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ぐれあむぺんぎんはここで書いてます(笑)

2015年11月24日 11:09

とある人のブログ記事を見て思い出したことがある。昔、サイトで日記を書いていた時に、自分は器が大きくてよかったというようなことを書いた。それはつまり、自分はどんな創作物でも受け入れられるということ。その頃のわたしは同性愛物にはまっていた頃で、そんなふうにどんなものでもオーケーという表明が、そういったものに嫌悪感を持っている人を傷つけたことがあった。わたしは受け入れられない人のことを否定したつもりはないけれど、ただ、自分の書いたものをその人には読んでもらえないということに少なからず腹立たしくも思っていたこともあり、結果的には「創作する人がそんなことではいけないんじゃないか」と突きつけてしまったことで、わたしたちの友人関係は破綻した。今思うと、当時のわたしはほんと考えなしだったなあと思う。まあ、あの頃は、自分の書いた一般作品より、別名で書いていた同性愛物の創作物のほうがいいものを書いているという誇りがあったので、どうしてもその自信作を読んでもらえない、受け入れてもらえないことを理不尽に思ってしまったからしかたないことではあるんだけど。

だから、この記事を書くきっかけとなったとある人のブログ記事を読んでいて、その人も自分とは違う人のことを否定しているということを書いてはいないのだけれど、どうしてもその記事は、その人と違う考えの人のことを否定しているように思えてしまう。きっと、これが、当時のわたしの書いたものに対して「否定された」と友人が思ってしまった理由なんだろうなあ。そう思うと「書く」という行為は、どうしても誰かの逆鱗に触れてしまうことであり、どうしようもないことなんだなと思う。だから、どんなに「自分は自分と違う考えの人、違う嗜好の人を否定しているわけじゃない」と言ったとしても、書かれていることで「否定された」と相手が感じてしまったら、それはその人の読解力のせいだと非難することはできないよね。「否定された」と感じられない文章だって書く人もいるわけだから、結局は自分の文章能力の未熟さで、自分の思いが相手に伝わらなかったということなんだよ。

ああ、まさにわたしがそういう物書きとも言える。自分の言いたいこと、伝えたいことがどうしても相手に理解してもらえない。それで破綻した関係がいくつもあった過去をわたしは持っているから。本当はわたしなんてこんなふうに日記で自分の思いや考えを書くべきではないのかもしれない。書けば書くほど、わたしの思いは一人歩きをして悪い方へ向かってしまうのだから。でもまあ、今はもう誰かがわたしの書いた物で誤解をしたとしても、それを昔のようにわざわざ突きつけてくる人もいないから、好きに書いていけるというのもあるな。誰かは誤解してるかもしれないけど、それをわたしが知らない限りはその事実はわたしにとって事実ではなくなる。そう思うことで、わたしはこれからも好きに書いていける。そんなことを思ったこの場所も今年の夏で10周年。ここまで続くとは思ってなかったなあ。まあ、途中休止してた時もあったけど。それにしても「アレが落ちた日」を書いた時はまだ仕事についてなかったんだよね。でも、今の仕事についたのも2005年12月だったわけだから、今の仕事場も勤めて10年というわけだ。ほほー続いたなあ。そんなに続くとは思ってなかった、ここと同じで。(笑)

これからもこんなわたしですけど、なにとぞよろしくね。


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