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その言葉だけは言われたくなかった

2008年09月14日 10:07



どのカテゴリに入れるべきか迷ったんだけど、とりあえずGに入れる。(笑)


昔こんなことを新聞に書いている女性がいました。「年甲斐のない人になろう」って。その人は文芸の同人をされている人でした。で、その年甲斐のない人になるためには「好奇心」「感動」そして、いい意味での「図々しさ」の中で、興奮と刺激を伴う人生──これこそが老化対策の中心に存在するということでした。


そのために『まず何かを追うこと』がいいんだとか。その追うものは何でもいい。ただし、問題なのはその時に本気で真剣に追いかけたかということ。本気だったのなら、たとえつかまらなくてもやるだけやったという納得ができるからなんだと。つまり「結果」ではなく「目的に向かって走った自分に感動」することが良いということだそうだ。


当時の日記は↑のようなことを書いたわけですが、現在の私はこの「目的に向かって走った自分に感動する」っていう言葉にいろいろと思いを馳せてしまいました。これって、私が言われたことのある「それは本当の好きじゃなく、それを好きな自分が好きなだけなんだ」っていうのに似てるんじゃないかなあと。


私は思うんですよ。好きっていうことについて、やっぱり嘘の好きとか本当の好きなんていうカテゴライズするのは好きじゃないなあと。一番大事なのは、好きというその気持ちでちゃんと生きていけるかどうかなんだと思うんですよね。私はガクトさんが好きです。そして、その好きを他人に否定されたことがある。その時はむかついた。そりゃ自分の気持ちを否定されたわけですから、むかつきますよ。否定した相手は自分がたとえ逆の立場になったとしても、私みたいにむかつくってことはないかもしれないだろうけれど、それでも別のことでむかつくことだってないとは言えない。生きていく上でむかつくことがまったくないという人間なんていないと思いますからね…とと、また関係ない話にそれそうになってる。(爆)


まあようするに、それを好きである自分が好きなだけっていうのは、まあよく言われることではあるとは思います。私に限らず。たとえば、ガクトさんなんかも、自分に悩みを打ち明けてくれる人たちを見ていて、その人たちの悩みっていうのが、解決しようとして自分に話してくれるわけじゃなく、なんだかその悩んでいる自分が好きなだけに見えると言っていたんですけれど、それと似たような感じかなと思うわけです。で、ガクトさんがそういった悩みを本気で解決したいと思ってるように見えない人たちを本当はどういった目で見ているかどうかは私にはわかりません。嫌っているのか、かわいそうだと思っているのか、それはわからないんですけれど、できればあまり毛嫌いしてほしくないなあと思っています。私は悩みを話す人間ではないんですけれど、どうしようもできないグチを話すことで前に進めるタイプの人間ということもあり、話すことまでもガクトさんには否定されたくないと思っているから。


怒涛のように好きな対象を話していても、或いは怒涛のように悩みについて話していても、それにチャチャを入れるように「それは本当の好きじゃない」とか「それは本当に悩んでいるわけじゃない」なんてことは言われたくないし、言うべきことじゃないと私は思うから。


私も思いやりのない一言っていうのはたくさんしてきたんで、こんなことを言う資格はないんでしょうけれどね。でも、やっぱり言ってほしくなかった。「それは本当の好きじゃない」とは。その人には言ってほしくなかった。言ってほしくなかったんですよ。この気持ちはその人には届かないんでしょうけれどね。




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