スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

4年前の私には戻りたくない

2009年11月28日 19:53

『そんなうれしさを受け止めれるほどの現実への対策活動をしていないからだ。対価が必要だ。今までも何回もうれしいことたのしいことはたしかにあった。そのたびにそれらに感謝してそろそろがんばろうと思ってきた。でも、結局がんばれなかったのがこの結果だ。そして明日も同じ日々が始まるのかと思うと自分を消したくなる。自分を無視したくなる。』(「2009-11-27 - ReLife」より引用)


あるとないとっちとはまったく状況は違ってた、私の時は。ただ、引用した箇所もだけど、そこまで至る文章を読んでいても、今から4年前の私のことをありありと思い出してしまったんだよね。あの頃のことはmixiでもさすがに正直な気持ちは書けなかった。だって、書いたってどうしようもないことだっていうのはわかりすぎるほどにわかっていたことだから。きっと今の自分の正直な気持ちや状況を書けば書くほど惨めになって、そんな私を購読してくれてる人たちに見せたくないと思っていたから。だから、あまりにもネガティヴなことはドリコムで吐き捨てていた。そのドリコムももうすぐ終わる。私の呪詛の塊であるあの文章たちも消えていく。きっとそれでいいと思う。とはいえ、ちゃっかりログ残してしまったんで、呪詛以外の体調関係のことはいずれは過去ログにひっそりと追加しておくことだろうな。あんな酷い書き捨て記事でも、読み返すことで救われたこともあったから。これからも、似たような状況になった時に読み返して救われるためにも過去ログに残しておこうと思ったから。

仕事に出たくなかった。いや、正直な気持ちは別に仕事をしたくないということではなかった。ただ、私は行動ができない奴で、すべてお膳立てしてくれて、その場所まで連れてってくれるなら、という、とても人に聞かせられるようなことを思ってなかった奴だった。もともと以前の仕事だって、友人が見つけてきてくれて、一緒に受けようと申し合わせて受けた会社だったし、しかも、面接場所がわからなくて、会社の近くをウロウロしているところを偶然通りかかった友人が、私の代わりに面接場所を会社の警備の人に聞いてくれ、そこまで連れて行ってくれたという体たらく。それは、仕事を辞める場合もなかなか自分では言い出せないということもあり、ズルズルと12年だったか働き続けた。でも、もう続けられないと切羽詰ったところでやっと何とか自分から「仕事辞めます」と言った時は、自分だってけっこう言えるじゃんと思ったものだったけれど、仕事辞めて社会から隔絶された9年近くでまた変化に向き合うことができなくなっていたんだ。2005年秋、追い詰められた私は仕事に出なければならないと思いつめ、けれど、行動ができずに「いっそ死にたい」とまで思うようになっていた。頑張れ、頑張るんだ、ガクトさんに誇れる自分になりたいんだろ、旦那だけに苦労させている自分が情けないと思ってるんだろ、もう自分は作家デビューなんてできないんだ、そんな夢みたいなことばかり言ってないで、自分が一番果たさなきゃならない夫婦としての役割をやらなきゃいけないんじゃないのか……子供の頃からいつか作家になると思ってた。自分の文章がうまいとは思ってなかったけど、それでもお話を作ることは得意だったし、それを友達もおもしろいと言ってくれたし、高校の時にも私の書くものを素晴らしいと褒めてくれる先生もいたし、高校の先輩が「おまえはいつか何かでっかいことする」と言ってくれたこともあったし、なにより高校卒業した頃、短大時代にとある同人に投稿した詩が佳作になって同人誌に掲載され、それから何度も同人として創作活動をしないかと誘われ続けたことでも、私ってもしかして才能があるのかも?と勘違いをしてしまったものだった。だから、短大を卒業する頃には就職するという気持ちがあまりなく、友達が見つけてくれた仕事も正社員ではなくパートとして入社した。いつか作家になって寿退社(意味違う)するんだと意気込んでたから。でも、仕事始めだしたら、投稿用の小説はおろか、日記さえも書けないくらいに時間を作れないようになってしまったんだ。夜遊びを覚えてしまったから。そして、すぐに旦那と付き合いだして、何か書くなんてことは無理となっていく。つまり、あの頃からすでに私の書くスタイルというものが決まってしまってたんだなあと思った。私はリアルが充実していると何も書けない。私の書き物の原動力は「不幸」だったから。何かから追い詰められたり、傷付けられたり、生きていたくなかったり、恋に破れたり、手に入らないものに憧れたり、行きたい場所にいけなかったり、究極、物語のような生き方ができないから、その代わりに物語を書くことで自分の欲求を満たしていたからだ。そんな私が楽しい日々を送っていれば何も書けるわけがない。子供の頃は宇宙を旅したかった。だから宇宙に出て行く話を書いた。好きな人とうまくいかなかった。だから好きな人とうまくいく話を書いた。そんなふうに叶わぬ夢を物語に託していた。今の私は叶えたいという夢がない。いや、まったくないわけじゃない。けれど、それは私の心がけしだいで叶わないものじゃないと実は思っている。だから、今の私は強く叶えたいと思う夢がないんだ。もしかしたら、私はもう自分の夢を叶えるための物語は書けないかもしれない。そんなふうに今は思うようになってきた。

今の私は仕事が楽しい。仕事を初めてからしばらくは、やはり人間関係で仕事を続けられないくらいに追い詰められていた。けれど、あるきっかけで楽しく仕事ができるようになった。それは以前やってた仕事でもそうだった。以前の仕事は今の仕事とは違って客商売だったから、事務で仕事をしていたとはいえ、売り場で客相手をすることもあった。でも私は売り子が一番苦手な職種だった。それはたとえばスーパーなんかのレジでの仕事も私にはダメだったろう。あれもレジ打ちをしていて何かのトラブルが起きた場合に私は臨機応変に対処ができない。事務の仕事でも取引相手や客からの電話でいろいろと対応しなくてはならないということもあり、そういったことも対人関係に問題のある私には無理なことだった。私が一番楽しく仕事できたのが、事務でも伝票の内容をコンピューターにひたすら打ち込んでいくというものだった。今の仕事もそれと似たような仕事なんで、こういった仕事は私にとって天職だと思っている。で、以前の職場では、その仕事をずっと続けていくことができなくなったので、それもあって辞めたということもある。今は、職場での人間関係を気にしなければ、仕事自体は楽しくてしかたない。だから、今の私の仕事ぶりはかなりのものになった。最初の頃のミスばっかりだった私とは思えないくらいだ。楽しく仕事してお金がもらえる、こんな嬉しいことはない。そして、こんな幸せなことはない。そんな私だ。自分を救う物語なんて書けるわけがない。きっと、書けないのはそのせいじゃないかと思ってしまってもしかたないと思う。

でも、今の私はそれでもいいかなとも思う。このままずっと平穏に暮らしていきたい。もう4年前の私には戻りたくない。すべてを呪って呪詛ばかり吐き捨てていた私には。もう絶対に戻りたくない。もちろん、戻らないという保障はない。人生浮き沈みはどうしてもでてきてしまう。いずれ、また落ち込む時期もくるんだろう。ただ、できれば、その落ち込みの時期を何とかやり過ごす心の強さを手にしたい。それだけを今の私は願っているかな。

いやー、ほんとにまったく言及になってないや。リンクなんてするんじゃなかったかな。(苦笑)




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。