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配慮配慮と言うけれど

2016年06月12日 08:34

シロクマさんの記事に書かれていた、末尾に書かれる「ありがとうございます」という蛇足的な言葉とは違うかもしれないけど、友人のブログで起きた諍いのことを思い出した。その友人のブログはここでリンクはしないけど、一部の人にはリンクはらない理由はわかるかと思う。(笑)

友人のブログでは書き手が書く末尾の言葉ではなく、書き込みをしてきた読者のコメントの末尾に書かれた言葉が諍いの原因となったわけだけど、それはつまり書き込みする上でのコメント者の配慮ともいうべき言葉で、はたからみれば確かに配慮としては当たり前の言葉で、それに対してブログ主が不愉快になるってことは意味がわからないと見る第三者は多いでしょうね。で、友人のブログで起きた諍いの原因となった書き込みは、そのコメントがそこに書かれることはそのブログに対してふさわしくないのではないか、もしそうならば削除してくれという内容だったんですよね。それに対して友人は、ふさわしいかふさわしくないかはこっちが決めることであり、わざわざそんな言葉は書かなくてもいい、そんなふうに思うのではあれば最初からコメントを書くな、不愉快だと言い切ったわけです。今思うと、友人のその言葉は言っていいことではないと思うんだけど、友人は思ってることをそのままズバリと言ってしまう傾向があり、そのせいで過去に何度もトラブルに遭ってるわけですね。だから、コメント書かれた人だけでなく、書き手である友人も末尾にそんな非難の言葉を書かなければ、書き込みされた人を怒らせて「もう二度と書き込みしません」とはならなかったんだろうと思う。

よかれと思って発した言葉が、相手を激昂させたことは多くの人が経験していると思う。それは、想像の範囲を超えた出来事ではあるんだろうけど、わたしのように「なんでこんなことで怒る」ということで怒ってしまうタイプの人間だから、どんな優しい配慮ある言葉であっても誰かを怒らせてしまうことはあるんだとわかっているわけ。だから、誰かがわたしの書いた物で理不尽に怒ったとしても、ま、しょうがないかと今は思えるようになってきた。お互い様だよね、って。そうでも思わなきゃ、何も書けなくなるしねえ。だからまあ、シロクマさんの書かれた当該の記事だって、誰かは、つまりは、ブログの末尾に「最後までお読みいただきありがとうございました」「気に入った方はお気に入り登録よろしくお願いします」とかいう言葉を書くブログの人を不愉快にさせることはある。でも、そういった誰かを傷つけるリスクをリスクとも思ってないのがシロクマさんなんだろうな。そうじゃなきゃそんな記事は書けないでしょ。どんなものを書いたとしてもどこかの誰かは傷つく。そんなことはわたしも何度も経験してきたし、逆にわたしも傷ついてきた。でも、傷つけても傷つけられてもわたしは書くことをやめられない。それは友人も同じだ。誰かに「もう二度とと書き込みしません」とか「もし私のブログを見つけてももう来ないで下さい」とか「私はあなたと再び言葉を交わすつもりはありません」とか、そんな非難をされて血の涙を流したとしても、それでも書くことをやめられない、なんとも業の深いことだなあと思わないではいられないですよね。

書く、ということはそれくらいの覚悟がないといけないよなあって思う。どんなに気楽に書いていたとしても、どんなに素晴らしいものを書いていたとしても、どんなに粗悪なものを言いたとしても、読んだ人がどんな人かわからない場所で書くのだもの、必ず傷つくことはある。そして自分も誰かを傷つけることもある。書き続けたいのなら、それをゆめゆめ忘れずにいなくちゃね。とはいえ、そうは言っても思わないではいられない。そりゃあ配慮は必要だと思う。けど、反面、本当なら配慮なんていらない世界であってほしいって、物書きであるわたしはそう思う。そうであってほしい。


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