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私なりの文学への目線

2008年02月15日 10:08

本を読むことと本を語ること - メモ


「質の悪い読者」と言われたことがある。私の場合は読んでない本について語ったわけではないけれど、私も読んでもない本について「読みたいとは思わない」とか言ったこともないわけじゃないんで、読書や批評について、偉そうな口はきけないんだけど。でも、それでも過去に偉そうなことを書いたこともある。好きな作家やその好きな作家の書いたものをさんざ悪く批評されて、何もわかっちゃいないと、酷い批評をする人を「ダメなヤツ」とレッテルはったこともあるしね。けれど、好きな作品をけなされても、それでも「この作品のここがダメ」とか書かれているのを冷静になって見てみると、批評する人によっては「そんな見方もあるんだなあ」と感心することもあるということに気がついた。というか、ひどいひどいと批評してても、そこに愛が感じられる酷評をしている人もいることに気がついたんだよね。それに気づいたとき、私の好きな作家を酷評する人のすべてに今までとは違う目を向けるようになった。


いつも同じレベルのものを提供できるはずがないんだ。好きな作家であっても、この作品は好きだけどこの作品はちょっとなーというときもある。最近読んだ好きな作家の短編集でもそういうのがあった。そんなとき、好きな作品については雄弁に語れる私であっても、ちょっとなーという作品についてはうまく語れない。そりゃもうね、作家に心酔している人の目に触れたら、ちょっとした批判でも逆鱗に触れてしまうことはあるわけだから、なかなか書けないよ。自分が「この作品はちょっと…」と思っていても、他の読者には「その作品は好き」という人だっているはずだから。だから、怖いもの知らずな人だけが、正直な感想を堂々と不特定多数に見せることができるということがネットでの感想の書き方になってしまってるよねえ。それもよくない傾向かもしれない。それは本だけに限らず、映画や音楽や、そういったものにも同じ現象は起きているし。


やっぱり、どんな感想・意見・批評でも、規制されてしまうのはよくないんだな。好きに正直に、これは好き、これは嫌い、それはなぜか、こういう理由で、こんな感じで、って、書いていけるのがいいよなあ。


いい読者がいい批評家とは限らない。読んだ本を語る人より語らない人の方がはるかに多いのだ。



いい読者なんてきっと一人もいない。というか、いい読者・悪い読者という概念がおかしいんだ、きっと。つまりは私が言われた「質のいい読者」「質の悪い読者」というのもおかしい。読者はただの読者。たとえ、どんな批評をしたとしても、どんな感想を持っても、すべての人を満足させる批評や感想なんて誰一人できる人なんかいないんだよ。書いた作者だって、自分はこういうことを書きたかった、こういうことを伝えたかったということが伝わらなかったとしても、それは読者のせいじゃないし、たとえ、自分の想いが伝わったとしても、それだけが正解なんじゃない。書いた自分の思いもよらなかった感想がでてくることをもっと楽しんで、それをさらに新しい作品に活かせることができることこそを重要なんだと思えるようになれればいいのになと私は思う。文学って1+1=2のように一つの答えしか出てこないわけじゃないもの。いろんな答えがあるのが文学の醍醐味だもの。「これなんだ!」という決め付けなんかないほうがおもしろいじゃないか。


人の数だけ様々な答えがある。それが文学の存在意義なんじゃないかな。




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