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本音を書くことは残酷なのか?

2008年12月30日 10:51

やすとろさんのこの記事を読んで思ったことをつらつらと書いてみる。れいによってれいのごとく脱線しまくりなものだけど。(笑)


 私個人の考えを書くという事で「自分語り」は散々やってるけれど、それでもある範囲内だけかな。そこから外れるような事は書いてない。この枠は私が勝手に作ったもので、誰もがそうすべきとも思ってないけれど。表現方法や、取り上げる範囲等、完全に本音という意味では書けない事がある場合は書く事すらしない場合もある。



今朝、起き掛けにつけたTVからは、秋葉で起きたあの事件の加害者のネットでの書き込みを取り上げて、加害者の心理を解くっていうのをやってたんだけど、そこで取り上げられていた「モテたい」「彼女ほしい」という言葉はフェイクであると語られていた。そのことで、コメンテーターの芸能人たちもブログなどを書いてはいるけれど、結局は本音を正直には公開の場所ではそのままの形では書けないと言ってたんだよね。たぶん、芸能人に限らず、素人のブログなどに書かれていることも、嘘を書いているわけじゃないけれど、整合性を持たせるために脚色したり、本音も読んでいる人に配慮して不快にならないように書いたり、或いはその逆で、わざと不快にさせるために罵倒して書いたり、中には嘘ばかり書いているっていう人もいるんだろうなって。そういうのはすべて「演じている」ということなんだろう。


 思う事をそのまま書いていったら、もっと毒だらけの文章になるし(昔、そういう文章だった)、荒れるだろうなとも思う。荒れて嬉しい訳でも無く、また、読み手に対して嫌な気分を味合わせたい訳でも無く……それならば、嘘は書かないけれど、本音をそのまま書くという事は抑えて、穏便なコメントにしていくという方法を取るという事はあるな。



抑えて書くということ、穏便なコメントにしていくということ、それらも演じていると言ってもいいと思う。演じるっていうことを不快に思う人もいるかもしれないけれど、自分の大切な場所を荒らしたくないから抑えて書く、誰かを嫌な気持ちにさせたくないから穏便にコメントつけるっていうことは、まさに演じていることであり、だが、それは誰にも責められることじゃない。むしろ、他人のことを考えて書いているってことで、賞賛されるに値する行為だ。ただ、どんなものだったとしても、たとえ自分がひどく傷付けられるとしても、それでもその人の本音が聞きたいと思っている人からすれば、やはり抑えて書かれたものや穏便につけられたコメントより、「本気でぶつかってくれよ!」と不満は持ってしまう。それがまあ私という人間でもあるんだけど。


やすとろさんは、タイトルでも書かれているように、ネットで書いている文章は自分の一部であると書いているわけだけど、私も確かに同じようにすべてを書いているわけじゃない。書いていない本音もある。だけど、他の人よりはかなり忠実に自分のことをネットで書いていると思う。ただ、一つのキャラで語るというわけじゃなく、「私」と特定されないほかのキャラを使い分けてネット上に垂れ流すという形ではあるんだけど。ほぼ99%は自分の思っていることや体験したことをすべて公開の場所(一部は非公開の場所で。それはまあ「私」と特定されてしまうということもあり、なんだけど)で書いている。なんというか、だからといってその場所が炎上するかといったら、そんな気配もないしね。まあ、そこを誰かが読んでいたとして、書かれていることは本当のことなんだとも思われていないかもしれないし。明らかに匿名っていう感じで書いているわけだからねえ。だから、やはりリアルと直結した場所では本音中の本音は書けないってことなんだなあとも痛感したものだった。


でまあ、匿名ってことで、脱線するんだけど。(爆)


この間ゲットしたB・PASSという音楽雑誌。そう、ガクトさん特集が掲載されていて、今回のツアー初日後のインタビューが書かれていたんだけど、書かれていることでまたいろいろ考えたことがある。ツアーが始まる以前にゲットしたARENA37℃でも語りたいことはあったけど、脊髄反射で書きたいなと思ったのが、ガクトさんが「匿名」について語っていたから。で、ちょうどいいということで書いてみる。他の話題でも書きたいなあと思ったけどね。


それは「残酷」という言葉から『人ほど残酷な生き物っていないからね』とガクトさんが言うところから始まる。


人は常に優越感と劣等感の中で生きていて、それがためにこの世からはゴシップはなくならないし、人を責めるという行為もなくならないっていうことを聞いて、ガクトさんは『人間って弱っちい生き物なんだなぁ』って思ったんだそう。だけど、それを彼は否定しているわけじゃない。


「でも例えば、じゃあ優越感も劣等感も感じずに生きてる人がいい人なのかっていうと、そうとも限らないよね。今度はそこにあんまり意志が介在しなくなって、抜け殻みたいになってしまう。何に対しても興味がなくなっちゃうというかさ。それはそれで人っぽく見えないし。だから……なんなんだろうな?って。バランスの悪いもので構成されているギリギリのところで均衡を保ってるのが、人間という生き物なのかもしれないなぁって」by Gackt



