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昔は黒色、そして今はパステル色

2013年12月14日 21:09

昔の日記を読み返していると、わたしも誰かにとっての「八杉さん」だったんじゃないかなあと胸が痛くなる。

昔の日記を読み返していると、書いたのは確かにわたしであるのだけど、記憶にある日記の中のわたしは、本当に今ここにいるわたしの過去のわたしなのだろうかと疑問に思ってしまう時がある。

日記の中のわたし。記憶の中の昔のわたし。今のわたしとはどこか違う。むしろまったく違うと言っていいくらいに。

昔の職場の同僚が、その時の自分と学生の頃の自分はまったく違ってて、学生の頃は本当に内向的で言いたい事も言えなかったのよと言っていた。わたしが知ってる彼女はちょっときつい感じの言いたい事をズバズバ言うそんな人で、彼女が語る彼女の過去の彼女と真逆だったから、そんな話を聞いてなかったら、わたしは過去の自分と今の自分のギャップはあり得ないと思っただろうな。つまり、日記に書かれていることや自分の記憶はきっと自分が都合のいいように記憶して、日記も本当のことを書いてなかったんだって。そんなわけないのにね。子供の頃からわたしを知ってる人は、やはり日記の中のわたし、記憶の中の過去のわたしは確かにいたよと答えてたからさ。

人は変わる。性格もまるで別人のように変わることができる。

わたしは時々、誰からも嫌われてもいいから、昔のわたしでいたほうが幸せなんじゃないかなあなんて思うこともある。それもありだろう。けれど、昔のわたしのままだったら、今、旦那とは暮らしてはないだろうなあ。昔のわたしを彼は嫌ってたから。そして、彼もまた、昔のままの彼だったら、わたしも今も彼を毛嫌いしてたはずだもの。彼もまた変わった。わたしにとっていい方へと。だから、わたしたちはお互いが運命の相手だったんだなあとは思う。

それでも、時たま思う。「八杉さん」がこだわった相手のような人と物語のような恋愛ができたらどんなわたしになっただろうなあって。もちろん、「八杉さん」のようなわたしではその人とは恋愛はできなかったんだろうから、今のわたしであったら「もしかしたら」という希望がないわけじゃない。でも「八杉さん」に似てる限りでは、その物語ではわたしは主人公になれない。もちろん、現実のわたしは「八杉さん」ほどの才能なんかないから、脇役どころかただのエキストラにしかなりえないわけで。だから、その後、わたしの名前の女の子が主人公で物語が始まった時、そしてタイトルがわたしに関係あるタイトルだったことで、ああ、わたしはわたしでもよかったんだと思えた。もちろん、物語のその子のような女の子にならなくてはならないと多少は努力もしたけれど。それも少しはわたしが変わった手助けをしてくれたんじゃないかな。そして、それを描いてくれた人に心から感謝した。その名前とタイトルを物語につけてくれて。たとえ偶然であっても、わたしは夢を見ることができる。

だから、ありがとう。わたしに夢を見せてくれて。わたしに夢を見せてくれるあらゆる人に対して、わたしは心から「ありがとう」という言葉を送る。その夢はきっとわたしが死する時に永遠の夢を見せ続けてくれると思うから。ええ、きっと。間違いない。


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