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好きに書くために

2008年03月28日 08:26

2008-03-27 - メモ


人が生きづらいのはしがらみに翻弄されるからで、他人の目が気にならなければ何パーセントかは気楽になる。



ノイズの場所のコメント欄やトラバを閉じたのは、そのしがらみから逃れたいと思ったからでもある。最後に閉鎖宣言をしてからまた新たにここで書き出すにあたって、そういったしがらみを排除して昔のように好き勝手に思ったことを正直に書きたいと強く思ったからなんだよね。
昔からの私の書き方が、こんなふうに他人の書いた一部分を切り取って、思い起こされた自分語りをとうとうと語るっていうやつだったんで、引用された相手にとっては「そんなつもりで書いたわけじゃない」となってしまうことが多かったから。つまり、今引用した文章が私の頭の中で次のように改変されているわけ。


「私が書きづらいのはしがらみに翻弄されるからで、他人の目が気にならなければ何パーセントかは気楽に書ける」


これが私の引用の仕方が誠意を感じさせない所以だろうと思っている。だから、今までに何人かの人が私を非難した。非難されてもしょうがないよなあとも今は思っている。けれど、私はこういう書き方をやめるつもりはないし、それでも私の書いたものを読みたいと思ってくれる人が読んでくれたらそれでいい。読みたくない人は読まないだろうし、非難するためだけに読むという人だって別にいていい。読者側の不快に感じる琴線は私にもわからないし、たとえわかったとしても、私は書きたいと思ったことを書いていくだけだ。他人の気持ちにまで今は思いを馳せる気はない。それもあって、コメントやトラバは閉じたのである。


けれども、そこから逃れることはできないし、他者の視線もあってこそ規範も生まれ逆に視線があってこそ張り合いになることもある。



でもまあ、コメントやトラバを閉じているからといって、すべての反応をシャットアウトしたわけじゃない。はてブもチェックはしているし、それ以外でも気づける分に限りは言及してる人がいたら読むしね。けれど、ここで新たに書き出してからは、ほとんど注目度は上がってないということで、あまり他者の視線は感じられない。でも、だから張り合いがなくなるかといったら、まったくのゼロじゃないということもあり、たった一人が読んでくれているのだと気づくことができれば、私の張り合いは十分だ。もっとも、私は私だけの視線だけであっても書き続けることはできるけどね。何度も言うけれど、そんな場所でも私はずっと書き続けているし。視線が私だけの場所でも。それだけ私は「書きたい」に溢れてる人なんだと思う。


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他人のコメント欄で自分語りをすることについて、批判的に話題になることがあるけれど、むしろ、記事から思い巡らせた自分語りであった方がいいかもしれない。



昔の私は他人の掲示板での自分語りがいつものスタイルだった。もちろん、ゆっけさんのような寛容な態度の人もいたけれど、その人が本当にそう思ってくれてたかどうかまではわからない。いいよいいよと言っていても、実は心の中では「うざい」と思っていたかもしれないしね。でも、何人かは確実にそういうのはいやだと言う人もいたわけで。直接レスとして言えないという人は、さりげなく自分の日記に書く人もいたし。
だから、何回か書き込みのトラブルを経験することで、私はだんだんと他人の掲示板に書き込みするのをためらうようになり、今ではほとんど書き込みしなくなってしまった。まあその代わり、自分のテリトリーで昔掲示板に書き込んでいたようなことを書くようになったわけだけど。しかも、掲示板時代よりさらに自分の思いに深く入り込んだものを書くようになっていったよねえ。話もソレまくるし。(W


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ことばや文章にすると、キツく感じられたり何かを主張しているように読めることも、絵にすればネタ化する。



それは、ゆっけさんが絵描きさんだから思うことだよ。私もまったく絵心がないというわけじゃないけれど、私には絵をネタ化にできるほどの技量はないんだよね。けれど、文章だと自由にネタ化にできる。ゆっけさんにとっては文章で表現するより絵で表現するのが性に合ってるからそう思うんじゃないかな。私は文章で表現するほうが性に合ってるから、絵よりも文章の書くほうが断然楽ちん。




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