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非モテも非コミュもついでに変態もアングラでいこう

2009年11月30日 06:54

昨夜は平成教育学院(ってタイトルだったっけ)がスペシャルで、息子と二人で見てた。9時までやってたんで、お風呂も9時ってことにして見てたんだけど、息子が入ったあとに入る私だったから、風呂入って洗濯して寝る用意になるまでに少し時間がかかってしまった。ちょっと書き物もしてたし。気がついたら11時過ぎてたかな。あー寝なくちゃなーと思ってたら、テレビで興味あることをやりだした。それが非モテについての番組だったんだけど。

非モテって私はあまり詳しくないんだけど、その番組を見ていたらしい人が、ついったーで、恋愛できない人が非モテって違うだろ、みたいなことをポストしてた。私は非コミュについても「こうだ」と精通しているわけではないんで的外れなこと言ってるかもしれないけれど、テレビに出てきていた男女二人の恋愛したくない派の人、なんだか非モテというより非コミュに近いんじゃないかと思ったよ。異性と恋愛などで関わるってことをめんどくさいと言ってたし、たぶん同性に対してもめんどくさい関わり方はしたくないと思ってるんじゃないかと番組での彼らの意見を聞いていて思ったから、それってやっぱり非コミュ、コミュニケーションしたくない、できないっていうのじゃないかなあって。ただ、紹介されていた男性と女性とではちょっと違うタイプかなとも思った。どっちも同じように面倒なことはイヤだという感じではあったんだけど、男性のほうはそれでも多少はそんな自分に負い目を感じていて、他の人たちと同じようにやってみようという努力する姿が見られたんだけど、女性のほうはもうまるっきりそんな自分を認めてほしいという気持ちが強く、これでいいのよ私はっていうのがすごく感じられたから。だから、思ったんだけど、男性のほうは一種の病気なのかなあって。たとえば性欲についても、AVとかエロ本とかで性欲は感じず、大好きな音楽で興奮するっていうのも、音楽に関しての才能のある人であればそういうこともあるかもしれないけれど、普通だったらそれだけじゃなく女の子に対しても似たような性欲って出てくるはずだから、音楽だけでしか興奮しないっていうのはいわば音楽が女の子と見なしているとも言えるわけだよね。それが悪いとは言わないけれど、非生産的ということで、生物界で言えば病気と見なされて生きていく価値はないとなってしまうだろう。ただ、それを本人が受け入れてしまって、これが自分の生き方なんだと思うのなら、それを他人が無理やりに変えさせるわけにはいかない。だから、残念ではあるけれど、自分の好きなように生きればいいと私は思う。でもなあ、そういった人間がどんどん異常に増えていってしまったら、人類の未来はないよなあって思わないでもない。

あと、男性のほうは確かに自分のことで苦しんでるなというのは感じられたんだけど、女性のほうは少し違った印象を持った。私が言うのもなんだけど、かなり自分勝手な考え方・見方をしている人だなあって。男性と同じく恋愛に価値を感じていないという点では同じではあるし、セックスなどに関しては何か言ってたということはなかったようだけど、たぶん別にやりたいとも思ってないんじゃないかとは思った。ただ、興味がなくても何とか努力してみようとしていた男性と違って、この女性はとにかくこれが自分なんだ、これでいいんだ、嫌なものは嫌なんだという姿勢がありありと見て取れた。見ていてあまり気持ちいいもんじゃないなあと思った。それで思ったんだけど、私なんかも自分はこれでいいんだ、誰がなんと言おうとも私は私の生き方を貫くって声高に言ってきているけど、そんな私を見て潔いと感じてくれる人もいただろうけれど、確実に私のような生き方をできない人にとっては不快感を抱かせてしまっていたんだろうなあって。だから、この恋愛否定派の女性だって、自分がいいと思ってるのなら他人がとやかく言うことじゃないとは思うんだけど、私にしろ彼女にしろ、他にも様々な生き方、進み方があって、それが今よりもっと幸せになれるかもしれないという可能性だけは忘れず、少しは試してみることも悪いことではないよなあって、そんなふうに思えるようになれたらいいのにねえと思わないでもない。たとえば、恋愛に関してだと、私は結婚もして子供も産んだわけだから、ごく普通の女性としての生き方をしているわけだけど、こんな私でも若い頃は結婚とか考えたこともなかったし、異性に限らず同性ともうまく付き合っていけるような性格じゃなかったということで、テレビで紹介されていた、どっちかってーと女性のほうのタイプだったわけだ。けれど、そんな私でも旦那という相手に巡り会ったおかげで、そのめんどくさい関わり方をしてでもこの人と一緒にいたいと思うようになっていった。つまり運命の赤い糸を見つけたおかげで、自分の頑なな心がほぐされたわけだ。別に今だって恋愛至上主義というわけじゃない。恋する人以外にも大切にしているものはあるし、恋愛だけがすべてだなんて思っちゃいないもんね。

