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自分勝手に生きる

2012年10月14日 22:40

「悲しみや苦しみと共に生きるということ – suVeneのアレ」

何だろう。すーさんの書いているもの読んで、そんなことはわかってるってば、でもどうしようもないんだよなーと思ってる自分がいるなあって。

私も一通り依存はしてきたし、その依存を抜け出たことも何度かあるわけで。それはもう、自分ではどうしようもないわけだ。誰かに「それはだめだ」と言われたとしても、そんなことは頭ではわかってんだ、でも、どうしても依存から抜け出れない。で、抜け出られないまま、最悪なことになってしまう人もいれば、私は依存しても最悪にならなかった、それだけ。そこには、自分自身の努力なんてないんだよなあ。いつのまにか抜け出てたっていう感じなんだもん。

そうだな。私にとって一番しっくりくる考えは、すべては時間が解決してくれる、かな。私にとっての悲しみ辛さ苦しみって、ほんと他人にとっては「どうしてそんなことが?」という些細なことなんだよね。それでも私にとっては世界の終りみたいな気持ちになるわけで。たとえば、仕事で誰かに電話しなければならないことがあるとする、それが私にとっては追いつめられるほどのストレスとなり、それが原因で自殺までしかけた過去がある。たかが電話一本。自分でもわかってるんだよ。どうしてそんなことができないのかって。PTAとか自治会の役員にしたって、そういうのやるくらいなら死んでやるという気持ちになってしまう。わかってる。そんな気持ちを持ってしまうことは愚かだって。自殺してしまうほどの苛めを経験している子供からすれば、私の辛さなんて…という気持ちもあるから。けれど、その苛めで自殺してしまう子供に対しても、誰かは苛めで自殺することを愚かだと言う人もいるだろう。そうであれば、私の悩みなんて、誰かにとっては笑われることだろうな。

でも、そんな私でも、今では何かの役員をすることになったとしても(実際、現在やってるわけだけど)死にたいとまでは思わなくなった。それもある時ふっと、どうでもいいや、って思えるようになった。何の前触れもなく。だから、私は思った。これはもう時が解決してくれたんだろうなって。たぶん、私が今までもの凄いストレスを感じてしまったのも、自分のやることに対して他人がどう思うかを尋常じゃないくらいに気にし過ぎてたからなんじゃないかって。完璧にしなくちゃならないという思いが私の中にはあって、でも、私は完璧にはできない不完全な人間で、そのギャップに苦しんでたんじゃないかな。それが、いつしか完璧にしようと思わなくなり、いい意味での無責任さを身に着けた。つまり「ま、いっか、別に」と思えるようになったということで。それもこれも、いわゆる「無神経なおばちゃん」となっていったからとも言えるよなあ。それって周りからすれば迷惑な存在だろう。若い頃は、そういう迷惑な人間に絶対なりたくないと思ってたけど、今は迷惑かけてもいいじゃんか、死ぬよりは、って。つまり、それは憎まれっ子世に憚るってことで。死ななきゃいいよってことで。

悲しみや苦しみと共に生きる…すーさんは「肯定」と言ってるけど、私は肯定というより、自分勝手に行動することが死なないで生きることだよなあ。




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