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コンプレックスってあったほうがいいのかもね

2008年05月25日 10:17

「配偶者へのコンプレックス」について - 琥珀色の戯言


じっぽさんが取り上げている増田の記事はタイトルだけははてブで見てたんですけど、内容には興味がそそられなくて読んでませんでした。なんつーか、私自身は旦那に対して嫉妬をするということがないんで、それで興味持てなかったんですけど、そんな事が書かれていたと知ってたら、たぶんここでなんか語ってただろうなあと思いましたね。つーことで、孫引きならぬ孫言及やってから、じっぽさんの書かれた記事でも語ってしまおうかしらん。(笑)


「できない人のことをできる人がそんな風に言ってはいけない」というのは、確かにそうだなあとは思うけれど、でも、言い方とかタイミングとか、あと受け取る側の気質とかでも、絶対に「言ってはいけない」というものでもないと私は思う。言われたことで、「なにくそ」となって、何かを成し遂げる人だっていないわけじゃないから。まあ、言われたことで、潰れてしまう人だっているわけではあるんだけど。でも、いい方に転ぶ可能性だってまったくないというわけじゃないもんねえ。
現に益田さんは、必死に勉強しているということだし。言われても全然のほほんとしてまったく勉強に励まないという人だっているだろうから(それは私~)、この人は言われたことで努力するだけの気概のある人だと思うんだけどね。でもまあ、そういう殺伐としたものを夫婦生活に望んでいないのだとしたら、まあよくない関係なのかもしれないけれど。ほんわかした夫婦生活を望んでいる人であるなら、必死に勉強したくないのにしなくちゃならないということで不幸でもあるし。でも、それがイヤなら別れてしまえばいいことだと私は思うんで、別れないというのなら、やはり勉強して旦那さんを見返すのが一番いいんじゃないかな。だから、頑張れ!(笑)


さて、じっぽさんが言われている次の言葉。


ただ、ずっとコンプレックスを刺激されるような相手と一緒に生活していくのは、本当に辛いことではありますよね。



コンプレックス、それは私も人並みに感じることあるけれど、それと同じくらいに優越感も感じることがあるんで、本当にコンプレックスを抱いているんだろうかと疑わしくなることもある。
私はよく、女として母として妻として人間として他の人たちより劣っていると思っているわけだけど、そうはいっても、それらと引き換えにしてでも小説で認めれたらという気持ちも無きにしも非ずなところがあるわけで、それは本当にコンプレックスを感じているとは言えないだろうなあ。とはいえ、以前にも旦那が言ってたように「お前が有名作家の立場になったとして、やっていけるのか?」というふうに、有名になったことで、悪意を投げつけられることを受け止められるのかといったら、まあそれも難しいところだなあとは正直思う。初めて、見ず知らずの人から悪意のある言葉を郵送で送られてきた時、初めてネット上で自分の言動を糾弾された時、確かに私はうろたえ、リアルでも体調不調を起こすほどに神経衰弱になった。けれど、あれから、そうやって文書やネットでの書き込みなどでぶつけられる言葉に対しては耐性はついた。どんなことを言われようが、まったく平気というわけではないけれど、それなりに流せるようになった。それはただの言葉であり、私を直接傷つけるものではないから。でも、それがリアルで傷つけてくるものに変わらないとも限らない。たとえばそれなりに有名な作家になったとして、直接、私を傷つけにくることもないとは言えないわけだ。それは確かに怖い。しかも、それは何も有名じゃなくても今はありうるわけだし。どんなに配慮して何かを書いていたとしても、どんなとんでもないことで反感をかってしまって憎しみをもたれてしまうことだってあるわけだから、「そんなことされるのは自業自得」とは言えないしね。


でまあ、またしても話がズレたけど。つまりは、私は本当にコンプレックスを感じているわけじゃないんだろうなあってこと。ただ、旦那のほうはいろいろとコンプレックスを抱えているみたい。背が低いとか。運動がいまいちだったとか。いろいろと。たぶん、そういった身体的なことから、子供時代にイジメにあって、それでコンプレックスを抱くようになっていったのかなあとも思う。イジメてた相手というのが運動もバリバリできる奴だったからねえ。旦那は頭はいいほうではあったんだけど、運動はサッパリだったからね。子供の頃って、女子も運動のできる子を好きになったりするもんだから、旦那みたいなタイプ、頭はいいだろうけど運動もできないし、背は低くて男らしさの欠片もないような目立たない男の子のようなタイプはモテないわけ。だから、モテないわ運動はダメだわで、けっこうイジメの対象になったりするんだよね。そういった子供時代をすごした旦那だから、当然コンプレックスは増大する。つーことで、大きくなるにつれ、旦那は他人ができることが自分にできないということが許せない気質になっていったわけ。それもあり、なんにでも手を出して一通りできるようになっていったみたい。
だから、旦那にしてみれば、結婚相手には絶対に自分のコンプレックスを刺激しない相手をと思ったらしい。でもまあ、私が子供時代の自分そのままだったとしたら、旦那は絶対に私を選びはしなかったんだろうけれど。(笑)
でも、旦那にとっては幸いに、私は昔ほど傍若無人な大人にはならなかった。子供時代の私は、友人たちも言ってたように「美人で賢いピアノの上手な女の子」であったんだけど(爆)、その実、私はとんでもなくワガママなだけの賢くない女の子だったんだよね。確かに美人な母親の子供ではあったんで、顔は悪くなかったんだろうけれど、顔って年とともに内面が出てくるもんでしょ。こんなネガティヴな人間がいい顔の大人になるわけがない。賢いって言っても、それは中学までで、高校からこっち、まったくダメだし。ピアノだって毎日弾かなきゃどうしようもないしね。ただ、何かを書くということだけは子供の頃からずっとやってて、それなりに賞をもらったりしたから、それだけは多少はできる分野だとは思う。だから、私にはこの「書く」ということしか人に誇れるものはないわけだ。そして、その「書く」ということだけは、旦那には負けないと思っている。とはいえ、時々その書くことで旦那に突付かれてムキーっとなることもあるんだけど、それもモチベーションをあげるためには必要なことかなとは思っている。
ただ言えることは、旦那にとって私は最高の相手であり、私にとっては旦那は最高の相手だということ。そりゃ、二人だけという関係ではなく、私や旦那の後ろには様々なしがらみが付属していて、それが私にとっては不満の種ではあるんだけど、少なくとも私にとっては、そういったしがらみがあったとしても、それ以上に旦那は得がたい存在だと思っている。こんなふうに好きに好きなことをさせてもらえることは、旦那だったからだと思うしね。


結果、コンプレックスはないに越したことはないけれど、それでも自分を向上させるためには多少のコンプレックスはあったほうがいいのかも。ほら、Gだってコンプレックスの塊でさ、それで克服したいがために日々努力して、あそこまでのし上がってきた人なんだし。Gなら言うと思うよ。「コンプレックスは人間には必要なものだよ」って。(爆)




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