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糞みたいなブログでも救えるんだ

2009年11月29日 08:47

『そうするとその期間中に絶望期もあればノリノリ期もあって、
ノリノリ期にはいろんなことを「見切ったッ!」みたいなヘブン状態で
頭のなかのことを書き留めておこうとエントリも書き書きするわけで。

それで最近気付いたのですが、その時期のエントリって、
ほんとうにへこんでいるときは読めないのです。
なんというか「ああ、わたしにもこんないい時期があったよね…」みたいな、
「でもいまはこのざま…」みたいな気分になってしまう。(暗いですね)

でも、どん底から浮上しかけていて、なんとなくちょっと気力が回復してきた…
あとちょっとでなんか元気になれそうなんだけどな…みたいな時期に読むと、
なんとなく前向きな気分を取り戻せたりするのです。』(「ブログを書いててよかったとおもったこと - インターネットの備忘録」より引用)


凹んでいる時にどんなものが読めなくなるのか…私の場合は自分の書いたものに限ってはどんなものでも読めるという自信はある。ただ、症状によっては読めないこともあるんで、それが明るい内容なのか暗い内容なのかは関係なく、体調関係がよくない場合は何も読めないし、精神的によくない状態の場合はどんな内容でも私は読む。もっとも、精神状態がよくない場合は、私は自分の書いたものより他人の書いたものを無性に読みたくなるんだけどね。ただ、体調が悪い時でも、その症状によっては自分の書いた物を読み返すことができることもある。それは、すごく悪いわけじゃなく、なんとなく体調不調っていう場合なんだけど。こういう時は、そのもやもやした体調の悪さのせいで余計なことばかり考えてしまって、結局は精神的によくない状態になってしまい、さらにその精神状態が身体に影響及ぼして、最終的には身体に変調を来たしてしまうこともあるんで、何とかして身体にまで影響を与えてしまう前の段階で食い止めなくてはならないということで、私は過去の似たような症状の時の書き物を読み返すんだ。すると、それで安心できて何とか乗り切れるってことが何度かあった。

だから、私にとっての「ブログを書いててよかった」ということは、こういうことで、なんだろうなあ。私の体調悪さを救ってくれたのは、ドリコムで吐き散らしていた呪詛の塊のような内容に埋もれているちょっとした日々の体調のことだったんだから。あんな糞みたいなブログでも私を救ってくれる。正直に書くことはこういった見返りもあるんだと痛感した出来事だったな。だから、この↓の引用記事を書いた人の気持ちが私にもわかるなあと思う。

『インターネットに何かを残す、ということは確かに便所の落書きかもしれないし
このブログみたいな、ごくごく小さい規模で地味に続けていくことって
あまり意味がないことなのかも知れないな~と思うときもあります。

でも、誰に見せるわけでもなく、自分がそのときその瞬間何を思って何を感じたか、という
「極私的・自分アーカイブ」がネット上に残る、っていうのは、何より未来の自分のために
なるのかもしれないなあ、と思ったので、備忘。』(「ブログを書いててよかったとおもったこと - インターネットの備忘録」より引用)


ところで、この記事を紹介していたまなめっち、この人の『定期的に絶望ってやってきませんか。』という問いかけに『やってきません』と一刀両断。(いやいや、まなめっちは切り捨ててはいないと思うぞ)私なんかも定期的に絶望がやってくる人種なんで、定期的に絶望くるっていう人の気持ちはわかるんだけど、まなめっちってば「やってきません」って…んもー、そこが私ら根暗な人間との違いなんだなあと思った。ふと思ったんだけど、まなめっちが絶望を感じる瞬間ってどんな時なんだろうねえ?




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