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消さないで

2009年11月15日 22:56

『 全部消してアカウントも削除して、カミングアウトではないけど、すっぱりやっちゃおうと思う。セッションハイジャックされて消された事にして、消えよう。そしてまた絡もう。酒と音楽ってのは絡むのにいいね。ああああああああああああ、あと淫欲に溺れれればさいこーだ』「さて、一周忌に伴って。 - _」より引用、というより転載?(笑)


私の別キャラを誰も気づいてくれないのと同様、私も他人の別キャラを気づくことはない。だから、彼がどんなに同じような文章で同じようなことを書いていたとしても、再び、この文章を書いていた人を見つけ出すことはないだろう。たとえ、そうとは知らず、この人が新しいアカウントで書いていたのを再び読み出したとしても、自分は誰某でしたとはっきりと書かない限りは私は気づかず読んでいるはず。ああ、彼は今頃どこで書いてるのだろうなあとその本人の書いたものを読みつつ懐かしむだろうな。

私が今それと同じようなことを誰かに思わせていることを私もまた同じように思う。それは罰なのか。罰なのだろう。

ノイズの場所を何度も削除して消してしまおうと思った。そして、去年の暮れにいよいよ私はここを二度と更新するものかと思ったものだった。でも、削除だけは決してしないと、ノイズの前身であるぐれあむペンギンブログをえっけんさん絡みで脊髄反射的に削除して後悔してからは、ノイズ以外でも私は削除はしてこなかった。まあ、例外的に一度だけドリコムを削除はしたけど(あ、それとのなびーアカウントのはてダもだ。でもあれはアカウントは削除してないし、ログは日記のほうに纏め上げたから、厳密に言うと削除したわけじゃないんだけど)、それも後悔したんで再びドリコムで新アカウントを取って同じような内容のものを書き始めたんだけど。だけど、そのドリコムももう終わる。私が残したいと思ってもそれは叶わない。もうドリコムで書くことはない。

更新停止してしまった他のブログでも、本当に二度と更新していない場所もあるけど、ここのようにたまに更新してしまう場所もいくつかある。その違いは何なのかと考えてみた。ガクトさんに「ブログはもう書かない」とメールで宣言したこともあるんだけど、ガクトさんが本当にそれを読んだかどうかもわかりゃしない。もし、本当に読んでくれてたとしても、結局は私は書きたいと思ったら書いてしまうろくでなしなんだから。だから私はまたしてもここでこんなふうに書いているわけで。たぶん、また更新してしまうっていうことは、まだノイズで書きたいことが終わってないってことなんだろうな。他のあの場所とか、その場所とか、といったところはもう書きたいと思うものがなくなったということなんだろう。それとも、ノイズで書くのが一番自然体で書きやすいのかもしれないし。やっぱ、なんだかんだいっても一番ログが多いのはここだもんなあ。一番自分らしい場所であるエッセイブログでさえも更新はなかなか難しい。自分らしいはずなのに。やっぱ書きやすい文章って偉大だよねえ。

だけど思ったんだけど。これはいろいろとキャラを使い分けて文章を書いてきた自分の正直な疑問として、前にも何度か書いたことはあったんだけど、私のこのキャラの文章を読んだ人が他のキャラで書いていたあの文章を読んで違和感というか、なんか違うという気持ちを抱くことが時々あって、それってどういうことなのかなあと思ったんだよね。私は何度も言うようにキャラがガラリと違っていても書いていることは同じことしか書いていない。それなのに、文章というのか文体というのかそういうのが違うだけで「なんか違う。違和感がある」と思うのってどうなんだろうって。ただ、だからといってその文章は嫌いだから読めない、読みたくないっていうのは言われたことはないんだけど、それでも言わないだけで、もしかしたら「もう読まない」となった人だってまったくいなかったわけじゃないと思う。それもあって、最近ではなかなかカミングアウトっていうのはできなくなってきている。あれを書いたのは私だと言えなくなってきている。わかる人にはわかるんだろう。けれど、わからない人は両方を購読していてもわからない人もいる。私もそうだし。てーゆーか、私の場合はもっとタチが悪い。まったくの別人なのに「この二人は同一だ」なんて思ってたりするんだから。二人が同一であるのにそれに気づかないよりも私の場合の勘違いはもっと罪なことだよなあと思う。でも、自分もそんなふうにキャラの違う一見別人としてブログを書き分けたりしてるんだから、そりゃもうそう思ってしまうのはしょうがないんじゃないかな。ひとつのキャラで書き続ける人とは違う思考回路になって疑心暗鬼になってしまうのはしかたないことかなあってね。つまり、似たような二人を「同一だ」という目で見てしまう人は、私のように二つ以上のキャラでいろいろ書いているということなんじゃないかと。もちろん、それが真実というものでもない。そんなことしてなくても、誰かと誰かは同一なんじゃないかと思ってしまうこともあるだろうし。まあ、いろいろグダグダと書いたわけだけど、結局は私は誰かと誰かが本当は同じ人であったとしても気づかないに違いないということ。そして、私は読みたいものを読む人ではあるけれど、それはやっぱり「その人が書いた」というのが一番重要だと思っていて、「その人が書いた」というものが読めなくなるのはひどく淋しく思ってしまう人なんだということ。て、あら、そうなると、私が別のキャラで書いていたものがもう更新されなくて、それが読めなくなると知った人が、たとえ、あれを書いた私はあのキャラで書くことはなくても、ここでノイズとして書いてるからこっちで読んでと言っても、それはイヤだ、あっちのあなたの書いたものがいいんだと言われてしまうことと同じことなのかな…いや、違うか。私の場合は、あれを書いていたのは自分だけど、こっちで書き出したのでこっちを読んでくださいと言われるのは嬉しい人だからなあ…つまり、書いている人で私はやっぱり読んでいるってことなんだな。うん。

ええと、何が言いたいのかというと、消えてほしくないってことなんだよね。そのアカウントでこれからも書いてほしいってことなんだよね。あれから書き込みしなかったけれど、ずっと見てた。更新されれば読みにいってた。ネットに繋いだら一度は必ずアクセスしてた。もし削除されたらそういったことももうできなくなるってことが淋しい。けれど、それを強制することはできないんで、できれば削除したとして、またどこかで書き出したとしたら、「あそこで書いていた誰某です。ここでまた書き出しました」と知らせてくれたらこの上なく嬉しいと思うだろう。けれど、それはほとんどの場合が無理なこと。削除したいと思うのは、だいたいがそこで繋がりを持った人との縁を切りたいと思うことが発端となることが多いと思うから、わざわざ新しい場所を教えてくれるっていうこともあまりないだろうしねえ。ということで、私はこれからも心に残ったものはこんなふうに引用だの転載だのして公開で残していこうと思う。相手がどんなにそれを嫌がったとしても。まあ、直接言ってくれば残しはしないけれど。今までにもそれで削除した記事はあったし。けど、ローカルでは残してるんだけどさ。

でも、それでも乞うしかない。消さないでって。




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