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そうよ私はあまのじゃく(笑)

2008年02月12日 10:18

真似るは学ぶ? - メモ

私の場合は「トーマの心臓」と「ポーの一族」ですねえ。マンガはね。あと、当時バレエマンガやデザイナーマンガが流行ってて、それらの設定でマンガ書いてたなあ。私も5冊ほどノートにヘタクソなマンガストーリー描いてたですけど、転校する友達にあげてしまって手元にはありませんね。


小説は「アルプスの少女ハイジ」の設定を自分なりに料理した「大自然の中の少女たち」(音楽鳴ります)を書いたし、「十五少年漂流記」を真似したお話や、鮫と少年、ジャガーと少年のお話など、そういったものを小学生の時に書いてました。で、中学になってジュブナイルSFにはまって、「人類のあげぼの号」という小説に出逢ったのです。それは主人公がコールドスリープで未来社会に行くというお話だったんですが、その設定だけを真似して奇想天外な話を作っていきました。もちろん主人公は自分。他の主要キャラも当時の同級生たちばかり。おまけに好きになった人たちもそのまま出して。ずっと書き続けていったもんだから、好きな人がかわるたびに主人公のお相手がくるくるかわるという、ほんと自分の夢をそのまま物語にしたような話ばかり書いてました。まさに、逃避型小説。自分を楽しませるためだけに私は小説を書いてたわけです。けれど、少ないながらも、私の小説をおもしろがってくれた友達はいたんですよね。自分で言うのもお恥ずかしいことなんですけど、それは書かれていたキャラが魅力的だったからだと思います。


以前、ネットで知り合った創作仲間と「作品の重みとか深さ」については話したことがあります。そこらへんのことはこの日記に書きました。
私はキャラ設定が得意なんですよね。とくに男性キャラは私の看板小説に出てくるマリーにファンがついたように、過去ではアディオスやシンゾウやスプリンガーやそういった男性キャラにファンがつくことがけっこうありました。まあ、私自身がプロの方の小説やマンガを読んだり見たりして、どういったキャラがファンがつく傾向があるかを肌でわかってるからでもあるんですけれど。まあ、そんな感じで、Gのようなキャラであるゲクトが生まれたわけですけれど。


とまあ、そんなわけで自分語りはここまで。(笑)


継続することは確かによいことだという見方がある。私も継続することに意義があるという考えも持っている。けれど、継続できないからといってそれで自分はダメなんだというのも違うんじゃないかとも思う。いや、別に、ゆっけさんが自分をダメだと思ってるとは思わないけれど、継続できないことは、ゆっけさんにとってはそんなに重要なことじゃないんじゃないかな。私から見れば、ゆっけさんは私より多くの人の関心を惹き付けることができる人でもあるんで、時には嫉妬心さえ抱くこともあるのだから。私にとって嫉妬心を抱かせる相手は私にとっては特別の相手。そういうものが持てなくなったら、私はその人から急速に心が離れていく。もちろん、私はGに対しても強烈な嫉妬心を抱いているよ。


真似ることに忌避感があるというゆっけさん、それでいいじゃないですか。「基本を知らないのにオリジナルも何もあったもんじゃない」というけれど、あなたは十分ステキなオリジナルを作り出してる。それだからこそ、あなたの書くものに多くの人の関心が寄せられるのだと思います。それに、私とは違って正直ですしね。私はどうしようもない根性曲がりのあまのじゃくですからして。もっとも、私はこんな私をけっこう気に入ってたりする。そりゃもう完全無欠の人間を毛嫌いしてますからねえ。




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