作家を神聖視するな

2018年02月01日 07:48

お気づきの人はいるかもだけど、過去ログをまとめて掲載しています。なので、今から掲載するものも2.014年の1月31日に書いたものなんですけど、ログに埋もれるのがイヤで現在の日付で掲載。(笑)

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最近のお気に入りのマンガ家さんに七尾美緒という人がいる。その人が書いた「ペン先にシロップ」というがあって、この間、全5巻を読んだ。これに出てくる遠野伊吹というマンガ家が、何というか人間的じゃない、天才な分、どこか無機質で感情的なところがまったくない、いわゆる性格の良くない人間。けれど、彼が「恋をしてみよう」と思い、その対象をダメダメ編集者の菜花にしたところから、彼が人間的になっていく様が描かれていて、それがとてもおもしろかった。この話の中では、菜花が幼少の頃に義父から虐待を受けていたエピソードもあって、それがけっこうシビアな内容で、今のわたしにとってはちょっと痛い内容ではあったけれど、それをだいぶ和らげる進め方になっていて、わりと落ち着いて読めたと思う。ただ、ラストで虐待していた父親が出てくるんだけど、この父親が本当にろくでもない人間ではあるんだけど、勧善懲悪な物語であったなら、この父親がひどい目に遭うところを、結局は何にも罰せられることもなく、のうのうとこの後も生きていくんだろうなあという終わらせ方は、実にリアリティのあるラストだなあと思った。それでも、ちゃんとハッピーエンドで、胸のすく終わり方ではないけど、ほんわかとした終わり方で、これはこれですごいよなあ、やっぱ七尾さんすげーやって思った。

つーか、別に感想が書きたかったわけではなく、作家って神聖視されることが多いんだけど、本当は作家って尊敬されるべき人なんかじゃなく、ただの人、それもろくでもない人がけっこういるっていうことを知っててほしいと思ったわけ。わたし自身も昔は好きな作家を尊敬し、作家っていうものは偉い人なんだ、すごい人なんだ、何でも知ってるんだ、常識的な人で、良い人なんだと思い込んでいた。でもそうじゃない。もちろん、そんな人もいるんだけど、大多数が普通の人で、中には非常識で極悪人な人や自分勝手でワガママな人のほうが実は多いんだよなあと、自分自身のことも含めてそう思う。「ペン先にシロップ」で語られているこのセリフがその証拠。

『物語を綴るなんて聞こえがいいけど、要は誰にも邪魔されず、自分が作った世界を絶対的に操りたいだけ、そして、それによって読み手の感情をも支配し、コントロールするのは最高に気分がいいよね』


これは伊吹のセリフではないけど、この言葉はけっこうわかる気もする。もちろん、わたしはそういうつもりで物語を綴るわけじゃなく、わたしにとって昔も今も物語は菜花にとっての物語と同じ。物語を読むことで自分を救いたいから、現実の辛さを忘れたいから、だから読むし、わたしはわたしの読みたい物を書く。誰かがわたしが読みたい物を書いてくれれば、わたし自身は書かなくてもいい。それに気づいたわたしは、ああ、そうか、わたしは書くことが好きなんじゃなくて読むことが好きなんだなあって。

一時期、こういうものが読みたいっていうものがなくて、それで自分で書き出したのだけど、今のわたしは読みたいと思えるものが巷で溢れてて、それを読むのが忙しくて今は何も書けない。そういった読むことに夢中になった時代が以前の職場の時に訪れたんだけど、ちょうど今がその時と同じ状況。だから、いずれまた書きたいとなる時代も来るんだろうけど、たぶんもう死ぬまでその時代はこない気がしている。もう寿命が近くなっている気がするから。今年51歳になる。まさか50まで生きるとは思ってなかったので、今のわたしはおまけの人生を生きてる気がするんだよね。そんな今のわたしがのめりこんでいるのがハーレクインのマンガ。今のわたしには活字を読む時間がなくて、それでマンガを読んでいる。今年もどれくらいのものを読めるかわからないけれど、一冊でも多くの物語を読みたい。夢を見たい。その一心で。

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この記事をココで最新の記事として掲載するのには理由がある。作家を神聖視する人に対する気持ちをこれでわかってもらいたいからなんだけど、たぶん、神聖視する人たちには理解できないことなんだろうなと思いつつ。まあ、ただの戯言として聞いてください。(笑)


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