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正しい生き方と生きたい生き方

2009年11月07日 09:17

紫堂恭子さんの「辺境警備」を読んでいる。これで何度目だろう。蔵書の中でも何年かごとに繰り返して読み返す本があるのだけど、この「辺境警備」もそのうちの一作品。それはやはりその作品が好きだからなんだけど、それなのに好きなはずのその作品の内容をほとんど覚えていないというのも、自分でもどういうことだと思ってしまう。それだけ私はバカなのだろうかって。まあ確かにバカではあるんだけど。(笑)ある程度「こんな感じ」っていうのは覚えてはいる。けれど、細かい内容は覚えていないから、毎回初めて読むみたいに感動したりわくわくして読み進めたりするわけだ。とはいえ、まったくの初めてというわけじゃないから、所々覚えているところもあったりする。だから、本当に初めて読むというわけでもない。でも読み返すのは楽しい。そこらへんが、一度読んだものをまた読んでしまってガッカリしたという人より恵まれたところなんだろうなあ。私にはそういうまた見てしまったというガッカリ感など抱いたこともないのだから。

またしても前置きが長くなってしまった。

「辺境警備」の4巻に同時収録された物語がある。これもまた記憶に残っていなかったものだった。タイトルは「海から来た星たち」で、コミュニケーション能力抜群な少年とそうじゃない少年の二人の友情を描いた作品。作中で友達についてこんなことが書かれてあった。

『恋人のように告白してつき合うわけじゃなく、夫婦のように誓約を交わすのでもなく─名前を呼び合ったり、他愛もないことをしゃべったり─ただ、ほんの少し心を開いてくれればもう、それだけで』


心を開くだけで二人は友達になれるというのが本当ならば、私に友達ができないのもなんとなくわかるかなと思った。私は自分のことはかなりどんなことでも喋ってしまうので、心を開いていると自分でも思いがちだったのだけど、いくら自分のことをいろいろ喋っているからといっても、それはたぶん本当に心を開いているということじゃないんだろう。現に、私の場合の喋りは、こういった不特定多数の場所で文字で喋るということでもあるし、コメント欄だのを開放していないこともあり、誰かと対話をしたいというわけじゃないのだから。これは心を開いているとは言えないのじゃないかと思った。そんな相手と友達付き合いしてやろうなんて思う人も出てくるはずもない。よって、私には友達はできないし、対話を望んでないということで、私は友達を作りたいとも思っていないということなんだろう。そんな私が、友達ができないだの、誰も私を好きになってくれないだのとは言えないんじゃないだろうか。

誰も好きになってくれないというか、厳密に言うと、私の場合は誰かに好きになってもらいたいじゃなく、私が好きな人に好きになってもらいたいっていうのなんだけど、そりゃもうこんなだから、自分が好きになる人だって私のことを好きになってくれるはずもないわけだ。たぶん、子供の頃から私が好きになる人が私を好きになってくれなかったのも、私が本当は相手を好きだと思ってなかったからなんじゃないかなあ。ただ、どうなんだろう。私はやっぱりこの気持ちは好きだと思うんだよね。相手のことは気になるし、嫌われたくないとは思うし、一緒にいたいとは思うし、その人の話は聞いていたいし、その人が興味あるものだって私も興味持ちたいと思うし。それを好きということじゃないとはどうしても思えないんだよね。けれど、どうしても好きな人には好きになってもらえない。なんでだろうって理由がそこにはほしいとどうしても思ってしまうんだよね。

と、ここまで書いてて気づいたことがある。最初は「心を開いていないから」なんじゃないかと思った。私は心を開いているつもりだった。それは自分が正直に自分の考えや思いを喋っていることがそうなんだと思ってた。何も言わないよりも自分のことをいろいろ喋ることは心を開いていることなんだって。けれど、それは、本当は心を開いてたわけじゃないのかもしれない。いや、そうじゃない、そうじゃないんだ。心は開いてるんだ。むしろ開き過ぎているのかもしれない。人には受け入れられないものがある。嫌悪感を抱いてしまう考え方や嫌いな性質、そういったものが一人一人あって、それを相手が持っていると知ってしまったらどうしても友達にはなれない。そして、不幸にも、私は、私の考えや性質が嫌いなタイプの人しか好きになれなかったということ。そんな人ばかり好きになるから、どうしたって私の好きな人は私を好きになってはくれない。今まで一度だってそれを乗り越えて両思いになったことなんてなかった。とはいえ、まったくなかったということでもないのだけど、ことごとく関係は壊れていった。それはもちろん、私が悪いからなんだろうけれど。私は相手に合わせるということをしない、できない人間だから。いつでも私は相手に合わせてもらってる人間だから。そんな付き合いが長続きするわけがない。

よって、私は独りでいるしかないんだ。努力をしたくない私にはそれしか生きる道はない。

けれど、その生き方を心から受け入れているというわけでもない。だから、苛まれる。だから、愚痴ばかり書いてしまうことになる。たとえばガクトさんあたりなんかは「本気で変わりたいなら変われる」とか言うんだろうけれど、そして、私もそれは本当にそうだとは思っているし、他人に対しては「本当にそういう生き方がイヤなら変わればいいし、変われるはずだ」とは言うだろうけれど、自分のこととなるとやっぱり変われない。いやだと思うんなら独りの生き方はやめればいいのに、それができない。他人には言うくせに。それが私だ。言うことと実行が伴わない。ろくでなし。そりゃ好きになってはもらえないはずだ。好きになってもらいたいけれど、自分を変えたくない。こんなろくでなしでも好きになってほしいとだだをこねる、最低最悪な人間。でもね、私が自分を変えようとしないのにも理由があったりする。こんな私でも好きになってくれる人はいるんだよね。変わってないという人もいるだろうけれど、自分でも気がつかないところで自分はどうやら少しづつ変化してるみたいで、そういったところをちゃんと見ててくれる人はいるんだ。そういった人がいるから、私は変えようとして変わろうとは思ってない。つまり自然に変わっていくのをあるがままに受け入れているという。なんかもうほんと都合のいいことばかり言ってるような気もするんだけれど。でも、それが真実なんだと信じている。そして、この私を好きだと言ってくれるのが、私の横にいる結婚20年目の旦那、なんだよねえ。もともと旦那だって、私が好きになってというわけじゃなくて、旦那のほうが私を好きになってという経緯だからなあ。だから、やっぱり私は私が好きになる人とは一度だってうまくいったためしはないわけだ。つまり、結局は私の場合、私から好きになる人とうまくいこうなんて考えること自体が無駄なことなんだろうな。その人にはその人なりの正しい生き方っていうのがあるわけで、私の場合は、自分を好きになってくれる人だけのことを考えればいいということなんだって。それが私の正しい生き方なんだろうな。

私を好きになってくれる人、その人を大切にすれば、私はきっとこの世で一番幸せな人間になれるんだ。それはきっと間違いない。


……それでもやっぱり私は好かれることじゃなく好きになることに喜びを見出す性質でもあるんで、結局は好きな人ができては拒絶されて悶々とした日々を過ごすことになるんだろう。もうどうしようもないね。(苦笑)




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