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涙は流していいから強く生きていって

2008年11月02日 09:33



Marumamekoさんからブクマで私信いただきました。(W

同感。先天性股関節脱臼で障がい者の友も、前川清氏の告白に勇気づけられていましたよ。ババアとなるのもなかなか楽しからずや、なので病気と折り合い長生きしませうw


昔の職場の先輩が「かわいいおばあさんになるのが夢なの」と言ってました。うん。確かに私もかわいいおばあさんにならなりたいよなあと思う。今なら中村玉緒さんみたいなおばあさんになるのが夢だなあ。(笑)
私も別にババアになるのが嫌だというわけじゃなく、長生きするのも元気で長生きがしたいと思ってるわけなんですよね。ただ、自分はそのために努力をしてるかといったらそうじゃないということもあり、そういった今までの不摂生のために今の私は元気に長生きができるという身体ではないということなんですわ。でも、決定的な最悪な病気にはまだ大丈夫なのかなとは思っているんで、老化による体調不良はMarumamekoさんの言うとおりで折り合いをつけて生きていくしかないわけです。

さて、↑までは昨日の朝に書いたものです。昨日の朝は体調が絶不調で、長い記事を書く元気がありませんでした。今朝もそんなに回復したというわけじゃないんですけど、昨日よりはまだ調子はいいんで気合入れて書いてこうと思います。って、別に気合いなんか入れることでもないんですけどね。ただ、これから書くことは今しか書けないことだしなあと思ってるんですよね。前回書いた記事にも微妙に関係してくることだから。前から書きたいと思ってたことでもあり、いい機会だから続けて書いちゃおうと思って。それにしても、前回、宇多田ちゃんの名前を記事で書いたことで、宇多田ちゃんの名前での検索でここに辿りついた人がたくさんいました。いやー芸能人の名前ってアクセス稼ぎには効果的だよなあと思いました。いや、別に私はアクセスを稼ぎたいと思ってるわけじゃないんですけど、でも、気楽に芸能人の名前を書けないっていうのもストレスなんで、書いていることに関係あれば書いていくだけなんですけど。それにまあ、宇多田ちゃんのような人のおかげでいろいろな勇気をもらったという話だってそんなに意味のないことじゃないと思うんですよねえ。もっとも、昨日検索で辿りついた人が、宇多田ちゃんの何を求めてここにアクセスしたかはわからないんで、「ったくもー、くだらねえこと書きやがって、このクソが」なんて悪態をついてないとも言えないんですけど、さ。(W

さて、本題いきましょか。

Marumamekoさんがブクマしてくれた私の記事なんですが、タイトルに書いたように芸能人は自分の病気を公表してほしいなと私自身は思っています。それで思い出したのが、この間亡くなられた緒形拳さんのこと、そして、同じようにガンで闘病中の作家の栗本薫さん(ここでは梓さんと書きます)のこと。緒形さんは亡くなられてしまい、梓さんはまだ生きてはいるんですけれど、これも絶対に大丈夫とはいえない状況ではある。梓さんは何年も前からサイトで日記を公開し続けていて、日記では日々の自分の体調のことを包み隠さず書いてました。だから、彼女の具合はファンであればみんなよく知っているわけです。そして、その逆が緒形さん。話に聞けば彼はご自分の病気を周囲に漏らすなと言っていたそうで、彼のファンのほとんどが彼の病状は知らなかったんじゃないでしょうか。その彼の配慮は、ファンに対する優しさからくるものなんでしょうけれど。

私はここでその優しさについて自分の思うところを語ってみたいと思うのです。この優しさということへの私の考えというものは、ガクトさんへの手紙に書いたことでもあります。少なからず緒形さんとはガクトさんも関わりがあるということで、芸能人のファンに対する優しさって何だろうということを私なりの意見として書いてガクトさんに送りました。メールではなく紙媒体の方法で。それに書いた内容を改めて書いてみようかなと。緒形さんも梓さんも、そしてガクトさんも多くのファンを持つという点で、ファンに対する優しさとはどういう優しさを持つべきかということをそれぞれが持っていたと思うんですが、ガクトさんが自分のファンに対する優しさをどう考えているかは私にはわかりません。緒形さんも梓さんも、別に「これが私のファンに対する優しさだ」とは明言はしてなかったと思うので、私がそうじゃないかと思うだけなんで、完全に私の想像で語ることではあるんですけれど。こんなふうに思ったということを書き残しておきたいなと思ったんで、よろしければどうぞお付き合いくださいな。


