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絶望しか残らない問題

2009年12月05日 07:48

一連のやり取りを見てきて思った私の思い。

7年前に私も巻き込まれた(自ら巻き込まれたんじゃないかとも言われるだろうけれど)拉致問題と、今回の性被害問題はたぶん話し合っても話し合っても絶対に解決の糸口は見えてこない問題なんじゃないかと思った。それは、被害者以外の人間たちがそれについて議論しているからなんじゃないかって。というか、加害者でも被害者でもない人間が被害者に対して質問しているという時点でなんかそれって違うような気が私はするんだよね。誰が被害者かわからないから、だなんてそれは言い訳でしかない。だったら、まず「あなたは被害者なのですか」って聞けばいいでしょ。もちろん、その質問もセカンドレイプにもなりうるだろうから、叩かれることは覚悟で。それが嫌なら、質問する前に相手の書いたものをよく見てすればいいんじゃないかと。前から相手を知っていたら被害者かどうかはわかったことだろうしねえ。

被害者に対して質問だの何だのするのっていうのは、確かに、裁判はそういった類のものであって、裁判まで否定する発言にもなりかねないかもしれないけれど、日々行われている裁判だって双方が絶対に納得できるような結果が出るなんてことは一度もないと言っても過言ではないんじゃないかと思う。裁判は必要ないとまでは言わないけれど、犯罪なんてものは減らせることはできてもなくすことはできないことも確かだから、どうしても無駄なことをしているようにしか見えない。もっとも、犯罪なんてものを自分はしないと思ってたって、冤罪として監獄に送られてしまうこともあるだろうから、全力で裁判なんてものはなくせとは言わないけれど。

一連のやりとり、まるで7年前の自分を見ているようで胸が痛い。どんなに言葉を繰り出したって、質問者はわかってくれなかった。それは文章能力のなさだと言われてしまうんだろうし、私もそう思う。質問者に納得させられるだけの文章能力があったのなら、私も文章で成功してるだろうと思うからね。だから、私はもう何も言わない。質問されても答えない。スルーすることにした。言葉だけの対人関係に絶望してしまった私は、答えないよ。ついでに言っとくけれど、一応私も未遂とはいえ被害者ですから。そこのところお忘れなく。でも、ひとつだけ言わせてもらえれば、被害者でもなく加害者でもない人が、これから起こるかもしれない犯罪を未然に防ぐためにはどうしたらいいかと議論することは無駄なこと。それよりも、他の被害者はどうあれ、一被害者としての私が望むのは「自分だけはたとえ裸の女が目の前にいたとしても襲わない」と誓ってくれその通りに行動してくれれば、それでいい。「自分だけはやらないから」って、それだけ言ってくれれば。どうせ、どんなに未然に防ぐ方法を考え出したって、犯罪に走ってしまう奴は聞く耳持たずなんだから。そんな人間には議論は通用しない。世界ってもんはそういうもんだと心底そう思う。だから、そんな議論の通用しない人間に時間を割くよりも、私は、ただ黙って「つらかったね」と抱きしめてくれる人だけと付き合っていきたい。気持ちわかってくれない人なんてもういらない。

みんなわからないんだ。絶対に議論では解決しないこともあるってことを。

リアルだけじゃないよ、ウェブでだって抱きしめることはできるよ。それさえもわからないのなら、いくら相手に質問して答えてもらったって、その人は絶対に誰のことも理解できないし救えないんだ。そう私は思うよ。


《2009/12/6追記》

「服飾の自由」を読んで思ったことなど。


扇情的なものが追放っていうの、あれも程度によると私は思う。あまりにも酷いものはアングラであるべきだけど、程度によっては、たとえば芸術的なものとかは排除されるべきじゃないとか。ただ、どの程度はオーケーっていうのは人それぞれだったりするんで、なかなか線引きができないっていうのが難しいよなあ。だから、どうしても解決策なんて出てこない問題なんじゃないかと思う。そこには絶望しか残らない。


