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悲しみよこんにちわ

2008年02月01日 11:06

ネットは価値観の齟齬を埋めるツールなのか、それとも溝を深めるものなのか ひとりごと-ウェブリブログ


 ネットは、寧ろ溝を深める可能性が高いけれど、だからこそ齟齬が埋まった時は喜びが大きく、またそれを公開している事で、多くの人が同時に理解してくれる可能性がある。そう思うと、やはり、「価値観の齟齬を埋める事もあるし溝を深める事もある」と書くしか無いんだよね。


昔昔の私は「所詮人間同士わかり合えることなんてないんだ」という言葉を聞くと、そんなことはないと強く力説し、そんなことを言う人を非難したものだった。絶対にわかりあえるよと声高に言い放ち、そんな悲しい事は言わないで、きっとわかりあえるよと言ってきたものだった。でも、今の私は確かにわかり合える事はないんだという思いも抱くようになった。ただ、絶対にわかりあえないと断定するではなく、わかりあえることもあるし、わかりあえないこともあるということが事実であることを知っているというだけ。それが誰にとっても真実なことなんだろう。


どうしてもわかりあえない人もいる。
でもわかりあえる人だっているんだ。
それでいいじゃないか、と。
むしろ、わかりあえないことがあるために、わかりあえることがより一層素晴らしく感じられるんじゃないかなって。


わかりあいたい人とわかりあえないことはとても悲しい。誰にとっても悲しいだろうし、私はとくにそれを悲しく思う。けれど、たった一人でも誰かとはわかりあえる、たとえ細部でわかりあえなくても、それでも他の部分ではわかるよ、それでもいい、それでも付き合っていける、それでいい、そんな些細なことでも心に温かさを感じる、そのおかげでわかりあいたい人とわかりあえない悲しみが和らぐのだから。だけどその悲しみは完全にはなくならない。だってやっぱりわかりあいたい人とはわかりあいたいと思うのだから。でもどうしようもないことなんだ。その人とわかりあえることは無理なんだ。無理なんだけど、その悲しみを完全になくしてしまいたくはない私もいることは確か。それはその人を好きだったこともなくしてしまうことだから。だからなくさない。それに、その悲しみがあるからこそ、わかりあえる人との間に生まれる温かいものがより一層温かく感じられるわけだもんね。


そう思えば、きっと、どんな感情だって受け入れられる。そんなふうに思う。悲しみよこんにちわ──そんなふうに思えるようになれるよ。うん、きっと。




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