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本当の自信は数では獲得できない

2009年11月06日 09:56

「はてなスター好きだよ」でもリンクして引用した人がこんなことを書いていた。

ある人は「こんだけアンテナ登録も多いんだし少しは自信もってほしいな」といった。しかしあたたかい目線だと感じられるときと、ヲチとしてネタ扱いされてるだけなんじゃないかと感じられるときがある。昔は純粋に喜んだけど、今は純粋には喜べない。うれしいけど、すこしこわい。すこしこわいがふくらんでかなりこわいってなるときもある。被害妄想。


そのある人は私のことなんだろうなと思った。確かに書いてたしね。引用先の人はとある人が読んでいるブログだったということで、私も読破対象にしていたブログなんだけど、今はちょっとそれをお休みしている。だけど、更新されれば新しい記事は読んでいる。もちろん、私もこの人のブログはアンテナに登録している。プライベートにしているIDで、なんだけどね。ただ、あたたかい目線だと感じてもらえてるかどうかは微妙。私の言及の仕方は誠意がないと過去に言われたこともあって、すべての人が誠意がないと思っているわけじゃないとは思うけど、それでもこの人がどう思ってくれるかどうかはわからない。面と向かって言われたわけじゃないから。ええ、私は読解力のない人間ですからねえ。書かれていることで相手の気持ちを察するなんてことはできないもの。どちらかというと私もヲチしていると取られてもしかたない感じだし、それに間違いなくネタにさせてもらって何か書いてるわけだから。というか、私は人生すべてこれネタであるというスタンスであるから、どうしても他人のことまでもネタにしてしまうところが無きにしも非ず。小説のネタにも使ってしまうことだってあるしね。まあ、だから、確かに他人の書いたものに対しても、誠意がないと言われてしまってもそれは確かにそうですね、としか言いようがない。と、いう開き直り。

昔の私はそれなりに中傷されたりもして嫌な目に遭ったりもしたけれど、今はそれもそれだけのことをしてきたんだから当たり前だよなあという気持ちはあるし、無視されるよりはまだマシかと思えるようになったということで、多少は精神的にも強くなったんだなとは思うんだけど、どうなのかな、今はほとんど誰かに中傷されるということもなくなって、今もし酷い中傷を受けたとしても、それでも閉鎖せずに続けていられる、とは、やっぱそうなってみないと断定はできないなあとは思っている。でも、私は怖いとは言えない。というか、昔も怖いと思ったことはなかったかもしれない。すごくむかついて、不快感とか憤りとかは感じたことはあるけれど、怖いという感情だけはなかったかも。

とまあ、いつものごとく、前置きが長くなってしまったのだけど、記事を読んで思ったことはそういうことではなくて(いやまあ、そういうことも思ったわけではあるんだけど、一番言いたいことはそこじゃなくてってことなんだけど)、アンテナ登録がどんなに多くたって、それをどう思うかはその登録されている人であるんだよなあって気づいたってこと。たぶん、私のブログが何百何千と登録されたとしても、それが自信に繋がることはないなーって思ったから。数を気にするってことは、いくら数が増えたって満足に果てはない。本当の自信っていうものは、数なんて気にしないところにしかないんだって。自信持ってる人ははなから数なんて気にしないんじゃないかって思ったんだよね。だから、いくら多くの人に読まれたからって、たぶん私は満足しないんだろうな。ただ、そういった多くに登録されるとかブクマされるとかっていう経験がないから、そうなった時に自分はどう思うのか経験はしてみたいなあとは思う。無理だとは思うけど。本物の釣り師はアクセス数を稼ぐためにどんなものでも書くんだろうけれど、私は書きたいと思うものしか書きたくないし、ブクマ稼ぎのために自分が書きたいと思えないものは書きたくない、というか書けない。そんなことをしたら自己嫌悪に陥ってもう二度とネットで何か書くということはないだろうなあ。私はいつでも「書きたい」ということしか書かないから。キャラを演じて別人として書いていても、私は私だし、書きたくないものは書いたことはない。それは小説でも同じこと。読者が要求するものじゃなく、自分が読みたいものしか書いたことはない。たまにリクエストされて書いたこともあるけれど、それはたまたま相手の提示したテーマが私の書きたいという気持ちに火をつけただけなんだよね。だからプロ作家としてはやってけないんだろうな。梓さんはそういった書きたいものしか書かない作家だったけど、彼女の場合は驚異的な文章能力があったからこそやっていけたのであって、文章の才能のない私にはできないことだもの。

思ったんだけど、私は自分がどういった状況だと一番の幸せなんだろうかって。私は自分が書きたいと思うもの、それが日記でもエッセイでも詩でも散文でも小説でも何でもいい、そういった書きたいと思うものを思う存分書くことが幸せだと思っていたし、今でもそう思っている。けれど、そのためには、私は現実での自分が追い詰められて不幸でないと書けないんだと知ってしまった。それが本当の幸せなんだろうかって今は思っている。怒涛のように書きたい。書きたいと思うものを実際に文字で表現したい。そう思ってはいるけれど、現実でつらい思いをするのはもうごめんだとも。だから、私は願った。もう書けなくなってもいい。書けなくなってもいいから、現実で平穏に平凡に何の問題もなく静かに暮らしたい。病気になって痛い思いもせずに、人間関係とか仕事関係で辛い思いもせずに、残りの人生をポカポカあったかい陽だまりで、旦那さんと一緒に静かに暮らしていけるのなら、何も書けなくなってもいいって。それのせいじゃないとは思うんだけど、ほんと最近ではあまりいろいろと書けなくなった。小説に対するモチベーションもそんなになくなったし、日記とかブログとかで書くのも昔ほど多くは書いていない。それでもまったく書けないわけじゃなく、こんなふうに時々吐き出すように書くこともあるけれど。ただ、昔ほどのものは書いてないから、少し物足りなくはあるんだけど。けれど、今が本当は一番いい状態なのかもしれない。現実でも追い詰められることもなく、書き物でもまったく書けない状態じゃなく少しは書けているわけだし。こういったほどほどの状態が一番幸せってことなのかもしれないなあと、ちょっと暖かくなった晩秋の午前、仕事に出る前にそんなことを思ったよ。今日はいっぱい書いたね。書かせてくれた人に感謝。今「ネタに使ってごめんなさい」って付け加えようとしたけど、本当はそんなこと思ってないと気づいたから、やめといた。これだから、私の取り上げ方は誠意がないと言われるんだな。やっぱ私って最低だ。でも、これが私なんだよな。それでいいと思ってるんだよな。そして、そんな自分が私は好きなんだよな。

というか、ほんと私って一言多いんだよね。「そんなことを思ったよ」でやめとけばいいのにねえ。余計なことまで書いてるし。ま、それが私という人間の本質だってことだよ、うん。(笑)




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