《2009/12/7追記》

さらに、ナツさんの「★ 電脳ポトラッチ それはあなたの「当然の権利」じゃない。~曽野綾子ミニスカ論争関連」を読んで思ったこと。


性欲が悪いわけじゃない。私だって性欲はある。だから性欲まで否定はしない。性犯罪が起きるのは性欲のせいじゃない。あくまで性欲を抑えなくてはならない時に抑えられない人間が悪いということを忘れないでほしい。じゃあどうすれば出してはいけない時の性欲を抑えることができるのかって?そんなもん他人に聞くべきことじゃないでしょ。そんなことは自分で考えるべきことだ。だって、抑えるためにどうするかなんて人によって違うから。自分にあった抑え方っていうものがあるはず。つまり健康的な人だったら、そういうことを自分で考える事ができるはずなんだ。そうやって、ほとんどの男の人が自分で抑えてるはずでしょ。それが普通だと思うんだけどね。その普通ができない抑えられない人は、それはもう病気だ。自分は病気であると自覚したほうがいい。治したいと思うのなら、病院に行って治せばいいんじゃないかと思う。心の問題だから、心療内科とかそういった類の機関に頼るとかね。だから、性犯罪をなくすたったひとつの方法は「病気だから病気治療をする」だけなんじゃないかなあ。もっとも、個人的に私は、性犯罪を犯してしまう人間のその病気は不治の病だと思っている。絶対に治らない病気だって。だから、性犯罪者は隔離するか死刑が相当なんじゃないかって。そうすれば、少しは性犯罪は減るんじゃないかってね。


《2009/12/8追記》

別エントリ立てたほうがいいとまで思ってしまう追記のしかたをしているけれど、こういう書き方が一番いいかもしれない。まあ、これも非公開にして書いているからできることではあるんだけど。ただ、これだといつまで経っても公開ができない感じではある。こういった話題は結論が出ない話でもあるんで、一定期間は続くだろうしねえ。とりあえず次の公開まではまだ少し時間があるので、他人の記事読んで書きたくなる限りは追記という形で書いていこうと思う。私の考えも短期間の間に変わってくることもあるし、語りきっていない自分語りもまだあるみたいだから、今回のように。


「昔、『ひとつ屋根の下』ってテレビドラマがあってね、 - 23mmの銃口から飛び出す弾丸は」「日本が治安が良いってのは、幻想なのか。「性差別を無くせば(減らせば)性犯罪が無くなる(減る)」というのは「大風吹けば桶屋が儲かる」という話なのか。 - 23mmの銃口から飛び出す弾丸は」を読んだことで、私の体験も語った上で思ったことなどを書いてみようかと思って。

事件は私が12歳の時、今から35年前に起きた。朝、いったん学校に行って、忘れ物があるのに気づき、授業が始まるまでに忘れ物を取ってこようとして学校を出て走って5分の自宅に戻る途中の小道でのことだった。雨は降っていたがまだ明るい。小学生だからスカートはミニスカート。それはその頃の子供にとっては当たり前ではないだろうか。犯人はすれ違っただけの高校生だった。すれ違いざまに後ろから襲われた。そんな私に自衛しろと他人は言うのだろうか。言うのだろうな。今の小学校では忘れ物は原則取りに行かないことになっているようだが、あの頃の私たちはみんな取りに戻っていたと思う。変質者は昔から当たり前のように出没していたけれど、一見普通の高校生が小学生に襲い掛かるなんてことはどうだったんだろうか。私は子供だったためにそんなことまでは覚えていない。そういった話は他人とはなかなかできない年頃でもあったから。そんな子供にさえも自衛をと他人は言うのだろうか。言うのだろうな。

