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元気でいたい

2012年09月30日 20:42

空を飛べる、ねえ。私はそれができるとは思ってはいなかったけど、いつか背中に翼が生えて空を飛べることもあるかもしれないとは思ったことはあったな。翼が生えてくれるのなら、生えてくる時の激痛も耐えてみせるのにって。そういうマンガがあったから、翼が生える時はものすごい痛みがあるんだろうなあと思ったから。風を操るとか、そういうのと似たようなので、自分は天気を自在に操れるなんて思ったこともあったな。どうしても晴れてほしいとか、雨が降ってほしいとか、そういうことを強く強く念じれば、晴れになったし雨も降ったもんだから、私にそういう超能力があるんじゃないかって、さ。ほんと子供ってバカだよねえ。でも、子供って、いつかお話の中の主人公みたいな体験を自分はするに違いないって信じてるとこってあるんだろうと思う。だってまだこんなに若いんだもの、まだまだいろんな可能性があるんだ、きっと何にでもなれるんだって、そう思える時間が目の前にあって、まだまだ自分には時間がたっぷりあるんだって、ね。で、さすがに50年も経ってしまうと、そろそろ寿命が目の前に近づいてくるわけで、もう自分に残された時間はわずか、昔ならもうすでに死んでる年齢、そうなるともう可能性なんてどうしても信じられない。いくら長生きできたとしても、自分が稀有な年寄りのように元気に過ごせるはずもないから、やれることは限られてくる。若い時みたいに何でもできそうな元気さはないわけだからねえ。今はもう、何でもできそうだ、じゃなく、自分がやりたいと思えて自分にできそうなことしかもうやりたくない。できそうもないことの中には小説を書くということも含まれている。小説を書くってね、思いのほか体力がいるんだよね。精神力もいるし。それを続けることは漲る生命力のある人間にしかできないこと。私は、職業としての小説書き向きじゃないから。職業としてなら、それで食っていくために、しかたなく書いていくんだろうけれど、私には書くことを職業にできる才能はないから、小説は趣味で書くしかない。で、趣味で書くということは、私にとって体力・知力・気力がいるわけで、最近、書けなくなってきているのは、書くことはもう私にとっての救いとはならないからなんだろうなあと思い始めている。

それにしても、小鳥ちゃん、私の思ってたことと同じようなこと思ってんだなあ。私も見えなくなるとか聞こえなくなるっていう恐怖は持っていて、見たり聞いたり歌ったりとかができなくなることは絶対イヤだなあと思ってた。見えなくなったら本が読めなくなるし、映画とか見れなくなるのは考えたくないことだし、聞こえなくなると大好きな音楽が聴けないのはイヤだったし、歌えないことも、歌うことは好きだったから。あと、手がなくなるのもイヤだった。ピアノが弾けなくなるはイヤだったし、ヘタでも絵も描きたかったし。まあ、絵もピアノも今はまったくやってないけれど、それでもやっぱり手はついててほしい。で、それならば足は別にいっかー、むしろ足が歩けなくなれば、ずっと家にいて本読んだり音楽聞いたり小説書いたりできるしなあって。そんな勝手なこと思ってたこともあったけど、去年、人生初の骨折をしてしまい、しばらく歩くのが不自由になった時に、その「歩けなくなる」ことも、こんなにつらいことだなんて思わなかったから、やっぱりちゃんと歩けるのがいいって思ったよなあ。

今はもう元気でいることが一番の望み。元気で読みたいものを読んでいられれば、それが今の私の幸せ。そして、なるべく苦しまずに痛みを感じずに死んでいけたら、それ以上もう何も望まない、かな。




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