これ、昨日私が書いた嫉妬心もそうだよなあって思った。嫉妬心や優越感や劣等感って、ネガティヴに見られがちで、なくしたほうがいいといった声も聞かれるだろうし、確かに、秋葉の事件の表層だけ見ればその劣等感が事件を引き起こしたとも言えるけれど(まあ、非モテであることが劣等感ではなかったみたいだけど、別の劣等感は確かに犯人は持っていたと思うしね)、でも、こういった劣等感だって、それをプラスにすることはできるわけなんだよね。ガクトさんがそのいい例だと思う。彼は劣等感の塊だよって言ってたから。その劣等感をバネにして今の地位を築いたわけだもの。私も嫉妬心を創作に変換してるしね。まあ、その過程でガクトさんも私も誰かを傷つけてはきているんで、他人にとってはタチのいいもんじゃないかもしれないけれど。でもさ、人って生きてるだけで誰一人他人を傷つけてない人はいないんじゃないかなあって思うんだけどな。まあ、だからって自分を正当化するつもりはないけれど。でまあ、ガクトさんはそのギリギリな均衡を保っている人間の本質が見れる場所のひとつに2ちゃんを上げていた。


「例えば2ch(2ちゃんねる)とか、顔を出さない、人物が特定されない、匿名で何でも出来るものが増えたじゃない?あの2chが出来たことで、汚い人間が増えたみたいに思ってる人もいるかもしれないけれど、そうじゃないんだよ。あれが本質なんだよ、人間の。そういうのを曝け出せる場所が、たまたま出来ただけ。人と人が向き合ってる時は、相手に対して理性も優しさも遠慮も働くけど、顔を出さない状態だと、めちゃくちゃ勝手なことや残酷なことが言える。2chは、その証明みたいなもんなんだ」by Gackt



これって、やすとろさんが読者にちゃんと向き合っているから、だからめちゃくちゃなことを言わないっていうのも同じだと思う。なんだかんだ言ったって、私だってリアルに特定される場所ではめちゃくちゃなことは書けないし書いていない。本音中の本音だって、犯罪ギリギリなことを思ってたとしても、そのまま書くことはしない。まあ「誰某は死ねよ」くらいは書くだろうけれど、この手で殺してしまうほどの憎しみは持っていない。ただ、今日見たTVの識者の言うことで考えると、たとえ匿名だからといっても、公開された場所で書かれていることは本当じゃない、ただ演じているだけとも言えるわけで、それをそのまま鵜呑みにはできないんじゃないかなあとも思う。けれど、たぶん、ガクトさんが言いたいのは、書かれていることが本当か演技かがどうのこうのっていうことじゃなく、そこにそういったことを書いてしまうその行為に至る心理というものはすべての人間が持っている性質なんじゃないかと言っているのかなあと思った。それが人間っていうものなんだよって。


それにしても……全然ここまで書いたこととは話題が変わるんだけど。(爆)この雑誌の最初のところに表現のことでこんなことをガクトさん言っている。


「ん~、僕は、ただ表現するだけだったらマスターベーションだと思うんだよね。(中略)例えば自分が何かを創った、完成した、と。そこで完結して満足できるタイプじゃないんだよ。創ったものを人に届けて人に喜んでもらえて初めて、創った意味が生まれる。中には、勝手に観て勝手に感動してくれればいいっていう人もいると思う。それは間違ってないと思うんだよ。それもひとつの考え方だから。でも僕は違う。僕は、自分の創ったものを届けて、相手が喜んだ顔を見て初めて良かったって思えるんだよね」by Gackt



これ読んだ時、かなり動揺した。自分のやったことを否定されたと思った。この時点で、すでに私は彼に自分の書いた小説を届けていたから。私のやったことは意味のないことだったのか、と。私のやり方では、相手の顔は見えない。たとえば、友人が言っていたように、ライヴ会場で彼に小説を手渡しすることのほうが相手の顔が見えるという点ではマシだったのかもしれない。だけど、当日にそんなことが出来るとは思えなかったし、見てすぐにどんなものかわかるものじゃない、小説の場合は。だから、私は郵送という形を取った。それもツアーが始まる前までに届くようにと。でもまあ、「それは間違ってない」と彼は言っているわけだから、否定されたわけじゃない。私の悪いところなんだけど、その人と考え方が違うと、すべてを否定されたとどうしても思ってしまうんだよね。これは梓さんの日記を読んでいた時にも陥ってしまったことではあったんだけど。けれど、昔、ケンカしてしまった友人が言っていたように「悪い所だから直したいとは思うんだけどってあなたは言うけれど、本当は直そうなんて思ってないでしょ」っていうのは言われたくないなあって思う。確かに強くは思ってないかもしれないけれど、性格っていうか性質っていうものはなかなか直らないと思うんだよね。まあ言い訳でしないんだろうけれど。ガクトさんあたりなら「本気で直そうと思ったら直せるはずだ」なんてケリ入れられそうだしねえ。(笑)


私の贈ったあの「Love Letter」が、ガクトさんを喜ばせたのかどうかわからない。ただ、私は彼に背中を押してもらったが故に出来上がった小説集を届けることで「貴方のおかげです」と伝えたかったわけだから、誰かの背中を押したいと言うガクトさんだからこそ、きっと喜んでくれただろうと信じている。そして、これからも小説は書いていくと決心したから、それでいいんじゃないかと思う。


それにしても、ほんと私の書く物ってカテゴリ分けできないよなあ。つくづくブログ向けじゃないと思う。Gカテゴリにも入れられる内容でもあるんだもん。タイトル付けも難しいよ。とりあえずつけたけどね。つーか、ほんと長文なのな。ここまで読んでくれた人ありがとさん♪




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