ただ、私の被害は実際に強姦されたというわけではない。未遂で終わったから、微妙な立場でもある。被害者の気持ちはわかるつもりではあるけれど、実際に被害に遭ってしまった人からすれば「自分たちとは違う」言われるだろうし、私自身も、そう言われてしまったら何も言い返せないことはわかっているつもりだ。でも、小学生の女の子にとって、強姦未遂であっても強姦と等しくショッキングなことには間違いなく、私の心に何らかの傷がついてしまったことは確かだ。ただ、私の場合は、そんな子供の頃から自分自身をネタにして注目を浴びることにためらいのないところがあったようで、すべての人には話せないにしても、まずは母親には守ってもらいたくて、それから好きだった友達には憐れんでもらいたくて、それで話したんじゃないかと今なら思う。さすがに日記には詳しいことは書けなかった。だから、日記では当時の自分の様子はわからないのだけど、記憶だけはしっかりと残っているので当時の出来事はアリアリと思い出せる。ただ、子供の頃の日記を読むと、自分の記憶との食い違いとかもあったりして、この記憶も細部は本当にそうだったのかはわからない。一時期、強姦未遂という記憶になってはいるけど、もしかしたら本当は未遂じゃなくて強姦されてしまってたんじゃないか、記憶が書き換えられてしまってるんじゃないかと本気で信じてしまいそうになったこともある。というのも、私は性経験は旦那が初めてだったのだけど、いわゆる初体験で経験する出血がなかったからだ。今なら、処女であっても必ずしも出血するわけではないと知っているけど、当時の私はそれを知らず、記憶にない経験が私にはあるんだろうかと自身を疑ったからだ。付き合った人は旦那以外いない。それは確かだから、考えられるとしたら小6の時の強姦未遂事件しかない。自分の記憶には絶対的な自信をそれまで持っていた私だったけど、過去の日記を読み返していくうちに、記憶との齟齬が出てくるのでその自信はことごとく崩れていった。だけど、どう思い返してみても、同じシーンしか浮かんでこない。さすがにここでは書かないけれど。とはいえ、どこかで書いたとは思うけれど。

まあ、未遂かそうじゃないかはこの際どうでもいい。どちらにせよ、恐怖心は植え付けられたわけだから。その恐怖心が問題。当時の恐怖心は今でも覚えている。母に話したのは次の日くらいだったか。その時の気持ちはとにかく話して楽になりたかったから。母に話せば母が何とかしてくれる。それだけの気持ちで話した。話したらどうなるかは当時の私はわからなかったけど、何かしてほしいと思って話したわけじゃない。ただ秘密を一人で持つには幼すぎただけだったんだろう。話せば楽になる。それだけだったと思う。別に母は何かしてくれたわけじゃない。警察に届けるとか、そういうことはなかったし。ただ、これからは一人で夜に出るなとか、昼間でも一人で行動しないようにしなさいと言われた。それもあって、近所の友達二人には一緒に行動してもらいなさいと私に言った。その二人とは険悪になりかけていたということは母は知らなかったんで。私も他に頼れる友達がいなかったんで、その二人に正直に起きたことを話して、一緒に行動をともにさせてもらった。そういうことを話さなければ一緒にいさせてもらえないと思ったからだ。でも、それだけじゃない。私は彼女らに憐れんでもらいたかったんだ。その気持ちがあったことも確かだ。普通なら、大好きな友達にそんな汚点を話せるはずがない。でも、私は普通じゃなかったんだろうな。それともそれが普通だったのかも。私は普通の人とは違うのよって、そういう気持ちがないわけじゃなかったから。私は特別でいたかったから。汚点でさえも特別であるためのアイテムでしかなかったんだな、きっと。これはたぶん、私の中では「差別さえも特異性」というのがあったためなんじゃないかと思う。私はそれほど特別な存在になりたかったんだろう。これは一般的に見て、ほんとにろくでもない考えなんだろう。でも、私の中では、目立ちたい、注目を浴びたいという気持ちがあまりにも強すぎて、それでそんな考えになっていったんだろうと推測する。いわゆる、ケガをして包帯を巻いていると、人に「どうしたの?」と注目されて大切にされるという気持ちが根底にあったからなんじゃないかなあって。実にくだらないことなんだろうと客観的に見ればわかることなんだろうけど、注目されたい人間からしたら、どんなことでも注目されるためならやってしまう当たり前のことなんだろうな。

ただ、今の私にはそこまでして戦うことはできない。ナツさんとか23mmさんみたいな公正な目で見てくれる人との議論もあるから、議論は無駄だとは今は思わなくなっているけれど、どうも二人のような人たちばかりじゃない声がネットでの議論では多くて、やっぱり私はこういったナイーブな話で議論することに絶望感を抱いている。だからもう、それぞれが言いたいことだけを自分のテリトリーで言い合って、議論なんかやめてしまえばいいのにと思うようになってきた。だから、私も言いたいことだけ言って、他人と議論するつもりはない。議論なんてもうたくさんだ。


