いつかこの気持ちも

2017年12月09日 13:47

さて、今度は「CIPHER」(サイファ)を読み返した。全12巻。で、この最終巻のラストでしおりはさんでた場所あったんだけど、そこで書かれていた言葉「相手が死んじまうとさ、思い出って永久にそこで止まっちまうだろ。最後のシーンのくり返しだけ、ああすればよかったと一人考えるばかりでさ…でも生きていれば思い出を書き替えるチャンスはある」とシヴァであるジェイクが言い、モノローグとして「どんな苦い思い出も生きている間は書き替えるチャンスがある。だからおれたちは生きるのをやめない。荷造りしてまた新たに出発する」とサイファであるロイが心で呟くシーン。たぶん、これを読んだ時、いつのことか覚えてないけど、忘れたくない箇所としてしおりをはさんでたんだろうと思う。ただ、今現在のわたしが心にとめた箇所は、ジェイクが好きだった娘ディーナの墓参りに行ってみたら彼女の母親が言ったセリフだった。「父が死んだときも思ったもんだよ。死んだっていう事実にだんだん慣れてきて、いないのがあたりまえになってくる。遠くの街に住んでるのと同じ感覚さ。忘れていられるようになるんだ。でも、ふいに思いおこしたときに、昔とまったく変わらず、いや、より深くとさえ思えるよ。愛してる自分に気づくんだ。変質していくことはあっても、愛情って消えないものかもしれないねえ」という言葉。この言葉は、母が亡くなって間もないからこそ心に響くんだろうなって思う。父が亡くなった時は、今回のように引きずるってことはなかった。父が亡くなる前からすでに疎遠になってたというのもあるだろう。以前、ノイズの場所だったかに書いたこともあるけど、死に耐えるためにも頻繁に会わないのも手かなというようなことを書いた覚えがあって、それの証明にもなったような気がしてたもんだけど、母の場合は死の直前まで一年も密に会い続けて、母の死をいまかいまかと思いつつ会い続けたこともあって、それのせいでいまだに母の死が乗り越えられない。ふとした瞬間に思い出しては泣いてしまいそうになり、心が引き裂かれそうになる。こんな思いをしたくなかったけれど、でも、母に会い続けるのは子供としての義務だと思って会い続けたわけだもの。父に対する贖罪みたいな気持ちもあったし。いつか、今のこの気持ちも良い思い出にできるんだろうか。忘れていられるようになるんだろうか。たぶん、ちゃんと思い出として片づけられるようになるんだろうな。なんといってもまだ母が死んで2ヶ月が過ぎただけだもの。父が死んで2年が過ぎた。母の死もそのうちそんなふうに2年、5年と過ぎていくんだろう。13回忌がくるまでわたしは生きていられるだろうか。その頃には締め付けられるほどの気持ちになることもなく、ああ、懐かしいなって思えるようになるんだろう。でも、そこまで生きていられる保証もない。父と母が死んだ年と同じ年まで26年だよ。わたしはそこまで生きられる自信がない。


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