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表現やめないよ

2008年02月26日 10:47

suVeneのあれ 「感覚」と「理屈」


まあ、表現というか、書くってことだよね。書き続けてほしいと言ってくれた人がいたからやめないというわけでもなく、私はやっぱ書きたい人だから書き続ける、ただそれだけかな。


このような、「感覚」と「理屈」の齟齬は、本人にとっても十分自覚的な場合が多く、それを承知した上で「内面の吐露」のような形で、ブログなどのエントリに表現されていることも多々あるだろう。そして、その「内面の吐露」のような表現に対して、いわゆる「理屈」で対応することは、すれ違いになりやすいのではないかとも思う。



間違いなく、私の場合は「感覚」で書く側の書き手。だから、そういった書き方をしてない人にとっては気持ち悪い存在だろうと思うし、どうしても気持ちのすれ違いは起きる。大抵は私のほうが片思いで、相手は嫌ってるということが多いんじゃないかな。だって、理屈っぽい人から好意を向けられたことってあまりないから。好意というか多少は興味持ってもらえたとしても、結局は嫌われる。もっとも、そのほとんどが、私があまりよろしくない態度を取るからでもあるんだけど。好意を向けられ続けたいと思うなら、もっと努力しろって言われてもしかたないよね。まあ、そんなこと言われたことはないんだけど。でも、何となくそんな空気を感じるんだよね。どっかから「考えすぎ」とか聞こえそうだけど。しょうがないじゃん。そういう奴なんだから私って奴は。


つーか、そのすれ違いなんだけど。それでもすれ違わない場合もあると思う。タイミングなんだろうなあ。私なんかも「この人とはうまくいかないような気がする」と思った相手と、魂の繋がりを感じるくらいの仲になったことだってある。それは、もうね、タイミングがよかったとしか言いようがない。どんなにうまくいきそうな相手でも、タイミングの悪さで壊れてしまう仲もあるから。
だから、「齟齬を責めること」を否定はしないよ。好きに表現することも認めてくれるというのなら、齟齬を責めるのも自由だし。それを受け入れられない人は無理に表現しなくてもいいし。私みたいに図太く表現していく奴だけが何でもかんでも書いてけばいい。残念に思う気持ちはわからないではないけれど、私に限り、しぶとく書いていく人だけのものに私は愛情感じるんで、責められてもう書かないとなった人には興味ない。残念にも思わない。読ませてくれない人なんて私には興味ないから。いつでも読ませてくれる人だけが興味の対象。そして、それを読んで自分語りを書かせてくれる人。私に書くことを規制しない人。そういう人は私にとって本当にありがたい存在。どんだけワガママなんだよって感じだよね。書かれたくない人のことまで書いてしまう奴だから私は。そりゃ嫌われるわけだ。でも、規制することは自由だから別に言ってもいいよ。「書くな」って。けれど、私は書くよ。それがイヤなら頭の中に書いてほしい。私に読まれたら書かれてしまうことだけは忘れないでね。




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