《2009/12/09追記》

ついったーでフォローとしている人がRTしていたある人の発言がこちら

『昔、あんまし好きでない女から「変な人がつけてきてるから迎えに来て!」と電話されて、好きじゃないけど大変、と思って迎えに行ったことをふと思い出した。「襲われたくないならミニスカートを履くな」と言う人がいるけど、「襲われないように俺が守る!」が正解なのをご存知ないとみえる。』


そういう男性ばかりであったなら、性犯罪の餌食になる女性もいなくなるのにね。


《2009/12/13追記》

「世の中が(俺が主観的に思う)マシな状態になったとき、「弱者にさらに皺寄せが行くのではないか」ということが問われている。 - 23mmの銃口から飛び出す弾丸は」で取り上げられていたmasudamiさんの日記では、刑事告発がしやすい社会を望んでいない人のことが書かれてあり、ご本人さんもその考えの人だ。この人も被害者の一人であるので、その声の意味は重い。ただ、これも推測なんで私も叱られるんだろうけど、23mmさんの気持ちは迷惑だとは思いつつ、確信的かそうでないかに関わらずに性差別してしまっている人たちよりはマシだという気持ちは持っているんじゃないかと思う。

私は自分のどんな体験までも小説のネタにしてしまうところがあるので、自分の身に起きた出来事をそっとしておいてほしいという人たちの気持ちはわからない…いや、わかってないわけじゃない。ただ私はどうしても隠せない性質であり、隠さないで公開して傷つくこともいとわない稀有な人間だ。むしろ、傷つきたいと思っている節もある。私はきっと精神的マゾヒストなんだろう。それか心が他人とは違う構造をしているのかもしれない。肉体的な苦痛にはめっぽう弱いが、心の苦痛は…そうだな、それを解消できる技を私は持っているから、なのかもしれないな。それだけでも、私は本当に性被害者側の人間とも言えないのかもしれない。こんな時、私も未遂じゃなかったらこんな私になっただろうかと思ってしまう。その人たちの気持ちを理解するために、私もまた未遂じゃなかったというのが事実だったほうがよかったのかもしれない、とか、くだらないことまで考えてしまう。それこそ被害者を冒涜する言葉なんだろう。世間一般では一人でも被害が少なくなるほうがいいと思っているだろうから、そんなこと考えるだけでも、それは二次被害だと言われてもしかたないよな。

ただ、私が言いたいのは、一人でも多くの人間が異性に対して乱暴なことをしないでほしいということ、そして、一人でも多くの被害者の「望み」が叶えばいいということだけだ。その「望み」はすべて同じではない。masudamiさんの言う望みは、訴えたいので訴えやすい社会を望んでいる被害者の望みを断つものでもあるので、どちらの望みも何とかギリギリなところで両立できる世界になればいい。とはいえ、それは難しい。それを何とか両立させるためには、両者が少しづつ傷つくことを覚悟しなきゃいけないだろう。それができない限りは、どちらの望みも叶うことはない。私はそう思うよ。

でも、masudamiさんに忘れてほしくないのは、23mmさんだけじゃなく確実に何人かの男性は、被害者だけにリスクを負ってしまっているこの世界は間違ってると思ってくれてるということ。その気持ちに僅かでもいいから感謝してあげてほしいって思う。少なくとも私は、傷ついてもいいと思う気持ちになれるひとつの要因に、そういった23mmさんみたいな人がいるからだと思っているから。痛みを一緒に感じてくれる人が私にはいるって思えることはすばらしいことだなあと今は思えるようになったから。それは忘れてほしくないなと思っている。


