりオチにしたりして1エントリを書く。カケラから全体が生まれるパターンだ。



自分の書く小説なんかは大抵がこんな感じで書かれる。ブログなんかも時たまそんなふうに書かれる場合がある。何かテーマを決めて書く場合はそういうもんじゃないかと思う。オチは大切だしね。ただ、すべてのブログ記事がそうかといったらそういうもんでもない。テーマなんか決めずにダラダラ書く場合がそれだ。ここでこれから書いていこうとしている「言及とは名ばかりなり」のカテがそういう感じで書かれるものだと思う。公開するものだから、誰かに読まれることを前提にして書いてはいるけれど、着地点を決めて書くつもりはない。勝手に書いて勝手に読まれて勝手に解釈される、そんなふうにやっていけたらいいなあと思う。ルールを決めずにやっていく。それが私にとって一番長続きすることなんだと思うから。そういう点で私も次の言葉に同意。


「結論は、これ読んだあなたが自分で考えてください。だって他人がまとめるより、自分で発想するほうが面白いでしょ?」



でまあ、私のここの場所は誰かを積極的に勧誘するつもりはない。だからタイトルも他の私の運営するブログのように考えに考え抜いてつけるつもりはない。それから、コラボレーションだけど、そういうのも昔はよくやってたよなあ。つーか、こんなふうに誰かの書いたものでさらに自分語りをするっていうのも一種のコラボとも言えるわけだけど、私がここで書くようなものはちょっとコラボとは違うんだろうと思う。ちゃんとした言及記事ならば立派なコラボなんだろうけれど、私の書く言及もどきは完全なる自分語りだからなあ。ただ、人によっては「あの記事からそんなものが出来たのか」と面白がってくれる人もいるだろうしね。まあ、昔、日記に書いてたようなことをまたやってみるかなというそれだけでまた始めましたということです。


つーことで、三度(だったかな?もう忘れた^^;)よろしくなのです。


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