緒形さんは肝臓ガンだったみたいですが、梓さんはすい臓がんです。彼女は以前にも乳がんをやっており、その時も事細かにそのことを書いた本を出していますが、今回もまたこと細かに書いた本を出したわけです。それが「ガン病棟のピーターラビット」です。とにかく、自分の体験したことは書いて誰かに読んでもらいたいという欲求の強い方なのですが、緒形さんはその逆だったようですよね。自分がガンであることは絶対に他人には聞かせるなと聞きましたので、恐らく、同情もされたくないし、心配もさせたくないという、他人に対して細やかな優しさを緒形さんは持っていたと私は思いました。けれど、私は、病気であることを自分を知っているファンには包み隠さず言うのが本当の優しさなのではないかと、梓さんの「ガン病棟のピーターラビット」を読んで思ったのですよ。もちろん、緒形さんの優しさを否定するわけではありません。それもまた優しさの一つであると私も思いますが、でも、私にとっては緒形さんの優しさはただの自己満足ではないかという思いがどうしても拭い去れません。

それはなぜか。

緒形さんの優しさの場合、緒形さんと親しくしてもらっている人々にとって、彼が突然このように死んだ場合に相当なショックを受けると思うのですよ。病気をしているわけでもない、たとえば不慮の事故で死んでしまった場合はもうしかたないですが、自分が不治の病であり、明日をも知れぬ命であるとわかっていれば、それを人々に教えることで人々に「覚悟」をさせることができるのではないかと思うのです。現に、私は梓さんが、ガンでもう長くはないかもしれないと聞いた時は確かにショックでしたが、でも、まだ今は生きています。確かに彼女も明日をも知れぬ命ではあるんですが、もしかしたら生き延びてくれるかもしれない、と、そう思うことで、その時がいつかはわからないけれど、その時まで執筆し続け、頑張ると言ってくれる彼女を悲しませたくない、支えたいと、そう思えるようになりました。だから、たとえ、志半ばで彼女が死んでしまったとしても、「そうか、やっぱり、その時が来てしまったのか」と、嘆き悲しむことはないのではないかと思ったのです。

私は、できればガクトさんにも、そういった生き方をしてもらいたいなと思いました。なるべくならガクトさんを慕う人々にショックを与えない最期であってほしい、と。そのためにはどうすればいいか、それを考えるのが有名人には大切なことなのではないかなあ、と。自分が死んだことで、誰かが後追い自殺をしてしまうようなことは決してあってはならないと、有名人の人たちだって思っていると思うのです。

私はガクトさんへの手紙にこう書きました。

「私は、あなたがたとえ私より先にいなくなったとしても、あなたの分も強く生きていきたいと思えるようになりたいのです。それはあなたを愛する人たちすべてにそういう生き方をして欲しいと思う。それはきっとあなたもそう願っていることなんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。」

ガクトさんもきっと同じ気持ちだと思う。だって、この歌があるから。マイスペースのガクトさんのプロフで流れている「Road」でこんな言葉が出てくるから。

もし僕が先に消えてしまっても
風になって君を守り続けてゆくから

涙は流さないで
優しく微笑んでいて



そうはいっても、本当にガクトさん、あなたが死んでしまったら私は泣くでしょうね。泣かないわけがないです。あなたが緒形さんの追悼番組で見せた一筋の涙は、どんな言葉でも語りつくせないほどにあなたの心情を物語っていました。嘆き悲しむよりももっと、先立たれる残された者の心の痛みが感じられた。だけど、嘆いてばかりはいられないわけです。今、あなたは全国ツアーに向けて着々と準備を進めているわけで、きっと、緒形さんもその成功を願っているはずですから。

きっと、空の上から見詰めていますよ、あなたのことを。優しく微笑んで。主君を見守る宇佐美のように。




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