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世界中が許してくれる存在

2009年11月18日 21:02

『世界中ぜんぶが生きることを許してくれてるんだってね─』


この言葉は引き続き読んだ紫堂恭子さんの「グラン・ローヴァ物語」の4巻に出てくる言葉だ。人間は愚かであり、これからもずっと愚かであり続けることに絶望した者が、こんな自分など生きている価値もない、自分一人が死ぬことで世界が救われるのなら自分はいなくなってしまったほうがいいのではないかという言葉に対して、どんな馬の骨であっても生きたっていいと賢者は言う。その理由に、人間に食べられる存在である魚や鳥は人間を恨んではいない。それはいい人間だろうが悪い人間だろうが関係なしに食べるのを許してくれているのだからだと。すなわち、それが世界に許されたからということなんだそうだ。それがどんな人間であろうとも、と。そういう考えは私も好きだ。人が生きているのは世界が生きることを許してくれているからっていうのは。ただ、この考えは一方的であって、本当に魚や鳥や動物が私たちに食べられることを許してくれているのかは断定はできないよなあとは思う。もし、人間と同じような思考能力を持っていて、話せたりしたとしたら、彼らはどう言うのか、なんていうのも想像しちゃうこともできるからねえ。けれど、彼らに人間のような思考があるのかどうか、それはわからないんで、食べさせてくれていると思うしかない。あと、世界が私たちに生きることを許してくれているから、だから生き続けているんだっていうのも、裏を返せば、人間が滅びることがあれば、それは世界が私たちの生を許さなくなったからだとも言えるわけで。だから、どんなに環境破壊を食い止めようとしても、それが止まらずに私たちはいずれ滅びる。世界が許してくれなくなったから、だから人々は環境破壊へと突っ走っていくんじゃないかと。でも、ここでもうひとつ、環境破壊のせいで人間や動植物が生きていけない世界になったとしても、突然変異でその破壊されてしまった世界でも生きていける生物に進化していくということもないわけじゃない。それもひとつの「世界に許された」ということでもあるよなあって。

つまり、何が言いたいかというと、結局は生きているというそのことがどんな形であれ、生きてることこそが、何かから許されているのだということなんだ。許されたから生きている。許されなかったらそもそも存在しないし、死んでいくんだろうなって。まあ、いずれは人間は死ぬ。一人一人は。一人一人の生きることを許された期間はごく短い。だから、せめてその短い時間だけは、生きるべきか死ぬべきかなんてくだらないことなんて考えずに、今この瞬間を一生懸命生きるべきなんだ。そうは思わない?私はそう思ったから、今を楽しく生きようってなったんだよ。確かに、時には辛くてしょうがない時もある。そんな時は全てを呪う私になってしまう。死にたいって思うこともある。けど、それはその時を何とか生き抜くための方法なんだろうって今は思う。またいつか楽しく生きていくための。だから、そんなマイナスなときはとことんマイナスに生きて、ギリギリ死なないようにする。いつかまた楽しく生きていけることを夢見て。それが人間っていうものなのかもしれない。人間が今ここに存在しているそのことこそが許されているということなんじゃないかなあ。許されているから存在しているんだって。だからもう何も考えずに生きる。それが一番自然な生き方なのだろう。って、私はそう思ったよ。




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