たとえば、恋愛でもっともめんどくさいものっていったらセックスだろうと私は思ってるんだけど、私は今だってセックスなんてそんなにいいもんじゃないと思ってるし、できればあまりしたくないほうだ。気持ちいいことは好きだし、そういった快感というものに対しては私も人並み以上に関心のあるほうだけど、それは相手のいるセックスでは得られないものだとも思っている。けれど、私は大切な人が私の身体で気持ちよくなってくれるというなら私は喜んで私の身体を差し出す。大切な人が幸せになってくれるのが何よりも嬉しいから。その気持ちがある限りは、私はたぶん身勝手で自分勝手な奴ってわけじゃないんだろうなとも思う。自分の好き勝手にやってるつもりだけど、ギリギリのところで私は大切な人のことも考えているってことでね。非コミュの人で、どうしても誰かとコミュニケーションしたくてもできなくて苦しんでいる人以外の、自分はこれでいい、他人と交流するなんて真っ平だ、そんなめんどくさいことなんてしたくないってことで非コミュ道を突き進んでいる人は、自分はそれでいいんだろうけれど、第三者にどう思われているかは考えてみたほうがいいかもね。まあ、そんなのどうでもいい、誰かに好かれたいなんてこれっぽっちも思ってない、むしろ嫌われたいと思ってるのならもうしょうがないんだろうけれど。ただ、そういった人って、堂々としているのもなんだかなーとも思う。私は多くの人にあまり認められないような性癖とか趣味とか性格とか気持ちとか思いとか考えとかっていうものはアングラな存在でいるべきだという考えなんだよね。それは差別とか虐げているとかそういうわけではなく、表ざたにせずにひっそりとしていることで安全に生きていけるための方法だと思っているから。だから、私なんかもけっこう人に認めてもらえないような考えとか趣味とか持ってはいて、昔はそれを隠そうともしないところがあったけれど、今は積極的に出していこうとは思っていない。そんな私を認めてもらいたいという気持ちはあれど、強い拒絶にあって深く傷付くこともあるのだから、地下に潜らせて密かに愛でることもひとつの生き方だよなあと思うんだよね。それもあって、リアルでは「書いている」ということは言わないでいる。以前は新聞とかで大々的に書いていて、そんな私の邪魔をしないでと声高に叫んでいたのだけど、あれから10年、だいぶ人々の記憶から私がやっていたことが忘れ去られたようでよかったなと思っている。とりあえず仕事場の人たちは私の趣味は知らないから。知られるつもりはない。絶対に知らせたくない。それもあって、来年からの投稿作品はリアルバレのしない完全匿名のPNでやっていこうと思っている。もっとも、私が毎年投稿している文芸誌は、採用された場合、住所を書かれてしまうで、それはちょっとマズイなあとは思うんだけど、それはまあ採用されてから考えることではあるんだけどね。

というか、またしても話ズレてきた。まあいいや。そんなことを昨日のテレビ番組を見て思ったということ。今日も元気に仕事、頑張るぞっと。




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