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すべてはプラスとマイナス両方で成り立ってるんだよ

2008年11月26日 11:22



人が人を嫌いになる気持ちっていうのがわからないと言っていた人がいた。でも、その代わりに好きという気持ちにもそれほど執着がなくて、どうやら自分のことを嫌いみたいだと思ったら、「あ、そうなんだ」と手放せる、どうでもいい存在に片付けることができるということで、自分って情熱がないというか、冷たい人間なんじゃないかなあと、そんなふうに言っている人がいて、私はその人のことが好きだったもんだから、なんか執着し過ぎる自分を否定されたような気分に勝手になったことがあった。まあ、考えてみれば、私は執着してしまう人間であることは動かしがたい事実であり、それはもうどうしようもない。ただ、執着してしまうわけだから、否定されてもどうしても好きという気持ちはなくせないわけで、それで葛藤しちゃう、苦しんじゃうっていうことなんだけど、本当にそれが死ぬほど嫌だってんなら、何とかして変わろうとするんだろうから、変われない自分は、けっこうこの自分を気に入ってんだろうなとも思う。逆に、執着しない自分を冷たい人間なんだと思っている人だって、執着しないことを心の底から嫌だと思ってるわけじゃないんだろうな。

執着することは確かにマイナスなことが多いけれど、何事においてもプラスだけしかないっていうのは私は信じてないわけで。もちろん、執着しないことにだってマイナスはあると思う。だから、結局は、自分はどう生きたいかってだけなんだろうね。私は執着のない人生を歩いている人にだって「好きだなあ」っていう人はいるし、自分と似たような執着で苦しんでる人にも好きな人はいる。だから、きっと執着しない人でも、私のような執着し過ぎる人を好きになってくれる人もいるかもしれない。それを信じるようにすれば、私を嫌いな人もいるかもしれないけれど、現在進行形で「あ、この人好きかも」って、こんな駄文を書き散らしている私に対して思ってくれる人がいるかもしれないって信じられるかもね。

執着。まあ、旦那や息子との平穏な生活が執着のひとつではあるんだけど、それ以外にもガクトさんに執着することで、私はそれをうまく創作活動に生かしているんじゃないかなとも思ってる。まあ、こういう言い方をすると、またしても「それは本当に好きってわけじゃない」なんて言う人も出てくるかもしれないけれど、要は、ちゃんと生きていけるかどうかなんだよね。ガクトさんは自分という存在がその人の背中を押せるようになりたいっていうようなこと言ってたから、まず間違いなく、私はガクトさんのおかげでいろいろなことを頑張れたんで、私のこの執着も捨てたもんじゃないよなあなんて自画自賛してたりするわけだ。あと一話。もうすぐ書きあがる、私のガクトさんへの「LoveLetter」当時、あのアルバムの発売をドリームこいて勝手に私への挑戦状だと日記に書いてからだいぶ経ったけど、キッチリ見せるよ、女の意地を。待ってろ、ガクトさん。おおー強気発言出たー。ケリ入れられたりしてね!(爆)




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