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読みたいと思ってくれる人のために

2008年02月25日 11:04

304 Not Modified 自分のサイトを教える/教えないの境界線


ホームページを作成し、それをウェブ上で公開した頃、思い切り引きこもり状態だった私なのでリアルの知り合いにはサイトの話をするということはなかった。でも開設して一年後の正月の年賀状にはURLを明記して何人かには教えた覚えがある。で、私のサイトはあれから8年ずっと同じURLだ。サイト名もずっと同じ。HNというかPNもずっと変わらず。ただ、サイトを開設してから何年か後、日記だけ独立させてライコスで書いていた頃から、複数のHNで文体の違う日記を書き出した。読む人によっては、違う文体を同じ場所で書くことに違和感を覚える人もいたので、混乱を避けるための書き分けだったんだけど。こちらの文体はよくてもあちらの文体は嫌いという読者の好みもあり、それで教えるサイトと教えないサイトと出てくることになったな。


「恥ずかしい」というのは私にはなかった。「恥ずかしい」と思うのは、大抵が読者の方だったように思う。小説などでも私は18禁やBLなどを別のサイトで書いていたのだけど、それを男の人に読まれてもそれほど恥ずかしいとは思わなかった。中には「あなたの体験談が書かれているのか」と言われたこともあるのだけど、それについても別にそう思われてもいいとも思っていたし。それに、100%体験が入っていないとは言い切れないし。だから、私は「恥ずかしい」という気持ちがわからなかった。それだけ他人に自分の文章を読まれるのがあたりまえだと子供の頃から思っていたからだ。


ただ「恥ずかしい」とは思わないけれど「マズイな」と思ったことは何度かある。自分の正直な気持ちを日記で綴っていると、リアルの知り合いに自分の考えていることをわかってほしいと思うあまりに、ついつい言い過ぎな日記を書いてしまったこともあるからだ。息子が小学生の頃には学校関係のことでちょっと言い過ぎな感じのものを書いたこともある。日頃から学校というところに不満を持っていた私でもあったので、「これ書いたらマズイかもなあ」と思いつつも、わかってもらいたいという気持ちが強すぎでついつい本音を書いてしまったものだった。当時の息子の担任が私のサイトを見ていることを知っていてもそれは歯止めにならなかったな。私はそれだけ自己顕示欲が強いのだろう。そうじゃなきゃこんなふうにウェブでなんかかんか書いてないからねえ。


その境界線、自分のサイトを教える/教えないの境界線は、やはり「価値観」になっちゃうのかな。サイトで発信している情報(内容)に対する価値観、情報を発信することに対する価値観、情報発信をサイトで行うことの価値観。私は、それを否定されない人になら自分のサイトを抵抗なく教えられると思う。



私の書く物が価値のある情報だとは思わない。けれど、価値があるかどうかは読んだ人が決めることだ。価値観が違っていて、私の書いたものを否定されたとしても、たとえ誰一人価値観が私と同じじゃなくても、それでも私は書き続けるだろう。積極的に読んでもらおうとはせずに、読みたいと思った人が読み続けてくれればいい。私は自分のためと、私の書いたものを読みたいと思ってくれる人のためだけにこれからも書き続けていくよ。まあ、わざわざ否定するために読む人もいないわけじゃないと思うんで、そういった人のためにだって書き続ける。だって、そういった人も、私の書いたものを読んでくれる人だからね。読みたくなくて読まないという人よりは私にとってはマシな存在だと思っている。




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