《2009/12/17追記》

これで追記追記も終わればいいなあと思いつつ、ナツさんの記事で自分語りをしてみる。

「★ 電脳ポトラッチ 「男は女を欲望する」という抑圧」

前半部分を読んでいてやっぱり議論なんて絶望しかないよなあと思った。互いが自分自身の意見しかないと固執していたとしたら確かに絶望的なものではあるんだけど、少なくともナツさんは固執しているわけではないとは私には思えたわけで、そうであれば少しは歩み寄りっていうのもあると思うんだけど、でもナツさんとNaokiTakahashiさんとのやり取りを見てると、片方が相手を議論してでも理解したいと思っていたとしてももう片方が頑なに自分の意見にしがみついていたとしたらやっぱり絶望しか残らない典型的な議論の形をしているという印象を持ったんだよね。

ただ、ナツさんがラスト近くで出したNaokiTakahashiさんの心理状態を考えたら、NaokiTakahashiさんの頑なさっていうのは私にも理解できる感じはした。状況は違っても私もまた自分は「こんな人間だから他人は好きになってくれない」と他人を「こうである」と断定してしまいがちな人間だから。けれど、最近では、こんな私でも付いてきてくれる人はいると思えるようになった。それにNaokiTakahashiさんの言うような「デブキモオタ」という外観だけでは女が彼を拒絶する理由の要素としては弱い。確か以前、彼の記事はいくつか読んだことがあったと記憶するんだけど、考え方とか確かに頑ななところはあるみたいだったけど、そんなに嫌われる要素は見出せなかったように覚えてる。キモイっていうのもどんなのがキモイと感じるかは人それぞれだし、それはオタクでも同じ、唯一デブというのは嫌われる傾向はあるにしても、少なくとも私はデブで相手を嫌うっていうのはない。まあ、私も若い娘とは違ってある程度年を食った年増だからそう言えるとも言えるんで、若い娘だとしたらデブはいやだっていうのもあるかもしれないけれど。

あと、ポルノ屋っていうのにしてもね、エロゲ好きな女だっているし、私なんかもエロ物大好き女の一人でもある。18禁の小説なんかも趣味で書いてるしねえ。つまり、男は獣かもしれないけど、女だって獣というのが私の持論でもあるし。だから、女がポルノ屋を嫌うっていうのも信憑性はない。

私が性被害の被害者だからといってポルノを否定しているかといったら違う。それはまあそのものの被害じゃないからと言われてしまったら私も全力で「そうじゃない」とは言えないんだけど、それでも当時はしばらく男性恐怖症気味になったことは確かだ。自分なりに自分の格好がダメだったんだろうかと思って女のような格好をせずに男のような格好をしたものだったし、夜は一人で行動しないようにしたりとか、いろいろ自衛はした。誰も助けてくれるわけじゃないから自衛はしなくてはと思っていたからだ。でも、そうしていてもその後に何度か痴漢には遭ったことはある。自衛なんかあてにならないよなあと思ったものだった。子供の頃は「男なんて」と思ってたことは確かだし、会社に入る頃には上司でさえも信用してなかった。飲みに連れて行かれたら何かされるんだと思い込んでもいた。まあ、そういうのはそれこそエロ物コンテンツで仕入れた偏った知識ではあったんだけどね。そのままいってれば、私も全霊をこめて「男はすべて獣」とすべての男を拒絶したことだろう。でも私は結婚した。すべての男がそうじゃないとわかったからだ。

真夜中男二人に女一人でどこまでもドライブした経験は、私に男の人だって信用できる人はいるんだという気持ちを芽生えさせてくれたんだよね。

その当時に弟にも言われたもの。「男と女が真夜中一緒にいて何もないなんて信じられない」って。でも、いるんだよ。そういう人は。絶対に獣にならない男がね。私はその時の男性二人のおかげで、男だって信頼できる人はいると信じられた。そして、そのうちの一人と私は結婚したわけだ。けれど、女を襲う男だって確実にいる。恐らくそういう男をすべて排除することは無理だ。ただ、軽減させることはできる。女も男も親になるだろうから、その親になって子供を教育することはできるよね。男の子には「女の子を大切にしてあげて」女の子には「男の子も大変なんだから理解して信用してあげて」と。もし、親になれなくても、自分だけは獣になんかならないと行動するだけでもいい。一人一人が「自分だけは」と思うようにしてくれれば、少しは軽減されるように私は思っている。

問題は方法じゃない。一人一人の意識の改革、気持ちの問題なんだよ。私はそう思うよ。




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